自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆「復興先導プロジェクト」って何だ~2 トキが能登の空を舞う

2024年05月22日 | ⇒ドキュメント回廊

  能登半島地震の災害からの復興のために石川県が提示した『創造的復興リーディングプロジェクト』の13の取り組みで、自身にピンと来たのは【10】震災遺構の地域資源化に向けた取り組み、そして、【12】トキが舞う能登の実現、の2つだった。前回の震災以降に続いて、今回はトキが舞う能登の空について。

  かつて、「日本の本州で最後の一羽」と呼ばれたトキが能登にいた。「能里(のり)」という愛称で呼ばれていた。オス鳥だった。能登には大きな河川がなく、山の中腹にため池をつくり、田んぼの水を蓄えていた。そのため池にはトキが大好物のドジョウやカエル、ミミズなどがいた。能登半島の中ほどにある眉丈山では、1961年に5羽のトキが確認されている。ただ、田んぼでついばむエサには農薬がまみれていた。1970年に能里が本州で最後の一羽となる。

  当時、新潟県佐渡には環境省のトキ保護センターが設置させていて、能里は人工繁殖のために佐渡に送られることになる。ところが、翌年1971年3月、鳥かごのケージの金網で口ばしを損傷したことが原因で死んでしまう。当時、能登の人たちは「佐渡に送らなければ、こんなことにならなかったのに」と残念がった。

  あれから半世紀、佐渡では500羽余りのトキが野生で生息するようになった。環境省は2022年にトキを本州で放鳥することを決め、能登と島根県の出雲市で放鳥する計画を発表した。その放鳥は「2026年以降」となっているので、早ければ2年後の2026年に能登の空をトキが舞う日がやっていくる。石川県では去年、5月22日を「いしかわトキの日」と決め、ムードを盛り上げている。(※写真は、輪島市三井町洲衛の空を舞うトキ=1957年、岩田秀男氏撮影)

  能登の人たちのトキへの想いはまだある。トキが能登の空を舞う日は希望の光でもある。2026年めがけてトキの放鳥が着実に行われることを期待したい。

⇒22日(水)午前・金沢の天気    はれ 

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★「復興先導プロジェクト」って何だ~1 震災遺構のこと

2024年05月21日 | ⇒ドキュメント回廊

  能登半島地震から140日余りとなる。石川県はきのう20日、復旧・復興本部会議を開き、馳知事がこれまで繰り返し述べてきた「創造的復興」に向けた計画案をまとめた。その計画案は「石川県創造的復興プラン (仮称)」として県庁公式サイトで公開されているので、自身の解釈でまとめてみる。

  創造的復興プランのスローガンは「能登が示す、ふるさとの未来 Noto, the future of country」。新しい能登を創造する夢のある思い切ったプロジェクトを『創造的復興リーディングプロジェクト』と位置付ける。4つの柱で構成される。▽教訓を踏まえた災害に強い地域づくり、▽ 能登の特色ある生業(なりわい)の再建、▽暮らしとコミュニティの再建、▽誰もが安全・安心に暮らし、学ぶことができる環境・地域づくり

  リーディングプロジェクトの具体的な施策は13の取り組みとして示されている。
【1】復興プロセスを活かした関係人口の拡大
【2】能登サテライトキャンパス構想の推進
【3】能登に誇りと愛着が持てるような「学び」の場づくり
【4】新たな視点に立ったインフラの強靭化
【5】 自立・分散型エネルギーの活用などグリーンイノベーションの推進
【6】 のと里山空港の拠点機能の強化
【7】利用者目線に立った持続可能な地域公共交通
【8】奥能登版デジタルライフラインの構築
【9】能登の「祭り」の再興
【10】震災遺構の地域資源化に向けた取り組み
【11】能登半島国定公園のリ・デザイン
【12】トキが舞う能登の実現
【13】産学官が連携した復興に向けた取り組みの推進

  以上の取り組みを読んで、自身にピンと来たのは【10】と【12】だろうか。被災地をこの目で確かめるため元日からこれまで17回現地をめぐっているが、被災地を見ようと訪れている人が回を重ねるごとに増えている印象がある。インバウンドの人たちもよく目にする。戦災地や被災地を訪れることを欧米の人たちは「ダークツーリズム(Dark tourism)」と称して、現地では最初に死者に対して哀悼の祈りを捧げてから見学に入る。復旧・復興ですべてを撤去するのではなく、特徴的な現場を遺構としてのこし、世界の人たちに震災を語り継ぐ場として提供してもよいと思う。

