チェロ五十代からの手習い

57才でチェロに初めて触れ、発見やら驚きを書いてきました。今では前期高齢者ですが気楽に書いてゆこうと思います。

左手の奥義 「あめんぼう運指]を教わった

2020年01月23日 22時44分07秒 | レッスン

最近レッスンといえばアンサンブル仲間でグループレッスンばかりやってもらっていた。
チェロの毛替え、弦の張替えや調整も終わったので、今度は演奏のリハビリをお願いしようと、
久しぶりに個人レッスンをお願いした。

チェロ歴12年になるけど、今日もいつも通り右手開放弦から右手の練習と思いきや、
右手には全く触れず左手の押さえ方の集中練習となった。

A線の第1ポジション、つまりシの音から始めてド、レと押さえてゆくだけの練習をまず師匠がやって見せ
「これさえできればずいぶんと変わりますよ」といわれた。

思えば10年以上前、教わり始めたころにやった基礎練習を思い出したが
「何をいまさら」とは全く思わない。
今の自分に最も必要な練習を用意してくれているに決まっているのだから。

お手本の通り「シ、ド、レ」と自分でも弾いてみるものの、師匠のようにはゆかない。
音がくすむというか、沈んだ音になる。

自分では左手指1.2.3で「シ、ド、レ」と上から叩いて押さえるのだけど、
指を落とした後、弦を押さえつける癖がどうしても抜けないという。
特にネックを下からあてがっている左手親指に力が入っていることを指摘される。

思い起こせば、これまで力が入っているときは、ネックを左親指で握りしめていたり、ひどいときには
体を楽にするためなのか、左の親指でネックを支えてすらいたことに思い至った。

師匠の演奏をつぶさに観察すると1,2,3、と押さえてゆくに従って、
左手親指が自由に動いている。
4の小指でレを押さえるときには親指はC線側のネックから親指が突き出てきている。
師匠の左手親指や、各指先を触ってみると、全く力が入っていない。

「先生こんな緩い押さえ方でいいんですか」
 「押さえているというより、置いてあるだけ」
「音が出にくいとき、思いっきり押さえつけていたのは間違いなんですね」
 「それは逆効果、押さえつけるほど音が出なくなります」

師匠が演奏するときの左手の動きを改めて凝視すると、まるで指先が弦の上で踊っているというか、
軽やかに滑っているようにも見える。「まるでアメンボウが水面を滑っているようだ」と感じた。



アメンボウは水の表面張力だけを支えに、水面をすいすいと渡ってゆく。
師匠の指もそんな感じで、弦をネックに押さえつけているそぶりもない。

「そうか、表面張力でアメンボウが浮いているように、
師匠の左指は弦がネックに最小限の力しかかかっておらず
しかも上から指をぶつけた瞬間から弾き始めているので、
弦の振動の中心の1点だけに力が集中した状態で、弦が振動している。
だから弦の振動の邪魔になる要素がすべて取り除かれ美しい音色が出てくるんだ」

その後もチェロも渡されて、師匠の真似をしてみるものの、なかなかいい響きの音が出ない。

「開放弦と同じ響きを出せるかどうか、これができれば演奏はすごく変わってきます」

「開放弦と同じ音が出せるように」・・

このワンフレーズは、まさに師匠の「奥義」を明かしてもらったと直感した。
むろん秘伝の書を覗き見できたとしても、できるわけではないのだが、
目指すべき高みを垣間見ることができたのは幸せだ。

これまで右腕の脱力だけに集中してレッスンをしていただいてきた。
おかげで最近いい音質で、軽やかに弾ける実感を持ててきた。
むろんチェロを買い替えたことも大きいが、右手の脱力感
~弓の重さだけで弾けている~
ことは感じていたが、これ以上進めるには、左手の無理やりの押さえ方に
メスを入れないといけないと、師匠は見抜いていたんだと思う。

これから目指すべきは「アメンボウ運指」だとすると、今までの左手は重々しく踏みつける動物・・・
そう象さんが地面を踏みつけるような「象足運指?」などと思いながら帰宅の途に就いたのだった。


 アメンボウのように軽やかに指が動き回り、その裏では親指もまた
アメンボウのように軽やかにネックの裏側を動き回れるようにしよう。
そのためには、何よりもチェロ本体をしっかり固定し、力を抜くことだ。

さよなら「像足運指」こんにちは「あめんぼう運指」だ!

 

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73人のオケと一人のピアニストとのアンサンブル

2019年05月29日 23時00分22秒 | コンサート

今年の茂原交響楽団定期演奏会は団設立以来初のピアノ協奏曲で始まった。

実は、茂原市民会館は老朽化で取り壊しとなり、団は演奏会場というベースを失ってしまった。
演奏会の会場を探した結果、茂原から20キロ離れた東金市民会館での定演となった。
茂原市民にとっては迷惑この上ないロケーションかもしれないが、
逆にこの結果、30年以上念願しながら実現しなかったピアノ協奏曲をやれるようになったのだ。
(茂原市民会館は舞台が狭くてピアノを置くことができなかったが、東金は大きく立派なホールだ)

ピアニスト探しは、団員が外房在住のピアニスト・鈴木直美さんを見つけてくれ
鈴木さんは演奏を快諾いただくとともに、グリークのピアノコンチェルトを選んでくれた。

  【 デンマークをバックにしたプログラム表紙】

大好きなグリークという嬉しさもあって、定演のメインはブラームスの交響曲第3番という名曲ながら、
プログラムの表紙にはグリークの肖像画を組み込み、協奏曲を作曲したデンマークのセレレズ湖を選んだ。
(小生選曲委員でもあり、今回のプログラム作成担当でもあったので一石二鳥で解決なのだ)

さてピアノ協奏曲が選ばれたものの、市民オケとプロのピアニストとの練習はどうやって進むのだろう?
いつも練習している市民センターにグランドピアノはあるけど、舞台の上だ、
舞台上とフロアーという距離感は大丈夫なの?
指揮者とピアニストのアイコンタクトはなくてもいいの?
それにいざ本番となると、調律などの手配はどうなるんだろう・・・?
いろいろつまらぬ心配も出てきた。

