酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「プラネタリウムのふたご」~優しいカタルシスに心が濡れた

2024-03-27 22:10:02 | 読書
 寺田農さんが亡くなった。夕方に再放送していた「青春とはなんだ」が出会いで、若き寺田さんは不良学生役を演じていた。ウィレム・デフォーと雰囲気が似た寺田さんは映画やドラマで際立った存在感を示してきた。記憶に残るのは主演を務めた「肉弾」(岡本喜八監督)と「ラブホテル」(相米慎二監督)である。「割れ目でポン」で勝っているように麻雀好きで、Vシネマ「闘牌伝アカギ」での悪徳刑事役も印象に残っている。個性派の死を悼みたい。

 苛々するニュースばかりの昨今だが、心が優しく濡れる小説を読了した。いしいしんじ著「プラネタリウムのふたご」(2003年、講談社文庫)である。いしいの作品を紹介するのは5回目で、最初に読んだのは「悪声」(15年)だった。同作に石川淳と町田康を重ねたが、いしいワールドでは異質であり、他の小説に触れることで、宮沢賢治の世界に通底するファンタジー、メルヘンを描く作家であることに気付く。

 「プラネタリウムのふたご」の主人公は、プラネタリウムで解説員の泣き男に育てられている銀髪のふたごだ。母は2人を産んだ直後に亡くなっており、太陽の周りを33年周期で回るテンペルタットル彗星から、それぞれテンペル、タットルと名付けられた。小説の評価は現在、<多様性>と<共生>という物差しで測られるが、いしいは20年前、時代の空気を先取りしていた。自然描写の精緻さに環境へのオマージュが窺え、スピリチュアルな志向を象徴するのは森で暮らす盲目の老婆だ。

 村にテオを座長にする手品師たちが公演に訪れる。いしい作品の登場人物は欠落の痛みと喪失の哀しみを纏っているが、ふたごだけでなく、かつて名優として名を馳せたテオ、腰から下がないうみがめ氏、兄貴、妹の座員たちも同様だ。テンペルは一座に加わり、村を出る。片や手品師、片やプラネタリウムの解説員と、ふたごは別の道を歩むことになる。

 いしいワールドでは動物が重要な役割を果たすことも多いが、本作では熊が物語に大きく関わっている。プラネタリウムでは泣き男がおおぐま座とこぐま座を繰り返し紹介しているし、村では熊狩りが許される時季がお祭り騒ぎになる。山は村人にとって聖なる場所で、工場用地拡大の動きがあった時、タットルは熊を守るため一計を案じる。一方のテンペルは一座の熊パイプと心を通わせ、感動的なラストのカタルシスに至る。

 プラネタリウムを見上げることで永遠を知ることが出来、時空を超えた人々の共生を意味する。タックルは郵便配達夫を務めているが、手紙やハガキは心を繋げることであることを意識している。テオ一座は少しずつメンバーが減っていくが、テンペルが座長になると、演し物はストーリー性のあるイリュージョンになる。記憶や思い出を紡がれた観客たちは深い感動を味わうことになる。

 手品には仕掛けがあり、プラネタリウムの星たちは現在の姿ではない。でも、不可視の優しさが世界をつくっている。本作でタットルがプラネタリウムで闇の意味を説く場面が印象的だ。<宇宙に存在する質量の3分の2は真空、すなわちくらやみ>だと……。そのことに気付けば、生きる意味に近づけるような気がした。

 肝台詞というべきは「だまされることは、だいたいにおいて間抜けだ。ただしかし、だまされる才覚がひとにないと、この世はかさっかさの、笑いもなにもない、どんづまりの世界になってしまう」だ。プラネタリウムも手品も幻影だが、その影にある光の粒を読者は追い求める。不幸な事件の後、タットルは自責の念に駆られ、テンペルの後継者に妹から貰った知恵の輪を渡す。テンペルは水に姿を変えたと伝えて……。