  もちろん、震災遺構については行政が勝手に決めることではない。被災地の人たちの心情に配慮し、丁寧に合意形成を図りながら作業を進めていくことになるだろう。この創造的復興リーディングプロジェクトについて、シリーズで考えてみたい。

(※ 写真は、3月22日に天皇、皇后両陛下が多くの犠牲者が出た輪島・朝市通りを訪れ黙礼をされた=宮内庁公式サイト「被災地お見舞い」より)

⇒21日(火)午前・金沢の天気   くもり

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☆奥能登国際芸術祭の作家 地域復興の願い込め動き出す

2024年05月19日 | ⇒ドキュメント回廊

  去年秋に能登半島の尖端、珠洲市で開催された奥能登国際芸術祭2023(9月23日-11月12日)で心を打たれた作品の一つが、人生の生き様をテーマにした画家、弓指寛治氏の『プレイス・ビヨンド』だった。岬にある自然歩道を歩きながら、珠洲の地元で生まれ育った南方寳作(なんぽう・ほうさく)という人物が生前に残した伝記をもとにした、人生ストーリーを立て札と絵画を見ながらたどる=写真=。

  その内容が濃い。戦前に人々はなぜ満蒙開拓のために大陸に渡ったのか、そして軍人に志願したのか、どのような戦争だったのかを、立て札の文字をたどりながら、設置されている絵画を見ながら追体験していく。ただ、ストーリーが記された立て札は87枚、絵画は50点もある。立て札一枚一枚を読んで、さらに絵を鑑賞していると、いつの間にか時間が経って辺りが暗くなったの覚えている。

  その弓指氏がきのう18日、珠洲市役所を訪れ、出品した作品の売却費の一部65万円を地震の支援金として市に寄付した。また、弓指氏は同日から泊まり込んで珠洲市でボランティア活動を行う(5月19日付・北國新聞)。芸術家として深く関わった現地が地震で甚大な被害を受けたことに心を痛めたのだろう。  

  奥能登国際芸術祭の総合ディレクターである北川フラム氏は震災に関する支援を行う「奥能登珠洲ヤッサープロジェクト」を立ち上げている。アーティストやサポーターで構成する有志グループで、被災した人たちと協力しながら、同地の復興に寄与していくという。北川氏は述べている。「珠洲の人々と他地域の人々を結びつけるアート作品や施設の撤去、修繕、再建などを行い、珠洲に思いを寄せる人々の力を結集したいと考えます」(「奥能登珠洲ヤッサープロジェクト」公式サイト)。

   「ヤッサー」は珠洲の祭りの掛け声で、若い衆が力を合わせて巨大なキリコや曳山を動かすときに「ヤッサーヤッサー」と声を出して気持ちを一つにする。弓指氏も芸術への想い、地域復興への願いを一つに込めて動き出そうとしているのだろうか。

⇒19日(日)夜・金沢の天気    くもり

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★梅雨の大雨で危機が増す 土砂ダムで水没やがけ崩れが

2024年05月17日 | ⇒ドキュメント回廊

  ウエザーニュースが先日(15日)発表したことしの梅雨入りと雨量の見込みが気になる。北陸は6月中旬に梅雨入りする予想となっているが、7月上旬に大雨に警戒が必要という。「大雨」の文字でドキリとするのは、能登の震災で起きた山崩れだ。大雨で2次災害が起きるのではないか、そんなことを考えてしまう。

  輪島市や珠洲市では集落の裏山が崩れているところが各地にある。珠洲市の山間部でがけ崩れが起き、土砂の一部が民家に押し寄せている=写真・上、2月22日撮影=。梅雨の大雨によって、がけ崩れや山崩れが起き、民家への2次被害が出るのではないか。

  特に危険なのは、大量の土砂が崩落し、河川に「土砂ダム」ができ、近くの民家などが水没するという災害だ。また、地震でため池の土手に亀裂などが入っていると、大雨で雨量が急激に増すことでため池が決壊する可能性がある。こうなると、下流にある集落に水害が起きる。(※写真・下は、土砂ダムで孤立した輪島市熊野町の民家=1月4日、国土交通省TEC-FORCE緊急災害対策派遣隊がドローンで撮影)

       心配してもきりはないが、梅雨の大雨によって水かさが増すことで、ダムの決壊も懸念される。ダムは行政が管轄しているので、排水路の整備や、カメラによる監視体制を強化し、地域の人たちと情報共有する手立てを整えてほしいものだ。

