Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

国立西洋美術館:ゴヤ「戦争の惨禍」

2024年05月08日 | 美術
 国立西洋美術館でゴヤ(1746‐1828)の版画集「戦争の惨禍」が展示中だ(5月26日まで)。全82点。スペイン独立戦争(1808‐1814)の悲惨な状況と、(戦争には勝利したものの)戦後の反動政治による抑圧を、ゴヤの冷徹な目で描いたものだ。

 同美術館は「戦争の惨禍」の初版を所蔵する。これまでもその数点を展示することはあったが、全点の展示は初めてだ。初版はゴヤの死後35年もたった1863年に出た。そのときには80点にとどまった。残りの2点の原版が見つからなかったからだ。その後2点の原版が発見された。同美術館は2点の第2版を所蔵する。

 82点すべての画像は同美術館のHPで見ることができるが、実物のほうが、細かい描写や繊細なニュアンスがよくわかる。本展の解説によると、全体は三部に分けられる。第一部は戦争の現実を描く作品(2番~47番)。虐殺、婦女暴行、その他ありとあらゆる蛮行が描かれる。第二部は戦争中に起きた飢餓を描く作品(48番~64番)。多くの民衆が、戦争で死ぬのではなく、飢えで死ぬ。第三部は戦後の反動政治を描く作品(65番~80番)。戦争に勝ったと思ったら、今度は権力者たちが民衆を抑圧する。

 第一部の戦争のむごたらしさはいうまでもないが、第二部の飢餓も悲惨で(200年前のスペインの話だが)妙にリアルだ。いまの日本でも、やれ中国だ、やれ北朝鮮だと、権力者たちは勇ましいことをいうが、いざ戦争が起きたら、日本でも飢餓が起きることは間違いない。戦争で死に、また飢餓で死ぬのはわたしたちだ。権力者たちではない。

 個々の作品に触れると、本展のHP(↓)に掲載されている59番「茶碗一杯が何になろう?」は、修道女が餓死しそうな男にスープを飲ませようとする。だが題名は、男が間もなく死ぬことを示唆する。それに先立つ58番「大声を出してはならない」は、飢えた人々の間で茫然とたたずむ修道女を描く。その前の57番「健康な者と病める者」は、飢えた人々を救おうと努める修道女を描く。3点の修道女は同一人物だ。57番~59番には一連の物語がある。そのような作例は他にもある。2点一組の作例はかなり多い。2点の対比にゴヤの思考回路が窺える。

 ゴヤの生涯はモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトの生きた時代と重なる。モーツァルトは若くして亡くなったが、ベートーヴェンが経験したフランス革命とナポレオン戦争はゴヤにも深い影響を与えた(「戦争の惨禍」で描かれたスペイン独立戦争は、ナポレオンとの戦争だ)。ベートーヴェンやシューベルトが崇高な音楽を書いていた一方にはゴヤの描いた現実があった。
(2024.4.17.国立西洋美術館)

(※)本展のHP
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SOMPO美術館「北欧の神秘」展

2024年05月05日 | 美術
 SOMPO美術館で「北欧の神秘」展が開かれている(6月9日まで。その後、松本市、守山市、静岡市に巡回)。北欧絵画の展覧会は珍しいので、新鮮だ。手つかずの自然や素朴な人々を描いた作品が多い。

 北欧とはいっても、本展はノルウェー、スウェーデン、フィンランドの3か国の画家の作品で構成される。デンマークとアイスランドの画家は含まれない。実質的にはスカンジナビア半島の文化圏の展覧会だ。

 北欧絵画はあまり馴染みがないが、近年、国立西洋美術館がデンマークのハンマースホイ(1864‐1916)の作品を収蔵し、その記念に2008年にハンマースホイ展が開かれた(2020年にも開かれた)。最近はフィンランドのガッレン=カッレラ(1865‐1931)の作品を収蔵し、またスウェーデンの劇作家で小説家のストリンドベリ(1849‐1912)の絵画を収蔵した。興味深い点は、それらの画家(劇作家・小説家)がフィンランドの作曲家のシベリウス(1865‐1957)やデンマークの作曲家のニールセン(1865‐1931)と同世代なことだ。かれらの背景には北欧の民族意識の高まりがある。

 本展には上記のガッレン=カッレラの「画家の母」とストリンドベリの「街」が展示されている。「画家の母」は、国立西洋美術館の「ケイテレ湖」がフィンランドの民族的叙事詩のカレワラに題材をとった風景画であるのとちがって、リアルな肖像画だ(本展のHP↓に画像が載っている)。一方、「街」は国立西洋美術館の「インフェルノ(地獄)」と同様に荒々しい筆触の風景画だ。わたしは「街」に強い印象を受けたが、残念ながら本展のHPには画像が載っていない。

