特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

ゴミ山の亡骸

2024-04-24 05:55:33 | ゴミ部屋 ゴミ屋敷
ある公営団地の一室。私を呼んだのは中年男性。「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン」(古い?)ではないが、玄関を開けてビックリ!いきなり真っ暗、よくよく見るとゴミの山。


亡くなったのはその中年男性の父親らしく、亡骸はまだ部屋の中にあるとのこと。
土足で中に入ったところ、ゴミ山の中に一畳弱のくぼみがあり、汚れた布団らしきものが見えた。
恐る恐る掛け布団をめくってみると、冷たくなった老人が横たわっていた。
部屋の様子に反して遺体は若干の汚れはあったものの通常だったので、とりあえず安堵。特に腐敗が進んでいる様子もなく、警察の検死も済んでいるらしかった。
故人は、4年前、奥さん(中年男性の母親)が亡くなった時のまま、家の中の物には一切手を触れさせなかったとのこと。心配した身内が頻繁に出入りしていたにも関わらず、誰にも掃除もさせず汚れた洗濯物と食物ゴミが蓄積されていって、このゴミ屋敷が完成したらしい。

故人は、奥さんと二人で暮らした部屋をその当時のままにしておきたかったのだ知り、臭くて汚い部屋にいながらも、ちょっとした感動を覚えた。
それから、遺体処置からゴミ屋敷の特殊清掃撤去へと作業は進んでいくことになるのだが、いつもの現場と違って汚いゴミもそんなに汚く感じない仕事だった。

トラックバック 2006/05/24投稿分より


-1989年設立―
日本初の特殊清掃専門会社
ヒューマンケア株式会社
0120-74-4949


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いい湯だな~

2024-04-23 08:19:35 | 浴室腐乱
浴室で発見される腐乱死体も珍しくない。いい気分で湯に浸かってそのままあの世に行くのも本人にとっては悪くない話かもしれない。
ただ、残された者のとっては災難だ。
持家ならまだマシなのだが、賃貸物件ともなると近隣や大家に対する社会的責任を追求されたり、水回り工事に莫大は費用負担を強いられるからだ。
では、我々業者はどうか。これがまた難しい。
湯(水)の色は濃いコーヒー色に染まり、脂や皮が浮いている。もちろん、強烈は悪臭はどの現場も共通。水は濁っていて浴槽の中がどうなっているか分からない。下手に栓を抜いて配管を詰まらせでもしたら、もっと大変なことになる。
不安と憶測が渦巻く中、水の中に何かないかをまさぐる。何が出てくるか分からないところを探るというのは、結構緊張するものである。露天の金魚すくいで、紙網が破れないかどうか心配するのとは訳が違う。
ほとんどの場合、皮・髪・小骨だが、時にはビックリ!するようなものがでてくることがある(内緒)。
配管を詰まらせないように汚染水を抜くには経験が要るが、汚染水を処理できれば仕事の8割は成功したようなもの。
あとは、頑張って我慢して、我慢して頑張って、お掃除お掃除。

トラックバック 2006/05/23 投稿分より


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ロープはどうする?

2024-04-22 08:23:16 | 特殊清掃 自殺
日本人の自殺者は一日約100人にのぼっていることは特に新しいニュースではない。
日本人の自殺方法で最も人気のあるのは、首吊りらしい。
我々が自殺現場に関わることも少なくない。

これは、ある首吊り現場での出来事である。発見が早かったらしく、部屋の汚染は軽度で、特殊清掃作業自体はライトなものだった。
ただ、遺族から受けた相談には困った。
「故人が自殺に使ったロープはどうすればいいか?」とそのロープを差し出されたのだ。
遺族は、故人が自殺したことにビビッて、ロープの取り扱いにも異常に神経質に慎重になっていたのだ。
ああでもない、こうでもない、と遺族同士が議論する中で、私が責任を負わされると困るので、「お身内の方々が決められるのが本筋では?」とうまく回避した。
結局、「本人が最後に使った物だから本人の責任ということで柩に入れよう」と言う意外な意見にまとまった。不謹慎ながら苦笑いするしかなかった。

死人に追い討ちをかけるような結論で、こんな冷たい親族じゃ自殺もしたくなる?

トラックバック 2006/05/22 投稿分より


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愛人

2024-04-21 15:39:52 | 自殺腐乱死体
神奈川県、賃貸マンション4階。20代女性が玄関ドアの内側にロープをかけ首吊り自殺。

腐乱が進み、悪臭と腐敗液が外に漏れ出して発見。
現場に参上したときは遺体はなく、汚染個所も比較的狭く玄関とその周辺だけ。
部屋は、若い女性らしくインテリアや装飾も可愛らしい雰囲気だった。
ただ、玄関だけは別世界。餌(遺体)を無くしたウジ・ハエの死骸と、故人の腐敗液を掃除。見た目にはきれいな部屋にも悪臭は充満。そこは除菌・消臭作業。
故人には身寄りがなく、不動産賃貸契約には知人の中年男性が保証人になっていた。
どうも故人は保証人男性の愛人らしい。
それなりの事情があってのことだろうが、身寄りのない20代女性の自殺には、せつなさを感じざるをえなかったが、最後にオチがついていた。

特殊清掃作業代を払うはずの保証人がトンズラしたのだ。まさにタダ働き。
事情はどうあれ、これじゃ、死んだ愛人も浮かばれまい。

トラックバック 2006/05/21より


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妙な同居人

2024-04-20 10:15:54 | 腐乱死体
現場は古い二階建の一軒家。遺体は一階の角部屋で腐乱しており、その臭いはいつもの悪臭のレベルを超えた強烈なものであった。悪臭は、鼻ではなく腹で受け止めなければならないことを始めて知らされた現場だった。
腹でも受け止められない人は吐いて退散するしかない。
しかも、そこは1~2日前とかいったものではなく、最低でも1~2週間前から悪臭を放っていたと思われるような現場だった。
しかし、家族が死体に気づいたのは2~3日前とのこと。
家族の一人がまったく部屋からでてこなくなったうえ、その部屋から悪臭が漂うようになるまで本人が死んだでいたことに気がつかなかったとは、とても信じられなかった。
しかも、その家族は、酷い悪臭の中を、金目の物がないか必死で探していた。
何はともあれ、私の仕事はその現場をきれいに片付けることで、余計な詮索は無用。
四畳半の和室の汚染度はかなり酷く、何からどう手をつけてよいやら迷うような状況。
とりあえず、大量に発生した蛆(ウジ)を始末することからスタート。
蛆というヤツは、一体どこから入り込んで死体を喰っていくのか、その増殖力の強さは不思議で仕方がない。蛆との戦いにはいつも手を焼く。
奴等は、市販のウジ殺薬でもビクともせず、早く蝿(ハエ)になって飛び去ってほしいくらいだった。
仕方なく、汚染された布団と一緒にビニール袋に入れて圧縮。手で押さえてもムニュムニュと動く感触は、鳥肌もので不気味だった。
とにかく、その現場は、家財一式はもちろん畳・床板まで全部撤去。
代金は作業前に値切りに値切られたため、どことなく損をしたような気分になった現場だった。

トラックバック 2006/05/20 より


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脂でツルッ

2024-04-19 16:41:08 | 腐乱死体
これは特定の現場での話ではない。
人間の身体は平均的に観ると約70%が水分・約25%が脂肪といわれている。
遺体は腐敗していくと、骨・歯・爪などの固形物を残して最終的には溶けて液状になる。もちろん、その過程はおぞましい光景で、強烈な悪臭を放っていく。
液状になった遺体の水分は時間の経過とともに自然と蒸発していくが、最後の最後に残るのは脂肪、つまり脂。
我々の仕事でやっかいなものはたくさんあるが、この脂もやっかいなモノのひとつである。ある程度は吸収剤を使って処理できるものの、やはり最後は手での拭き取り作業が必要。これが、拭いても拭いてもなかなかきれいに落ちない!ジョイ君に頼んでもダメでしょう。
おまけに、ヌルヌル・ツルツル滑りやすく、そんなところで転んだらアウト!
私はまだ転んだことはないが、転びそうになったことは何度もあるし、実際に転んでしまって緊急退避したスタッフもいる。
このブログを読んでくれている方々、生きているうちに、できるだけ体脂肪は減らしておいていただけるとありがたい。

トラックバック 2006-05-19 より

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残された耳

2024-04-18 16:50:10 | 特殊清掃
千葉県某所、一戸建。例によって、現場確認と見積依頼で現場へ。
故人は布団に入ったまま亡くなり、そのまま腐乱していた模様。
特殊清掃撤去では、遺体は警察(または警察に指示された葬儀社)が回収していった後に我々が訪問するケースがほとんどである。
しかし、腐乱し、溶けてバラバラになった遺体を全部拾って回収することは困難である。
現実には、頭髪付の頭皮が残されていたり、指先の小さな骨が残されているケースは珍しくない。
ただ、この現場では耳が落っこちていた。
遺族に「この耳どうしますか?」と尋ねたら、遺族も困っていた。
私も、骨などの固形化された遺体の一部は遺族に返すようにしているが、さすがに耳を返されても困るようだった。
そうは言っても、私も耳を持ち帰る訳にもいかず、半強制的に遺族に返して作業を進めた。
どうせなら、警察に耳も持って行ってほしい。遺族のためにも、我々業者のためにも。

トラックバック 2006/05/18

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哀愁のマットレス

2024-04-15 08:21:04 | 腐乱死体
時は4月下旬、晴天・春暖の心地よい季節のなか、その現場は発生した。
場所は東京都某所・分譲マンション2階の寝室。遺体の腐乱液はベッド上とベッド脇の家具・床に渡って染み広がっており、当然ながらかなりの悪臭もあり、かなり刺激的な光景だった。遺族によると故人は太った老人とのこと。
通常の作業チャートでは「現場検証見積」→「作業合意」→「代金前払い」→「作業実施」である。
しかし、この現場の遺族は、見積に行った私に「このまま作業をやってくれ!」と懇願。遺族の心情を汲むのも当社の大事な方針なので、結局、断りきれず作業用の装備がほとんどないまま作業にとりかかることに。
必要最低限の道具・備品を近くのホームセンターで調達。
ベッド脇の床の家具に溜まった腐乱液を吸い取り、拭き取るときは、場慣れした私もさすがに吐き気がして、何度も「オエッ」「オエッ」。
しかし!最も困難を極めた作業は、ベッドマットの運び出しであった。しかもダブルサイズで、タップリの腐敗液吸い込み済みの代物。
それを自分一人で一階まで降ろし、少し離れた路上にとめたトラックに積み込む作業は、体力的にも精神的にも困難を極めた(泣きたい気分)。
ただでさえ大きなベッドマットで、更に腐敗液をタップリ吸っている訳で、とても自分一人では持ち上げられるものではなかった(例え、持ち上げられても、持ち上げたくない代物)。もう、引きずって運び出すしかなかった。
一歩玄関を出たら、そこは公共の場所。
通りかかる通行人は、遠目には不思議そうに見ていたが、近づいて来た途端に強烈な悪臭パンチを浴びることとなってしまった。
人々は口々に「くせぇっ!」「何だこれ?」「キャー!」等と叫びながら逃げ去って行った。
心無い悪口を甘んじて受けざるをえない中、私は、独りの世界に入りたいような気分で、ひたすらマットを引きずった。
早々とトラックに積んで退散したいのは山々だったが、なにせその重さではズルズル・ノロノロと引きずっていくしかなく、その時間が長く感じたことは言うまでもない。
遺族は感謝してくれたが、私は作業の悲しみを背負って逃げるように現場を離れた。

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血の重荷

2024-03-28 13:39:42 | 猫屋敷
梅雨入りが迫ってきている今日この頃。
だんだんと蒸し暑くはなってきているけど、まだまだ過ごしやすい。
週末ともなると、朝は下り、夕は上り、行楽の車で高速道路は渋滞。
家族と共に楽しい時間を過ごすことは、人生の大きな幸せの一つ。
行楽に無縁の私にとっては他人事ながら、喜ばしく思える。


多くの人が共感してくれるだろう、「家族」っていいもの。
「打算や利害はない」とまでは言えないけど、ほとんど無条件で、愛し合い、助け合い、信頼し合い、堅い絆で結びつき合える間柄。

外の世界では、そんな人間関係、そう簡単に構築できるものではない。
しかし、その反動か、揉めやすいのもまた事実。
心の距離が近い分、遠慮や尊重がしにくく、怒りや憎しみの感情を抑えにくい。
傷害や殺人についても、他人同士より血縁者同士の方が多いといったデータもあるらしく、日々において、そんなニュースを見聞きすることも少なくない。