こうした心配はあったものの、実際にはピアニスト抜きでの練習を何回か続け
オケが曲に慣れてきたところで、3回ほどピアニストを交えた合同練習ができた。
しかも市民センターのグランドピアノではなく、市民室という通常の練習場に置いてある、
アップライトピアノで合わせてくれたのだ。

練習が始まってまず驚いたのは、プロのピアニストの音量の大きさだった。
か細い指、小柄な姿からは想像できない程の迫力で音が飛び出してくる。
「指は折れたりしないのだろうか?」とマジに心配したほどだ。

たった一台のアップライトピアノが、オケの音量に負けたりせず、オケを土台に輝き出る。
練習ではカデンツアは省略していたが、全曲を弾き切り オケのメンバーの賞賛の拍手の中を
引き上げてゆく姿はとても恰好良かった。

もう一つ強烈に印象に残ったことは、普段は指揮者の思い通りにオケは演奏するんだけど、
ピアニストの思い・情熱に合わせてオケの進行が変化しなければならない。
ピアニストと、オケ全体との接続役を果たすのが、指揮者ということだろうか。

このことは3回の練習、そしてゲネプロ、ステージリハーサルと回を重ねるにつれ、
ピアニストと指揮者、指揮者とオケ、いやオケとピアニストがシンクロしてゆくのを感じることができた。

    【ピアニスト鈴木直美さん、フランス人形風ステージ衣裳だった】

とりわけ、本番当日のステリハや本番に至って、指揮者を入れて73人のオケとピアニストが、
まるで会話をしているように、シンクロナイズしてゆく感覚を持てたのは、実に心地良い経験だった。

そのシンクロは簡単ではない。
ピアニストの思い入れ(表現)をよく聞き、指揮者をよ~く見てゆかないと そんな演奏はできない。

とりわけ指揮者は大変だったと思う。
いつもは”わがまま放題”の指揮者も、まるで恐妻家のように、完全にピアニストの「尻に完全に敷かれ」て
いるかのように、中腰の姿勢で全神経をピアノとオケの進行に集中しているのだった。

例えば、2楽章は3/8拍子なので、単純な曲なら「ワン・ツー・スリー」と振ればいいんだけど、本番ともなると
ピアニストが歌いまくってゆくので、「ワン・・ツ~ウ・・・スリー」と、時間的には倍近くを掛けて振ることも多かった。
オケとしても、その動きを一瞬も見逃すわけにはゆかない。
皆が神経を研ぎ澄ましているが、そのシンクロ感が実に心地よいものだった。

後からピアニストと、練習にも付き添ってその門下生たちに聞いてみたが
「先生とオケのハーモニーがどんどんできてゆくのが感じられた」と言っていた。
指揮者に大変でしたねと聞くと
「大変なんだよ、おれも疲れたよ」と言いながらも良い演奏が出来た満足感が表れていた。

一人のピアニストと、73人のその他の伴奏者たち・・と言ってもいいのだろうか、
いつも楽しんでいる弦楽四重奏やら、弦楽トリオとは全く違った、
壮大なアンサンブルの楽しさを感じたコンサートだった。

打ち上げ会場でのこと
「プロのピアニストの音の迫力に驚きました。普通の住宅では無理ですよね、ピアノ室があるんですか?」
と聞くと、3カ所ほど設定してあるとのこと。
その話を聞いていた師匠(元超有名プロオケのチェリスト)は
「外国のピアニストはもっとすごいよ。鈴木さんは小柄な方だけど、白人のごつい体で弾くと飛んでもない音が出る」と。
さすがに世界を渡り歩き、世界の演奏家と共演してきた経験はすごい。

協奏曲というのは、一人のソリストをオケに加えた編成程度にしか考えてなかったかも。
いや、そもそもオケって大勢が指揮者のもとに、楽譜通りに音を出す機械装置みたいに感じていたかも。

実はそうではなく、どんなに大人数でも、互いの音を聴きあい、呼吸を合わせるアンサンブルなんだ。
今回の協奏曲の経験を通して、そんな音楽の基本を改めて思い起こさせられた気がする。

まだまだオケの世界、音楽の世界には、新しい発見や驚きがあると感じさせられた定演だった。

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ピノキオ奏法はフラット・ボーイングだった

2019年03月06日 23時47分30秒 | レッスン

以前書いた「ピノキオ奏法」~師匠が肘をすっと押すとチェロがスムーズに鳴ってくれること~は
何故そうなるのか理屈が分からなかったが、今回その秘密がようやく解けた気がする。
全ては自称「フラット・ボーイング」のためだったのだと。

このフラットというのが実は難しい(ピノキオ奏法では実現するのだが・・・)
1)弓の進行が一本の線というか、平面の上を真っ直ぐ進む意味のフラット
2)弾き始めから弾き終わりまでの力の入れ方が(というか力を全く入れない)フラット
3)同じく弾き始めから終わりまで、弓の速度が均一という意味でフラット
4)最後はボーイングの終わりで弓を返すとき、変な力を入れないというフラット
5)ダウンからアップに移ったとき、ダウンのついでに(ダウンのボーイングのままで)弾くのではなく、
きちんとアップのボーイングに切り替えてフラットに押し込む
 これら全ての点で「フラット」にボーイングができたとき、毛が弦をしっかりととらえ続け
全く力を入れなくても、豊かにチェロを鳴らしてくれることえを実感できたのは大きい。

こうして書いてみたものの、実際にクリアーするのは実に至難なことで、微妙な力みが
弦と弓の間に不要な隙間を入り込ませるため、スムーズな発音、音量、音質にならない。
音量がわんわんと振れたり、ボーイングの途中で音がかすれたり、ターンで音が途切れたり・・・

この3月でチェロを始めて丸々11年が経過した。
師匠に習い始めてからも10年半は経過している。
でも”ピノキオ奏法”を脱して「フラット・ボーイング」出来るのはまだ時間がかかりそうだ。
なぜかというと、自分には「フラットボーイング」への障害が多すぎるからだ。

いくつかの障害とクリアー方法をメモしておこう

1)肩の柔軟性を取り戻すこと
肩が固まりすぎていて、肘から下だけ、極端に言うと手首や指での「小手先ボーイング」になっていた。
その欠陥を直すには、今回師匠がやってくれた次のような様々な準備運動が必要だった。
・弓を上空に押し上げ弦の上にそのままお”落っことす”練習
・全弓で素早く弦の上を前後に滑らせる(弾くのではなく)練習
・腕全体をぐるぐる回す運動とか・・・
これらをやったあとは、毛と弦がぴったりと吸い付いて、チェロが楽に鳴り続けてくれるようになった。