 読了して、俺の目からも熱い水が溢れ出た。そして、思った。これほどの作品を発表しているいしいしんじが、世間的になぜ無名なのかと。自信をもってお薦め出来る作家である。本作は音楽劇になり、DVD化されている。機会があったら見てみたい。
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「COUNT ME IN 魂のリズム」~ビートに心を刻まれた

2024-03-23 22:38:55 | 映画、ドラマ
 養護施設で暮らす母に面会するため1泊2日で京都に帰った。1927年生まれの母は97歳。すっかり萎んでしまったが、担当者たちの手厚い介護で無事に過ごしている。〝放蕩息子〟は母、亡き父と妹によって生き長らえていることをあらためて実感出来た。いつも通り住職である従兄宅に泊まったが、雪交じりの気候に、「こんなに寒い彼岸は記憶にない」と話していた。

 新宿シネマカリテで先日、「COUNT ME IN 魂のリズム」(2021年、マーク・ロー監督)を見た。21人のドラマーたちが語る熱い思いが胸に刻まれる秀逸なドキュメンタリーだ。併せてWOWOWで放映された「セッション」(2014年、デイミアン・チャゼル監督)の感想を簡単に。バディ・リッチを目指してシェイファー音楽院で学ぶニーマンは、学院最高の指導者であるトレッチャー率いるスタジオバンドのドラマーになる。

 〝無能な奴はロックをやれ〟なんて貼り紙があるように、ジャズ界はロックを一段下に見ているのだろう。トレッチャーのしごきに耐えて主奏者になったニーマンだが、不幸な事故もあり、学院から去ることになる。行き過ぎた指導で職を辞したトレッチャーと再会してバンドに呼ばれるが、それは策略だった。ラストで自分を無視してバンドを主導したニーマンを罵倒するトレッチャーだが、不思議な表情を浮かべる。父子の相克と重なる人間ドラマだった。

 なぜ「セッション」を紹介したかといえば、「魂のリズム」と通じる部分があるからだ。作品中で紹介されているドラマーの多くは、上記のバディ・リッチやアート・ブレイキーらに影響を受けている。ジャズのテクニックをロックに導入したのはジンジャー・ベイカーだった。ジャズを学んだリンゴ・スターとチャーリー・ワッツはビートルズとストーンズで地味なメンバーだったが、証言者はバンドを支えていたのは彼らだったと語る。

 2度にわたって紹介されていたのがザ・フーのキース・ムーンだ。天衣無縫なドラミングで絶大な影響を誇ったが、キースは楽曲と歌詞に注意を払い、バンドのアンサンブルを際立たせる役割を担っていたとジム・ケルトナーは分析していた。映画「BLUE GIANT」で玉田がジャズドラム教室に通っている時、才能豊かな少女が「キース・ムーンになりたい」と話していた。ジャンルは違うが、テクニックを超越するキースは憧れのドラマーなのだろう。

 トッパー・ヒードンはキースに憧れてクラッシュのメンバーになったが、「ドラマーが注目を浴びるというのは勘違いだった」と語っていた。フロントマンのジョー・ストラマーは「ヒードンはバンドの生命線だった。ドラマーが良くないグループは失敗してシーンから消える」と証言している。ドラマーの価値を再認識させられる言葉だった。

 多くのドラマーが憧れたツェッペリンのジョン・ボーナム(ボンゾ)はパワーとテクニックを兼ね備えていたが、ボンゾについては逸話がある。1972年の2度目の来日時、級友たち数人は大阪フェスティバルホール、京都会館でのライブに足を運んだ。大阪でのライブは最高だったが、翌日の京都は時間も短く出来も最悪だった。ボンゾは京都のホテルで女性従業員を襲い、何とか示談で収めたが、演奏どころではなかったという。あくまでも噂で、真相はわからないが……。

 証言者たちの多くが子供の頃からドラマーを夢見ていたことは、ホームムービーの映像からもわかる。鍋をナイフで叩いているシーンが微笑ましい。英米ではロックが文化として定着していることが窺える。聴く側はポップとかヘビメタとかニューウェーブとかジャンル分けしているが、ラストのセッションでも明らかなように、ドラマーたちが親しく交流している姿も感動的だった。俺など〝ロックファンOB〟だが、音楽を楽しむ意味を教えられた映画だった。
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ブレイディみかこ著「R·E·S·P·E·C·T リスペクト」~変革の起点は柔らかいアナキズム!