また、「血のつながり」を重視するのが日本人の民族性なのか、古くから「家系」とか「血統」とかいったものが大事にされる。
それに裏打ちされるように、先祖崇拝の思想も根強いものがある。
それを否定する理由はない。
ただ、懸念もある。
それは、「問題を起こした者の血縁者」というだけで敵視され、誹謗中傷の的にされるケース。
とりわけ、現代の情報過多・ネット社会においては、それが顕著になりつつあるのではないだろうか。
血がつながっているというだけで、他の人間に人生を狂わされる人は、思いのほか多いのではないだろうか。
声を上げられない当事者、上げた声が届かない社会、何とも言えない理不尽さを覚えざるを得ない。




特殊清掃の相談が入った。
電話の声は女性で、歳の頃は中年。
「兄が一人で住んでいた家なんですけど・・・」
「ろくに世話をしないままネコを飼っていまして・・・」
「ゴミもたくさん溜まっていて・・・」
女性は、誰かに詫びるような口調で、現場の状況を話してくれた。


「見たらビックリすると思いますよ・・・」
女性は、私に心の準備をするチャンスを与えてくれたが、私が、これまで経験したゴミ屋敷や猫屋敷は数知れず。
天井とゴミの隙間を腹這いにならないと進めないような部屋も、ネズミやゴキブリが走り回る部屋もイヤと言うほど経験済み。
ゴーグルしないと目を開けられないような、ガスマスクをしないと息もできないようなネコ部屋に遭遇したことも幾度もある。
「大丈夫ですよ・・・慣れてますから・・・」
私は、商売っ気を悟られない程度に親切な雰囲気を醸し出し、そう返答した。


出向いた現場は、郊外の住宅地に建つ一軒家。
「新興住宅地」というようなエリアではなく、一時代前に整備された、古びた住宅地。
立ち並ぶ住宅は、築三十~四十年は経っているようなものばかり。
また、今風の住宅地にくらべて、土地も家も小さめ。
隣家との間隔も狭く、窮屈な感じもするくらい。
それでも、販売当時はバブル期で、結構な値段がしたであろうことが伺い知れた。


私は、カーナビが示すポイントが近づくにつれ、車のスピードを落とし徐行。
区画整理された地域は番地通りに家が並び、目的の家はすぐに判明。
仮に、ナビが目的の家をピンポイントに示さなくても、すぐに見つけられたはず。
それは、当家屋が異様だったから。
雑草や樹枝は伸び放題で、多くはなかったが外周には朽ちたガラクタも散乱。
荒廃した雰囲気に包まれており、そこが目的の「猫ゴミ屋敷」であることを家屋自らが訴えているように見えるくらいだった。

私が到着したのとほぼ同時に依頼者の女性も現れた。
電話で関り済みだったので、初対面のときほど回りくどい挨拶は省略。
短く言葉を交わした後、玄関へ近づき、女性がドアを開錠。
「私は入らなくていいですか?」
と訊ねる女性に、
「大丈夫ですよ」
と返し、女性と私は立ち位置を入れ替わった。

「では、お邪魔します」
私は、ゆっくり玄関ドアを引いた。
すると、覚悟していた通り、中からはネコ屋敷特有の刺激臭がプ~ン。
私は、少し離れた後方にいる女性に背中を向けたまま、正直に表情をゆがめた。
同時に、薄暗い奥に視線を送り、溜息と異臭を交換しながらの浅い呼吸を繰り返した。

とにもかくにも、そのまま嫌気に従っていても何も進まない。
女性は、
「そのまま・・・靴のままでどうぞ・・・たいぶ汚いですから・・・」
と気を使ってくれた。
言われるまでもなく、靴を脱ぐつもりはなかった私は、
「靴の上にシューズカバーを着けますので」
と説明。
もちろん、それは、家が汚れないようにするためではなく、靴が汚れないようにするため。
ただ、そんな無神経なセリフは吐かず、黙ってポケットからラテックスグローブとシューズカバーを取り出し、両手両足にそれぞれ装着した。


屋内は一般的な間取り。
1Fは、玄関土間、廊下、和室、リビング、DK、トイレ、洗面所、浴室など。
階段を上がると、和室か洋室かわからない部屋が二つと小さなトイレ。
決して豪華でもなく、広々としているわけでもなかったが、かつては、庶民的な一家が、身の丈に合った生活を平和に楽しんでいたことが伺えるような造りだった。

ただ、それは遠い 遠い昔の話。
家の中は、ありとあらゆるところ、猫の糞・尿・毛・爪跡などで汚損。
もちろん、人間用の家財生活用品はあるのだが、もう、ほとんどは酷く汚染された状態。
内装建材も著しく腐食し、糞が厚く堆積しているところも多々。
リビングのソファーをはじめ、糞に埋もれているモノも少なくなかった。
全滅・・・家自体が猫のトイレ、肥溜め・・・
もちろん、充満するニオイも強烈。
身体のことを思えばガスマスクを着けた方がいいくらい。
ただ、それでも、異臭濃度は目に滲みる程ではなく、見分も短時間で済ませるつもりだったため、私は、終始、不織布マスクで家の中を歩き回った。

「これで、よく生活できるもんだな・・・」
「フツーなら身体を壊すよな・・・」
“呆れる”というか“不思議”というか、もっと言うと“奇怪”というか・・・
こんな不衛生極まりない状況で生活するなんて、容易に信じられるものではない。
似たような現場をいくつも見てきた私だったが、ここでも同じような思いが沸々。
しかし、そういう人は現実にいるわけで、私は、そこのところに不思議さを感じざるを得なかった。

一通り見て回った私は、女性が待つ外へ。
女性は玄関を離れた駐車スペースで、私が出てくるのを待っており、開口一番、
「どうでした? ヒドイでしょ!?」
と訊いてきた。
お世辞にも「そうでもない」とは言えない状況で、私は、
「そうですね・・・かなりヒドいですね・・・」
と正直に返答。
そして、飼われていた猫が二~三匹でないことは一目瞭然ながら、
「何匹くらいの猫がいたんでしょうか」
と訊ねた。
「本人の話からすると、おそらく、二十~三十匹くらいはいたと思われます・・・」
と、一段と表情を暗くし、また、気マズそうにそう応えた。


この家は女性の実家。
もともとは女性の両親と当人(女性の兄)と女性が四人で暮らしていた。
最初に家を出たのは女性。
結婚して他に家を持ったのだ。
次はいなくなったのは父親で、それほど高齢ではなかったが病気で他界。
それからしばらくは母親と当人が二人で生活。
大きな問題はなく過ごしていたが、母親も歳には勝てず。
身体が衰え自立した生活が困難に。
そうは言っても、当人に母親の世話をする力はなし。
母親は老人施設へ入所し、それから、当人は一人暮らしに。
しばらくして母親も他界し、当人の暮らしは荒れていく一方となったようだった。

母親が家にいる頃は、時折、女性も実家に顔を出していた。
ただ、消して兄妹仲が良かったわけではなかった。
で、当人が一人暮らしになって以降は、女性は実家を訪れることもなくなった。
両親がいなくなってしまうと、当人とやりとりしなければならない用も、縁を保っておく必要もなくなり、当人とは関わらないでいる方が女性は平和に過ごせるのだった。

そんなある日、当人は体調を崩し入院。
その旨の連絡が女性に入り、とりあえず見舞いに出向いた。
久しぶりの再会だったが、懐かしさや情愛はなく、ただ、妙な不安ばかりが頭を過った。
案の定、入院に関する身元引受人や入院費用の支払いに関する保証人にならざるを得なくなった。
女性にとっては、それだけでも充分に厄介なことだった。
しかし、残念なことに、その後、もっと大きな問題に遭遇することに・・・「猫ゴミ屋敷」となった実家に肝を潰すことになるのだった。

当人が猫を飼い始めた時期やキッカケについて、疎遠だった女性は知る由もなし。
勝手な想像だが、母親がいなくなり一人暮らしとなった当人は、淋しかったのかも。
唯一、自分を必要としてくれ、自分に関心を寄せてくれた両親は亡くなり、誰からも必要とされず、誰からも関わってもらえず・・・
そんな中に現れたのが野良猫。
不憫に思って餌を与えているうちに猫も懐いてきたし、深い情も湧いてきた。
そんな猫が心の隙間を埋めてくれたのか、世話を焼いているうちに、野良猫仲間が集まり、それらが仔を産み・・・
いい歳になるまで母親が世話を焼いてくれていた中年男に家事の一切がキチンとこなせるわけもなく、ただでさえ荒れる一方だった家を、猫が更に荒らしていった・・・
そして、当人もそれに慣れていき、結果として、収拾のつかない事態に陥ってしまっていたのではないかと思われた。


我々が表で話していると、その気配に気づいたのか、近所の人らしき人が近づいてきた。
また、それを窓から覗き見していたのか、それは二人三人と増えていった。
ほとんどは「野次馬」だと思われたが、その表情と物腰は「被害者」。
女性に対して乱暴な口をきいたり横柄な態度にでたりする人はいなかったものの、皆が一様に「迷惑していた!」と言う。
対して女性は、「申し訳ありません・・・」と、泣きそうな顔になりながらペコペコと頭を下げるばかり。
悪いのは当人で女性が悪いわけではないのに、私は、ダメな船頭のように小さな助け舟さえ出せず、ただ、その場に立ち尽くすことしかできなかった。

近隣住人の中には不満を抱えていた人も多かったようだったが、当人に直接注意する者はおらず。
当人は“常軌を逸した人間”と思われていたようで、ある種、恐れられていた風でもあり、そんな人間を相手に何か言ってトラブルになっては困るし、逆恨みされて、危害を被っても損。
近隣数軒で話し合って行政に掛け合ったこともあったものの、行政が腰を上げることはなく、結局、泣き寝入ったまま今日に至っていた。

当家屋には、たくさんの猫が出入りする様子はもちろん、時折は、当人が出入りする姿も目撃されていた。
食料など生活必需品の買い出しや、その他に、外に用事もあったはずだし、仕事に出掛けるように見えたときもあった。
ただ、人と会っても視線を合わせることもせず、挨拶もせず。
誰もいないかのように黙って通り過ぎるのみ。
一方の近隣住民も同様。
遠ざかることはあっても近づくことはなく、横目で好奇の視線を送るだけで声を掛けることはなかったようだった。

長い間、猫ゴミ屋敷に我慢を続けていた近隣住民。
正直なところ、当人がいなくなってホッとしたはず。
その上、当人がいなって以降、自然と猫もいなくなっていったわけで、これも近隣にとっては何よりのことだった。
「退院したら、ここに戻って来られるんですか?」
近隣住民は女性にそう訊いたが、その心の声が“戻って来てほしくない!”“戻って来させるな!”といったものであることは、誰の耳にも明らかだった。
「まだ、何も決まってなくて・・・どちらにしろ、家がこんな状態じゃ戻りようがありませんから・・・」
と、ホトホト困った様子で言葉を濁す女性を、私は、ただただ気の毒に思うしかなかった。

そうは言っても、こんなことになってしまった家の始末をつけるのは一朝一夕にはいかない。
汚物の処分や掃除で片付くレベルはとっくに越えている。
常人が常識的な生活をしようとすれば、部分的なリフォームでは足りず、もう建て替えるしかない。
とは言え、当人がそれだけの財を持っているとは到底思えず。
かと言って、女性が負担できるものでないことも明らか。
女性は苦悶の表情を浮かべながら、涙目で宙を見つめるばかりだった。

当人が、どう生計を成り立たせていたのか、日常の付き合いがなかったものだから、詳しいところは、女性も把握しておらず。
色々な状況から推察するに、定職には就かず、派遣やアルバイトなどで生計を成り立たせていたよう。
家屋敷をはじめ、それなりの財産を親から相続したそうだったが、食費、水道光熱費、被服費、生活消耗品費等々、食べていくには相応の金がかかるし、税金や社会保険料だって負担する責任はある。
猫の餌代だってバカにならなかったはず。
消費者金融などからの危ない借金がなかったのが不幸中の幸いだったものの、当人が猫達とともにギリギリの生活をしていたことは容易に想像できた。


色々なことが検討され、色々な可能性が模索されたが、結局、再生不能の家は売却処分されることに。
状況が状況だけに、また、古びた住宅地につき、期待するような値段にはならないことは覚悟のうえだったが、それでも、まとまった金銭を得ることはできるはず。
当人は、その売却代金をもって新たな住居を探すほかなく、となると、賃貸物件になるわけで、「定職に就いていない」「安定した収入がない」ということがネックになるはずだったが、そこのところは、役所や慈善団体を頼るか、まとまった前家賃で手を打ってもらうしかない。
その上で、派遣でもアルバイトでもできるかぎり仕事をして、できりかぎり慎ましい生活を心掛けるしかない。
それで、どれだけ食いつないでいけるものかどうか、女性も測りかねていたが、思いつく策は他になかった。

