自転車夜話BLOG

自転車夜話のBLOG版、軽いコラムを適当にアップするのに使ってます。

夕霧

2005年05月26日 | Weblog

さんが車座

2005年02月16日 | Weblog
メモ
奈良のNPO法人。あどれす

サイクルネット

気分

2005年01月14日 | 雑談
ここ数日、気分がすぐれない。何となく低調な気分。

世間のヒステリックなノロウイルス報道にもかちんと来たところもある。(以外と患者さん達は冷静だけれど)
mattaさんが以前紹介していた「3週1周の法則」かな。こういうことはよくあることなので、あまり表面には出さないけれど、ついつい日記に荒れた気分のまま書いてしまった。基本的には気分をおもてに出す人は嫌いなので、ちょっと反省中。

要するに外で自転車に乗れない日が続いているので、ストレスがたまっているだけ。

1980

2005年01月14日 | 雑談
当直の夜の無聊のともにたまたまやっていた映画「1980」をみた。

佳作というかなんというか、もの悲しくもありおかしくもあり。1980年に登場人物と同じ高校生だった自分を思いだした。何度か吹き出した。
自宅でだったら最後までみなかっただろうし、録画もしなかっただろう。
当直は嫌でしょうがないけれど、こういう時間ができたのはそれはそれでいいことだ。

忌野清志郎がちょろっと友情出演。

堕落

2005年01月14日 | Weblog
SE → SE30(アップグレード) → SE30カラーモニターカード → ポータブル → パワーブック140 → パワーブック170c → Quadra 950 → Quadra 950 PPCアップグレード → PowerMac 7500 → PowerMac7500 PPCアップグレード→パワーブック1400→パワーブック1400PPCアップグレード→パワーブックDUO230→パワーブックDuo230PPCアップグレード→G3

これが私のマック歴。ウインドーズを忌み嫌い、マックに固執していた10数年。
現在生き残っているのはG3のみ。そんで現在の主力機は機種名も知らないNECのノートパソコン。
研究教育者じゃなくなって以来、使うソフトが、IE(以前はネットスケープに固執していたけれど)、ホームページビルダー、ポラール、カシミールだからねえ。堕落したなぁ。
しかし、自転車生活を主体にしている以上、どちらかを取るというかあんまり興味が無くなったんだよね。マックには。

アップルがiPODのヒットで史上最高利益を上げたのを聞いて、アップルのシェアやら利益を株主さながらに心配していた昔を思い出した。iPODshuffleの登場にもちょっと心が動かされた。安いし、外走りのお供に買おうかなあと思う。

もう一つ興味があるのがOakle THUMP。サングラス(アイウェアというのははなんだか照れくさい)にipodshuffle+イヤホンが組み込まれたようなものだ。これで、イタリア語の勉強でもしようかしらん。

木瓜

2004年12月28日 | 雑談
下の記事に書き込みをいただいたぶちょうほうさんのブログを見たら木瓜の写真。

夏目漱石を読みたくなった。

木瓜咲くや漱石拙を守るべく
ここなど

草枕の一節も忘れられない

世間には拙を守るというひとがある。
この人が来世に生まれ変るときっと木瓜(ぼけ)になる。
余もぼけになりたい

元は、陶淵明の漢詩。ここなど

現代においてもこれだけシンパシーをもって読みたくなるのだから、夏目漱石はまさに文豪なんだろうな。

ふと思いついてググって見るだけで、面白そうなサイトがぼろぼろと。こんなのを書き留めるのにもブログは気楽でいい。

新居には木瓜を植えようか。

泣くな!

2004年12月28日 | 雑談
最近、テレビを見ていて見苦しかったもの。

暴行事件渦中の島田紳助の涙と不審火被害にあったドンキホーテの社長の涙。
そういえば、学歴詐称の古賀潤一郎議員の涙も見苦しかった。

男は泣くな、なんて思ってはいない。喜びの男泣きや悲嘆の涙を見苦しいなんて思ったことはない。

しかし、男にしても女にしても苦し紛れの自己弁護で泣くなよ。
先の選挙では議員の応援演説に駆け回って当選をさも自分の手柄のように語っていた島田紳助、業者いじめが問題になったドンキホーテの社長。それがちょっと苦しい立場に立たされたら、泣いて逃げようとしている。だいたい、泣くようなことじゃないじゃないか。泣き顔の影から、「これくらい泣いたら、おさまらんかな~」と上目づかいでのぞく本心が透けて見える。

こんなさもしい奴らを見ているから、子供達の心もすさむのだと思う。
ほんとにもう。

ネックウォーマー

2004年12月19日 | Weblog
自転車に乗り始めて5度目の冬になって初めてネックウォーマーなるものを購入した。
雑誌の冬練特集でネックウォーマーを目にすることはあった。しかし、身近で見たこともないし(冬場は単独練習ばかりだし、ローディの人口密度の低い北陸では見なくて当然ではあった)なぜか意識に上らなくて今シーズンになって初めて手を出した。

それにしても、なんで今ままで使わなかったのだろう。そう後悔するコトしきりだ。
思うにネックウォーマーは冬場のトレーニングを快適にするキーアイテムといえる。

モンベルではネックウォーマーはネックゲーターと呼ばれている。

ありゃ、ちょっと呼び出し。つづく・・

ヘルメットって洗う?

