私家版 野遊び雑記帳

野遊びだけが愉しみで生きている男の野遊び雑記帳。ワンコ連れての野遊びや愛すべき道具たちのことをほそぼそと綴っていこう。

本栖湖に描いたささやかな夢

2018-11-09 21:15:19 | Weblog

■ 静かな紅葉の湖を訪ねる
 紅葉の季節ながら平日の本栖湖は静けさの中にあった。
 もうかれこれ20年ほど前、ぼくはこの本栖湖にささやかな夢を描いた時期がある。60代から70代の自分が本栖湖で孤独という無限の自由ににひたりながら過ごす日々のかたちだった。

 ぼくのキャンプという野遊びは、この美しい湖とともにあった。すぐとなりの村営の素朴なキャンプ場が、ぼくのいちばん古いホームグランドである。松林のなかの、伝統的な日本のキャンプ場であり、はるか昔、アウトドア誌で人気キャンプ場のトップをとったこともあった。
 いまでは大きな駐車場ができたりして、昔とはすっかり様変わりしてしまった。それでもキャンプ場は、良くも悪くも素朴なままで残っている。

 30代のぼくにカヌーの面白さを教えてくれたのは、ともにキャンプを楽しんだ若い友人たちだった。お盆休みで混雑する本栖湖キャンプ場で彼らと何日かを過ごし、真夏の日を一艘のグラスファイバー製のカヤックで遊びまくった。
 日暮れとともに、今度はぼくが本栖湖の浜で彼らにルアーフィッシングを手ほどきしたが、魚はまったく釣れなかった。


■ いっとき荒れていった本栖湖
 30年前の5月下旬、嵐のような風雨にさらされた本栖湖でキャンプデビューしたのが、当時40代まもない女房だった。20代のとき、彼女は一度、キャンプを経験しているが、装備の貧しさと予定外の雨にたたられてすっかりキャンプ嫌いになっていた。
 以後、ぼくはのびのびとキャンプという野遊びを、たいていひとりで、あるいは若い仲間たちと楽しんでいた。きっと、ぼくがあまりにも楽しそうだったからだろう、女房が5月の本栖湖キャンプについてきた。

 当時の本栖湖は、いまにして思うと最低の環境だった。朝から龍神丸という観光船の案内に悩まされるスピーカーからの騒音はいまでも耳の奥に響いている。
 少し遅れて対岸にできたモーターボートレースの研修所のおかげで、これも朝から傍若無人のエンジン音に悩まされた。

 ウィンドサーフィンを楽しむ人々や、いまでこそ禁止になっているが、一時期は水上バイクを持ち込んだ人々で、本栖湖そのものとキャンプ場が荒れた。
 サーファーたちの大半は夜になればあらかたが姿を消すが、変わってやってきた暴走族たちが駐車場で暴れていた時期もあった。


■ ロッドもパドルもいらなくなったわけ
 5月の嵐ですっかり懲りたと思った女房が、なぜかどっぷりキャンプにハマっていた。以来、富士の裾野のあちこちで自由度の低いキャンプがはじまった。それでも、真冬も含めて、本栖湖でのキャンプが中心だった。
 だが、素朴で、管理がうるさくないキャンプ場ゆえに本栖湖キャンプ場はマナーがどんどん低下していく。とりわけ連休のときに集団でやってくる連中の傍若無人ぶりには呆れ果てたものだった。次第に嫌気がさしてしまい、60代からこの方、本栖湖でのキャンプはほとんどやっていない。

 それでも、近くを通りかかると必ず本栖湖に寄っているのは、心の聖地だった記憶がどこかに残っているからだろう。
 とはいえ、静かな本栖湖に折りたたみ式のカヌーやカヤックを浮かべ、あるいは、湖畔の浅瀬に立ち込んでルアーのロッドを振る。そんな野遊びの形を実現したいと思っていた年齢になっていたのに、この老後のささやかな夢の片鱗さえ忘れかけていた。

 カヌーやカヤックに関しては、とりわけ、嫌な思い出がついてまわった。
 ともにキャンプを楽しんでいる集団のリーダー格の人間が、ルアーやフライにハマって騒ぎ出したり、中古のカヌーを買って熱くなったりすると、必ずそれに迎合するキャンプ初心者が出てきてベテラン顔でまわりまで巻き込もうとする。
 仲間はずれになりたくない集団は無理をしてでも合わせようとする。いっとき盛り上がるが、たいていすぐに飽きてしまう。そんな事例を50代で何度か見てきた。


■ これからわんこ連れのソロキャンプが楽しめる!
 学校での「いじめ」がクローズアップされる度に、日本人の集団の性格としてこうした「みんなで一緒にやらないと怖いよ」という無言の圧力を思い出す。それが嫌で、ぼくは仲良しごっこの集団からさっさと脱けてきた。
 ルアーやカヌーが嫌いになったのも、何度か不快な出来事に直面してしまったからである。

 秋日和の本栖湖で、フライロッドを振る男性に逢った。岸辺には、折りたたみの椅子に座り、孤独なアングラーの背を見つめるパートナーの女性がいた。女性と挨拶を交わすと、ロッドを振る手をとめた男性が振り向いて笑顔で挨拶を送ってきた。
 彼らはまだはるかに若いが、ぼくも老後はこんな日々を送りたかったのだと久しぶりに思い出した。

 となりにいる女房に、そんな昔の夢の話をして、「また本栖湖でキャンプしようか」と提案したら言下に拒否された。
 ぼくは、一緒に歩いているわが家のわんこに語りかけた。
 「ルイ、今度、ふたりでここへきて、キャンプしながら遊ぼうな」
 ルアーもカヌーもないけれど、久しぶりに自由気ままな楽しいキャンプになりそうだ。思わずしびれるような快感が全身を駆け巡った。


いちばん幸せなのはだれだろう

2018-05-03 15:02:45 | Weblog

■ 動機なんかなんでもいいのさ
 4月末からの大型連休で、今年、ようやくキャンプに復帰した。
 正月以来だから、おおむね4か月ぶりということになる。さまざまな事情が重なって、4月28日から30日までの2泊3日の日程だった。
 幸いにして、3日間とも好天に恵まれ、初夏の素晴らしいキャンプを堪能した。まわりは若いキャンパーばかりだったが、今年も素晴らしい出逢いがあった。

 いまのキャンプは、グループで出かけていって酒を飲んで夜中まで大騒ぎをする迷惑な宴会キャンプは影をひそめ、家族単位で楽しむ健全キャンプが主流になっている。
 キャンプ場は、昨今のブームを反映して、若いファミリーがひしめき、ロートルのこちらは居心地が年々悪くなってきた。それが少なからずうらめしい。

 前回でも書いたが、あるタレントのキャンプスタイルが同年代のファミリーをキャンプに駆り立てているらしい。このタレント、もう終わっている人と思っていたら、また、復活してきた。
 たしかに、お笑い芸人やらホストっぽいタレントたちが幅をきかせるテレビ界にあって彼は異色だ。しかも、奥さんは元アイドルにして、いまや現代風理想の良妻賢母である。きっと、彼らの「家族愛」が同世代のファミリーの琴線にふれたのだろう。



■ バーベキューを楽しむキャンプ
 家族でキャンプを楽しむというスタイルは、非日常で寝食を共にできる究極の遊びである。とりわけ焚火を囲んでのバーベーキューはファミリーでのキャンプにはピッタリだ。
 子供の成長とともに、彼らの大半がキャンプを卒業していくだろう。だが、バーベキューが楽しいうちはまだだいじょうぶだ。

 焚火奉行のお父さんが、焼けた肉や野菜、魚介類を家族それぞれの皿に取り分けていく。ここには「父権」がある。場を 仕切っているのはお父さんである。子供たちの好みから、食べる分量、焼け具合までを熟知していて、不公平のないように巧みに配分していく。

 町の焼肉屋でそんなお父さんをときおり見かける。肉を前にしてひとりテンションを上げているお父さんが次々と追加を注文して網の上を賑やかにする。
 となりにはゲームに夢中でシラケている男の子がいる。かと思えば、こっちの席では、「パパ、このお肉、すごくおいしい!」と大声で叫ぶ幼稚園児くらいの女の子がいて、思わずこちらの頬もゆるんでしまう。


■ 頼もしいお父さんがいる
 キャプのフィールドだと、街の焼肉屋と違って最初から全員のテンションが高くなってるから楽しくないわけがない。キャンプで食べる焼き肉は、町の焼肉屋のそれよりもはるかにうまい。なんせ、アウトドアという隠し味が濃密だからだ。

 キャンプでのお父さんはやたら頼もしい。
 設営のときから主役はやっぱりお父さんだ。作業用の黒いグローブがまぶしい。テキパキとテントやタープを張り、自分たちのサイトを作っていく。あの黒いグローブを、ぼくもさっそく買うつもりだ。

 バーベキュー用の火熾しだってお父さんはソツがない。トングの扱いは町の焼肉屋のときよりもはるかにカッコいい。横からお母さんがあれこれ指図しても無言で作業を進めていく。それだけでも非日常なのではあるまいか。お父さんが真に男の姿を見せることができる場こそがキャンプである。
 その姿は、火を手に入れた原初の人類にも共通するだろう。かくして、忘れることのできない家族の思い出がまたひとつ刻まれる。



■ お母さん、あなたは……
 若いころのぼくのキャンプは、たいてい、ひとり孤独を愉しんでいた。山の中の渓流のほとりにツエルトを張り、漆黒の闇の中で小さな焚火にあたっていると、イヤでも孤独を痛感する。孤独は、そのときどきで心地よかったり、心細かったり目まぐるしく変わる。それがまたよかった。

 野生の小動物たちがそんなぼくを草の向こうからときどき見ているのも気配でわかる。フラッシュライトを向ければ、彼らの目が光り、居場所を教えてくれるだろう。だが、むろん、そんな無作法な真似はしない。
 彼らが襲ってくるはずはないが、見張られているというちょっとした緊張感が悪くなかった。

 だが、もう、ぼくのような被虐的なキャンプは時代遅れだ。
 キャンプへきて、家族のためのバーベキューに集中するあまり、寡黙になっていくお父さんの雄々しさに共感する。若いお父さんみずからがお父さんであるのを証明する姿をまのあたりにして、あらためて「いいな」と心から思う。
 
