河辺のブログ

正しいことだけが正しいわけじゃない

2011年10月1日(土)の日記

2011-10-01 23:13:19 | 日記
朝8時に起床、二度寝。12時起床。

14時に青山の医院に行く。自分の精神状態の若干の向上、引っ越しの準備の進捗、今後の進路のことなど話す。酒については今回話さず。薬、変わらず、ソラナックス、メイラックス、アモバン、グッドミン。

外苑前の大戸屋で食事。野菜と海老のあんかけ丼。

帰宅途上、新橋駅前の古本市に寄る。季節の変わり目に薄着で長時間見回ったせいか、途中で目眩に襲われかけるも、その後で寄った店で、自分が今欲しいものを見つけ喜ぶ。

帰宅後はさしたることなし。晩酌。


今日買った本

鈴木大拙「禅とは何か」
梅原猛 現代語訳「歎異抄」
現代語訳「方丈記」
澁澤龍彦「少女コレクション」
ラッセル「結婚論」
内田百「御馳走帖」
チェーホフ「退屈な話・六号病室」
トルストイ「人はなんで生きるか 他四篇」
オマル・ハイヤーム「ルパイヤート」
田部重治選訳「ワーズワース詩集」
宮沢賢治「童話集 風の又三郎 他十八篇」

2011年9月27日の日記

2011-09-28 00:21:10 | 日記
5時起床。晴れ。早朝勤務。バイトの交代時間がいつもより早く、泡を喰う。

16時に退勤。帰宅後は休んだのち、部屋の掃除。空き缶・空き瓶を中心に。

夕食、カップ焼きそばと蒸し鶏・トマトのサラダ。

夕食後、洗濯をしつつTumblr。池井戸潤『下町ロケット』を読み始める。

歌の一節を思いつく。メロディーを撮り忘れ後悔。

エーリック・フロム『愛するということ』を読みつつ就寝。

2011年9月26日(月)の日記

2011-09-26 21:17:37 | 日記
仕事休み。12時前に起床。16時頃まで、寝間着のままTumblrをいじったり、飯を食べたりして過ごす。朝昼飯、カップヌードルと白ご飯。

18時頃、風呂に入る。二日ぶり。

アイドリング!!!やぱすぽ☆などを聞きながら、古新聞をまとめ、たまっていた可燃ゴミ、空き缶等をゴミ捨て場に出す。古新聞を捨てる過程で見つかった写真週、数冊。

階下のマンション管理室を訪ね、自分の正確な入居日を尋ねる。引っ越しの日取りのため。11月7日とのこと。

階下のそば屋で夕食を食べる。かきあげそばに生卵。かかっていたBGM、JETの「Are You Gonna Be My Girl」、SPIRAL LIFE「MAYBE TRUE」。

あたりめを肴にビールで晩酌。

2011年6月21日(水)の日記

2011-09-22 06:09:38 | 日記
6月21日(水)、台風。仕事休み。

午後に起きる。涼しくなったため久しぶりに熟睡。3時過ぎに昼食、カップラーメンと白ご飯。

Tumblrや2ちゃんまとめサイトを見ながら、台風を横目で眺めつつ過ごす。関東の各種交通機関、ほぼ全て止まる。

20時前、夕食のために外出。大戸屋。向かう途中の駅のタクシー乗り場に行列。大戸屋にて、注文を取りにこないことに立腹し席を立つ男性と、それについてへらへら文句を述べる男性あり。大人げないことと思う。

23時過ぎ就寝。

The Rolling Stones - Time Waits For No One 訳詞

2011-08-09 01:08:36 | メモ
ああ、星は楽しげに交差しあい 空の上を流れていく
ああ、まるで楽しかった時間が過ぎていくときのように

時間は誰のことも待っちゃくれない 俺のことも待ってくれないだろう
時間は誰のことも待っちゃくれない 俺のことも待ってくれないだろう

時に連れて女の顔は美しくなり、そうして醜くなる
時はそのことに涙するかもしれない
時間はダイヤモンドみたいなもの、むだに費やすわけにいかない

時間は誰のことも待っちゃくれない 誰もひいきにはしてくれない
時間は誰のことも待っちゃくれない 俺のことも待ってくれないだろう

見ろ、奴らは過去の栄光で塔を立てる 永遠を誇りたいからさ
草を刈り収穫をしながらやってくる連中 やつらが笑いながら自分のペテンを語るのを聞きな

時間は誰のことも待っちゃくれない 俺のことも待ってくれないだろう
時間は誰のことも待っちゃくれない 俺のことも待ってくれないだろう

夏には酒を飲み トウモロコシでも集めることだ
夜の間の夢なんて 夜明けまでに消え去っちまう

時間は誰のことも待っちゃくれない 俺のことも待ってくれないだろう
時間は誰のことも待っちゃくれない 俺のことも待ってくれないだろう

待っちゃくれない、待っちゃくれない、待っちゃくれない、俺のことも…


‪The Rolling Stones - Time Waits For No One‬‏ - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=7tkP-33KalM