⇒17日(金)夜・金沢の天気    くもり

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☆長びく避難所生活 懸念されるエコノミークラス症候群

2024年05月16日 | ⇒ドキュメント回廊

  能登半島地震の被災地をこの目で確かめようと思い、元日からこれまで17回、能登をめぐっている。そのとき、道路でよくすれちがったのは救急車だった=写真、1月5日撮影=。とくに、1月と2月はよく目にした。きょうのメディア各社の報道によると、元日から4月末までの4ヵ月間で、能登各地の避難所から病院などに救急搬送された人は771人に上ること分かった。能登の9市町の地元消防署への取材を基に共同通信が集計した(5月16日付・北陸中日新聞)。

  記事では4月24日に輪島市内の避難所から救急搬送された74歳の男性の事例を取り上げている。就寝中に呼吸の苦しさを訴えて病院に緊急搬送されたが、数時間後に病院で死亡した。死因は「塞栓症の疑い」とされた。関係者は「エコノミークラス症候群の疑いがある」と指摘しているという。長時間同じ姿勢を取ることで血栓ができて死亡するケースだ。

  前回ブログでも述べた「災害関連死」が今後、急増するのではないかと懸念している。地震による建物の倒壊や津波などが原因で亡くなる「直接死」とは別に、避難生活の疲労や環境変化のストレスなどから体調が悪化して亡くなるケースだ。先のエコノミークラス症候群のほか、自殺も含まれる。被災した市町の学校の体育館や公民館、集会所などの避難所でいまも1967人が暮らしている。長期化する避難生活で体調を悪化させる人も今後増えるのではないだろうか。

  避難所や仮設住宅についての不満やストレスとはどういうものなのか。少々古いデータになるが、2007年3月25日の能登半島地震で行った金沢大学能登半島地震学術調査部会の報告の中に被害がもっとも大きかった輪島市門前町で住民から聞いたアンケートが調査がある。同地区は当時、65歳以上が47%を占める高齢化が進む地区で、ほとんどが持ち家だった。

 <避難所について>
・畳一畳分のスペースは狭い。
・狭くて、よく眠れなかった。人にぶつかる。踏まれる。
・配られた毛布はかぶるに重く、暖かくなかった。
 <仮設住宅での生活について>
・エアコンが嫌いだから暑くて困る。
・浴槽のまたぎの部分の高さが高く、高齢者には不便。風呂の湯船が深すぎる。風呂の床が滑りやすい。お湯と水の調整が難しい。タクシーで風呂に入りに行く人もいる。
・内側から鍵をかけてしまうと外から誰も入れなくなってしまう。一人暮らしの人など心配。
・買わなくちゃいけないから野菜不足。

  避難所や仮設住宅ならではの事情でいろいろとストレスがたまる。能登の人たちは一軒家で暮らしてきたのでなおさらだ。

⇒16日(木)夜・金沢の天気     くもり

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★災害関連死めぐる戸惑い 認定には慎重さとスピード感を

2024年05月15日 | ⇒ドキュメント回廊

  能登半島地震でいわゆる「災害関連死」について発表される行政のデータやメディアの報道に、少し戸惑いを感じている石川県民が少なからずいるのではないだろうか。自身もその一人だ。メディア各社の報道によると、きのう14日、地震後に亡くなった人を災害関連死とするかどうかを判断する県と3市町(輪島市、珠洲市、能登町)の合同審査会が開かれ、3市町に遺族から申請のあった35人のうち30人を災害関連死として認定した。審査会は非公開で行われ、委員は弁護士3人、医師2人の5人。今後は月1回のペースで開催する。

  戸惑いがいくつかある。審査が行われたのは3市町の35人(珠洲19人、輪島9人、能登7人)だった。認定されたのは30人(珠洲14人、輪島9人、能登7人)。珠洲の5人ついては、委員が追加資料の提出を求めたため次回以降に再審査となる。戸惑いというのも、今回審査された人数が少ないのではと感じるからだ。遺族からの申請数は輪島市だけでも53人に上っている。ところが、今回は9人しか審査されていない。このペースだと輪島市の申請数の審査を終えるのにあと5ヵ月はかかることになる。もちろん、数をこなす単純な作業ではなく、ある意味で「書面上の検死」なので時間がかかるのは分かる。

