Biting Angle

アニメ・マンガ・ホビーのゆるい話題と、SFとか美術のすこしマジメな感想など。

21世紀最初の10年のショーケース『2000年代海外SF傑作選』

2021年01月11日 | SF・FT
2000年代(2000年~2009年)の海外SF短編を集めた年代別アンソロジーが、約20年ぶりに刊行されました。
編者は近年の海外SF紹介に目覚ましい活躍を見せる当代きっての敏腕レビュアー、橋本輝幸氏。
さて時代も編者も変わった新時代のアンソロジー、どんな作品が収録されているのでしょうか。



【エレン・クレイジャズ「ミセス・ゼノンのパラドックス」】
時代も場所も定かでないカフェで交わされる二人のミセスの会話が、ケーキをいかに分割するかという議論から
量子力学的な極限状況へとエスカレートする話。

昔ながらのSFホラ話の系譜に連なる掌編ですが、細かく読むと有名な「無限分割」のパラドックス以外にも
「場所のパラドックス」が出てきたり(カフェの場所が不確定なのはそのため)、パラドックスが解消されたら
ワームホールが生成されるなど、ゼノンのパラドックスに関する考察を多面的に取り入れた作品のようです。
でも詳細までは理解できてないので、詳しい人の解説が欲しいところ。

【ハンヌ・ライアニエミ「懐かしき主人の声(ヒズ・マスターズ・ボイス)】
知性化された犬と猫が拉致された御主人を奪回すべく、ハイテク装備をまとって奮闘する。

タイトルに象徴されるギャグめいたアイデアと頻出するガジェットに造語、そしてペットの主人愛が印象に残りますが、
知性化の功罪や人権の在り方、ディストピアといった深刻な問題の是非には触れずにひたすらカッコよさで押す物語。
昔ならサイバーパンクの亜流と言われそうで、ポスト・サイバーパンクというよりファッション・サイバーパンクっぽい。
ド派手なセンスを誇示する作風をクールと見るか、それともケバいと見るかは好みによりそうですね。
このキッチュな感覚こそSFだぜ!という人はすごく好きそうだけど、2000年代の看板を背負うには少々食い足りないかな。

【ダリル・グレゴリイ「第二人称現在形」】
意識は行動の後付けとして存在するものだとしたら、意識を遮断するドラッグで自我を失った肉体に後から生じたのは
いったい誰の人格なのか?

多重人格やクローニングなどで複数の自己と対峙する「私は誰?」的な物語は前からあったものの、
本作からは「私はみんなの思うような私じゃない!」という切実な叫びが感じられます。
自己同一性について疑問を抱える多くの人たちには特に強く響くでしょう。
さらに経済的・社会的に自立していないティーンエイジャーを主人公に据えたことによって、
親子関係や家族のかたちを問い直す普遍的な物語としても読めるのがうまいところ。
でも別人であろうと意識があるなら、それはもう哲学的ゾンビじゃないのでは?というモヤモヤ感もあり。
もしこれを日本に置き換えたら、むしろ会社や家族から逃げ出したい大人の間でドラッグが大流行するだろうし、
そうした人々を社会復帰させる仕事を描いたSFのほうが売れるかもしれません。
あと鈴木俊隆師の名前は直すべきだけど、増刷は難しそうなんだっけ……。

【劉慈欣「地火」】
炭鉱夫の父をじん肺で失った主人公は技術者となり、採掘によらず石炭をエネルギー化する技術を開発した。
しかしその実験は人間の想像を超えた大事故を引き起こす。

劉の強みは現実に存在する中央集権的国家の圧力を背景に、その中で生きざるを得ない個人の葛藤を鮮やかに描く点でしょう。
そんな社会における科学とは国家と人民の輝かしい未来を創るものであり、同時に立身出世の道具でもあります。
この素朴ともいえる科学観をめぐって理想と俗っぽさの間を揺れ動く登場人物たちの姿は、少し古いSFでよく見たタイプ。
1950年代から60年代の英米では社会批評を書くためにSFが用いられましたが、「地火」を含めた劉の作品には
その頃の作品に感じた生真面目さと未来志向、そして破天荒な描写を躊躇しない蛮勇があります。
いわば一周回ったところに中国SFブームが来たのかな……という印象もありますね。
でも最先端SFの多くが個の問題を書くことに執着する中で、国家や社会といった「大きな問題」を取り上げた作風が
広く支持されるのは、なかなか興味深いです。
本作は2000年の発表ですが、大惨事を食い止めようと奮闘する人々の姿やその先の展開は我が国の原発事故に驚くほど似ています。
作中で「空は落ちない」という格言を叫んで動揺を収めようとする人物が出てきますが、空だって落ちるときには落ちるということを
2020年に生きてる我々は既に経験済なんですよね……。
最後の章はとってつけたようでいかにも政府のプロパガンダ的ですが、記述をよく読むと年代の異動や事実の隠ぺいが示唆されています。
ここに情報操作や歴史修正主義に対する著者からの異議が隠されていると思いました。

【コリイ・ドクトロウ「シスアドが世界を支配するとき」】
リアルとネットの双方で発生した大規模テロは全世界を一瞬にして崩壊させた。
職場のクリーンルームで死を免れたシステムエンジニアは同僚と共に世界各地の同業者と連絡を取り合い、
新たな世界秩序の構築を目指して奮闘する。

2006年という発表時期は同時多発テロの余波も強く残っており、この翌年には事件の影響を強く感じさせる
『ユダヤ警官同盟』が発表されて話題を集めました。
アメリカの隣国であるカナダにとっても「明日世界が終わるかもしれない」という不安と隣り合わせだったはずで、
そうした危機感が作中のリアルな描写に表れているのでしょう。
バイオ兵器やサイバー攻撃との複合テロというビジョンは、世界の破滅なら核攻撃というそれまでの固定観念を覆したとも言えそう。
姿こそ出てこないものの、危機的な状況のグーグルを束ねる女性リーダーも主人公の男性SEよりキャラが立ってました。
それにしても、システム復旧に出動した管理者が世界中に生き残っているという設定はいささか楽天的じゃないかな。
リアルが滅んでもネット世界は生き延びるから、我々はそこを守って民主的に運営しなきゃ!みたいな感覚もちょっとなあ。
これでは21世紀のギーク版「コージー・カタストロフ」じゃないの?という不満も感じました。

【チャールズ・ストロス「コールダー・ウォー」】
ソ連が崩壊しなかった世界、冷戦は悪化の一途を辿り、東側は核を超える兵器として超次元の存在を利用する計画を進めていた。
これを阻止すべく西側諜報員も動き出すが、はたしてその結末は。

