忘却の彼方へ

ウエブ上のメモ

きくことの重要性

2009年12月05日 | ソーシャルワーカーの常識
援助技術「傾聴」

【聴】くと【聞】くの違い

大きい耳、小さい耳
【聴く】は、十四の心できくこと、
 心できくこと、心を集中していきくこと
「口はひとつ、耳は二つ」
きくことは、へたな薬よりも「効く」

「こども」 ドロシー・ロー・ホルト

2009年11月25日 | ことば・詩
 ちょっと気になる言葉・・・、以前どこかで見たり、聞いたりしたことがあるようなないような、でも、誰が言ったものなのかもわからず、ネットで検索するにもキーワードも不確かで・・・いつの間にか忘れていた。
 ある日、自分の雑多なファイルをめくっていたら、コピーした詩があった。
「これだ!」。なんだ、ちゃんと気にしてファイルしていたんじゃないか。

「子ども」 ドロシー・ロー・ホルト

 批判ばかりされた 子どもは
  避難することをおぼえる

  殴られて大きくなった 子どもは
  力にたよることを おぼえる

  笑いものにされた 子どもは
  ものを言わずにいることを おぼえる

 ではじまる詩は、スウェーデンの中学教科書に載っています。
 最後は、

  可愛がられ 抱きしめられた 子どもは
  世界中の愛情を 感じることを おぼえる

 で結んでいます。

 シンプルだけど、すごく的をついています。親による虐待や不適切な養育を受けてきた彼らの見せる行動の背景を理解する上でも、傷ついたこころをどうやって癒していったらいいかを考える上でもベースになるものだと思います。ファイリングした当時も、まさにこの詩のとおりだと膝を打っていた自分を思い出しました。

 そういえば、以前(今でもやってるかな?)テレビやラジオで「抱きしめる、という会話」「子どもを抱きしめてあげて下さい」といった内容のコマーシャルが流れていました。公共広告機構だったと思うので、国が作ったものでしょう。

 親に可愛がられ抱きしめられるからこそ、親以外の人や世界の愛情を感じる心が育ち、それが土台になって自立しようという気持ちが出てくるわけです。この土台が非常にもろい子どもたちのなんと多いことか・・・・
 もろい土台に、「しつけ」や「勉強」という砂を積み上げていっても、崩れるばかりで積み上がっていかないむなしさ。

 嘆いてばかりもいられませんね、なかなか手応えをつかめない仕事ではあるけれど、一人ひとりに様々な形で愛情を与えながら、土台を少しずつ築いていくしかありません。

マズローの欲求階層

2009年11月23日 | ソーシャルワーカーの常識
マズローは、人間の基本的欲求を低次から
生理的欲求(physiological need)
安全の欲求(safety need)
所属と愛の欲求(social need/love and belonging)
承認の欲求(esteem)
自己実現の欲求(self actualization)
の5段階に分類した。このことから「階層説」とも呼ばれる。また、「生理的欲求」から「承認の欲求」までの4階層に動機付けられた欲求を「欠乏欲求」(deficiency needs)とする。生理的欲求を除き、これらの欲求が満たされないとき、人は不安や緊張を感じる。「自己実現の欲求」に動機付けられた欲求を「成長欲求」としている。

人間は満たされない欲求があると、それを充足しようと行動(欲求満足化行動)するとした。その上で、欲求には優先度があり、低次の欲求が充足されると、より高次の欲求へと段階的に移行するものとした。例えば、ある人が高次の欲求の段階にいたとしても、例えば病気になるなどして低次の欲求が満たされなくなると、一時的に段階を降りてその欲求の回復に向かい、その欲求が満たされると、再び元に居た欲求の段階に戻る。このように、段階は一方通行ではなく、双方向に行き来するものである。また、最高次の自己実現欲求のみ、一度充足したとしてもより強く充足させようと志向し、行動するとした。


自立援助ホーム インタビュー2

2009年11月23日 | 自立支援・子ども
「自立」と「孤立」

──三好さんはおよそ30年の間、子どもたちを見続けてこられたわけですが、現在の子どもたちを取り巻く環境をどうご覧になっていますか?