「もう、それ以上は、面倒みれません・・・」
「あとは自己責任で生きてもらうしかありません・・・」
女性は、自分の肩に圧し掛かる重荷を振り払うようにそう言った。
そして、
「血がつながっているばっかりに・・・」
と、やり場のない怒りと悲しみを過去にぶつけようとするかのように深い溜息をついた。

そんな女性を気の毒に思いつつも、私は、その傍らに黙って佇むことしかできず。
生きていくことの重さを今更ながらに思い知らされる場面となったのだった。
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最期に向かって

2023-05-31 08:07:28 | 遺品整理
“生”と“死”は常に隣り合わせ、表裏一体。
病気、事件、事故、戦争、天災などで、日本や世界のあちらこちらで、毎日毎日、多くの命が失われている。
そして、それを伝えるニュースも日常に溢れている。
しかし、生きている我々は、“死”を縁遠いもののように錯覚している。
それが生存本能というヤツなのかもしれないし、そうしないと前向きに生きられないのかもしれない。

そうは言っても、“死”は、病人や高齢者だけにかぎったことではなく誰にでも訪れる。
ある日突然か、自分が想像しているより早いか、自分が覚悟しているより遅いか、たったそれだけの違いがあるだけで否が応でも。
一般的には、健康長寿をまっとうし、終活をキチンと済ませた上で“コロリ”と逝くのが理想と言えようか。
ただ、多くの人が思い知らされているように、人生なんてものは、そんな生易しいものではない。
人生はもちろん、死期も死に方も、なかなか思い通りにはいかない。
そんな荒道を、どれだけ頑張って、どれだけ辛抱して歩いていくか、そして、どれだけ真剣に最期に向かっていくか、それが“生”の課題なのかもしれない。



遺品整理の相談が入った。
声から判断するに、電話の主は老年の女性。
「身内が亡くなったので、部屋の家財を処分したい」とのこと。
そうなると、まずは、現地調査が必要。
その上で、見積金額と作業内容を提案することになる。
私は、そのことを説明し、私と女性 双方の都合を突き合わせて、現地調査の日時を定めた。

約束の日、私は、教わった住所に車を走らせた。
到着した現場は、街中に建つ小規模の賃貸マンション。
広めの通りに面した一階は店舗、二階から上が居住用
必要に応じてメンテナンスは入れていたようだったが、外壁の仕様は時代遅れ。
地味な色合いの塗装も「シック」というより「安っぽい」といった感じ。
そろそろ寿命がくることを考えた方がよさそうな老朽建築だった。

建物の前で待っていると、約束に時間に合わせて依頼者もやってきた。
想像通りの老年の女性で、似たような年恰好の女性二人も同行。
聞くところによると、三人は姉妹で、亡くなったのは四人姉弟の末弟とのこと。
老齢ながらも、皆で故人(弟)の後始末のために奔走しているよう。
三人とも丁寧な物腰で、疲れた様子や不満げな表情は一切なく、三姉妹の関係が良好であることはもちろん、四姉弟の関係も良好であったことが伺えた。

現場は、二階の一室。
我々は建物の裏手に回り、薄暗い内階段を上へ。
建物は五階建だったが、エレベーターはなし。
二階だったからよかったものの、もっと上だったら女性達にはキツかったかも。
それでも、私は、女性達の足腰を気遣って、ゆっくりと階段を上がった。

目的の部屋につくと、女性の一人がバッグから鍵を取り出し開錠しドアを引いた。
玄関前の通路も薄暗かったが、明けたドアの先も薄暗。
主がいなくなった部屋のため どことなくヒンヤリとした空気が感じられたものの、電気は止められておらず。
私は、女性達に先に入ってもらい、蛍光灯をつけてもらった。
そして、「失礼しま~す」と、玄関で靴を脱いだ。

間取りは1DK。
玄関を入ってすぐのところが広めのDK。
DKの奥が六畳の和室でベランダはなし。
天井・壁はクロス貼ではなく塗装。
柱も剥き出しで、押入の戸は襖。
障子こそなかったが、窓はサッシではなく旧式の鉄枠窓だった。

玄関からむかって突き当りの窓辺にキッチンシンク。
玄関から右に折れる向きに進んだところが浴室・洗面所・トイレ。
バス・トイレ・洗面所は別々で、それぞれスペースにゆとりあり。
ただ、その設備はかなり古く、浴室はタイル貼で浴槽は昔ながらのバランス窯。
洗面台も旧式。
トイレもタイル貼で、便器は骨董級の和式だった。

言葉は悪いが、その古クサイ仕様が物語る通り、この建物は「築五十年余」とのこと。
そして、故人は、それに近いくらいの年月をここで生活。
他の部屋は住人が入れ替わるたびに、ちょっとした修繕は施されてきたようだったが、現場の部屋は、長年に渡って、故人が“住みっ放し”の状態。
時折は必要最低限の修繕をしてきたものの、他の部屋と同レベルのことはできず。
結果として、この部屋は、時間が止まってしまったかのようなレトロな佇まいとなっていた。

それだけの年数を暮らしていたわけだから、家財の量は多め。
日常生活で使うモノが各所に残されていた。
ただ、一般の部屋と比べて、この部屋の様子は違っていた。
部屋の隅々には、いくつものゴミ袋や段ボール箱が積み重ねられ、また、書籍や雑誌の類も、一定量がヒモで括られ山積みに。
それなりの生活用品は手近なところに置いてあったものの、まるで、どこかから引っ越してきたばかり、もしくは、どこかへ引っ越す直前のように整然としていた。


その訳は、“終活”。
生前、故人は終活に着手していた。
そして、そのキッカケになったのは・・・

数年前、故人の身体に掬っていた病気が発覚。
ちょっとした体調不良が発端だったが、当初、故人は「一時的なものだろう」「そのうちよくなるだろう」と甘くみていた。
しかし、その期待に反して状態は改善せず。
数か月後、重い腰を上げて病院を受診。
精密検査の結果、重い病気にかかっていることが判明した。

その後、入院となり手術も受けた。
術後は、軽等級ながら障害者手帳を受ける身体に。
それでも、退院後は元の生活に復帰。
当初は慣れない身体に悪戦苦闘したようだったが、「人に迷惑をかけたくない」「我が家で気楽に暮らしたい」との一心で、一人暮らしを継続。
そんな生活は、相当に難儀なものだったのだろうけど、本望を貫くべく、少々の無理をしてでもそれに自分を慣れさせていったことが想像された。

しかし、時は無情なもので、病に対する敗色は濃厚に。
少しずつではありながら身体は衰弱の一途をたどっていき、ただちに入院しなければならない程ではなかったものの、「元気」というには程遠い状態に。
そういう状況を心配した女性達(姉達)は、「私達もできるだけのサポートをするから」と、介護施設に入ることを提案。
しかし、故人は、「住み慣れた部屋で暮らしたい」といった願望が強く、女性達の提案に感謝はしつつも受け入れることはせず。
身体的には施設に入った方が楽に決まっていたが、“幸せ”とか“楽しさ”といったものは他人が測れるものではない。
結局、日常生活に大きな支障がでるようなら訪問看護・訪問介護を利用するということで姉弟の話し合いは決着した。

しかし、女性達には、「本人が望むのだから、それでいい」とは言い切れない不安もあった。
それは、孤独死。
若くない上、病弱である身体での一人暮らしでは、充分に起こり得る。
そして、場合によっては、別次元の問題を引き起こしかねない。
故人(弟)の意思を尊重してやりたいのは山々だったが、それは、目を背けることができない現実でもあった。

本音のところでは、そんな縁起でもないこと話したくはなかったけど、女性達姉弟は、そのことについても話し合った。
それは、女性達の情愛から出たもの。
だから、故人にとって耳障りで不快な話題ではなかったはずだったが、ただ、淋しく切ないものではあったかもしれなかった。
しかし、結局のところ、故人にかぎらず、“死”に抗える人間はいないわけで、それについて故人も反論はできず。
結論が出ない中でも、最期と真剣に向き合う覚悟を決めざるを得ないことは、皆にとって暗黙の認識となった。

意外にも、故人が訪問介護を利用するようになったのは、それからすぐのこと。
かかりつけの病院に相談し、故人は、テキパキとその手筈を整えた。
女性達は「人の世話にはなりたがらないから、しばらく先のことになるのではないか」と考えていたようだったが、やはり、故人の頭からは「孤独死」という不安が離れなかったよう。
話の経緯からすると、「死を恐れて」というより「人に迷惑を掛けることを恐れて」といったことが理由だと思われた。
そして、これも、最期にできる、女性達に対する故人の思いやりの一つだったのかもしれなかった。

「墓に衣は着せられぬ」
訪問介護を受け始めたのと同時に、故人は、“終活”を開始。
遺言書を書き、保有する財産や貴重品類もわかりやすく整理。
また、少しずつでも、日常生活で不要な家財を処分することに。
生活に必要なモノとそうでないモノを分別。
要るモノは最小限に、要らないモノは最大限に、ゴミ袋や段ボール箱に詰めていった。
これもまた、最期にできる、女性達に対する思いやりの一つだったのかもしれなかった。


それから、しばらくの月日が経ち・・・
ある日の夜、故人から女性に電話が入った。
「このところ、一段と具合が悪い」
「食事も満足に摂れなくなってきた」
「今すぐどうこうはないにせよ、“そろそろ”かもしれない・・・」
それは、いつになく弱気な言葉で、ある種の覚悟を胸に抱かせるものだった。

覚悟していたものの、“別れ”が現実味を帯びてくると、女性は大きく動揺。
そして、他の姉妹にも連絡をとって、翌日早々に故人宅を訪問。
ただ、訪問介護のヘルパーが世話してくれているお陰か、心配していた程には衰弱しておらず。
また、部屋も荒れておらず。
しかし、どちらにしろ、一人暮らしの限界が間際まで近づいていることは明らか。
案の定、かかりつけの病院に診てもらうと、近日中に入院しなければならなくなった。
そして、入院後、幾日かして、誰もが、いずれまた自宅に戻れることを信じて疑っていなかった中で、故人は静かに息を引き取ったのだった。


晩年の故人は、諦念の想いを自分に言い聞かせるように「仕方がない・・・」と溜息をつくことが多かったそう。
「どうして自分がこんな目に遭わなければならないのか」
「何の因果? 何かの罰?」
降りかかった災難に対する理由を求めたのか・・・
が、そんなことわかるはずはない・・・
ただ、現実を受け入れるしかない・・・
そうやってたどり着いた想いを「仕方がない・・・」という言葉に集約させていたのだろう。

行年は六十代半ば。
平均寿命と比べると、まだまだ若い。
良縁に恵まれなかったのか悪縁しかなかったのか、生涯独身で妻子はなし。
独り身の身軽さからか、家庭持ちの人に比べて、自由に使える金は多かったよう。
両親はとっくに他界し、最も近い血縁者は女性達三人の姉。
女性達はそれぞれに家庭を持っていたが、故人は、盆暮の贈物や土産物をはじめ、幼少期から大人になるまで甥や姪にも小遣いを渡し、何かにつけ当人達が喜びそうなモノを買い与えてくれたそう。
自分に家庭がない分、女性達家族のことを大切にしてくれ、当の故人も嬉しそうにしていたそう。
また、常々、「姉さん達には迷惑かけないようにしないとね・・・」と言っており、健康にも気をつかっていた。
酒は飲まず、タバコも吸わず。
食生活が偏らないよう外食を控え、適度な運動を心掛け、適正体重を維持することも怠らなかった。

それでも、大病を患ってしまった。
皮肉なことに、節制していたからといって病気に罹らないわけではない。
不摂生な人がいつまでも元気でいることもよくある。
「運命」「宿命」「摂理」・・・人知を超えたところにその理由があるのかもしれないわけで、最新の医療や科学をもってしても人間ができることは小さい。
よく「現実を受け入れるしかない」と言うが、「自分を任せるしかないない」といった方が合っているかもしれない。
そのときの故人の心境を想い測ると、溜め息がでるような同情心と、他人事にできないゆえの切なさと淋しさが湧いてきた。


そこは、病気を患った故人が一人で暮らしていた部屋。
衰えた身体で不便なことも多かったことだろう。
身体に痛みを、心に傷みを覚えたことも少なくなかっただろう。
そんな中、一人きりの部屋で、不安や恐怖心に苛まれたか、悪事や不出来を悔いたか、想い出や懐かしさに笑みを浮かべたか・・・
遠くない将来に訪れるであろう最期に思いを巡らせたことは一度や二度ではなかったはず。

