ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

4/18日 三河の本宮山歩き その6:山頂から下山開始、幽玄の岩戸神社に参拝する。

2024-04-26 04:43:55 | 草花
ここのところはっきりしない空模様が続き、たまに晴れるかと思いきや、大陸から黄砂が飛んできたりして、こと、空を見る限りは心の晴れない日が続きます。
近々GWが始まりますが、働く人たちと家族のためにも、良い天気が来て、せめてその期間だけでも雨の降らない日が続いて欲しいと思います。
この記事では本宮山の山頂から始まって、それから少しだけ下ったところに「秘密のスポット」的な岩戸神社がありますので、そこも紹介したいと思います。
本宮山の山頂 ↓

標高789mで、一等三角点のある山頂です。小生はこの場所にてテント泊をしたことが過去に4度ありますが、浜名湖方面の夜景が
綺麗でした。 あたりの木々が茂ってきている今はどうなのでしょうね。
かつてはNHKのアンテナ塔が建って居て、そこの二階に上ることが出来、富士山を眺めることが出来ましたが、その塔が撤去されて
この山頂から富士山が見えるのかどうか?

一等三角点 ↓

見晴らしの良いこの山には一等三角点があります。

天測点「三本宮山」 ↓

天測点とは天文測量を実施するために設けられた基準点で、これ自体は測量機器の重量に耐えうる単なるコンクリート製の観測台だそうです。
今では機器の軽量化により天測点を設置することはなくなったそうです。これは全国に48か所設置したうちの一つです。
ここのものはコンクリート製で高さ120センチの八角柱でした。

アンテナ群 ↓

見晴らしがよいということは電波の通りも良いことなんでしょうか、たくさんの無線アンテナが建ち並びます。
三河北MCA制御局、愛知県防災行政無線、日本テレコム、NHK、民放TV各局、国土交通省、NTTドコモ、自衛隊(昔はあったが今は?)

山頂から下って行きます。

ヤマザクラ ↓

山頂から続く斜面にたくさんありました。

ミツバツツジ ↓

見事な大木で、この素晴らしい枝ぶり・咲きぶりを見てやってください。

山上の駐車場 ↓

広い駐車場です。

スカイラインの起点 ↓

スカイラインはかつては有料道路でした。現在は無料で、やや傷み始めている?

アセビ ↓

駐車場から下っていく初めのところに大きなアセビの木がありました。花をいっぱいつけて。

また鳥居 ↓

こちらはこれから行く「秘密のスポット」的な岩戸神社の鳥居です。神社まではここから下って行きます。

天の磐座 ↓

ここでもいかにもそれらしい天の磐座が出て来ます。この岩については「国見岩」として後述します。

男道と女道 ↓

天の磐座の前のこの石柱は道標で右女道 、左男道と記されています。男道は危険個所があり今は廃道です。
今は女道を採る一択となっています。

片側が崖の参詣道 ↓

その女道を使って石段を下りていきます。左は岩、右手にステンレスの手摺パイプをつかみながらソロソロと。

イワタバコ ↓

左側の岩にイワタバコが着いています。

お不動様 ↓

階段の底にお不動様が祀られています。一昔前にはこの場所に相応しい石造りのお像がありましたが、罰当たりが盗み去ったようです、
そのあとに新しいものが置かれていましたが、それすらも盗まれてしまったようで、いまはお像のないこういう空間になりました。寂しいことです。

岩戸神社の入り口 ↓

お不動様の前で行き止まりです。「ハテ?岩戸神社の入り口はどこだろう?」と誰もが疑問を持つ瞬間です。
もしかすると大概の人はここで入り口を見つけることが出来なくて引き返していたかもしれません。
「まさか!?」と思えるほど小さくか細い岩の隙間が神社”参詣道”の入り口でした。
その場所には立って入れないことはもちろんですが、真正面を向いても入ることはできません。つまり腰を下ろして、
蟹のように横向きでそろそろと進んでいくしか方法がないのです。
閉所恐怖症の方には絶対付き合いきれない場面でしょうね。
あの「天の磐座」の大岩の真下に当たるようで、進む先は真っ暗です。岩戸神社の神様はその先におわします。

岩戸神社 ↓ ↓ (フラッシュ撮影)



参拝してから暗闇ですので、当然、フラッシュを焚いて撮影します。


一枚岩 ↓

参拝を終えてからは腰まげの蟹の横進みで巌に囲まれた真っ暗の参道から出て、上を見上げると一枚岩がのしかかってきます。
昔はこれにロープがかかり、人が下って来ることが出来ました。
これが前出の男道の終点になっていたのですが、危険なのでこのロープを外したようで、男道も廃道となってしまいました。