宇宙開発が進まなかった世界なので大陸間弾道弾も無さそう……といった側面からも考察できそうな作品。
異世界から来た邪神を大量殺戮兵器に使うという発想は宗教対立による世界紛争へのアンチテーゼであり、
核兵器の原料にウラヌスやプルートーといった神の名が使われていることへの皮肉かもしれません。
そして「残虐行為記録保管所」のタイトルがバラードに由来するように、その原型とも思われる本作では
かつてバラードが多用した、いくつもの断章を重ねていく「濃縮小説」の手法が用いられています。
さらに邪神との接触がWWⅡのナチス・ドイツから連綿と続くものであると示されることで、
本作もまた大量殺戮の時代における「残虐行為展覧会」を狙ったのではないかとも感じますね。

【N・K・ジェミシン「可能性はゼロじゃない」】
「ありそうもない出来事が次々と発生する」という怪現象に見舞われたニューヨークでは、確立的に低い事件も日常茶飯事。
そして住人たちは効くかどうかもわからないお守りに身を固め、毎日を懸命にやり過ごす。

マンハッタンを舞台にしていることから同時多発テロを直接的に示唆する作品なのは間違いないですが、
かつて地下鉄サリン事件や東日本大震災と原発事故を経験し、いま新型コロナウイルス禍のど真ん中で暮らす
われわれ日本人にとっても、大変身につまされる話です。
統計学的にまれな出来事が立て続けに起きるという設定はハインラインの名作「大当たりの年」を思わせますが、
あちらが幕切れに破滅の気配を漂わせるのに比べると「可能性はゼロじゃない」の終わりには希望が感じられます。
たぶんこの希望こそ、著者が書きたかったものじゃないかな。
何の変哲もない日々が突然断ち切られる不安、「いつ何が起こるかわからない」という不穏さが毎日の生活にも影を落とす世界。
でもそれこそ人生本来の姿なのではないか?という逆説を問いかけることで、ジェミシンは毎日を生きることの幸福と不思議さを、
SFならではの表現で見事に書ききったと思います。
「不確実性の時代」を生きる人々の不安と葛藤をユーモアも交えて描きつつ、その生活に寄り添うことで一種の人間賛歌にもなっており、
2000年代を最もよく象徴する傑作のひとつだと思います。

【グレッグ・イーガン「暗黒整数」】
異なる数学を基盤とした世界同士の接触が破滅の危機をもたらした「ルミナス」の物語から10年後。
異世界への新たな干渉が発生し、かつて事件の解決に関わった数学者たちは再び世界を救うため行動を起こす。

鍵となる暗黒整数の理屈はよくわからなくても、別世界の数学が入り込むことで世界全体にエラーが生じてしまうと考えれば、
とにかく世界ヤバい!という雰囲気はなんとなくつかめるはず。
「ルミナス」には2000年問題への目くばせが感じられましたが、「暗黒整数」は同時多発テロ以後も世界を揺るがし続ける
「異なる原理によって成立する二つの世界」の交わらなさを、数学原理に託しながらも比較的ストレートに書いています。
そして前作ではまだ対話の余地もあった異世界との交流は、本作でほろ苦い結末を迎えます。
これこそ前作から10年の刻を経た世界の変化を如実に示すものでしょう。
90年代傑作選からの続き物として本作が選ばれたのも、実はこの変化を見せるためだったりとか……?

【アレステア・レナルズ「ジーマ・ブルー」】
強化された身体で真空からガス惑星までを踏破し、宇宙空間に巨大な前衛芸術を構築する謎の芸術家ジーマ。
その作品に使用されるトレードマークの色「ジーマ・ブルー」には、彼の秘められた生涯との深い関係があった。

NETFLIXで発表されたアニメシリーズ「ラブ、デス&ロボット」で映像化された一編。
その原作を収録する企画によって、2000年代以降の年代別傑作選が出版できる道が開けたとも考えられます。
意識と記憶を論じることで美の意味を問い直す物語は、インスタグラムやライフログという形で全ての行動を記録すること、
あるいはコンシェルジュAIに決定権を委ねることが孕む問題点を経由し、やがてはポストヒューマンを超えたポストライフ、
すなわち人生の仕舞い方へと行きつきます。
そのときジーマの正体は既に重要ではなく、聞き手は彼を通じて「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
という根源的なテーマを突き付けられるのです。

全体を見ると、年代別傑作選の収録作にヒューゴー賞もネビュラ賞も含まれてないのはこれが初めてですね。
とはいえ両賞の価値がまるでなくなったというわけでもなく、コニー・ウィリスやテッド・チャン、ケリー・リンクら、
主要な賞の常連組については既に作家別の単行本が出ています。
でもSFマガジン2020年6月号でらっぱ亭さんが「零號琴にも通底する」と評したユージイ・フォスターのネビュラ賞受賞作
"Sinner, Baker, Fabulist, Priest; Red Mask, Black Mask, Gentleman, Beast"はこの機会に訳して欲しかった。

個々の作品だけ見れば出来栄えに偏りも感じるし、80年代や90年代の傑作選に比べると「マスターピース」と呼ぶには
ちょっと弱いかなという印象もあります。
それでも全体を通読して「よいセレクトだなあ」と思えるのは、収録作が互いに共通のテーマを持っているからでしょう。
例えばそれは同時多発テロ以後の不確定な世界、戦争への不安、意識や自己同一性への疑い、ポストヒューマニズム志向であり、
読者は読み進めるうちにこれらのテーマを異なる作品から繰り返し読み取って、その時代の輪郭をイメージできるわけです。
このあたりは編者の選択眼が光るところですね。
過剰に技巧的だったりSFとFTの境界にあるような作品もないので、SFになじみのない人が手に取るにもよいでしょう。
21世紀最初の10年をまとめたショーケースとしては粒のそろったアンソロジーだと思います。

その一方、2000年代前後に頭角を現した、あるいは時代を象徴する作家に絞ろうとするあまり、
それ以前からのベテランが引き続き活躍していることを示す作品が入ってないのは少し残念です。
かつて80年代SF傑作選にもゼラズニイやジョアナ・ラスの新作が収録されていたように、
2000年代に日本で再評価が進んだベテラン作家の新作も採って欲しかった。

例えば2004年に『ケルベロス第五の首』 2006年に『デス博士の島その他の物語』が単行本として出版され、
一気に再評価が進んだジーン・ウルフには、SFマガジン掲載時に話題を呼んだ2002年の作品「風来」があります。
またSFマガジン2021年1月号では中村融氏がエッセイのアンソロジー収録を提案していますが、これを踏まえて
やはり2000年代に『奇術師』『双生児』が評判となったクリストファー・プリーストの「戦争読書録」を入れるとか。
あるいは日本で編まれることを念頭に、原爆の代わりに巨大怪獣映画を作って太平洋戦争を終わらせようとする珍作戦を
スーツアクターの視点から描いた、ジェイムズ・モロウ「ヒロシマをめざしてのそのそと」を収録するとか。
本来なら作家別作品集が出れば一番よいけれど、まず見込みがないモロウなどはこうした機会に残して欲しかったですね。