2024-03-19 22:32:47 | 読書
 棋王戦第4局は藤井聡太棋王(八冠)が伊藤匠七段を下し、3勝1持将棋で防衛を果たした。藤井が角替わりを拒否した△6二銀が棋界を震撼させているが、俺には意味がわからない。対藤井で10連敗となった伊藤だが、中1日で迎えた叡王戦挑決トーナメント決勝で永瀬拓矢九段を破り、またも藤井に挑む。まずは一つ勝ちたいところだろう。

 藤井はNHK杯決勝で佐々木勇気八段に大逆転され、連覇は成らなかった。研究が行き届いた指し手でリードを奪った佐々木だが、緩手(▲2二歩)が出てリードを許す。AI評価値98%と勝勢を築いた藤井だが、120手目の△5五角成が敗着で、形勢は一気に佐々木に傾いた。AIとの共存に成功した将棋がエンターテインメントであることを知らしめた歴史的対局だった。

 岸田内閣の支持率は各社に多少の違いはあれど20%前後だ。残念ながら日本で政権交代の予兆は感じないが、自民党と似たような状況にあるのが英保守党だ。スナク政権の支持率は20%で地方選挙でも低迷が続いており、年内に予定されている総選挙では労働党が政権を奪取するのは確実だ。背景を指摘するのは英国在住のブレイディみかこで、<財政緊縮でボロボロの英国 『行き過ぎた資本主義』が裏目に>と題された論考を「AERA」に寄稿した。

 英国の緊縮財政をテーマにした映画「わたしは、ダニエル・ブレイク」(2016年、ケン・ローチ監督)は心を揺さぶられる傑作だったが、同様の趣旨で書かれ、匹敵する感動を覚えた小説を読了した。上記のブレイディによる「R·E·S·P·E·C·T リスペクト」(2023年、筑摩書房)で、14年にロンドンで起きた占拠事件をモデルにしている。ブレイディの著書を紹介するのは「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」、「ヨーロッパ・コーリング・リターンズ」に続き3度目になる。

 若年層ホームレスのホステル(ザ・サンクチュアリ)に暮らすシングルマザーたちが区から退去命令を受けた。生活保護を受けている者には新住居は斡旋されない。そもそも普通の労働者の月収より民間住宅の賃料の方が高いのだ。白人のジェイド、黒人のギャビー、フィリピン系のシンディの3人が中心になってE15ローゼズというグループを結成し、無人の公営住宅を占拠する。ローズ(薔薇)は尊厳を表現する花である。

 リーダー格のジェイドは「ロンドンに必要なのはソーシャル・クレンジング(地域社会の浄化)ではなくソーシャル・ハウジング(公営住宅制度)」だと街頭で訴え、「私たちが求めているのはR·E·S·P·E·C·T――少しばかりのリスペクトです」とアピールを結ぶ。ちなみにジェイドの出産前の仕事は作者同様、保育士だった。

 保守党政権の緊縮財政で生活苦に喘ぐ人々の間で、E15ローゼズへの支持は広がっていく。1970~80年代、スクウォッティング(占拠運動)に関わった初老の女性ローズと彼女の恋人だったロブ、ローズの同志で現在は大学教員のパキスタン系の女性ナイラ、著名コメディアンで左派誌にコラムを連載しているラッセル、占拠地の修繕を引き受けるジャマイカ系のウィンストンらがE15ローゼズを支えていた。多様性を象徴する面々である。