2004年12月19日 | 自転車
今日、偶然訪れたブログでのお題が「ヘルメットって洗う?」

そういえば私も以前は同じ疑問で悩んでいた。で、そこへの書き込み。

私もメットを洗うかどうかはかなり悩んだものです。
週末の練習やレースで使う決戦用メットはあまり臭くなりませんが、毎日汗だくなって使用している通勤用ヘルメットはすごく臭い。特にストラップ。
外で自転車と一緒に水洗いしても臭いはなかなか落ちない。バケツに沈めようにも浮力で沈まない。
んで、職場についてシャワーをあびるときに一緒にシャンプーで手でしごくように洗ってやると、これがいい感じ。嫌な臭いが朝シャンのあとのようなさわやかな匂い(臭いじゃないですね)になります。
帰宅時には干せてますしね。

パッドはもちろん定期的に外して洗って(もらって)います。

みなさんはどうしてますか?


山際淳司さん

2004年12月03日 | 自転車
来年の転居を目指して本棚を整理していたら、山際淳司さんの著書を三冊見つけた。
山際淳司は「江夏の23球」などで有名なスポーツライター。95年に癌のため夭折してしまったのだ。写真はその追悼作品集でもある「山際淳司 スポーツノンフィクション傑作集」。

5000円近くした分厚い本なので、かなり大量のスポーツノンフィクション、エッセイが収められているが自転車関連のものはたった一つだけ。
タイトルは「ツールドフランスを読む」。
86年のツールドフランス、既に5勝を成し遂げた大選手イノーがチームメイトのグレック・レモンのアシストをするといいながら、やはり勝ちをねらうといった突然翻意に始まった騒動を分析している。その分析があたっているかどうかは疑問だけれど、今だったらどんなエッセイを書くのだろう。

山際淳司は好きなスポーツライターだった。来年で彼が死んでもう10年。彼以来、スポーツライターで特に気に入っている人はいない。

2004年12月03日 | Weblog
ホビーレーサーとはいえロードレーサーに乗ってレースにもでている以上、一度はヨーロッパで走ってみたい。グランフォンドやエタップドツールにもでてみたい。とはいえ、既に42歳、妻に子供2人、宮仕えの仕事を抱えている身ではなかなか難しい。

しかし、機会を見つけてぜひ言ってみたいと思っている。4年後、息子が高校性になった年は北京オリンピック。家族みんなでカラミッチの応援に行くつもりにしているので、その前年にでもまずはイタリアにひとりで行ってみようと思っている。その後は走れる間に1-2度はいってみたいものだ。

今年のツールド嬬恋でお会いした、元・チーム物見山、現・チリリンRCのすぎやまさん。彼は何度もイタリアへレースを見に行っているようだ。
今年はジロデロンバルディアを観戦と愛車セルビーノでセルビーノ峠を走ったレポート、「イタリアサバイバル旅行」がアップされていた。これはちょっと心に響いたなぁ。

ギザッロを手に入れて、マドンナデルギザッロ詣でをしようかしらん。
そんな夢を抱いて、イタリア語講座を録画中。

ついでに、こっちはウエブで見つけたイタリア語講座

EVERY DOG HAS HIS DAY.

2004年11月22日 | 雑談
「金で買えないものはない。女は金に付いてくる。」と堀江社長

まあ、勝ち組ですからね。
大抵のものには当てはまるけど、わざわざいうことでもない。

しかし、感動的ではないし、かっこよくもない。
かっこいいってことは難しい。

マイクロロンが気になる

2004年11月12日 | Weblog
今年のツールドノトで成田師匠にバイクのメンテをお願いした際に試しにマイクロロンをチェーンにスプレーしてもらった。劇的によかったというわけでもなかったが、ちょっと気になっている。

マイクロロンは車やモーターサイクル分野で有名(らしい)潤滑剤だ。自転車の潤滑剤はモーターサイクルに比べるとかなり遅れているとも言われている。雑誌でも時々マイクロロンを見かけるようになってきたし、汚れにも強いルブならばとても興味がある。