消したくない生活感と消さなければならない生活感を対峙させながら整理を進めた部屋・・・
雑多なモノが詰められたゴミ袋、荷物が入れられたダンボール箱、括られた書籍・・・
それは、思うように身体が動かせない中で、故人が自分の最期を見越してやった終活の跡・・・
故人に対する女性達の情愛が、ヒンヤリと感じられていた部屋の空気をあたためたのか、それは、急に故人が現れ、何事もなかったかのように終活作業を続けてもおかしくないくらいリアルに“生”が感じられる光景だった。

私は、故人の生前の姿を知る由もなかったし、見えるわけもなかった。
が、自分なりに最期まで生きた故人の姿がそこにあるような気がした。
そして、「俺も、その時が来たら、狼狽えることなく真剣に最後に向かいたいもんだな」と、口を一文字に結び、小さくうなずいたのだった。


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偽善意

2023-05-18 07:43:29 | 腐乱死体
もう、二十年も前のことになる。
私は、会社近くの賃貸マンションで暮らしていた。
駅近で立地はよかったのだが、その分、家賃は高め。
併せて、色々な事情があり、岐路に立たされ、人生は、入居時には想像できなかった方向へ進み、結局、たった一年で転居することになった。

そこで、不本意かつ不愉快なことが起こった。
それは、部屋の原状回復についてのこと。
ゴミを溜めていたわけでもなければ、掃除もキチンとしていた。
タバコも吸わなければ、動物も飼っていなかった(迷い犬を一時的に保護したことはあったけど)。
にも関わらず、退去時、預けていた敷金はまるごと没収され、追加の原状回復費用まで請求されてしまった。


「たった一年しか住んでいないのに・・・」
納得できなかった私は、不動産会社に説明を求めた。
しかし、
「居住期間を問わず、退去時には一律に請求させてもらうことになっているので」
と、無碍の一言。
その後、何度かやりとりしたが、納得のできる説明はなし。
結局、
「数万円で片付くなら・・・」
と、私は、イヤな思いをすることから逃れたくて、泣き寝入ったのだった。


似たような事案は、仕事上でも、数えきれないくらい遭遇している。
賃貸物件を退去する際の原状回復についてはトラブルになることが多い。
貸主(大家・管理会社側)からすると、部屋の原状回復にかかる負担は少しでも軽い方がいい。
つまり、できるだけ借主に負担させたいと考える。
一方、借主(住人側)からすると、その負担は軽い方がいい。
そういった利害が対立することで、退去時のトラブルに発展するのである。

賃貸物件は借物なのだから、善良な管理者としての注意義務を負って使用しなければならない。
言い換えれば、「社会通念上“当然”とされる良識をもって丁寧に使わなければならない」とうこと。
逆に言うと、「通常使用による損耗や経年による劣化は借主に責任はない」ということにもなる。
ただ、発生した損耗が通常使用によるものなのか、また、発生した劣化が経年によるものなのか、結局それを判断するのは人の感覚。
損耗や劣化を「当然」「自然」とみるかどうか、「悪意」「怠慢」とみるかどうかで着地点は変わる。
孤独死現場やゴミ部屋・ペット部屋など、借主が良識をもって使用していなかったことが明らかな場合を除いて、双方で客観的・公正にそれをジャッジし着地させるのは難しい。

前記の汚損事例を当社では「特別汚損」と称しているが、「孤独死」は借主(住人側)にとって分が悪い。
遺体が腐敗してしまうと尚更。
誰もが「不可抗力」とわかりつつも、原因をつくったのか借主であることはハッキリしており、「借主に責がある」とみなされる。
自然死でもそうなのだから、死因が自殺となれば尚更そうで、貸主に対して抗弁の余地はなくなる。



「管理しているマンションで孤独死が発生した」
「退去立ち合いのため遺族と現地で会う予定」
「我々だけでは判断できないことがあるかもしれないので、それに合わせて来てもらえないだろうか」
と、何度か取引をしたことがある不動産管理会社から現地調査の依頼が入った。
担当者は、そこで住人が孤独死したことのみ把握。
死因をはじめ、亡くなってから発見されるまでの経緯や時間、汚染や異臭についての情報は一切持っておらず。
ただ、遺族の態度や様子から、“一筋縄ではいかなそう”といった不安を感じているようだった。

訪れた現場は、街中に建つ賃貸マンション。
約束の時刻より早く着いた私は建物前で待機。
ヒマつぶしに建物の外観を観察。
窓やベランダの構造から想像するに、そこは単身者用のマンションで、間取りはすべて1K。
そうこうしていると、程なくして、管理会社の担当者二名が現れた。
どこかで時間調整をしていたのだろうか、二人とも、約束の時刻ピッタリに。
私は、こちらに歩いてくる二人に視線を合わせて会釈。
表情がわかるくらいまで近づいたところで、社交辞令の笑顔と共に言葉を交わして挨拶をした。

遺族もじきに現れるものと思っていたが、「先に部屋に入っている」とのこと。
我々三人は管理キーを使ってオートロックをくぐり、エントランスの中へ。
そのままエレベーターに乗り込み、目的階のボタンを押し、目的の部屋を目指した。

部屋の玄関ドアは既に開いていた。
訪問のマナーとしてだろう、それでも、担当者はインターフォンを押した。
すると、即座に中から応答があり、中年の男性が出てきた。
笑顔を浮かべる場面ではないのは当然ながら、その表情は、強張った感じ。
男性は寡黙で、短い挨拶の言葉以外、一言も発さず。
抱える緊張感がビンビンと伝わってきた。

我々は小さな玄関に脱いだ靴を揃えながら中へ。
玄関を上がると、まず通路。
その左側には下駄箱兼収納庫とミニキッチンが並び、右側には洗濯機置場とユニットバス。
その奥が六畳程度の洋間。
そして、突き当りの窓の向こうには、狭いながらも生活で重宝しそうなベランダ。
見晴らしも陽当たりも良好。
駅も近く、周辺には店も多く、「高級」という程ではないものの、やや贅沢にも思えるくらいのマンションだった。

我々が集合した用向きは、「部屋の退去・引き渡し」だったため、当然、室内に家財はなく空っぽ。
また、部屋も水周も、少々の生活汚れがあっても然るべきところ、きれいな状態。
どうも、一通りのルームクリーニングをやったよう。
部屋を退去する際の礼儀としては充分過ぎるくらい・・・見方を変えると、ちょっと不自然に思えるくらいきれいだった。

ただ、そこは孤独死があった現場。
で、違和感を覚えることがいくつかあった。
それは、暑くもないのに玄関や窓が全開であったことと、ユニットバスとキチンの換気扇が回りっぱなしだったこと。
そして、人工的な芳香剤臭が強めに感じられたこと。

その状況から、私はすぐに“ピン!”ときた。
それは、異臭対策。
部屋に異臭があるからこその対策。
「異臭がある」ということは、「遺体は腐敗していた」ということ。
「腐敗していた」ということは、「汚染があった」ということ。
「汚染があった」ということは、「汚染部からは強い異臭が出ている」ということ。

訊きにくいことだったが、私は、男性に故人が倒れていた場所を質問。
すると、男性は、
「部屋のどこからしいんですけど、詳しいことはよくわかりません」
と返答。
男性は、遺体があった状態の部屋を見ていないようだったので、まずは得心した。
が、考えてみると、状況を警察から聞いた可能性は高い。
にも関わらず、「わからない」と言うのは、何とも不自然。
そうは言っても、「知らないはずないでしょ?」と問い詰める権利が自分にないことは百も承知だったので、私は、これからやるべきことを考えつつ、それ以上のことは訊かなかった。

結局、玄関から台所、ユニットバスにかけて一か所一か所を確認することに。
私は、どこかに汚染痕がないかどうか、部屋のあちこちを凝視。
また、ときには四つん這いになって、方々の床に鼻を近づけ、犬のように隅から隅へとニオイを嗅いで回った。

すると、台所と部屋の境目付近の床で強い異臭を感知。
同時に、不自然な変色も。
一見すると見落としそうになるくらいのものだったが、よくよく見ると、床の一部がわずかに暗色になっており、その部分の目地にも妙な汚れが浸みついていた。
ニオイの種類といい、変色といい、経験上、私にとっては、それが腐敗遺体の汚染痕であるとするのがもっとも合理的な判断だった。

とは言え、男性がいるその場では、具体的なコメントは避けた。
それが、男性に対する私なりの最低限の礼儀だった。
で、部屋の見分を終えた私は、担当者に声をかけ、男性を部屋に残し、一旦 外へ。
そして、「あくまで個人的かつ主観的は所感」と前置きした上で自分なりの見解を伝えた。

それは、
「故人は、台所と部屋の境目付近に倒れていた」
「発見が遅れ、遺体は酷く腐敗していた」
「表向きには分かりにくいが、腐敗遺体液は床材に浸透し、下地まで汚染されている可能性がある」
「外部の空気が通っている間は感じにくいが、部屋を密閉すれば強い異臭が感じられるはず」
といったものだった。


管理会社が私に求めてきたのは、部屋の原状回復についてルームクリーニングのみで済むのか、内装の改修工事や設備の入れ替えが必要なのかどうか、仮に内装設備の改修が必要な場合、どの程度の工事が適切なのか等の関する意見。
その管理会社(貸主側)は、私にとっては“客”。
しかし、偏った意見を言うつもりはなかった。
忖度なく、あくまで、客観的に、公正に判断するつもりでいた。
ただ、部屋には、通常の生活では発生しようがない種類の内装汚損があり、特有の異臭が残留。
通常使用では起こり得ない状況があったわけで、それが現実であり事実。
男性(借主側)に責があるのは明白。
私に悪意はなかったのは当然ながら、結果として、男性にとって不利な意見ばかりを並べることになってしまった。

一方で、男性の保身に走りたい気持ちも痛いほどわかった。
この類の補償や賠償については、世間一般に認知されている「適正価格」や「標準価格」といったものがないから、不安は尽きなかったはず。
「そこで住人が亡くなっていた」という事実は覆せないにしても、部屋の汚損や劣化は「日常生活における通常損耗」として決着させたかったに違いない。
そのために、男性達遺族は、素人ながらに、精一杯の原状回復を試みたはず。
汗をかき、涙をのみながら、市販の物品と自分の手を使ってできるかぎりのことをやったはず。
愛する娘が使っていた家財を片付け、遺体汚染を掃除し、手強い悪臭と格闘し・・・
懐かしい想い出と、深い悲しみと、後始末のプレッシャーと、事後補償の不安・・・
ただ、残念ながら、内装建材は相応に傷んでおり、その汚染は、素人の清掃で片付くほど軽いものではなく・・・
先の見えない金銭的負担や精神的負担について際限のない不安に襲われながらの作業が、どんなにツラいものであったか、想像すると気の毒で仕方がなかった。

結局のところ、フローリングは下地ごと、天井壁クロスの全面的な貼り替えも避けられそうになかった。
もちろん、本格的な消臭消毒も。
原状回復させるにためには、他に選択肢はなかった。
そして、かかる費用のほとんどは遺族が負担することになるはず。
ただ、私の見解があってもなくても、早かれ遅かれ、内装汚損と異臭の問題は明らかになったはず。
だから、男性に対して申し訳ないことをしたといった感覚はなかった。

内装の汚損も残留する異臭も、それに見合った工事や作業で片付けることはできる。
物理的には、それで原状回復は実現できる。
しかし、そこで起こった「孤独死」「遺体腐敗」といった事実まで消すことはできない。
夢幻の出来事にしたくても、「事故物件」「瑕疵物件」という事実は残る。

これは、貸主にとっても借主にとっても、大きな損害となる。
しばらくの間、当室の家賃は従来額より引き下げざるを得ず、場合によっては、それは現場となった部屋だけでなく、隣の部屋や建物全体にも影響する。
そしてまた、それは死因によって・・・「自然死(病死)」なのか「自殺」なのかによっても大きく異なる。
その訳を言葉で表すのは難しいが、人々が抱く嫌悪感や恐怖心は自殺の方が大きい。
言うまでもなく、その分、その後の補償も膨らむ。

そこに暮らしていたのは、男性の娘で歳は二十代後半。
肉体が腐敗するまで発見されなかったことを考えると、「無職」またはそれに近い身の上だったのか・・・
浅はかな偏見なのだが、若年者が孤独死する原因として「病気」は浮かびにくい。
「病死」と並行して「自殺」という二文字がどうしても過ってしまう。


