元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ゴールド・ボーイ」

2024-03-29 06:10:16 | 映画の感想(か行)
 金子修介監督の資質を承知の上で接すれば、かなり楽しめるシャシンかと思う。反対に彼の持ち味に馴染まない観客ならば、珍妙なクライム・サスペンスとしか思えずに敬遠してしまうかもしれない。私はといえば金子作品との付き合いは長いので、十分に良さは分かった。聞けば中国製のサスペンス・ドラマ「バッド・キッズ 隠秘之罪」(2020年)のリメイクとのことで、通常の国産映画とはひと味違う殺伐とした即物的な空気が漂っているのも納得だ。

 沖縄の大企業の幹部である東昇は、義理の両親である社長夫婦を崖の上から突き落として殺害する。完全犯罪を目論んで会社は昇のものになるはずだったが、3人の少年少女がその現場を偶然に撮影してしまう。不遇な境遇にある少年たちは、昇を脅迫して大金を要求。ただし昇も黙っておらず、彼を疑う関係者を次々に始末すると共に、少年たちをも片付けようとする。



 昇が犯行に及ぶ出だしのシークエンスから、オーバーでわざとらしい演技とセリフ回しが炸裂して、思わず笑ってしまった。金子監督の持ち味は“マンガの映画化”ならぬ“映画のマンガ化”だ。有り得ない話を徹底してカリカチュアライズし、非現実な次元にまで持って行って“これはマンガですよ”というエクスキューズが通用する構図を作り出してしまう。

 本作も同様で、少年たちの手口も昇の所業も、そして過度に閉鎖的な土地柄も、よく考えればかなり強引な御膳立てだ。しかし、作者のマンガ的なアプローチはそれらを正当化してしまう。後半になると善悪の判別などは脇に追いやられ、ゲームのような様相を呈している。

 とはいえ、その状態の中にわずかに挿入されたシリアスなモチーフが引き立つ結果にもなる。それはリーダー格の少年の家庭環境や、もう一人の少年と少女との関係性だ。ここがしっかり描かれているから、最後まで話が破綻しない。事件を追う刑事の境遇も有用なモチーフと言えるだろう。昇役の岡田将生は実に楽しそうに悪役を演じ、羽村仁成と星乃あんな、前出燿志の年少組も健闘している。特に星乃は監督のお気に入りのようで、今後も仕事が入りそうだ。

 黒木華に北村一輝、江口洋介といった脇の面子も良い。ただし、昇の妻に扮する松井玲奈は幾分力不足。彼女はけっこう演技の場数を踏んでいるのだから、もうちょっと頑張ってほしかった。柳島克己による撮影と谷口尚久の音楽は好調。倖田來未による主題歌は好き嫌いはあるだろうが、まあ良いのではないだろうか。
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「ニモーナ」

2024-03-25 06:08:03 | 映画の感想(な行)
 (原題:NIMONA)2023年6月よりNetflixから配信されたアニメーション映画。第96回米アカデミー長編アニメーション映画賞の候補作でもある。基本的にはよくあるファンタジー系のアドベンチャー物なのだが、設定がユニークで作劇のテンポも良く、最後まで退屈しないで付き合える。特に、ハリウッドのアニメ界に君臨しているディズニーやドリームワークスなどの作品とは一線を画するエクステリアが強く印象付けられる。

 舞台は中世風の架空の王国なのだが、テクノロジーは高度に発展していて、まるで未来世界だ。元首は代々の女王で、その祖先は国が出来る前に外の世界に生息していたモンスターを駆逐したという伝説が存在していた。孤児出身でありながら騎士学校を主席で卒業したバリスターは、騎士任命式の最中に起こった女王殺しの濡れ衣を着せられてしまう。公安当局から追われる身となってしまった彼は、逃走中に変身能力を持つ少女ニモーナと知り合う。意気投合した2人は一緒に真犯人探しを始めるが、事件の背景には陰謀が渦巻いていた。