内田樹氏「ネット上の発言の劣化について」を読んで

2011-08-02 07:56:00 | メモ
はてなブックマークを見ていたところ、内田樹氏のブログの「ネット上の発言の劣化について」というエントリーに多数のブックマークがついていた。

ネット上の発言の劣化について (内田樹の研究室)

そして、そこについていたブックマークを見ると、予想通り「炎上」していた(ように僕には見えた)。

はてなブックマーク - ネット上の発言の劣化について (内田樹の研究室)

とりあえず、こういうエントリーを読んでおきながら、“ネットで嫌なことがあったんだろう”という「非論理的な推論」とか、“そもそも内田樹の言葉なんてオレは信用してないし”という「お前なんか、いてもいなくてもおんなじなんだよ」式の言葉を書いている人がいることが、発言の劣化という事態をそのまま表しているようで頭を抱えてしまう。

※※※

数日前から、朝日新聞の試し読みサービスを利用している。正直に言って、ネット上でよく批判されるように、内容はなんとも首をひねるものが多い。書かれている一つ一つの事実はとりあえず信用するにしても、それをまとめあげて提示される末尾の結論が「おい、どうしてそうなる」という感じだったりする。「ただ平和をむやみに願う呑気な知識人の読む新聞」という雰囲気は確かにある。

ただ、よくネット上で断定されるように「朝日新聞はいらない」「朝日新聞は読まない方がいい」かというとそうでもない。個人的には広告欄がとても面白かったのだ。いろんな面白そうな本の宣伝が出ていたし、「報道災害【原発編】事実を伝えないメディアの大罪」なんて本まで、ちゃっかり広告欄に載せていたりする(言い訳くさいやり方だけど)。

そういうのを見ながら、「ああ、朝日新聞というのはこうやって『都会に住む平和で呑気な文化人のための新聞』としてありつづけてきたのだな」ということがわかる。

※※※

「鵜呑み」にさえしなければ、「染められ」さえしなければ、別にどんな新聞や雑誌を読んだって、いい悪いってことはないのだ。「朝日新聞はいらない」「そもそも新聞はいらない」と言うのは自由だけど、そう言いがちなネット言論の多くが、ことに新聞批判やテレビ批判になると、あっけなく目の前の言葉を「鵜呑み」にしてしまう(僕にはそう見える)のは困り者だと思う。

ことに「もう新聞はいらないし有害だからネットだけを見る」という精鋭化した意見については、ちょっと待てよと思ってしまう。そんなことを言ったって、ネット上の言論の起点が、従来のマスコミ報道に「また馬鹿なこと言ってやがる」式のところから始まることが多い以上、マスコミからの情報がゼロならネット上の言論だって壊滅しかねない。

※※※

まったく話が変わるけれど、日本が第二次世界大戦に突入した理由は、当時、貧窮していた農村部の農民の怒りが軍と結びつき、政争だけを繰り返す中央政界をテロによって黙らせてしまったことが原因だといわれる。また、戦後はその反動もあり、戦争と軍国主義と戦前の権威とをごっちゃにして「昔のものはみな悪かった」「ともかく戦争だけはもうだめだ」という左翼風潮に日本が傾いた時期があったという(以上に書いたことは、新聞でもネットでもなく僕が本で読んだことである)。

そういう知識のもとに、僕はさっき朝日新聞を『都会に住む平和で呑気な文化人のための新聞』と書いた。そして偉そうに言うけど、これが内田樹氏のいう「マッピング」だと思う。

本当の意味で、「正しく」、かつバランスの取れた知識を得たかったら、やっぱりネット上の言説だけでは無理なのではないかな、と僕は思う。ネット上の言説はあまりにも既存メディアへの反発とストレス発散のための言葉に満ちている(これは僕の実感である。言うまでもなく主観である)。