橋本氏もnoteで語ったとおり、年代別アンソロジーにはSFマガジンに収録されたきり書籍化されていない作品を
もう一度世に出す役割もあると思います。
しかし10年分を1冊にまとめるのはさすがに紙幅が足りないとすれば、早川書房にはそろそろ往年の名アンソロジー
『SFマガジン・ベスト』の再始動なども期待したいところですが。
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ユリイカ2020年12月号「偽書の世界」と「白梅ニ椿菊図」

2020年12月05日 | その他の雑記・メモなど
ユリイカ12月号「偽書の世界」発売前からかなりの評判だったようですが、期待にたがわず大変面白かったです。



様々な分野の書き手がそれぞれの見地で偽書について書いているので、当然ながら体系的な研究や一貫した視点には欠けていて
読みにくさや混乱を招く部分もあるけれど、個々の文章については興味深いものが多いですね。

特によかったのは特集冒頭に置かれた馬部隆弘氏と小澤実氏による対談「文書をめぐる冒険」。
国学者椿井政隆が江戸時代後期に偽作した中世古文書「椿井文書」を発見した馬部氏とルーン文字等も研究する小澤氏により、
地域住民に都合のいい典拠として「偽書」が成立するメカニズムと、それが公的文書として利用される過程までが明らかにされ、
これが現代にまで通用している実態には驚かされました。
しかしこれは椿井文書に限らず北欧に起源を求める欧州でも同様な広がりを見せるなど歴史的・世界的に共通の問題であること、
かつ偽書は偽書として史学的な研究価値を持つ資料だという説明にはうなずかされるものがあります。

歴史や史実を捏造し思想の伝播や定着に利用しようという動きは現在も頻繁に行われている印象があり、特に国家権力や
国粋主義、また排外行動と安易に結びつきやすい印象があります。
偽書とは情報に確実性がなかった過去の産物ではないし、いかに興味深いとはいえ真贋の別は明確にしなければならない。
デマやフェイクニュースで実際に社会が動いてしまう時代に、この特集が持つ意義は非常に重いと言えそうです。

なお、多くの書き手が文中で「偽書とは何か」を説明していますが、明確な定義と感じるものはありませんでした。
この特集自体も完全な捏造から出典が怪しい文書、さらに完全なフィクションとして発表された作品までを幅広く取り上げており、
特に架空の歴史や並行世界を扱った小説まで含めているのは違和感が強い部分でした。
私個人の意見としては、偽書とは現実と非現実の境界にあってとらえどころのない存在に限定して欲しいと感じます。

それとは別に、記憶や文書の捏造をテーマとした樋口恭介氏の「交換日記」は偽書を語る/騙る物語として楽しく読める作品なので、
これは創作として広くお薦めしたいですね。

また、他の特集のように「世界偽書辞典」的な項目や、文中で取り上げられた偽書類を巻末一覧としてまとめてあれば
資料として活用する場合にもより有益だったように思います。

さて、実在しない創作物が実在する場所に現れて重要な役割を果たす近年の例としては、アニメ映画『時をかける少女』で
東京国立博物館を会場とした架空の展覧会「アノニマス―逸名の名画―」に登場した非実在の絵画「白梅ニ椿菊図」があります。

東博で『時かけ』の野外上映が行われたとき、この作品が本館前のスクリーンに映ったのは感動的でした。

実在しない絵画が実在する博物館に展示された瞬間。
これこそ空想が現実に入り込む瞬間だなと感慨にふけったものですが、新型コロナウイルスの猛威により来館者が減った2020年、
今度は仮想空間に東博が出現し、バーチャル特別展「アノニマス―逸名の名画―」が開催されるとのこと。



「今回のバーチャル特別展は東京国立博物館・文化財活用センター・凸版印刷株式会社が主催し、
 スタジオ地図を迎え入れることで立ち上げることができました。
 新型コロナウイルスによって集客力に大きな打撃を受けている日本全国の美術館・博物館ですが、
 新たな作品鑑賞のかたちに挑戦しています。」
「今回は「時をかける少女」で主人公「真琴」たちが訪れていた「アノニマス −逸名の名画−」展を再現した展覧会を、
 バーチャルSNS「cluster」上で行います。」
(Makuakeに掲載された「アノニマス−逸名の名画−」運営事務局による説明より)

千昭がこの絵を見に来た理由を真琴に話したとき「人がたくさん集まるのを見たことがない」「野球も行われていない」
「東博で最後に展示された後の絵の記録がない」といった未来の説明がありました。

東博ほどの施設に所蔵された絵の行方が分からず、人も減って野球もなくなったというなら、考えられる理由として
一番ありそうなのは“近い将来に戦争か災害が起きる”という緊急事態で、千昭の言葉はそれを暗示するものではないか、
そして真琴が「絵を必ず未来で見られるようにする」と宣言したのは、その悲惨な未来を彼女が変える可能性について
示唆しているのではないか……だからラストに物語をリスタートさせる意味でタイトルが大きく出るのではないか。
私の(SF的な視点で見た)作品解釈はこんな感じだったのですが、まさか公開から14年を過ぎた2020年に
「人がたくさん集まれない」「(夏の甲子園などの)野球がない」「美術館に行くことも難しい」という世界が
現実に訪れるとは思いもしませんでした。
それも戦争や災害ではなく、世界的な疫病が原因とは……まあこれも一種の天災ということもできますが。

ピンチをチャンスに変えようという今回の展覧会もまた、真琴のように未来を変える存在となるかもしれません。

展覧会の公式サイトはこちら。
https://virtualtohaku.jp/anonymous2020_exhibition/

Makuakeのプロジェクト支援ページはこちら。
https://www.makuake.com/project/annms2020exh/
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時かけ10周年記念「博物館で野外シネマ」に行ってきました

2016年07月17日 | アニメ
細田守監督の『時をかける少女』が公開されてから今年で10周年だそうで、それを記念して
作中にも登場する東京国立博物館で野外上映が開催されました。
前回の野外上映は2014年でしたが、あの時は仕事終わりに駆けつけたら既に長蛇の列で
映画の後半まで入場できなかったので、今回は最初から土曜日に行くと決めての参加です。

とはいうもののその前に済ませる用事があったので、現地に着いたのは17時過ぎ。
場内の場所取りは16時からなので、敷地内の芝生からアスファルトの上に至るまでのあちこちに
早くもレジャーシートが敷き詰められてました。
限定グッズを購入後に何とか座る場所を確保。かなり後ろですがスクリーンが見えるのでまだマシです。
そのうち奥華子さんが登場してリハ開始、スクリーン前に置かれたキーボードで「ガーネット」のサビを
入念にさらっています。歌も音楽もしっかり聞こえるのでこれは期待できそう。

しかしいざトークが始まってみればスピーカーの音が小さすぎて、話がほとんど聞こえません。
前から拍手は聞こえるけれど内容どころか誰がしゃべってるかも不明。この時間はかなりつらかった。
後で判明しましたが、この時は齋藤プロデューサーのトークだったんですね。