 お父さんたちが黙々と活躍する夕飯どきの時間帯は、なぜかお母さんたちの甲高い声があちこちから響いてくる。「ほら、こぼれるでしょう」「好き嫌いするんじゃないの」「黙って! 静かにしなさい!」……。
 お母さん、あなたがいちばんにぎやかなのですけど。ひらたくいうとうるさいのですよ。でも、家族のだれよりも、いま、あなたがいちばん幸せなのでしょうね。

キャンプに焚火が復活した裏側

2018-01-11 21:56:23 | Weblog
■ 新たな焚火ブームの到来か?
 もう15年越しになる伊豆での年越しキャンプである。今年はとりわけ楽しみにしていたことがいくつかあった。そのひとつが、昨年から気になっていた最近のキャンプスタイルが、冬を迎えても健在かどうかだった。

 11月のキャンプでは、ずらり並んだ各サイトで共通した現象を見つけて流行のすごさに驚いた。テントの前に、あるいはタープの下にそれぞれにさまざまな焚火台が置かれ、お父さんが陣取っている光景だった。

 キャンプに焚火はつきものだから不思議に思うほうがどうかしているのかもしれない。ぼくだって若いころは焚火がしたくてそそくさとキャンプに出かけていたものだった。

 オートキャンプなる言葉が定着して、直火の是非をめぐってアウトドア誌の誌上で論争になった時代もあった。多くのキャンプ場が「直火禁止」を打ち出し、アウトドア用品店の店頭には「焚火台」なる製品が出現した。

 夜、晩ご飯を終えると拾ってきた焚き木を焚火台で燃やしながらのんびり過ごす。それもキャンプの楽しみだった。春や秋のキャンプだと焚火の暖かさが身にしみた。冬のキャンプでは焚火が不可欠だった。

 特に冬は、焚火台なんかの野暮な道具は使わず、直火のできるキャンプ場が恋しくなった。冬の焚火も身体の前のほうは暖まるが、背中は凍えていた。顔がやたら火照ったものだった。背中を焚火に向けると、火照った顔や身体の前面がすぐに冷えてしまった。いまとなってはいい思い出である。


■ やっぱりキャンプには焚火だけど
 焚火だけに頼っていた冬のキャンプを楽にしてくれたのがスクリーンタープの出現だった。それまでの厳冬期のキャンプはやっぱり厳しかった。焚火だけでは身体が冷えたままだったから、寝る直前にクルマを走らせて近くの温泉などへいった。温泉で温まった身体が冷えないうちに寝袋へもぐりこんでいたものだった。

 スクリーンタープが誕生して冬のキャンプは劇的に変わった。石油ストーブまで持ち込み、Tシャツ一枚で過ごすキャンパーを見たときにはいささか呆れて言葉を失った。

 いまではキャンプ用品のメーカーまでキャンプ用の石油ストーブを発売している。テント用の薪ストーブにいたっては、いくつものメーカーから出ているらしい。

 ぼくはといえば、石油ストーブや薪ストーブではないまでも、ガスカートリッジを燃料とするストーブや電気ストーブを使っている。しかも寝るときは床にホットカーペットを敷いている始末である。そんな軟弱ぶりだから焚火ともずいぶん遠ざかってしまった。

 11月連休のキャンプで気がついたのが、焚火を愛好するキャンパーの激増だった。それが年越しキャンプでも健在だったのである。屋外の寒さをものともせず、彼らは焚火台を囲み、焚火で夕飯を作ってるらしい。

 見るともなしに見たところ、たいていバーベキューのたぐいの焼き物が中心なのは、やっぱり調理器具が煤で汚れるのがイヤだかかもしれない。しかも、お父さんが焚火奉行として君臨しているのはどこのサイトにも共通していた。


■ 煙の移り香がたまらない
 最初、この人たちは、河原でのバーベキューからキャンプにやってきたのだろうと思った。世間の多くが、「キャンプ=BBQ」だと勘違いしているほどバーベキューが盛んだからである。

 焚火台の前でお父さんが火の番をしながらという風景は、昔の「いろり」を連想できる。実際のそうした生活を見たことはないが、話には聞いている。そうか、このスタイルは山深い雪国のいろりばたが原点だったのか。日本のバーベキューのブームはそんな郷愁を呼び覚ましたようだ。それもまたいいじゃないか。

 そそっかしくも勝手な感慨に酔いしれていたら、どうやらそうではないらしい。なんでも、もう終わったタレントが、キャンプにハマり、このスタイルを広めたのだという。たちまちシラケた。

 まあ、流行なんてそんなもんだろう。
「今年は薪の消費が異常なんだよね。いくら用意してもすぐ足りなくなる」と不思議がっていたキャンプ場のオーナーに、ぼくは「みんな薪ストーブを楽しんでいるんだね」なんて見当違いの感想を言ってしまったのを思い出して赤面した。

 さて、このブームはいつまで続くのだろう。
 焚火につきものなのが着ている服や髪に染みつく煙のにおいである。ぼくはこれが大好きで、キャンプから帰ってずいぶん経ってからでも、たとえば、マウンテンパーカからそこはかとなく焚火の煙のにおいがしてくると、フィールドが恋しくなり、いてもたってもいられなくなるほどだ。

 しかし、多くの人がこのにおいを毛嫌いしている。たしかに田舎くさい。
 終わったタレントが広めたという焚火台を使ったいろりばたキャンプが、キャンプの新しいスタイルとして定着するか見守っていきたいが、煙のにおいにハマった人が多ければ確実に定着していくだろう。

ベストシーズンにキャンプデビュー

2017-11-01 23:54:26 | Weblog
■ いまがベストシーズンだけど
 場所にもよるが、ぼくは10月から11月にかけてがキャンプのベストシーズンだと思っている。まさにいま現在である。
 日没時刻は早まっているがその分、秋の夜長が楽しめる。ランタンの光と心ゆくまでつきあえる。何よりも焚火がおいしい。暖を取る焚火ではなく小さな炎をぼんやり見つめて過ごすのにちょうどいい。台風のおかげで薪の調達も容易だ。朝はみごとな紅葉にうっとりすることもできる。
 夏のキャンプだと用心しなくてはならない吸血昆虫の心配はもうない。ランタンや焚火を目指して飛んでくる虫たちの襲撃さえ鳴りをひそめる。

 日曜日、突然、こんな質問を受けた。
 「この週末の連休に群馬のほうへキャンプに誘われているのですが、どんな服装をしていったらいいでしょうか」
 まだ、30そこそこの若い男性である。はじめてのキャンプながら、バンガローやキャンピングカーを利用するのではなく、テント泊だという。いいかえれば、ベストシーズンのキャンプデビューというわけだ。
 ベストシーズンではあるが、はじめてのキャンプとなると懲りるひともいるかもしれない。 

■ 11月だから寒いに決まってるさ
 「標高はどのくらいのところなの?」と訊ねてもわからなかった。どこのキャンプ場へ連れていってもらうのかも知らないでいる。まあ、群馬で標高が高ければキャンプ場そのものが春まで閉鎖されるだろう。標高はたいしたことがないだろうが、北関東にある群馬なら寒さ対策は真冬に準じておいたほうが無難である。
 経験者に連れていってもらうわけだから、スリーピングバッグやらマットなどをあれこれいう必要はない。彼の質問にそった服装の注意点だけでいいだろう。

 まず、彼の最初の質問は、「やっぱり、厚手の靴下とダウンのジャケットはあったほうがいいでしょうね?」というものだった。そりゃそうだ。あるにこしたことはない。ほかにはフリースのジャケットもあるといい。
 とにかく、帽子をかぶり、首にマフラーを巻きなさい。間違ってもジーンズははきなさんな。冬用のズボンにモモヒキを持参しなさい。シャツはウールがいいけど、なければ100%綿の製品よりも化繊の素材が入っているほうがいい。
 
 寝るときも首回りから外気が入らないよう、スリーピングバックの首回りを着替えなどでガードするといい。もし、寒さが厳しかったら、寝袋の中で暖まった空気が動いて漏れないように着替えなどを引っ張り込んでおくのもいい。思いつくままそんなアドバイスをした。
 「それだけやったら寒くないですか?」という質問には、「11月のアウトドアだよ、寒くないわけがないでしょう」と答えるしかない。11月の戸外は東京だってやっぱり寒いじゃないか。
 たとえば、スクリーンタープの中に石油ストーブでも持ち込めば、そこにいるだけならTシャツで過ごせるだろうが、一歩でも外へ出れば陽気はやっぱり11月である。夜は冬同様に寒いだろう。 

■ とりあえずは楽しんできてほしい
 どんなスリーピングバッグなのか、床のマットはどんなものを使うかなど、知りたいことはあるが、それ以上の寒さ対策は彼の友人にお任せしよう。
 ただ一点だけ、「テントで寝るとき、地面からの冷えのほうが切実なんだよね。マットは用意してもらえるだろうけど、もし、なかったら段ボールを敷くだけで効果はあるよ」と教えた。
 「そうなんですか。ホームレスの人たちがダテに段ボールを使って寝ているわけじゃないんですね」
 彼はしきりに感心していた。
 
 群馬でのデビューキャンプから帰ってきてからの彼の感想を聞いてみたい。もし、ハマったとしても、「熱くなってあれこれ散財しなさんな。若い人はたいてい2年か3年で飽きる人が多いから」とたしなめてやりたい。
 週末、天気はもちそうである。彼のはじめてのキャンプが、やや寒いながら楽しい思い出となってくれることを祈りたい。

キャンプ道具を偏愛する

2017-10-11 21:22:20 | Weblog

■ ずっとテントにこだわりたい
 今年も紅葉狩りキャンプへ出かけることができた。
 春も秋も、たとえ同じころであっても景色は毎年同じではない。春ならば、桜の開花時期にバラつきがあるし、秋ならば落葉樹の色づく時期に狂いが生じる年がある。今年は、シラカバの黄葉にまだ早かった。だが、ツタの見事な紅葉はため息が出るほど美しかった。

 カラマツが黄金色に染まり、一陣の風に秋色に染まった葉がくるくるとまわりながら落ちてくるとき、夕日を浴びた金糸銀糸が乱舞する光景に魅了されたのは、30年前、白州から30分ほど山に入った林道の脇だった。
 またあの感動にめぐり逢いたいと、秋になると思う。だからキャンプはやめられない。まれにではあっても、都会にいては味わえない感動と遭遇できるからだ。