 ハイテクな町並みに甲冑姿の騎士が多数行き交うという絵作りは、今までありそうであまり無かったやり方だ。キャラクターデザインは抽象的ながら動きはスムーズ。特に千変万化するニモーナの造型は素晴らしい。顔かたちだけではなく、動物にまで変身し、身体のサイズまで自由自在に調整出来る彼女はオールマイティな存在だ。しかし、元の姿であるティーンエイジャーの女子という佇まいは一貫しているので、どんなに無双ぶりを見せつけても違和感は希薄だ。

 バリスターも腕の立つ騎士で、何度か危機を突破する。彼にはアンブローシャスという盟友がいるのだが、その関係性が“今風”で絶妙だ。たぶんこのモチーフがあるから各アワードにノミネートされたのだろう。ただし、女王暗殺の黒幕の動機が今ひとつハッキリしなかったり、ニモーナの生い立ちも分からず、彼女と“同類種”が存在するのかどうか分からない点は不満だ。

 また王国の外の世界が具体的に描かれていないのも痛い。もっとも、ジェットコースター的に展開する後半の勢いの中ではあまり気にならないのも事実。ラストの扱いも気が利いている。ニック・ブルーノとトロイ・クエインの演出は達者。新奇な御膳立てをものともしないパワフルなドラマ運びが光る。

 ニモーナの声を担当するのはクロエ・グレース・モレッツで、彼女の小生意気な個性が良く出ている(笑)。バリスターに扮するリズ・アーメッドはパキスタン系イギリス人で、役柄の外観と見事にシンクロしている。クリストフ・ベックによる音楽も好調。観て損の無いシャシンと言える。
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「ARGYLLE アーガイル」

2024-03-24 06:07:58 | 映画の感想(英数)
 (原題:ARGYLLE )これは面白くない。快作「キック・アス」(2010年)や「キングスマン」(2015年)を手掛けたマシュー・ヴォーン監督の手によるシャシンなので一応は期待したのだが、悪ふざけが過ぎてシラけてしまった。何よりキャラクター設定が低調で、感情移入がまったく出来ないのは痛い。しかも尺は無駄に長く、愉快ならざる気分で映画館を後にした。

 謎の国際シンジケートに立ち向かう凄腕エージェントのアーガイルを主人公にした痛快娯楽小説「アーガイル」のシリーズを執筆している売れっ子作家のエリー・コンウェイは、愛猫アルフィーと共にマイペースな生活を送る中年女性だ。新作の構想を練るため列車で取材旅行中の彼女は、突然に命を狙われる。それを助けたのがエイダンと名乗るスパイ。何でも、エリーの小説が偶然にも現実のスパイ組織の行動とシンクロしているとのこと。未来予知みたいな能力があるらしい彼女を抹殺するため、謎の組織は次々と刺客を送り込んでくる。エリーはエイダンと一緒に世界中を逃げ回りつつ、事態の打開を図る。



 とにかく、主人公の2人には魅力が無い。エイダンはスパイらしく身体はよく動くものの、何をやっても冴えないオッサンの域を出ない。エリーには実は重大な“秘密”があったのだが、それが明かされる後半は華麗に変身する・・・・と思ったら、最後まで垢抜けないオバサンのままだ。しかも、その“正体”とエリーの容貌とのギャップが却って広がり、観ていて痛々しくなってしまう。

 これはひょってして劇中フィクションの「アーガイル」の世界とのコントラストを狙ったのかもしれないが、アプローチが根本的に間違っている。架空のハナシとの“落差”を強調するには、エリーとエイダンの造型をリアリズムに振るべきだ。ところが本編は劇中劇以上にチャラけているので、ドラマにメリハリが無い。

 ヴォーン監督の仕事ぶりは低調で、テンポは悪くギャグは上滑り。CG処理画面は奥行きが無い。とにかく荒唐無稽なモチーフを繰り出せば、それだけでウケると思っているようだ。主役のブライス・ダラス・ハワードとサム・ロックウェルはミスキャストだろう。もっと見栄えの良い面子を持ってくるべきだった。

