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ロンドン雑記




このところ天気も冴えない英国南部地方...

昨日のロンドンは最高気温が11度で寒かった。


寒いわ、汚いわ、施設は壊れたまま、故障したまま、インフレだわで、ロンドンはどんどん魅力がない街になってしまう...

例えば小洒落たランチを食べて4万円(アルコールを含まない)、お茶とケーキで1万5千円、ラーメンを食べて9千円(以上2人分)。
ロイヤルバレエのいい席が一席3万5千円(オペラは5万円近い)、展覧会の入場料が5千円、というのは全く賃金上昇に見合わない。怒りしかない。

若い世代が、文化資本を必要としないSNSなどの楽しみに走り、単純に記号を消費し続ける理由はここにもあるのかも。


わたしがロンドンへ出る目的は、バレエ、オペラ、音楽会、美術館の催し、会食、以上! だが、目的のない街歩きも大好きなわたしにとって、これほど魅惑の少ない街は他にない...




話変わり、昨日、ロンドンは騒然とした。

西にあるバッキンガム宮殿のあるベルグラビアで、陸軍軍事演習中の7頭の馬が大きな騒音に怯え、うち4頭が街をテムズ川沿いに東へ暴走したのである。

高速道路で最終的に捕えられた馬は、兵士を振り落とし、サイクリストを巻き込み、2階建てバスやタクシーなどの車両と衝突。

陸軍の馬といえば、容姿もものすごく優れて神々しいほど美しいもの、なんかもう、そうやって人間が動物を使役するのはやめたらいいのに...
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古代ローマ兵の一生





Few men are born brave; many become so from care and force of discipline
「勇敢に生まれる者はほとんどいない。管理と規律によって勇敢になるのだ」
(ベゲティウス 4世紀のローマの作家)


大英博物館で開催中のLegion - life in the Roman army『古代ローマ軍団  兵士の人生』展のキャッチフレーズだ。


「古代ローマ帝国」は、今でも多くの人の目の色を変える。

古代ギリシャと並んで古代ローマは西洋文化文明の基盤、教養の基礎と位置づけられ、また、英国人は、大英帝国がかつて世界最大の帝国であったため、古代ローマとの類似性を意識したりもする。

古代ローマ帝国は、最大時にはヨーロッパの大部分はいわずもがな、北アフリカや中東の一部を支配、東は現在のトルコ領内から南はエジプト、西は大西洋にも及ぶ大帝国を築いた。

そしてその存続は軍事力に支えられていた。

ローマ軍は西洋初の近代的かつ専門的な戦闘力集団であり、市民を創出し、奉仕した兵士にある意味よりよい生活を提供した。


古代ローマと英国島の公的な接触は、カエサルがガリア戦中に行った紀元前55年と54年の2度の遠征中。
紀元前40年に、カリグラが再び英国島への遠征を企画したものの、実現性には乏しく、ローマでの政変もあって実行されなかった。

英国島が実際にローマの勢力に組み入れられたのは、紀元前43年のクラウディウス帝の遠征によってである。

わが家の周りにも、保存状態は最高ではないものの、多くの古代ローマ遺跡が残っている。




この壮大なローマ帝国は、並いるローマ皇帝の名のもとに語られることが多いが、一兵卒の視点から見るのが今回の大英博物館での展覧会の趣旨だ。

ローマ兵士であった「クラウディウス・テレンティアヌス」の生涯と奉仕を通して、入隊からキャンペーン、そして彼の引退まで。

彼は筆マメであり(識字は当時特別な能力でもあった)多くの手紙を残しているのだ。

展示物には、石や鉄器はともかくも、よくもまあ現代まで残っていたなと感じる、靴や衣服も...

軍隊生活の報酬は魅力的ではあった。
年金と自分と家族の市民権を獲得できたとしても、その一方で除隊までのサバイバルゲームでもあったのだ。

彼らの装備や役の数々、4月になってもなかなか暖かくならない(今週は軒並み12度前後ですよ...)英国島で...ご同情申し上げる。

兵士の最前線での生活は今でも過酷だと想像する。
それにもかかわらず、なぜ今も戦争が一兵卒をゲーム版のコマのように使うのか、わたしにはほんっとうに想像もできない。

もうやめましょうよ。
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あるじなしとて春な忘れそ




あるじなしとて 春な忘れそ ライラック

『眠れる森の美女』の狂言回しリラの精...降り立つ、イングランドの庭に。


はい、来年2025年(!)の予定では、このライラックの花が咲くのを見られそうになく、このところ春の大嵐と共に大きな雹がよく降り、そのたびに吹き飛ばされているため(どうせ花が終わったらすぐに刈る)、天井ぎりぎりまで思いっ切り、投げ入れ流で活けてみた。
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マドリード 南国の夕べ




マドリードで夕食に向かう道すがら、午後8時半。

金色の残光に照らされた星バルバラ教会 Parish Church of Saint Barbraのファサードと、そこから出てくる衣服を整えた人たち。

ミサを終えてこれからどちらへ? 

まるで教会を背景に演劇が始まるかのようで、ずっと眺めていたくなる光景だった。

旅はいいなあ、大人っていいなあ、と思う。
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スペインの服飾史 museo del traje




マドリードにはプラド美術館がある。

ティッセン・ボルネミッサ美術館、ソフィア王妃芸術センターも...

何度行っても喜びのつきない美術館だ。


ハプスブルク家は、16世紀から17世紀、ブルボン家は18世紀にスペインに君臨した。
多くの支配者と同様、彼らは美術や文化に対する強い関心を持ち、蒐集に余念がなく、多くの芸術家を支援した。
その結果、優れた芸術品やコレクションがスペインに集められたのは当然と言えるだろう。

また、20世紀になってからは、特にフランコ体制の終焉後、70年代後半から80年代にかけて、スペインの各地域で民族主義や自治運動が活発化。
バスク地方やカタルーニャ地方などの地域で、民族自決運動が盛んになり、独立や広範な自治の要求が高まる。


今回は、マドリードで一度も訪れたことのない服飾博物館(Museo del Traje)博物館へ行った。

起源は20世紀初頭に開催された、スペインを中心にした歴史衣装展覧会だ。
おそらく、民族主義的、国民国家的な背景があるのでは。

民族衣装の部屋は特に見応えがあった。
説話的で、象徴が多用され、カラフルで、どこか懐かしい衣装...

子供のころ、百科事典で民族衣装のページを見るのが大好きだったのを思い出した。




わたしの目が特に輝いたのはこちら...

イングランド王チャールズ1世妃、ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス(17世紀)の着せ替え人形(?)!
こんなの見たの初めて!

王族は昔からアイドルだったのであろう。




内部は暗いが、外に出ると目がくらむ...南欧の空。

建築家のハイメ・ロペス・デ・アシアインは1969年にこの設計で国民建築賞を受賞。
マドリードの青空に映える。
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