2)脱力でのボーイング
ついつい弓の毛を減と噛ませようとして弓を弦に押し付けがち。
特に低い弦では弾き始めに圧力を掛けがち。
そうではなく弾き始めは「毛の一本から」弦に弓を乗せれば自然に弦を噛むので、そのまま引っ張ること。
弓を押し付けるのではなく弓の延長方向にまさに「フラット」に引っ張るだけ。
(こうした感覚は子供時代から習えば、自然に身に着くのだろうな~)

3)ボーイングの方向を直線で意識すること
今までのボーイングでは、弓の軌跡は「弓なり」だった。
そうではなく、弓の指し示す方向に「直線」で引っ張ること。
無論アップでも、弓と毛の上限関係は逆になるが直線的であることに変わりはない。

4)ターンで接点を変えないこと
ダウンからアップ、アップからダウンの時、弦を捕まえようとして力を入れてしまう。
その結果今まで噛んでいた毛が弦から離れてしまい、ターンで再接触することを繰り返してきた。
これでは弦の振動の繋がりがと切れてしまう。
そうではなく、ターンでは「何もせず」ただまっすぐ方向を切り替えること。
(しいて言えばダウンは手前方向に、アップでは下に押し込む方向に意識すること)

これらのポイントを意識して基本練習を繰り返してゆけば、きっと今までとは見違えるような、
朗々と響き途切れの無い美しいチェロの音を出せるのだと思う。

今後チェロ初心者の運動や練習が必要なのだけど、その目的レベルは、初心者とは全く違う。
若いころからプロのレッスンを受けてきた人にとっては、ばかばかしいくらい基本的なのだと思うが、
大人になって初めてチェロに触れた自分の様な者にとって、
この10年間は、そんな基礎レベルを理解しうるために必要だったのだと思う。

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”ピノキオ奏法”再び

2019年02月21日 19時45分52秒 | レッスン

以前”ピノキオ奏法” の体験を書いたが、今回は単なる「木の坊や」から
チェロを弾く人間に近づけるかもしれない

半年前のその記事を再録すると
「僕が弓を軽く構えてG線に置いたときのことだった。
師匠が突然、僕の右ひじを軽く押したのだ(なんとなく放り投げられた感覚だった)
すると肩から下の腕全体が左にさっと動き、チェロが大きな音で鳴った。
弓が自然に止まったところで、今度は肘の内側を押し返したら、またチェロが大きく鳴った。
つまり、自然なアップボーイングとダウンボ-イングが出来たのだった。
自分は軽く弓を持って構え、弓にほとんど圧力を加えていないのに、
弓の毛が、弦を咥えて行ったり来たりしているだけで チェロが豊かに鳴っている。
「ゼペット爺さん」に操られている「ピノキオ」になった気分で不思議だった。」

この記事の後、コンサートやらお尻の手術で10日も入院するなどいろいろあり、
久しぶりのレッスンとなった。
いつも通り師匠が僕のチェロを調整後、たまたま持参したアンサンブルコンサート用の楽譜を
さらっと弾くと、自分の弾く音色と全く違っていることに気づかないわけがない。

「ん~、はっきりとした発音、豊かな音量、輝かしい音色・・・」これらはどうやって出てくるのか。
やはり「脱力」を放ったらかしにして、力でチェロを”ねじふせようとしている”ことを感じざるを得なかった。

そんな”力任せのチェロ奏法”から脱却できるかもしれないのが”ピノキオ奏法”だと思う。
基本的なエチュードを弾いて見せたとき、今回はアップの時だけ、師匠は右腕の外側を押し始めた。

それで分かったのは、ダウンからアップに移行するとき、2つのうちどちらかをやっているということだと気づく。

一つ目はダウンからアップへ移るとき「アップの弾き方」をしていないこと。
つまり同じ平面上を崩さず、弓を左へ押し出す動作を意図的にやっておらず、ただ惰性で左に弓を返している。

二つ目は、ダウンからアップに移るとき、手首や指に力を入れているので、
弓の毛が、弦から瞬間的に離れてしまい(弦を噛まなくなり)、アップボーイングが滑ってしまいがちな事。

これら二つのことを避けるためにやってくれているのが”ピノキオ奏法”だとすぐに気づいた。
大人だから気づけば、直すことも可能なはず。それが今回の進歩の根拠で、師匠も
「子供は意味が分からなくてもやれるけど、大人は意味を理解してやるので、その点有利」
とおっしゃっていた。

「わかる事とできること」は全く違うことは分かっているけど、今回の理解はちょと違うかもしれない。

「このエチュード全てははこのことを掴むためのものです」と師匠に言われ味気ないエチュードの目的が鮮明になりが楽しみになったから。エチュードの意味がよ~く分かったから、これから基礎の基礎の基礎練習をすることが楽しみになったから、この「理解」は技術の変化につながるかもしれない。

全ては、弓の毛が弦をしっかり噛んで離れず、pでもfでも変わらずに同一平面上でボーイングができるようになるための訓練だった。それが美しいチェロが秘訣の一つなのだ。

チェロを衝動買いしてから、3月でまる11年を迎えるが、いつまで経っても新しい気づき
新しい世界があることは幸福なことだ。
今日のレッスンをきっかけに「より深い、より豊かな美しい音色」への一歩が始まるかも・・という期待感もある。
チェロの奥深さに感謝だ。

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深圳という街を見て、改めて感じたこと

2018年11月02日 22時39分46秒 | その他雑感

毎年恒例の近隣アジアの街歩きで、昨年に続き今年も香港、深圳を歩き回った。
「でかい!」とか「すごい!」とかは去年と同じなので、その他の事をメモしておこう。

1)深圳の「秋葉原」を歩いて
深圳の秋葉原と言われているけど、今や最盛期の秋葉原の100倍は電気部品屋がひしめいている。
一体誰が買うんだろうというほど、全てのビルのフロアーに電気電子関係の店が詰め込まれ、人であふれている。
昨年と違うのは、アラブ系やアフリカ系など外国人が少なくなっている気がする。