 とはいえ、すでにこの高齢(とし)でいつまでキャンプをやっていられるのだろうか。今年の調子なら来年もなんとかなるかもしれない。だが、再来年はわからない。歳をとるのはしかたないが、体力的にキャンプができなくなるのがなんとしても悔しい。
 キャンピングカーを勧めてくれる人もいるが、テントを張り、大地に寝てこそキャンプだとこだわり続けてきた。テントが大儀になったら潔く引退したい。

 いまのところは、まだテントを張る体力は残っているので、手持ちのテントの中でいちばん設営と撤収が面倒(いかんせんペグの数が多い)なテント一式をクルマに積み込んで秋のキャンプへ出かけた。
 先月の戸隠でけっこう寒い夜を経験しているので、やっぱり10月の高原はタープよりもシェルターのほうがいいやと思い、スノーピークのリビングシェルを選んだ。


■ やっぱり設営は楽しい
 さて、問題は季節柄どこでキャンプをやるかである。暖かい伊豆のキャンプ場へいきたいと思ってキャンプ場のウェブサイトを見ていたが、人気のキャンプ場だけあってこの時期でも混んでいるらしい。しかたなく信州へ向かって走った。

 敬老の日がらみの三連休だから混雑は覚悟の上だ。しかし、出発が遅かったせいだろう、高速道路の連休渋滞はすでに解消している。小雨模様の天気も回復しつつあった。
 のんびり走ってキャンプ場への到着も昼を大きくまわっていた。最近はこの傾向が続く。まあ、年寄りだから急ぐことはない。近年、何度目かのキャンプブームでどこもかしこも混んでいる。めざすキャンプ場の片隅に設営できればいいやと覚悟しているから気楽だった。

 さすがに10月だけあって想像していたよりはすいている。やれやれである。雨も上がって、寒さもさほどではない。午後2時、昼飯抜きで一気に設営にかかる。
 今回はペグで膨らませているような設計コンセプトのテントながらやっぱり設営は楽しい。このリビングシェルとインナーテントの組み合わせはもう10年あまり使い続けてきてだいぶへたり気味になった。

 年越しキャンプでこのリビングシェルの二か所の出入り口のファスナーが同時にいかれてしまい、春先、修理に出している。インナーテントを提げるシェルター内のゴムも伸びきっていたのでついでに交換してもらった。いまや、手持ちのテントの中でも古い部類に属する。



■ 満身創痍のシェルターながら
 修理のとき、10年あまり使っているというので、ショップの若い担当者は、「もう、じゅうぶん使ったじゃないですか」とあきれていた。「そうね、キミよりこいつのほうがキャリアは長いぜ」といいたいところをぐっと抑えて修理をお願いした。
 インナーテントを覆うフルフライシートも、数年前、キャンプ中にカギ裂き状に破れているのを見つけ、これも修理に出している。満身創痍のリビングシェルながら値段が高いだけあって幕体の素材や縫製がいいからまだしばらく使えそうだ。

 生地が厚いのでかさばるし、重いのはしかたない。このメーカーのテント類は年を追って大型化しているが、ぼくにはこのモデルが限度である。
 いまはシェルターとテントを一体化した製品が主流らしいが、持ち上げるのさえひと苦労だし、ワンボックスカーでないと積み込むのも大変だろう。クルマを使ってのキャンプが主流になっている昨今、テントに軽量を求めていないのが如実にわかる。

 たいていの場合、いわゆるオートキャンプといわれるクルマを使ったキャンプの初心者は、まず、大きなテント類を買ってすぐにもてあまし、次第にコンパクトになっていく。
 もうひとつ、現実の実生活の様相はともかくとして、キャンプくらいはオシャレでリッチに演出したいという理由からだろう、最近のキャンプ場はかなりケバくなった。むろん、オシャレやリッチの演出もキャンプの楽しみ方だし、時代の流れだから批判する気はない。

 ただ、わが家のように古い道具も混じったサイトだと肩身がせまい。つい、人目に触れるのを避けようとする。
 あえて、商業主義にカモられているとはいわない。むしろ、キャンプがオシャレでリッチになっていくのは大賛成だ。刺激的なキャンプ用品が次々リリースされているからである。
 反面、シンプルな装備でスマートにキャンプを楽しんでいる人を見ると、これぞベテランの味だと感心してしまう。



■ キャンプ道具が好きだからね
 心のどこかに昔のようなシンプルキャンプに回帰したいとの思いはぼくにも残っている。しかし、シンプルキャンプをいまの、ケバくなっているキャンプ場で実践したら、ベテランのシブい味を持っていないぼくだと貧相でしかない。
 やるなら、オートキャンプ場は敬遠して、昔のようにキャンプ場ではない、渓流のほとりや林道から少し下った場所など、自分だけのサイトにかぎる。ただ、いまもあの秘密の場所が安泰かどうかは悲観的だ。

 シンプルキャンプでないわが家の場合、クルマの後部の荷室のみならず、屋根にまで荷物を満載して出かけていく。決してオシャレやらリッチに見せたいからではない。ぼくの本来のキャンプのイメージがどうしても荷物を多くしてしまうのである。
 たとえば、複数のガソリンランタン、使い古したジャグ、複数のダッチオーブン、焚火台、etc.。今回のキャンプでは、安物ながらローテーブルをゲットして持ち込んだ。これからは鍋ものの季節である。このテーブルを使えば、椅子から立って食べなくてもいい……な~んて言い訳をしながら買った。

 10歳の夏の初体験から60年間、キャンプ一筋で生きてきた。シンプルキャンプにあこがれてはいても、キャンプ道具にかぎらず、日常的に物欲に支配されている人間は、きっとキャンプでも死ぬまでベテランの境地にはたどり着くことができないだろう。
 玩物喪志。物にこだわり過ぎていると本来の志を失う。そんな意味だ。若いころから、物欲をおさえたいときに口にしてきたお題目である。それにもかかわらず、ぼくは実生活でも三流のままで生涯を終えようとしている。いくら「玩物喪志」のお題目を唱えても、さっぱり抑制のご利益がなかったからだ。

 でも、いいさ。好きなキャンプ道具をもてあそんでいるときだけが幸せなんだから。もちろん、悔いなどまったくないまま70代を迎えている。

台風におびえながら戸隠へ

2017-09-28 21:15:48 | Weblog

■ 20年ぶりに戸隠でキャンプ
 9月18日の敬老の日がらみが三連休になるので、15日に一日だけ夏休みをもらって四連休として長野の戸隠へキャンプにいってきた。大型台風が列島をうかがっているさなかの遅い夏休みだった。
 50代のはじめ、9月のキャンプに安曇野を目指した。穂高にはじまって、いいキャンプ場を見つけることができずに白馬に到り、ええい、ままよと鬼無里を越えて夕闇迫る村営の戸隠キャンプ場に落ち着いた。

 すっかり気に入って、10月には徹夜で走って出かけた。記憶によると、翌年の5月にもいったらしい。さすがに戸隠あたりまでいくとロケーションはすばらしい。ただ、やっぱり遠いという理由で、以後、敬遠してきた。まだ50そこそこでも、運転するぼくよりも同乗している女房が音を上げてしまった。

 戸隠には二つのキャンプ場が鼻を突き合わせている。ひとつは村営の戸隠キャンプ場、もうひとつは鬼無里の林業会社が経営する戸隠イースタンキャンプ場である。
 20年前は村営のほうしか使っていない。ちょっとのぞいてみたもうひとつのイースタンは、木立もあって雰囲気は理想的なキャンプ場に見えるというのにガラガラだった。なぜだろう? 不思議だった。
 
 理由はトイレだろうと思った。村営は水洗、イースタンは昔ながらのトイレだからだ。ちょっと前までにキャンプ場ならポッチャントイレは当たり前だった。しかし、20年前だともう通用しなくなっていた。今回、20年ぶりにキャンプ場の情報を見ると、イースタンにもきれいな水洗トイレができたという。それならというので迷わずイースタンを目指した。
 村営もイースタンも、オートサイトなら予約不要、早い者勝ちというのがいい。なんせ初日の金曜日は休みを取っているである。


■ あえて苦言を呈す
 念のため、現地へ入ってからイースタンと村営の場内にクルマを乗り入れ、見比べてみた。女房もひとめでイースタンの雰囲気が気に入った。サイトは上の写真のように芝草と雑草に覆われており、適度に木々があって自然の中にいるという雰囲気が濃密だからだ。

 村営も20年前に比べると問題にならないくらいリニュアルしていた。その分、野性味がますます薄れ、つまらないキャンプ場に見えた。
 イースタンの新しいトイレも外から見た。建物はログハウス風できれいだ。これでキャンプ場として村営に勝るとも劣らないから互角に勝負できるだろうと思えた。
 
 しかし、チェックインをすませ、設営場所を探してすぐにイースタンが村営に比べて不人気だったのは、ほかにも理由があるらしいと気づいた。
 草に覆われたサイトはいたるところけっこうデコボコがあって、一見、平らに見えるところでも、近づいてみるとなだらかとはいえ微妙に傾斜している。むしろ、ほとんどが傾斜地といってもいい。場所によっては、雨に降られたら水浸しになりかねない。

 慣れた人なら気にならない程度の傾斜でも、やっぱりお金をとるキャンプ場ならもう少し手をかけないと客はきてくれない。せっかくトイレもウオッシュレットにしたのである。かんじんのサイトへの気遣いもほしい。それなりの料金だからだ。


■ ペグが通りにくい理由
 もっと不思議だったのが、ペグが刺さりにくい場所があることだ。打ち込もうとするとすぐに石にじゃまされる。けっこう苦労して設営してから場内をまわって理由がわかった。

 ここは直火が可能なのであちこちに草が燃えた痕跡がある。焚火痕はやがて地面を露出させ、雨で泥が流されて窪みができる。そうした焚火痕をはじめ、場内の痛んだ窪みをキャンプ場はわりとマメに修復している。