 大手新聞社のロンドン駐在員の史奈子と元恋人の幸太が輪に加わり、日本と英国の違いが浮き彫りになっていく。史奈子はエリートで、幸太は極左系の雑誌にコネがあるアナキストだ。幸太はE15ローゼズの記事に感銘を覚え、クラウドファンディングで旅費を調達し、ロンドンに取材にやってくる。几帳面な史奈子と対照的に体当たりでコンタクトを取る幸太は占拠地で人気者になった。

 史奈子が見ているニュース映像で、ジェイドは「ロンドンは金持ちのディズニーランドになりつつある」と訴えていた。ロンドンだけでなく、世界の各都市でジェントリフィケーションが進行している。低所得層が暮らしている地域が再開発されてお洒落な街に生まれ変わり、もともとの住民は行き場を失っているのだ。

 幸太は「サポーターのネットワークが凄い」と占拠地の感想を語り、「アイ・アム・アナキスト」とロブに語ると「ミー・ツー」と返ってきた。「草の根の運動を引っ張っているのは女性」と直観的に話す幸太に、史奈子は<自分は事務所における男女の非対称の構図を甘受しているのではないか>という思いに沈む。

 福岡出身のブレイディは10代の頃からパンクロック、とりわけセックス・ピストルズに刺激を受けた。「アナーキー・イン・ザ・UK」の影響が強かったのか、幸太の思いはそのまま作者と重なる。「人間には支配された方が楽と考える部分があって、自ら進んで奴隷になりたがることもある。自分たちでやれることを示すのがアナキズムの実践。自分たちで出来ることをやらないと、権力者の支配は強くなる」……。幸太の言葉を聞いているうち、史奈子の中でケミストリーが起き、自分を変える決断をする。史奈子はそのままブレイディになるのだ。

 占拠地では金銭の介入がなく、所有の意識が希薄で、「あげる」が基盤になっている。昔ながらの公営住宅地のコミュニティースピリットとアナキズムの親和性は高いことにみんな気付いていく。占拠地で持ち寄ったのは物品だけでなく、知恵、情報、スキル、精神だった。シンディは「弱い者を守らなきゃならない時に人は強くなれる」との母の言葉を思い出した。ジェイドは運動を通じて<貧しさはお金がないことだけではなく、機会、自信、他者を信頼する勇気を失わせる>ことに思い至る。

 ジェイドはさらに、父親の辛そうな背中を思い出した。父親は生活保護を受けていることで恥の意識に苛まれ、自分を罵倒し、ゆっくり殺そうとしたのだと。父が奪われたのはR·E·S·P·E·C·T(尊厳)。そして、住まいは人の尊厳で、塒のない人に住まいを与えるのは人間の尊厳を守ることだと確信する。高揚期を過ぎたが、ローズ、ロブ、ナイラ、ウィンストンとともにE15ローゼズは運動を続ける。ジェイドはサフラジズム(女性参政権運動)、反戦、反ファシズム、反貧困に関わったシルビア・パンクファーストが見守ってくれているように感じた。

 ちりばめられた音楽がリズムになり、スイスイ読み進めた。胸を焦がされたので長々と書いてしまう。アナキズムは本来、自由で柔らかく、変革の起点になると確信した。
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「落下の解剖学」~真実と事実の狭間を彷徨う法廷劇

2024-03-15 22:28:55 | 映画、ドラマ
 将棋ファンは誰が藤井聡太八冠を倒すのかに関心を持っている。竜王戦、棋王戦の挑戦者になり、叡王戦の挑戦者決定トーナメント決勝で永瀬拓矢九段と戦う同学年(21歳)の伊藤匠七段、C級1組への昇級を決めた18歳の藤本渚五段に注目が集まるのは当然だが、〝地獄の奨励会三段リーグ〟を14勝4敗で突破して新四段になったのは、ともに年齢制限が迫った25歳の山川泰煕、24歳の高橋佑二郎の2人である。

