ラムの大通り

愛猫フォーンを相手に映画のお話。
主に劇場公開前の新作映画についておしゃべりしています。

『メリー・ポピンズ リターンズ』

2019-02-04 20:49:29 | 新作映画
※注:今回は原作ファンとしての感想。
この映画が大好きな方はスルーされた方がいいかも。



あれはたしか小学5年の頃。
ちょっとミステリアスな転校生が
ぼくらのクラスにやってきた。
友だちと遊びに行ったその子の家の応接間で
彼女が見せてくれたのは
緑色のりんごが描かれたビートルズのドーナツ盤、
そしてP.L.トラヴァースの「とびらをあけるメアリー・ポピンズ」だった。



そのカヴァーの絵は、
それまでにぼくが読んできた童話のそれとはまったく異なっていた。
いや、絵だけではない。
その中身もほかのメルヘン、ファンタジーとは似ても似つかぬものだった。
主人公のポピンズはしつけに厳しい家庭教師。
そんな彼女が魔法の世界に子どもたちをいざなう。
と、ここまでだったら、それまでにもよくあったであろう話。
ところが、このポピンズ、現実の世界に戻ってきたら全てはなかったかのように、
冒険の興奮の余韻に浸る子どもたちに、
「なにバカなこと言ってるの?」という突き放した態度を取るのだ。
このキャラ設定の妙こそが
原作「メアリー・ポピンズ」の最大の魅力。

さて、ここからがようやく映画の話。
ジュリー・アンドリュース主演の『メリー・ポピンズ』を観たのは、それから約10年後。
渋谷の東急名画座だった。

うーむ。これは…。
鳥やペンギンなどのアニメと実写の合成はたしかに楽しいし、
「チム・チム・チェリー」を始め、
その頃にはすでにスタンダードとなっていた音楽も気分を浮き浮きとさせてくれる。
映画として見る分には決して悪くはない。
でも、どこか違う。
そう、彼女はその笑顔も含めて優しすぎるのだ。
映画もエンタメの宿命とはいえ、
魔法に重きを置き、
子どもたちの心が置き去りになっている。

これについてトラヴァースはどう思っているのだろう。
ここに興味深い一本の映画がある。
『ウォルト・ディズニーの約束』
その中では『メリー・ポピンズ』の映画化に
なかなか首を縦に振らないP.L.トラヴァースの姿が描かれる。
彼女を迎えるにあたってのディズニーの
「戦略」の失敗も手伝って交渉は難航。
部屋に置いてあった「くまのプーさん」のぬいぐるみに、
「かわいそうなA.A.ミルン」と呟くところに
トラヴァースの気持ちは象徴されている。
音楽を聴かせてもダメ、アニメと実写の合成などとんでもない話。
もちろん歴史が証明するように、最終的にはトラヴァースは映画化を承諾するのだが、
これを観て、なぜ「メリー・ポピンズ」にだけディズニー・グッズがないかは分かった気がした。
「白雪姫」「ピーターパン」「ピノキオ」のように、
ディズニーの作り出したキャラクター・イメージで自分の物語が語り継がれるのだけは避けようとしたのだろう。

さて、そんな中、半世紀ぶりに「メリー・ポピンズ」の新作『メリー・ポピンズ リターンズ』が登場。
前作を踏襲して、楽しいミュージカル仕立て。
ところが個人的にはこれがダメ。
霧のロンドンの情景も数多く取り入れられ、
世界観が一歩原作に近づいたかなと思ったら、
50年代ハリウッド黄金期を彷彿とさせる歌と振り付けがそれを遮断してしまう。
前作より、さらに現実パートは少なく、
ふしぎな世界のオンパレード。
エミリー・ブラントも美しすぎてポピンズ臭が薄い。
また、劇中、なんども「とびらをあける」に言及しながら、
ラスト、あっさりと去っていき、子どもたちもそのことに興味なしというのは…。
久しぶりに「とびらをあけるメアリー・ポピンズ」を開きたくなった。

2019年、外国映画、3本plus7本

2018-12-31 20:46:05 | 新作映画


2018年、「ラムの大通り」が選んだ3本の外国映画。

●スリー・ビルボード

●バトル・オブ・ザ・セクシーズ

●タクシー運転手 約束は海を越えて



さらに…
●アイ,トーニャ
●正しい日|間違えた日
● バッド・ジーニアス 危険な天才たち
●イコライザー2
●マチルド、翼を広げ
●リメンバー・ミー
●ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生