  ただ今後、申請数がさらに増える可能性も十分にあるだろう。なので、審査会の委員を増やす、開催回数を月1回より増やすことが必要なのでは、と素人ながらに考えたりする。

  さらに戸惑ったこと。県危機対策課がこれまで発表してきた地震の人的被害は「死者245人(うち災害関連死15人)」と公表してきた。なので、この「15人」は確定の人数と認識していた。ところが、市町が独自に判断した人数を県に報告していたもので、確定ではなくあくまでも「関連死疑い」の数字だった。それを確定数のように公表していたことになる。県では遺族からの申請があれば15人についても審査を行うとしている。

  災害関連死の認定基準については全国統一のものがなく、石川県では初めての対応であり、2016年4月の熊本地震で熊本県が独自に定めた認定基準などを参考にしたようだ。ちなみに、熊本地震では犠牲者273人のうち、80%以上の218人が災害関連死だった。その認定については去年12月現在で遺族から申請があった722人が審査されて、認定は218人、認定率は30%となっている(5月15日付・北陸中日新聞)。

  関連死について政府は「災害による負傷の悪化、または避難生活などにおける身体的負担による疾病」での死亡と定義している。関連死の認定数について多い少ないを問うているのではない。遺族の気持ちを察してスピード感を持って行政は対応してほしい。もちろん審査会での審議は慎重に。

⇒15日(水)夜・金沢の天気   くもり

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☆被災地も五月晴れ 木造長屋の仮設住宅に入居始まる

2024年05月14日 | ⇒ドキュメント回廊

  きょうは石川県全域で晴れの天気。能登の被災地でも晴天の下で、木造家屋の仮設住宅への入居が始まったようだ。県による仮設住宅の建設はこれまで5800戸が着工されていて、そのうち1385戸が木造長屋型。スギや能登ヒバなどの県産の木材を使い周辺の景観に配慮した木造長屋型の仮設住宅だ。

  輪島市里町で完成した木造長屋の仮設住宅は周囲の里山とマッチしていて景観的にも合っている=写真、5月3日撮影=。27棟・100戸が建てられ、コンパクトな1DKや車椅子の利用を考慮した部屋、さらに和室のあるタイプもあり、入居者に配慮した仮設住宅だ。配慮はこれだではない。従来のプレハブ型は取り壊すことを前提に原則2年で退去しなければならないのに対し、木造長屋型は2年が経過した後は輪島市営住宅に転用され、被災者が長く住み続けることができるようだ。

  1月22日以降滞っていた災害関連死の認定審査会がきょう再開された。審査会はそれぞれの自治体ごとに行われていたが、医師や弁護士の手配などに支障をきたしたことから、自治体が合同で審査会を設けることで再開した。メディア各社の報道によると、きょうの合同審査は輪島市・珠洲市・能登町に寄せられた遺族からの申請が対象。医師や弁護師ら委員5人による審査が行われ、1週間をめどに認定が進む見込みという。

  災害関連死に認定されると、遺族には最大500万円の弔慰金が支給される。災害関連死の申請は今月9日時点で輪島市で53人、能登町で16人、七尾市で14人など少なくとも100件に上っている。県では震災による死者245人のうち15人を関連死として発表している。審査が進めば大幅に増加することになる。

⇒14日(火)午後・金沢の天気     はれ

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★「奥能登あえのこと」田の神は何想う 耕す田んぼが激減

2024年05月13日 | ⇒ドキュメント回廊

  能登半島地震で伝統的な農村文化が失われるのではないか、そんな危機感が漂っている。前回ブログで、輪島市にある白米千枚田で多数のひび割れが入ったことから、1枚でも多く棚田を耕すことで復興の希望につなげたいと地元の愛耕会のメンバーが当初予定していた60枚を120枚に増やして田植えにこぎつけたいきさつを紹介した。

  白米千枚田は2001年に文化庁の「国指定文化財名勝」に指定され、2011年に国連世界食糧農業機関から認定された世界農業遺産「能登の里山里海」のシンボル的な存在。こうした評価の重荷を背負いながら愛耕会のメンバーは努力を重ねたものの、それでも「1000分の120」にとどまった。

  さらに、危機感を漂わせる事例がある。農耕儀礼の「あえのこと」。奥能登(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)の農家の家々では、田んぼの実りに感謝し、目が不自由とされる田の神をごちそうでもてなす行事がある。1976年に国の重要無形民俗文化財に指定され、2009年に単独でユネスコ無形文化遺産に登録されている。千枚田と同じく能登の世界農業遺産のシンボル的な行事でもある。(※写真は、能登町「合鹿庵」で執り行われた農耕儀礼「あえのこと」。田の神にコメの出来高などを報告する農業者=2016年12月5日撮影)