「ネットがある今、新聞に染められていた時代にはないリテラシーを人は手に入れたんだ」なんて主張もあるけど、ならなおのこと(たまには)新聞を読もうよ、と僕は思う。「読み分ける」ことがリテラシーなのであって「読まない」「もういらない」はリテラシーではない。

※※※

最後に一つ。ブックマークコメントの中に「そもそも情報強者ははてブなんか見ない」というコメントがあって、その通り、と思いながら再び頭を抱えてしまった。僕が使っているのもはてなブックマークで、いろいろ使い勝手に問題を感じる所はあるのだけど、以前使っていたブックマークサービスが終了してしまったので、代用に使っていると言うのが正直なところ。何を読むか、どう読むかということの他に、「どんなサービスを使っているか」ということにもリテラシーは影響される、ということを書き添えておきます。

2011/7/29の外出時セットリスト

2011-07-31 00:28:24 | メモ
チャットモンチーのドラムの人が脱退表明したり、むやみと悲しい気持ちだったりしたので、追悼の気持ちで。何を追悼するのかわからんけど。

スネオヘアー/逆様ブリッジ
チャットモンチー/小さなキラキラ
フジファブリック/陽炎
advantage Lucy/地球
Berryz工房/君の友達
真心ブラザーズ/この愛は始まってもいない
松浦亜弥/待ち合わせ
The Smiths/Half A Person
Syrup16g/生活
Syrup16g/正常
Syrup16g/ニセモノ
Syrup16g/さくら
吉田拓郎/流星
真心ブラザーズ/明日はどっちだ! (Bonus Track)
空気公団/旅をしませんか
空気公団/例え
advantage Lucy/time after time
AKB48/涙のシーソーゲーム
ガーディアンズ4/PARTY TIME
Atoms For Peace/Love Will Tear Us Apart (Joy Division Cover)
aiko/アンドロメダ
ART-SCHOOL/FIONA APPLE GIRL
ART-SCHOOL/NEGATIVE
ART-SCHOOL/MARCHEN斜陽
andymori/FOLLOW ME
神聖かまってちゃん/ロックンロールは鳴り止まないっ
神聖かまってちゃん/ぺんてる

2011/7/25の日記

2011-07-26 01:13:00 | 日記
仕事は昼番。さしたることはなし。昨晩、調子に乗って飲み過ぎたジンジャーエールのハイボールの影響で昼過ぎまでだるかった。

帰宅後はツイッターでいろいろつぶやいたりTumblrやったり。思いもかけない人や、審美眼ある知人からリブログをされると嬉しい気持ちになる。

21時過ぎから23時過ぎまで仮眠。目覚め際に、「Tumblrのリブログには、賛成や共感だけでなく、反対やただの情報収集や、その他あらゆる意味が込められている」というようなメッセージを夢に見る。なんでそんな夢を見たのかはわからない。ここ2~3日、梅原猛氏の「地獄の思想」という、たいへん知的刺激を受ける本を読んでいるので、もしかその影響かもしれない。

起きてから、ほぼ丸1日遅れの日刊スポーツと毎日新聞を読む。毎日は先週の金曜日から試読しているのだが、中国の鉄道事故が起こったその時に、その方面に詳しい(というイメージが何となくある)毎日を読んでいたことは幸運かもしれない、と思う。

23時50分からTBSの音楽番組に真野ちゃんが出演。「My Days For You」を歌う。実は歌番組で真野ちゃんを見るのはこれが初めてだった。カメラへの目線等も含め、真野ちゃんのしっかりした自分見せの技術に感心する。

あえて苦言するなら、歌詞にひねった一節でもあったなら、他に出演していた歌手連中の無内容ポジティブソングから一線を画したアピールができたかもしれない、などと思う。これは真野ちゃんにというより曲への苦言だが。

あと共演していたJUJUから、「泣きそうな顔で『心を込めて』歌うことは決して美しくない」ということを知る。いつか僕が歌う時には教訓としよう。

また、同じく共演していたSKE48を見ながら、「かわいい女の子が歌い踊っている」だけでは殆ど心が反応しなくなっている自分をぼんやりと悟る。先日の考察で若干触れたことでもあるが、やはりこれから、僕とハロプロとの距離や付き合い方について見直す時期に入っている。