「死因も確認した方がいいと思いますよ」
一通りの見解を述べた私は、担当者へそう言いかけた。
しかし、咄嗟に、その言葉を呑み込んだ。
何かしらの理性に制止されたわけでも何かしらの正義が過ったわけでもなかったが、思わず口をつぐんだ。
故人に対する同情でもなく、男性に対する優しさでもなく、ただ、自分が嫌な思いをしないため、自分が悪者になりたくないがために口を閉ざしたのだった。

ただ、その時点で、私がそのことを口にしようしまいが、結果は変わらなかったはず。
どちらにしろ、先々は、家賃補償の問題も浮上するはず。
併せて、死因についても。

私ができたことと言えば、死因が自殺でなかったことを願うことのみ。
ただ、これもまた、一時的な感傷、穢れた自己満足・・・
この一生につきまとう、「私」という人間の本性を表す乾いた偽善意なのではないかと顧みるのである。


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生くあて

2023-05-08 08:24:20 | その他
三年ぶり・・・
コロナ規制が大幅に緩和された今年のGWは、季節外れの暑さも手伝って、多くのところで盛り上がりをみせたよう。
ニュースが伝える各所の盛況ぶりは、コロナ禍について、悪い夢でも見ていたかのような錯覚を覚えるくらい。
そして、新型コロナウイルスも、「危険性がもっとも低い」とされる五類に引き下げられた。
ただ、引き続き、高齢者や基礎疾患のある人への配慮は必要だし、後遺症に苦しんでいる人も少なくないらしいから、まるっきり過去の禍として忘れていくわけにはいかないと思う。
また、倒産・失業、そして病死、この禍によって、取り返しのつかない事態に陥った人も少なくない。
社会経済や世の中が息を吹き返そうとしているところに水を差すようなことを言うのはナンセンスだとわかりつつも、諸手を挙げて喜ぶことはできない。
この社会には、いまだ、多くの弱者がいることも忘れてはならない。

物価も上がりっぱなし。
一部では賃金が上がっているところもあるらしいが、実質賃金は低下の一途。
選挙を意識して行われる“バラマキ”も、ほとんど焼け石に水。
本音のところでは「その場しのぎ」のつもりなのかもしれないけど、その場さえしのげていない感が否めない。
結局のところ、気前よく撒かれる金の原資は借金なわけで、そのツケは、我々の注意が他に逸れた頃合いを見計らって、増税や社会保障の圧縮といったかたちで回ってくる。
「一億総中流」と言われていた時代は遠い過去のもの。
このままだと、「一億総下流」といった事態にもなりかねない。

ただ、いつの世にも富裕層はいる。
その一部には、既得権益によって甘い汁を吸っている人もいるのだろうが、それを恨むのは筋違い。
もともと、人間とは、そういう性質(欲)を持った生き物であり、この社会は、そういう生き物によって構成されているわけだから、この社会が“弱肉強食”になり、封建的になるのは当たり前のこと。
搾取される側だから不満を覚えるわけで、多くの人間は、搾取する側になればそれを推すだろう。
で、私は、搾取される側の人間だから、こういったネガティブな論調になっているわけだ。

それはさておき、この先、この日本は、この世界は、どうなっていくのだろう。
残念ながら、大半の庶民にとって、この社会は、生きにくくなっていく一方のような気がしてならない。
とは言え、問題はあまりに大きすぎ、多すぎるため、選挙権を行使しても納税の義務を果たしても何も変えることはできない。
講じることのできる具体策はなく、できることと言えば、ただただ、政治家や専門家の机上の空論でお茶を濁すことくらい。
それで、事が解決するわけではないことを知りつつ、「なんとなかる」「なるようにしかならない」と都合の悪いことは深く考えないようにして放り投げるしかないのかもしれない。



「今回は、孤独死とかではないんですけど・・・」
付き合いのある不動産会社から、一本の電話が入った。
「“夜逃げ”とでも言うんでしょうか、住んでいた人がいなくなりまして・・・」
担当者は、自分が悪いわけでもないのに、やや言いにくそう。
「一通り探してはみたんですけど・・・」
まるで、誰かに言い訳をしているかのよう。
「いなくなって数か月経ちますし、必要な手続きも終わったんで、そろそろ部屋を片付けようかと・・・」
溜息混じりに、用件を伝えてきた。

訪れた現場は、街中に建つアパート。
築年は古く、かなりの年月が経過。
それでも、日常のメンテナンスがキチンとされているのだろう、そこまでのボロさは感じさせず。
部屋の鍵は、現地に設置されたキーボックス内。
私は、不動産会社から知らされていた四桁の暗証番号にダイヤルを合わせた。

「悪臭」というほどではなかったものの、カビ臭いようなホコリっぽいような独特の生活臭がプ~ン。
間取りは1Kで、お世辞にも「きれい」とは言えず。
台所をはじめ、風呂やトイレ等の水廻りは、ロクに掃除がされておらず。
部屋の隅々もホコリまみれ。
本人が暮らしていた当時からそうだったのか、後に立ち入った第三者がそうしたのか、雑多なモノが散らかり放題。
「ゴミ部屋」という程ではなかったが、その予備軍のような状態だった。

「“失踪”ということだけど、本当は亡くなったんじゃないの?」
「あ、でも、俺にそんなウソつく理由ないな・・・」
「そうすると、やっぱ、失踪か・・・」
住人が亡くなっていようがいまいが、私には関係ないこと。
ただ、部屋が生命力を失い、また あまりにもモノクロに荒廃しているものだから、“住人の死”という、職業病的な考えが頭を過った。

とにもかくにも、余計な野次馬根性は仕事に無用。
やるべきことは、不動産会社の指示に沿って、粛々とことを進めるのみ。
「かかる費用は大家が負担する」とのこと。
想定外の負担を強いられることになった大家を気の毒に思いながらも、苦労しながら生きていたことが如実に伺える部屋を前には、失踪した当人を責める気持ちにもなれなかった。

残置された家財は少量ながらも、その中には色々なモノがあった。
男性の氏名、生年月日など、個人情報が記された書類。
消費者金融からの支払催促状や、不動産会社からの家賃滞納通知も。
古い免許証や何枚かの写真もあり、本人の顔も伺い知れた。
また、白い袋に入った何種類かの処方薬もあった。

その部屋に暮らしていたのは八十代の男性。
ここに入居したのは十数年前。
賃貸借契約の保証は保証会社が担い、身元引受人もおらず。
入居当時は仕事にも就いており、高額ではなかったが安定した収入があった。
家賃は銀行口座からの自動引き落としで、これまで何度か残高不足による遅払いはあったものの、完全な滞納はなかったそう。
ただ、近年は、仕事をしていたのかどうか不明。
どれだけの年金を得ていたのかも不明ながら、家賃滞納の現実を鑑みると困窮していたのは明白。
また、残された処方薬が示す通り、持病も抱えていたようだった。

あってもおかしくない雰囲気ながら、生活保護を受けていたことを伺わせるような書類は見当たらず。
「生活保護を申請すれば通っただろうに・・・」
「年齢も年齢だし、持病があったなら尚更・・・」
「それとも、頼れる身寄りがいたのかな・・・そんなわけないか・・・」
頭の雑草地に、仕事に無用な野次馬が駆け回った。
そもそも、生活保護を受けていれば、「家賃滞納」ということにはならなかったはずなので、貧乏しながらも何とか自力で生活してことが想像された。


話が逸れるが・・・
「生活保護」という制度は、多くの欠点をはらんでいる。
多くは不正受給。
そして、それを貪る貧困ビジネス。
自治体の事情や地域の状況によるところが大きいのだろうから、一概に批判するのは軽率とわかりつつも・・・
勤労者がボロアパートで窮々としているのに、受給者はきれいなマンションに暮らしている。
勤労者が嗜好品を我慢しているのに、受給者は酒・タバコ・ギャンブルを楽しんでいる。
勤労者が汗水流して働いているのに、受給者は健常に動く身体をブラブラと持て余している。
仕事上、そういった現実を目の当たりにすることが少なくない私は、現行制度をどうしても斜めに見てしまうところがある。

ただ、問題とされることには、その逆もある。
それは、役所が何だかんだと難癖をつけて申請させないよう圧力?をかけたり、申請を受け付けないようにしたりすること。
それで、本当に保護が必要な人が申請しにくい雰囲気や文化ができてしまうこと。
実際、受給者が増えている実情の陰で、「人の世話になりたくない」「身内に知られたくない」「恥ずかしい」等と、申請を躊躇っている人が少なくないらしいのだ。
本来は、そういう人達を救うための制度なのに、各所に見え隠れする矛盾を苦々しく思ったことがある人は、私だけではないのではないだろうか。


不動産会社は、男性を探し出すことを諦めていた。
仮に探し出せたところで、資力があるとは考えにくい。
困窮していることに変わりはなく、裁判沙汰にしても差し押さえる資産もないはず。
無駄な手間と費用をかけるだけ損。
結局のところ、滞納家賃の回収はあきらめて、次の段階に進んだ方が得策と判断したよう。
後々、始末する家財が問題の種にならないようにだけ留意した上で部屋を空にし、きれいにリフォーム・クリーニングを施し、新たな入居者を募集する算段をつけていた。

不動産会社からの通知書を見ると、家賃の滞納額は三か月分、十数万円。
過去にも支払いが遅れることはあったのかもしれないけど、それでも何とかやってきていたのだろう。
しかし、ここにきて、いよいよ払えなくなってきた・・・
もちろん、“袖”があれば“振る”つもりはあったはず・・・
払えるだけの収入がないからそういうことになったのだろう。
で、結局、何か月分滞納すれば追い出されるのかわからない中、「追い出される前に出て行こう」ということにしたのだろうか。

しかし、持病のある高齢者。
家賃が払えないほど困窮し、頼れる身寄りもない。
そんな男性が、どこへ行くというのだろう、アパートを出て行ってしまえば、途端に、路頭に迷う。
行くあてがあるとは容易には思えない。
いくらかの金があれば、ホテルにでも入れるが、家賃が払えないくらいだから、仮にそれができたとしても長続きはしないだろう。
また、金がなければ毎日の食事にも事欠く。
ホームレスになっても生き延びることはできるのかもしれないけど、果たして、そこまで体力と気力を持ち続けることができるものかどうか・・・
「もしかして、自分で寿命を決めて出て行ったのかな・・・」
自然と、そんな考えが頭を過った。
と同時に、恐ろしいほどの切なさと淋しさが悪寒となった背筋を走った。

ただ、男性がどこでどうなっていようが私には関係ないこと。
実際に手助けをするわけでなし、ただの野次馬根性、余計なお世話。
一時的な感傷、ただの自己満足。
もっと言うと、善人気分を味わいたいがための勝手な同情。
事実、作業から数日・・・いや、一晩寝て翌日になれば、男性のことなんか忘れている。
結局のところ他人事で、冷淡にやり過ごすだけのことだった。


「人生100年時代」と言われるようになって久しいが、それが“吉報”ではなく“悲報”のように聞こえるのは私だけではないだろう。
「長寿」、響きはいいけど、誰しも若いまま生きられるわけではない。
頭も身体も衰える。
動きたくても動けなくなり、働きたくても働けなくなり、大半の庶民は経済力も衰える。
健康寿命は100年よりもっと短いわけで、「命が尽きる前に金が尽きる」とも言われている。
「100才まで生きなきゃならないとしたら、お先真っ暗?」なんて、笑えるようで笑えない思いが湧いてくる。

真面目に働いて、税金や社会保険料もキチンと納めて、それでも老後は年金だけで充分な暮らしができない人は多い。
視聴者ウケするよう極端な事例を選んで取り上げているのかもしれないけど、TVで、少ない年金で壮絶な節約生活をする高齢者の暮らしぶりを伝えるドキュメントを何度か観たことがある。
年金の大半が家賃で消える人、電気を契約せず懐中電灯生活をしている人、一日をおにぎり一個でしのいでいる人、老体に鞭打ってアルバイトをしている人等々・・・
「生きているのが面倒くさい」と言っていた老人の疲れた言葉が、ドキッと胸に刺さり、そのまま、夏陽に逆らえないアイスクリームのように悲しく溶けていき、拭いたくても拭い切れないものとなってしまった。


作業が終わると、部屋は空っぽになった。
男性がそこで暮らしていた証・・・生きていた証は、部屋に残された汚れや傷みのみ。
その様が、私の内に涌く妙な淋しさと切なさを煽ってきた。
ただ、そんな私でも、
「どこかで生きてくれてればいいな・・・」
とまでは思わなかった。
私には、男性に対して無責任に生きることを求めることが、薄情で軽はずみなことのように思え・・・
男性に、更なる苦しみを強いることになるような気がしたからだった。