 その姿勢はいい。ただ、修復のやり方が問題なのだ。バラス(砕石)を敷いておしまいなのである。バラスを置けばいずれ表面は土に覆われる。ただ、そうと知らないキャンパーがペグを打ち込もうとしても、よほどしっかりしたペグを使わないと地中に隠れたバラスにじゃまされてしまう。最強といわれているスノーピークのソリッドステークでさえ往生した。


■ 台風の影響を懸念して逃げ出す
 最初は三泊のつもりだったが、台風の影響が二日目の夜から出るというので、一泊で切り上げて東京へ戻ってきた。現地ではスマホ(au)でのインターネットがほとんどつながらず、台風の情報はラジオに頼るしかなかった。そうなると、台風の動きがまったくわからなかった。

 われわれが撤収するのと入れ違いに土曜日からの三連休となってテントの数が増えていった。ええっ? 台風はどうなったのだと思ったが、雨の中でのキャンプは避けたかったし、もしかしたら台風の中の帰京となるかもしれず、最悪の場合、高速道路は通れないかもしれない。

 帰り道、関越道の途中で雨になった。撤収は正しかったらしい。家に戻り、台風がまだ九州へ上陸さえしていないのをようやく知った。ちょっと風雨の強い一日余りをがまんすれば、最終日は晴れた空の下で撤収ができたかもしれない。
 それでも未練はなかった。進路がよくわからない台風にビビりながらのキャンプはやりたくない。一泊とはいえ、おいしい戸隠蕎麦にありつけたし、20年前の戸隠で愛してやまなかったバードライン沿いのカフェ・チェンバロにも立ち寄れた。

 ただ、やっぱり片道の300キロは、とりわけ70をいくつか過ぎたぼくにとっては遠かった。一度いってみたいと思っていた戸隠イースタンキャンプ場で、一泊とはいえキャンプができたのである。それだけで満足している。


欲しかったタープがやってきた

2017-08-30 21:23:02 | Weblog
■ きれいな蛾のお客さん
 今年は天候の不順な年である。もう、記憶も遠のいているが、最低の夏だった。その割には予定したキャンプが、中止にはなっていない。幸運な年だった。5月にはじまり、梅雨の6月はさすがに予定していなかったが、7月、8月、9月とキャンプに出かけることができた。
 
 8月は、吸血系の昆虫に悩まされる確率が高く、夏休みでやたらにぎわうので、例年ならキャンプを控えてきた。今年出かけたのは、もうあと何年も野遊びはできないだろうから、まだ身体がいうことをきいてくれるうちにやっておこうというささやかな打算があったからだ。
 
 想定どおり、8月も後半とはいえ、人気キャンプ場にキャンパーの数は多かったが、夜中まで騒ぐようなマナー違反は見当たらず、なぜか午後9時ごろには消灯して寝てしまう家族がほとんどだった。むしろ、午後10時過ぎまでランタンを煌々と点けているほうが気が引けた。

 ほかのサイトが早々と消灯してしまうから、いつまでもランタンを灯していると虫たちがどっと寄ってくる。真夏だから当然である。
 都会ではお目にかかれないようなきれいな蛾がランタンの灯りに集まってきたりするのを見ると、真夏のキャンプも悪くないと思えてくる。

■ 女房の淋しくも心強いひと言
 明らかに、キャンパーたちの様子が変ってきている。ファッションも、たぶん、雑誌の受け売りだろうが、けっこう画一的である。それにひきかえ、テントやタープの流行は目まぐるしい。次々と新製品が登場し、それらを使っているキャンパーを見ていると、「いいな、あれ!」という製品がいくつも目につく。
 
 とはいえ、どうせあと何年も野遊びができる年齢ではない。そう思って、今年は新しいキャンプ道具は買わずにきた。だが、8月のキャンプを前に魔がさした。スノピのタープ、シールドヘキサエヴォProを買ってしまったのである。

 あんまり人気がないのか、キャンプ場で見たことがない。雑誌だかウェブサイトで見つけてからずっと欲しかったタープである。でも、迷った。
「もし、一度しか使わなくたって買えばいいじゃない。もう、あと何回キャンプができるかわからないんだから」
 女房の男らしい(?)ひと言で買った。8月のキャンプは新しいタープのお披露目となった。といっても、だれかに見せるわけではない。いつもどおりただの自己満足にすぎない。


■ サイトを選ぶサイズに愕然
 最近、テントはモンベルのムーンライト5と7を使い分け、タープはビッグタープHXか、ユニフレームのREVOタープを使っている。モンベルのアストロドームもあるが、設営に手間取るのであまり使う気はしない。
 10年使っていたスノーピークのリビングシェルとインナーテントの組み合わせは年越しキャンプ専用に落ち着いてしまった。
 
 寒い時期以外、リビングスペースはアストロドームやリビングシェルのようなシェルターよりも、タープのほうが開放感があってはるかに快適だ。ランタンに虫が集まってくる夏でもランタンの位置を工夫すればすむ、というより、夏なのだからしかたのないとあきらめればいい。
 8月のキャンプでは、明かりの下で作ったバターライスに二度も虫が飛び込んできた。夏なのだからしかたない。
 
 8月、夏休みの混雑も一段落した後半で金曜日に休みを一日とり、シールドヘキサエヴォProの張り初めに出かけた。あまり深く考えずに区画サイトのキャンプ場を選んだのは、これまで何度も使っていたからだった。
 着いてから管理事務所で空いているサイトを教わり、見てまわって愕然としてた。あらかたの区画がこんなに狭いとは思わなかったからだ。というより、新品のタープが大きすぎたのである。


■ いずれ補助ポールも使ってみたい
 それでもなんとか新しいタープをぎりぎり張れるサイトに落ち着いた。大きさもさることながら、雨や日差しを遮ることができる有効面積はさすがにたっぷりある。そういう形だからだ。
 スノピのタープは、ヘキサゴン型を15年ばかりに使っていた。形はきれいなのだが、形状ゆえに有効面積がショボかった。最近のスノピのヘキサについては知らない。

 ヘキサのタープを使うとき、ぼくは補助ポールを使うのに抵抗がある。ヘキサの美しいフォルムを損なうからだ。とくにスノピのヘキサに補助ポールを噛ませるのは醜悪だ。それなら最初から長方形のレクタタープを使えばいい。

 だが、REVOも、このエヴォProも、補助ポールを使ってヘキサのように使うことも想定したコンセプトになっているらしい。たしかに3本目、4本目のポールを使ったからといって、本来の美しさが損なわれはしない。
 換言すれば、単体としてのフォルムの美しさよりも実用性を重視しているからである。つまらないことにこだわらずに補助ポールを使ってみようと思っている。すでに準備はしたがまだやっていない。


梅雨明け十日とはいうけれど

2017-07-21 23:09:09 | Weblog



■ せっかくの三連休だから濡れてもいいや
「梅雨明け十日」という言葉を知ったのはかれこれ35年ばかり前、三十代のなかばだった。教えてくれた古参のキャンパーは、濡れたカッパのフードから滴る水滴で顔を濡らしながら、空を仰いで「梅雨明け十日っていうのに、おかしい!」と悔しそうに嘆いた。

 梅雨が明ければしばらくは安定した晴天が続くというのが「梅雨明け十日」の意味らしい。だが、あのころも梅雨は明けてもすぐに崩れやすい空の日々が続いてた。前の年は、8月になってもシトシトと長雨が続き、梅雨がなかなか明けなかった。以来、気になって「梅雨明け十日」を気にしながら夏を迎えてきた。

 今年、7月17日(月)の海の日がらみの週末は、15日(土)からの三連休となったので、5月の大型連休以来のキャンプを早々と予定した。伊豆のキャンプ場へいきたかったのだが、さすが人気キャンプ場である。梅雨だというのに早々と満員になっていた。
 しかたなく、信州にいくことにしたが、どこであれ、やっぱり空模様が気になる。
 最初は梅雨の中休みを期待した。しかし、天気予報は芳しくなかった。九州地方の豪雨とは裏腹に、関東は空梅雨気味の今年、海の日をからめた週末の三日間の予報は曇りであり小雨という梅雨空そのものである。
 この時期、「曇り時々雨」のマークが並ぶのは毎年のこと。きっと気象台も、さすがにどうなるかわからないのでとりあえず出しておく予報なのだろうとしか思えない。

 5月初め以来、ふた月ぶりのキャンプなので多少の雨でも出かけるつもりになっていた。関東甲信越の梅雨明けはだいたい7月の21日くらいが目安になる。それより一週間ばかり早く連休となったのが今年の不運でしかない。小雨でしかもときどき降るくらいなら濡れてもいいと覚悟を決めた。
 もしかしたら、雨はふらないかもしれない、とも。予報が大雨に変わったり、雷雨で荒れそうなら逃げ帰ってくればいい。これまでだって、何度となく尻尾を巻いて逃げてきた。
 メリットもある。雨の予報なら、キャンプにいこうなどと思う人間も限られてくるだろう。その分、静かなキャンプが楽しめる。



■ 高原なのに珍しく湿度が高い
 前日の金曜日になって、天気予報は劇的に変わった。太陽のマークと曇のマークが重なった三連休となったのである。「関東甲信越は梅雨明け宣言が出るかもしれない」というネット情報も読んだ。
 濡れずにすんでうれしい反面、せっかくの静かなキャンプができなくなるかもしれないという身勝手な心配さえはじめていた。

 海の日が一週間遅くなって小学校の夏休みに重なると、このキャンプ場は5月の大型連休のころより混雑する。たしかに標高1,300メートルの高原の5月はまだ寒い。朝起きたら雪が積もっていたという年もあったそうだ。
 ぼくたちも5月の寒さに震え上がって以来、真冬に近い装備で出かけているのに、寒さと曇天に辟易して一泊で切り上げたことさえあった。しかし、7月ともなればさすがに夏である。年によっては木々の緑がまだ少し浅いということもある程度だった。

 すっかり深緑に包まれた今年のキャンプ場へ着いたのは午後2時近かった。テントの数はゴールデンウィークの半分程度だろうか。やっぱり夏休みに入っていない連休の人出はゆるやかである。
 子供たちの声がないわけではないが、ときたま見かける子供も就学前の年齢とおぼしき子供たちが圧倒的である。夜も、夜陰に興奮して騒ぐ小学生がいないから夏のキャンプとは思えないほど静かだった。