トークが終わっていよいよ本編の上映開始。最初は音が小さかったけど、後から調整したのか
映画自体は音楽もセリフもそれなりに聴き取れてちゃんと見られました。
……と思ったら2回目のタイムリープ中に映像がダウン。会場説明や復旧見込のアナウンスは
後方にまったく聞こえずやきもきしました。
結局十数分で映像が復旧。まあこれも時間が巻き戻ったんだろうと気を取り直して続きを観てたら、
今度はクライマックスのタイムリープでまたもや映像が落ちました。これには会場全体が苦笑い。
近くの人は「涙が引っ込んじゃった」とがっかりしてましたが、野外上映にはトラブルがつきものと
割り切るしかないのでしょう。

その後は無事にラストまで完走。エンディングの後に大拍手があって、いよいよ奥華子さんの登場です。
場内が総立ちで野外フェス状態の中、まずは「変わらないもの」、続いて「ガーネット」を熱唱。
映画の余韻が冷めない中で奥さんの弾き語りを聴くと、タイムリープのように感動が蘇ってきます。
背後の上野の森からは夏虫の鳴く声が響いてきて、季節感をさらに高めてくれました。

さて、私にとって東博で『時かけ』を観る一番の目的は、やはり「白梅ニ椿菊図」です。

この実在しない絵を実在する東博で観ることにより、作中の世界と我々の世界が交錯する瞬間を感じ、
その意味を考えたいというのが、自分にとって最大のテーマ。

もちろん、それを修復した芳山和子が東博にいる気分を味わいたいという面もありますが(笑)。


間宮千昭が「白梅ニ椿菊図」をなぜ観に来たか、それが彼の時代と今の時代にどう関係しているかは
以前にも考察しましたが、おそらく次のような事情によると思われます。

“千昭の住む時代はおそらく戦乱で人口が減少し自然も破壊されている。その時代を生きる千昭は
 かつて戦乱の世に無名の人物が描いた「白梅ニ椿菊図」を知り、実物を観るために現代へ来た。
 未来人にとって歴史改変は許されないことで、彼自身もそれは不可能とあきらめていたからこそ
 ただ「観る」ためだけにタイムリープを行った。そして「白梅ニ椿菊図」がこの時の展示を最後に
 失われたとされているのは、おそらくそう遠くない時期に東博をも巻き込んだ非常事態が発生し、
 それが千昭たちの置かれている境遇へとつながっていることを暗示している。”

だから私が東博で「白梅ニ椿菊図」を観たいのは、千昭の住む時代を現実にしないこと、そして
真琴が言った「なんとかしてみる」という言葉を自分の心に刻みつけたいという思いからなのです。
まあ単なる思い込み、思い入れにすぎないと言われればまったくそのとおりではありますが。

しかしこの野外上映が行われた空の下で、フランスやトルコでは人々の血が流れ、さらに世界各国では
次々と大きな揺らぎが起きています。
「白梅ニ椿菊図」という架空の絵には、そうした土地や人々にも共通する物語が示唆されている。
だから今、私は東京国立博物館でこの絵を観たかったのです。千昭と同じように。


『時かけ』が公開されてから10年。まだタイムリープは発明されず、川は地上を流れています。
それはこの映画を観たすべての真琴たちが歴史を変えたおかげなのか、それともまだ千昭の時代までは
遠く離れていて、その間に取り返しのつかないことが起きるのでしょうか。

その答えは、また10年後に東博で『時をかける少女』を観ることができたらわかるのかも知れません。


なお、東京国立博物館特別4室では「『時をかける少女』と東京国立博物館」を7/31まで開催中です。
映画と東博の関係にも迫る展示なので、こちらもお見逃しなく。
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2016年もよろしくお願いします

2016年01月03日 | その他の雑記・メモなど
あけましておめでとうございます!

2016年は申年なので、サルが主役のSF『禅銃』の表紙をアップしてみました。

ただしこちらは旧バージョン。現在の表紙は昔書いた記事で見られます。
今年はいよいよベイリーの代表作『カエアンの聖衣』も新訳復刊される予定とか。

お正月らしい画像ということで、暮れに永青文庫へ行くとき寄ってきた護国寺の写真も載せときます。


すぐそばに大きな建物がありましたが、これが講談社とは知らなかった。護国寺駅が最寄りなんですね。

こっちは旧社屋で、右上にちらっと見えてる高層ビルが隣にある新社屋です。
建物の前にあるディスプレイには講談社の雑誌やベストセラーが展示されてました。

それでは、今年もよろしくお願いします。
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日本SF大会メモなど、2015年の振り返り。

2015年12月31日 | その他の雑記・メモなど
2015年の最後の日もあとすこしで終わりなので、すこし振り返りなど。
今年もブログの更新ができなかったなーという反省はありますが、3月には念願の名古屋SF読書会に参加し、
8月末には米子で開催された第54回日本SF大会《米魂》に行くことができました。

後者は片渕須直監督のSF大会初登場ということで、2日間にわたって関連企画を追いかけてましたが
ちょっと事情があってレポート書くのは控えてました、すいません。
いまさらですが当日のメモからいくつか拾って書いておきます。

◎ラリイ・ニーヴン関連
・科学技術を保守する人間がいなくて朽ちていく様子は『リングワールド』が原点
・自力では何もできないボックスは精神制御で多種族に奉仕させる「スレイヴァー族」がモデル

◎アリーテというヒロイン
・実証主義的な考え方。女の子にサイン・コサイン(の知識)は必要と思う。
・サイエンスとはこういう(実証主義的)なもの、その原型へと遡って描いた。

◎アニメ「この世界の片隅に」
・戦時中の生活を描こうとするとドラマなどのフィクションが原典になってしまうのが現状。
・服につけられた名札、窓に貼られた紙などのディテールにもそれぞれ理由があるはずなのに、
 (今のフィクションの多くで)本来の形とその理由が作中から落ちてしまっている。
・ドラマの表現は必ずしも実証的ではない。戦時中の原典を調べたほうがおもしろいものができる。
・そもそも『この世界の片隅に』の原作マンガ自体が、膨大な原典を調べて描かれている。
・劇場公開時は尺を90分に調整する必要があるが、できればディレクターズカット版も出したい。

◎コニー・ウィリス関連
・当時を見てきたように描く『この世界の片隅に』は、まさに『ブラックアウト』『オール・クリア』。
・タイムマシンで当時の呉に降下できるとしたらすぐ行きたい。ウィリス作品ではコリン君がロンドンの
 爆撃地点を調べていたが、呉は自分で調べて日時から場所まで覚えているので、生き残る自信がある。
・でも事前にリサーチしても現地と違うことがある。『ドゥームズデイ・ブック』もそういう話。
・「ブラックアウト」も米版が出た後に英国の読者から指摘があり、英版では修正が入っている。
・日本でも70年くらい前に行くと、今と結構違っているのではないか。


