ヨーロッパ漂流記

このブログは、ポーランドとイギリスでの生活を中心に、
私ナガシマが異国の地で感じたことなどを綴っていくものです。

バーブル・ナーマとグリニッジ天文台

2007-07-30 09:14:58 | イギリス留学
最近は、ようやく修士論文を書き始めた。
1万語から1万2千語という字数制限なのだが、
先週とりあえず2千5百語くらい書いてみた。
だいぶ調べは進んでいるものの、
ちゃんと結論まで持っていけるか、まだ微妙だ。
提出まであと5週間弱しかないからちょっと不安。。

そんなこんなで、土曜も勉強しようと思って図書館に行ったのだが、
今の時期、土曜は僕の大学の図書館はやっていないので、
となりのSOASという大学の図書館に行ってみた。
SOASというのは、詳しい正式名称は忘れたが、
アジアとアフリカの地域研究をやっている専門の大学である。
ロンドン大学に属していて、こっちでは結構名前の知られている大学だ。
一方で僕の通っている学部は、旧ソ連圏と東欧の地域研究なので、
他人に自己紹介するときはよく、SOASのロシア版みたいな学部です、
と言ったりもする。

で、そのSOASの図書館。
今回久しぶりに入ったのだが、ここは実にいろんな言語の本が置いてある。
もちろん日本語の本もたくさんある。
僕は、旧ソ連圏のマイナー言語の本もあるのかちょっと興味があったので、
ちょっと物色してみると、あることあること笑。
まずカフカス系諸言語の場所に行くと、
グルジア語だけで、本棚3つ。
そして隣にアルメニア語の棚が1つ。
ここの大学の研究者でこういうのが読める人が結構いるのだろうか。
字もキリル文字などとはまったく違い、
僕には何についての本かもわからないけれど。。
他にも、聞いたこともないカフカス系言語とロシア語の辞典を
たくさん見つけた。
うーん、さすがSOAS。。

で、こんな本が読めたらいいなあと思うものの、
当然読めるはずもないので、次に移動。
隣はトルコ系諸言語の棚だ。
ウズベク語、トルクメン語、ウイグル語、カラカルパック語まである。。
そしてその中でもちょっと気になったのが、チャガタイ語の棚。
チャガタイ語というのは中央アジアで中世に使われていた文語で、
アラビア文字を使ったトルコ系の言葉なのだが、今は死語だ。
昔の文献があるのかな、と思い見てみると、
3段くらいあるチャガタイ語関連の本のうち半分くらいが、
「バーブル・ナーマ」という本に関するものであることに気づいた。
ナーマはペルシャ語系の言葉で本という意味だが、
バーブルってのはどっかで聞いたことあるなあ、と思い辞書を引くと、
インドのムガール帝国の創始者、とある。
むかし世界史でやった!とかなり懐かしくなり記憶を辿ると、
バーブルはたしか、ティムールの子孫だったはず。
ティムール朝は、15世紀あたりに中央アジアにあった帝国だ。
あー、だからチャガタイ語かあ、と勝手に納得したが、
ムガール帝国を作った人がトルコ系の言葉をしゃべっていたというのは
あらためて考えると結構意外だ。
で、本棚にその「バーブル・ナーマ」の英語訳の本が置いてあったので、
まずその解説から何となく読み始めたのだが、これが結構面白い(笑)
この本は、バーブルがムガール帝国を作った後に、
それまでの人生を回顧して書いたもので、
10代でフェルガナ地方の領主になってからのできごとや、
当時のこの地方の暮らしぶりが、かなりいきいきと綴られているようだ。
この本は実は、チャガタイ語文献の中では最も有名なものの一つで、
ヨーロッパでは、19世紀から解読が進んでいたらしく、
様々な写本資料を使ってそれまで行われてきた研究の経緯なども、
その本ではかなり詳しく解説されていた。
また本棚には「バーブル・ナーマ」の写本のコピーを綴じた本もあったが、
それを見ていると、こういうのを読んで歴史を紐解いていく歴史学者は、
本当にすごいなあと思う。
まあ世界史の教科書とかで見る、昔誰がどこで何した、とかいうデータも、
もとはと言えば、こういう資料から判っていくことなのだろうから。
ちなみにこの本は、日本でも間野英二さんという中央アジア史の先生が
訳されているようである。
結局この日は、図書館の閉館時間が来て途中までしか読めなかったので、
またそのうち余裕があったら読みに来たいと思う。

