日々是好日

簡易エッセイです。極々日常の些細な出来事について感じたことをつらつらと書いてます。

本のサルガッソー

2004年11月29日 00時29分05秒 | Weblog
 「流星ワゴン」という本を読みました
 買ったままになって随分と長い間ほったらかしにして読んでいなかった本です。
 別の本を探していて偶然に見つけたのですが、ここ近年で読んだ本のなかでは最高で、後半は涙無くして読めなかったです。
 ほったらかしにせずにもっと早くに読んでおけば良かったです。

 我が家には「流星ワゴン」のように積ん読状態となっている本が沢山あります。
 本屋で見かけて気が向いたら買っているので、持って帰っても既に読みかけの本があると、ベッドの頭のところに置かれるか、我が家のサルガッソーとなっている本棚に置かれるかということになり、次に日の目を見るのはいつになるか分からないような状態になってしまうのです。
 サルガッソーには、少しだけ読んでそこに送り込まれた本も混じっています。
 「ハリーポッターと賢者の石」もそんな1冊。
 前情報なんて何もしらずに発売されてから1月後に買ったのだけど(1月しか経っていないにの版数が15版になってました。今はどれくらいになっているんだろう)、数十ページ読んだだけで読むのをやめてしまいました。
 普段からファンタジーを殆ど読まないので、いまいち面白さを感じられなかったからなんです。
 映画はDVDで見たのですが、良くできていてなかなか面白かったですね。
 あのまま読み進んでおけば「面白い」と感じることが出来たのかもしてないけど、映画で見ちゃったのに今更読み返すのもねぇ、ということで、そのままサルガッソーで眠り続けることになりそうです。
 サルガッソーというのもあながち間違ったネーミングではなくて、今回の「流星ワゴン」のように、ふと思い出して読んでみようと探してみてもこれが全然見つからないんです。
 ちょっと前に「ご冗談でしょう ファインマンさん」をもう一度読みたくなって探してみたのですが、これが何度探してもどこにもないんです。
 結局それから探してはいないんですけど、別の物を探している時にふっと出てくるもんだと思って諦めています。

 ま、単に片づけが苦手なだけなんですけどね。


好きなモノ

2004年11月22日 00時46分51秒 | Weblog
 ぬるいお風呂

 金城綾乃のボケ

 豆乳

 ベビースターラーメンの数本が固まっているやつ

 日だまり

 ロシアンティー

 潮の香り

 おでんの出汁が浸みた玉子の黄身


過ぎたるは及ばざるが如しかも

2004年11月21日 22時44分34秒 | Weblog
 先日「博士の愛した数式」という本を読みました(売れていると聞くと二の足を踏む質なので、かなり遅い入手でした)。
 淡々と書かれる日々の出来事とそれに絡んでくる数式、それの繰り返しだけなのだけど、じんわりと心に滲みてくるものはありました。

 好きなジャンルだということもあってなかなか楽しめたのですが、実は思っていた程ではなかったかなというのが率直な感想なんですね。
 「本屋さんが読んでほしい本№1」という帯で「おっ」と思わされ、先に読んでいる友人に聞いてみても「あれはよかったよぉ。絶対泣けるから」なんて言われると期待感は高まるばかり。
 サイトを見て回っても「泣けました」なんてコメントがあったりすると、すぐにでも読みたいという気持ちに拍車がかかっていきます。
 特に私は泣ける話が好きだったりするので尚のことなのですが、そういった前情報が読後感に影響を少なからず与えていることは事実なんですね。
 読み進みながら「どこで泣けるんだろう」と期待感は高まっていくばかりなのに、「グッ」とくるところはいつまでもやってこないんですね。
 そして物語はそのままエンディングを迎えてしまい、清々しい読後感は残ったのですが、不完全燃焼感も一緒に残ってしまいました。
 「泣けるよ」という言葉に過度に期待し過ぎてしまったんですね。
 事前情報収集を友人に聞くくらいにしておいて、「泣けるかもしれないな」くらいの気持ちで読めば良かったのでしょう。
 過度な情報摂取は、弊害を生んでしまうといういい例でした。

 実は先入観無しに直感だけで読んだり見たり買ったりすることが、自分の満足の為には一番いいのかもしれませんね。

最悪な言葉

2004年11月14日 06時06分22秒 | Weblog
 呑んで話をしていると、酔った勢いか普段はしないような話をしてしまうことや、されてしまうことがある。
 先日も友人3人と呑んでいる時に急にこんなことを尋ねられた。