当日はウィリス作品を訳した大森望氏や『MM9 ─invasion─』の文庫版あとがきで片渕監督による
アニメ化企画について書かれていた山本弘氏も来場されました。

また初日の夜には監督を囲む食事会があり、参加者からは科学技術と人間の関係や「信頼できない語り手」の
話題が出るなど、SF大会らしい雰囲気の中で親睦を深めることができました。
私は中座して飛浩隆先生の食事会に行きましたが、普段のイベントとは違った顔ぶれも新鮮でしたねー。
普段のイベントといえば、片渕監督関連のイベントでよくご一緒するイルカのおかげさんもいらしてたのは
ちょっとびっくりでした。お仕事の関係で初日夜には帰られたのが残念です。

飛先生の食事会ではVRにおける身体性と意識の問題などについて、先生本人や濃い飛浩隆ファンと
熱い話を交わすことができましたが、あまりにテンション上がりすぎて細部を忘れました(^^;
創元SF短編賞受賞者の理山貞二さんやオキシタケヒコさんも参加されてたし、後から星雲賞受賞者や
各社の編集さんもどんどんやってきて、飛先生の人徳を垣間見ることができました。

しかし米子はよかった。前日に一人で行った飲み屋さんも最高に楽しかったし。



書籍関係では日本翻訳大賞授賞式の内容がすばらしく、また『教皇ヒュアキントス』という傑作と、
これを通じて古書ドリスという素敵な古書店を知ることができたのが大きな収穫でした。
ドリスさんはヒュアキントスの売り上げに多大な貢献をされたので、訳者の中野善夫さんから特別に
限定一部だけの私家版豆本「饅頭ヒュアキントス」を贈呈されており、店頭で読ませてもらえます。



以前に記事を挙げましたが、初めて参加した名古屋SF読書会の雰囲気がすごくよかったのもいい思い出で、
時間と機会があればまた参加してみたいです。
名古屋のSFファンは本当に熱いというのが肌で感じられたので、今後も注目ですね。
あとはSFセミナーで、ついに我が心の師匠であるらっぱ亭さんとお会いできたのもうれしかったなー。


そして今年の後半はヤマト2199の星雲賞受賞記念イベントで出渕監督のお話を聞いたり、
伊藤計劃作品の劇場アニメを見に行きましたが、なんといっても強烈な体験だったのは
ついに完成したガールズ&パンツァー劇場版でした。
ちなみに初日の11月21日は、6年前に『マイマイ新子と千年の魔法』が公開された日と同じです。

映画の公開前にはHerbst Musik Fest 2015に行って盛り上がったり。


バルト9の前夜祭で観て衝撃と感動に思わず泣いてしまったあと、oazoでガルパンメニュー食べたり。




「この包囲網は、スコーンを割るように簡単には砕けません。」


これがやりたくて、聖グロの席があくまで待ったんだよねー。

舞台挨拶にも行ったし。


横浜の期間限定ショップにも行ったし。


立川にも何度も行ったなー。音響チームイベントにも参加できたし、年明けにも行く予定。


こんな感じで、暮れはほとんどガルパン劇場版づくしでした。
マニアックなのに王道、ユニークなのに感動的。何より映画として面白かったし、細部のこだわりがすごい。
物語の各所に深読みできる要素が配置されてて、余白を楽しむ作りになっているのもいいですね。
劇場帰りにサントラやラジオドラマを聴いたり、いろいろな関連書籍を読み返すことで新たな発見があるし。
さらにはTV版を見返すことで劇場版とのつながりを再確認できるという、まさに何度でも楽しめる映画です。
上映が続いてる限り、なんとか観つづけたいと思ってます。

最後はガルパンで締めという意外な2015年になりましたが、この様子だと2016年もガルパン初めで
スタートしそうです。
年内に読めず持ち越したウルフのファンタジーやダンセイニもあるので、それも消化していかないと。

それでは、来年もよろしくお願いしますー!よいお歳を!
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【お知らせ】日本SF大会に片渕監督が来場、上映会&トークと懇親会もあります!

2015年08月17日 | この世界の片隅に
劇場アニメ『マイマイ新子と千年の魔法』やTVシリーズ『BLACK LAGOON』を手がけ、
現在は2016年劇場公開予定の『この世界の片隅に』を製作中の片渕須直監督が、
8/29~30に米子で開催される「第54回日本SF大会《米魂》」に来場されます。

そこで今回は大会期間中に開催される片渕監督関連の企画について、ご案内させていただきます。

さて、当ブログにお越しの方には周知かもしれませんが、まずは監督の経歴紹介から。
片渕監督は宮崎駿監督の薫陶を受けてアニメ版『名探偵ホームズ』の脚本でデビューを飾り、
『魔女の宅急便』や『MEMORIES』といった名作で多大な貢献をする一方、
世界名作劇場『名犬ラッシー』では初めてのTVアニメ監督を務めました。

その後は満を持して劇場用アニメ『アリーテ姫』を発表。ヨーロッパ映画を思わせる陰影の濃い映像美と、
中世ファンタジーの世界に科学技術を無理なく溶け込ませたSF的設定は、目利きのアニメ関係者から
高く評価されています。
SF作品としての『アリーテ姫』について論じた文章では、氷川竜介さんがSFオンラインに掲載した
こちらのレビューが特に優れていますので、作品をご存じない方はぜひご一読ください。きっと見てみたくなると思います。

ちなみに当ブログの過去記事でも『アリーテ姫』を取り上げてますので、ついでに読んでもらえたらうれしいです。

続く劇場アニメ第2作『マイマイ新子と千年の魔法』では、はるか古代からの歴史がいまも息づく
山口県防府市を舞台に、昭和30年と平安時代という異なる時間に生きる少女の日常を交錯させつつ、
子供時代の楽しさと大人になることの痛み、そして未来への希望を高らかに歌い上げました。

そして現在はこうの史代先生のマンガ『この世界の片隅に』を原作とした新作劇場アニメを、
綿密な調査と徹底した現地取材を元に製作中。
原作の柔らかなタッチを最大限に生かしつつ、当時の様子を極限までリアルに再現しようとする
渾身の作業が続けられています。
そんな多忙な中を縫って、片渕監督がついにSF関係のイベントへとやってきます!