で、土曜はそんなわけで、修論は全然はかどらず、
今日日曜は、友達とグリニッジ天文台へ行ってきた。
イギリスは全然観光してなかったので、
まあ少しくらい見ておくか、という感じだったが、
天文台の周りの公園もすごくきれいで、
かなりいいところだった。
ロンドンから電車で15分くらいのところだし、
もしイギリスを旅行する機会があれば、結構オススメです。
結局夕方までダラダラいて、ロンドンに戻ってからしばらく飲んでいたので、
家に戻ってきたのは0時すぎだった。

そんなわけで、明日からまた気を取り直して、図書館で修論のつづき。
頑張って少しでもいい物を仕上げたい。
そして、9月4日(火)の朝に帰国します。





ソチ・オリンピック!

2007-07-11 08:17:40 | イギリス留学
不覚にも今日になってようやく、
2014年冬季オリンピックがロシアのソチで開かれることになったことを知った。
ニュースは、日本語と英語でだいたい毎日チェックしてるのだが、
なぜかこれには全然気づかなかった。
たまたま先週末に買った新聞を今朝眺めていて、知ったのである。
いやーびっくり!

それにしても、この時期にロシアでオリンピックができることになったのは、
ロシアの人たちにはかなり感慨深いのではないだろうか。
前回のオリンピックは冷戦時代、1980年のモスクワ・オリンピックである。
前年のソ連のアフガニスタン侵攻によって、
日本を含む西側諸国が大量にボイコットしたことで有名なオリンピックだ。
その後ロシアは、ペレストロイカ、ソ連崩壊、
90年代の急速な市場経済導入による経済の混乱、
98年の金融危機という波乱を経て、2000年代に入り、
石油価格高騰を追い風にしてようやく経済成長しはじめた。
この時期に、施設が不十分とIOCに文句をつけられながらも、
国を挙げてオリンピックに間に合うよう施設を整備するという
プーチンの説得もあってオリンピック招致に成功したことは、
よく言われる昨今の「強いロシア」復活の、
一つの象徴的な出来事となるのかもしれない。

ただその一方で、このような見方には疑問も残る。
ロシアはプーチン時代になり、エリツインの時代よりもだいぶ安定したように
思われがちではあるが、長期的に見れば決してそうとはいいきれない面が多い。
経済が資源に依存しているので、今後の資源価格の動向次第では、
今の経済成長を維持できるとは限らない。
また今開発されているロシアの油田やガス田が徐々に枯渇しつつあると言われる一方で、
新たな開発への投資と、輸送経路の整備がなかなか進んでいないのが現状である。
そして当然、資源関係の産業が発展する一方で、
その恩恵にあずかれない貧しい人たちはたくさんいるので、
貧富の差が拡大しているという問題は非常に根深い。
また政治的にも、プーチン政権はエリツイン時代の様々な混乱を
かなり立て直したと言えるものの、
ロシアは、ソ連崩壊以降まだ二人の大統領しか経験していないこともあって、
プーチン以降の政治体制がどうなっていくのかは、かなり予測できない部分がある。
2014年のソチ・オリンピックが、ちょうど韓国のソウル・オリンピックのように、
長い目で見て、ロシアの発展を象徴する出来事となりうるかどうかは、
まだちょっと判断できないのが現状なのではなかろうか。