三好「何年か前から『自立』という言葉が流行だした気がするんですけど、その頃から『孤立』が深まった気がします。自立と孤立は対極にある言葉だと思うけど、『人の世話にはならん』というのは孤立で、自立とは強いて言葉にすれば『お互い様というところで人とつながっていける』ということのような気がしています。人の世話にはならない、人に迷惑をかけない、というのは孤立にすぎないというか」

──なるほど、これは大人にも言えることですね。

三好「今は大人が孤立しているから、子どもが自立できるわけがないと思います。安心して赤ちゃん時代を過ごせた子は、歳が幼児さんになれば心も幼児さんになれる、安心して幼児期を過ごせた子は、歳が小学生になれば心も小学生になれる。どこかで安心できない状況だから、心の成長が止まってしまう、身体と心がアンバランスになってしまうんだと思う」

──それはつまり、親が安心できれば子どもも安心できるということでしょうか?

三好「そうだと思います。今の大人は不安だらけで安心して生きていない気がします。例えば少年法の厳罰化なんかを見ていても、大の大人が赤子の手をねじるようなことを言っている。大人があんなに子どもを恐れているというか。子どもは子どもだよ、と思う。なんでこんなに大人が自信をなくしてしまったのか……。
被害感を強く持つ大人が増えて、許さない社会になったというのも感じています。弱いところをギュウギュウ絞めている。弱い立場の人たちが生きづらいということは、強い立場の人たちも決して生きやすいわけではないと思うんです。にもかかわらず、大人はたまたま地位や名誉やお金で守っているから、辛さをそういうものでごまかせちゃう。でも弱い立場の人や子どもというのは、そういうものを持っていないからもろに波をかぶる。たまたま子どもは反乱という形で大人にそれを見せてくれている。そこに大人が気づかなかったらマズいというかね。だって大人のツケを全部子どもが背負ってることになる。なのに、背負わされた子どものことを加害者だ!と大人が責めて……。ほんとの加害者は大人でしょ、と思うんです」

──子どもの生きづらさは大人の生きづらさの何倍にも濃縮されたものなんですね。

三好「さっきの話と同じで子どもがこれだけ生きづらいということは、大人も絶対に生きづらいはずです。ただ、大人はそれを見なかったことに、感じなかったことにしている。その術を大人は知っているから。でも子どもはそれができないから辛いんです」

子どもは暮らしの中で再生していくのがいい

──自立援助ホームは今後ますます必要とされていく存在ではないかと思います。

三好「自立援助ホームがもっと増えてほしいとも思いますが、自立援助ホームに来る前の段階でもっと網を広げてもらえたらという思いもあります。ここに来るというのはひとつの結果であって、ここに来なくてもいい状況を作ってほしいというか。ここは子どもが最後にたどり着く場所なわけですから」

──自立援助ホームの今後をどう考えていらっしゃいますか?

三好「まず行政にお金をちゃんとつけていただきたい。やはり想いだけではどうにも動いていかないところがある。今多くの自立援助ホームは苦境に立たされています。一方、自立援助ホームの形態や在り様は、それぞれの施設がそれぞれのやりかたでいい気がします。『こうあるべき』という形を決めてしまうと隙間ができてしまう。グループホームが合う子もいれば、寮のようなところが合う子もいます。形態によって優劣はない。いろんな自立援助ホームがあればいいと思うんです。そして預ける方が、この子にはこっちが合うだろう、この子はあっちが合うだろうと判断してほしい。
キーワードとして言えるのは『暮らし』だと思う。子どもは暮らしの中で再生していくのがいいと思います。子どもっていつの間にか変わる。ある一瞬で劇的に変わることなんてない。17年18年かけてここにたどり着くのだから、再生していくには同じだけ時間が必要なんです」

──だから三好さんは食事や生活にこだわっていらっしゃるんですね。

三好「子どもとのやりとりは日常のこまごました事の積み重ねです。子どもだけでなく大人もまた生身。かっこよくはいきません。でも暮らしを共にしていれば、失敗してもやり直しができる。ケンカをしても仲直りができる。だからたくさん失敗した方がいいと思っています。失敗を通して『やりとり』ができるから。どういうやりとりをするかについては、大人のいろんなものが問われます。時には子どもの失敗を通して自分の悪いところがひっぱり出されることもある(笑)」

