COTE D'IVOIRE

アビジャンに住んでいました(1999.3-2002.10)
サイト《象牙海岸にて》の続編を綴ってみます。

グランバッサムの思い出

2019年07月20日 | 一般情報
CI01 GrandBassam


終活真っただ中。
何とかアップしたこの動画、、果たしてYouTubeerデビューとなるか、、3日坊主か、、
一日坊主だったりして、、。

自分でも忘れていたビデオが出てきて、、今週は大忙し。
なにしろVHSからのコピーなので、、
まず最初にやったのは、、VHSレコーダーのヘッドクリーナーをアマゾンで購入。

中にはテープにカビが付着して動かないものもあり、、残念でした。
どのくらいアップできるか、自信はないが、焦らずにやるかな、、。

最近のコートジボワール:DES NOUVELLES DE LA CÔTE D'IVOIRE

2014年04月23日 | 一般情報
最近、フランスのテレビチャンネル"arte"(アルテ)をたまに見る。なかなか興味深いのをやっている。先日は DES NOUVELLES DE LA CÔTE D'IVOIRE というのをやっており、最近の動きがわかりやすくまとめられていた。しかも翌週くらいにはYouTubeにアップされるので、こちらのURLをシェアーする。



<iframe width="560" height="315" src="//www.youtube.com/embed/eUEXdDSJ-yo" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

arteウエブサイトから:

簡易プレヴューには現れているので、どうしてアップできないんだろう??

下記URLをコピーしてご覧いただけます。
URL: http://ddc.arte.tv/nos-cartes/des-nouvelles-de-la-cote-d-ivoire




アフリカの風

2014年04月22日 | 日々の暮らし
ラジオの音が耳もとをかすめた。
「・・アフリカの・・・、その国は日本の1.3倍で、、高原の国立公園には、、野生動物の、、」
『ケニア』に違いない、、
ラジオに近づきボリュームを上げる。「MESIA アフリカの風」という番組で、アフリカンミュージックの紹介をしている。ケニアの特集ということで、ケニア在住の女性の電話インタビューが流れる、現在60代後半で、ストリートチルドレン支援の工房を運営されているとのこと。

同世代のアフリカに生活している人がいる。彼女はケニアの魅力として「多様性」とこたえた。とかく良い面と難しい面は表裏一体、多様性の裏面には不一致、相違、分散などがあり、これらが紛争や治安悪化の一因にもなり得る。実際ケニアの都会ではすでにこの裏面が以前から日常生活にも現れている。日本人学校の校長が襲われたのはもう10余年も前のことだ。ただ、アフリカの多様性は寛容で個々の違いや文化・宗教さえをも認め合う、調和のとれた、というよりは異文化社会で豊かに生きる術があったはずで、今もそのような場に出会うことは多い。

アビジャンの風は、果実とフルーツバットの臭いを伴い湿った熱さを運んできた。アガデスの風は、静寂な無味乾燥から目をあけることもできない痛い風まで多様で、機嫌のよい日には喉をいやす瓶にそよぎ、風の歌を歌ってくれる。そしてナイロビの風は都会の喧騒から離れると、アダムとイブの楽園を彷彿させる。かつての楽園の風に出会える場所は多くないものの、存在している。
インタビューに応えた女性もアフリカの多様性の中で、そんなアフリカの風に吹かれ移住を決意したのではあるまいか、多様性の豊かな営みが真の楽園につながる、そんな思いを感じたのかもしれない。アフリカの風の息吹を同年代のアフリカに住む女性から感じた。多様なモザイク国家は欧州にも、他の大陸にも多い、ただ楽園の風には吹かれたことがない。楽園の風が吹く大陸、その可能性を秘めているのがアフリカと気付き始めたこの頃である。


2011年4月2日(土曜日)の動き

2011年04月03日 | 2010大統領選挙の後
2011年4月2日(土曜日)