すでに階下のコンビニが閉まっているので、適当に余り物のつまみで余り物の酒を飲む。

※※※

一日に少しずつでも狂った行為を積み重ねる以外に、真に狂った人間になるための方法はない。

The Beatles - Don't Let Me Down 訳詞

2011-07-24 01:49:43 | 訳詞
がっかりさせるなよ がっかりさせないでくれよ
がっかりさせるなよ がっかりさせないでくれよ

あの子みたいに僕を愛してくれた子は、一人もいなかった
あの子は僕を愛してくれた、本当に愛してくれたんだ
そして、もしも以前に僕を愛してくれた子がいたのなら
その子は本当に僕を愛してくれたんだ、本当にそうなんだ

がっかりさせるなよ がっかりさせないでくれよ
がっかりさせるなよ がっかりさせないでくれよ

愛に包まれたことなんて初めてだったんだ
それが最後になるなんて、どうしてわかるっていうんだ?
ずっと続く愛だと思っていたのに
愛に過去なんてないと思っていたのに

がっかりさせるなよ がっかりさせないでくれよ
がっかりさせるなよ がっかりさせないでくれよ

あの子が僕を愛してくれた一番初めから
彼女は僕を愛してくれた、僕によくしてくれたんだ
あの子みたいに僕を愛してくれた子は誰もいないはずさ
あの子みたいに、あの子みたいに

がっかりさせるなよ がっかりさせないでくれよ
がっかりさせるなよ がっかりさせないでくれよ

THE BEATLES - DON'T LET ME DOWN LYRICS

ニート願望のある27歳が、世の中や金や仕事について考えてみた

2011-07-22 14:52:18 | メモ
 酒を飲んだ後、よく眠れず朝早くに起きてしまった。頭はぼーっとし何の感情もわかない。体はいささかふらつく。ただもう一回眠りたかったが、そんな時に限ってよく眠れないことはわかっていた。

 僕は自分の現状を考えた。多くの妄想に近い望みを抱きながら、それに近づくための努力に何一つ踏み出せず、ただ日々の仕事と金とその浪費とに流され続けていく毎日について考えた。

 自分はアイドルが好きだ。でもこの頃、以前と同じように楽しめなくなってきた。楽しみを共に語らう仲間たちの中で、僕は一人だ。語らいに耳を傾けるほど、誰も自分とは同じように感じていないこと、自分の思いを吐き出す隙間もないという思いにとらわれる。

 そしてそもそも、アイドルのことを考えながら、最初に考えたのがアイドル本人のことでなく仲間たちのことであるからには、僕は本当はアイドルを好きではないのかもしれない。ただ群れ集まって一緒に何かを語れる仲間が欲しいだけなのかもしれない。いや、きっとそうなのだ。

 客席に入り、壇上のアイドルを見るとき、そこに素敵な輝きを見た、それは嘘じゃなかった。でも、その輝きを見た喜びを誰にも語れないとしたら、自分の心の中にしまっておくしかないとしたら、それにどんな意味があるだろう。あるいは、それを自分の心の中にしまっておくだけで満足できるだけの「十分な自分」とやらを、僕は育てなければいけないのかもしれない。

 そして僕は自分の毎日を考えた。日々、働いて帰って、少し何かして(本や新聞・雑誌でも読むか、自慰でもするか、ネットを漁るか、そんなことだ)、そして決まって酒を飲んで寝る。酒を飲むのが自分の健康を害しているのはわかるのだが、やめられない。夜が不安なのだ。そして眠れないことが不安なのだ。

 仕事は好きとも嫌いとも言えない。向いている部分もあるし向いていない部分もある。できれば、もっと給料が欲しい。朝に、昼に、夜にと勤務時間が変わる勤務体系にもいい加減うんざりだ。いつも同じ時間に出て同じ時間に帰りたい。とはいえ、夜勤があるような人たちに比べれば文句を言える筋合いでもない。

 それより何より、自分がこの仕事を続けて、これ以上地位が上がったり、給料が上がったりする望みが薄いこと――そして何よりそれ以上に、自分がこの仕事を続けて地位や給料を上げるという望み自体が、はなはだ薄弱だった。

 僕は歌手になりたい。自分で曲を作り、詩を書き、歌を歌い、多くの人たちの前で喝采をあびたいのだ。楽器はギターがいい。ピアノやキーボードも好きだ。でも、僕はそれに繋がることを何もしていない。アコギが欲しかった。キーボードも欲しい。楽器なんてそう高いものじゃない。安ければ1万円のものだってある。そのお金さえ、使うのに躊躇したままなのが今の自分だった。