 ブライアン・クランストンにキャサリン・オハラ、デュア・リパ、ジョン・シナ、アリアナ・デボーズ、そしてサミュエル・L・ジャクソンと顔ぶれは多彩ながら、上手く機能していない。唯一良かったのがアーガイルに扮するヘンリー・カヴィルで、一時は“次期ジェームズ・ボンド役か”と噂されたように、颯爽と敏腕スパイに成り切っている。彼を本当の主役に据えた活劇編を作ってもらいたいと思う。
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「コットンテール」

2024-03-23 06:07:46 | 映画の感想(か行)
 (原題:COTTONTAIL)イギリス人の監督および脚本による日英合作だが、いわゆる“えせ日本”はハリウッド映画なんかに比べれば希薄ではあるものの、随分と不自然な描写が目立つ。特に主人公の言動には整合性が無く、観る側が感情移入出来る余地が見出せない。もっとシナリオを、日本のスタッフやキャストと相談しながら詰める必要があった。映像には見るべきものがあるだけに、もったいない話である。

 大島兼三郎は60歳代の作家で、最愛の妻である明子を若年性アルツハイマー症によって失ったばかりだ。葬儀が終わった後に、彼は寺の住職から一通の手紙を受け取る。それは生前の明子から住職に託されたもので、内容は明子が愛したイギリスのウィンダミア湖に遺灰をまいて欲しいというものだ。兼三郎は遺言を叶えるために、確執があって疎遠になっていた息子の慧(トシ)とその妻さつき、4歳の孫エミと共に渡英する。だが、何かと息子と意見が合わない兼三郎は、たった一人でロンドンから湖水地方に向かってしまう。



 冒頭、兼三郎が市場で高価な魚の切り身を万引きするシーンから、観ていてイヤな気分になってしまう。さらには妻の葬儀に際しては何ら当事者意識を持っておらず、慧に急かされてようやく腰を上げる始末。単身ウィンダミア湖を目指す彼は地図も持たず、そもそも目的地行きの列車を乗り間違えてしまうというのは失当だろう。さらには自転車を盗み、次に知り合った現地の親子の世話になるのだが、その扱いは尻切れトンボに終わる。

 驚くべきことに、明子が伝えたウィンダミア湖の具体的スポットは特定出来ていない。手がかりは一枚の写真だけという、随分とお粗末な筋立てだ。兼三郎と慧の関係性は上手くいっていないことはセリフで示されるが、何がどう不仲なのか明示されない。兼三郎は作家として大成せず、年を取っても明子と団地で暮らしているという侘しさもさることながら、若い頃の2人の出会いのシークエンスは有り得ない。見合い同然の初対面なのに寿司屋で酒を酌み交わすなんてのは、製作陣の誰かがNGを出すべき案件だ。

 脚本も担当したパトリック・ディキンソンの演出はぎこちなく、英国人だけのドラマにした方が数段訴求力が高まったはずだ。それでも主演のリリー・フランキーをはじめ、錦戸亮に高梨臨という主要キャストは熱心にやっていたとは思う。また明子に扮する木村多江と、若い頃の彼女を演じる恒松祐里が似た雰囲気を持っていたのには感心した。マーク・ウルフのカメラによるイングランド北西部の風景は美しく、ステファン・グレゴリーの音楽も良好なのだが、映画の中身をフォローするには至っていないのが残念だ。
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「マダム・ウェブ」

2024-03-22 06:38:51 | 映画の感想(ま行)

 (原題:MADAME WEB)興行的には本国で大コケで、評判も芳しくないので覚悟してスクリーンに向き合ったのだが、それほどイヤな気分にはならず最後まで退屈せずに楽しく付き合えた。製作現場ではいろいろと不手際があったようにも聞くが、出来上がった作品がこのレベルを維持しているのならば文句を言う気にはならない。少なくとも、同じマーベル関係のシャシンの中では「マーベルズ」(2023年)よりはずっとマシ。