大人は子どもの話をよく聞いてほしい

──社会では「自立=大人」という認識がありますが、何をもって大人とするのか、いつからが大人なのか、今そこも問われている気がします。

三好「そうですね。最近電車でも街でも、行儀が良くてまるで大人のような子どもを見かけることが多くなったように思うんです。社会は『大人の模型みたいな子ども』を求めてきたけれど、精神的には大人にするということをしてこなかった気がします。それなのに20歳で大人って決めつけるのはよくないと思う。
ずっと子どもたちを見てきて、昔はひとつのメドが18歳でした。○○くん落ち着いてきたね、というのが。その後に20歳がメドかな、という時期があって。今は24、25歳かなという気がしてる。昔は18歳だったのにな、と」

──今の社会、トラブルを持つ子どもたちに対してどんな風に接したらいいのかわからない人が多いと思います。だから近づかないし知らないふりをする。私たちはどのように彼らを受け止めてあげればいいのでしょう?

三好「マスコミが騒ぎすぎてそういう印象を、子どもはまるでモンスターというような印象を与えているような気がします。実際触れてみると熱いんだ、冷たいんだ、とわかるように、先入観を持ち出す前にまずは触れてみてほしいと思います。
あと、大人は子どもの話をよく聞いてほしい。子どもたちと接していると、話を聞いてもらえてないなと思います」

──それは昔も今もですか?

三好「昔はそんなに思わなかったですね。昔は施設で育つ子と家庭の子の違いが歴然とあったけれど、最近は家庭の子の話を聞いて、憩いの家の子と同じだなと思うことが多いです。施設では職員が手一杯でなかなか話を聞けないというのがあるけれど、今は家庭の子でも話を聞いてもらってないなという感じがある」

──今誰もが生きづらさを感じているような気がします。

三好「空気として蔓延していると思います。みんな内側ではアップアップしているのに、暗黙の了解のようにみなそれが普通の空気ということにしてしまっている。わたしね、いつの頃からかな。社会は身近な人を信頼する自信を無くしてしまったなと思うんです。まずは身近な人。身近な人を信頼する自信を取り戻すことが大切だと思います」


自立援助ホーム インタビュー1

2009年11月23日 | 自立支援・子ども
~子どもサポートネットより~

──三好さんの言葉でご説明いただくと「自立援助ホーム」とは?

三好「私の言葉で言うと『暮らしの場、子どもたちが再生して社会に出て行く場所』という気がしています。憩いの家に来る子どもと初めて面接する時、『この子どこからおさらいしようか』と思うんです。17~8歳で大きな体をしていても、『ああ、この子は幼児さんからだ』とか『赤ちゃんからだ』とか。中にはお腹の中からという子もいる。そうすると、例えば20歳だとしたらその子は20年分の時間を取り戻して生きていかなければならないんです。

自立援助ホームは、こちらからは関わりを切らないことを旨としています。出会ったら一生関わりは続く。10年前に出会った子とは10年の、20年前に出会った子とは20年のつきあいが続きます。少年院の教官だと出院後はこちらからは声をかけられないし、家裁の調査官だって担当が切れたら関われないわけだけど、私たちはその辺を自由に関われるわけだから。そういう意味で時間を味方にすることができる。それでも、その子の苦しみはその子自身のものでしかないという点で、「してあげられることは何も無いんだなぁ」と思うことがしばしばです。

有名無名に関わらず時間の重みってあると思うんです。立派な人だけが時間の重みを持っているわけではなく、自立援助ホームに来なければならなかった子どもたちが必死に生きてきた時間の重みというのがあって、敬意を表するものがある。私ではああはいかんかったなぁとか、私だったら生きてられたかなぁとか。そうしながら一緒におさらいをしていくうちに、子どもたちが少しずつ自分を取り戻していく気がする。

歳は18でも心が赤ちゃんのまま止まっていたら、まだその子ではないというか、その子自身になれてない気がするんです。年齢と精神的な積み重ねのギャップをいかに埋めていくかというかね。とはいえ、私たちが一緒に暮らしている半年や1年のうちにおさらいしきれるわけがない。だから出て行った後も圧倒的多数が紆余曲折中なんだけども、でも確実に、微々たるものであっても、子どもたちが自身でそのギャップを埋めていっている、というのは感じます」

──寮母をされておよそ30年。この仕事をずっとやっていこうと思ったきっかけはありますか?