2)至るところに「交番」があり、安全でクリーンな街ではある。

他の中国の都市にもPOLICE BOXが沢山作られているのか、深圳の街だけの特別施策なのかは不明だが、
街のいたるところに「交番」が設置されているのを今回認識した。
巡査?は犯罪捜査だけでなく、環境を維持するための監視指導をしている。
そのためか街にはゴミがない。アジアの街としては極めて異質(日本のよう)


巡査はセグウェイで常に巡回している。ただ制服は着ているが英語も通じず取り締まりも緩い。
スマホ見ながら巡回しているし、休憩所も覗いてみたけど真面目な日本のお巡りさんとは比べられないほど、ゆる~い。

3)安全だけど、プライバシーは存在しない 恐ろしく"進化"した街

思えば入国のイミグレーションには、銀行のATMにあるような指紋採取装置があり
左右四本ずつの指紋を録り、さらに両方の親指も登録させられ、顔認証もばっちり撮影。
いろんな国に行ったけどこんな経験は初めてのことだった。
日本の「指紋押捺問題」などかわいいもので「中国ならしかたない」思わせてしまう国だ。

しかしこれは恐ろしいことで、現地の人に聞くと、信号無視(歩行者も)した瞬間に、信号機上の
カメラで撮影した画像が、登録画像と照合され、交差点にある巨大スクリーンにその人の姿とともに、
姓名、出身などの個人情報が映し出されるとのこと(嘘みたいな本当の話)。

中国政府(共産党)にイミグレーションで採取した個人情報は永久に保存されるのだろう。
将来的には中国圏である限り犯罪行為は何もできなくなるし、犯してもすぐにバレることになる。
(日本でも中国人だけには、同じことをやってもいいのかも知れない)

4)中高年者がほとんどいない、本当は「生きづらい」街

深圳市内を歩いて老人を見かけることはほとんどない。
夜の繁華街も安全だが、若者しかいない渋谷のようだ。

国内の様々な地域からの出稼ぎなので、互いに通じる言葉は「標準語」(北京語)。
日本でいうと東京の様に、元の住民はごく少数で、ほとんどが「よそ者」の街なのだ。

猛烈な勢いで成長する街・深圳について「この街は中国人の憧れなんでしょうね」と聞いてみると、
想定外の答えがかえってきた。
「ほとんどの住民は故郷に帰りたいと思っている」とのこと。
40才代まで企業に残れることはほとんどない、大変厳しい環境なのだそうだ。

 

5)何もかも電子マネーwechat payで
ちょっとマイナス面ばかりになってしまたけど、電子マネーの浸透は本当にすごい。
地元の人たちに大変人気で、朝から行列ができる、おいしい川魚料理の店に行った。

この店では、店員と会話したり、目を合わせて注文などはなく、メニューの絵にスマホをかざすだけ。
その瞬間、注文から料金精算までの全てが wechat payというSNSの電子マネーで行われた。
すぐに案内された席について待つと、洗面器大の魚料理のセットが運ばれてくる。
実に合理的でスピーディー。これなら言葉も通じない、「多民族国家・中国」でも成長可能だろう。
味は四川風で大変複雑・超美味だった。

6)深圳にある世界最大の「絵画の街」も訪問した

 

数ブロックの街全体が、絵画と画材の店で埋め尽くされている。
ほとんどが神業的な「贋作」作家。最近「世界で一番ゴッホを描いた男」という
ドキュメンタリー映画が日本の映画館で 封切りされたばかりだ。
写真に写っている女性画家は、自分のオリジナル作品を描いている。
おそらく1枚描くのに1~2時間で完成させていると思う。

下記は別の店で購入した、チェロアンサンブルの絵。

飛行機に載せて持ち帰るサイズの楽しい絵はなかなか見つからなかったが、街を歩き回り帰り際に
ちょうどチェロやアンサンブルの明るく楽しい絵があったので購入した。
交渉の結果、2枚で100人民元(=1700円位)と半額に。雑だけど、手書きの油絵で満足。

7)中国新幹線で香港に戻った

「中国の香港への侵入」と報じられた新幹線は、一言で言えば「ハード先行ソフト貧弱」

深圳から香港に向かう新幹線に無理を言って乗せてもらい、香港に帰ることにした。
最終電車だったこともあるが、東京~新横浜と同じような15分の距離なのに70分かかってがっかりだった。
その理由は、飛行機と同様の手荷物、全身のセキュリティー・チェックがあり、
しかも出国のカウンターでも、おっかない役人がしつこくチェックしているので旅客のストレスは大きい。

新幹線そのものと、駅の巨大さはすごいが、全体に感じる威圧感、巨大すぎて走り回らせられる疲労感、
新幹線ホームとそれまでのアクセス通路の設定のちぐはぐさ(新幹線のホーム端っこに着くので、
新幹線の中を、みんな大荷物を持って何輌も歩かされた。この間、日本なら案内する人がいるはず)

大汗かいてようやく着席しても、子供が野放しで大騒ぎしても親は無関心(これは新幹線に限らないけど)
社内のトイレが少々臭い・・・ハードはいいのに、なにもかも悪い印象をもってしまった。

 香港に「侵入」して作られた「中国」側のイミグレーションまで来て、またストレスを感じた。
磨き切れず「ざらつい」ているだけでなく、うっすらと怖さを感じさせる規制と監視の中国がそこにあった。

そしてほんの10メートルほどで、「香港」のイミグレーションで、
ぼくだけではなく、多くの旅行者はホッとしたはずだ。「自由の世界に戻ってこれた!」という感じだろうか。
イギリス、西欧のマナーを心得た「香港」はどこか洗練されていると感じた。


 

 

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地獄から天国に連れ出してくれた人たちに感謝

2018年10月16日 12時52分46秒 | コンサート

秋のファミリーコンサートが終わった。  チェロのソロだらけのスドラビンスキー「火の鳥」をサブにした演奏会がようやく終わったのだ。

 

 この5ヶ月を振り返ると、メインのドボルザーク交響曲第8番という大曲よりも、サブで取り上げたストラビンスキーの組曲「火の鳥」の中の「皇女達のロンド」に出てくるたった2小節のソロに恐怖感すら感じるほど悩まされてきた。