石段を登って戻ります ↓

手すりにつかまりながらゆっくりと登って行きます。

”天の磐座”イコール「国見岩」 ↓

前出の”天の磐座”は「国見岩」でもありました。

「国見岩」の由縁 ↓
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(割り込み記事)満月が見られなかった、あいにくの空

2024-04-25 17:38:11 | 草花
昨晩は満月でしたが、それに合わせるかのように雨が降って来ていました。
一夜明けて、午前6時に目を覚ますと、皮肉なことに久しぶりの晴天になっています。すぐに入り残っては居まいかと思い、西空を見ましたが、「運の”月”」丸い月は姿が無くなっていました。(当地での今朝の月没タイムは午前5時半ころ。)
でも、今晩なら未だ丸い月感は味わえそうです。肝心な時期に長いこと月を見なかったように感じています。

20日雲の向こうの月 ↓

月齢11.8。 これを最後に満月までずっと見えてこなかったのではないでしょうか。


エビネ ↓

我が家のバイラス病(ウィルス)に罹った個体ですが、枯れた葉を除去すれば見られなくもないと自分を慰めています。

アマドコロ ↓

今がまっさかりとなっています。


ホウチャクソウ ↓

これは強い、建て替えのどさくさで、踏まれたり、掘られたりしても、しぶとく生き残って増えてきました。


フタリシズカ ↓

日当たりが良すぎるような場所で、これは名前のシズカ(静か)な咲き方とは違う風になりそう。


タカサゴユリ ↓

どこかに残っているであろう・・・とは思っていましたが、やはり残っていました。


トマト ↓

買ってきた苗から始めて花が咲き出しました。


ダッチアイリス ↓

賑やかに咲いて・・・、こうなると花の風情は・・・・?、勿体ないことですが、嬉しくないことも無いという程度に。


ガザニア ↓

知人からつい最近、頂いてきて植えかえしたばかりの株で、これは「来年勝負」のものです。

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4/18日 三河の本宮山歩き その5:砥鹿神社から広い山頂部を歩いて最高地点(789m)を目指す。

2024-04-25 04:47:31 | 草花
砥鹿神社について、前回の記事で疎漏(そろう=いい加減で、ぬけ落ちたところがあること。また、そういう手抜かり)があるといけないので今度は正式のものを下に示します。
なお、「疎漏」などという変な言葉を今まで一度も使わずに生きてきましたが、ボケ防止の一環で使ってみたものです。
その点を大目に見てくださればありがたいことです。

砥鹿神社の由緒書き ↓

東三河の人々はにとってはまさしく「一之宮」であり続けています。

参拝を済ませて、今度はこの山の最高地点、一等三角点のある山頂を目指します。

社殿から離れる ↓

この道を下って行きます。



富士山遥拝所 ↓

朱の鳥居のところから富士山が見えるのですが、この日は黄砂が視界を遮っています。



神域 ↓

今来た道を振り返ります。神様のいます空間という感じが濃厚ですね。



御神木 ↓

もぅ30年ほど前からずっと樹齢1000年であり続けている杉の大木。


岩戸神社への道 ↓

岩戸神社の参拝は、後程別の道を使って行います。



石の鳥居 ↓


朱色の大鳥居 ↓

神社の境内ですので鳥居があって当然のことなのですが、今回は鳥居に何度も出会いました。
その中でこの朱色の大鳥居は群を抜いて大きなものでした。



白い桜 ↓

随分白く、(天気の所為か?)沈んだ色の桜です。






広場に東屋 ↓

本宮山の山上部分はとても広くて、砥鹿神社の奥宮もその一部分でありますが、この広場、最高地点、駐車場まで含めると、野球場が4張りほどは包めるのではないかと思えるほどの広さです。
今から50年以上前にはこの山上部分に屋外スケート場がありましたし、小動物の生態展示もありました。
また売店も(たしか)2軒あったように記憶しています。
それが今では、神社と駐車場以外はすべてなくなり、昔の静寂を取り戻しました。この場所からも富士山が見えたものです。


スミレ ↓



手前の小山から ↓

電波塔のある最高地点の手前にちょっとした小山があります。そこに登って最高地点(山頂)を間近に眺めます。
電波塔の一部が見え、花盛りの佇まいも仄見えます。

小山から下りて山頂に向かいます。

この白い桜は? ↓

もしこの花がオオシマザクラだとしたら・・・・
この「オオシマザクラ」に「エドヒガン」を掛け合わせてソメイヨシノが作られたという説(大正時代におけるイギリスのプラントハンター:ウィルソンさんの説です。)ところが、実験的にそれを行っても、未だにそれは成功していないそうです。
つまり、いま日本全国に広まっているソメイヨシノはすべて同一のソメイヨシノから接木して作られたもので、同じ遺伝子を持つ。ということになります。
しつこく長くなりますが、実験的に「オシマザクラ」と「エドヒガン」を掛け合わせてもソメイヨシノがまだ出来てはいないそうですが、ソメイヨシノが両者の雑種であることは遺伝子情報から支持されてはいるそうです。