さて、今回は片渕監督に関連して、2つの企画が予定されています。

まずは大会内の企画として、8/29の10:30~12:00に分科会プログラム
「ある航時史学生の記」が開催されます。
最初に傑作アニメ『アリーテ姫』を上映し、その後に監督からお話を聞くという流れですが、
この『アリーテ姫』という作品、実は諸事情によりレンタルソフトが出回っていません。
つまりソフトを買うか上映会でしか見られないという、なかなかレアな作品なのです。

しかも今回は監督自らにお話を伺うことができるという大変に貴重な機会となりますので、
SF大会の参加者でアニメに詳しいと自負する方や、SFファンタジーにはうるさいぜと
豪語するツワモノはもちろん、アニメ作ってる人ってどんな感じ?と気になった方まで
ぜひ気軽に足をお運びいただき、貴重な映像とお話を楽しんでいただければと思います。

また「ある航時史学生の記」というタイトルでおわかりのとおり、片渕監督はコニー・ウィリスの
「オックスフォード大学史学部シリーズ」を読まれており、またその作品づくりの基礎的な部分は
ウィリス顔負けの調査と取材に支えられています。
そして『アリーテ姫』で遠い未来へ、『マイマイ新子と千年の魔法』では昭和30年と平安時代という
二つの時代へと降下してみせた片渕監督が、こうの史代先生の卓越した原作を得て、いよいよ戦時下の
広島・呉へと歴史的な降下を試みようとしているのが『この世界の片隅に』という作品なのです。

ある意味、これは日本版の『ブラックアウト』『オール・クリア』であり、今回の企画に参加する方は
ウィリスの2大作品に匹敵する歴史絵巻の誕生前夜に立ち会うことになる……とも言えるでしょう。
この新作についての最新の製作情報や、あるいは片渕作品の随所に見られるSFマインドの原点である
愛読書についてなど、普段は聞けない話が飛び出すかも。
個人的には「航時史学生というより、ダンワージー教授本人では……」という気もしてますが(笑)、
一学生の気持ちで歴史と向き合う片渕監督のひたむきな姿を、身近に感じていただけると思います。

なお、本企画は大会公式プログラムのひとつなので、ご参加にあたっては大会への参加登録と
2日分の登録料(2万円)が必要となります。これから参加を検討される方はご注意ください。


しかし『アリーテ姫』上映後のトークタイムだけでは、話す時間が足りなくなるのはまず確実。
というわけで、今回は夜の自主企画として「片渕監督を囲む親睦会」も開催します!

こちらは大会参加者でなくてもOKですが、参加人数を絞っての開催となりますので、
事前に主催者の「ooi@n_m」さん(@JDSDE214)にツイートするか、私のtwitterアカウント
@BitingAngle)へご連絡ください。
開始の目安は18時ごろ大会会場内に集合、18:30から米子ワシントンホテルで開催だそうです。
会費は当日清算で6千円程度を見込んでいます。(注:8/20に情報追加しました。)
親睦会の申込期限は8/23とさせていただきますので、お早めにお申し込みください。
その他詳細については主催者のooi@n_mさんにお問い合わせ願います。

ちなみに片渕監督は航空史を中心とした戦史研究家でもあり、「ギャラクティカ」の
熱烈なファンでもありますので、そちら方面の参加者も大歓迎です!

以上、日本SF大会関係の告知でした。皆様の参加を心よりお待ちしております。
合言葉は「8月29日に米子で片渕監督と握手!」
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第2回名古屋SF読書会『虎よ、虎よ!』に参加してきました

2015年04月02日 | SF・FT
twitterでお世話になってる舞狂小鬼さんたちが主催する「名古屋SF読書会」に参加してきました。

この読書会、回数はまだ2回目ですが第1回の盛り上がりがすごかったと聞いていて、
さらに小鬼さんを初めとするスタッフの皆さんは10代20代のころににSFファンダム界で
バリバリ活躍していたというツワモノぞろい。
これはいっぺん参加したいなと思っていたところ、第2回で取り上げるのがベスターの歴史的傑作
『虎よ、虎よ!』に決まって、参加したい度がさらにアップしてしまいました。
とはいっても実は読書会とか出たことないんで、どんな感じになるか不安はあったものの、
そこはなんとかなるだろーという勢いで、関東の端っこから名古屋まで駆けつけちゃいました。

当日はお昼ちょっと前に名古屋入りして、舞狂小鬼さんの他に放克軒さんとたこいきおしさん
(このお二人も若いころから鳴らした、SFファンの兄貴分)と合流。
小鬼さんお勧めの店でエスニックな昼食を食べつつ、雑談がてら読書会のウォーミングアップとして
小一時間ほどベスター談義を繰り広げましたが、この時点で早くもミニ読書会の様相を呈することに。

このカレーはさっぱりしてるけどコクもあって、大変おいしくおただきました。

その後は会場に移動し、いよいよ本番の読書会がスタート。
まずは30人ほどの参加者が3班に分かれて『虎よ、虎よ!』について感想を述べ合う形式で進みました。

私の班はSFにあまりなじみがなかったり、ミステリ読書会からの参加という方が比較的多くて、
『虎よ、虎よ!』についてのファーストインプレッションが「あまり好みじゃない」という方が
全体の半分くらいを占めてました。
理由としては「主人公の悪逆非道ぶりに共感できない」というのが多かったのですが、一部の女性からは
「復讐のためにいろいろ学んで努力する姿がだんだん健気に見えてきた」という意外な支持もあったりして、
単なる嫌われ者という見方だけでもない様子。
内容については「サクサク読めるけどなんだかよくわからない」「いろいろ書いてありすぎて読むのが大変」
「勢いに任せて書いてるみたい」という意見もあって、とにかく詰め込みすぎな印象が強かったようです。

ここで班長の小鬼さんから話題のとっかかりとして、元ネタのひとつ『モンテ・クリスト伯』が紹介され、
大筋は元ネタが踏襲されていることや、主人公のガリー・フォイルが刑務所内で知識を得る場面などは
一種の教養小説とも読めるとの説明がありました。
さらに終盤で、フォイルが実現不可能とされていた宇宙へのジョウントを行う一連の場面については、
『2001年宇宙の旅』との相似性に触れつつ、ニーチェの超人思想の影響が現れているとの指摘も。

私のほうは小鬼さんの指摘を受ける形で「ジョウントとは何か」についての解釈を披露しました。
なぜジョウント現象は単にテレポーテーションと呼ばれないのか?というのが最初の疑問ですが、
それは発見者の名前というだけでなく、物語が進むにつれてフォイルの容姿と精神が変容するように、
ジョウントという言葉の持つ意味も変容していくからなのでは…と考えたわけです。

それを解く鍵が物語の序盤にある「ジョウントを成功させる鍵は、何よりも疑念をもたず信じることである」
という説明と、終盤でフォイルが語る「信仰において最も重要なのは、信仰を持つということ自体なんだ」
というセリフだとすれば、すなわちジョウントこそがニーチェの言う「神が死んだ」24世紀における、
新たな信仰のかたちなのではないでしょうか。
そして人間は己の可能性を信じることによって遂に星々の彼方へと跳躍し、人類という種は新たな段階へと
進化できたのではないか…というのが、私なりの読み方です。

でもハードSF派の人から見れば、超能力よりは量子テレポーテーションのほうが納得できるという
厳しい意見もあって、このへんは50年代SFをいま読むことの難しさなのかなーと思いました。