 最近はオケの他の曲やアンサンブルでは、そこそこ弾けていると自信も感じ始めていたのだけど「皇女のロンド」だけは、どうにも苦手で上手く弾けなかった。

  音程の悪さもさることながら、曲想全体との繋がりが切れてしまい、チェロはあきらかにお荷物になっていた。

   だからこそ、弦楽器パートだけでなく、色んなパートの方から、励ましやらアドバイスをもらってきたし、師匠による特訓もしていただいた。今回客演指揮者の吉田悟さんもさぞかし我慢をされていたのだろうと思う。

  努力はしてきたのに、本番3時間前のステージリハでも不安定な音を出してしまい、本番直前の舞台ソデでも「励まし」やらアドバイスをもらっていたありさまだった。

オケのメンバーが不安を抱えたままで始まった本番の全てのプログラムが終わり、指揮者が一旦退場した。鳴り止まぬ拍手の中 再び指揮者が舞台に戻ると、観衆の拍手に応えるように、ソロで活躍したプレーヤーを指名してゆく。

 大活躍したフルートトップ、フルート全員。オーボエ、ファゴットトップで、トランペットトップ、金管全体ティンパニー、パーカッション・・その間拍手が続いている。

   ここらあたりは、クラシック演奏会の「お決まり」の手順で「面倒くせーなー」とか「手が疲れて迷惑だよな」などと思ったこともあった。音楽の流れが分かり、感動的な演奏を経験したあとからは、ソリスト達の努力や 本番でのパフォーマンスを讃えたい聴衆に代わって指揮者がプレーヤーを指名し、喝采を贈っているんだと理解できるようになった。

   管楽器、打楽器への拍手が終わったところで、コンサートミストレスを指名し、その後は弦楽器全員が立ち上がって拍手は終わりアンコールへと移るのが普通だった。 

  ところが、今回ちょっとありえないことが起きた。

指揮台の左手でコンミスと握手した指揮者が全員を立たせるのではなく、右に振り返り、指揮台を横切って、ニコニコしながらチェロの方かに向かってくるではないか。

ま、まさか・・目の前まで来てしまった。

 「ぼ、僕ですか」と言いながら、子供がするように、右手人差し指で鼻の頭を指すと、笑顔でうなづかれたので、驚きながらもすごすごと立ち上がっていた。

   指揮者が両手で「あなたです」と指し示してくれたことは本当に意外だったけど、いろいろ御託を並べたクセに、照れ臭くもあったが、大変嬉しく、心から光栄な瞬間だった。いつも個人で指名される管楽器の人たちは、こんな栄誉の瞬間を経験してたんだとはっきりと感じた。

  いろんな思いも浮かんでたけど、人生で初めての、有終の美を飾る瞬間と思われた。ひどいソロに付き合い黙って指揮を続けてくれた指揮者殿、ひでーソロの隣で誰よりも忍耐を強いたしまった師匠殿、心労をかけた団員全員、そしてこのような場所に引き込んでくれたパートリーダーにも感謝しながら、拍手の中着席したのだった。

 閉幕後、複数の団員から「本番が一番良かったよ」とフィードバックをいただいたこともあり、指揮者も「苦労した甲斐があったね」という思いやりを示してくれたのだと指揮者にお礼を言いたい気分だった。

 初めて会場まで聞きに来てくれた、かつての記者仲間が「パーシーフェースみたいだったぜ」と漏らしたのは、我々の年代にしかわらかない、最上位のはお褒めの言葉だった。  ファミリーコンサートという、映画音楽やポピュラーを交えたコンサートへの賛同ともいえる。ありがたいことだ。 

 多くの方々の心配と支援のおかげで乗り切れた本番だったし、自分の力にもなったソロ体験だったが、この経験を今後に生かしていきたいと思う。

●2018年10月18日、香港のホテルinn hotel honkongにて筆

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チェロの「脱力」の本当の意味

2018年10月09日 23時17分13秒 | レッスン

チェロ師匠のレッスンに復帰したことで、分かってきたことが沢山ある。
11年前、師匠に教わり始めたころから3年間は、解放弦でのボーイングしかやらせてもらえなかった。
常に「力を抜いて」「楽に弾いて」と、「脱力」だけには厳しい指導をしてもらったが
今にして、ようやく チェロの全ての技術が「脱力」の一点でつながり、大きな意味を持っていることを実感できるようになってきた。

脱力するということは、呼吸を楽にし、肩の力を抜き、弓を持つ右手の力みを解放し、
ネックを持つ左手の力を抜き、弓を押さえつけず、力まずにボーイングすること。

では「脱力」は何のためにするの?と改めて問うてみると・・・
今までは「体を楽にするため」とか「年齢を重ねてもチェロを続けられるため」
という風に受け止めてきたが 全く違っていた。それは大いなる勘違いだったのだ。

答えは、脱力とは「豊かに美しく、朗々とチェロを演奏をするため」ということ。
なぜそうなるかを 簡潔に説明するのはが難しい。
11年かかって「脱力」が全ての技術に繋がっているベースだと感じられてきた段階なので・・

逆に「脱力しないと」と何が問題になるかを説明できそうだ

脱力しないと、まず弓が弦に押し付けられるので、音が汚くなる
脱力しないと、毛が弦を噛まないので、上滑りになる、大きい音が出ない
脱力しないと、弓を返す時に、弓が弦に弾かれてしまい、噛んでいた毛が外れてしまう
脱力しないと、握りしめた弓では大きく鳴らせない(振幅が出ない)
脱力しないと、ボーイングの弾き始めで押し付けるので、不要なアクセントが出る
脱力しないと、ボーイングの速度が一定にならない
脱力しないと、ネックを握りしめるので、左手の運動が自由にならない
脱力しないと、左手が硬くなり、ビブラートが大きくかからない
脱力しないと、結局チェロそのものが”萎縮”して鳴らなくなってゆく

書き連ねればまだまだあるのだが、要するに「脱力」した状態で演奏ができないと
使い物にならないチェロ演奏になるし、チェロそのものもますます鳴らなくなるのだ。
今思うのは「脱力」の核心部分は、力を抜かないと『毛が弦を噛まなくなる』ことだ。