『スリー・ビルボード』の長回し手持ちワンカット撮影には息を飲んだ。
周りからどう見られようとも自分の意思を貫き通すヒロインを始め、
登場人物それぞれのキャラ設定もこれまでのハリウッド映画にはあまり見られないもの。
毒というよりも、これまで観たことがない映画を観ることの喜び。その意味ではこの映画が圧倒的にベストだ。
『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』『アイ,トーニャ』も、いわゆるヒューマンドラマの枠を超えたモンスターがドラマを牽引していく。
『ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男』もその路線だが、
これは実在のふたりの現役時代を知っているだけに物足りなさが残った。
『タクシー運転手 海を越えて』は、実話とは思えないほど映画的素材。
名もない個人がジャーナリストを客として乗せたことで、それまで知らなかった政治の闇を覗き見ることとなる。
少し『キリング・フィールド』が頭をかすめた。
『1987、ある闘いの真実』も同じく韓国政治の裏面史。
なぜか日本ではこういう歴史に切り込んだ作品が見られない。
何本もまとめて日本公開されたホン・サンス作品からは『正しい日|間違えた日』
「もし、あのときこうしていたら」タイプの映画はたまにハリウッドや香港からも現れるが、
それらは「右のドアか?左のドアか?」、いわゆるシンプルな二者択一行動ものが多い。
この映画は主人公単独の行動ではなく、
それによって変わってしまうふたりの関係を相手の人間性も加味して描いていたところが目新しかった。
『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』。カンニングをここまでサスペンスに仕上げられるとは⁉︎
タイという、映画ではあまりなじみのない国であることも驚きをいや増した。
『イコライザー2』はクライマックスの嵐の中の死闘。
SFやファンタジーではなく、こういう仕事にこそアカデミー特殊視覚効果賞を授与してほしい。
アニメでは『リメンバー・ミー』
実は『犬ヶ島』も日本の60年代アンダーグラウンド・シーンを思い起こさせてくれ、かなり好きなのだが、
「観る前の期待値を超える」感動という点でこちらを選んだ。しかし憎いストーリーだ。
『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』
いわゆるハリウッド超大作は『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』『ジュラシック・ワールド/炎の王国』も、もちろん『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』もみんな好きなのだが、それらを並べてもあまり意味がない気が…。
そこで前作から一転、いきなりダークファンタジーへと舵を切ったこの作品に。これなら「ハリポタ」ファンでも大丈夫。
最後に『マチルド、翼を広げ』
実はこれは来年早々に公開の映画。
本来ならばこの年間振り返りには入らない作品だが、ヒットを祈願。
応援の意味も兼ねて入れ替えないままここに。


1年の映画を振り返ったのは、ほんと久しぶり。
フォーンが旅立って5年。
どうにかひとりでも映画を語れる気が…。
というわけで来年は本格的にブログ復帰予定。
そうそう、FILMAGAにも不定期に深掘り記事を連載。こちらもよろしく。