 山川は「モノクロームの日々だった」と振り返り、高橋は昇段後に溢れる涙を拭っていた。遅咲きといえる両者だが、山川を上記の永瀬が、高橋を佐々木勇気八段が研究会に誘って後押ししていた。勝者と敗者が明暗をくっきり分ける将棋界の常だが、だからこそ先輩が苦しんでいる後輩に手を差し伸べる〝美風〟が残っていることを感じさせるエピソードである。

 カンヌ映画祭でパルムドールに輝き、アカデミー賞でも脚本賞を受賞した「落下の解剖学」(2023年、ジュスティーヌ・トリエ監督)を新宿で見た。ある男の転落死を巡るサスペンスで、法廷を舞台にしたフランス映画といえば「サントメール ある被告」が記憶に新しい。本作との共通点は、<事実と真実の境界>が次第に曖昧になることだ。

 雪山の山荘に、改築に取り組む教員のサミュエル(サミュエル・タイス)、流行作家のサンドラ(サンドラ・ヒュラー)、視覚障害を抱えるダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)の家族3人と犬のスヌープが暮らしている。ちなみに山荘がある場所はサミュエルの生まれ故郷でもある。階段を落ちてくるボールをスヌープが追いかけたり、散歩に出たダニエルが投げ捨てた枝をスヌープが拾ったりと、〝落下〟のイメージが犬目線で挿入されていた。ダニエルと山荘に戻ったスヌープが、雪道に横たわるサミュエルの転落死体を発見する。

 事故か、自殺か、殺人か……。これが本作のキャッチフレーズだが、後半に進むにつれて法廷がメーンになると、〝家族の解剖学〟の様相を呈していく。冒頭で女子学生がサンドラのインタビューに訪れていたが、最上階で作業するサミュエルが爆音で50セントのインスツルメント盤を流していた。歌詞は女性蔑視的表現に溢れている。サンドラがバイセクシュアルであることが明らかになり、検事(アントワーヌ・レナルツ)は<サミュエルは妻が女子大生を誘惑する邪魔をしたのではないか>と推論を提示する。

 殺人罪で起訴されたサンドラの弁護を旧知のヴァンサン(スワン・アルロー)が買って出る。ヴァンサンは若い頃に一目惚れしたが、サンドラは出会いの時を覚えていないと語る。縮まりそうで縮まらない両者の距離を象徴するのは、サンドラがヴァンサンに「動物に似ていない人は信じない」と話すシーンだ。作家としての感覚が窺える言葉であり、犬のスヌープがストーリーで大きな役割を果たしていることを暗示していた。

 本作の軸になっているのは、サミュエルとサンドラの夫婦関係だ。ドイツ人のサンドラとフランス人のサミュエルは英語で会話する。サンドラは作家として成功し、サミュエルは挫折した。さらに、ダニエルが事故に遭って視覚障害を抱えたのも、自分がヘルパーに運転を頼んだからという悔いがある。証拠として提出された事件前日の口論を録音したテープにも夫婦の深い溝が刻まれているが、サンドラがサミュエルを殺したという確証はない。

 冷徹に事実を見据えるべき検事が、自分なりの〝真実〟にからめとられ、サンドラの小説に言及し始める。弁護団に「小説と本人を重ねるなら、スティーヴン・キングは連続殺人犯だ」と反論され、引き下がる。<真実は一つではなく、個人の数だけ存在する>という陥穽に取り込まれたのだ。

 ハイライトといえば、最後にダニエルが証言するシーンだ。父母の闇を知らされたダニエルだが1年間で成長し、自らの言葉で〝真実〟を語る。体調を崩したスヌープを連れて病院に向かう車中、サミュエルは自らとスヌープを重ねるようにして息子に人生を説く。スヌープはダニエルの盲導犬と感じていたが、サミュエルの〝化身〟であったことに気付く。

 ラストでは帰宅してソファに寝そべるサンドラを癒やすようにスヌープが横たわる。本作の主役はスヌープだったのか……。もう一度見たら、別の構図が浮き上がってくるかもしれない。
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井上ひさし著「十二人の手紙」にちりばめられた真情とフェイク

