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Samurai X- The Great Kyoto Fire Arc-

この夏は反抗期の高1の姪ちゃんを2週間預かり(けられ)、塾と道場と映画なんかで楽しく過ごした。
「るろ剣、京都大火編」はアクション映画の金字塔と言っても過言ではないと思う。チャンバラの概念を完全に変えた新たな「ソード・アクション(sword action)」だ。

それにしてもタケル君、少女のような顔をして、ものすごい身体能力だ。スピードもキレもあり、しかも逆刃刀(峰打ち)の一撃で相手を倒すために渾身の力をこめて刀を振り下ろしているところに圧倒される。
監督が、カンフーの金字塔「ワンチャイ(once upon a time in China:お姉さんが百回以上見た映画)」3部作の大ファンで、「るろ剣」も3部作にしたかったと語っているのを読んだときには胸が高鳴った。
しかも、アクション重視でストーリーは二の次の香港映画とは違い、剣心の葛藤やサムライの覚悟などが繊細に描かれているので、大人が見ても面白い。これ、海外でも絶対に大ヒットすると思う。
また、谷垣健治が「アクション監督」として圧倒的な成功を収めたことをとてもうれしく思う。「燃えよ!スタントマン」のあの無名の青年が、志を遂げて、その地位を確固たるものにしたのがこの映画だ。

原作ファンではないお姉さんは、映画は原作を凌駕していると思うが、それはそこ、お姉さんが竜崎の扱いについては些細なことも許せないのと同じように、原作ファンが長文で熱い辛口コメントを書き込んでいるのを読むとつい口元がほころんでしまう。とはいっても、原作ファンのほとんどが、納得し、満足しているのは、日本映画では見たこともないような怒濤のアクションと、タケル君の表情や動きの美しさに剣心を見るからだろうと思う。

*ジェット・リーも「swordsman(日本語タイトル“スウォーズマン”)」って意味不明な映画に出てたけど・・。
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Sherlock3-1

あまりの多忙に3回ともリアルタイムでは見られなかったけれど、録画を見たら、プロットの複雑さと内容のおもしろさに、それぞれ何度も繰り返し見てしまった。回を重ねるごとにSherlockという人間の人格が掘り下げられて、マンネリどころか、彼の魅力が増しているのが凄い。

第1回の「空の霊柩車:The Empty Hearse」は「空き家の冒険:Empty House」の、
第2回「三の兆候:The Sign of Three」は「四つの署名 :The Sign of Four」の、
第3回/最終回「最後の誓い:His Last Vow」は「最後の挨拶: His Last Bow」のもじりで、脚本家たちのホームズ・オタクぶりを見事に反映していて、タイトルを聞いただけでも期待が高まった。

特に第1回は、Sherlockの死の偽装について、いくつものアイデアを披露していて、竜崎だって死を偽装することで状況を変えられたのに、と思わずにはいられない。また、Sherlockの死について、デブのフ女子が宿敵モリアーティとのBL関係を妄想するシーンに、LとLightでネットでやられていた日本独自のオタク文化が、今ではヨーロッパでも立派に(?)通用する概念になっていることに感慨を覚えた。
「空の霊柩車」というタイトルも洒落ている。
そう、竜崎の霊柩車も空だったはず。

こういう風に、成人男性の主人公をオトナかわいく描写する方法があるとは驚きだ。
脚本家とBCの鮮やかなスキルに感銘を受けた。
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Sherlock3

明日からシーズン3が始まる。
シャーロックの死から数年後、という原作と同じ設定だ。
すんごく楽しみ。

「スター・トレック」で宇宙艦隊のフネが、ゴールデンゲートブリッジをかすめて基地に帰投するのを見ていたら、無性にサンフランシスコに行きたくなり、学会のついでに寄ってきた。
宇宙艦隊の基地はSFとしか設定されていないようだけど、フネの侵入角度から考えると、SF市内の対岸にあるバークレーのあたりだと思うのよね。あるいは、現在国際空港があるオークランドとか。

日本ではLAの方が人気が高いようだけど、都市的なのはSFの方。
地価もNY並の高さで億万長者が多い街なの。機会があったら是非行ってみて。

*DNのめどが立たないのでブログは近々閉鎖するつもり。
竜崎のことは心に刺さって抜けない棘のよう。


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ivory tower

S-cellの話が、どんどん予想外の展開になっていくのでニュースから目が離せない。
現在最も重要な問題は「S-cellが実在するかどうか」だけど、万が一これが実在するとしても、Obo方さんの論文は無効なため彼女の業績にはならない。それどころか、彼女は科学界から永久追放されるだろうと思う。