来年はいい年でありますように。

2018年、日本映画。3本plus7本。

2018-12-29 22:06:37 | 新作映画


2018年、「ラムの大通り」が選んだ3本の日本映画。

●寝ても覚めても

●生きてるだけで、愛。

●母さんがどんなに僕を嫌いでも


さらに…。
●孤狼の血
●羊の木
●愛しきアイリーン
●友罪
●太陽の塔
●空飛ぶタイヤ
●止められるか、俺たちを


🔳2018年、日本映画を振り返って…。
日本映画はなぜか「ひとつの恋が結ばれるまで」を描き、その後について語ることは滅多にない。
日本映画の特徴の一つでもある「(少女)コミックスの映画化」では特にそう。
そんな中、『寝ても覚めても』『生きてるだけで、愛。』は「出会いの後」を描く
『寝ても覚めても』東出昌大が一人二役。
顔は同じだが中身はまったく違う。彼のファンは、もし自分の前に二人の東出昌大が現れたらどうするのだろう?
ヒロインと同じような葛藤にとらわれるのではないか?
そう、この映画は「スクリーンのこちらと向こう側」を繋ぐ。
『生きてるだけで、愛。』は趣里に尽きる。
彼女がクライマックスで菅田将暉に言う「いいなあ。私と別れられて」には戦慄が走った。
あのウイリアム・フリードキン監督『真夜中のパーティ』の「これ以上、自分を嫌いたくない」に並ぶ、絶望的な自己否定の言葉だ。
監督は関根光才。それまで意識したことがないと、思っていたのだが、なんとドキュメンタリー『太陽の塔』の監督だった。
この映画は、天才アーティスト岡本太郎にさまざまな角度からスポットを当てながら、
いまの時代の闇に切り込むという個人的に大収穫の作品。
日本映画から本格社会派作品が消えて久しい中、なるほど映画ではこういうこともできるのかと感心させられた。
社会派といえば『空飛ぶタイヤ』がリコール隠しに走る大企業に立ち向かう個人の闘いを描き、
政界の改竄、隠蔽が相次いだ2018年に映画で一矢報いた感があった。
『孤狼の血』も一種の社会派バイオレンス。
『仁義なき戦い』を現代に蘇らせたような猥雑さがスクリーンから熱として迸っていた。
猥雑と言えば『愛しきアイリーン』
四文字言葉の連発は原作で知っていたとは言え、やはり暴力的に凄まじかった。
『娼男』もロマンポルノ時代の監督たちが羨むような直接的性描写が話題となったが、
いかんせん、きれいに収まりすぎていた。
60〜70年代を描いた作品が多かったのも嬉しかった。
『止められるか、俺たちを』『素敵なダイナマイトスキャンダル』は、それぞれ時代の空気感をよく出していた。
『母さんがどんなに僕を嫌いでも』は太賀に尽きる。彼はまさに役を生きていた。『友罪』の瑛太と並び、長く記憶に残る演技だ。
『羊の木』はその歪な世界に魅せられた。
『シャルロット すさび』も60年代の初期ATGや金井勝『無人列島』を懐かしく思い起こさせてくれたが、
こちらが歳をとったからか、それとも時代のせいか少しキツい。
歪路線ではほかに『ニワトリ★スター』『君が君で君だ』などもあったが、化けに化けた『カメラを止めるな!』にすべて持っていかれた感があった。
コメディではニッチェの江上敬子にやられた『犬猿』。これは未見の人は観て損はないと思う。
『パンとバスと2度目のハツコイ』『モリのいる場所』もそれぞれの語り口が楽しかった。
青春映画では東京近郊の高校生にスポットを当てた『青の帰り道』『高崎グラフィティ』
時代を超えた普遍の青春の悩みを描き、嬉し恥ずかし。
あの頃の自分を重ねてしまった。
アニメはやはり『若おかみは小学生』

なんて、振り返り始めると止まらなくなるので、このあたりで。



『デイアンドナイト』

2018-12-23 10:10:09 | 新作映画
山田孝之が製作、共同脚本を担当した『デイアンドナイト』が見応えがあった。

●脚本完成に至るまでの新たな試み。
脚本を作り上げるにあたって、
山田孝之は主演の阿部進之介以外のすべてのセリフの読み合わせをして、
息継ぎしにくいところなど細かく修正していったという。

●タイトルの意味と内包するテーマ。
『デイアンドナイト』、昼と夜。
これは善と悪のメタファ以前に、裏での違法行為が表の善行を営むために意味を持つという、実に興味深い設定。
一方でこの映画は、正義の行為が他方では人の人生を壊すという、皮肉な捩れもあぶり出す。
さらには家族を殺された者の復讐の是非など、テーマは多岐にわたる。

●『七つの会議』と通底。
『デイアンドナイト』。
話の発端は車の部品の欠陥告発。
リコール隠しを描いた『七つの会議』のような派手なエンタメ性はないものの、あわせて観ると、より心に響くものが…。

●地域開発映画プロジェクト。
『デイアンドナイト』。
映画製作上、もう一つなるほどと思ったことがある。
それは「地域開発映画プロジェクト」。
これは例えば、少子化に悩む小学校の統合、伝統工芸の後継者不足、名産品が売れないなど、
悩める地方都市の宣伝を映画が担うというもの。本作のロケ地、秋田県鹿角市もその流れ。
ふと思った。
もしこれが東京国際映画祭のコンペに出ていたら…と。
この映画は、描きたいものが明確。
しかもオリジナリティもある。
アートかどうかは人によって受け止め方が違う誰うけど、
商業性は結果としてのご褒美という、
審査委員長ブリランテ・メンドーサ監督の考えに近いと思う。