  この農耕儀礼は各農家がそれぞれの家で行う行事であり、一般公開を前提としたものでも義務でもない。そのため、世代の替わりで儀礼の簡略化や止める農家が多く、農耕儀礼の継承そのものが希薄となっていた。そこに地震があり、奥能登では農地の亀裂など538件、水路の破損655件、ため池の亀裂や崩壊が165件、農道の亀裂や隆起などの損壊が398件に上った(3月26日時点・石川県農林水産課のまとめ)。このため、奥能登の田植えの作付面積は去年の2800㌶から1600㌶に落ち込む見通しとなった(同)。

  田んぼを耕さなければ農耕儀礼はない。田の神はこの奥能登の現実をどう想っているだろうか。

⇒13日(月)夜・金沢の天気    くもり

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☆能登復興の想いを胸に 千枚田を一枚、また一枚と修復

2024年05月12日 | ⇒ドキュメント回廊

  元日の能登半島地震でおよそ8割の田んぼにひび割れなどが入り、水耕を続けられるのか懸念されていた輪島市の白米千枚田できのう11日、田植えが行われた。メディア各社が報じている。このブログ(4月20日付)で千枚田での田起こしを紹介した。このときは地元有志でつくる「愛耕会」が行った田起こしは1004枚のうち60枚だった。その後、ひび割れなどを復旧する作業が行われ、きのうの段階で120枚に田植えが行われた。(※写真は、田植えに間に合うように復旧作業が進められた千枚田=5月3日撮影)

  田植えを行ったのは愛耕会と、棚田を有償で借りて耕作する「オーナー会員」ら。県内外から千枚田を訪れた27組55人のオーナー会員は愛耕会のメンバーから田植えの手ほどきを受けて作業を行った。震災に見舞われ、復旧作業が施された千枚田での作業なので、オーナー会員たちにとっては思い出に残る田植えとなったに違いない。

  それにしても苦労を背負ったのは愛耕会のメンバーではないだろうか。メンバーの大半も被災し、いまも金沢市に2次避難している。これまで天候を見計らって輪島市に戻って千枚田の修復をすることを繰り返し、きょうこの日にたどり着いた。田植えの開会式で、愛耕会の白尾会長は「ここまで来られるとは思っていなかった」と言葉を詰まらせた。20秒の沈黙の後、参加者の拍手に励まされ、「来年はもっと元気に1枚でも増やしたい」と言葉を続けた(5月12日付・北陸中日新聞)。

  4㌶の斜面に小さな棚田が連なる白米千枚田は2001年に文化庁の「国指定文化財名勝」に指定された。2011年に国連世界食糧農業機関から「能登の里山里海」が世界農業遺産(GIAHS)に認定され、千枚田はシンボル的な存在となった。愛耕会のメンバーにとっては、1枚でも多く棚田を耕すことこそ能登の復興の希望につながるとの想いを胸に、当初予定していた60枚を120枚に増やす努力を重ねたに違いない。きょうの千枚田の記事を読みながら、そんな感想を抱いた。

⇒12日(日)夕・金沢の天気  くもり時々あめ

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★被災地の熱中症対策どうする この夏は「ラニーニャ猛暑」

2024年05月11日 | ⇒ドキュメント回廊

  きょうはとても日差しがまぶしかった。自宅近くの街路の気温計を見ると29度だ=写真=。金沢だけではない、能登の輪島市の最高気温は27度、珠洲市でも26度といずれも7月上旬並みの夏日だった。自宅の外で草むしり(除草作業)を1時間半ほどしたが、暑さに体が慣れていないせいだろうか、作業を終えるととたんにだるさが襲ってきた。

  ことしの夏は猛暑になりそうだ。気象庁の報道発表(5月10日付)をネットでチェックすると、7月から9月にかけてラニーニャ現象が発生する可能性があり、強い高気圧に覆われて、日本では猛暑になるようだ。ラニーニャ現象は、南米・ペルー沖の太平洋の海面水温が基準値より0.5度以上低くなる状態が続く現象で、世界各地で大雨や猛暑などの異常気象をもたらす。2022年夏のラニーニャ現象では金沢をはじめ石川県内で35度の猛暑に見舞われ、気象庁は「熱中症警戒アラート」をたびたび発していた。