よく 人は、命の大切さ、生きることの素晴らしさを訴える。
当り前のように、それが健全な人間、健全な考えとされる。
人に“死”を強いることが「悪」とされるのは決まりきった倫理価値であるが、はたして、人に“生”を強いることは「善」と言い切れるものだろうか・・・
その中で、人の手によって“生”が粗末にされている現実も多い。
心の中の殺人を含めれば、「日常的に起こっている」といっても過言ではないのではないか。
そこには、「矛盾」の一言では片付けられない矛盾がある。
その矛盾とともに、人類の歴史は、脈々と紡がれている。
無力と諦めの中で、“時間”が、その悲しみと怒りを遠い過去へ洗い流し、忘れさせてくれるのを待ちながら。


結局のところ、これからの時代、物事によっては、短絡的になった方が楽に生きられるのかもしれない・・・
足元を見つめ直し、それを固めることに注力し、将来に“生くあて”を求めない方が軽やかに生きていけるのかもしれない・・・
ネガティブに思われるこの思考も、意外に、見通せない未来に向かってポジティブな芽を出すのかもしれない・・・

コロナ禍明けに沸く世間から取り残された人間が藁をも掴もうとするかのように、私は、そんな風に思うのである。

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鼻つき

2023-03-20 07:00:13 | 死臭 消臭
コロナが落ち着いてきたのを機に、「マナー推奨」の条件付きとはいえ、マスク着用が解禁となった。
議論されることは多々あったけど、マスクはウイルスの放出や吸引を抑制し、感染防止に一定の効果があったと思う。
(大金がつぎ込まれた“アベノマスク”は無駄以外の何者でもなかったように思うが。)
功罪は別として、前回書いたとおり“覆面”の効果もある。
これで安心感を得ている人も少なくないだろう。
また、ニオイについても影響がある。
自分の口臭に気づきやすくなったり、外のニオイに気づきにくくなったり。
事実、口臭対策の商品がよく売れているそう。
ただ、一般の不織布マスクでは、常日頃、私が遭遇している鼻を突くような悪臭を防ぐのは無理。
マスク自体が一瞬にしてクサくなって、防塵としての役割しか果たさなくなる。
何はともあれ、マスクの脱着が余計なトラブルを招くようなことがないまま月日が流れていってほしい。
デリケートな領域の事柄につき、誰かのちょっとした行為が鼻につく人も少なくないように思われるから。

しかし、いつの世にもどこの地にも、鼻につく人間っているもの。
良し悪しは別として、合わない人間はどこにでもいる。
ただ、他人の欠点や短所には敏感なクセに、自分のそれには気づかないのが人の性。
“自分が正しい”“自分は良い人間”と思っていたら大間違い。
結局のところ、誰かにとっては、自分も鼻につく人間の一人のはず。
そこのところを充分に弁えておくことが大切だと思う。

SNSを一切やらない私には縁のない世界の話だけど、「炎上」という言葉はよく耳にする。
時折、ニュース等で、ネット上で繰り広げられているヒドい誹謗中傷を目の当たりにすることがある。
人と人との距離が空間を越えているこの時世では、鼻につく人間というのは、身近な現実社会よりもネット社会の方に多いような気がする。
些細な言動や行動が火種となり、顔も名前をわからない“敵”に袋叩きにされる。
「思想・表現の自由」と言ってしまえばそれまでだけど、「よくもまぁ、いちいち難癖をつけられるものだ」「冷酷になれるものだ」「ヒドイ言葉を思いつくものだ」と憤りを通り越して感心してしまうくらい。

利害関係者なら理解できなくもないけど、攻撃する輩の大半は、何の害も被っていない無関係の人間だろう。
それが、どこからか、ウジのように沸いてくる。
ただ、実際のウジとは違って、そういう輩は、ほんの一部の人間、ごく少数だそう。
単に、世間からの注目を浴びやすく目立ってしまうから大勢のように錯覚するのだそう。
あくまで、広いネット世界の一部に存在する狭いコミュニティー内の文字攻撃なのだから、気にしなければいいだけのことかもしれないのだけど、攻撃される当人にとっては、そう簡単に受け流せるものではないのだろう。


意味は変わるが、私も、よく“鼻をつく人間”になってしまう。
想像の通り、仕事で悪臭が身に着くためだ。
「悪臭」の種類は様々あるが、とりわけ、腐乱死体臭は色んな意味で別格。
鼻はもちろん、素人の場合、腹をえぐられることもある。
同様に、メンタルがやられてしまうことも多々。
あまりにショッキングな光景を目の当たりにし、ショッキングなニオイを嗅いでしまったことで、それがトラウマになる。
そして、一般社会に戻ってからも腐乱死体臭が精神から離れなくなり、ノイローゼ状態になってしまうのである。

幸か不幸か、私はとっくに慣れきっている。
かつては重宝していた専用マスクも、近年は、面倒臭くて装着しないことがほとんど。
鼻から入るニオイは防げたとしても、どちらにしろ、身体は悪臭まみれ(ウ〇コ男)になってしまうことに変わりはないから。
ただ、作業服についたニオイは洗濯すれば落ちる。
身体についたニオイも風呂に入れば落ちる(髪は やや落としにくいけど)。
それでも、「身体に着いたニオイは風呂に入っても落ちない」と思っている人がいるよう。
社会の陰に細々と存在する珍業だから都市伝説になるほどではないけど、そう思っている人がいるらしい。

十年余り前のことになるが、仕事の用で とある出版社の女性スタッフと電話やメールでやりとりしたことが何度かあった。
何度かやりとりするうちに、彼女は、私との面談を希望してきた。
まるっきり会わないのも不自然に思われたため私も応じるつもりではあったが、仕事柄、予定を立てにくいのも現実。
現場仕事を優先せざるを得ないため、約束した日時はキャンセル・変更の連続。
で、結局、彼女と顔を合わせることはないまま用件は片付き、そのまま縁もなくなった。

用件が無事に済んだのだから、私にとって、それはそれで何の問題もなかった。
しかし、事はそれで終わらず。
偶然というか必然というか、とあるサイトで、彼女が書いた私に関するコメントを発見。
そこには、
「特掃隊長は、身体に浸みついたニオイを気にして人と会わない」
といった趣旨のことが書かれてあった。
会わなかったのは、あくまで仕事の都合、スケジュールの問題。
彼女にもそう伝えていた。
しかし、彼女が表にしたのは上記のとおり。
おそらく、私に見られることはないだろうと思って書いたのだろうけど、これも、ある種の誹謗中傷。
「随分、失礼なことを書くもんだな」
と、当時は、かなり気分を害したし、少し悲しくもあった。
気分的には文句の一つも言ってやりたかったけど、既に用件は終わり縁を保つ必要もない人物であり、
「文句を言っても自分の口が汚れるだけだから」
と、そのままスルーし、今では忘れかけた想い出として残っているのみである。



消臭についての問い合わせがあった。
電話の相手は、とある内装業者。
現場は、住宅地に建つ一戸建。
そこで暮らしていた住人が孤独死。
住宅密集地で近隣には多くの人が暮らしていたが、直ちにその異変に気づく人はおらず。
結局、季節の暑さも手伝って、遺体は著しく腐敗してしまった。

現場となった家屋は、故人所有。
相続人はいたが、以降、そこに居住する縁者はおらず。
第三者に売却されることになり、とある不動産会社が買い取った。
そして、リフォームを施した上で再販。
私が相談を受けた時点では、既に再販の売買契約は成立しており、当家屋のリフォーム工事も完了。
買主への引渡しを待つばかりの状態だった。

ただ、「亡くなっていた部屋だけ妙な異臭が感じられる」とのこと。
内装がきれいになっているのに異臭が残留しているということは、そもそもの作業内容・工程を間違った可能性が高い。
本来なら異臭をキチンと除去してから内装を仕上げるべきところ、「内装をきれいにすればニオイもなくなるだろう」と、腐乱死体臭の性質を理解していない一般の人は、その辺のところを甘く考えてしまうわけだ。
この内装業者も、同様に甘く考えていたのか・・・
しかし、現実として遺体臭は残留してしまい、工事が終わっても買主に引き渡すことができない事態に陥っていた。

話を聞いただけで、私は“内装工事のやり直しは避けられないだろう”と判断。
「現場を見ないとハッキリしたことは言えませんけど・・・」
と前置きした上でその旨を伝えた。
それでも、内装業者は、
「このまま消臭できると助かるんですけど・・・とりあえず、現地を見てもらえませんか?」と強く要望。
私は、“仕事にならない可能性が大きいかな・・・”と思いながらも、“これも何かの縁”と、同じ肉体労働者である情に後押しされながら現場に出向く約束をした。


訪れた現場は、街中の住宅地に建つ一戸建。
大きな建物ではなかったが、築年数は浅そうで、外観もきれいな状態。
そこには、二人の男性が。
一人は、電話をしてきた内装業者。
作業服姿で四十代くらい。
もう一人は、不動産会社。
スーツ姿で三十代くらい。
私は、それぞれに名刺を渡し、立場に上下はない中でも、礼儀として丁寧に頭を下げた。

問題の部屋に入ると、日常にはない異臭が私の鼻孔に侵入。
低濃度ではあったものの嗅ぎなれたもので、その正体は明らか。
「やっぱ、遺体のニオイですか?」
二人は、緊張の面持ちでそう訊いてきた。
「残念ながら そうですね・・・断言できます」
私は、自信をもってそう返答。
すると、二人は、“マズイなぁ!”と言わんばかりの引きつった表情で顔を見合わせたかと思うと、次第に、不動産会社の表情は怒ったようなものに、内装業者の表情は怯えたようなものに変わっていった。

私は、内装業者のスマホに保存されていた工事前、工事中の画像を確認。
遺体液によりフローリングは腐食し、下地もダメに。
ただ、画像で見るかぎり、床は下地もフローリングも全面交換されており、問題は見受けられず。
次に問題視すべきは天井と壁。
そのクロスはすべて新品に貼り換えられており見た目は新築状態。
ただ、鼻を近づけてみると、微妙は感じ。
明らかにクサくはなかったものの、下地ボードから出ていると思われる異臭をわずかに感知。
また、建具や収納庫などにはハッキリとした異臭が付着。
部屋の異臭は、それら全体から、ジワジワと滲み出ているものと思われた。

「急いで脱臭する必要があるなら、新品のクロスを剥がしてもらうことになると思います」
「もしくは、いずれは生活臭の方が勝るときがくるので、この状態で生活して、自然に中和されていくのを待つか・・・それなりの月日はかかると思いますけど」
私は、そうアドバイス。
もちろん、買主は、当家屋が事故物件であることは承知で購入したはず。
地域相場より割安なわけで、敬遠する人が多い中でも「お買い得」と考えて購入したのかも。
そうは言っても、家屋が原状回復する前提での購入のはずで、遺体臭が残ったままでは暮らしようがないだろう。
契約した価格を更に下げれば話は変わるのかもしれないけど、この状態で買主が納得して入居する可能性は低いと思われた。


私は、部屋に漂うニオイも鼻についたが、それよりも鼻につくことが別にあった。
それは、内装業者に対する不動産会社の態度。
私を含めた三人の中では、明らかに不動産会社の方が一番年下。
にも関わらず、不動産会社は内装業者に対してタメ口。
それにとどまらず、何を勘違いしているのか、初対面の私にまでタメ口。
横柄、偉そう・・・
それが親近感からくるものではなく、上から目線からきているものであることは明白。
「元請→下請→孫請」の構造(上下関係)がハッキリしている製造業や建設業では当り前の慣習なのかもしれないけど、部外者の私にとってそれは、かなり不愉快なものだった。

しかも、両氏の会話からは、本工事は、不動産会社の指示通りに行われたことが伺い知れた。
内装業者は、「内装改修のみでの消臭は無理では?」と不動産会社に進言したようだったが、不動産会社は「内装工事をすればニオイも消えるはず」と安易に考えたよう。
当社のような専門業者を入れれば工期も長くなれば費用も膨らむ。
逆に言えば、ニオイを無視すれば、余計な工期も費用はかからない。
で、結局、内装業者は、不動産会社の指示通りに工事を行ったよう。
しかし、不動産会社は、そういう経緯を無視して妙な理屈をこねくり回し、その責任を丸ごと内装業者に押し付けるような方向で話を進めていった。

とにもかくにも、早急に悪臭を除去するには、一部の内装工事をやり直す必要があった。
となると、追加の工事費用がかかるのはもちろん、買主への引き渡し時期を遅らせる必要もある。
消臭にかかる費用をはじめ追加の工事費は、当然、買主に負担させるわけにはいかない。
ま、それは、内装業者か不動産会社が負えば済む。
問題なのは、買主に事情を説明し納得してもらうこと。