 夏の陽気はめまぐるしく小さな変化を見せた。初日は明らかに湿度が高かった。ときおりだが、強い風が吹き過ぎていく。その風が湿った生暖かい大気を運んでくることがあった。高原にいるというのに肌がベタついた。シャワーを浴びにいくのも面倒なので寝る前に、タオルを濡らして身体を拭いたくらいである。
「梅雨明け十日は天気が安定しないよ」などと軽口を叩いていたのは、てっきりもう梅雨が明けていると早合点していたからだった。直前で見た天気図だと、日本列島付近から梅雨前線はかき消えていたからだ。



■ 雷が暴れないと梅雨は明けなかったんだ
 キャンプの期間中は理想的な天候だった。最終日は朝から曇っていて、撤収を終えるころに日差しが戻ってきた。おかげで涼しい中で撤収の作業ができたし、テントやタープも最後にちょっと風に当てれば乾いてくれた。早めに撤収作業をはじめたので夏の日差しに肌を焼かれることもほとんどなかった。
 以前だったらこのまま夏休みをとって、あと二泊くらいしていたかもしれないが、今年は休み明けから仕事が待っている。それはともかく、今回はせがれもつきあわせたのでやっぱり二泊三日が限度だった。

 撤収を終えて現地を出発したのが10時30分。いつもより2時間ほど早い出発である。三連休とはいえ、初日から一泊したキャンパーの半分近くが二日目で帰っていった。
 前の晩遅くに着いて、ランタンやクルマのヘッドライトを頼りに大々的に設営した若い家族も二日目の昼過ぎには撤収していった。そういうキャンプがあってもいいだろうが、さぞやお疲れさまだからさすがに年寄りにはマネできない。

 東京へ戻り、ひと息ついてようやく関東甲信越ではまだ梅雨が明けていないと知った。現地ではぼくたちのスマホが圏外であり、下界のどこからかかろうじて漏れてくる電波を拾ってインターネットにつながっている状態だったのでほぼ3日間、情報貧困者に陥っていた。
 梅雨明け前にありがちな雷雨の予報を受けて出かけた18日、都心では場所によって大きなヒョウが降ったし、ぼくの会社のある飯田橋でも激しいにわか雨に見舞われた。雨は瞬く間に上がって夏の日差しに変わり、翌19日、関東甲信越の梅雨明けとなった。

 そうだった。雷が暴れあとにようやく梅雨が明けるのが関東甲信越の梅雨の姿だった。この梅雨明けの洗礼をキャンプ場で受けずにすんでよかったとしみじみ思う。「梅雨明け十日」よりも、梅雨明けそのものの暴虐ぶりを忘れないことのほうが大切だった。


3冊めのバイブルと出逢う

2017-07-01 11:35:10 | Weblog
■ 道具を使う喜びの旅
 久しぶりに楽しく、有益なソロキャンプの本とめぐり逢えた。迷わず電子版を選び、タブレットに収めたのは、街にあって、ふと、アウトドア心に火がついたときに即刻フィールド気分を味わいたかったからだ。

 若いころ、芦沢一洋さんの『バックパッキング入門』に衝撃を受け、コリン・フレッチャー『遊歩大全』とともに2冊をバイブルとし、雑誌『Outdoor』をむさぼり読んできたぼくにとって、バックパッカー・堀田貴之さんはずっとまぶしいほどの存在である。
 堀田さんのすばらしさは、日本という風土にとけこんだバックパッキングの旅を楽しんでいる姿である。しかも、衣食住のすべてにおいて個性的だ。いや、センスが光る。

 バックパッキングの旅は道具を使う喜びでもある。堀田さんが開発したムササビウイングも遊歩を主としたソロキャンプにはもってこいだし、スリーピングバッグをはじめ、使っている道具類の考え方はおおいに参考になってきた。
 とりわけ調理用のコンパクトストーブにガソリン燃料を使う気持ちは同感だ。ぼくにとっては堀田さんと同じスベア123であり、基本構造が同じオプティマス8Rである。ときどき火だるまになるが、コールマンのピークワン・ストーブや、オートキャンプとやらで定番のツーバーナーだって例外ではない。それがわかって使えばいいだけのことだ。

 堀田さんも書いているように、スベアは構造が単純明快だから故障して使えなくなる心配がまずない。これがどれだけありがたいかは、キャンプで調理用ストーブが故障で使えなくなった経験をするとよくわかる。
 ガソリン燃料のストーブやランタンは、プレヒートやポンピングという儀式が不可欠だ。この面倒が、焚火の着火にいたるまでのプロセス同様なんとも捨てがたい。
 暮れなずむフィールドで、柄のわりに大きな燃焼音が力強く、頼もしい。これは、堀田さんばかりでなく、芦沢さんもたしかエッセーに書いていた。

■ もしもギターが弾けたなら
 堀田さんをつくづくうらやましいと思うのが、ギターやウクレレ、バンジョーのいずれかを持参しての旅を楽しむ余裕である。そうした楽器を演奏できないぼくはハーモニカを旅の友としているが、だれかに聞かれてしまうと恥ずかしい腕なのでめったに吹かない。
 ひとつ安心できたのは、堀田さんも絵を描こうとして描けなかったという点である。ぼくに絵心があったなら、伊東孝志さんには遠く及ばないまでもスケッチくらいは残してきたかった。その分、写真という楽しみは知ったのがせめてもの心の救いだろう。

 この本はハウツウ本ではない。そのまま真似するたぐいの本ではないという意味だ。あくまでも、堀田貴之というソロキャンプの達人からの提案である。本書で触発され、ヒントを得て、自分なりのソロキャンプを整えていくといい。そんなすばらしい一冊である。
 堀田さんより11歳年長のぼくは、あと何年キャンプを楽しめるかわからない。せめて80歳まで、残り8年は現役でいたいが、それも体力と気力があればこそだし、80歳まで生きていられる保証すらない。

 早晩、足腰が弱り、フィールドへ出かけることがかなわなくなったとしても、この本が読めるiPadさえあれば淋しくないだろう。スベアや8Rの燃焼音の記憶をBGMにこの本を何度も読み返して楽しみ続けたい。これはぼくの3冊目のバイブルである。

(註)『一人を楽しむソロキャンプのすすめ 〜もう一歩先の旅に出かけよう〜』はamazonでKindle版を購入し、上記の本文はカスタマープレビューとして投稿した拙文からの引用です。


危険がいっぱいの季節へ

2017-06-08 22:32:30 | Weblog



■ 梅雨の中休みを待つ
 東京も昨日から梅雨入りした。これからひと月半ばかりは太陽の光に恵まれない鬱陶しい日が続く。とはいえ、梅雨が嫌いじゃない。年によって梅雨の様相も変わるが、たいてい中休みがあって、そんなときのフィールドはあまり人がいないので一泊キャンプにはもってこいだからだ。

 芝草のサイトだと小さな羽虫が異常に湧いたりして往生することもあるが、大人も子供もシツケのできていない人間たちが跋扈する季節よりはるかにましだ。
 真夏に比べれば、吸血昆虫もさほどいない。それでも油断するとひどいめにあう。やっぱり、それなりの用心と準備が欠かせない。

 ぼくはあまり虫に刺されないタチだが、これからの季節だと蚊取り線香と防虫忌避スプレー、それに、刺されてしまったときのかゆみ止めに「ムヒ」のような外用薬も不可欠だ。救急セットには「ポイズンムーバー」も常備している。
 防虫忌避スプレーは、自分で使ったことがないく、同行者のために持参する。「ムヒ」はときたま使っているからけっこう刺されているのかもしれない。

 虫刺されは、ぼくの経験だと初心者がやられやすい。不思議なくらい頻度が上がる。刺されたと気づいたときに、ひと言、刺されたといってくれればいいのに、そのときは涼しい顔をしていて、キャンプから帰ったあとに病院へ駆け込んだりしている。
 刺された直後はたいしたことがなくても、あとになって化膿がひどくなり、入院までした人もいた。そうなると、すっかりキャンプが怖くなり、懲りてしまってキャンプそのものをやめてしまう。

■ こちらが侵入者なんだから
 真夏の時期、灼熱の昼間はまだしも、少し涼しくなってくる夕方近く、肌を露出していないで長袖のシャツを着て長ズボンをはくようにすすめるが、たいてい反応が鈍い。刺されてはじめて、ああしておけばよかった、こうすべきだったと悔やむことになる。しかも、虫を嫌う人のほうがなぜか被害にあいやすい。

 もっとも、長ズボンをはいていても太ももを派手に何か所も刺されたり、せっかく長袖のシャツを着ていたのに、腕ではなくて胸のあたりを刺されたりする。ズボンの裾を締めておけ、首のボタンも止めておくなんていうのは、暑い夏のキャンプだと苦行になりかねない。
 ヌカカなどは、どんな防備を厳重にしても衣服の奥深く侵入する。彼らのテリトリーにこちらが侵入しているのだからあきらめるしかない。

 この20年あまり、ポイズンリムーバーを持参しているが、同行者も含めこれが必要になるほどの深刻な事態になったことがないのは幸運である。
 めったに使わないかもしれないが、保険のつもりでアウトドアにはひとつ持参するといいだろう。蚊はもちろんだが、蜂や毒虫に刺されたときに毒や皮膚に残った毒針の吸引という応急措置ができる。

■ もしも蛇に咬まれたら
 めったにはないはずだが、蛇に咬まれたときも、素人にはそれが毒蛇かどうかを明確に確認する余裕などないはずだ。専門医の治療までの応急処置としてポイズンリムーバーでの吸引も有効だろう。
 蛇に咬まれたときは、「まず落ち着いてどんな蛇だったかをみきわめろ」と教わった。毒蛇で知られるマムシでも致死率は低いそうだが、子供や高齢者はそのかぎりではない。いまではヤマカガシも毒をもっていると認識されている。

 いちばん、危険なのはパニックだという。都会の人間だと、蛇そのものと遭遇する機会さえほとんどない。まして、咬まれてしまったら、「パニックになるな」というほうが無理かもしれない。それでも、まずはどんな蛇かを確認して医療機関に急ぐことだ。血清は毒蛇によって異なるので蛇の特徴が必要になってくる。