 2003年のニューヨーク。救急救命士として働くキャシー・ウェブは業務遂行時に大事故に遭い、生死の境をさまよう。何とか回復した彼女には、いつの間にか未来予知能力が身に付いていた。ある時、地下鉄内で3人の少女が黒装束の謎の男に殺される未来を“見た”キャシーは、その男から少女たちを守ることになる。実はその男は、科学者で南米ペルーにて消息を絶った今は亡き彼女の母親と関わりがあり、予知能力も備えていた。将来自分がその3人に始末されてしまうことを予見していた彼は、先手を打って彼女たちを抹殺しようとしていたのだ。神秘系の超能力を持つマーベルのキャラクター、カサンドラ・ウェブの誕生物語だ。

 配給会社では“これまでのマーベル関係映画と一線を画す、本格ミステリー・サスペンス”という宣伝文句を打ち出しているが、ミステリー要素は実に薄く、その点は拍子抜け。だが、S・J・クラークソンの演出は小気味よく、テンションが落ちることなくストーリーを進めていく。アクションシーンの段取りは悪くない。幾分CGが雑なところもあるが、勢いで乗り切っている。

 有能だがマジメ過ぎる傾向のあるキャシーと、イマドキの女の子たちとの掛け合いは面白く、悪役のイヤらしさもよく表現できている。そして何より、本作は「スパイダーマン」の前日譚であることが興味深い。ピーター・パーカーは映画の終盤まではまだ産まれてもおらず、ベンおじさんも若い。

 主演のダコタ・ジョンソンは熱演だが、本作の製作過程と興行成績に失望して今後のマーベル作品への出演を辞退しているのは残念だ。シドニー・スウィーニーにセレステ・オコナー、イザベラ・メルセードの女子3人組は好調だし、タハール・ラヒムにエマ・ロバーツ、アダム・スコットといった脇のキャストも悪くない。
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「ソウルメイト」

2024-03-18 06:30:28 | 映画の感想(さ行)
 (英題:SOULMATE)映画向きのネタではないと思った。これはテレビの連続ドラマに仕立てた方が良い。特に後半のアクロバティックな展開は、テレビ画面で眺めていれば“やっぱり韓流ドラマだからなァ”と納得出来る余地がある。だが、一本の映画の中に収めてしまうと違和感ばかりが先行してしまう。序盤が悪くないだけに残念だ。

 済州島に暮らす女子ミソとハウンは、共に絵を描くのが好きな小学生からの大親友。だが、十代の頃に知り合った男子生徒ジヌの存在は、2人の仲に亀裂を生じさせてしまう。疎遠になって16年もの時間が経過したある日、ハウンはミソにある秘密を残して消息を絶ってしまう。香港のデレク・ツァン監督が2016年に手がけた「ソウルメイト 七月と安生」(私は未見)の韓国版リメイクだ。



 絵画のスキルを高めつつ世界中を見て回りたいという夢を持つミソと、何より堅実な人生を送ることに価値を見出すハウン。2人は対照的なタイプだが、子供の頃からウマが合う。この友情を違和感なく描出している前半は悪くない。ジヌをめぐるやり取りも、平凡なラブコメ劇に堕することなくリアルかつハートウォーミングに仕上げている。ところが、大人になった彼らが織りなす複雑すぎる生き方は、あまりにも強引な作劇で戸惑うばかり。

 そもそも冒頭の、絵画展で入選した作品の作者が見つからないというシークエンスの存在自体が間違いだったのではないか。ここに無理矢理に帰着させるために、牽強附会の極みのようなストーリーを用意するハメになったとも言える。繰り返すが、この建て付けは連続韓流ドラマだったら許されるし、たとえ批判が出ても“ディレクターが交代した”の何だのという言い訳が通用するのかもしれない(苦笑)。しかし、映画の中でやってはダメだ。もっと自然な筋書きを提示する必要があった。ミン・ヨングンの演出も、映画が進むにつれ煽情的なタッチが目について愉快になれない。