 そうして、日々の稼ぎの中で、貯金というものが貯まる余地はなかった。日々飯を食う。日々家賃を払う。日々酒を飲んでしまう。女の子のグラビアにつられては週刊誌を買う。アイドルのライブのチケットは安くない。数ヶ月に一度の税金なんて悪夢のような話だった。今年分の住民税の支払い書の封筒を、僕はまだ開けていない。怖いからだ。

 何もかもがどんづまっている気がしていた。金がないから楽器が買えないのだ。職場にあまりにも近い、この窮屈な家から引っ越せないのだ。ギターはあるけれど練習はしていない。気力がわからない。そしてそれを誰に言えばいいかもわからなかった。結局自分だけが抱えなければならないような思いだった。いや、他人に言う勇気がないだけかもしれなかった。

 なぜこんなに悩みや苛立ちを抱えたまま日々を流され続けなくてはいけないんだ?なぜ、安らかに、毎日食べて寝ているだけの生活が、どうして許されないんだ。「居候」という言葉が頭に浮かんだ。「ニート」というのかもしれないが、それならそれでよかった。ニートは最高じゃないかと思った。自分が求める最低限の生活を考えてみた。

 アイドルのライブや写真集やなんかが、真に自分に欠かせない生活の一部だとは僕は思えなくなっていた。毎日寝ていられれば良かった。仕事になんか行きたくない。食事は必要だ。コンビニの食事ばかり買って食べるのはもううんざりだった。もう1年以上もそんな食生活をしている。コンビニに行くたびに、耳に押し込まれる軽佻浮薄な流行歌にも吐き気がした。

 三度三度、自分を食事に呼んでくれる誰かが、お隣さんにいてくれればいいと思った。そして、このお魚はどこでとれただの、天気だの、そんな害のない話だけをするのだ。そうすると、親元でニートになるわけにはいかなかった。親は食事を作ってくれるかもしれないが、必ず害のある話をするに決まっていた。仕事はしないのか、とか。

 食事は必要だ。僕はそのことを確認した。そして、できれば害のない話を一緒に出来るような人がいれば言うことはなかった。しかし、それは得難いものだ。交友関係を広めることが苦手な自分には難儀なことだった。

 自分はベッドに寝ていた。ベッドは安楽だった。そこに寝て目を閉じている限り、どんな厄介ごとも煩雑も細々たる悩みの数々も、自分の中に入ってはこなかった。ベッドは安楽だった。これは必需品だった。僕は確認した。寝る場所というのはなくてはならないのだ。

 続けて僕は、自分の住む部屋のことを考えてみた。線路に近いこの部屋は、窓を開けていると静かな時間というものはなかった。とはいえ、窓を閉めている限りには静かだった。そして、隣室の人の物音に、幸い僕は悩まされたことがなかった。そして、部屋にいる限り、僕はそこで何をしようと、他の人には見えないし、何も関係ないことだった。音楽を聞いていていようと、本や新聞を読んでいようと、酒を飲んでいようと、寝ていようと、自慰にふけっていようといいのだった。僕は確認した。すむ場所というのはなければならないのだ。それに食事が必要である以上、排泄する場所、つまりトイレもなくてはならないわけだった。

 つづいて僕は、税金について考えてみた。ああ、税金。僕の最も嫌いな出費だった。たかだか2ヵ月か3ヵ月で4万円強もの金を払わなければいけないというのは悪夢だった。それがなければもっと他に買えたものもあるはずだった。

 なぜ税金を払わなければいけないのだろうか。僕は家の近くにある警察署を思い浮かべた。たとえば、僕が道を歩いていて、だれかに何か鋭いもので刺されたとする。もしそれが、特に制限されていない、普通の許される行為なのだとしたら、僕にとって困ったことになってしまう。いや困るというレベルではない。僕はいつ誰から襲われて痛苦に身をよじらせるか、命を奪われるかしてもおかしくない。

 とすると、「人を傷つけてはいけない」という決まりが必要になるわけだった。そしてその決まりは、誰が決めるのか。僕は高校で習ったことを思い返した。国が決めるのだ。人という人全員が一つところに集まって、統一した「決まり」を決めようとする場面を僕は想像した。どだい無理なことだ。人と人とのあいだの決まりは、国というものが「法律」として決めるのだ。詳しいことは分からないが、それを決めるのは「国」がいちばんふさわしい、というのが、これまでの歴史の中で出た一応の結論のはずなのだ。