  ここで気になるのは元日の地震の被災地のことだ。輪島市や珠洲市では発災後に野菜栽培のビニールハウスで避難生活を送っている人たちがいる。自宅が損壊し、ビニールハウスで暮らしながら田んぼや畑、ハウスで農業を営んでいる。そして、被災地でのがれきの撤去には数多くのボランティアの人たちが作業を行っている。さらに、狭い仮設住宅で暮らす人たち。そんな人たちが炎天下で熱中症に罹らないだろうかと他人事ながら気にかかる。

  きょうの暑さで、珠洲市では看護師や保健師が自宅で避難を続けたり仮設住宅で過ごしたりしている高齢者を訪れ熱中症への注意を呼びかけたとのニュースが流れていた。避難所となっている学校の体育館などは相当に暑くなっただろう。避難生活での疲労やストレスに加えて暑さが重なると、高齢者にとっては精神的にも肉体的にも負担が増す。高齢者への見回りのほかに、暑さからの集団避難など予防対策が必要ではないだろうか。

⇒11日(土)夜・金沢の天気    はれ

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☆滞っていた災害関連死の認定審査 ようやく動き出す

2024年05月10日 | ⇒ドキュメント回廊

       北陸にもようやく新緑の季節がやってきた。街路樹からは若葉の息吹が感じられ、山々は青々としている。金沢で生まれ育った詩人で小説家の室生犀星の詩に『五月』がある。「悲しめるもののためにみどりかがやく 苦しみ生きむとするもののために ああ みどりは輝く」。苦しみ悲しみを超えて、五月は人生が輝くときと表現しているのだろう。長い冬を超えて新緑の季節を実感するこの頃だ。(※写真は、金沢市泉野町のイチョウ並木=5月10日撮影)

  きょう10日は元日の能登半島地震から131日目となる。最近、地元メディアなどで取り上げられているのが「災害関連死」についてのニュースだ。避難所などでの生活で疲労やストレスがたまったことが原因で持病などが悪化して亡くなるケース。この認定については、遺族からの申請を受けた自治体が医師や弁護士ら有識者による審査会を開いて判断する。ただ、業務を担う市町が独自に審査会を開催するのは負担となることから、石川県は市町の負担軽減を計るために県が肩代わりして合同の審査会を開くことにした。来週に初会合が開催される(5月9日付・NHK石川ニュースWeb版)。

  NHKが県内の19市町に災害関連死の申請件数ついて問い合わせ、今月8日時点で100人に上っていることが分かった。内訳は輪島市53人、能登町16人、七尾市14人、志賀町10人、穴水町7人だった。被害が大きかった奥能登の珠洲市、そして加賀の小松市の2市でも申請があるものの、その人数を明らかにしていない。残り12の市町ではこれまでのところ申請がない(同)。

  県のまとめ(5月8日時点)によると、人的被害の死者245人のうち、直接死は230人、災害関連死は15人となっている。関連死の人数は1月22日以降止まったままになっていた。それまで市町が独自で医師や弁護士を集めて審査会を開いていたものの、事務手続きなどが煩雑で負担が重荷となって審査会が開かれてこなかった。しかし、申請しても待たされ続けた遺族は市町に不信感を募らせたに違いない。災害関連死に認定されると、遺族には最大500万円の弔慰金が支給される。遺族が被災者ならば生活再建の糧としたいと思うだろう。

  来週から合同での審査会が再開され、申請済みの100人の認定作業が進めば、関連死の人数はかなり増えることになる。さらに、発災から131日経ち、時間の経過とともに今後さらに関連死が増えるのではないだろうか。いまも避難所生活を余儀なくされている人は、市町での1次避難所で2151人、県が用意した避難所(金沢市など)で1729人などとなっている(5月8日時点)。避難所暮らしでは睡眠不足に陥り、体力や免疫力が低下するとよく言われる。大丈夫だろうか。

  最大震度7の揺れに見舞われた2016年4月16日の熊本地震で犠牲になった人は熊本県内で276人で、うち直接死は50人、関連死は221人、豪雨関連死5人だった(Wikipedia「熊本地震」)。犠牲になった人のうち関連死がじつに8割近くを占め、直接死亡した人の4倍を超えている。時間の経過とともに、能登でも同様に関連死の犠牲者数が増えてくるのではないだろうか。救えるはずの命を落とさない予防策と併せて関連死の認定作業をこれ以上滞らせないことを願う。