買主は、引っ越しの予定を決め、引越業者の手配も終わっているだろう。
退去日も確定させているはずで、賃貸住宅の場合だったら、問題は尚更大きくなる。
大迷惑をかけてしまうことは明白で、大顰蹙も買ってしまうだろう。
事情を説明したとしても、到底、すんなり了承してもらえるとは思えない状況。
そうは言っても、買主と協議しないまま事が収まるはずはなかった。

内装業者は不動産会社の下請業者だから立場も弱い。
つまり、イヤな役回りを押し付けられやすい立場ということ。
また、追加でかかる費用についても、それなりの負担を強いられる可能性が少なくない。
ひょっとしたら、買主に対して矢面に立たされるかもしれない。
ただ、内装業者としては、現実の力関係と先々の商いを考えると、納得できないことはあっても受け入れるしかないところもある。
元請と下請、この弱肉強食の構図は、この世の中に五万とある。
想像するだけで気の毒に思えたが、内装業者がその役割を担わされることになるのは、他人の私でも容易に想像できた。


その後、当社の提案に沿って再工事。
内装業者とも何度か顔を合わせるうちに、仕事のことはもちろん、他のことも色々と話せる間柄に。
彼は一人親方で、職人仲間と力を合わせて、色々なところからの下請工事をこなしているそう。
本件の不動産会社は大口の取引先の一つ。
ただ、「どの担当者も偉そうで、人使いも荒く、好きになれない取引先」とのこと。
それでも、食べていくために仕事は選べず、儲からない仕事や雑用でもペコペコ・イソイソとやっているそう。
そんな話の中で、
「これからもそうやっていくしかないんですけどね・・・」
と、表情を曇らせた。
その顔からは、不動産会社への不満だけにとどまらず、それまでに味わってきた世の中の理不尽さと資本主義の罪に対する悔しさも滲み出ているような気がした。

結局のところ、泣きをみるのは、力のない者、立場の弱い者なのか・・・
いつの世でも、理不尽な目に遭うのは、力のない者、立場の弱い者なのか・・・
私は、その“答”にたどり着けないまま小さな溜め息をついた。
そして、「生きていくって楽じゃないよな・・・」と、曇りがちの空を力なく仰いだのだった。

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無駄

2023-02-24 07:00:00 | 特殊清掃
三年が経ち、コロナ禍も終盤に入りつつあるのか・・・
感染症の分類も5類に引き下げられることになり、マスク着用も原則として「個人の判断」となる模様。
そんな中、判断の難しさや想定されるトラブルをネタに各所で議論が巻き起こっている。

コロナ対策とは別の視点だが、人は マスクを着けていると美男美女に見えやすいそう。
事実、TVに映る一般人を観ても、多くの人が美男美女に見える。
同時に、身の回りには、マスクを外した素顔を見て、「この人、こんな顔だったんだ・・・」と、失礼ながら、想像していたほどの美形でなかったことに驚いてしまった人が何人かいた。
私の場合、マスクを着けていても美男には見えないだろうけど、その逆もあるかもしれない。
そう考えるとお互い様。
それを口に出さないことが大切なマナー。

顔半分を隠して生活することになれてしまって、人によっては、もはや、マスクは服の一部。
すでに、多くの人が「マスク依存症」「素顔アレルギー」に罹り、メンタルの問題に発展している気配もある。
「コロナもインフルも花粉も気にならないけど、顔を出すのが恥ずかしいから」と、マスクを着用し続ける人も少なくないのではないかと思う。

私の場合、人と人との距離が近くなる場面においては、“マスクを着けてほしい”と思う。
屋内はもちろん、屋外でも近い距離で会話する場合はマスクを着けてほしい。
心配してもキリがないのはわかりつつも、誰かから感染するのはイヤだし、誰かに感染させるのもイヤ。
そんな感覚だから、おそらく、私は、“着用派”になるだろう。
そして、それが無駄なこととも思わないだろう。
ただ、マスクを着けていない人に対して悪い感情を抱かないように気をつけなければいけないと思っている。



特殊清掃の相談が舞い込んだ。
電話の相手は女性で、声から察する歳は30代くらい。
ただ、声のトーンは弱った老人のように低く、印象は暗い感じ。
現場は、女性の自宅で、賃貸のアパート。
木造の古い建物で、間取りは1DK。
私は、事情を知るため、女性にいくつかの質問を投げかけた。

「特殊清掃」と聞くと、まず孤独死現場の処理が頭に浮かぶかもしれないが、それだけではない。
当社では、その対象となる汚れを「特別汚損」と称しているのだが、その種類は多種多様。
一般のハウスクリーニング業者は対応しないような、非日常的な汚れを対象とする。
ゴミ部屋、ペット部屋、漏水、糞尿、嘔吐物、数は少ないが火災現場等々・・・
また、特別汚損現場ではないところの消毒・消臭も請け負う。
多いの、賃貸物件の入退去にあたっての消毒消臭。
タバコ臭やアロマ臭、前住人の生活臭等が気になる場合に呼ばれるのだ。
神経を使うのはノロウイルス。
感染力が高く、症状も重いため、作業時は余程気をつけなければならない。
コロナ禍の当初は、その消毒に出向いたこともあったが、しばらく前から落ち着きを取り戻している。

本件の相談は、女性自身が引き起こしたことだった。
それは、室内での失禁。
しかも、何度も。
そして、それを拭き取りきらないまま、その上にまた失禁。
それが長期間に渡って繰り返されているようだった。

居室は畳敷きの和室で、カーペットが敷いてあるそう。
となると、当然、尿はそこに浸み込んでしまうわけで、その状況から、私は、“清掃のみで原状回復できるレベルは超えている”と判断。
「現地を見ていないので断言はできませんけど、カーペットと畳は交換する必要があると思いますよ」
と回答。
女性は、“特殊清掃業者に頼めば何とかなるかも”と期待をしていたようで、ややガッカリした様子。
それでも、
「とにかく、見に来てもらえないでしょうか」
と、強く要望。
私は、“仕事にならない可能性が高いけどな・・・”と思った。
が、しかし、仕事にならないことが明らかな場合以外は、できるかぎり要望に応じることをモットーとしている私。
“百聞は一見にしかず”と気持ちを切り替え、現地調査に出向くことを約束した。

女性は、現地で顔を合わせるのは避けたいようで、
「その時間、玄関の鍵を開けておきますから勝手に入ってください」
とのこと。
女性の部屋に一人で入ることに躊躇いを覚えなくもなかったが、それが女性の羞恥心からくるものだと察した私は、二つ返事で承諾。
そうは言っても、これが、後々、トラブルの種になっては困る。
入室を許可する旨と、家財の滅失損傷については免責とする旨の覚書をつくって玄関に用意してもらうことを条件にした。

約束の日時、私は女性のアパートを訪問。
一階の一室である女性の部屋の玄関前に立つと、まず、女性に、
「到着しました」
「これから部屋に入らせていただきます」
と電話。
すると、女性は
「鍵は開けてあります」
「覚書は下駄箱の上に置いてあるので、よろしくお願いします」
と、やや緊張した様子で言葉を返してきた。

ドアを開けると、長く掃除していないトイレのようなニオイ・・・
室内はアンモニア系の異臭が充満。
専用マスクをつけずとも我慢できるレベルではあったものの、明らかにクサい。
私は、下駄箱に置かれた覚書を確認のうえ 靴を上履きに履き替え 薄汚れた台所を通り過ぎ 部屋の奥へ。
すると、そこには、甘かった想像を超える光景が広がっていた。

女性は、相当の長期に渡って失禁を繰り返したよう。
家具等が置いてある部分を除き、露出している床の部分はほぼ全滅。
敷かれたカーペットは、ほぼ元の色を失い茶色く焼けたような色に。
部屋の隅から中央に向かってカーペットをめくってみると、その下の畳も黒ずんで腐食。
ジットリと湿気を帯びた畳は一段と高い濃度の異臭を放ってきた。

また、部屋は、「ゴミ部屋」というほどではなかったが、お世辞にも「きれい」と言える状況ではなし。
整理整頓はできていたものの、台所や部屋の隅にはホコリがたまり、頭髪や細かなゴミも散見された。
水周りも掃除が行き届いておらず、風呂場の浴槽や天井壁には、広範囲に水垢・カビが発生。
キッチンシンクも同様で、ガスコンロ周辺と換気扇は機械オイルを塗ったようにベトベト。
肝心のトイレも似たような状態。
ただ、詰まって水が流れないわけでもなく、便座も座れないくらい汚れているわけでもなかった。

部屋に糞便の影はなし。
トイレも使える状態なわけで、糞便の用はトイレで足していたのだろう。
“何故、小便だけ、部屋でしてしまったのだろうか・・・”
下衆の野次馬=私は、そこのところが不思議でならなかった。
その辺のところが知りたくてたまらなかった。
が、その質問は、あまりに無神経。
しかも、事情を知ったところで、作業の内容が変わるわけでもなかった。

どんな人も、長所があれば短所もある。
得意なことがあれば不得意なこともある。
強みがあれば弱みもある。
そして、当人にしか持ちえない「性質」「癖」「嗜好」がある。
また、心や身体に病を抱えている人だっている。
女性が部屋で失禁し続けた理由を想像することはできなかったが、他人が理解できないところに理由があることは察することができ、そう頭を巡らせると野次馬はおとなしく走り去っていった。

当初の電話で想像していた通り、「清掃での原状回復は不可能」と判断。
汚損したカーペットと畳は物理的に交換するしかなく、畳の下の床板まで汚染されている可能性もあり、場合によっては床板の交換まで必要になる。
下手をしたら、床下にまで垂れている可能性もなくはなかったが、女性の不安を煽るようなことを言っても気の毒になるだけだったので、希望的観測を含めて、そこまでのことは口にせず。
あとは、本格的なルームクリーニングや細かな設備修繕も必要。
大がかりな作業が必要になることは明白だった。

女性には両親のいる実家はあったが遠方。
また、しばらく寝泊りさせてくれる友人もいないそう。
となると、やり方としては、レンタル倉庫を借りて、一旦、家財一式を保管。
そして、自分は、ホテルやウイークリーマンション等に一時避難。
しかし、これには、相応の手間と費用がかかる。
その上、畳や床板の交換を大家・管理会社に黙ってやるのはマズい。
ということは、どちらにしろ、大家・管理会社に実情を伝えなければならないわけ。
だったら、状況をキチンと伝えたうえで転居を計画した方がシンプル。
もちろん、部屋の原状回復費用の多くを女性が負担することを覚悟のうえで。
女性にそこまでの資力があるかどうか不明だったが、私は、それ以上に無難な策を提案することができなかった。

“掃除で復旧できれば・・・”と、淡い期待を抱いていた女性だったが、現場を見た上での私の説明は受け入れざるを得なかったよう。
私の説明に対しては、溜息のような返事を繰り返すばかり。
表情こそ伺い知ることはできなかったが、電話の向こうで消沈している様が痛々しく感じられるほどに伝わってきて、縁の薄いアカの他人ながらも気の毒に思えた。
そうして、ひとまず「検討」というところに着地し、その場の話は終わった。

その後、女性は、部屋から退去。
ただ、そこは老朽アパートにつき、新たな入居者は募集せず。
で、幸いなことに、クリーニングも内装工事も必要最低限の費用で済んだ。
ただ、すべてを管理会社が取り仕切り、当方の出番はなかった。
そして、意図せずして、女性が身体に障害を抱えていたことも判明。
部屋の汚損すべての原因がそこにあるとは言い切れなかったが、少なからずの原因がそこにあったことは容易に想像できた。
加えて、女性が、健常者と同じ環境で四苦八苦しながら生活していたことも。
とにもかくにも、当方には一銭たりとも入ることはなかったが、事の収拾が予想していたよりも大事にならず、また、女性が、困難多い中で生活をリセットできたことを喜ばしく思えたことが、自分の益になったような気がしたのだった。


珍業とはいえ、当社も民間のサービス業者の一つ。
競合他社もあり競争の中にいる(特殊清掃草創期は、当社独占みたいな時期もあったけど)。
したがって、相談を受けた案件、すべてが売上につながるわけではない。
当社は、「初回の現地調査は無料」としており、調査料やアドバイス料を請求することもないから、現地への足労が無駄になってしまうことも珍しくない。
ただ、仕事になりにくそうな案件でも、相談はもちろん、現地調査にも積極的に応じるようにしている。
それで、一つの経験が積み増しされるわけだから。
そして、蓄積された経験から より良いノウハウが生まれ、それによって仕事の質が上がる。
直接的に金銭的な見返りがなくても、大局的に見れば、まったくの無駄にはならないのである。