 人と人とのあいだの決まり、つまり「法律」というものは必要なのだった。そして法律が必要なら国も必要なのだった。僕の命を守るために、そして他の人たちの命も同じように守られるために、法律が、そして国が必要なのだった。僕はそのことを確認した。

 そして、その「法律」に反して、例えば僕を傷つける人がいたなら、その人はただちに隔離して、どこか特別なところに入れることも、決まりとして必要なわけだった。そして、そのための施設と人手が必要なことは、容易に想像できた。そして、そういう人のために、あるいは街を見て、そういう「法律」に反した行為を見たとき、すぐに取り押さえる人も必要だ。

 とすると、そういう人たちの行為に報いることは必要だった。何かの目的のために頑張っている人がいるのに、自分はそれを見て知らんぷりというわけにもいかなかった。というよりも、知らんぷりしていれば、そういう人たちから非難され、そういう人たちから守ってもらえなくなるかもしれないのだった。そういう人たちを報いるために、たぶん、税金というものを僕は払うのだろう。そう僕は理解した。

 税金を払うことは必要なのだ。僕はそのことを確認した。税金というのは、僕や、僕以外の人たちを守るために「国」をつくり、「国」の決まりを守らせるよう働く人たちに報いるために必要なのだ。そのことも僕は確認した。

  そして僕は、同時に、お医者さんのことを考えた。もし僕が道端で、決まりを守らない誰かに傷つけられたとき、すぐにお医者さんにかかって、自分の傷を直してもらうよう処置してもらわないと、僕は死んでしまう。僕は自分で自分の体の傷を直すことができないのだ。人間の体はとても複雑だから、それについてよく知っている人がいないと、人間の体は直せない。だからお医者さんがいる。僕は確認した。なるほど、医者というものは、医療と言うものは必要なのだ。

 でも、それは国や、法律よりは後の話なのだ。人が傷つけられたらどうするかを考えるよりは、人を傷つけない決まりを作る方が先だ。それはさっきの、食事と排泄の話に似ていた。トイレは確かに必要だが、食事よりも大切というものではない。複数の人たちとの共用でもいいし、恥ずかしいという観念がなければ、屋外のどこかを排泄の場所に決めて、みんなそこに用足しするよう決まりをつくるだけでもいいのだ。排泄は大切なことだが、食事の方が順番としては先だし、重要なのだ。

 そして僕は、お金のことを考えた。お金を稼ぐために働く、という。でも僕は、「お金」ということを軸に考えると、わかりづらくなる気がした。お金とは何なのか。考えてみると、それはわけのわからないものだった。わけがわからないから、考えないことにした。まず、いちばん簡単な、「ご飯を食べるために働く」ことを考えてみた。

 「ご飯を食べるために働く」人たちの筆頭は、漁師や農家の人たちだった。漁師は、いっけん何も見えない海の中に網を入れ、あるいは釣り針をたらし、そうしてそこから魚や貝や、そんなものを取り出してくる。そしてそれを食べて自分のエネルギーにして、今日も生きる、明日も生きる。とてもわかりやすかった。

 農家の人たちのことを考えてみた。農家の人たちは、そのままなら枯れるかもしれない植物に水をやる。肥料をやる。虫がついたら取る。そうして、枯れずに育った植物から食べられる物を取り出して、それを食べる。食べてエネルギーにして、今日も明日も生きる。とてもわかりやすかった。

 それに比べると、僕の仕事はとてもわかりにくかった。日々大量に入ってくる「ニュース」というものの中から、重要なものを取り出し、多くの人に見せる。それが僕の仕事だった。いったい、漁師の人や、農家の人と、どう関係があるのだろう?