 北欧の画家で一番有名な人はムンク(1863‐1944)だろう。本展には「ベランダにて」が展示されている(本展のHP↓)。雨が多くて憂鬱な北欧の秋。姉妹の立つベランダの床が濡れている。姉妹は雨に煙るフィヨルドを眺める。ベランダの床のピンクと紅葉した樹木の赤がムンクの色だ。

 本展には未知の画家の作品が多い。それらの作品の中でもっとも惹かれた作品は、ニルス・クレーゲル(1858‐1930)というスウェーデンの画家の「春の夜」だ(本展のHP↓)。北欧の春。すでに日が長くなっている。夕日が地平線に沈む。澄みきった藍色の空に渡り鳥が飛ぶ。その鳴き声がきこえるようだ。手前の藪が不気味な形をしている。北欧の人々はこのような藪から超自然的な存在のトロールを想像したのかもしれない。

 トロールはキッテルセン(1857‐1914)というノルウェーの画家のドローイングをデジタル処理した動画が楽しい。トロールは北欧の人々には親しい存在だとよくわかる。

(※)本展のHP
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国立新美術館「遠距離現在 Universal Remote」展

2024年05月02日 | 美術
 国立新美術館で「遠距離現在 Universal Remote」展が開かれている(6月3日まで)。8人と1組の現代美術家の作品の展覧会だ。「遠距離現在」という言葉はあまり聞きなれない言葉だが、開催趣旨は、世界規模に広がる人間活動にあって、人と人との距離、人と社会との距離は近くなったのか、それとも遠くなったのか、ということらしい。

 本展のキーワードはインターネットの普及とパンデミックの経験だ。作品はすべてパンデミック以前に制作されたものだ。それらの作品をパンデミック以後のいま見るとどう見えるか、と本展は問う。

 8人と1組は国も年齢も、そして関心のありようもさまざまだ。わたしがもっとも面白かった作品は、北京とニューヨークを拠点とするシュ・ビン(1955‐)のヴィデオ作品「とんぼの眼」だ。本作品はインターネット上で公開されている監視カメラの映像を切り貼りして作られている。「監視カメラ」の映像が「公開」されている点にまず驚く。そういう時代なのだろうか。

 シュ・ビンの制作チームはそれらの映像を約11,000時間分ダウンロードした。それを切り貼りして約81分のストーリーを作り上げた。いわばストーリーをでっち上げた。ストーリーはある愛の物語だ。中国の貧しい青年がある娘に恋をする。だが娘はつれない。青年はストーカー的に娘を追う。だが娘の気持ちは動かない。ストーリーは奇想天外な変転をたどる。それはストーリーそのものを異化するかのようだ。なお本展のHP(↓)に予告編が載っている。

 本作品は2017年に制作された。制作意図は、社会に無数に設置された監視カメラの存在を人々に意識させることにあったらしい。だが、少なくともわたしは、それらの監視カメラの存在をすでに受け入れてしまっている自分に気付く。むしろわたしは、本作品を、インターネット上に氾濫する映像に気を付けろという警鐘と思った。ストーリーはでっち上げることができる。ましていまはインターネットが権力者による世論誘導のための場となっている。映像の意図を問えと。

 その他の作品では、デンマークのコペンハーゲンで活動するティナ・エングホフ(1957‐)の「心当たりあるご親族へ――」に惹かれた。本作品は27枚の写真からなる。いずれも孤独死した人の部屋の写真だ。本展のHP(↓)に載った写真は、がらんとした部屋に明るい陽光が射す。部屋の主(あるじ)の不在を感じさせる。私事だが、孤独死した元同僚が本年1月に発見された。死亡推定時期は昨年11月中旬。元同僚は家庭に問題を抱えて、長年妻子と別居していた。元同僚はどんな部屋で発見されたのだろうと思う。
(2024.3.8.国立新美術館)

(※)遠距離現在 Universal / Remote | 企画展 | 国立新美術館 THE NATIONAL ART CENTER, TOKYO
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横山幸雄(ピアノ&指揮)/日本フィル

2024年04月28日 | 音楽
 日本フィルが4月の横浜定期と来年4月の横浜定期の2回に分けて、ショパンが書いたオーケストラ付きの曲全6曲をすべて演奏する企画を始めた。ピアノと指揮(弾き振り)は横山幸雄だ。

 1曲目は「《ドン・ジョバンニ》の「お手をどうぞ」の主題による変奏曲」。シューマンがショパンを世に紹介した記念すべき曲だ。シューマンの文章を吉田秀和の訳(岩波文庫「音楽と音楽家」)で引用すると、「この間、オイゼビウスがそっと戸をあけてはいってきた」と始まる。オイゼビウスはフロレスタンとともに、シューマンが創作した架空の人物だ。オイゼビウスは「諸君、帽子をとりたまえ。天才だ」といって楽譜を見せる。オイゼビウスはピアノで弾く。フロレスタンは「すっかり感激してしまって、陶然とよいきったような微笑をうかべたまま、しばし言葉もなかったが、やっと、この変奏曲はきっとベートーヴェンかシューベルトが書いたのだろう、何しろこの二人は大変なピアノの名人だったから、といった」と続く。