パンセとカノン。昼は…。言うまでもないか。^^;

『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』

2018-11-15 22:55:51 | 新作映画
『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』



(ネタバレなし)
ある意味、今年最大の嬉しい誤算であった。
『ハリポタ』は第1作からすべて初版で揃えたほどハマってしまった自分だが、
それだけにすべてが終わった後の虚脱感は大きく、『ファンタビ』に対しては、なぜ番外編を作るのか? と、正直怪訝な気持ちでいたのだ。
あにはからんや、第1作『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』にはまったくノレず。
物語より前に、主人公に扮するエディ・レッドメインに華がない。
しかも彼が活躍(?)する舞台が「新世界」アメリカ。これほどファンタジーに似つかわしくない場所はない。
後で生まれた作品ではあるが、新版『ゴーストバスターズ』などと同じ、クライマックスの持っていき方はどれも似たり寄ったりとなってしまう。
『ハリポタ』は主たる舞台がもう一つのロンドン。イギリスの児童文学、その代表作「メアリー・ポピンズ」にもあるように、
公園の石畳に描かれた絵から、あちらの世界へと行ける、それが子供の夢を掻き立てるのだ。

さて前置きが長くなったが、この第2作は物語の舞台を欧州に戻したことで、窮屈感がまったくなくなった。
なにせ、ダンブルドア(ジュード・ロウ)は出てくるわ、ホグワーツは出てくるわで、
「ハリポタ」ファンはもうそれだけでクラクラ。
いや、なにも黒い魔法使いグリンデルバルド(ジョニー・デップ)のかけた目くらましの術にかかったわけではない。映画はあきらかに軌道修正(?)が行われている。
前作では、顔見せという印象しかなかった「魔法動物」が今回は物語と有機的に絡んでいき、それぞれのキャラクターにたっぷりと感情移入ができる。
監督はデイビッド・イェーツ。彼は「ハリポタ」がダークになっていく『不死鳥の騎士団』以降の章をまとめあげた人。
『魔法使いの旅』とこの『黒い魔法使いの誕生」はある意味、『賢者の石」から『死の秘宝』に一気に飛んだ、
それくらいの奥行き、そして迫力がある。

さて、その奥行きとは? それを明かすのは公開前のこの時期、さすがに控えたい。
しかし、これだけは言ってもいいだろう。いま世界にはびこる民族、そして「我が国ファースト」。そこから派生する排他性、不寛容、そして分断。
純血にこだわることはなんて愚かで、そして恐ろしいことか。この映画はいまの時代の空気、風潮に敢然と立ち向かう意欲作。一年の締めくくりにふさわしい。


(byえい)

※日本人にとっては、それぞれ違う意味でドキッとするシーンが二ヶ所。いやあ、よくやったな。
※いま振り返ってみると、ヴォルデモートはその絶対的な力で相手に死の恐怖を与え、悪に君臨するダース・ベイダー型。それに対してグリンデルバルドは相手の心理を巧みに操る。政治家タイプかな。

マタゴスという黒猫そっくりの魔法動物が出てくるのニャ。ということで今回はカノンも。
まあ、映画もある意味、バディムービーの要素もあるし…(byパンセ)

やはり悪役らしいのニャ(byカノン)


『ジョニー・イングリッシュ アナログの復讐』

2018-11-13 17:32:56 | 新作映画
『ジョニー・イングリッシュ アナログの復讐』

ローワン・アトキンソンによる007パロディ第3弾
なんとものどか。
60年代スパイ映画のガジェットを用い、
アトキンソンが敵地侵入するだけで笑いがこみ上げてくる。
『Mr.ビーン』の笑いには馴染めなかったが、
007のパロディとしては『オースティン・パワーズ』よりも
オマージュが感じられて好感が持てる。
しかし、そこで少しだけ不安が…。
もしや、いまの若い映画ファンが
初期コネリーのボンドを観たらこんな感じ?
ケタケタとまではいかなくとも
「なに、このユルさは…」とニヤニヤされたりなんか…。
そう考えると少し怖い。
でも、まあベスト10には入ってるみたい。
あっ、日本での第一週目の興収ね。