英語論文を書き慣れていないころは、“これ”をどう表現して良いのかわからず、他の英語論文の表現を参考にすることが多いが、それでもコピペして自分の文章として提出することはない。3行(文)以上同じ文章となる場合は、かならず「引用」として参考文献にもとの論文を入れることが常識だからだ。不思議なのは、国際的な権威が選ばれることが多いレフェリーが、あんなにも長いコピペに気がつかなかったことだ。専門的な分野というのは、同じ研究をしている人が少ないので、誰もがそれに関するほぼ全ての論文に目を通すことになる。そのため、引用法を間違えると、査読の時にちゃんと指摘される(お姉さんは経験がないが)。レフェリーは同じ分野の論文は読むけど、一般向けのHPなどは読まないからだろうか?

その他にも絶対の禁じ手である画像の切り張りをやるなど、いろんなことが不思議だけど、この子(の人格)が一番の不思議ちゃんだ。
そもそもお姉さん、彼女がマスコミに初登場したときに、早すぎる露出と奇妙に飾り立てた外見に強い違和感を感じたのだけど、「理研+ネイチャー+ハーバード」という権威の三つ巴で来られれば信じざるを得なかった。(普通の理系のオンナは研究室で縦ロールなんかしない。汚れるもの。真珠のイヤリングやハイヒールも同様。)
今は、権威の象徴として目の前にそびえ立っていたいくつもの象牙の塔が、小娘に振り回されて、ガラガラと崩れ落ちていく音を聞いているような気分だ。
今は苦しいと思うが、生きていて欲しい。
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初猟(について行く)

論文の締め切りや講義の他に、業界紙から月一でエッセイを依頼されたりで多忙だ。その合間を縫って道場に行ったり、射撃場にいったりで、いきなり以前以上にアクティブな生活に戻ったので、早くもバテ気味だ。我ながら、やることが多すぎる。

猟期は11/15-2/15日の3か月で、今日は最後の休日なので、散弾銃の師匠について鳥猟に行ってきた。みっちゃんも1月末にやっとこさ銃の所持許可が下りて、まだ一回しか練習してないのに、大喜びでついてきた(両者とも危なっかしいので銃はもたず)。
鳥猟で一番重要なのは「犬」だ。昔、父がやっていたので、家にも猟犬がいたが、当時は庭でだらだらしている怠け者という印象だった。
ところが、実際に行ってみると、「犬」に対する印象が一変する。
師匠の犬はまだ1歳で、今期が初めてという経験の浅さなのに、山で放すやいなや、猟犬の本能が全開になり、猛烈なスピードで獲物を探して駆け回る。嗅覚の鋭敏さは驚くばかりで、やがてある場所で立ち止まり、鼻先を空気中に突き出すようにして臭いで方向を定め、慎重に場所を特定している。獲物を見つけると忍び足で近づき、尻尾をびっと逆立てて、その場を動かなくなる。「ポイントする」と言って、「ここに獲物がいますよ」と指し示しているわけで、この用途で作られた犬が「ポインター」だ。その独特な姿勢で、遠くからでもそこに何かがいることがわかる。「すくむ」といって、犬にポイントされると、麻痺したように動けなくなる鳥もいて、ご主人様が到着するまで、獲物をそこに射すくめている。この間、ヤブに邪魔されて人間の目には何がいるかは見えていない。そして、射撃姿勢をとった主人の合図で、撃ちやすいように、ちょうどいい距離、タイミングで鳥を飛び立たせる(追い出す)。これがうまいのが「セッター」(バレーボールでトスを上げるセッターと同じ意味)。

今日はキジも山シギもいたのだけど、犬の経験が浅いこともあり、タイミングが合わずに師匠は撃ち漏らしていた。(それにしても瞬間的にヤブから飛び立って、真後ろなんかに飛んでいくので、あれを撃つのはタイヘンだ。突然の修羅場なので、みっちゃんなんか、うぉぉ、出た!などと無意味に叫んでいた。)今日の犬は無邪気にまたどこかに走っていったけど、優秀な犬だと、「えー、あれをはずしたの?信じられない」という顔で、主人を見るのだそうだ。師匠は、「犬に悪い」としきりに言っていた。

それにしても、鳥猟でさえ、枯れたツタが折り重なるかなりの斜面を登ったり降りたりで、普段鍛えているお姉さんでさえしんどかった。猟師の平均年齢は60-70歳くらいだというけど、足腰強くないと、銃が撃てるだけでは、猟はできないと痛感した。猟の教科書にも、「猟は、犬、脚、銃の順番で重要」と明記されている。
恐るべし、猟師。
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