アラサン・ワタラ支持者がローラン・バボ体制を終結させる時として攻撃を開始。すぐにも決着がつくかに見えていたものの、事態は混乱している。フランスとソロ氏から発せられるメッセージからはヒットラーの最期を彷彿させる。

我々が知ることのできない情報も多いと思う、バボ氏がこれほどまでに抵抗するのは『アフリカの体制革命』を夢みてのことなのかもしれない、、

4月2日の模様を、下段に古い出来事を、上段に最新のものを整理した。
(Source:http://www.rfi.fr/afrique/20110402-crise-ivoirienne-evenements-heure-heure)

18h45 :土曜日に撮影したものと思われるバボ氏の、お茶を飲みながらくつろいでいる映像がRTI(コートジボワール放送(ラジオテレビ))から放映。前大統領はココディの家にいた。
18h20 :RTI放送は今もローラン・バボの支持者の手中にある。
18h15 :フランス大統領官邸からのコミュニケによれば、フランスは、コートジボワールの選出大統領アラサン・ワタラと共に、「コートジボワール各党に対して、市民への暴力自制とつつしみを厳重に努めるよう公式に呼びかけている」
16h45 :アビジャン北部、アジャメ地区のアグバン軍キャンプの近くでは、午後に激しい重砲が鳴り響いた。
16h40 :英国外交代表のウイリアム・ヘイギュ氏は、コートジボワールにおける暴動に対し「極めて憂慮しており」また「全党を挙げて鎮静するよう」呼び掛けた。
16h15 :デュエクエで、アラサン・ワタラ軍によって殺害されたのは「義勇兵と非市民」であることが確認されたとワタラ側軍スポークスマンより発表。
16h00 :午後、大統領官邸地区からは、迫撃砲など激しい重砲の攻撃音が聞かれた。
14h20 :フランス外務大臣、アラン・ジュペ氏は、ローラン・バボ氏の「国家首長最後の日」と推測する旨、ボルドーで開催中の人種差別および反ユダヤ主義撲滅国際同盟討論会の場で述べ、また「彼の強情は今日、犯罪となり、立ち去ることになる」とジュペ氏は付け加えた。
13h50 :国の西側に位置するデュエクエで、アラサン・ワタラ軍が市を奪取する水曜日前に、100名以上がローラン・バボ側の雇用兵に殺害されていた、とコートジボワール国連軍により確認。
13h50 :デュエクエでは330名が週明けに殺害され、「これらの大半が」国際的に大統領として知られているアラサン・ワタラ大統領の部隊によるものと、国連軍は確認した。
12h00 :日曜日朝6:00からの外出禁止令がアラサン・ワタラ政府により発表。
11h30 :アビジャンのローラン・バボ大統領官邸地区に激しい重砲砲撃。
10h30 :ローラン・バボ支持軍は「共和国の制度を守る」ために隊を組んで立ち向かうよう、RTI国営放送を通じて呼びかけ。
10h00 :約1400名のフランス人とその他の外国人は、土曜日の朝、集団でポート・ブエ(アビジャン近郊)内に結集するようフランス軍が指示。
08H25 :アラサン・ワタラ政府は「多数の死体置場」を、土曜日にコートジボワール西部で発見したことを確認、ローラン・バボ支持者の統制下にあったと非難。


国営放送では、反乱軍(アラサン・ワタラ軍)が政治的にも的を絞って、バボ氏と同民族のベテの人々を虐殺したと報じている。

上の「時々刻々」はrfiに報道されたものだが、ソロ首相の言い訳とバボ氏への非難も読み取ることができる。

国連決議以降の動き

2011年04月01日 | 2010大統領選挙の後
国連決議以降の動きをrfiが時系列に整理してくれた。
(Source : http://www.rfi.fr/afrique/20110331-crise-ivoirienne-chronologie-dernieres-48-heures)

(上段が新しく、下段が古い、時刻はコートジボワール=標準時表記)