ところでソチという町は、黒海に面した温暖な保養地として、
ソ連時代から発達してきた町である。
ソ連時代は、モスクワの人にとって保養地といえば何と言っても
クリミア半島だったようであるが、彼らにとって不運なことに、
ソ連崩壊とともにクリミアは、ウクライナの物になってしまった。
地図で見ればわかるが、ロシアにはソチ周辺のほんのわずかな海岸線しか
残されていない。
そんなわけで、ロシアにとってソチは、
わずかに残った貴重な黒海の保養地となったわけである。
(もっとも以前どこかで書いたように、今やトルコやエジプトなどの国々が、
 ロシア人にとってのリゾート地として人気が高いようではあるが)

そんなソチには、僕はモスクワ留学中の一昨年2005年の5月に、
韓国人の友人と二人で行ってみたことがある。
ソチは暖かいから5月にはもう泳げる!とその友達が熱心に言うので、
モスクワから延々2晩も列車に乗って行ったのだが、
行ってみると、まだ寒くて全然泳げなかった、というオチだった(笑)。
まあロシアの中では南部の町であっても、
緯度はたしか北海道あたりなのだから、当然という気もする。
ソチは黒海沿岸の町ではあるが、カフカス山脈がすぐ近くまで迫っており、
山も海もあって非常にきれいなところだ。
泳げるほどの気温はなくても、モスクワとは空気が全然違って、
通りには南国風の木が立ち並んでおり、すっかり南の町の風情ではあった。

海を諦めた僕たちは、ある日カフカス山脈に登る地元のツアーに参加した。
バスである程度まで上り、そこからスキー用のリフトでさらに上へ行くと、
気温がみるみる下がり、一気に雪景色になる。
さっきまでの南国の風景が、すでに信じられない。
5月だというのに、リフトの終点はものすごい吹雪で、
たいして服を着ていなかった僕たちは散々な目に遭った。
このリフトの途中、「ここでプーチン大統領が昼食を採りました」
という看板を掲げたカフェを見つけた。
プーチンは、冬はよくここでスキーをすることが知られている。
ソチは、夏は温暖なリゾート地として有名だが、
冬はスキーをする場所としても人気があるのだ。
僕たちの行った季節は、明らかに中途半端だったが、
南国風の町並みと山の上の雪景色のコントラストが、非常に印象に残った。
あそこで7年後にどんなオリンピックが開かれるのか、
今から楽しみだ。

怖っ

2007-06-30 10:04:21 | イギリス留学
ロンドンでまたテロ未遂。
日本でもたくさん報道されているのだろうが、
爆発物を載せた車が見つかったピカデリー・サーカスは、
ロンドンの中心街の一つで、僕もよく行くところだ。
日本の食材を売っているジャパン・センターもそこにある。
今回はナイトクラブを狙ったテロだったようで、
幸い失敗に終わったが、もし爆発してたら相当な数の人が死んだだろう。
しかも、さっきBBCニュースを見ていたら、
爆発物は、最初に見つかった場所だけでなく、
その後さらに二箇所で見つかったようだ。
まだこの後に続く可能性もあるのかもしれない。
イギリスの政権交代の時期が狙われたのかも、とか、
自動車爆弾の手口がイラクで横行しているテロとそっくりで、
アル・カーイダから技術がわたった可能性がある、とか、
いろいろと言われているようだが、
容疑者も捕まってないし、まだ判らないことばかりのようだ。
まったく物騒な話である。

で、そんなニュースが話題になる中、今日は友達の家でご馳走になって、
夜12時ごろ帰宅して部屋でゆっくりしていたら、
突然、寮中に非常ベルが鳴り響いた。
やかましいやかましい。
どうせ誰かが間違って押しただけだろうと思いつつも、
うるさくてやってられないので一応外に出てみると、
なんと消防車が3台も来ている。
続々と消防士が寮に入っていくので、
もしかしてこれは本当の火事かと思い、
しまったそれならパスポートと現金を持ち出すべきだった、
などと色々考えをめぐらせた。
が、しばらくすると消防士たちはかなりリラックスした表情で引き返してきて、
結局は何かのミスでベルが鳴っただけだということがわかった。
最後は、消防車を背景に消防士と記念撮影してる人までいて、
かなり平和な感じだったが、いずれにせよこんな夜中に迷惑な話だ。