三好「やっていこうと思った記憶はあんまりなくて、『やるしかない、前に進むしかない』と思って日々をこなしているうちに30年経ったという感じです」

──逆に辞めたいと思ったことは?

三好「100万回辞めたいと思ったけれど、100万回憩いの家が好きだと思いました」

──それは、そこに子どもの存在があったからですか?

三好「うーん。自分自身の弱さともろさに興味があったからかな。わたし、勉強はできなかったけれど、社会人の優等生にはなれると思っていたんです。でも子どもたちと暮らしていると、そんな私の内にあった問題、私自身が気づいていない問題を子どもたちが鏡のように映し出すんです。そういう意味でわたしと憩いの家との出会いは、子どもとしてだったのか、寮母としてだったのかは、たまたまに過ぎないと思っています。
憩いの家にいると腹の立つことがいっぱいあるからよく怒るんだけど、怒りには二種類あって、ひとつは『信じらんない!』という怒り。これはブリブリ怒れば済む。やっかいなのは『許せない!』という怒り。これはその子と同じ質の問題が自分の中にもあるから、だから許せないと感じるんですよね」

──まさに鏡を見ている状態?

三好「そうそう。だから『許せない』と思ったときは自分の中を探します。時間もかかるし辛さもありますが、でもそれもよかったなと思えるのが、見つけた問題の数は出会えた自分の数でもあったというか。『やっと出会えたわたし』というか。私は一生かけて自分と出会っていくんだと思う。そういう意味で『人は一生変われる生き物だ』と思っています。15歳を過ぎると人は変われないっていう専門家もいたけれど、憩いの家にいる子どもたちは確実に変わっていくし、私自身も変わっていく。人は一生変わっていける。ここに来なければ、こんなに自分と出会えなかったと思います」

立ち戻る場所、産み落とされた場所

──今でも関わりのある子どもはどれくらいいらっしゃるんですか?

三好「よく聞かれますが、私はお互いがお互いのことを忘れなければつながっていることにしています(笑)全く音信不通だった子から7~8年ぶりに連絡がきたりする。この間は16年ぶりに連絡してきた子がいます。その子がね『憩いの家のことをよく思い出していた』って言うから、なんで?と聞いたら、『憩いの家での生活がなかったら今の自分はない』っていうから、またなんで?と聞いたんです。そしたら『あの半年間、初めて安心して食べて安心して寝れて仕事に行く生活を送った。その後ダメになりそうになる度にあの半年間を思い出した。自分には立ち戻る場所があるって思った』って。『あの半年がなければ、グチャグチャな人生の中で立ち戻る場所がなくて迷うしかなかった』って。ああそうなんだぁと思ってね」

──自立援助ホームに来ざるを得なかった子どもたちは、それまでの傷を乗り越えられるものなのでしょうか。

三好「自立援助ホームに来なければならなかった子どもたちと、私を含めて必要としないで過ごせた人たち。何が違うかというと産み落とされた場所だと思うんです。私たちは産み落とされた場所が地面だった。ここに来なければならなかった子どもたちは泥沼だった気がする。地面だったら雨が降っても前に進むことができる。でも泥沼ではじっとしていたらズブズブ沈んでしまうわけだから、常にもがいていなければならない。ものすごいエネルギーでもがくことでやっと命を確保できている。その上でようやく5センチ前に進めたとしても、ザッと雨が降れば5メートル引き戻されてしまったりする。
そんな中で自立援助ホームに来れたということは、一本釣り糸がかかったような状態。子どもとこっちとで釣り糸を掴んでいる。いろんなやりとりをしながら、釣り糸がたこ糸になり、たこ糸がロープがなり、ロープになると『よっしゃ』と引き上げることができる。ロープに掴まって自分で上がってくることもできる。自立援助ホームのやりとりってそんなもののような気がします。釣り糸だから、時にはプチンッと切れてしまうこともあって、『ああ!』と思ってもう一度投げられるチャンスがある場合もあれば、ない場合もある。そんな風にして少しずつ地面に引き上げていく。そんな気がするんですよね」

──釣り糸が切れてしまう瞬間とはどんなときですか?