さて、これまで気づかなかったことに気づけた理由には、10年のキャリアもあるが
はっきりと、脱力の意味を感じた瞬間があった。
それはレッスンで仮称 ”ピノキオ奏法” を体験したときかもしれない。

レッスンの前半では、師匠があの手この手で脱力をさせようとしてくれ、おかげで
ようやく全身から力が抜け、僕が弓を軽く構えてG線に置いたときのことだった。
師匠が突然、僕の右ひじを軽く押したのだ(なんとなく放り投げられた感覚だった)
すると肩から下の腕全体が左にさっと動き、チェロが大きな音で鳴った。
弓が自然に止まったところで、今度は肘の内側を押し返したら、またチェロが大きく鳴った。
つまり、自然なアップボーイングとダウンボ-イングが出来たのだった。

自分は軽く弓を持って構え、弓にほとんど圧力を加えていないのに、
弓の毛が、弦を咥えて行ったり来たりしているだけで チェロが豊かに鳴っている。
「ゼペット爺さん」に操られている「ピノキオ」になった気分で不思議だった。

その後、オケやアンサンブルで”ピノキオ奏法”から学んだ脱力を少しずつ取り入れてみているが
Vnなどの方から、いい音がするようになったと漏れ聞くと嬉しくなる。 

しかしながら、今週末に迫ったオケのコンサートではそんな気づきも通用しない事態に陥っている。

大好きなドボルザークの交響曲第8番などは何とか演奏できまでこぎつけたものの
最後に演奏するストラビンスキーの組曲「火の鳥」には、チェロのソロ部分が多く
今回はトップとして演奏しなければならないが、特に「皇女たちのロンド」では、
美しいオーボエとファゴットに挟まれたソロが不出来で、四苦八苦している。
(オケメンバー全体がチェロを心配しているのがヒシヒシと感じられる・・・)

さすがに見るに見かねているのだろう。これまで、基本練習しかしてくれなかった師匠も
「ソロの練習しましょうか」と言ってくれ、火の鳥の「皇女」のソロの特別指導をしてくれた。

とはいえ大師匠のこと、表現がどうの フレーズがどうのという「細かいこと」ではなく、
ひたすらに弾き始めの2音のみについて「本質的なこと」だけを、丸1時間徹底指導してくれた。

これは大変ありがたいレッスンだったが、その結果分かったのも「脱力」の徹底だった。
要約すると教えていただいたことは下記のようなことだったと思う。
1)肩から左親指までを楽にすることで、ポジション移動が手先ではなく腕先行ができるようになる
2)その結果、指先の重みがスムースに移動する事で、音色が見違えるほど変化する事を実感
3)脱力したボーイングで弾くことで、フレーズをゆっくり始められ、その後の速度も安定(一定)する
4)腕先行のポジション移動で余裕が生まれ、第3音をしっかり叩け、その後も落ち着いて演奏できる

理解したということと、「できる」ことは違うことは百も承知だが、今は実感も伴ってきている。
オケのメンバーも不安に思っているこの「皇女のロンド」部分を残り4日徹底してやってみたい。

みんなが安心し、師匠にも恥をかかせない演奏会になりますように!(祈り?)

 

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感動の「学童保育」クァルテット

2018年08月30日 23時52分53秒 | アンサンブル

オケのVn嬢から「学童保育の子供たちに演奏聞かせたい」と弦楽四重奏に誘われた。

「学童保育」の意味も分からないまま(時代が違うので)二つ返事でOKし、
初見でも弾けるという8曲ほどを一度だけ合わせたあと、本番当日を迎えた。

「せいぜい5~6人の女の子だろうな~」なんて思っていたら、
学童保育の先生から「50人くらいでしょうか」と教えられびっくり、
案内された教室二つ分程のホールには舞台があり、その上で演奏するといわれてまたびっくり。

ほんの少しだけ時間があったので、リハーサルめいた事をしてみると、
分厚いカーテンで囲われた舞台は 音がこもって客席に届きにくいとがわかった。
お互いの音が聞こえにくくなり、アイコンタクトもしにくい心配はあったけど、
普通のクァルテット並びを止め、舞台の縁ギリギリに、横一線並びで演奏することにした

時間になると、建物のどこかで待機していた子供たちが、整列して一斉に入場してきた。
学年も性別もまちまちの、数十人の「体育座り」の子供たちで、床の半分が埋まった。

先生のご挨拶のあと演奏を開始。
1曲目は「ハンガリー舞曲第5番」、元気よくスタート。会場は静かで、真剣に聞いてくれた。
2曲目「G線上のアリア」に入ると、小さな女の子が一人立ち上がり、先生に何か言ってホールを出ていった。
 曲の後半になると、女の子につられるように、立ち上がり、出てゆく子供が増えだした。
「きっとトイレだよな~」
「もう飽きちゃったかな~」とちょっとだけ不安。

3曲目「大きな古時計」は楽器紹介を兼ねて、各楽器のソロをつないでゆくのだが
学童保育の先生をやっているVn嬢が「みんな~この楽器わかるかな」と聞くと
子供たちから一斉に「バヨリン!」と元気な声がかえってきた。
「バイオリンは、ファースト、セカンドの2本です。ではこの楽器は」とビオラを示すと
「サードバヨリン」と元気な声。
なんだか嬉しくなる答えだった。
結局ビオラを知る子供はいなかった。

プログラム後半のディズニーメドレーに入ったところで「事故」が起きた。
当日追加した「小さな世界」がバラバラな感じになり、ストップし、真ん中辺からリスタートした。
子供たちの落ち着きない様子が気になり、集中力が欠けてきたのが原因だと心の中で反省した。

終盤は久石譲のジブリ作品。
「海の見える街」から、「SANPO」に移ったら会場から歌い声が沸き上がってきた。
「🎵  あるこう   あるこう   わたしはげんき🎵 」
転調しても全力で声を合わせて付いてくる子供たちの合唱に、もう泣きそう。

演奏終了し、歓声と拍手に包まれ「これで演奏会もなんとか元気いっぱいに終われたな~」と思っていたら、
あっという間に「アンコール、アンコール」の大合唱に。
さっき失敗してしまった「小さな世界」を演奏すると、子供たちも歌ってくれた。