そんなわけで、昨日今日と、身の回りが何かと物騒。
この際だから、テロの影響でポンドが大暴落してくれたりしたら、
嬉しいんだけどなあ。

それぞれの進路

2007-06-25 08:14:58 | イギリス留学
気づけば、アイルランドから帰国して一週間。
ずっと更新していなかった。
最近は、ブログの更新をしばらく怠ると、
日本の自宅から僕の携帯電話にはるばる、「最近何やってるの!」
と電話が掛かってくるので、若干のプレッシャーがある(笑)。
まあ心配する気持ちもわかるけど、
そんなに毎日毎日変わったことがあるわけでもないから、
書け書けと言われても、ちょっと困る(笑)。。

ともあれ、アイルランドからは先週金曜日に帰国し、
今週はずっと修士論文にとりかかっていた。
いまだにクリアーなテーマ設定が見つからず、ちょっと焦り気味。。
まあだいたいこのへんで、という問題意識はあるのだが、
やはり論文は、問題設定とそれに対する解答が明白でないと、
上手いものは書けないと思うので、
これがちゃんとできるかどうかはかなり重要な問題だ。
そんなの当たり前じゃないか、と思われるかもしれないが、
長い文になるほど、当人はしっかり書いているつもりでも、
論旨がボケている、ということはよくある。
書き出す前に、ある程度全体の枠組みを明白にしたい。
それがあとどれだけの間にできるのかが、いまいちまだ掴めないから不安だ。

最近日本の友人達といろいろメール交換をしているのだが、
大学時代の友達で、学者を目指している人たちは、博士課程1年目にして、
大部分が奨学金を取って学者への道のりをしっかり歩み始めたようで、
みんなすごいなあと感心する。
学問の世界で食っていくのは、いろいろ大変なことが多いのだと思うが、
倍率も結構高いと思われる奨学金を皆ちゃんと取っているのは、さすがだ。
こういった話を聞くと、みんな将来が楽しみだなあと思う。

一方で大学卒業後の就職ということになると、
イギリスに住む僕の周りでは、結構苦労している人たちも多い。
僕の現在の学部では、政治を学んでいる人が多く、
みんなどんな職についたものか悩んでいる人たちが多い。
イギリス人の友達が言うには、銀行などの金融系の仕事は求人が多いが、
大学で政治などを学んだ人には、国際機関やNGOなどで働きたい人が多く、
こういう分野になるととたんに求人は少なくなるのだという。
なので、大学院を出た後も、NGOなどで無給でインターンなどを
しているという人は、かなり多いようだ。
まあこういうのは直接金が儲からない分野だけに、
それで食べていける人の数が少なくなるのはある意味当然な気もするが、
そういう職を求めてさまよっている人たちは、現にたくさんいるのである。

ジャーナリズム関係に進みたいという人も多い。
僕が聞いた限り、イギリスやドイツなどでは、
大手の新聞社やテレビ局などに勤めるためには、
それ以前に1年2年のインターンの経験があることが必須だという。
友人のドイツ人のヤコブもそのような道を目指していて、
彼はルーマニア政治を専攻していてルーマニア語が少し出来るので、
ルーマニア国内に住むドイツ人向けのドイツ語紙の会社で、
この秋から一年間インターンとして働くことに決めたと言っていた。
彼の場合、EUやドイツ政府から、若干の補助金みたいなのを
もらえることになったらしく、
ルーマニアで生活する分には困らないだろう、と言っていた。
とは言っても、その額は、一般の給与水準から言うとかなり低い。
そういう点から見ると、日本では、大卒で記者としてはズブの素人の状態で
就職しても、一年目からちゃんと給料をくれるわけだから、
比較的恵まれているのかなあと思う。