『虎よ、虎よ!』のいささか詰め込みすぎとも見えるアイデアの一部は、後にさまざまな作品へと
転用されており、中でも特に有名なのが『サイボーグ009』の加速装置です。
参加者の多くも、真っ先に思い浮かんだのはこれか『AKIRA』の燃える男だったようですね。
新しめの作品では、うえお久光の『紫色のクオリア』がそのまんまベスターへのオマージュであるとか、
『天元突破グレンラガン』の螺旋界認識転移システムがまさにジョウント能力だといった例が挙げられ、
21世紀になってもベスターの影響力は絶大だということを改めて感じました。
まあベスターもデュマの小説とブレイクの詩にインスパイアされて『虎よ、虎よ!』を書いたわけで、
名作の遺伝子は常に時代を超えて受け継がれるということなのでしょうね。
また、終盤に出てくるタイポグラフィについては「まるで3Dのようだ」という感想もありましたが、
それなら『虎よ、虎よ!』を下敷きにした009を3Dアニメ化した『009 RE:CYBORG』のような作品は、
ベスターの脳内映像に現代の映像表現がようやく追いつきつつある一例なのかもしれません。

感想のあとは、関連書として次に読むオススメ本の紹介へ。
これまで出た作品名のほかには『地球へ…』『スター・レッド』といった往年の名作マンガ、
ワイドスクリーン・バロックつながりでバリントン・J・ベイリーの作品などが挙げられました。
復讐譚として挙がったのが『マルドゥック・スクランブル』で、これは個人的にツボでしたねー。
『虎よ、虎よ!』という作品は主人公が自分を掛金に危険な博打を打ち続ける印象があるのですが、
『マルドゥック・スクランブル』のギャンブルシーンもやはり危険で熱いです。
当日は時間切れで挙げられなかったけど、私のオススメはタイトルの元ネタでもあるブレイクの詩集
『無垢と経験の歌(無心の歌、有心の歌)』。
終盤で赤々と燃えながら時空を翔け抜けるフォイルの姿は、この詩の描き出すイメージそのものです。

班別ディスカッションの後は、各班の板書を見ながらの全体ディスカッションへ。
フォイルの女性への仕打ちは他の班でも不評だったらしく、こういう奴はけしからんという声が多数でした。
あと、放射能男のダーゲンハムはアラン・ムーアの『ウォッチメン』に出てくるドクター・マンハッタンの
元ネタだろうという意見がありましたが、ならばラストに出てくるロールシャッハの手帳と、雑誌編集長の
「みんなお前に任せたからな!」のセリフも、やはり『虎よ、虎よ!』へのオマージュっぽいですね。
(同じムーアの『V フォー ヴェンデッタ』には、収容所から脱獄する燃える男のエピソードも出てきます。)
そのダーゲンハムの発する放射線で狂った給仕ロボットが、突然予言めいた言葉を発するくだりについては、
「まともなことを言ってるけど実は狂ってる」という二重性によって曖昧さを残しているという解釈に加えて、
あれは宗教そのものを皮肉った描写なのではないかという意見も出されました。
そういえばフォイルの新しい名は「NO→MAD」(ノーマッド)ですが、これは遊牧民や放浪者だけでなく、
NOからMADへと至るとも、MADの否定系にも読めますねー。さていったいどっちなんだろ…?
他にもいろいろな意見が飛び交いましたが、さすがに全部は追いきれませんでした。

そんなこんなで、初体験の名古屋SF読書会は終了。
好きな作品について、いろいろな人のいろいろな読み方、楽しみ方に触れられたのは大きな収穫でしたし、
なにより楽しかったです。
参加者の皆さん、そしてこの読書会を主催されたスタッフの皆さんに、改めて感謝いたします。


次回のお題はブラッドベリの名作『華氏451度』とのこと。
これまた盛り上がりそうですし、今の時代こそ読まれるべき作品のひとつだと思います。
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劇場用アニメ映画『この世界の片隅に』公式支援サイトを開設、クラウドファンディングも始動

2015年03月09日 | この世界の片隅に
『夕凪の街 桜の国』や『ぼおるぺん古事記』で知られるこうの史代先生のマンガ『この世界の片隅に』が、
『アリーテ姫』『BLACK LAGOON』『マイマイ新子と千年の魔法』の片渕須直監督によってアニメ化されると
このブログでもご紹介してから、早くも3年半が経ちました。
その後もさまざまなイベントで製作の状況が伝えられ、作品の舞台を訪ねる探検隊も実施されましたが、
具体的な完成時期等については明言されないままの状態が続き、この作品の完成を心待ちにするファンを
やきもきさせていたことと思います。

そして本日、アニメ版『この世界の片隅に』の公式支援サイトが、ついに開設されました!

今の時点では試作版の映像から切り出したカット写真や、この作品の説明が掲載されている程度ですが、
今後は製作状況や関連イベント等についての情報が随時掲載されていくと思われます。

イベントへの参加を通じて、片渕監督の原作に対する溢れるような愛情と、舞台となった広島や呉に寄せる
強烈な思い入れを知るにつれ、この作品は絶対にすごいものになるとの期待を日々強めてきました。
いよいよその期待が形になる第一歩を踏み出したことを、まずは喜びたいと思います。

その一方、この支援サイトは名前のとおり「作品の製作を支えてもらうための呼びかけ」の場でもあります。

本作のようなアニメの場合、いろいろな理由によって、いわゆる「商業的に厳しい」と判断されてしまうと
資金繰りが大変に難しくなります。
しかしアニメーション、特に長編アニメーションを1本作るためには、膨大な人手と時間が必要であり、
それを支えるための相当な資金を要します。

ここまでは片渕監督や作画の松原さん、浦谷さんたちの力によってこつこつと作業を進めてきましたが、
いよいよこの作品を世に出す段階に差し掛かったとき、ここから先は多くの人から支援を受けなければ
作り続けられないという状況に至りました。
今回開設された支援サイトでは、その支援をいただく手段であるクラウドファンディングについても
紹介されています。

アニメが日本の誇る文化であるとすれば、日本の一番暗い時代に明るさを失わず生きた人々の姿を
その土地も含めて丸ごと描こうとする『この世界の片隅に』こそ、日本アニメが文化たりえるか、
そしてアニメによって何が表現できるかについての試金石になると思います。

この作品が完成したら、日本アニメにとって、いや日本映画界にとっての大きな財産となるはず。
2015年の夏に予定通り公開されるよう、皆様の御支援をよろしくお願いいたします。
そして映画が完成したら、少しでも多くの方を誘って、ぜひご覧いただきたいと思います。

今後の情報については、当ブログでも随時お知らせしていきたいと思います。
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2015年はヒツジ年!今年もよろしくおねがいします!

2015年01月01日 | その他の雑記・メモなど
あけましておめでとうございます!