 蛇に咬まれることなど、まずないだろうが、それでも彼らの縄張りの中へ入っていくわけである。もしものときのための応急処置は、手元の救急ハンドブックなどで繰り返し確認している。
 むろん、蛇に咬まれた場合のみならず、止血など応急処置の基本を知識として知っているだけでも、いざというときに応用できれば無駄ではないはずだ。

■ 蜂に刺された痛い記憶
 ぼくは一度、蜂に刺されてひどい目にあった。この体験から、蜂に刺されたらを想定してポイズンリムーバーを持ち歩いている。あれから、25年くらいになるが、幸い蜂の襲撃にあっていない。
 もっとも、そのときだって、刺されたのは口の中。ポイズンリムーバーが使えるような状況ではなかった。

 そう、すべてぼくが悪いのである。ぼくの油断だった。テントを張りながら、女房が、「ちょっと休んだら」といいながら差し出した甘い乳酸菌飲料を半分飲み、テーブルの上に置いた。テントを張り終えてから残りを口に入れると異物が……。
 当時はタバコをすっていたぼくは、とっさに吸い殻を連想して吐き出した。入っていたのは蜂だった。吐き出しはしたがすでに舌を刺されていた。鈍い痛みはあとからジワーッとやってきた。

 乳酸菌飲料の甘い香りに誘われて、フタのない容器に蜂が入り込んだのである。溺れかけていたのが幸いした。毒性の弱いアオスジハナバチだったのも幸運だった。
 中学のころ、わが家にいた犬が飛んできた蜂をパクリとやって舌を刺され、滑稽なくらい腫れた舌を垂らし、よだれをしたたかに流して喘いでいた姿を思い出してビビった。だが、痛みはそれ以上ひどくならず、ちょっと舌がしびれたくらいですんでくれた。

■ 汚れやすいよりも命が大事
 被害に遭ったことはないが、ぼくがこれからのキャンプでいつも恐れているのがスズメバチである。攻撃されたら命にかかわる分、蜂の中でもとりわけ恐ろしいスズメバチは、黒いものを攻撃する習性があるという。
 テレビの実験を見てなるほどと思った。夏から秋ののアウトドア用の衣類は、帽子も含め、黒や濃紺は持参しないことにした。汚れやすいが明るい色の衣服でいくことにしている。
 
 乳酸菌飲料に溺れかけた半死半生の小さな蜂でも痛かったのである。それに、ぼくは子供のころ、アシナガバチに悪さをしかけては刺された経験が何度もある。当時、アンモニアはわが家の常備薬のひとつだった。
 あの痺れるような痛さはいまも忘れられない。だから使わずにすんでいてもポイズンリムーバーが必需品なのである。


また会う日まで

2017-05-30 21:44:42 | Weblog


■ 焚き木拾いにはどんな道具が役立つか
 少年たちの名前を教わった。
 Sora君とKaede君で同じ小学5年生のいとこ同士だった。お母さんが姉妹だという。あとから加わったのはSora君の弟のShin君で3年生。静岡のF市からきているそうだ。
 ぼくのテントへ再び、それも3人でやってきたのはプレゼントしたロープを使ってみたくなったからだったらしい。Shin君にも色違いではあるが薪拾い用のロープを作ってプレゼントした。
 あとでお母さんのひとりから聞いてわかったのだが、もう、薪はたっぷりあって必要なくなっていた。ぼくにとっては彼らと遊べればそれでよかった。

 前日、このキャンプ場に着いてすぐ少年たちはテントの中でゲームに興じはじめたらしい。それをどちらかのお母さんが、「せっかくキャンプにきたのだから、冒険してらっしゃい」とハッパをかけて追い出した。そして、ぼくと知り合ったというわけである。
 ロープを使いたくてウズウズしている少年たちを連れて、もう一度、先ほどの渓流までいってみることにした。ぼくにはもうひとつ目的があった。
 キャンプでの薪集めには、オノ(斧)よりも、ナタ(鉈)よりも、ノコギリ(鋸)がいちばん役に立つ。特に流木集めにはノコギリがいちばん頼りになる。なぜならば……。それを彼らに実演で教えたかった。

「よーし、もう一度、川へいって薪を集めよう」
 提案すると少年たちは歓声をあげた。ぼくはすっかりガキ大将気分になっていた。
 少年たちは元気な分、すぐに走りたがる。たちまち渓流へと着き、手頃な流木を集め出した。ほとんど手つかずの流木だから少年たちはまたたくまに自分たちのロープいっぱいの薪を集めた。ノコギリの出番がなくてぼくは苦笑いしたほどだった。

 3人とも興奮していた。
 きっと、自分たちのサイトの親や妹たちに成果を早く見せたかったのだろう、3人はでこぼこの道を再び走りはじめた。ぼくはあとから直径が3センチほど、長さが5メートルばかり、樹皮がなく、乾燥しきった流木を引きずりながら歩いて続いた。
 これを持参のノコギリで20センチほどに切っておけば、ひと晩の焚火に使えるはずだ。一緒に切ってあとは彼らに進呈しようと思っていた。




■ 転んだ痛みと一緒に忘れずにいてほしい
 いちばん先頭を走っていたSora君が転んだ。でこぼこの道をクロックスで走って足をとられたのである。よほど痛かったのだろう、ピクリとも動けずにいた。もしかしたらどこかケガをしているかもしれない。
「お父さんに知らせてきて」
 Kaede君とShin君が自分たちのサイトへ走り去った。
 近寄ったぼくは慎重にSora君を抱き上げて立たせる。骨折はないかそっと腕を動かし、「痛かったらいって」といいながら足を動かした。
 幸い骨折はしていないみたいだ。もろに腹を地面に打ってしまい、呼吸(いき)がつまっただけらしい。ぼくも子供のころさんざん経験していた。

 それでも、さすが男の子である。気丈に立ち上がり、弟たちが放り出していった薪の束を拾い、ロープごと提げてすたすた歩き出した。しっかりした足取りだった。
 駆け去った少年たちが、今度はふたりのお父さんを連れてやってきた。ぼくの前をすたすたゆくSora君を遠くから見て、みんな安心したようだ。お父さんたちの顔を見てSora君も気がゆるんで痛みが出てきたらしい。片足を引きずっていた。

 かくして、初日の楽しい時間は終わってしまった。取り残されたぼくの気持ちは消化不良のままだった。気がつくと長い流木を持って自分のテントに戻っていた。拾ってきた流木はしばらくテントの脇に放り出しておいたが、夕方、折りたたみのノコギリで20センチくらいずつに切った。
 石で簡単な炉を組んでいた昔は、拾ってきた焚き木をわざわざ切り揃えるような手間はかけず、長いままの数本を炉の中に突っこんで燃やし、燃え尽きそうになったら少しずつ動かしていたものだった。
 しかし、いまやキャンプ場での直火は禁じられ、焚火台やバーベキューコンロを使っての焚火となる。面倒だし、野趣はなくなる。薪となる木はある程度の長さに切り揃えたほうが使い勝手がいい。

 ぼくはといえば、最近は荷物になる焚火台は持参していない。今回もノコギリを使って薪を作るのは楽しんだが、燃やす楽しみは少年たちにまかせることにした。切った流木の束を彼らのテントに持っていったがサイトは無人だった。
 よけいな真似をしているとの自覚はあった。親御さんたちにしてみたら、せっかく家族でたのしいでいるのに他人のぼくが入り込んで迷惑かもしれない。それでも遠慮がちにテントの裾に薪の束を置いて引き返した。



■ また一緒にキャンプができたらいいね
 翌朝、早々と3人がやってきた。Sora君も元気だった。転んでぶつけたあたりも大丈夫だという。
 そのSora君が、前日届けておいた薪をぼくがどうやって切ったのか訊いた。ノコギリを使ったのだと教えた。ノコギリを見たそうにしていたが、すでに駐車場のクルマの中だったので、あとで見せると約束した。
 彼らのお母さんのひとりがやってきて立ち話をした。昨日到着した彼らは明日帰るのだという。ぼくらは今日帰ると話していると、しゃがみこんでいたSora君がうつむいたまま身体をかたくして動かない。明らかに涙ぐんでいるのがわかる。

 家人がSora君とハグをして、再会を約束した。ぼくも彼と軽くハグを交わした。昨日、彼が転んだときに抱き起こしたときにも感じたのだが、細い彼の身体がこの年ごろのぼくとそっくりだった。
「また会おうね」と約束しながら、もう会える機会はないかもしれないと思ってもいた。学校の行事やら何やらでゴールデンウィークのキャンプそのものがしばらくはできそうにないと彼らのお母さんから聞いたばかりだった。
 もうひとつぼくの年齢を考えれば、あと何年キャンプができるかわからない。それでも、会いたいね、会えたらいいね、との願いをこめて約束をした。

 ぼくはSora君にノコギリを進呈した。 こんなジジイとの別れを惜しんでくれたのである。ほんとうは長年愛用してきたぼくの分身ともいうべきナイフを受け取ってもらいたかった。だが、ナイフにナーバスな反応を示す大人たちも少なくない。もし、また会える日があったらご両親にうかがってからプレゼントしようと思った。

 昼近くに撤収を終えた。キャンプ道具を満載したをクルマを約束どおり彼らのテントが見える場所まで走らせ、「またねぇ~!」といって手を振った。昼食を食べていたSora君が飛び出してきて、「さようなら!」と大きく手を振りながら見送ってくれた。
「また会えるといいわね」と家人がつぶやいた。
「一期一会、それもまたいいじゃないか」
 強がりを口にしながら、また一緒にキャンプができたらいいなと心から思い、かすんだ視界を指でぬぐった。


還りなん少年の日に

2017-05-26 21:35:22 | Weblog


■ 原点となった夏の日を思い出す
 このところ、キャンプがブームだというのは、去年のアウトドアの用品店の異常な盛況ぶりで察しがついていた。驚いたのは年越しキャンプの賑わいと3月の連休のキャンプ場の混雑ぶりだった。
 この調子では、ゴールデンウィークと呼ばれている5月の大型連休は想像するのもうんざりだった。毎年出かけているが、今年はぎりぎりまで出かけるのを迷っていた。いっそ、雨でも降ってくれればいいとさえ思ったほどだった。それなのに、終わってみれば、これほど思い出深いキャンプはない。