しかしそれでも、職を選ばなければ西ヨーロッパの就職状況は非常に良い。
東欧やアフリカ、中近東からの出稼ぎがこれだけ多いのだから、
その状況は推して知るべし、と言える。
一方で僕がモスクワで知り合った韓国の友人は、
就職にかなり苦戦している。
現在の韓国では、普通に大学を卒業しただけではまともに就職できない
と言われるほど、就職状況が厳しいらしい。
だから皆、英語やその他の資格を獲得するのに必死だ。
経済学を専攻する僕の韓国人の友達が言うには、
今の大学生世代というのは、朝鮮戦争直後に生まれたベビーブーム世代の
子供達で、非常に数が多い上、韓国経済が90年代末の金融危機から
まだ完全には立ち直っていないこともあり、就職状況がとても悪いのだという。
こういう状況だと、日本の10年位前と同じように、
当人の実力ややる気と関係なく就職の機会が狭まってしまうので、
とても気の毒だと思う。
もしかしたら、韓国も10年後くらいには、今の日本のように、
すごく就職状況が改善する可能性があるのだろうが、
今まさに就職しなければいけない大学生たちにとっては、
将来はどうであれ、差し迫る死活問題だと思う。
ともあれ、僕の友人は就職が決まったらぜひ日本に遊びに来たいと言っているので、
彼が早く就職を決めて日本で再会できるのを、僕は祈っている。

以上、僕のまわりの就職状況を中心になんとなく書いてみたが、
実は、就職活動の仕方とか、若者の仕事に対する考え方というのは、
国とか地域によってものすごく違う。
こういうのは今、大学院を卒業しようという状況の中で
友達と色々話をしていると、日々感じるところが多い。
気が向いたら、また追ってそのうち書いていきたい。

あとはアイルランドでの話も、もしかしたら、またいずれ(適当笑)

部屋が狭い

2007-06-12 08:05:02 | イギリス留学
新しく引っ越してきた寮、前のところと比べるとかなり良くない。
部屋が狭い、日当たりが悪い、
共用キッチンはものすごく小さく、かつ食卓がないので、
作った食事をわざわざ全部部屋に持っていって食べなければいけない、
などなど、不満を言えばキリがない。
まあ初めからここに住んでいれば、そんなもんかなと思ったのだろうが、
人間、一度慣れた生活レベルを落とすというのはなかなか大変なものだ。
そしてさらにムカつくことに、料金は前のところより若干高い(!)
この寮、今のところ何一ついいことがない。

しかしまあ、ツベコベ言っていても始まらない。
今日は、一ヶ月ぶりくらいに韓国人の友達と昼ご飯を食べた。
彼はPhD生で、この12月に博士論文を出して韓国に戻るつもりらしい。
だいぶ研究のストレスが溜まっていたようで、
昼ご飯を食べた後も、3時くらいまでいろいろと話し込んだ。
夕方は、アイルランドの友達の家に持っていく土産物を買いに中心街へ。
日本人の僕が、アイルランド人にロンドン土産を買っていっても仕方ないので、
ジャパンセンターというところに日本の土産物を物色しに行ったのだが、
これがまたちっともいい物が見つからない。
結局、日本的な絵が描かれたコップを二つ買ったのだが、
3泊もさせてもらう予定なので、もうちょっといい物を買いたかった。
明日、空港行く前にお菓子でも買っていくか。

そんなわけで明日から金曜まで、アイルランドに行ってきます。
激安で有名なライアンエアーで、スタンステッド空港を12時発。
計算すると、7時半には家を出なければいけないことになる。
はたしてちゃんと起きられるのかが、とても心配。。

引越し、失敗(笑)