 それがショパンという無名の人物が書いたもので、しかも「作品2」だというから、一同びっくりするという展開だ。その一連の流れが生き生きしている。歴史に残る名文だ。吉田秀和の訳もみずみずしい。感激しやすいシューマンの文体と、そこで語られるショパンの音楽が、訳文から匂い立つようだ。

 今回初めてその曲の実演を聴いたが、ピアノはともかく、オーケストラはもやもやとして、何をやっているのかよくわからなかった、というのが正直なところ。

 2曲目は「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」。ピアノ独奏版はポピュラーな名曲だが、オーケストラが付く版が原典らしい。前半のアンダンテ・スピアナートの部分はピアノ独奏だが、後半の大ポロネーズになるとオーケストラが入る。ピアノ独奏版とはちがった派手さがある。ショパンのイメージはそうだったのかと。

 3曲目はピアノ協奏曲第2番。前2曲とはちがって、オーケストラが引き締まった。横山幸雄のピアノは(前2曲もそうだが)音楽の構造がしっかりして、しかも滑らかな歌がある。ショパンはロッシーニやベッリーニのオペラを好んだといわれるが、たしかにベルカント・オペラに通じる歌だ。音楽の構造と歌と、そのどちらも確保した演奏だ。横山幸雄はいまや円熟の境地に入ったようだ。今回は弾き振りで演奏した。小宮正安氏のプレトークによれば、ショパンも弾き振りで演奏した。そもそも弾き振りを想定した曲なのだと。なるほど、そうかと思う。なおアンコールに「革命」エチュードと「英雄」ポロネーズが弾かれた。少々騒々しかった。
(2024.4.27.横浜みなとみらいホール)
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B→C 阪田知樹ピアノ・リサイタル

2024年04月24日 | 音楽
 B→Cシリーズに阪田知樹が登場した。1曲目と2曲目はバッハ。まずバッハがマルチェッロのオーボエ協奏曲をピアノ独奏用に編曲した曲(BWV974)から第2楽章アダージョ。バッハがイタリア的な歌に耳を傾ける様子が目に浮かぶ。次に「イタリア協奏曲」(BWV971)。ペダルを使用しないピアノからクリアな音像が立ち上る。

 3曲目は今年没後100年に当たるブゾーニのエレジー集から第2曲「イタリアへ!」。ブゾーニは未来音楽を考察した長い射程と、非ヨーロッパ圏の音楽にも関心を示した広い視野とで興味深い存在だ。「イタリアへ!」はイタリア人の父とドイツ人の母をもつブゾーニの複雑に入り組んだ感情が渦巻く。

 4曲目のリストの「BACHの主題による幻想曲とフーガ」は、3曲目のブゾーニと続けて演奏された。関連深いリストとブゾーニだが、各々の音楽は、いや、それ以上にピアノの鳴り方は、何という違いだろう。ブゾーニのどこか暗い、内にこもった、発散しきれない鳴り方とは対照的に、リストは外にむかって開放的に鳴る。内には何も残さない。

 休憩をはさんで、5曲目はブゾーニのソナチネ集から第5曲「偉大なるヨハン・ゼバスティアンによる小ソナチネ」。ブゾーニのバッハへのオマージュ作品のひとつだ。実演を聴くと、バッハそのものに聴こえる。

 6曲目はマイケル・フィニシー(1946‐)の「我ら悩みの極みにありて」。バッハの同名のオルガン曲(BWV668)を素材とした作品。フィニシーは「新しい複雑性」の音楽が語られる際に、ブライアン・ファーニホウ(1943‐)とともに名前の出る人。わたしは実演では聴いたことがなかった。おもしろい音響体だ。7曲目はハンス・フォン・ビューローの歌曲「ダンテ・アリギエーリのソネット」をリストがピアノ独奏用に編曲したもの。甘い音楽で、リスト、ビューローそしてワーグナーの音楽サークルを思う。なお5曲目から7曲目までは続けて演奏された。その流れが味わい深い。

 8曲目はポール・ルーザス(1949‐)のピアノ・ソナタ第1番「ダンテ・ソナタ」。第1楽章は鐘のような音がガンガン鳴る。第2楽章は海鳴りのような低音に高音が断片的に飛び散る。全体的にピアノの即物的な音に耳を傾けるような音楽だ。演奏は水際立っていた。

 一転して、9曲目のジェラール・ペソン(1958‐)の「判じ絵、ローマ」から「ペンナを読んで」は音の少ない静謐な曲。微かな異音が混じる。最後の10曲目はアイヴズの「スリー・ページ・ソナタ」。多様式の先駆けのような音楽に驚く。アンコールはレジス・カンポの「星月夜」。心優しいきれいな曲だ。
(2024.4.23.東京オペラシティ小ホール)
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