⇒10日(金)夜・金沢の天気    はれ

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★輪島の7階建てビルなぜ倒れた 撤去がままならない事情

2024年05月09日 | ⇒ドキュメント回廊

  シャクヤクの花が自宅の庭を彩っている=写真・上=。「立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はユリの花」という言葉があるように、上品な女性の姿をイメージさせ、精気を放っている。花言葉は「恥じらい」。シャクヤクは夜になると花を閉じる習性があり、その姿から「恥じらう様子」がイメージされたようだ。毎年のことだが、大型連休明けで心にぽっかりと穴が空いたようなタイミングでこの花が和ませてくれる。

  話は変わる。能登半島地震の被災地を何度かめぐっていて印象に残る現場の一つが、輪島市河井町で倒壊した7階建てのビルだ。輪島塗の製造販売(塗師屋)の大手「五島屋」の建物。倒壊した内部の様子を外からうかがうと、グランドピアノが横倒しになっている。展示場で飾られてあった輪島塗のピアノだろう。そして、倒壊したビルは公道の一部を塞ぐようにして倒れている=写真・中、5月3日撮影=。現地を訪れるたびに、撤去はいつ始まるのだろうかとつい思ってしまう。

  地元メディア各社の報道によると、五島屋ビルは地下1階・地上7階建て。1972年に建てられたもので、地震で基礎部の東側が3㍍ほど沈下したことで倒れたとみられる。ビルの倒壊で、隣にあった3階建ての住居兼居酒屋が下敷きとなり、その店の母子2人が犠牲となった。ビルのオーナーは輪島市役所に対し、所有者に代わって自治体が解体撤去する公費解体を申請している。押しつぶされた店の男性店主はビルの倒壊の原因が明らかになるまでは撤去しないように市に申し入れている。

  以下が自身が現地を見た印象。ビルは根元からポキッと折れるようにして倒れている。その根元をよく見ると、建物の重さを支える土台が、地下の岩盤に指してある杭から抜けているようにも見える=写真・下、3月10日撮影=。震度6強の揺れだったので、建物が激しく揺さぶられ、杭が抜けて倒れたのだろうかと素人目線で考えてしまう。

  ビルの倒壊原因については国交省の研究機関が調査中で、ことし秋をめどに結果をまとめるようだ。2人の犠牲が出ているだけに、男性店主とすればビルの基礎部にそもそも問題があったのかどうか、納得できる説明がほしいだろう。ビルの撤去については、見通しが立たない状況が続いている。

⇒9日(木)夜・金沢の天気   くもり時々はれ

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☆のと里山海道は7月末に対面運行 復旧・復興の大動脈に

2024年05月08日 | ⇒ドキュメント回廊

  能登半島地震の被災地ではボランティア活動に「自粛ムード」があるとよく言われる。そのきっかけは、石川県の馳知事が1月10日の記者会見で「個人的なボランティアは2次被害に直結するので控えてほしい」と訴え、これがメディアで広く拡散された。馳知事は被災地へ向かう道路事情が悪く、個人的なボランティアで自家用車で現地に行くと渋滞に巻き込まれ、救急車や消防車の往来にも支障をきたすのでしばらく控えてほしいという意味で述べたのだが、いつの間にか「ボランティアは自粛」の言葉が独り歩きを始めた。

  では、その原因となった道路事情はいまどうなっているのか。金沢と能登をつなぐ主要地方道「のと里山海道」は現在、徳田大津ICから穴水IC区間(27㌔)が金沢方面からの片側一方通行となっている。実際に走行すると、半島の奥に行けば行くほど道路側面のがけ崩れがひどく、道路の盛り土の部分の崩落個所が多くある。乗用車ががけ崩れとともに落ちた現場がいまでもまま残っている=写真・上、5月3日撮影=。

   この里山海道の復旧工事は国の直轄で行われている。大きく崩落した個所は盛り土で造成するのではなく、新たに鉄橋を架ける工事が進められていた=写真・下、同=。

  政府の復旧・復興支援本部の会合(4月23日)で岸田総理は、現状で片側一方通行の里山海道について、7月末までにはほぼ全区間で対面運行できると見通しと述べた(4月23日付・北國新聞夕刊)。

  のと里山海道の対面運行が可能になれば、輪島市や珠洲市など奥能登の被災地と県内各自治体との行き来がスムーズになる。がれき処理の運搬や、冒頭で述べたボランティア活動の往来で支障もなくなるだろう。能登と加賀、そして全国を結ぶ復旧・復興の大動脈となるに違いない。