 しかし、そう悩まずに答えがわかったような気がした。漁師は、いっけん何も見えない海の中に網を入れ、魚を捕る。何もないようなところから、何かを取り出してみせる。これはきっと「いいこと」なのだ。難しい言葉でいうと「価値」というのかもしれない。何もないように見える所から何かを取り出す、それはきっと、仕事として認められることなのだろう。

 農家の人のことを考えてみた。農家の人たちは、そのままなら枯れるかもしれない植物に水や肥料をやる。そうして枯らせず、できるだけ立派な実をつけさせ、それを食べる。そのままなら滅んだかもしれないものを「育て」、最後にその恩恵を受ける。これもきっと、仕事として認められることなのだろう。

 そして、その仕事の対価として、直接の食べ物の代わりに、僕は「お金」というものをもらう。さっきも言ったように、お金という物は僕にとって全くよくわからない代物だった。だけど、お金で食べ物・飲み物が手に入れられることや、お金をはらわないと「住む」ことが出来ないことは知っている。働くことと、「お金」というものは必要なのだ。僕はそのことを理解した。

 だいたい僕の考えることはそこで終わりだったが、まだ一つ余りがあった。「楽しみ」とは何だろう。先に書いたように、今の僕にとって、素敵なアイドルを見たり、素敵な本を読んだり音楽を聞いたりすることは第一のものではなかった。とはいえ、それは全く不要なものでもなかった。時にはすごく大事なことだった。「楽しみ」とは一体なんだろう?

 さきほどの、僕が望む最小限の生活を想像してみた。僕は寝ているだろう。そしてご飯に呼ばれ、ご飯を食べるだろう。ずっと寝続けているのにも飽きるから、僕は散歩にでも出るだろう。でもいつも同じ道しかない。いつか飽きて嫌になる。

 そんな時、たとえば本がある。本を読んでみる。そこには自分の知らない何かが書いてある。面白い。それだけでも十分だ。または、その本には、自分のしらない散歩の道が書いてあるかもしれない。僕は新しい散歩の道を歩き、新たな楽しさを発見する。嬉しいことだ。または、本にはいろんな花や鳥や動物の名前が書いてあるかもしれない。あるいは美しさについて書いてあるかもしれない。僕は散歩をしながら、これまで名を見過ごしてきた花に気付き、そのきれいさを見つけるかもしれない。嬉しいことだ。あるいは美しさの見方を知ることによって、いままでぼーっとしか見られなかった風景の美しさを知るかもしれない。嬉しいことだ。

 なるほど、楽しみとはそういうことなのか、と僕は思った。これは、この先がとても長くなりそうなので、僕はここで考えることをやめた。

※※※

 ここまで考えて、結局僕は、当然のようなことしか思い浮かばなかった。寝る場所は必要だ。住む場所は必要だ。あたたかい人間関係があるに越したことはない。国というものは必要だ。法律というものは必要だ。税金は払わないといけない。働かないといけない。何か新しいものや価値あるものを見つけたり作ったり、あるいは育てたりしないといけない。楽しみというものはあったほうがいい。それがあると生きることがより楽しくなる。

 ただ、それを何かの本の写しでなく、誰かの言葉のおうむ返しでもなく、いちおう自分が考えた結果として出せたことだけは、少しは成果かなと思っている。

 考えた末に思ったのは、自分はなんて知らないことが多いんだろうということ。まず自分の生活の根幹になっているお金のことを、自分はまるでわかっていない。知らなければならない、と思った。

 漁師や農家以外にも、職業はこの世界に何万とある。そういう人たちは、いったい何を作り、何を生み出し、何を価値として生きているのだろうか?

 また、それらの人が生み出したものが、今の自分の生活にどれだけの影響を与えているのだろうか?自分はベッドと部屋のことしか考えなかった。でも部屋を見渡せば、電気があり、パソコンがあり、テレビがあり、その他無数のものがあるのだった。電気ってなんだ。どうしてスイッチをつけると光が出るんだ?パソコンってどうやって動いているんだ?テレビは?

 自分は歴史についてほんの少しだけ考えた。歴史的に、国という物が法律を作ったのだと教えられたことを思い出した。でも、僕は国や法律というもののその他の意味を全く知らない。いったい「国」ってなんだ?法律とは?それらを生み出すまでの「歴史」って?

 知りたいこと、知らなければいけないことが沢山あるような気がした。流されるだけの日常は少しも変わらないことは知っていたけれど、それでも。

 ただ、結局眠れずに、起き出して電気をつけたとき、電気がつく、すごい! インスタントのラーメンを鍋に入れながら、こんなものをお湯で似たら食べ物に変わる、すごい!という新鮮な驚きを感じたことを付記しておく。

※※※

 いちおう、自分で考えた成果だとは思うから書いておくけど、内容は高校生でも書けそうなことだなー。これを書いた俺は27歳ですよ。年齢マイナス10歳かって話ですよ。今の若者はこのくらい無知で阿呆だという参考にでもなれば幸いです。