シロモジ ↓

だいぶ前のことになりますが、庭にこの種類を植えたことがありますが、3年後くらいに枯れてしまいました。


砥鹿歩道橋 ↓

この下を車道が走っています。(昔は有料でしたが今は無料開放)



ヤマザクラ ↓

橋の手摺の向こうで山桜の枝が目近に見えました。



ミツバアケビ ↓

これも歩道橋のすぐ近くで見ました。

これから山頂まで、ちょっとした坂道を登って行きます。

ミツバツツジ ↓


ヤマザクラ ↓

山頂部ではミツバツツジとヤマザクラがちょうど見頃でした。



最高地点に迫る ↓

一等三角点が設置されている最高地点がやっと目の前に来ました。
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4/18日 三河の本宮山歩き その4:杉(大木)木立の下、急坂の石段を黙々と登り最後の石段に差し掛かる。

2024-04-24 04:50:19 | 草花
この記事では1丁目から現在いる40丁目までずっと歩いて来て、最後の50丁目、砥鹿神社の石段を登り切り砥鹿神社の社殿前に
着くまでの残り10丁分の道中を報告いたします。
空模様は、どんよりした曇天でしたが、黄砂のためにより一層光の量が減じられて、鬱屈した空になっています。
ヤブコウジ ↓


コナラのドングリ ↓


マムシグサか? ↓

ウラシマソウと似たような花ですが”、釣り糸”が垂れていないので、マムシグサの方でしょうか。悩んでいます。

これから50丁目の砥鹿神社奥宮の本殿までは急傾斜の石段が続きます。

広い林道歩きから離れて、いよいよ最後の10丁分の急な登りにさしかかります。 ↓

あたりには杉の大木が建ち並び、その下を行く我慢の登りとなっています。



上に建物 ↓

視線の先に建物の屋根が見えてきました。



お清水 ↓

ここでは清冽な水が出て居ます。小生は水分は足りていたので素通りします。



大木の下を ↓

大木の下を縫う石段を進んでいきます。



道しるべ ↓

これは丁目石ではなくて、道標でした。「右 一ノ宮道」とあるようです。昔はここは一宮(三河)でした。
背後の木が太いですね。


45町 ↓

丁目石が杉の葉に守られているように見えます。



石の鳥居 ↓

山中で何度も鳥居を見ますが、雰囲気は次第に神寂びてきます。



大木に圧倒されて ↓

圧倒的な存在感でした。



銅の鳥居 ↓

今度は緑青を吹いていますので銅板で化粧された鳥居でしょう。創建当時はさぞかし・・・・と思われます。



天の磐座(いわくら) ↓

看板には「神霊憑(よ)り代.(しろ)」とありました。つまり神霊が寄りつくもの。 神霊は物に寄りついて示現 (じげん)
されるという考えから、憑依 (ひょうい) 物としての樹木・岩石・動物・御幣など・・・・・ネット上から引きました。
もっと分かりにくいような・・・・・・。
神様が降臨される磐座ということでしょうか。



荒羽々気神社 ↓

「アラハバキ」と読みます。足の神様とも、アイヌでは女陰のことを表したり、はたまた蛇の神様だったりします。
この場所では祭神は大己貴命(あの大黒様)の荒魂であるとしています。もう何が何だか滅茶苦茶な気がしてきました。



ついに49丁目 ↓

あと1丁となりました。この最後の1丁が長い。



シャクナゲ ↓

これは自生のシャクナゲではなさそうです。三河にはホソバシャクナゲという静岡県の天竜川以西から愛知県東部に分布する自生種があります。



八柱神社 ↓

ここは狭いながらも神様のアパートでした。こんな小さな空間に八柱の神様がおわします。まさに超過密住宅です。



たどり着いた50丁目 ↓

石の階の親柱に砥鹿神社の神紋が刻まれています。



ふぇ~! ↓

最後の試練です。



狛犬のお出迎え:
阿形 ↓


吽形 ↓



そして砥鹿神社奥宮の本殿 ↓

砥鹿神社は本宮山に千三百年以上前から鎮まる神を祀る奥宮と、里にて祀る里宮とで二所一体の崇敬を集める神社。
また三河国内の筆頭神社一之宮です。祭神は己貴命おおなむちのみこと(大国主命おおくにぬしのみこと)です。
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4/18日 三河の本宮山歩き その3:馬の背から40丁目で林道に再び出会うまで