2011年3月31日

21h30  A.O.は国境を閉鎖する旨、発表。(次の指令が出るまで)
19h30  A.O.政府は、月曜の朝まで、21 :00~6 :00の夜間外出禁止令を布く。
19h00  国連軍はアビジャン国際空港を掌握。
18h20  G.S.首相は、バボ氏に対して「19 :00時まで」の辞任を求め、さもなければ捜索する旨の声明を発表。
17h30  USAは政府代表を通じて、両軍に「最優先事項として」市民の保護を要請。
17h10  ワタラ軍の戦車がテレビ局を掌握。
17h00  A.O.はバボ氏が降伏した場合の「身柄の保証」について約束。
16h30  フランス、外務大臣スポークマンは、バボ氏への「退陣の呼びかけ」を行い、アビジャンの戦いにより血の海になることのなきよう厳重に呼びかける。
16h25  G.S.は「勝負はついたのだから、数時間内に権力から退くよう」、バボ氏に対して声明を発表。
16h10  11月28日の選挙以降、A.O.の基地になっているホテルゴルフが、起動するとコートジボワール国連代表のチョイ代表から声明。
15h40  フランス軍は、バボ支持者からフランス人への攻撃に備えて、アビジャンを警護している。
15h10  「バボは降伏せよ。我々は居場所をつきとめ、刻々と迫っていく」とG.S.が通告。
15h00  G.S.はワタラ軍が「アビジャンを包囲した」と確認。
13h50  バボ側の多数の将官がワタラ軍に加わったと、G.S.が証言。
13h30  アビジャン近郊のバボ側憲兵の主要キャンプで、重砲が鳴り響く。
13h00  A.Oはバボ支援者に、アビジャンの要所はワタラ軍が包囲した旨、またワタラ軍に加わるよう呼びかける。
12h50  アビジャン刑務所が解放。
12h30  南ア外務大臣は、水曜日の夕方、コートジボワール軍参謀のフィリップ氏が南アの大使公邸(アビジャン)に亡命したと発表。
12h00  フランス外務大臣は、「国連に従い、流血を避けるよう」バボ氏に通告。
12h00  サルコジ大統領は4月1日午後に、首相、外務大臣等首脳によるコートジボワール関係会議を招集。
10h30  週初めから、コートジボワールの危機によりカカオ価格は9%下落。
08h00  ワタラ軍はカカオ出荷の最大港であるサンペドロを掌握。

2011年3月30日
23h00  バボ氏の声明延長。
20h00  バボ氏はTVを通じて国民への声明予定を発表。
19h00  G.S.はバボ氏に対して「数時間内の退陣を要求」、さもなければデモが実施され、バボ氏にとって不利な状況になる」との声明を発表。
18h20  国連安全保障理事会は、バボ氏及びシモン夫人他3名の側近に対する制裁と即刻辞任を求める決議を採択。

このような状況から、

「3/31(木)、事態は 矢継ぎ早に展開し、バボ体制が揺るぎ始めている」ワタラ大統領側のコミュニケはこのように発表したとのこと。
用意周到のバボ氏追いだし作戦に、少し引っかかるけれど、市民の流血が避けられ、このまま終結してほしいのは誰もが望むところ、
ともかく、先ずは安定に向かわなければ、、、どうにもならない。

それにしても、軍参謀フィリップ氏の亡命はインパクトが強い。彼をそのように仕向けたのが個人的利益とは考えたくないが、あの手この手で説き伏せられ、、さもなくば家族の安全も保証しない・・・
そんなところだろうか、2002年にはマチアス軍参謀が暗殺されかけ、、実際BBCは殺害されたと誤報を流し、少なからぬソロ(反乱軍)陣営へのへの勢いを与えてしまった、、まさに体制にとっての要だけに、いろんなことが推測される。