人生もまた然り。
人生には、無駄なことにように感じられることや、無意味なことのように思われることがたくさんある。
とりわけ、災難な患難に対しては、そんな想いが強くなる。
しかし、実のところは、無駄ではなく、無意味でもない・・・
ただ、それを理解する能力と受け入れる器が自分にないだけで・・・
生きていく力を失わないよう、確信はないけど、そう思いたい。そう信じたい。

ただでさえ、明るい未来を描きにくい時代にあって、どうしても、無駄なことばかりやって無意味な時間をやり過ごしている感を強く抱いてしまう私は、それでも、自分を無駄なく生きさせたいと願っているのである。
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意思不疎通

2023-02-06 07:00:00 | 孤独死
「一月は行く」「二月は逃げる」「三月は去る」とも言われるが、モタモタしている間にもう二月。
とはいえ、春はまだ遠く、寒い日が続いている。
とりわけ、この冬は、厳しい寒波が日本列島を襲っている。
太平洋側の一部を除き、各地、幾度となく大雪に見舞われ、車の立ち往生や家屋の倒壊など、トラブルが頻発。
スリップ事故、屋根の除雪作業、雪に埋もれた車中、バックカントリースキー中の雪崩・・・不慮の死を迎える人も。
TVを観ても、コロナのことより寒波を伝えるニュースの方が多いような気がする。

ただ、世界に目を向ければ、寒々しいのは季節ばかりではない。
世界各地で戦乱が後を絶たず、圧政が堂々と行われている国も少なくない。
“ペン”で解決できないから“銃”を出す。
現実には、話し合いで片付かないことがたくさんあり、結局、人間は暴力に走る。
これは国家レベルだけのことではなく、個人レベルでも同様。
“口”で解決できないから“手”を出す。
我々の社会の中でも暴力は日常的に横行しており、それで亡くなる人もいる。
この世の中には、少しでも気持ちを通じ合わせることができれば避けられる問題、解決できるはずの問題が何と多いことか。
これは、人間の愚かさ、人間の限界が生み出す、逃れることができない“負の定め”なのだろうか。



訪れた現場は、賃貸マンションの一室。
そこで暮らしていた高齢の住人が孤独死。
そして、そのまま数日が経過。
故人は、部屋に敷かれた布団の上で亡くなっていたようだったが、しかし、それによる汚染は見受けられず、また、異臭もほとんどなく、老人特有の生活臭が漂っているくらい。
ヘヴィー級だと、遺体痕がクッキリと布団に浮き出ているようなことがあるが、ここではそんなことはなく、シーツは薄汚れていたものの、それは、ただ洗濯されていないせい。
説明されなければ、そこで人が亡くなっていたことはわからないくらい平穏な状態だった。

ただ、この現場には、大きな問題があった。
それは、隣の住人とのトラブル。
遺体発見時、警察が来たわけで、ちょっとした騒動になったよう。
当然、その事実は、他の住人にも知れ渡ることに。
“死人”が発生したとなると、落ち着いていられないのが世の常 人の常。
それが、自分に近いところで発生したとなると尚更。
異臭や害虫が発生していなくても、嫌悪感や恐怖感を抱くのは、人として、それほど不自然なことではなかった。

それは、本件のマンション管理会社の担当者も同様。
よくよく聞くと、
「マンションには行ったのですが、部屋には入っていなくて・・・」
とのこと。
孤独死現場はかなり苦手なようで、“できることなら関わりたくない”“仕事だから仕方なく関わっている”といった感じ。
私は、そんな担当者から、
「隣室の人に部屋の状況と今後の作業計画を説明して下さい」
と頼まれていた。
更に、
「隣は若い夫婦が住んでいて、二人ともクレーマーだから気をつけて下さい」
とも言われていた。
何だか、イヤな仕事を押し付けられたようで気分はよくなかったが、“これも下請会社の宿命、下請会社の任務の一つ”と飲み込んで現場に出向いていた。

私は、この仕事を長くやってきているけど、万人と平和にやってきたわけではない。
数は少ないながら、依頼者、遺族、不動産会社、マンション管理人、近隣住民等と揉めてしまったことがある。
不可抗力の事由もあれば、相手の理不尽な振る舞いが我慢できなかったこと等、理由は様々。
小心者かつ臆病者の私からケンカを吹っ掛けるようなマネをしたことはないものの、堪忍袋の緒を切ってしまったことが何度かあった。
しかし、何事も平和に解決するに越したことはない。
争うような事態は避けたかった私は、隣室を訪れる前に外で何度か深呼吸をして
「我慢!我慢!、聞き流せ!聞き流せ!」と自分に言い聞かせた。

他に頼める者がいるわけでもないし、気が進まないことを後回しにしても仕方がない。
しかし、男性がどのような人物なのか、不安もある。
故人の部屋の見分を終えた私は、気持ちを整えるため しばしの時を経て隣室の玄関前へ。
何をネタに文句を言われるかわからないので、加齢臭や肉体の劣化は別として、自分に異臭や汚れがついていないことを念入りに確認した上で、いつにない緊張感を抱えながらインターフォンを押した。

室内からは、すぐに応答があった。
そして、インターフォン越しに用件を話すと、すぐに玄関が開いた。
と同時に、中から一人の男性が出てきた。
年の頃は、三十前後か、強面の人物を想像していたのだが、予想に反して表情は穏やか。
物腰も柔らかく
「ご苦労様です」
と、礼儀正しく頭を下げてくれた。

「クレーマー」とのことで、キツいキャラクターの人物を想像していた私。
結構なことを言われる覚悟はあった。
しかし、男性にそのような威圧感はなし。
それどころか、冷静に私の話を聞くつもりがあるような物腰。
いい意味で、意表を突かれた。
が、第一印象だけで油断して、後でヒドい目に遭ってはいけないので、私は警戒の糸を緩めることはしなかった。

手を出されることを心配していたわけではなかったが、私は、玄関前に出てきた男性と少し距離をあけ、ゆっくりとした口調を心掛けながら話をスタート。
まずは、「自分が長い間この仕事をしている」ということ、つまり、「こういった現場を扱う上で素人ではない」と、まったく自慢できない経歴を“バカの自慢”と思われないよう やや消沈気味に自己紹介。
それから、
「グロテスクな話をしても大丈夫ですか?」
と前置きし、了承してもらった上で、至極凄惨な現場の事例をいくつか列挙。
それらと比較して、
「起こった出来事は残念ではありますけど、〇〇さん(故人)の部屋は、言われなければわからないくらいフツーの状態です」
と報告。
その上で、部屋の状況と作業プランを丁寧に説明していった。

私の話にどれだけの説得力があったか不明ながら、男性は、状況を理解。
そして、
「部屋で亡くなっていたのは仕方がないことです」
「気づかれずに時間が経ってしまったのも仕方がないことだと思います」
「〇〇さん(故人)が、わざとやったことじゃないんですから・・・」
と、意外なほど大らかに対応。
“クレーマー”どころか、むしろ、その死生観は寛大なくらいで、男性は、故人が孤独死したことや、しばらく放置されてしまったことをとやかく言うようなことはなかった。

では、苦情の原因は何だったのか。
何が不満で、何に憤ったのか。
それは、管理会社の対応と衛生的な問題。
どうも、遺体が搬出されて後も、管理会社から何の説明もなかったよう。
気になった男性が問い合わせても、部屋の状態について具体的な説明はなし。
また、その間、部屋には遺族が何度も出入り。
その際、遺族は、周りに気遣うこともなく玄関も窓も全開に。
更に、分別や日時等のルールも守らず、自分勝手にゴミ置場にゴミを放置。
それを注意するよう担当者に伝えたが、遺族が言うことをきかなかったのか、そもそも、担当者が遺族に伝えなかったのか、その後も、遺族は無神経な振る舞いを続けたそう。
男性は、そのことを極めて不快に感じ、憤りに近い感情を抱いていたのだった。

私は、男性の気持ちが理解できないわけではなかった。
が、正直なところ、「それにしても、ちょっと神経質過ぎないか?」「特段の悪臭もなく害虫も発生していないのだから、窓くらい開けてもいいだろう」とも思った。
しかし、話を聞き進めると男性には事情があった。
それは、男性夫妻に、生まれて間もない赤ん坊がいること。
故人宅から悪臭が漂ってきたり、ハエが入り込んできたりしたわけではなかったが、部屋の状態がわからない以上、孤独死現場に関する知識・情報はネットから拾わざるを得ない。
そして、ネットでヒットするのは、だいたいがヘヴィー級の腐乱死体現場。
で、人々の気を引くために、大袈裟な表現がされていることも少なくない(このブログはそうなっていないことを信じたいが)。
となると、衛生的なことが気になるのは当然と言えば当然。
無垢の赤子がいるとなると、尚更うなずける。
男性は、どんな菌やウイルスを持っているかわからない空気が無造作に放出されることで「子供に害が及ぶのではないか」と心配になったよう。
それで、管理会社に疑問や苦情を発し続け、時には、煮え切らない対応に声を荒らげてしまったこともあったよう。
そうして、管理会社から“クレーマー”に仕立て上げられてしまったようだった。


ちなみに・・・
本件に限らず、こういった現場では、菌やウイルスを気にする人は少なくない。
他人はもちろん、血のつながる身内の中にも心配する人はいる。
しかし、種類や程度は異なれど、菌やウイルスはどこにでも存在するもの。
無菌状態で日常生活を送っている人はまずいない。
だから、余程 不衛生な状態でないかぎり、気にしても仕方がないところはある。
ただ、潔癖症の人もいれば、その逆の人もいるわけで、衛生観念は個人の性質によるところが大きいため、ちょっと間違うとトラブルになってしまう。
したがって、当社における、消毒事業においても、「消毒の成果を証明することはできない」「無菌化の実現を保証するものではない」ということは、あらかじめ説明し契約条項に記載。
その合意がないと契約・施工はしないのである。


男性が「クレーマー」と揶揄されたしまったところにあった真意は、子を案じる親の気持ち。
コロナ禍でイヤと言うほど思い知らされているが、事実、この世界には、多様な感染症があり、空気感染するウイルスも多い。
それで重い病にかかったり亡くなったりする人も少なくはない。
加えて、ただでさえ、“死”というものは恐怖・嫌悪されるわけで、孤独死・長期放置となると、そのマイナス感情は膨らんでしまう。
異臭や害虫など、ハッキリした害がなくても、気になる人には気になるし、気になるときは気になるもの。
話を聞けば聞く程、私は、男性の想いを察することができた。
と同時に、悪意はないのは百も承知だったが、落度があるのは担当者のような気がしてきた。
当初から、他住人に部屋の状況をキチンと説明し、遺族に対しても近隣への配慮を促すことが必要だった。
それが、実際は、逃げ腰・及び腰で、積極的に事の収拾を図ろうとしなかったわけで、そこのところが男性の不信感を買ってしまったものと思われた。

男性の想いが充分に理解できた私は、男性の要望よりハイレベルの消毒作業を思案。
“超ライト級”の現場なのだが、“ヘヴィー級”に近い対応をすることに。
そして、その内容を男性に説明。
男性は、こういう現場の処理については素人なのだから、理解できなくても納得できなくても私の提案を受け入れるしかなかったのだが、その表情は朗らかで、そこからは「信用してお任せします」といった心情を読み取ることができ、私はホッと胸をなでおろした。

私は、管理会社の担当者に男性の事情を伝えた。
そして、やや担当者を非難するような言い回しになってしまったが、男性と話し合うことを進言。
担当者は、男性が“クレーマー”ではないことを理解してくれたようだったが、トラウマになっているのか、それでも、男性と関わるのは気が進まないよう。
結局、男性と和解する話は、担当者の生返事で終わってしまった。
が、とにもかくにも、男性との約束もあるし、現場を放っておくわけにはいかない。
早急に作業に着手し、充分な期間を設けて粛々と進行。
「気になることがあったら遠慮なく連絡ください」
と、念のため 男性に携帯電話番号を伝えていたのだが、一度もかかってくることはなく、一連の作業は無事に終えることができたのだった。


私にも、痛いほど心当たりがある。
表面的に合わせることは何とかできても、真に誰かと想いを共有するって難しいもの。
「話せばわかる」と言うほど簡単なことではない。
言葉が足りないせいか、行動が足りないせいか、そして、想いが足りないせいか、どこかで、我慢・妥協・迎合を要する。
その我慢を「自制」に、妥協を「寛容」に 迎合を「尊重」に変えることができればいいのだけど、それに先んじて不満や怒りが湧き上がってしまう。
で、理解することも理解されることも、受け入れることも受け入れられることもなくなる。

淋しく諦めるか、無理に開き直るか、それとも、省みて自分をやり直す勇気を持つか。
大切な一人一人に、残された一日一日に、そして、過去と今と未来の自分にキチンと向き合うべきなのだろうと想う寒冷下の私である。
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