2024-04-23 04:56:01 | 草花
このところ黄砂の予報が時々出ていますが、大陸の砂漠地帯で発生したものが偏西風で運ばれて、北太平洋を横断して、驚くことに北米大陸まで運ばれているそうです。
タクラマカン砂漠、ゴビ砂漠、黄土高原などの発生地では濃度8,000~90,000μg/㎥程度ですが、日本に到達したときは120μg/㎥くらいの濃度になっているということです。(ちなみに日本におけるこの種類の環境基準は100μg/㎥ですからすでに基準値オーバーですね。)

※なお「PM2.5」とは2.5μm以下(μmは1/1000mm)の微粒子のことで、非常に小さいため人が吸い込むと肺の奥深くまで入りやすく、肺がん、呼吸系への影響に加え、循環器系への影響が懸念されています。

黄砂の中には石英や長石などの造岩鉱物や、雲母、カオリナイト、緑泥石などの粘土鉱物が多く含まれています。
日本まで到達する黄砂の粒径は、直径4ミクロン付近に分布のピークがあります。
黄砂粒子の分析からは、土壌起源ではないと考えられるアンモニウムイオン、硫酸イオン、硝酸イオンなども検出され、輸送途中で「人為起源の大気汚染物質」を取り込んでいる可能性が示唆されています。
途中で工業化の進む中国上空を通ってきますが、その時に「人為起源の大気汚染物質」が入り込んでくる可能性は大きいのではないかと小生は考えます。

今回の山行では黄砂の飛来するさ中のことでありました。記事の中でその様子を見ていただく場面もあります。
22丁目まで ↓

重い腰を上げて21丁目から山道を登り始めます。 先行者から話しかけられましたが、この後彼らの歩くスピードが速くてついていけません。

26丁目まで ↓

21丁目で休憩してからというもの、しばらくはこんな急傾斜を登ることになります。

27丁目まで ↓


28丁目まで ↓


岩上に東屋 ↓

岩の上に東屋があります。あそこからの展望が良さそうです。



モチツツジ ↓

岩の上に咲く花はみな清潔感が増して見えます。



蛙岩 ↓

「どう見れば蛙?」というレベルでした。



東屋からの展望 ↓

東屋に着き、下界を眺めます。 上述の黄砂が下界を覆いつくしています。小生はマスクもかけずに息を切らしています。



日月(ひづき)岩 ↓

弘法大使の書を岩に刻んだということで、岩の表面に小さく「月」の字が見えますが、ここは眉に唾して通り過ぎることにします。



アセビの芽吹き ↓

赤いのは花にあらず、アセビの新芽でした。



猪駆坂 ↓

「猪駆坂」 さて、これを何と読むのでしょう?
「いかけざか」かな? 猪が居そうもない場所ですが、かつては狩人が犬とともに猪を追ったのでしょうか。



やや薄暗い ↓

あたりはやや薄暗くて、こういうところでしたら、夏の強い日差しも防げて、歩くには都合良さそうです。



風越峠 ↓

名前だけ見て、それで通り過ぎました。吹く風がさわやかに通り抜ける峠路でもなさそうです。



カンアオイ ↓

この場所あたりでカンアオイが立て続けに出て来ました。



平坦な道 ↓

急な岩場が続いてきましたがここで一時的に平坦な道となります。

36丁目 ↓

そこに丁目石が出て来ました。36丁目ですが、脇に嘉永二(1849)年とありますのでこの年がどういう年になるのか調べてみると:
1849年:嘉永2年 干支 : 己酉(つちのととり)

出来事:イギリスによるインドの植民地化が完了。
米国軍艦プレブル号長崎来航。漂流民の受け取りを要求。
英国軍艦マリナー号相模三浦郡松輪崎沖に停泊、江戸湾測量。

生誕: 昭憲皇太后、明治天皇の皇后
西園寺公望、第12・14代内閣総理大臣
乃木希典、陸軍軍人

死去:
葛飾北斎、浮世絵師
エドガー・アラン・ポー、小説家・詩人 とありました。Net社会は便利ですね。



37丁目 ↓

石段を上がると「神域」表示があり、脇に水が出ていて、柄杓で汲んで喉を潤します。



スミレ ↓




山姥の足跡 ↓

どれがそれに該当するのか? 分かりません。



林道と再び交差 ↓ ↓



先ほど休憩を入れたあの林道は大回りしてここに至ります。二度目の出会いとなります。



新40丁目 ↓

今度は「新」の付いた丁目石です。新しさと表現の仕方に若干の違和感を覚えます。


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