 「最悪な言葉ってなんだろう」
 そんな問いを突然されて、ちょっと戸惑った。
 品性下劣な言葉であったり無神経な言葉であったりと「最低な言葉」なら結構思いつく。
 それもある意味最悪と言えなくもないとは思うのだが、奴が言いたいのはどうやらそういうことではないようであった。
 「最悪って?」
 「取り返しのつかない言葉ってこと」

 「取り返しがつかない」ってことであれば、幾つか思い浮かぶことがある。
 人を卑下する言葉なんて最悪だ。
 喧嘩なんかした際に、普段は絶対に言わないような言葉が「ぽろっ」と出てしまうこともあったりするが(私がだしてしまったということではないです(笑))、これなんて人間関係にひびが入ったり、最悪な場合は修復不可能な関係になってしまったりする。
 まさに「取り返しのつかない言葉」となってしまう。

 寝言はその大半は訳の分からない言葉だったりするものだけど、はっきりとした夢なんて見ている時は寝言もはっきりしがちな上、理性は働かないし周りの状況は分からないわで、取り返しのつかない状況になってしまうことがある。
 思春期の頃の懐かしい夢なんかを見たりして、そこで「○○ちゃん」などと嫁さんや恋人と違う名前を口にしてしまおうものならもう大変だ。
 問いただされたりしても記憶にないからこれまたやっかいだったりして、まさに取り返しのつかないことになってしまったりする。

 「最悪な言葉って「はい」じゃないかな」
 「ん?」
 「ラジャーだよ、ラジャー」
 「はい」という言葉は確かに危険である。
 よーく考えずに気軽に「はい」なんて答えてしまうと、まさに取り返しのつかないことになってしまうことがあるからだ。
 仕事においても「納期は××迄でいいですよね」なんて問いに、深く考えずに「はい」なんて答えたら洒落にならないことになってしまう。
 「保証人になってくれ」なんてのも同じだ。
 確かにこれは「最悪な言葉」と言ってもいいような気がする。

 「なるほどねー」
 「だろ。「はい」に限らず同意を示す言葉は、本当によく考えないと取り返しがつかないことになるよな」
 「確かに怖いね」
 「でさ、うちの嫁があまり深く考えないで「はい」とか「いいんじゃない」なんて答えたりするので、大丈夫かと心配することが多いんだよ」
 奴の嫁さん(私の同級生です)は奴には本当に過ぎた人で、「何故にあいつと結婚したんだろう」と未だに言われる事があったりする人だ。
 「でも、俺のプロポーズにすぐ「はい」と答えてくれたのは嬉しかったけどね。あまり深く考えないのが俺にとって幸いしたのかも」
 勿論そんなことはない訳で、彼女が結婚のことで随分と悩んでいたのを奴は知らない(もっと早くプロポーズをして欲しかったのだ)。
 そんな話をなんとも嬉しそうに語る友人を見ていると、「最悪な言葉」候補の「はい」は、もしかすると「最良の言葉」となる要素を備えているのかもしれない、なんて思ったりするのである。
 

物量は相性の悪さを駆逐する

2004年11月10日 00時53分03秒 | Weblog
 物には相性ってものがあるんじゃないかと思うんです。
 やたらと財布をなくす友人がいます。
 「財布をなくした」って話を聞いて「またかよ」なんて思ったりするのですが、かといって奴が頻繁に忘れ物をしたりするって訳ではないんですね。
 そこで思ったのが、単に友人と財布との相性が悪いだけなのではないかということなんです。
 財布をなくすのと同様に、ライターや鞄をなくしたりはしないですから。

 私がよくなくす物は鍵です。
 上記理論からすると鍵と私の相性は最悪みたいなんですね。
 毎日使う物でありながら、朝部屋を出かけようとすると鍵がないんです。
 もうほんとにね、どこを探しても見つからないんです。
 携帯電話のように部屋の電話から鳴らして見つけるなんてことは出来ないですし、勿論呼びかけても答えてくれる訳がないので、そんな時は財布に入れてあるスペアのキーを使う訳なんですが、翌日になると今度はそのスペアの鍵が見つからなかったりするんですね。
 大きな声では言えませんが、会社に遅刻する訳にはいかないので結局鍵をかけずに出かけたこともあったりします。
 それが毎日という訳にもいかないので、またスペアのキーを作ったりということを繰り返して、今現在で部屋の鍵は7つもあります。
 流石にこれだけあれば、朝見つからなくて慌てるということはなくなりました。
 物量は相性の悪さを駆逐するということでしょうか。



琴線に触れる声

2004年11月08日 01時53分55秒 | Weblog
 音楽は嗜好品だという話をどこかで聞いたことがあります。
 なるほどそのとおりで、一つのモノが全ての人に受け入れられる訳ではないんですね。
 甘いモノが好きだったり、辛いモノが好きだったりするのと同じで、人の好みの尺度はマチマチだからです。