いったい、これで終わるのだろうか・・・

文中:G.S.(Guillaume Soro/ギョム・ソロ)、A.O. (Alassane Ouattara/アラサン・ワタラ)、L.G.(Laurent Gbagbo/ロラン・バボ)、

国連決議1975(2011)

2011年03月31日 | 2010大統領選挙の後


Conseil de sécurité
CS/10215

CÔTE D’IVOIRE: LE CONSEIL DE SÉCURITÉ ADOPTE DES SANCTIONS CIBLÉES CONTRE
LE PRÉSIDENT LAURENT GBAGBO, SON ÉPOUSE, ET SES PROCHES ASSOCIÉS
Ces mesures concernent un gel des avoirs et une interdiction de voyager et
sont complétées par un renforcement du mandat de protection des civils de l’ONUCI


2011/03/30、国連安全保障理事会は、バボ氏他計5人に対し、辞任を求めるとともに、資産凍結、渡航禁止などの制裁決議を全会一致で採択した。

日本語では以下で報道されている。
http://www.asahi.com/international/update/0331/TKY201103310389.html (朝日)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110331/t10015015671000.html (NHK)

決議の全文は以下に公開されている。
http://www.un.org/News/Press/docs/2011/sc10215.doc.htm (英文)
http://www.un.org/News/fr-press/docs/2011/CS10215.doc.htm (仏文)

フランスからの強い要請のもと、速やかに進められた模様だ。
http://fr.rian.ru/world/20110329/189014804.html

大統領選>>行き詰まり状態の窮地・・

2011年01月05日 | 選挙
« on est dans l'impasse... mais le dialogue continue »
ナイジェリアの大統領で、西アフリカ諸国経済共同体(CEDEAO/ECOWAS)の特使でもあるジョナサン氏の言葉である。
フランス軍も武力には訴えないと表明しているけれど、、このままでは確かに行き詰まり状態が続きそう。対話を続けるとの言葉に希望を託すしかなさそうだけれど、
アフリカ人によるアフリカ政治の基盤が出来ると考えるのは、人が良すぎか?
そんなように思いたい。

2010大統領選挙の後

2010年12月08日 | 選挙

出来事を時系列で整理してみると、
2010年
10月31日(日):第1回大統領選挙戦
11月28日(日):決選投票:バボ氏 対 ワタラ氏
 選挙管理委員会は60時間以上結果を発表せず、rfiの報道では、
 バボ氏に近い管理委員に発表しないようバボ氏側から連絡があったとのこと、
12月2日(木):選挙管理委員会は ワタラ氏:54.1%
                バボ氏:45.9% と結果を発表。
12月3日(金):憲法評議会(選挙管理委員会の結果を承認する組織)は、
 いくつかの選挙区に不正があったとして、修正結果を発表。
 バボ氏:51.45%
 ワタラ氏:48.55% 
12月4日(土)ソロ首相は辞任を表明
  インドに訪問中のサルコジ大統領もテレビ中継を通じて声明
 『電話で一度話した。2度目はつながらなかったけれど、、
  今歴史を演じるのは、彼自身だ。
  自分で準備した選挙において、その結果に何の意義申し立てもないはず、
  選ばれた人に座を譲らなければならない』
12月4日-5日(土-日)バボ大統領宣誓式@大統領府
      ワタラ大統領宣誓式@ゴルフホテル
      2人の大統領は各々の組閣を指示、、
12月6日(月)2つの政府が組閣されたことを報道。
12月7日(火)西アフリカ諸国経済共同体(CEDEAO/ECOWAS)代表団も
      ワタラ氏を選出された大統領と表明。

こんなところがこれまでの動きかな、
バボ氏の新聞"Voie"ではあるけれど、7日のトップページを見てみる。

大統領選挙2010年10月31日(日)

2010年10月30日 | 選挙
なんとブログをサボってしまったことか、、。
・・・というよりは、仕事以外のことに気を許すことができない2年を過ごしてしまった。(反省)
それで、、違うところ(mixi)からダイジェストで以下にコピペ、