 とはいえ、主演のキム・ダミとチョン・ソニのパフォーマンスはかなり良好だ。けっこう幅広い年齢を演じているのだが、違和感が無い。ジヌに扮するピョン・ウソクも上手く役柄をこなしている。また、カン・グヒョンのカメラによる済州島の風景はとても魅力的だ。なお、オリジナルの「ソウルメイト 七月と安生」は本作とは設定がかなり違うようで、機会があればチェックしてみたい。
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「落下の解剖学」

2024-03-17 06:08:56 | 映画の感想(ら行)
 (原題:ANATOMIE D'UNE CHUTE)設定に無理がある。裁判のシーンが劇中でかなりの時間をかけて描かれているのだが、よく考えると、この法廷劇自体が噴飯物なのである。裁判所でのやり取りに重きを置きたいのならば、それ相応の段取りを整えなければならない。ところが本作はそのあたりが“底抜け”と言わざるを得ない。第76回カンヌ国際映画祭での大賞受賞作ながら、有名アワードを獲得した作品が良い映画とは限らないことを改めて実感した。

 フランス南東部の人里離れた雪山(ロケ地はオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏)の山荘で、目が不自由な11歳の少年が愛犬との散歩中、血を流して倒れていた父親を“発見”する。父親はすでに息絶えており、当初は転落死と思われたが不審な点も多く、夫婦仲がイマイチだったことが明らかになり、妻である有名作家のサンドラに嫌疑が掛かる。やがて彼女は逮捕起訴され、裁判がおこなわれる。



 そもそも、この“事件”には状況証拠らしきものはあるが、物的証拠は何一つ無い。さらに唯一の“目撃者”と思われる息子は目が見えない。このような状態で逮捕されるはずもなく、ましてや刑事案件として起訴される必然性は皆無だ。こんなあやふやな状況での裁判など、最初から有り得ないのである。百歩譲って彼の国では曖昧な状況証拠だけで検挙されるのだとしたら、フランスはどれだけ後進国なのかと思ってしまう。

 とはいえ、虚飾に満ちた夫婦関係が明らかになる部分はけっこうスリリングで、少しばかり興味を覚える。私はこれを観てイングマール・ベルイマン監督の秀作「ある結婚の風景」(73年)を思い出してしまった。しかし、北欧の巨匠の横綱相撲的な仕事に比べれば、まだ長編4作目のジュスティーヌ・トリエの演出は見劣りする。

 また何が真相か分からないという点では、黒澤明監督の「羅生門」(1950年)にも通じるものがあるが、やはり黒澤御大の力量とは比較するのも烏滸がましい。それでも主演女優サンドラ・ヒュラーの奮闘ぶりは印象に残る。主人公と同じドイツ系で、異国の地で暮らすサンドラの立場を表現する意味では絶妙だった。しかしながら、彼女以外のキャストで特筆できる人物は見当たらない。

 そして、上映時間が無意味に長い。このネタで2時間半は引っ張りすぎだ(ちなみに「羅生門」は1時間半ほど)。体調が万全ではない状態で鑑賞すれば、眠気との戦いに終始するのではないだろうか。なお、シモン・ボーフィスのカメラによる雪深い山々の風景は良かった。少年の愛犬スヌープ役を務めた犬のメッシの“名演”も記憶に残る。
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「ミアの事件簿:疑惑のアーティスト」

2024-03-16 06:08:16 | 映画の感想(ま行)

 (原題:MEA CULPA )2024年2月よりNetflixから配信されたサスペンス編。弁護士を主人公にした犯罪ドラマにしては、随分と雑な作りだ。もうちょっと脚本を練り上げられなかったのだろうか。とにかく御都合主義的なモチーフの連続で、途中から面倒臭くなってくる。とはいえ映像はスタイリッシュな面があり、何より主演女優のプロモーションとしての価値は十分見出せる。その意味では存在意義はあるかもしれない。