三好「変に力を入れすぎてしまったとき。互いに力を入れて引っ張り合うと糸は切れますよね。ゴムのように緩い糸だと刃物が当たっても切れないけれど、ピンと張りつめた糸は刃物でなくても、尖った物が当たっただけでもパチンッと切れてしまう」

──「子どもサポートネット」の書き込み板に、親元にいるけれど苦しいという子どもの声が多く寄せられています。まさに互いに力を入れた糸のような親子関係なのかもしれない。これをゴムのように緩い糸にするにはどうしたらいいでしょうか。

三好「これは私の主観ですが、親は生んだだけでは親にはならないような気がします。子どもを育てながら子どもに親として育ててもらっているんだと思う。それは私たちにも言えることで、子どもとだけではないけれど、相互に成長していける関係でありたいと思っています。
自立援助ホームの子どもたちを見ていて『親子でも出会えていない親子もいるんだ』と知りました。親子は黙っていても親子だと思っていたけれど、出会えていない親子もいるんだなと。どんな人間関係でも快適な距離っていうのがあるけれど、それを掴むのはすごく難しいこと。うーん。出会いのような気がするなぁ。親子であっても出会えるかどうか……。
でも、人は変わっていけるし、環境も変わっていく。そういう意味では死の瞬間までがプロセスなんだと思う。だから、今はまだ出会えていない親子でも、いつか『出会うとき』がくるだろうなと思います」


性格を変えるより、行動を変える

2009年11月23日 | こども/家庭・こころ
「行動を変えれば、心はかわっていく」
非行少年や反社会的人格障害に対して、心理治療はお金も時間がかかる割には効果が?
割れ窓理論でも、取り締まりを強化したら凶悪事件も現象した(ニューヨーク)
道徳心がない人には、外からの抑止力で行動を変えることが効果的。
「セロ・トレランス(寛容ゼロ)運動」が教育界でも応用さえはじめた。
遅刻3回、けんかなら有無を言わさず1回で矯正施設に送る・・・など
カウンセラーと話しあって生徒の気持ちを変えていくシステムでは校内暴力が減らずに逆に増えた。「型から入る」ほうが効果的だった。行動がまじめになると、性格もまじめになる。

心が変われば行動が変わる

2009年11月23日 | ことば・詩
ヤンキースの松井が座右の銘の星陵高校野球部に書いてある

心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる
運命が変われば人生が変わる
出典:『心が変われば 山下智茂・松井秀喜を創った男』、

自立とは? ロ卒啄同時(そったくどうじ)

2009年11月23日 | 自立支援・子ども
卵の中からヒナが殻を破って生まれ出ようとする瞬間、
内側からヒナが殻をつつくのを「そつ」、
外から親鳥がつつくのを「たく」といって、
このタイミングがうまく合わないとヒナは死んでしまうのです。
絶妙のタイミング! 自然界はすごい。

人間界は? 自立したい子、させたくない親(逆もあるが)・・・

ICF 国際生活機能分類

2009年11月01日 | ソーシャルワーカーの常識
すなわち、ICFの目的は「障害者」を分類するのではなく、普遍的な人間の様々な生命・生活に関する機能を分類するものであり、「障害」という言葉の偏見をなくし、全く新しい観点から「障害」をありのまま理解するとともに、「障害」を「個人の問題(医学モデル)」としてだけでなく、「社会の問題(社会モデル)」としてとらえることにある。

ICFの構成要素は、肯定的側面として以下のものがある。

心身機能 身体系の生理的機能(心理的機能を含む)である。
身体構造 器官・肢体とその構成部分などの、身体の解剖学的部分である。
活動 課題や行為の個人による遂行のことである。
参加 生活・人生場面への関わりのことである。
環境因子 人々が生活し、人生を送っている物的な環境や社会的環境、人々の社会的な態度による環境を構成する因子のことである。
個人因子 個人の人生や生活の特別な背景であり、健康状態や健康状況以外のその人の特徴からなる。

また、否定的側面として以下のものがある

機能障害
(構造障害を含む) 著しい変異や喪失などといった、心身機能または身体構造上の問題である。
活動制限 個人が活動を行うときに生じる難しさのことである。
参加制約 個人が何らかの生活・人生場面にかかわるときに経験する難しさのことである。