2008年から のびに延びた末・・・

【2010年10月30日(記載日)】

いよいよですね、

ここで3人のインタビューを聞くことができます。

http://www.rfi.fr/emission/20101029-laurent-gbagbo-president-sortant-candidat-fpi-election-presidentielle-cote-ivoire

Podcastで聴くこともできるので、なかなか便利です。
Podcast: Invité Afrique>>http://www.rfi.fr/emissions


http://www.rfi.fr/afrique/20101027-special-presidentielle-cote-ivoire

選挙は2010年10月31日(日)、

いよいよ <dernière ligne droite> だそうで、、第3コーナーも回って、、
もうやるしかないというか、、ラストスパートってことでしょうかね。

女性1名を含んだ14候補がでそろっており、各候補者のロゴが、、、ベディエさんロゴで得しそう。
(写真は:http://www.abidjan.net/ から)

以下はフランス語の勉強用、

<dernière ligne droite> 
La date de l’élection présidentielle en Côte d’Ivoire se rapproche et la campagne électorale est officiellement ouverte. Dernière ligne droite, pouvait-on entendre hier sur RFI ! Matthias Belleau nous écrit donc pour nous demander pourquoi on parle ainsi de cette fameuse dernière ligne droite.

Le sens est simple : on parle ainsi des derniers moments avant le vote. Et ce sont les moments importants, décisifs : c’est là que tout va se jouer. On n’a plus de temps à perdre pour convaincre les électeurs, et il faut jeter toutes ses forces dans la bataille. Il ne faut plus s’économiser, se ménager, se dire qu’il faut du souffle pour tenir jusqu’au bout : le bout, il est tout près ! Alors il faut donner toutes les forces qu’on a pour les jeter dans la bataille.

C’est un peu l’image du sprint final. D’ailleurs, cette expression vient du sport. Et elle fait penser aux circuits : courses de voitures ou courses de chevaux ! À la fin du parcours, une longue ligne droite amène à la ligne d’arrivée. Et là, il n’est plus question de finasser, d’avoir du style, de négocier des virages. Quand ça tourne, avant d’aborder une chicane – un virage bien serré et dangereux – il faut faire attention de ne pas être trahi par sa vitesse ; il faut parfois ralentir sinon on sort de la piste, on rate le tournant, on quitte la route.

Mais dans la dernière ligne droite, rien de tout cela ne compte plus : il faut simplement aller le plus vite possible. Et si on utilise cette image pour une compétition électorale, pour une élection que plusieurs candidats se disputent, c’set pour montrer que quand il ne reste plus que quelques jours, il faut tout faire pour occuper le terrain : émissions de télévisions, meetings, rencontres avec les électeurs, distribution de tracts, articles dans les journaux… on n’a plus rien à perdre et il faut utiliser toutes ses cartes.


par>> Les Mots de l'Actualité d'Yvan Amar


大統領選挙は2009年の春以降

2008年10月26日 | 選挙
2008年10月22日(水)、大統領側近の発表によると、選挙は2009年春以降になるとのこと、選挙人名簿の作成に予想外の時間を要しているそうだ。

選挙人名簿を作る際に必要な身分証明書として、旧車両免許証で受け付ける所、またそのコピーでも受け付ける所もあれば、オリジナルでも受け付けてくれない所もあるとかで、混乱している模様。

ギヨム・ソロのスポークスマン曰く:
信頼性のある「選挙人名簿」を作ることはコートジボワールの本質的な重大事でもあることから、しっかりやらなくてはいけない、選挙の実施日が問題なのではなく、公明な選挙を実施することの方を重視すべきなのは理解できる。

・・・と言っているけど、、、な~んかひっかかるな、、。つまり彼(ギヨム)はのびて欲しいんだな・・・。
彼自身が立候補できる準備のため(?)


参照, rfi:http://www.rfi.fr/actufr/articles/106/article_73889.asp