2024-03-11 21:22:03 | 読書
 東日本大震災から13年が経った。3・11は俺の人生を公私とも大きく変える。反原発運動に取り組むきっかけになったし、被災地にも何度か足を運んだ。国の貌が変わることを期待したが、現実を見据えると暗澹たる気分になる。原発事故被害者への公的支援は次々に打ち切られ、生活困窮、環境汚染、地域社会の分断が進んでいる。日本政府は気候危機への対策を名目に、再生可能エネルギーの拡大を阻害する原発の再稼働を邁進しているのだ。

 最寄り駅近くの本屋で平積みされていた「十二人の手紙」(中公文庫)を読了した。井上ひさしが1978年に発表した13編からなる連作ミステリー短編集で、<隠された名作ミステリ どんでん返しの見本市だ!>の帯が本作を言い当てている。芝居に興味がない俺は井上と縁がなく、読んだのは小説「吉里吉里人」、戯曲「円生と志ん生」に次いで本作が3作目だ。

 タイトル通り、全編が手紙で進行する。♯1「プロローグ 悪魔」が起点になっており、♯1のみならず12編の登場人物が♯13「エピローグ 人質」で一堂に会する。1978年といえば俺が上京して1年後で、他者とどのように交流していたのか思い出しながら読み進めていた。俺の中で手紙を書くという行為は風化しており、妹が送ってくれた手紙にも返信しなかった。

 ♯2「葬送歌」に現れる戯曲は小林多喜二虐殺事件を題材にしているが、女子大生は文壇の実力者である中野慶一郎に仕掛けを講じている。その中野は♯11「里親」にも再登場していた。♯3「赤い手」は公文書を多用した構成だが、その分、修道院を出て生々流転した女性の悔恨に満ちた手紙が胸を打つ。改心した彼女の再スタートの道を閉ざしたのは♯5「第三十番善楽寺」の主人公だった。

 ♯4「ペンフレンド」は若い女性となりすまし男のやりとりが面白い。♯6「隣からの声」は壊れてしまった新妻の孤独が迫ってくる。一つ作品を選ぶなら♯7「鍵」だ。聾唖者で画家の鹿見木堂は鞍馬に籠もり絵を描いている。木堂と東京の妻との手紙のやりとりで進行するが、妻から送られた事件の知らせを木堂は離れた場所で鮮やかに解き明かす。名探偵は♯13「エピローグ 人質」にも再登場し、事件の真相を妻に言い当てた。

 現在ほどではないが、貧困や格差にどう対応すべきか、善意をいかに表現すべきかをテーマにしたのが♯5「第三十番善楽寺」と♯8「桃」だ。今から四十数年前、ジェンダーはどのような意味を持っていたのか考えさせられる作品もある。♯9「シンデレラの死」と♯10「玉の輿」は明暗くっきりで、♯9は送られなかった手紙の虚偽の内容が悲しいし、♯10は真情を吐露したことで未来が開けた。

 ♯11「里親」は、〝里親〟と〝砂糖屋〟の捉え違いが悲劇を生む。溌剌としていた主人公の女性は影を帯びて♯13に現れている。♯12「泥と雪」は青春時代の雪のような情熱が泥に塗れていくトリックに愕然とさせられる。ファンではないから井上の経歴は詳しくないが、政治的な発言で物議を醸したこともあったという。本作を読むと、井上が人間の心に潜む悪や影を知り尽くしているのがわかる。悪い奴だったに違いない。

 「PERFECT DAYS」のアカデミー国際長編映画賞受賞はならなかった。受賞作はアウシュヴィッツを扱った「関心領域」だが、俺は見ないと思う。ガザでのホロコーストでイスラエルを非難する良識派を、大メディアを仲間につけて<反ユダヤ主義>と一括りにする動きに不安を覚えるからだ。
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