2007-06-10 09:43:01 | イギリス留学
今日引っ越す予定が、今夜もまだ住み慣れたホークリッジ寮にいます。。

そもそもの失敗は、昨夜飲み過ぎたこと。
朝起きるとかなりの二日酔いで、
こりゃー駄目だということで二度寝して、昼過ぎにようやく起床。
昨日は、さあ明日引っ越すぞ、と騒いでいたものの、
いざやった事といえば、お別れに酒を飲んでいただけでした笑。
で、次の日気づいたら全然荷造りもしてなくて、
二日酔いで頭が痛いだけという罠。
1時過ぎにだらだら昼ご飯を食べて、
それでもまだ動く気になれず、
ようやく午後3時くらいから動き始めた。
実は僕は、どうしても今日中に寮を空けなければいけないわけではなく、
月曜の朝までに出ればいいことになっている。
だから、とりあえずどうしても今日移らなければいけないドミンゴの引越しを、
まずは手伝うことにした。
荷物を全部下に降ろし、タクシーを呼んで新しい寮へ。
着いてみると、今まで住んでいたところよりかなりきれいなところだ。
値段もちょっと高いらしい。
受け付けで鍵を受け取って、部屋に荷物を運び込む。
これでもう午後5時。
あーあ、やっぱり酒は飲みすぎるものではありません。

そんなわけで、ホークリッジに戻り、フラットを一気に掃除して、
夜はドミンゴお勧めの香港料理のレストランに一緒に食べに行った。
若干高かったが、かなりおいしい店だった。
最近ロクなものを食べてなかったので、
久々にこんなにウマいもの食べた気がする。
そして0時すぎにようやく帰宅。
結局ドミンゴも荷物がまだ少し残ってるのでホークリッジに帰った。
パノスははなから今日の引越しはあきらめてどこかふらついてる様子だ。
なんか普通の休日って感じ。

でも明日はマジで引っ越さねばなりません。
今日は飲んでないし、明日の朝は8時に起きる!
あとは、雨が降らないといいんだけど。。


明日、引越し

2007-06-09 11:18:02 | イギリス留学
今住んでいる寮は、昨年9月に移ってきたところで、
ロンドンでの修士課程の時間をずっと過ごしてきたところだ。
ホークリッジ、という名前の寮なのだが、
だいぶ古くてガタがきているので、夏に大規模な修理をするらしい。
それで明日、この寮の学生はみな、別の寮に引っ越すことになっている。

引っ越すといっても僕の場合、次に住む予定の寮は歩いて10分ほどのところだ。
僕は以前、同じ千葉市内で地味に磯辺から高浜に引っ越したことがあるのだが、
それとあまり変わらない。
距離的には、学校までの距離が少し近くなるので、
むしろありがたいとも言える。
しかしそれでも、多少の寂しさはあるのが事実だ。
何より、これまで一緒に過ごしたフラットメイトとお別れしなければならない。
今まであまり書いてこなかったが、この半年ちょっとの間、
僕はギリシャ人とフランス人の学生と一つのフラットを共有して暮らしてきた。
ギリシャ人はパノス、フランス人はドミンゴという。
僕たちは皆それぞれ別々の部屋を持っているが、
トイレや風呂、キッチンなどは共同だったから、ほとんど家族のようなものだ。
ある時は一緒に料理を作って食事をし、ある時は酒を買ってきて飲み明かしたりもした。
それが明日からは、同じロンドン市内とはいえ、
別々の寮で暮らすことになる。
だからこのメンバーで過ごす一夜も、今日で最後になる。

今夜はみんなで、冷蔵庫に残った酒を飲んで、だらだら話をしていた。
とくにドミンゴは、フランス人と香港人のハーフであり、
なぜかX JAPANと安室奈美恵のファンで、
僕がゼミなどでうまくいかなくてヘコんで家に帰ってきたときも、
家に帰るとBODY FEELS EXITなどのかなり懐かしい歌を一緒に聞いたものだ。
明日から別の場所で暮らすというのはにわかには信じられない。
まあどんなことも、永遠には続かず、終わりが来るということなのだろうけど。

とりあえず、明日荷物を全部移動しなきゃいけないというのが、かなりダルイ。。
まだ全然荷造りもしてないし。
ここのところ、良くも悪くもだいぶ今の生活に慣れきってしまっていたので、
新しい生活環境になって、また心機一転新しい生活ができると嬉しい。

再起!