 シカゴに住む弁護士ミア・ハーパーは、恋人を殺害した容疑で起訴された芸術家ザイエア・マロイから弁護を依頼される。彼が犯人だという状況証拠は存在し、物的証拠のようなものも見つかっている。すでに世間の風潮では有罪が確定していて、マスコミは騒ぎ立てている。だが、決定的な要素が無いことに疑念を抱いたミアは、敢えて弁護を引き受けることにする。これに真っ向から反対したのが失業中の夫カルとその母親。そしてカルの兄レイは担当検事でもある。身内からの顰蹙を買いながらも、彼女は友人の私立探偵ジミーと共に事件の全貌に迫っていく。

 主人公の義母はガンを患っていて余命幾ばくも無いという設定ながら、とても重病人には見えず、まずこのあたりから胡散臭さが漂ってくる。ザイエアは刑事被告人にもかかわらず切羽詰まった様子は窺えないし、平気で創作と女遊びに明け暮れている。ジミーは大して頼りにならず、事件の真相を掴むのはミアの方なのだが、その切っ掛けがまた“偶然”の賜物だというのは実に苦しい。

 グダグダな終盤の展開を経て明かされる事の全貌に至っては、まさに脱力もの。この程度の“動機”で凶悪事件をデッチ挙げられてはたまらない。シナリオも担当したタイラー・ペリーの演出は気合いが入っていない。だが、主演のケリー・ローランドは本当にスクリーン映えする。身のこなしや、衣装のセンスも上質だ。ローランドはミュージシャンとして著名ながら、本作では一曲も歌わずに演技に専念しているのは好感が持てる。

 ザイエア役のトレバンテ・ローズをはじめ、ニック・サガルにショーン・サガル、ロンリーコ・リー、シャノン・ソーントンといった顔ぶれも絵になる。そしてコリー・バーメスターのカメラによる闇深い夜のシカゴの町並みは、クライム・サスペンスにはぴったりだ。アマンダ・ジョーンズによる音楽と既成曲の使い方も良い。
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「カラーパープル」

2024-03-15 06:08:57 | 映画の感想(か行)
 (原題:THE COLOR PURPLE)スティーヴン・スピルバーグ監督によるオリジナル版(85年)を昔観たときは、当時はSFやアドベンチャー等の専門家だと思われていたこの作家が新機軸を打ち出したということで驚いたものだ。しかも、ウェルメイドに徹して鑑賞後の満足度は決して低いものではない。しかしながら業界筋では“スピルバーグとしては畑違いだ”ということらしく、アカデミー賞では無冠に終わっている。

 今回はブロードウェイでミュージカル化された作品を基にミュージカル映画としてリメイクされたわけだが、正直、この企画自体に違和感を拭えなかった。題材がシリアスで緻密な作劇を必要とする作品にも関わらず、これをミュージカル化すると当然のことながらドラマの密度が下がるのではないか。で、実際に観てみるとその不安は的中した。見かけは賑やかだが、中身は薄い。まあ、ブロードウェイで観る分には迫力だけで圧倒されるのかもしれないが、映画にするにはコンセプトをもっと詰めるべきだった。



 ストーリーラインはオリジナルとほぼ同じだ。1909年のジョージア州の田舎町。少女セリーは出産するが、すぐさま赤ん坊はヨソに貰われてしまう。彼女には器量が良く賢い妹ネッティがいたが、セリーはミスターと呼ばれる横暴な男と結婚されられ、妹とは生き別れになる。希望の持てないミスターとの生活が続く中、ミスターは愛人の歌手シャグを家に連れ帰る。当時としては“進歩的”な精神の持ち主だったシャグに触発され、セリーは自らの生き方を見直すようになっていく。

 このようなヘヴィな設定の中では、どう考えてもミュージカルの要素が入り込むことはあり得ない。ネッティは恵まれない生い立ちである割には最初から悲壮感が乏しく、セリーにしても切迫したものが感じられない。言い換えれば、重い展開になることを回避して口当たり良く仕上げたのが本作ではないのか。特に終盤の顛末は御都合主義の最たるもので、観ていてシラケてしまった。ブリッツ・バザウーレの演出は可も無く不可もなしで、キャストも皆頑張っているはいるが、印象には残らない。