 三泊四日のキャンプ二日目の午後、ふたりの少年がサイトの近くへ枯れ枝を拾いにやってきた。
 ここへ着いた初日の前日にも、ぼくらが設営しているすぐ脇で似たような年格好の女の子たちが夜の焚火に使う枯れ枝を集めていた。彼女たちはそのうちのひと束を置き忘れていった。
 少年たちは、あの少女たちのように傍若無人ではなく、少し離れた場所で枯枝を集めている。それがとても好ましかった。
「それ、持っていってもいいよ」
 少女たちが置いていった枯枝の束を少年たち進呈した。もう彼女たちは取りに来ないだろうし、テントのすぐ近くなのでずっとじゃまだった。

「ありがとうございました」
 目を輝かせ、きちんと礼を述べて少年たちは持ち去った。走っていく彼らの背中を見ながら、自分がはじめてキャンプを経験したのもこの年ごろだったなあと60年前の昔に思いを馳せていた。
 親父から焚火の薪拾いを命じられ、親友と一緒に出かけた情景を昨日のことのように鮮烈に憶えている。あれは奥多摩の古里にある多摩川の川べりだった。翌日は隣の川井のキャンプ場へ移動し、川泳ぎの楽しさを満喫した。ぼくのキャンプの原点はあのときだった。

■ 薪集めの極意を教えよう!
 走り去ったはずの、60年前のぼくが重なる少年たちは、なぜかまもなく戻ってきた。そして、また枯枝をせっせと集めはじめた。
 ぼくはといえば、焚火こそがキャンプの楽しみとうそぶいていたというのに、いまでは直火が禁じられているキャンプ場で焚火台を使っての焚火がひどく億劫になって、めったに焚火はやらなくなっていた。むろん、楽しい薪拾いも長い間ご無沙汰している。しかし、いきいきとして枯れ枝を集めている少年たちを眺めているうちにぼくは彼らに同化していった。

「こんなところを探しても薪は集まらないよ。薪がたくさんある場所を教えてあげよう」
 椅子から立ち上がると、ぼくは彼らとともに歩き出した。なぜそこへいくと枯れ枝がたくさんあるのかも説明した。薪がたくさんあると聞いた少年たちはなかば興奮してついてきた。向かったのはキャンプ場のはずれにある渓流だった。
 雨が降って川の水量が増えると、雨に流木が流されてきて岸辺に引っかかっている。それを探そうというわけである。渓流の手前には小さな川があり、そこにも少しは流木が残っている。
「ほら、こんなところにももあるだろ」
 渓流へいくまでもなく、歓声を上げてふたりは枯れ枝を集めはじめた。

 ひと足先に渓流へいって岩場をのぞいていると、少年のひとりが駆けつけてきた。切羽詰まった声で、「いとこが大変です」と告げた。泥に落ちてサンダル(クロックス)の片方がなくなったというのである。ぼくは渓流から上がり、元の小川へと取って返した。
 駆けつけてみると、両足の膝まで泥まみれになったもうひとりの少年が立っていた。小さな流れを渡ろうとして泥濘にハマってしまったらしい。やっとの思いで足は抜いたものの、片方のサンダルは泥沼から取り出せないでいた。
「流れたわけじゃないから必ずある。心配しなくていいよ」
 ぼくは近くにあった枯れ枝で泥沼をかきまわしてサンダルを探した。すぐに見つかると思ったが、それらしき感触がなく、ようやく探し当てたのは、足がハマったという場所からだいぶ離れた場所だった。



■ 少年たちに伝えたかったこと
 腕を突っこんでサンダルを引き出した。
 泥まみれの少年の足と一緒に、やっぱり泥の塊のようなサンダルを渓流のきれいな流れで洗い、彼らのテントに向かった。幸いケガはさせていなかったが、彼のお母さんの洗濯物を増やしてしまった。だから一緒に謝りにいつもりで歩きはじめると、途中でもうひとりの少年が親たちを連れてやってきた。
 笑顔で迎えてくれるご両親に、そんなところまで連れていったのを謝り、みやげ代わりにかついできた長い流木を迎えの少年に渡した。それは、彼らが集めた枯れ枝の何倍にも相当する薪になるはずである。ただし、ノコギリかナタがあれば、だったが。

 彼らに薪がどこへいけばあるかは教えた。しかし、もうひとつ知っておいてもらいたいことがあった。拾った薪の運び方である。
 自分のテントに戻ると、ぼくは小物が入れてあるトートバッグから、6メートルほどの細引きを引っ張り出した。これを半分に切って切り口をライターで処理し、テグス結びで輪を2組作った。ふたりの少年たちへのプレゼントである。
 さっき、ひとりがぬかるみにハマった場所へぼくはひとりで戻った。近くに、彼らが集めた小枝が置き去りになっていたのを思い出したからである。それを輪にしたロープのひとつで絡めて少年たちのテントへ持っていった。

 はたして、彼らは弟も交え、ゲーム機相手に遊んでいる最中だった。そう、これが現代っ子たちの姿なんだと妙に納得しながら、ふたりに薪をくくったプレゼントのロープを見せた。
「いつ返したらいいですか」
 少年のひとりがロープをズボンのポケットにねじこみながらいった。
「プレゼントするんだから返さなくてもいいよ」
「ありがとうございま〜す!」
 少年たちの声を背にぼくは自分のサイトへ戻った。

 そして……(つづく)

キャンプのブームがまたやってきた

2017-04-11 23:10:31 | Weblog

■ キャンプがブームらしい
 これまでも何度となくキャンプのブームがきては去っていった。そのたびにメーカーは活気づいて斬新な道具が次々と出てくるし、キャンプ場が増えたり、施設が進化したりするから文句をいってはいけないはずだ。
 なによりも、「キャンプが趣味です」と公言しても変人扱いされにくくなるから歓迎すべきなのだろうが、すっかり憂鬱になっている。
 
 というのも、今回のブームはだいぶ趣を異にしているようだからである。つまり、かなりのものらしい。しかも、もしかしたら、ピークはまだ先なのかもしれない。そんな勢いを感じている。
 親しくしてもらって十数年になる人気キャンプ場のオーナーが、「お客さんの入りがすごことになってるけど、どうなったちゃったんだろう?」と笑いを噛みしめながら首を傾げているのだからやっぱりほんとうにすごいのだろう。

 キャンプ場がごった返すのは連休のときと、夏の時期に集中しているのは昔と変わらない。それでもブームだと納得したのは、一昨年から去年にかけてだった。
 まず、ゴールデンウィークをはじめとする連休の行きつけのキャンプ場の異常な混雑である。すべてのキャンプ場が今回のブームの恩恵に浴しているかどうかはわからない。インターネットの時代であらゆる情報が身近になっている。ちょっとした評判で混雑もすれば閑古鳥が鳴くのもめずらしくない。そんな時代である。



■ 店員さんも驚く賑わい
 ブームの予兆は2、3年前からあった。妙にキャンプ場が混みだしたのである。最初はそのキャンプ場だけの現象かと思っていた。だが、異常が確信となり、「これってかなりヤバくないか」と気味の悪さを実感するようになったのは去年だった。
 かれこれ20年近く通っている南大沢にあるアウトドア用品の専門店ワイルドワンの混雑は尋常じゃなかった。シーズンのころの週末ともなると、お店の駐車場の空きを待つクルマがずらりと道路に並んだ。はるばる出かけたものの、圧倒されて帰ったことが何度もあった。

 いまはなき南町田のアウトレットモール内のモンベルにしても、レジ前に長蛇の列がしじゅうできるようになった。モンベルの客の主体はキャンパーだけではないが、モールが開設したころ、アメリカから進出してきたREIだってそれほどじゃなかった。だから早々と撤退して、REIのあとにモンベルが入ったのだろうが。

 先の週末、ワイルドワン行きつけのアウトドア用品店で、買い物をしたついでに女房が店員さんに、「繁盛なさってますね」といったら、「わたしたちも驚いてるんですよ」という返事が返ってきたそうだ。
 そんな店内を子供たちが奇声をあげて走り回っている。危ないことおびただしい。だが、親たちの多くが注意する気配さえない。お店もほかの買い物客もはなはだしく迷惑である。
 ぼくの憂鬱の正体は、まさにこの現象なのだ。

■ 事故がいちばんの迷惑
 キャンプそのものが非日常なのだから、少々ハメを外して騒ぎたくなる気持ちもわかる。だが、そこは仮とはいえ、共同体である。仮とはいえ、生活の場である。騒がしさが迷惑になる他人がいることも忘れるべきではない。
 大人たちも一家そろって、あるいは集団で興奮し大騒ぎする。自分の家の子供が興奮して遊ぶとうるさいからよそでやりなさいとほかのサイトへとわが子を追いやる親もたくさんいる。そうした迷惑を何度となく経験してきた。

 たとえば、奥道志のキャンプ場で、こちらが焚火の前で夕飯をとっているというのにすぐ横でサッカーをはじめた数人の小学生がいた。注意をすると、子供をこちらへ追いやった父親のひとりが態度を豹変させた。せっかく楽しくやっているのにうるさいヤツだ、といいたいのだろう。
 迷惑なだけでなく、それが危険をはらんでいるとさえ予見できないのである。焚火台の中にボールを蹴こんでこちらがケガをしても、子供のやったことだからで通用すると思っているのだろうか。

 幸いにして実際に目撃してはいないが、子供のキャンプ場での事故の様子をいくつか聞いた。親の無自覚から生じた自損事故なら自己責任で片づくが、たとえば、サイトを移動中のクルマの前に物陰から飛び出して引っかけたというのではクルマのほうも浮かばれない。ぼく自身、キャンプ場内で運転していてヒヤリとした経験が一度ならずある。
 暗い通路を自転車やキックボードに乗り猛スピードで走り回る連中を規制していないキャンプ場のほうが多い。利用者同士のトラブルでも、これはあきらかにキャンプ場の管理責任が問われてもしかたないケースが多々ある。

■ しょせんは文化の違いかな
 子供は、成長してからは本人の自覚次第でどんな人間にでもなれると思っているが、幼いころは親のしつけで天使にもなれば悪魔にもなる。
 奥道志で出逢ったあのファミリーが数年後のいまもキャンプを続けているかどうかは知らない。せめて子供だけでも、他人の迷惑になるのがよくないことだとわかってほしいものだが、あの父親の態度を見たかぎり望みは薄い。むろん、キャンプにかぎったことではない。一事が万事である。