あんまり嬉しいので、演奏後チェロを抱えて舞台を降りると、子供たちが突進してきた。
バイオリン嬢も、ビオラ嬢も子供たちに取り囲まれている。
身動きが取れなくなり「こりゃ収拾つかないかも、どうしよう・・・」思ったのもつかの間
5~6人、長いと10人位の行列がつくられ、
楽器を鳴らし終えると、次の子供に弓が手渡されてゆくのだった。

日本の子供たちの秩序意識レベルの高さ、児童教育の見事さに またも感動した。
ほとんどの子が、初めてのボーイングなのに、良い音出すのにも驚いたけど。
(チェロってこんなに易しい楽器だったんだ・・)

いよいよ解散かと思ったら、子供たち全員が整列して、手作りの花束贈呈式をしてくれた。
(こんなの定年退職以来の経験なんで、どぎまぎ)

忘れていたこの感覚は、遠い昔をも思い出させてくれた。
幼稚園や小学校では、お客さんをこうやっておもてなしし、送り出していたよな~と。
子供たちに、保育の先生方に・・・素晴らしい時間をありがとう
と感謝し、何度も思い出しながら帰宅したのだった。

さて、あれから2~3日経っているけど、会場の端っこで録音したLiveを今日も聞いてしまった。
いつもの練習録音は、聴きたくないけど次の演奏に生かすために聴いている。今回は全然違う。
楽しい時間を思い出したくて、学童たちが全力で歌っている「SANPO」を聞くのが嬉しくて
バランスも悪く、雑音も入っているけど、Live録音を聞いてしまう。

こんな感動の演奏会なら、お金を払ってでもやらせていただきたいと思う。

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レベルアップしたアンサンブルレッスン

2018年03月15日 16時06分29秒 | アンサンブル

 この冬のアンサンブルコンサートでは シューベルトの弦楽四重奏曲「ロザムンデ」の第1楽章を演奏した。
僕らにはかなり背伸びしたチャレンジだったが レッスンで指導をお願いした師匠からは
「まあ、まあ、まあ、このレベルで演奏できたなら・・・」とぎりぎりの評価をもらった。

 次のアンコンに向けて何を演奏しようかと4人で相談しているころに 師匠から教え子たちとの発表会に誘われた。
”うちわ”での演奏会とはいえ オケのメンバーやベテランの皆さんなど耳の肥えた人たちの前で演奏するのは、かえって大変かもしれない。

発表会では何を演奏しようかと悩んだ末、「ロザムンデ」は何とか通せたレベルの演奏だったかもしれないが、
半年以上取り組んできたので、同じく第1楽章を選び直すことにした。


   <いつも勉強に使わせてもらった Carmina Quartet のアルバム>

その後 何回か4人で合わせの練習をしてみたが、アンコンのレベル以上に前に進んでゆく気がしない。
向上感より行き止まり感かな、本番が終わって緊張感がなくなったのか、慣れ、飽きもあったのかもしれない。

そんな中で久しぶりにアンサンブルレッスンでは、驚きと発見の連続で、雲が晴れるような感覚を持つことができた。

 今思えばアンコン前の師匠のレッスンは医者にたとえれば「町医者」風で、患者を励まし安心させるのが中心だったかもしれない。
それが、今回のレッスンは手詰まり感を察するように「大学病院の専門医」のように 気付きにくい患部を鋭く突いてこられた。
ちょうど外科医が一つ一つの臓器を腑分けし、取り出し、治療してゆくようなアプローチだった。

「一つ一つの臓器」というのは、「ロザムンデ」という楽曲が「体全体」とすると
楽曲の各部分をどのように演奏するかとか、バイオリン、ビオラ、チェロという各パートの役割や位置付け、
弦楽器を演奏する基本技術の再確認など、様々な角度から光をあててくれ、音楽の奥行の深さを感じさせていただいた。

 音楽的な面での曲の解釈や表現のことも沢山示唆をいただいたが、ここでは今までないがしろにしてきた
演奏技術や、考え方について、教えていただいたことを書き出しておこうと思う。


◯弓の速さ
・音の長さは同じでも、弓の速度で音楽は全く変わってしまう。ついつい慣れ親しんだ速度になってしまう。
・以前から弓の速度については何度も指摘されてきたが4人の弓の速度がバラバラなのはダメなんだよね。
◯弓と左指の関係
・これも癖かもしれないが、移弦と左指押さえの順番は、きちんと移弦してから指を押さえ直すようにしないとちゃんと音が出ないということ。
・演奏速度に追いつこうと、いつの間にかきっちりとした移弦を怠ってきたのかもしれない。
◯数え方
・まずは数えるのをサボっていることが多く、音楽の流れのままに弾いているだけだと、アンサンブルが合わなくなる。
・次に人による数え方の違いがあることが指摘される。いわゆる”グルーブ”の感じ方の違いを合わせないとアンサンブルにならない。
・4拍を、4音目から数えるのと、ただ1泊目から数えるのでは違ってしまうことも実感した。
◯スタッカートの表現
・スタッカートといえども、一様の弾き方ではなく、音の間は切っていても音の量はもっと沢山必要。
・弦に圧力をかけはじく、というプロセスばかりでは破裂音は出ても、音楽として使える音が出てるとは言えない。
◯強弱の表現
・pはただ弱ければいいわけじゃない
・ppだからといっても、消えてしまっては音楽にならないし、特に自分がメロディーの時はハッキリ出さないとダメ。
◯音の長さ(の調和)
・連続した三連譜の後に四分音符があるときは、三連譜と同じ長さで演奏する事。あたり前なんだけどやれてない。
・とりわけ譜面上の音符に機械的に合わせてもだめで、実際にアンサンブルで合わせるときは、メロディーや他の楽器に合わせないとだめだよね。
◯楽譜の細部の読み違いの指摘
・半音違ったまま覚えてしまった部分などは自分では気が付かない。メンバーだってその音に慣れてしまっている部分をえぐり出してもらった。
・案外見過ごしているのが、八分音符の連続のあとの四分音符、あるいはその逆のケース。
・速い三連譜を一音一音確認、八分音符と四分音符の長さを正確に弾くことも練習した。
◯無意識の演奏上の癖の修正
・変なアクセントを付けていたり、無意識にリットしてたり、
・長音の後半になんとなくデクレッシェンドしてたり、やはり長音の後半を端折ったりも気づかなかった。