(byえい)

『オースティン・パワーズ』。
みんな大好き『ボヘミアン・ラプソディ』にもピンク・フロイド「狂気」を手がけたレイ・フォスター役で出演しているマイクマイヤーズがプロデュース、脚本も兼ねて主演した007パロディ映画。第3作まで作られた。

おっ、2日続いたニャ。(byパンセ)

『メアリーの総て』

2018-11-12 11:58:53 | 新作映画


Twitterが息苦しくなって
懐かしのブログに。
でもフォーンとの会話はできないし、
かと言ってパンセにお相手は厳しい。
しばらくは画像のみ。

さて、なにから始めるか。
最近観た中からまずはこれ。
と言ってもTwitterのコピペ。

メアリーの総て

「フランケンシュタイン」の作者メアリー・シェリーがこのSF的名著を生み出すまでがドラマチックに展開。
監督がサウジアラビア生まれの女性ということも手伝い、「自由恋愛」という男の都合のいい概念の前に苦悩し、自身の主義と葛藤するさまが、70年代後期の女性映画にも被った。

映画のクライマックスは「ディオダディ荘の怪奇談義」。
ケン・ラッセル監督『ゴシック』とはまた異なるアプローチに目を細めるのもまた一興。

※70年代女性映画
『ミスター・グッドバーを探して』『結婚しない女』『ジュリア』『愛と喝采の日々』『グッバイガール』など。


さて、実はこれ2度目のライティング。最初はPCの管理画面をiPhoneでやったところ、途中で消えてしまった。
仕方なく新たに投稿しようとしたらスマホ用管理画面が…。
そうそう、ブログは下書きが必要だった。
慣れるまで時間がかかりそうですが、よろしくお願いします。

(byえい)

「パンセがなぜここに?」
実は、えいが書いているあいだ、
ずっとお膝で寝てたから。
いや、話は聞いてたのたけど…。(byパンセ)

『聖の青春』

2016-11-24 22:08:19 | 新作映画
----えっ。ここにくるの久しぶりじゃん。
もう4か月。
これはさすがにやめたのかと…。
「うん。なんど、
もういいや…になったことか。
でもTwitterでもちょっと呟いたように、
この映画は久々に喋ってみたいなと…」

---そんなによかったの?
「いや。
今年の日本映画はほんとスゴくって…。
おそらくこの『聖の青春』はベストテンからは漏れると思うんだけど、
それでもここのベースにある“奇妙な味わい”だけは捨てがたいと…」

----“奇妙な味わい”?
それってTwitterで言っていたことかニャ。
「 『聖の青春』。これは力作だわ。
映画を支配する医者の母親への残酷な告知から夏の蝉の声まで。
久しぶりにブログを書きたくなった」

正直、ニャんのことかと?
「うん。
この映画、いわゆる“お涙ちょうだいもの”でもなければ
ハートフルなヒューマニズム映画でもない。
それを冒頭すぐに、観る者に感じさせてくれるのが
子供の頃、病気になった聖を初めて病院に連れてきた母親に
ドクターが投げかける言葉。
『なぜ、こうなるまで連れてこなかったんですか?
お子さんを大変な病気にしてしまいましたね。
一生、この病気と付き合っていかなくてはならない』。
ざっと、こういったような内容。
これって母親にとっては、罪の重荷を背負わされる言葉。
最近、 “毒親”というような言葉が巷ではやっているけど、
このドクターの言葉は
それこそ“母親失格”との烙印を押されたようなもの。
以後、映画は
彼に将棋のきっかけを与えたり、
終盤に出てくる“男同士の会話”などに表されるように、
父親へは、
寄り添うように好意的に描かれるのに対して、
母親には、感情的なセリフを用意するなど、
対照的な描き方を見せるんだ。
ぼくはこの時点で、これはかなり“歪な映画”だなと…」