 では、私にとっての「いい曲」とはいかなるものでしょうか。
 どんなにいいメロディであっても、どんなにいい歌詞であっても、自分にとってのいい曲であり得ない事があります。
 それは私が歌い手の声と上手さを大事に感じているからで、3つの条件が揃って「うぉ、なんていい歌なんだ」と感じさせてくれればいいのだけれど、なかなかそうは行かないのが現状です。
 声質というのも「自分にとって」という基準になるので、その基準を言葉で表すのは非常に難しいのだけれど、簡単に言ってしまえば私の琴線に触れることの出来る声かどうか、ということになります。

 前置きが長くなってしまいましたが、そんな声に今日久しぶりに出会いました。
 路上パフォーマーンスとして、乗換駅のコンコースなんかで歌っている若者をよく見かけます。
 そのパフォーマーの多くがアコースティック路線を基本とした「ゆずもどき」だったりしますね(「ゆず」は何人も必要ないんだよ、なんて思わなくてもないのだけど)。
 「その歌唱力で人前で歌うのはどうだろうか」と思わされる輩も非常に多かったりして、いつもは電車乗り換えの際も耳を傾けることなく通り過ぎるのだけれど、今日出会った声はもろに琴線に触れてくる声で、久しぶりに立ち止まって聴き入ってしまいました。
 まだ若い女の子だったのですが、ミョーに上手いんです。
 いいおじさんが深夜0時くらいに、歌っている女の子を「じーっ」と見つめるのもナンだったので実際は30秒程度しか聴くことが出来ませんでした。
 その為、なんというグループ(あとギターが一人いましたが、あまり記憶にありません)なのかも分からないんですが、今度見かけたらじっくりと聴いてみたいなぁ、と思ってます。
 願わくば、駅のコンコースではなくてブラウン管の中がいいのですけどね。


考えることと思い出すこと

2004年11月07日 18時45分59秒 | Weblog

 一日のうちで物事をじっくり考える時間って案外少ないんじゃないでしょうか。
 私の場合、入浴している時間か、布団に入って寝付くまでの時間ということになります。
 「トイレでもゆっくり考えられるよ」という人もいるみたいだが、私はトイレは異常に早いので、何かについて考えるといった時間はないんですね。

 考えることって本当に様々な事についてです。
 過去のこと、将来のこと、両親のこと、友人のこと、今日のこと・・・etc。
 時々面白いネタを思いつくことがあるんですが、風呂も布団の中もどちらもメモを取ることが出来ないので、色んな事に思いを廻らせているうちに何を思いついたのかを忘れてしまうことが多いんです。
 まさに夕べもそんな感じで、ふと何かきっかけになることを布団のなかで思いつき、それについての様々なことが思い浮かんだんですが、あまりのスピードで色んな事が思い浮かぶので、メモを取る暇がなかったんです(面倒くさくて起きあがるのが嫌だったという話もありますが(笑))。
 で、今朝目が覚めたら、何を思いついたかさえもすっかり忘れている状態だったりします。
 まだ若い頃は、同じようなことがあってもなんとなくどんなことを考えたりしたかという断片がどこかに残っていて、それを元に最初に思いついたことをたぐり寄せる、ということが出来ていたのだけれど、それももう出来なくなってしまいました。

 歳は取りたくないモノです。


ホテル1

2004年11月06日 10時36分02秒 | Weblog
 私の会社でまことしやかに言われている噂話。

 出張で全国あちこちに行くことが多い仕事なので、その際は勿論ホテルに泊まる訳です。
 大概のホテルの部屋には絵が飾られているんですね。
 で、この絵をひっくり返して裏を見たときに、御札が貼られていると、その部屋で過去に誰かが自殺したことがある、と言われています。
 初めてその話を聞いたときは「何いってんだい。どうせ適当なうわさ話だろ」なんて笑い飛ばしていたんですが、いざ自分がホテルに泊まる時に、どうも飾られている絵が気になって仕方がないんです。
 気にしないようにしようとしているのに、どんどん気になっていってしまうんですよね
 まるで、思春期に好きな女の子が出来た時の私のようです(笑)。
 結果、灯りをつけたまま寝たりする訳なんですが(流石に最近は気にすることもなく寝れるようになりました)、この話を聞いて暫くはホテルではなかなか寝付けないことが続きました。
 もしホテルに泊まれれる事があれば、壁に飾ってある絵や写真の裏を見てみてはいかがでしょうか。

 ちなみに、昨日も名古屋のホテル泊まりましたが、絵の裏を見ることは出来ませんでした。