2007-06-07 10:59:54 | イギリス留学
もうすでに2ヶ月以上更新していませんでした・・。
まだこのブログを覗いてくれている人はいるのでしょうか笑。
そろそろこのヨーロッパ漂流記、再開したいところです。

でも一つ問題が。
実はもう去年の8月以来、僕はずっとロンドンにいるんですね。
全然「漂流」じゃないじゃないか、っていうことです。
まあこれを書き始めた去年5月の時点では、
とにかくまずはポーランドに行って、何やら高校でボランティアみたいなことして、
そのあとしばらくあっちこっち漂って、8月にはイギリスに行く、
っていうことだけが決まっていました。
その先がどうなるか全然判らなかったから、緊張感も不安感もあり、
とにかく今経験できることはすべて吸収してやろう、という精神があったわけです。
そしてイギリスに来てからも、言葉はよくわからないし、
大学院の課題は多いしで、本当に周りについていけるのかなんなのか、
とにかく毎日がチャレンジでした。
今から昔の日記を読み返しても、その時の意気込みは鮮明に思い出します。
そして今年の3月末で勉強が一段落し、就職活動のために日本に一時帰国しました。

日本での就職活動は予想以上にスムーズでした。
僕はマスコミと商社の1社ずつから内定をもらい、
かなり迷った末に、来年4月から記者になることにしました。
その後、4月24日に慌しくイギリスに帰国。
27日にロシア政治の試験。
そして5月1日、ロシア外交の最終レポート提出!

・ ・・・

気づくと、学業は残すところ修士論文を9月初めに出すのみ、
将来の道も一応決まった、というかなり生ぬるい状況に。。。
就職活動中のように、毎朝早く起きてネクタイを締める必要も無い。
差し迫ったレポートの締め切りも無いし、試験も無い。
極端な話、一日家で寝ていても、さし当たっては困ることも無いし、
将来にも(多分)影響しない。
そんなわけで、僕は激しく「五月病」に陥りました。

しかし、考えてみれば僕は別に、修士号が欲しくてここに来たわけではない。
就職も、これでようやくスタート地点に立てたというだけのことだ。
とにかく時間がある今のうちに、勉強できることを少しでもたくさんやっておくべきなんじゃないか。
5月も半ばを過ぎた頃にようやくそう思えて、修士論文にとりかかり、
それとは別に中央アジアの内政の勉強も始めるなど、
徐々に勉強を加速させつつあります。

それでも、来年の3月までの期間、何をしていくかということになると、
これは結構難しいです。
大学院の方は、いずれにせよ9月頭に修士論文を出したら終わりだし、
何かまた新しいことを見つけなければ、ということになります。
いくつか候補はあるものの、これはまだどうなるかはわからない状態です。

とりあえず、来週はクラスメイトを訪ねてアイルランドへ行く予定。
ヨーロッパ漂流記も、再開します!

青木まりこ現象

2007-03-25 13:26:54 | イギリス留学
本屋で本を立ち読みしていると、なぜかいつもトイレに行きたくなる。
だからゆっくり落ち着いて本を物色できない。
そういう人は、世の中結構多いらしい。
実は僕もその一人で、
そのせいで、本屋に長くいることができなくて困る。
図書館でもなるという人がいるようだが、
僕の場合、なぜか図書館ではあまり起こらない。
たいてい、本屋でいろんな本をあれこれ見ているときに起こるような気がする。

で、この症状は「青木まりこ現象」という妙な名前がついているらしいのだが、
最近、本屋以外でもこの現象が起きることに気づいた。
それは、インターネットの検索。
といっても普通の検索でいちいちトイレに行きたくなるということはない。
僕の場合、大学院の勉強でレポートを書くとき、
過去の論文や新聞記事をインターネット上で探すことが多い。
ところがこれは結構、手間と時間がかかる。
色々な検索機能を使って、色々なキーワードを入れて、何回も何回も検索する。
そして、それらしき記事を拾って流し読みしては、
重要なものかどうかを判別しなければいけない。
で、この作業をやっているときに「青木まりこ現象」が起こるのである!