----ニャるほどね。
映画をストーリーでは観ない「えい」らしいニャあ。
じゃあ、このTweetは?
「映画を脚色するというのはこういうことなんだろうな。
聖が羽生を前に食堂ではしゃぐ子供のような姿。対する羽生の言葉もいい。
「村山さんとだったら海の底を〜」。もう、これは恋だ。
聖の悪手に沈着冷静なはずの羽生の顔が歪む。
いずれもフィクションなのだろうけど、そこが好きだ」
って…。
「うん。
この映画は
主人公の村山聖をまるで人格破綻者のように描いている。
実力がないものに対しては
弟弟子・江川(染谷将太)はもちろんのこと、
師匠(リリー・フランキー)に対してもまったく遠慮がない。
傍若無人。
退会が決まった江川がどんなに落ち込んでいようと、
第二の人生を目指すと自分に諦め聞かせようと、
才能がない奴が何を言っているんだ…のようなといった接し方。
そんな彼が唯一認めているのが将棋七冠を達成した羽生名人(東出昌大)。
天才は天才のみを認めるということなのか…。
その羽生に勝ったある大会の後、
聖は彼を町の飲み屋に誘う。
そこで聖は、他では決して見せない無邪気な姿となり、
他の人から言われたら不機嫌にしかならない内容の話を、
自分からするわけだ。
このシーンはこの映画の白眉。
脚本の向井康介という人は
『マイ・バック・ページ』もそうだったけど、
“飲み屋”の描き方がうまいね」

----ふむふむ。
あと、
「『役になりきる』という言葉があるけど『聖の青春』はそうではない。
これは脚本に書かれた『役作り』をしているのだ。
体重増加の松山ケンイチは言わずもがなだが、羽生役の東出昌大が出色。
『デス・ノート』よりもこういう方が向いている。
筒井道隆もよかった。最後のナレーションまで気づかなかった」
というのもあったよね。
「うん。
役者が役を演じるということ、
それを楽しませてもらった気がする。

さっきのTweetともダブるけど、
最後に対極で、あと一手で聖の勝利が決まるというとき、
彼は大きなミスを犯してしまう。
それに気づいた時の羽生の表情、
いつもは見せない筋肉の動きが素晴らしい。
実際の対局はもっと淡々としていたらしいんだけど、
やはりここはこういう“誇張”が映画をオモシロくする
つまり、この映画は徹底して映画的表現にこだわるんだ。
羽生が亡くなった後、
彼のことを思い偲ぶ弟弟子・江川。
そこに浮かび上がる聖の面影に
蝉の声がかぶさる。
蝉が何を意味するか…。
フォーンだったら分かるよね」

----えっ? 蝉、蝉、蝉…
あっ、そうか。
蝉は7日しか地上では生きられない。
<短命>の象徴だ。


「なんでも食い入るように観たらしいのニャ」身を乗り出す

※映画は映画として描かれるからオモシロい度


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『オーバー・フェンス』

2016-08-22 12:36:09 | 新作映画
「鑑賞」というより「体験」の言葉が似合う。
この『オーバー・フェンス』はそういう映画だ。
なかでもオダギリジョーと蒼井優の喧嘩シーンは逃げ出したくなる息苦しさ。
主人公の白岩は職業訓練校生との設定だが、
この今の日本が『フルメタル・ジャケット』の海兵訓練所のように感じられてならなかった。
(8月19日Twitterより)


----いきなりキューブリックの戦争映画を引き合いに。
また、思い切ったことをツイートしたものだニャ。
「この映画、
その主要舞台の一つが職業訓練校。
そこの教師の
人を人と思わぬ態度に、
あの映画の海軍訓練所を重ね合わせてしまったんだね」

----ということは、
その中で精神を狂わせてゆく人とか、
事件が引き起こされたりとかもあるのかニャ。
「うん。
観ているうちに、
これはヤバいってことは分かる。
その役回りを演じるのは
周囲からつまはじきになっている森(満島真之介)。
こういう訓練校では、いろんな人がやってくる。
森は大学中退。
そしてその学歴がかえって周りからは疎まれるんだ。
他の連中は、
今の世の一般的な流れの中、
リストラやその他の理由で失職。
まあ、なかには還暦を過ぎてここに通う勝間田(鈴木常吉)なんてのもいる…」

----ニャるほど。
で、オダギリジョーだとか松田翔太ってのは、
そこに通う訓練生のひとりってわけ?
「そうだね。
オダギリジョー演じる白岩は東京で働いていたんだけど、
ある事情から会社を辞めて故郷のこの函館に戻ってきている。
一方の松田翔太演じる代島は元・営業という設定。
代島は実は飲食業を始めようとしている。
そのパートナーとして彼が目をつけたのが白岩。
彼は白岩を酒に誘い、
そこでこの話を持ち出し、新事業に誘う。
酒と言っても、居酒屋とかではなくキャバクラ。
つまりこれも代島なりの営業なわけだ」