で、こちらからマイクロロン処理済みチェーンの体験セットが購入できるようです。残念ながらシマノ9速用のみ。試してみようかなとも思う。マイクロロン処理に熱処理も必要ならば、自分での処理はちょっと難しそうである。

さらに調べてみると、冨亭さんの冨亭グッズのページでも紹介されているのを発見。これならばカンパにも使うことができる。

読みにくいですね。

2004年11月12日 | 雑談
↓下の記事は長すぎて、ちょっとこのブログにはあいません。
本来、自転車夜話そのものにアップしたいのですが、出先で書いたのでこちらにアップしました。
後で、向こうにもアップする予定です。

肺炎で死にかけた

2004年11月12日 | 雑談
なんとこの10月、肺炎になってしまった。それも肺の肺葉一つ全体が侵される大葉性肺炎(私の場合は右肺の下半分)。一日2度の悪寒を伴う39度の発熱が5日間続いた後、ついに血痰というかほとんど血だけを吐き出すようになり、呼吸困難も出現して動けなくなってしまって入院。15日間の入院だった。物心ついて以来入院するような病気になったことがなかったので、まさかと思っている間に悪化させてしまった。絵に描いたような医者の不養生で、反省することしきりである。入院当初は全く食事も食べられず、血中酸素濃度も下がって酸素吸引にもかかわらず寝ているだけでも息苦しい状態。一歩間違うと・・と思うといまでも冷や汗ものだ。黄疸・肝障害まで合併してしまったので、それ以上の重篤な合併症が出なくてよかったと胸をなで下ろしている。実際、肺炎球菌による大葉性肺炎は髄膜炎、心内膜炎、敗血症性ショックなどの多彩な合併症から早期に死に至ることもある病気だ。昔のドラマで肺炎になって朝には冷たくなって・・ていうのはこの病気だと思う。私の場合の黄疸は敗血症の兆候の一つでもあるので、ペニシリンが市販されていなかった50-60年前ならば享年42歳、南無阿弥陀仏というところだった。まじで、ついちょっと前までは自転車に乗っていたのにねぇ・・・ってところ。
  それにしても、妻といい両親といい、そして子供までが「自転車をがむしゃらにやりすぎていたせいだ」というのには、何とも納得できない。むしろ、自転車をしていたおかげでこれくらいですんだと思いたい。でしょ?ドイツの諺にも「トラック一台の薬よりも一台の自転車」ってのがあるそうだし。
  とはいっても、肺炎球菌による大葉性肺炎は幼児や高齢者のような抵抗力の弱ったひとがなる病気。肺炎球菌自体は健常者の半数近くで検出されるどこにでもいる菌なのだ。私が家出何日も寝込んでげほげほやっていたというのに妻はおろか4歳の次男にさえも全く移らなかった。いかに私の体調が悪く、抵抗力が落ちていたかということだ。肺炎になるつい10日前の健康診断ではレントゲン、血液検査含め全く以上がなかったわけで、病的状態ではなく疲労で体調が落ちていたと考えていいと思う。
  思い当たる節はある。昨年までは、ジムでストレッチをしたり、サウナにゆっくり入ったりと体をケアする日もあったけれど、今年は高負荷トレーニングの比重が増えた割にはジムもやめてしまい、闇練で坂を登ったあとにクールダウンもせずに帰宅して軽くシャワーを浴びて飲酒、そして気絶。そんなパターンを繰り返していた。これでは、からだにいい訳がない。5月には朝練を数回しただけで不調に陥ってしまい、その後も早起きはできない状態が続いた。8月の後半以降、ツールド沖縄目指して乗り込みを会してからは、何とも頑固な疲労感と長引く風邪に悩まされ続け、ついに重症の肺炎にまでなってしまったわけ。8月以降は、ハース式プログラムだけでなくて、昼食のカロリーを300カロリー程度におさえたり、結構極端なこともしていたし、空腹をおさえるためにダイエットコークをたくさん飲んだりもしていた。いろんなツケがたまってきたのだと思う。
  これまで選手の方や何人もの人に体のケアが足りないと指摘されてはいたのですが、痛い目に遭うまでわからないところは私の悪いところだ。疲労なんてたまったといっても、数日休めば治るで書なんて軽く考える傾向もあった。今後はトレーニングに見合った体のケアを積極的に取り入れていきたいと思うし、食事も大事にしていきたい。
  それにしてもねえ、ずいぶん久しぶりに体重も66kg台まで落ちたし、お腹の筋肉も割れてきていたし、それにつれて登りのスピードも上がってきていたので、今年のツールド沖縄市民120kmでは目標の30位以内をクリアして、来年からは市民200kmだぁーーと皮算用もしていたのだけどなぁ。当然のことだけれど、人生そううまくはいかないものだ。これからまた再出発。