この現象がなぜ起こるのかということについては、色々な説があるようだが、
インターネットの検索でも起こるということを考えると、
どうもたくさんの本なりサイトなりを物色して、
その中から何かを探すという作業自体がストレスになって、
トイレに行きたくなるんじゃないか、という気がする。
図書館で起きないのは、図書館だとあらかじめ読みたい本の番号を検索して、
そこに行って本をとってくればそれですむからである。
図書館でも、本屋と同じように、読みたい本のめぼしをつけずに、
なんとなくいろんな本を物色したら、
やっぱりこの現象が起きるのではないだろうか。

ということで、これが僕の
「青木まりこ現象の新説」なんですが、いかがでしょうか(笑)
今日からこっちは夏時間に戻ったため、今はもう朝5時半。。
レポートさっさと仕上げて寝る!
そしてあさって帰国します!


水道水の話

2007-03-16 05:44:01 | イギリス留学
日本では最近、
「今、水道水を飲む人はほとんどいない」
とか何とか言って、謝る羽目になった大臣がいたとか。
水道業者と、水道水飲んでる人に失礼じゃないか、
ということらしい。
僕は日本でもイギリスでも基本的に水道水を飲んでいるのだが、
このニュースを見てむかついた、というよりは、
「水道水を飲むってのはそんなに珍しいのか?」
とちょっと驚いた。
だっていちいちミネラルウオーターを買うなんて
めんどくさいじゃないですか。
もちろんお金がもったいないってのもあるけど、
蛇口ひねれば飲める水が出てくるんだから、
それ飲めばいいじゃん、て思う。
皆さんは飲まないんでしょうか笑?

ちなみに日本を一歩出れば、水道水を飲めない国はたくさんある。
そういう地域を旅行するときは、
いちいちミネラルウオーターを買うしかない。
以前住んでいたモスクワでは、
飲めないことはないが、飲まないほうがいい、
という感じだった。
僕がホームステイしていた家では、
ミネラルウオーターを買うお金がないので、
まず水道水を容器にためて何日か置き、
下に余分なものが溜まってきたら、
上のほうの水を汲んでさらにそれを煮沸し、
またしばらく置いて冷えたものを飲む、
というようなことをしていた。
ところが僕は、この家に住み始めた当初、
そのシステムを良くわかっておらず、
煮沸前の水をすでに処理済の水と勘違いして、
ずっと飲んでいた。
あるとき僕が水を飲んでいたら、その家のおじいさんに、
「おい、そりゃ水道水だ!」
と言われ、びっくり。
結局1ヶ月くらい水道水を飲み続けていたことがわかり、
わかった途端になんか体調が悪いような気がしてきたものだ(笑)

ここロンドンでは、基本的に水道水は問題なく飲める。
「地球の歩き方」にもそう書いてあるから、大丈夫なはずだ。
でもそれでも嫌だから飲まない、という人は結構いる。
もちろん僕は、モスクワですら1ヶ月も飲んでしまったのだから、
なんの躊躇もなく飲んでいる。
ただ気になるのは、
「イギリスの水道水を飲むと禿げる」
という良からぬ噂。
日本人の友達から聞いたのだが、
これはちょっと気になる。
それで去年の夏に住んでいた寮のキッチンで、
そんな話を周りの人としていたら、そこに入ってきたイギリス人が、
「いやー、そんなの聞いたことないけどな」
とか何とか言って、ごくごく水道水を飲んでいた。
ただし、実はその彼自身が結構禿げていたので、
やっぱり水道水を飲むと禿げるんじゃないか、という疑念は強まるばかりだった。

まあ、将来僕が禿げたら、
あのときロンドンで水道水を飲んだからだ、ってことにしよう。
ロンドンのせいにしたからって、失われた髪が戻るわけではないけれど。
えー、でもとりあえず今のところは大丈夫そうです。。