これらICFの構成要素の相互関係を図にすると次のように示すことができる(図1)。


これらの関係を、裸眼両眼少数視力0.20の25歳男性理学療法士を例にあげて説明する。まず、視力に関して心身機能分類から、感覚機能と痛み→視覚及び関連機能→視覚機能→視力と階層が下がり、遠景に対する両眼視力に中等度の問題があるとして(b21000.-2)にコード化され分類される。仮に視力矯正が不可能であり、自宅から勤務先までの自家用車を運転しての通勤が不可能になることで常勤雇用が不可能となったとすると、活動と参加の部分から、主要な生活領域→仕事と雇用→報酬を伴う仕事と階層が下がり、常勤雇用が完全な問題として(d8502.-4)にコード化される。この状態は健康に変調を来した状態といえる(図2)。


しかし、コンタクトレンズにより両眼少数視力1.20に矯正することが可能であれば、心身機能は遠景に対する両眼視力に問題がないとして(b21000.+0)とコード化される。視力が矯正されることで自家用車での通勤が可能となり、活動と参加が常勤雇用に問題ないとして(d8502.+0)とコード化される(図3)。


この状態は、健康な状態といえる。仮に視力矯正が不可能であっても、環境因子として家族による送迎が可能であれば、環境因子の分類から、支援と関係→家族と階層を下り、家族の送迎(自家用車)が問題ないとして(e310w2.+0)とコード化され分類することができる(図4)。


ICFでは、ICIDHでは分類できなかった図3に示すような一般的な社会人を分類することが可能である。そして医学モデルだけでなく、図2と図4に示す社会モデルからの分類も可能である。このような考え方は、今後、障害者はもとより、全国民の保健・医療・福祉サービス、社会システムや技術のあり方の方向性を示唆しているものと考えられる。

問題を抱えた家族に「家族参加型」の取り組み

2006年12月23日 | 家庭支援・参考
ニュージーランド式システムが今、世界的に注目
1989年に「子ども、青年とその家族法」では子どもの福祉に関する重大決定には家族が参加することをうたっている。

虐待の問題や、青少年の犯罪の更生など
施設に入れるかどうかなども、必ず親族を皆集めた上で、決めていくことで、親族で支え合う雰囲気が作られていく
当たり前といえばそうだ。

FGC(ファミリー・グループ・カンファレンス)の手順
1 情報を全員で共有する
2 親族も含めた家族だけでの話し合い 養育計画を話し合い決める
3 専門職も交え、家族の決定を検討 養育計画に対するアドバイス、賛否をとる
  不合意の場合は、再度招集か、家庭裁判所へ
  合意、決定事項を大きな紙に書き出し、参加者全員にコピーを配布

言語と思考との密接な関係

2006年12月15日 | 社会・人間というもの
言葉をあいまにしか使えない人は、あいまいな思考しかできない
抽象的な言語を使えない人は、抽象的な思考をできない
若者の語彙の不足が何を生むか? 
「明るい」=よい?
「暗い」=悪い? ファシズム、いじめ、
※ロジカルシンキング入門
(感情を言語化することの重要性がここでも)

問題解決の糸口 「古今多難」

2006年12月15日 | ことば・詩
昔から伝えられる言葉「古今多難」
今も昔も多くの難があるということ
これは「ここだな」とも読める
子どもの一瞬のシグナルに気づいた時、家族や周囲の人たちが我が家の一大事だ、「ここだな」と心を一つにすることが問題解決の糸口になる。
※見えない虐待

無財の七施(仏教)

2006年12月15日 | ことば・詩
眼施(がんせ)・・・・・やさしいまなざし
顔施(がんせ)・・・・・あたたかい笑顔
言辞施(げんじせ)・・・思いやりのある言葉
心施(しんせ)・・・・・感謝の心で人に接する
身施(しんせ)・・・・・手足を使い人のために奉仕する
床座施(しょうざせ)・・席や場所を譲る
房舎施(ぼうじゃせ)・・一夜の宿を提供する

友達はリトマス紙

2006年12月15日 | こども/家庭・こころ
友達は子どもを移す鏡
我が子の友達がおかしいと感じたときは、たいてい自分の子も何かおかしい。
自分の子をよくしたいときは、その友達にも気を配ること。

箸の使いかたでわかること

2006年12月15日 | こども/家庭・こころ
問題を抱えた子どもは、箸の使い方が下手
食事のマナーをしつけるのは父親の役目
父親不在が家庭の問題