----ふむ。
そこにいたのが蒼井優というわけだニャ。
「うん。
まあ、ここまでは出会いとしてよくある話だよね。
蒼井優演じる田村聡が白岩を積極的に誘うところも、
まあ、よくあるパターン。
しかし、なかなか白岩はそれに応じようとしない。
何か自分を抑えている風なのは
オダギリジョーの演技、
その醸し出す空気から伝わってくる。
さて、間をすっ飛ばしちゃうけど、
いくつかの出来事があった後、
ようやく二人は結ばれる。
ところがここで聡が思いもかけない態度に出る。
理不尽な怒りを白岩にぶつけ、
彼を罵倒し、責め立てるんだ。
それまであらゆることを笑顔で受け流すことで
日々の平安を保っていた白岩もついにキレてしまう。
実は最初にツーとで紹介したケンカというのはここなんだけどね。
その背景は明らかにはされないものの、
聡がかなり精神を病んでいることだけは分かる。
体をゴシゴシ拭き清め、薬を飲み、
そして何より意味不明の怒り。
で、ここに至ってぼくは思ったわけだ。
あ~、この映画は、
いまの日本を凝縮した世界を描いているんだなって。
フェンス、それは職業訓練校の中ではなく、
この日本社会そのものを指しているんだなってね

----へぇ~っ。
それは象徴的な作品だニャ。
監督はだれだっけ?
山下敦弘
この監督の観察眼はあいかわらずスゴイ。
ある意味、スリリング。
たとえば代島が聡を、誰とでもヤレル女だみたいなことを言っているときの
代島へのカメラの寄り方。
観ているこちらは、
いつ彼がキレやしないかとハラハラ。
というのも
合コンに誘われた代島が、
相手の女性たちの意味のない笑いに
いつまでもそうやってはいれないんだぞと説教。
その場の空気を壊してしまうシーンが
伏線として張られていたりもするからなんだけどね。
いま、ふと思ったんだけど、
こういう飲みの席で、人間の本性を映してしまうのはこの監督、
ほんとうまいね。
『苦役列車』 の森山未來の演技を思い出したよ。
話を基に戻そう。
映画というものがそうで、
だからこそ映画はオモシロいわけだけど、
世の中には、自分たちの想像もつかないいろんな人がいて、
それぞれの人生を生きている。
そして、誰もがひとりで生きていけず、
誰かとと関わるわけだけど、
その出逢い、また関わり方によって
そこには、自分が思ってもいなかった新たなドラマが生まれ、
それまでとは違う人生を歩み始める。
この映画の魅力はそこにつきる
結局、いつものように端折ってしまったけどね…」

----ということは、
その中のどの個性、
どの出逢いを描くかで映画は変わってくるということだニャ。
「うん。
そういう意味で、ぼくは今回、
蒼井優のあるコメントにとても共鳴したんだ。
プレスに書いてあったその言葉、
ツイートもしたこのコメントを紹介して
この映画の締めにしよう」


自分がどういうキャラクターを演じたか1%も分からず
「完成した作品を観るのがイヤだ」と言う蒼井優。
山下敦弘監督は言う。
「役者が(自分を)見たがらないものを撮りたいから、それでいいんだ」。
再び蒼井優。「ダメな人間を肯定できなければ映画じゃない」。
(『オーバー・フェンス』プレスより)


フォーンの一言「ところで予告編で蒼井優が踊っていた、あれは何なのニャ」身を乗り出す

※鳥の求愛の踊り。「今回はダンスを…」というプロデューサーの要望をうまく生かした脚本家・高田亮のアイデアだ度

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猫ニュー



『グッバイ、サマー』(ミシェル・ゴンドリー作品でブログ13年目突入!)