 こんな風に、あらゆるところで「ただ弾けばいいってものじゃないよ」とダメ出しを受けた。
 楽譜を見て機械的に演奏しても音楽にならないんだよね。
もしかしたら オーケストラの一員として常に合奏に参加していると一音一音の意味や味わいを表現するより、
楽譜「通り」に弾くことや、音の厚みに寄与する事や、「全体で良ければ」という甘えに陥っていたのかもしれない。
そんな「適当」な部分が全てあぶり出されるのがアンサンブル、特に弦楽四重奏なのだ。

今回のレッスンでは、今までは「見逃してくれていた」部分にメスを入れ、やり直させてくれるという手間を掛けてくれた。
明らかに、従来のレッスンとは違って ワンランクアップした段階に入ったと感じさせるアプローチだった。

でも、なぜ師匠のレッスンがヴァージョンアップしたのだろう。
プロの音楽家がちょっとだけアクセルを踏み込んだだけなのかもしれないが・・・
教え子の発表会だから「丁寧に指導」などということは考えにくい・・・
僕らの技量が指導に足りるだけ上がったから・・・これも考えにくい、というかそんなレベルではない。

プロが本気を出してシフトアップする時というのは、「相手の本気度」との関数であることが多いものだ。
とすると、僕らが半年以上 真面目にロザムンデに取り組んだ姿勢が師匠の何かを動かしたのかもしれない。
いや、もしかしたらいつまでも抜け出せない迷路にいる我々を、憐れんで手を出してしまったのかもね。

それはそれで おおいにありがたいことだ。

気を抜かずがんばってゆこうと思う。

 

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ブルックナーでつい夢の中に・・・

2018年02月26日 19時15分52秒 | コンサート

東京アマデウス管弦楽団の演奏会があった。ブルックナーの交響曲第4番「ロマンチック」がメイン。

前プロにウェーバーの「オイリアンテ」、2曲目がベートーヴェンの「交響曲第8番」。
オイリアンテとロマンチックは市原フィルで乗せてもらった事があるので楽しみ。

 ベートーヴェン8番を演奏会で聴くのは初めてだった。
有名な7番とも9番とも何だか感じが違うけど、やっぱりベートーヴェンだった。
おそらく東京アマデウスの音色が全体でベートーヴェンに合致しているのではないか。
何度も感心していたのは、木管楽器の融合した音色が素晴らしいこと。
Ob,Fl,Clの3つが合わさり澄み切った音色を響かせてくれる。
いや木管ばかりではない、Tp,Hrも 弦だってベートーヴェンしてるんだよな~。
アマデウスはドイツ音楽を中心に演奏してきたという楽団。

こうした音色はなかなかアマチュアでは出ない。

 

 前半は最前列で “音が頭上から降ってくる” ようだったので、休憩後は会場後部席に移ってみた。

やはり前方と後ろでは違うんだね。
前だと弦楽器の音に包まれる感じはいいんだけど、なんだか音のレンジが広くてまとまらない。
後方から聞くとオーケストラとしての演奏が一かたまりになって前方から届けられる感じ。
曲を全体として鑑賞するには真ん中より後ろの方がいいようだ。

 聞きたかった「ロマンチック」が始まった。
静かに広がる さざ波の様な弦のトレモロの中から、何者かが立ち上がるようにホルンソロが始まる。

「すばらしい!」

Hr奏者にとっても、オケ全員にとっても緊張する箇所を突破した。
このHr奏者は名手だ。その後もHrが素晴らしい音色でオケをリードし、支えていった。

 第1楽章で改め感じた事。
ブルックナーはアメリカハリウッドの映画音楽に相当な影響を与えているのではないか。
激しいところや荘厳な感じのところは、大スクリーンのスペクタクルものに取り入れられているし、
弦の優しいメロディーは、恋人同士のロマンスを感じさせる。
ブルックナーの時代に映画は無かったはずだけど、マーラーやラフマニノフを経由して伝わったのかな~・・・

2楽章に入りVnの助走に続いて、チェロがandanteの静かなメロディーを奏で始めた。
一度高まり 静まると思わせて また高まって また静まる。こうして揺られたあと、
もう一段の高みへとA線を駆け上ってハイトーンのC音に至る。

綺麗だ。

そのあとホルンやトランペットの静かな「相づち」があって、今度はビオラが同じメロディーを奏で始める。

 「ブルックナー休止」と言われる全休止と 静かな再開が とても味わい深い。
アンダンテで そぞろ歩くよなテンポが心地いい。
JAZZでは「ウォーキングベース」は4ビートなんだけど、オケの「ウォーキングベース」は
コントラバスの2ビート。オケの背後で”歩み続ける”その一歩一歩がなんだかとても嬉しい。

ブルックナーは繰り返しが多い気がするけど、単なる繰り返しではなく、
オケの各所が絶妙に役割交代をしながら、リフレーンしていく。

でもこの心地良い繰り返しに居眠りしない人がいるんだろうか・・・

「晴れ着の若い女性が、縄で縛られて、姥捨て山のようなさびれた窪地に引き立てられゆく。
『お前はこのまま飢え死にするか、その前に鳥にその身をついばまれるがよい』と打ち捨てられた。
 上空から髪の毛をかすめたカラスに 左目をつつかれた ぎゃー!・・・」

その瞬間、オケが高鳴り、気づいたら音楽ホールに座っていた。
なんだ夢だったのか・・・ブルックナーに不吉なメッセージは含まれてたかな~

すると、オケは全休止し、静かなピッチカートでまた歩き出した。
バイオリン属のピッチカート、コントラバスの歩み、こりゃ心地良くてたまらん。
永遠に繰り返してほしいものだ・・・

「針金でできた大きな鳥かごの様な映像が現れ、そこからきらめく光が解き放たれて・・」
気が付くと、金管のコラールが大音響で始まっていた。
また落ちたのね。

こうして第2楽章は終曲へ向かっていった。
すばらしい2楽章を創ってくれたブルックナーと、東京アマデウスに感謝。

無論その後3楽章も、4楽章も素晴らしかったけど、2楽章の「夢幻」の世界が印象に残った。
こういう演奏会もあっていいか。

それだけ東京アマデウスの音色が美しく 心地よかったということだよね。

 

 

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