さて、2015年は未年ということで、ご挨拶代わりに羊にちなんだ写真をご紹介。
昨年暮れに早川書房1Fの喫茶店「クリスティ」で期間限定開催された「PKD酒場」の入口にかかっていた
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」のポスターです。

横にかかってるのは、同じイラストを使ったPKDブランドのTシャツですね。

私が頼んだカクテルの名前は「レイチェル」。もちろん、ブレードランナーのヒロインの名前です。

ジョニ黒やチンタオという選択肢もあったけど、ブラスターとレイチェルは切っても切れない関係ですから。
あ、下に敷いたクリアファイルは私物です。他にも撮影用にいろいろとネタ小物を持ちこみました(笑)。

品切れのメニューも多い中で、注文した料理は「アンドロイドはグリル羊の肉を食うか?」と
「PKD風焼きうどん」。後者はPKDというよりはブレードランナーネタですけどねー。

焼きうどんは二つで1セット。
ちなみに店員さんに「四つくれ」と頼むと、当然のように「二つで十分ですよ!」と返してくれました。
一見イロモノ風ですが、味もなかなかよかったですよ。
イタリア風の味つけなので、例えるならトスカーナうどん……ってそれはガルパンのアンツィオ高校か。

アンドロ羊の知名度が一気に上がった理由のひとつは、アニメ作品「PSYCHO-PASS」内で
カリスマ的犯罪者の槙島聖護が紹介した事ですが、そもそもこの作品の中核を成す設定であり、
世界の根幹を規定する“シビュラシステム”の名称も、そもそもディック作品からの引用です。
そんなわけで、店内に公安局グッズと「シビュラの目」の表紙も置いてみました。

ホントは「紙の本」を持ってくるべきだったんですが、積み本にまぎれてただいま行方不明……。

食後にアイスコーヒーを注文すると、ユービック風のスプレーでクリームを盛ってくれました。

クリームはコテコテな味でしたが、退行現象が止まるとかの特殊効果はなかったようです。

店員さんに頼むと、フォークト・カンプフ検査も受けられました。

簡易化されたペーパー式なので、おなじみのシュコーシュコーいう赤いレンズの装置はありません。

さてさて、私の判定結果は……?

というわけで、タイレル社とPKD酒場からレプリカントであるとのお墨付きを受けたのでした(笑)。
これならブラスターじゃなくて、銃口が4つあるCOP357(レオンの銃)を持ってくるべきだった~!

こんな調子の人間もどきがお送りする当ブログではありますが、2015年もよろしくお願いいたします!
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2014年もありがとうございました

2014年12月31日 | その他の雑記・メモなど
2014年も残り1日。
今年もあまりブログを更新できませんでしたが、記事をご覧になっていただいた方、
そしてリアルでお世話になった方の両方に御礼申し上げます。
古い記事でもいまだに感想をもらえたりして、ブログはブログでいいものだなーと。
こんな調子なので、今後も細々と書き続けていこうと思ってます。

さて、2014年のざっくりしたまとめ。
本はいろいろ話題作が出ましたが、国書の「未来の文学」がぜんぜん出なかったのは痛かった。
しかしその分を1冊で取り返すかのような傑作が、ジーン・ウルフの『ピース』です。

実にさまざまな読みを許容するこの作品、何度読んでもいまだに読みつくした感じがしません。
西崎憲氏の訳文も読みやすくかつ心地よいもので、作品の幻想的な雰囲気にぴったりと思います。
いつかはこれのレビューを書きたいけど、なにぶん手ごわくてねえ……。

2014年は私が敬愛する唯一無二の偉大なSF作家、R.A.ラファティの生誕百周年でした。
年頭に「そっち方面ではどんな催しがあるのかな…」と書きましたが、年末近くになって
なんとSFマガジンの特集号が刊行され、さらには本人の誕生日に生誕祭が開かれるという
予想の斜め上を行く展開が待っていました。

ありがたいことにこの場に参加させていただき、特集号の執筆者やラファティ好きの方々と
多いに盛り上がることができたのは、SFイベント関係では今年一番の思い出です。

アニメ関係では映画もTVもある程度見ましたが、新作よりは以前から追いかけてる作品に関して
いろいろなイベントに足を運んだなーという実感が強いです。

このブログを始める発端である『トップをねらえ!』では、夏に田中公平先生のコンサート
日本初演となる「ガンバスター交響詩」を聴けたのがうれしかったなー。
この日は最終話のガンバスターをプリントしたTシャツを着て行ったのですが、劇中で流れる
おなじみの曲が次々と演奏された後、最後の山場で二人が脱出する瞬間の“ティーン”という
あの一節が流れたとき、自分の胸の中からふたつの光の球体が飛び出していったような感動で
全身が震えたのを、今でもはっきりと覚えています。

そして、このところずっと追いかけ続けている片渕須直監督作品について。
こちらは『マイマイ新子と千年の魔法』の舞台である防府を再訪し、村井秀清さんの熱演を聴いて
片渕監督や現地の友人と親しく交流させていただくという機会に恵まれました。
残念ながら、11月には現地のコーディネーター役として大活躍されていた有馬さんが急逝されるという
突然の悲報もありましたが、せめて6月にお会いできてよかったと思います。
新作『この世界の片隅に』はいまだ製作途中ですが、トークイベントや広島での探検隊などを通じて
作品の背景や製作の進行具合を知ることができたのは大きな収穫でした。
所沢で2回目が開催された「すずさんの食卓」は、2015年も開催予定とのこと。行けたらいいなぁ。

他にはPSYCHO-FESで朗読劇と生ライブを堪能し、ガンダムUCのライブでAimerの歌声に衝撃を受け、
逆襲のシャアのコンサートでオーケストラの迫力ある音に酔うといった体験もできました。
日本科学館でやった攻殻ARISEのイベントでは、コーネリアスと高橋幸宏も生で見られたし。

この夜は名物のGeo-Cosmosまでが、何者かにハッキングされていたようです。

あとは復活したヤマト講座やスペースカインズのライブにも行ったし・・・結構がんばったなぁ(^^;

美術では最近行った「日本国宝展」と「超絶技巧!明治工芸の粋」の印象が強烈です。
故宮博物館展は肉形石みたさに福岡まで遠征したけど、むしろ思い出に残ったのは台風の中を
福岡市博物館まで見に行った金印と、帰りの時間が迫る中で駆け足で見た福岡市美術館にあった
ラファエル・コランの作品だったりします。
福岡市美術館はサンリオSF文庫版『ヴァリス』の表紙に使用された藤野一友の作品も所蔵してますが
今回は見ることができなかったので、いつか実物に対面したいなー。
福岡は食べ物もおいしいものが多かった。目当てのひとつだったサバは海が荒れて入荷しなかったけど、
そのぶん肉関係を満喫してきました。やっぱり石の肉よりは牛の肉ってことですかねー(笑)。
特に牛タンで有名な「たんか」は絶品ぞろい。かたっぱしから注文しまくって食べまくりました。

これが「たんか」名物、牛タンと牛サガリの串焼き。ぷりっぷりです!

来年もいい本、いい映像、そしておいしい酒と食べ物に出会いたいものです。
そしていろんな人と交流して、少しでも前に向かって進んでいきたい。

それでは、今年もお疲れさまでした。みなさまよいお年をお迎えください!
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