2016-07-25 20:55:05 | 新作映画

(原題:Microbe et Gasoli)



『グッバイ、サマー』
ミシェル・ゴンドリーは、その気取った構えが鼻につき、あまり好きになれなかった。
だがこの新作『グッバイ、サマー』にはやられた。
クラスの中で浮いている二人の少年が動くログハウスで旅に出る。
中学時代、今は亡き友と船室付きのボートを作り博多湾に出ようとしたことを思い出し、
胸がざわついた。(6月17日のTweetより)

----うわあ。ついに一か月もあいちゃったね。
12年前に始めて以来、ここまで長いお休みってのは初めて。
7月18日が、なんの日かも忘れてたでしょ。
「いやいや。
ちゃんと覚えているよ。
13年前にブログを始めた日。
そしてフォーンの命日。
気にはかけていたんだけどね」

---そうかな。その日、確か東京にいなかったような…。
まあ、仕方ニャいや。
ところで、ミシェル・ゴンドリーって、
もしかして苦手な方じゃなかった?
「そうなんだよね。
こういう『私は他の監督さんとはちょっと違います』というタイプの人はね…。
『エターナル・サンシャイン』の少し気をてらった物語構成、
これはまあ内容が内容だから分からない気もしなかったけど、
『僕のミライへの逆回転』にしても、
なんだか中途半端。突き抜けたところがない。
『ムード・インディゴ うたかたの日々』では、
おそらく興行側もそれを感じたんだろうね。
後半をカットしたショート・ヴァージョンを公開のベースに、
全長版はファン向けに夜の最終回のみの上映。
あの映画も映像的にはユニークなんだけど、
どこか自信なさげな感じで
開き直りが感じられなかったんだよね」

----はいはい。
そういう前置きが長い時は
「今回は違う」と、そう言いたいワケだよね。
「さすが長い付き合い。
よく分かっている。
この物語は“監督の自伝的要素”が数多く取り入れられている。
それもローティーンの頃の思い出。
あの頃って、自分が子供と大人の中間にて、
個人的な悩みを引きずりながら
でも確実に日々は過ぎていくわけで、
大人の世界に足を踏み入れていかざるをえない。
そこに異性への思いなども入ってくるから、
人の一生を描くうえで、もっとも感情豊かな表現ができるとき。
ぼくはそう思うんだね」

----それって最近の言葉で言う
“厨二病”では?
「あっ、
それはそうなのかもしれない。
まあ、でも周りが何を言おうと、
その時期の子どもは、
その世界の中で生きているわけ。
で、たとえば、体格がよかったり、成績が抜群に優れていたり。
さらにはそれで女の子にモテていたりという優等生には、
この映画はあまり関係ない。
ここにあるのは周囲とはどうしてもなじめない、
その違和感の中にある少年が、
自分とはもちろん全く同じではないけど、
やはり浮いている少年、
つまりは個性的な友と出会い、
彼らだけの世界を作り、
その時期を共に乗り切っていく

そういう世界なんだ」

----ふたりは、まったく同じってわけじゃニャいよね?
「もちろん。
それぞれ、自分が周りとは違うことを感じているから、
互いの疎外感、孤独感をも共有できる。
で、そんなふたりが完全に周囲とは切れる、
それが“旅”なんだ」

----そういえば、少年たちがひと夏の“旅”を通して成長するって
『スタンド・バイ・ミー』がそうじゃなかったっけ?
「うん。後でその映画も思い出したけど、
ぼくはどちらかというと
ブラッド・レンフロ主演の『マイ・フレンド・フォーエバー』を思いだしたね。
ふたりっきりというところで…。
ただ、この『グッバイ、サマー』
あの映画のように“病”と“死”が影を落としているわけじゃない。
その分、ウェットに傾きすぎることなく、
旅の途中の“逆さモヒカン”事件など、
ユーモアとちょっとしたエロス、
さらには“怪しい歯科医との遭遇”のような
一見、ホラーに転がるのかと匂わせるサスペンスもありで、
映画としての広がりを感じさせてくれる。
あと、この映画がユニークなのは、
その“旅”をするために
自分たちで自動車を作っちゃうこと。
しかもそれが“家”の形をとっているところにまた意味がある。
彼らにとっては、こここそがほんとうの“家庭”なんだ」

----ニャるほど。
で、思春期特有の女の子の話は?
「それは常にベースにある。
このラストに、それがまた生きてくる。
ここでそれは明かせないけど、
これまた記憶に残るセリフで締めくくられるよ」


「こういう、えいが喋りたくなる映画をもっと公開してほしいのニャ」身を乗り出す

※天国の友に捧げる映画。オドレイ・トトゥも出ている度
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