 それでもミュージカルシーンが優れていれば高得点が望めるのだが、出演者の努力の甲斐も無く魅力的なパフォーマンスや引き込まれるような楽曲のメロディ・ラインも無い。何やらワークアウトのプロモーション映像を観ているようだ。ファンテイジア・バリーノにタラジ・P・ヘンソン、ダニエル・ブルックス、そしてH.E.R.といった出演陣もパッとせず。ただルイス・ゴセット・Jr.が久々に顔を出しているのは嬉しかった。
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「瞳をとじて」

2024-03-11 06:47:25 | 映画の感想(は行)
 (原題:CERRAR LOS OJOS )とても感銘を受けた。とはいえ日頃あまり映画とは縁の無い者が観ても、良さが分からないかもしれない。だが、少しでも映画に心を奪われた経験があれば、ここに綴られた映画に対する尽きせぬ想いが伝わってくるだろう。たとえ結果としてそれが肌に合わなくても、作者の仕掛けた作劇の妙に一目置かざるを得ないはず。とにかく最近公開されたヨーロッパ映画の中でも、見逃してはならない一本だと思う。

 著名な映画監督ミゲル・ガライは新作の「別れのまなざし」の製作に臨んでいたが、撮影中に主演俳優フリオ・アレナスが突然行方不明になる。そのため映画は未編集のまま公開されず“お蔵入り”になってしまう。それから22年の月日が流れたある日、ミゲルはテレビ局から番組出演依頼を受ける。そのプログラムは、未解決の事件を掘り起こして再度考察を加えようというものだ。今回取り上げるのはかつての人気俳優フリオの失踪事件である。取材への協力を決めたミゲルは、友人だったフリオと過ごした若い頃を思い出したり、昔の仕事仲間を訪ねたりする。そして番組終了後、フリオらしき男が海辺の福祉施設にいるという情報が視聴者から寄せられ、事態は急展開を迎える。

 失踪した俳優フリオを探すミゲルの22年にも渡る行程は、すなわち映画の歴史そのものをめぐる“旅”なのだ。フィルム撮りからデジタルカムコーダでの収録に変わり、映写技師が配備されていた映画館ではフィルム上映からプロジェクターに移行している。その時代の流れの中でミゲルは一線を退いたが、フリオの時間は止まったままだ。22年の時間経過は、31年ものブランクがあった監督ビクトル・エリセの境遇とリンクする。この監督のフィルモグラフィがそれぞれのスペインの政治情勢などに対する緊張状態に晒されていたことを考えると、初めて思い通りの映画作りに専念することが出来た本作の重要性が浮き彫りになる。

 失われたはずのフィルムの行方と、フリオの人生がシンクロする終盤の展開は、エリセ監督自身の映画に関する“総括”と、映画への挽歌とも言うべき哀切が横溢して感動を呼ぶ。このクライマックスに接すると、あの「ニュー・シネマ・パラダイス」(88年)など児戯に等しいと思えてくる。

 主演のマノロ・ソロをはじめ、ホセ・コロナド、ペトラ・マルティネス、マリア・レオンらキャストは皆好演だが、圧巻はフリオの娘を演じるアナ・トレントだ。エリセのデビュー作「ミツバチのささやき」(73年)のヒロインだった少女も、今は50歳代に達している。だが、一目で彼女だと分かる存在感と、「ミツバチのささやき」と同じセリフを吐かせるなど、映画好きの琴線に触れる営みには感嘆するしかない。169分にも及ぶ長尺ながら、一時たりとも弛緩した部分がないタイトな演出。バレンティン・アルバレスのカメラによる美しい映像と、フェデリコ・フシドの効果的な音楽。本当に観て良かったと思える逸品だ。

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