 これまでのハイシーズンの苦い思い出を噛みしめるたびに、まもなくやってくるゴールデンウィークとやらの大型連休のキャンプが思いやられる。
 日本では、飲んで騒いで憂さを晴らすムラの寄り合いが人間関係の基本となる未成熟の文化である。そんなところにマナーをうんぬんしてもはじまらない。過剰なまでに静謐を求める文化の欧米とはキャンパーの民度が違い過ぎるのである。これから先も日本で静かなキャンプは望むべくもないだろう。

 大勢だと宴会キャンプであり、酔って大騒ぎになるのは目に見えているからとグループでの利用を断っているキャンプ場が実際にある。さらにそこから進化させて、「大人専用」のキャンプ場、あるいはせめて静かなエリアのあるキャンプ場が登場してもいいと思うのだがこれは見果てぬ夢だろう。
 実際にキャンプが好きで、キャンプを楽しんでいるわけじゃないキャンプ場オーナーたちにはわからないだろうが、思いのほか利用者は多いかもしれない。


清潔と自制からの快適キャンプ

2016-08-25 01:10:55 | Weblog

■ トンネルの向こう側は
 長い間、8月のキャンプは避けてきた。どこへ行こうと昼間は暑い。夏休みだからどこも混んでいる。フィールドを跋扈する吸血昆虫たちの脅威は避けようがない。それに夕立や雷は夏のアウトドアにはつきものだ。だから8月は家にいたほうがいい。
 今年、そんなリスキーな8月のキャンプに踏み切ったのは、自分の身に起こった予期せぬ変化がもたらしたストレスを野遊びで軽減したかったからである。

 先週の金曜日、台風7号が北へ去ってもぐずついている空を見上げながら中央高速を相模湖から大月を抜けて西へ走った。ときおり雨に洗われるので気分は沈みがちになる。ここを走って笹子トンネルを出るといつも天気がまったく変わる。たいてい好転するので今回も期待した。
 トンネルの長い暗闇を抜けて明るい出口が見えてきた。ダメか? トンネルから下界へ出る瞬間は目がくらむ。念のためアクセルをちょっとだけゆるめる。やったぁ! 薄日に近いが陽射しがまぶしい。だから甲州路は好きなんだよな!

■ さっさと逃げ出した理由
 高まる気持ちを抑え切れず、不意に目的地を変えたくなる。
 今回は八ヶ岳南麓にあるキャンプ場を使うつもりで出かけてきた。夏休み中なので帰路の混雑を考えて少しでも近場がよかったからだ。
 8月にこの八ヶ岳南麓でのキャンプは経験がない。勝手知ったるキャンプ場とはいえ、8月の様子がわからないので予約は入れていない。だから、目的地の変更は可能だが、とりあえず予定どおり行ってみようと思い直す。

 昼過ぎにたどり着いたキャンプ場にはたくさんの思い出がある。とくに17年間一緒にキャンプをやってくれた亡き愛犬との思い出が次々とよみがえる。いまも涙を誘う記憶だっていくつもある。
 ここは特別の場所だったはずだ。それなのに、ぼくは到着して10分としないうちにもう一度クルマに乗り、1時間半ばかり先にある別のキャンプ場へと向かっていた。
 ひとつには、一部が資材置き場のようになってどんどん汚くなっているロケーションに失望したからである。もうひとつは、キャンプ場でありながら場内にある周回の車道でのキックボードや自転車を禁止していないからだった。それどころか、それらをレンタルしている。

■ 遊び道具なんかいらないはずだ
 去年のキャンプで夜も昼もキックボードやマウンテンバイクが行き交う目の前の周回路に呆れた。トイレや水場に行くにも危険きわまりないし、騒がしさはひどいものだった。だから、今回は周回路を外れた隣のエリアでのキャンプをもくろんでやってきた。
 しかし、みんな思いは同じなのか、このエリアのサイトはあらかたが埋まっていて、難民キャンプ村同様の光景だった。このキャンプ場の中心であるはずの周回路に面したサイトがガラ空きという光景は、ここではいかにも面妖だった。

 新たに目指したキャンプ場は、場内でのキックボードなどを禁止している。キャンプに関する以外のレンタル品はまったく用意されていない。キャンパーが持参したキックボードやマウンテンバイクを場内で使うのも禁じている。
 遊び道具をレンタルしての小銭稼ぎなどさらりと捨ててひたすら静かにキャンプを楽しむためのキャンプ場に徹している。

■ 静かなキャンプを演出するには
 なによりも清潔感にあふれている。間違っても資材置き場のような風景はどこにもない。これは経営者の姿勢であろうし、センスである。
 むろん、キャンプ場側がいくら静かなキャンプを提供しようとしてもキャンパーの自覚がなければ夜中まで宴会キャンプが続く。しかし、今回は二泊三日、模範的なキャンパーたちのおかげで快適なキャンプを堪能した。さっさと移動してきてよかったとしみじみ思った三日間だった。
 
 八ヶ岳南麓にある思い出深いキャンプ場は、もう行かないかもしれない。不慣れなキャンパーたちを傍若無人にしてしまうようなタガの外れた雰囲気は、一見、自由なようでいて最低のキャンプしか約束されていない。こんな場所で楽しかるべきひとときを辛抱して過ごすくらいなら、思い出は思い出として大切に胸にしまったままにしておけばいい。
 そんな決意をさせてくれたこの8月のキャンプだった。


テントの流行は変わっても変わらないのが

2016-07-31 08:50:01 | Weblog
■ キャンプの流行の裏側
 これまでもキャンプブームは繰り返しやってきては鎮まっていた。たとえば、いつだって8月15日の旧盆のころは人々がいっせいにキャンプ場へと押しかけてきた。かつて、キャンプはいま以上に海水浴とならんで夏休みのレジャーのひとつだった。

 キャンプのスタイルはそれぞれに時代を反映している。飯盒と毛布、重いテント などを背負い、電車や バスを乗り継いで行く苦行のようなキャンプの時代から、クルマを使った「カーキャンプ」と称する時代を経て、現在の「オートキャンプ」という名称もスタイルも日本独特のキャンプができあがった。

 いつの時代も、キャンプにかぎらず遊びの流行をリードしていくのは初心者たちである。それをうながすのがメーカーの商魂であり、それに乗せられたマスコミだ。
 キャンプをはじめると、まず、量販店などでテントをはじめ無難な値段とモデルの道具類をそろえる。だが、すぐに他人とは変わった、いわば個性的なスタイルに変えていこうとする。最近はそういう小道具にも事欠かないから、たちまちメーカーの商魂の餌食になる。

 雑誌などもファッションまで指南するからキャンプ場は同じような装いのお父さんたちやお母さんたちがあふれる。個性的なつもりが完全な没個性となり、それがアウトドアにうまくフィットしていればまだしも、キャンプをよく知らないメーカーやら編集者たちの指南だからお気の毒としか言いようがない。
 ファッションばかりか、個性的に演出したつもりの画一的なスタイルが横行する。サイトまわりを旗やLDの豆電球などで飾り立てるのもそのひとつだろう。そうした虚飾の非日常に家族揃って興奮し、夜中まで騒いで周囲に迷惑をかけている。いいじゃないか、アウトドアなんだから、とばかり……。


■ テント設計者の能力がわかる
 3年ばかり前に流行ったのがネイティブアメリカンのティーピーを模したデザインの三角型のテントだった。ドーム型が主流のキャンプ場では形が珍しいからたしかに目立つ。いかにも楽しげだから、子連れキャンプには最適だ。
 だが、大きさがないと頭が天井につかえるだろし、素材も厚手らしいから、収納でたたんでもかさばるのはしかたない。設営時のペグの数も多いようだから設営作業も簡単とはいかないに違いない。でも、たしかにみるからに楽しげだ。
 
 そんな厄介だが楽しげなティーピー型の三角テントが今年はどれだけ広まっているのかと楽しみにしながら臨んだ5月の大型連休だったが、増えているようには見えなかった。ただ、ティーピー型が旗や風車で飾り立てているのは変わらない。
 7月のキャンプではティーピー型をひと張りも見なかった。むろん、たまたまの現象ではあろうがやっぱり意外だった。そのかわり、かまぼこ型のテントが目立っていて驚いた。ぼくも25年ばかり前にダンロップのダルセパクト(写真下)というかまぼこ型を使っていたからこの形状には愛着がある。
 
 7月にお目にかかったかまぼこ型のテントたちだが、20年前のダルセパクトたちよりもはるかに薄い生地だというのがひと目でわかる。布地も進化しているから当然といえば当然だろうが、今回目にしたかまぼこ型テントの張り綱の数には目を剥いた。設計者が自信をもっていないのではないかと疑ってしまったほどだ。


■ キャンプを宴会と勘違い
 ブランド幻想を振りまくのがコンセプトで人気のスノーピークのテント類もまた張り綱は多い。こんなところにまでとあきれるほどだ。スノーピークのテントやタープ、シェルターは、素材は高級だし、縫製もしっかりしているから悪くない。しかし、当然、収納時の容量と重量は増す。
 ぼくひとりじゃ持ち上げるのもままならないようなスノーピークの最近のモデルは知らないが、10年前のテントの張り綱の多さは、やっぱり設計者が自信を持っていないのではないかと思えてならないほどだ。
 
 今回出逢ったかまぼこ型テントのオーナーたちもやっぱりすっと興奮したままだった。
 初日は慣れない設営で疲れ果てたのか、子供たちが暗くなっても興奮して大声をあげて走りまわっていたが、午後10時前には就寝していた。だが、2日目の夜は午前1時の半ば過ぎてもキャンプ場中に響き渡る騒ぎがおさまる気配がない。
 
 注意しにいくと、総勢30人あまりの男女が酒盛りの真っ最中である。男たちは一様に詫びて声をひそめたものの、酔っぱらった女たちは大声をあげての傍若無人ぶりは変わらず、まもなく管理人の警告があってようやく宴会はお開きとなった。
 集団心理というヤツだろうが、ほかのキャンパーたちのだらしなさにはいつも呆れてしまう。女房や子供が一緒だから集団を怖がるのは理解できる。だが、すぐ隣で大騒ぎされているのだから、せめて管理人を動かすくらいの知恵と勇気を働かせてほしい。