⇒8日(水)午後・金沢の天気    くもり

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★能登の里山景観にマッチする「木造長屋」の仮設住宅

2024年05月07日 | ⇒ドキュメント回廊

  能登半島地震の被災地に行くと、プレハブの仮設住宅が目立つようになってきた。石川県では8月までに仮設住宅6400戸余りを整備するとしている。知人から輪島市南志見地区に木造の仮設住宅があると聞いて見に行った(今月3日)。

  現地に赴くと、黒瓦で壁面は木板、1棟に4戸の玄関戸がついていた=写真=。外観だけを見ると「長屋」というイメージだ。この木造タイプの仮設住宅は全部で27棟で、1DKや2DKを中心に計100戸になる。知人によると、木造の仮設住宅はプレハブと比べて長く使用でき、輪島市では原則2年間の入居期間後も市営住宅に転用するなど被災者が長く住み続けることができるようにする計画だという。確かに、プレハブより木造の仮設住宅の方が住み慣れるかもしれない。

  仮設住宅の建設が進む一方で、全半壊となった住宅の撤去作業は思うように進んではいない。馳県知事の記者会見(4月25日)によると、所有者に代わって自治体が解体撤去する「公費解体」はこれまでに申請数が8528棟あったものの、着手は244棟にとどまっている。申請の受理から解体着手までには、自治体職員らによる現地調査や住民の立ち会いが必要で、手続きの調整がネックとなっている。

  このため、連休明けの今月上旬から、市町が委託する書類審査や費用算定を行う専門のコンサルタント職員を6割増員し、公費解体の手続きを集中的に進めるとしている。さらに、解体事業者らで構成する5人1チームの作業班を新たに500から600班編成し、現地に投入することで作業のペースを加速させる。来年10月の完了を目指す(4月25日・知事記者会見)。大型連休明けから復旧・復興の勢いが加速することを期待したい。

⇒7日(火)夜・金沢の天気     くもり

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☆能登の里山に人が戻り 田んぼに緑が戻るとき

2024年05月06日 | ⇒ドキュメント回廊

  奥能登の輪島市町野町の金蔵(かなくら)地区を訪れた(今月3日)。じつに残念な光景が広がっていた。里山に広がる水田が見渡す限りで一枚も耕作されていないのだ。金蔵は2009年に「にほんの里100選」に選定されていて、「金蔵米蔵金」という独自のブランド米も有している。その田んぼ一面に雑草が伸び放題となっていた。元日の地震は能登の農村、そして農村文化までも破壊したのかとの思いがよぎった。

  同地区は現実問題に直面している。地域メディア各社の報道によると、地区の区長が3月4日に輪島市役所を訪れ、同地区内に仮設住宅を設置するよう申し入れた。金蔵では地震前に53世帯95人が暮らしていたが、現在はそのうちの70人が金沢市などへ避難し、現在は25人に減少している。避難した多くの世帯は地元に仮設住宅ができれば金蔵に戻る意向を示していると区長は説明した。

  金蔵へは毎年、大学の授業の一環として「能登を学ぶスタディ・ツアー」を企画し、学生たちを連れていっている。去年8月23日にも、現地で「地域おこし達人」として活躍する石崎英純氏から講義を受けた。そこで、田んぼが耕されていない金蔵の現状について、石崎氏に電話を入れた。このような内容だった。

   3月4日時点では25人だったが、同月中旬に水道が通るようになり、現在(5月6日時点)では60人ほどになっている。田んぼについては、地域内で36町歩(約35㌶)ほどあるが、これから田植えができるのは2町歩ほどしかない。田んぼを潤す主要なため池「保生池」を水源としているが、その用水路などが地震でかなり損傷しているからだ。行政には、用水路の補修をお願いしているが、なかなか手が回らないようだ。合せて、地域内に仮設住宅の建設を依頼しているが、まだ返事がない、とのこと。

  石崎氏の口調は穏やかだったが、行政については憤りを感じるテンションだった。地震で3割近くの家屋が損傷し、市街地へ向かう道路が寸断されたものの、今は輪島市街地へのつながる国道249号も復旧した。「若い人たちも戻ってきている。金蔵の将来を見据えた復旧・復興を話し合っていきたい」。石崎氏のこのひと言に地域復興の途に就いた、との印象を受けた。金蔵に緑の田んぼが一日も早く蘇ることを祈りたい。

⇒6日(月)夜・金沢の天気    くもり

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