まだまだ実験

2018年より短歌を載せることにしてみました。
装丁はダリアのままです。

楽しい歌も時にはあるかも。

季節移りて 落ち穂拾い ではない短歌 2018年

2019年02月23日 13時46分15秒 | 短歌
短歌の結社を、放逐されたかのように出奔し、ますますわがままに作ってきた短歌ですが、いやはや惨憺たるものです。

落ち穂拾いといえば、通常、立派に収穫した後の残り物の中から何とかまあまあと言うのものを拾い上げる行為ですが、ここではさにあらず。

所詮ガラクタの中から何とかすれすれに短歌と呼べそうなものを拾いました。いやはや。


*2018年5月6月 「自然はほほえむ」

終焉の地と思ひたる千葉の地の裏側にもあり天の思惑

かくも美(は)し かくも溢るる惠み得て かしこみおそるるみどりの不思議

望みなしと森に座す身を岩山ゆ たれか見下ろす苦境も愉しめ

放り出され軛ぎりぎりただ一人 神よと叫ぶその手の中で

鳥歌も葉緑素すら神秘にて我に微笑の与えられたり



*2018年7月  「この世を去る準備」

日本に満月見るはあと二回ならむと思ひ負けまじと凝る

残生に何をか紡ぐ 大切と残し置きたる古本括る

断捨離に徹する夏の真っ盛り 菜園のトマト珊瑚の光

涙出づ 生きとし生けるを愛しみて あなたがどこの誰であらうと

豪雨あと熱気は去らず終焉の放電しきり 名付く語もなし

文明も人も途絶せん 愛深く青き惑星賜りたるを

もらひたる水の分だけ花一つ職分を咲く 猛暑の半球



*2018年8月  「外界は致死」

この空の外は致死なり 僅かなる可能性なりし青きカプセル

降りそそぐ致死光線遮れる大気の力にいのちは応ず 

ニュートリノ俳句にせよと議論あり わが使命とす今宵満月

俳諧と物理学との袖触れて光は光るや この眼なくとも



*2018年9月 「to doリスト」

ピンク色のブーゲンビリア暑熱うけ我が意得たりとすつくり徒長す

遂にあとひと月ばかり渡独まで 襖に貼りたるリスト胃を刺す

迷はされ時に猪突猛進す 小泉さんの三つの「ず」唱ふ



*2018年10月 「墓穴を掘る」

ジタバタの涯に命運ホームレスと ふさはしきかも地上に家なし

お互ひに菩薩の修行 頭を垂れて拝み合へぬか舟を揺らすな

事ここに至れるまでを手を引かれ智慧と人との網の目模様

窓はまだ黒濃き七時 目を開けて明るむを待つ「未来ありゃせぬ」



「黄葉のドイツ」

銀杏にはあらねど黄色に見ゆる樹よ 視神経へと信号放つ

巫女の振る鈴の音かくも見ゆるかと 白樺大樹万葉震わす

あらうことか小夜啼き鳥は旅立ちてワラヒカワセミ代はりに嘲ふ

鳥と木の図鑑買ひたし根本がわからぬゴミの分別法



「プラスマイナスの波」

良し悪しの波の寄せては返す その意外さ望外有りうべからず

絶望の淵に二重の啓示あり 佇む我に御顔振り向く

未来なき終焉のみ見し時なほも奥義たまはる ほとんど真理



*2018年11月 「歓喜の歌」

霜月の太洋いかに わが船荷いづこを往くやAD二千年

美しき楽しき日の欲し山河ここに この身愛しみ歌ひ描きて

心身のすべて嬉しと愛しめば隠れておはす息吹温しも

霜月に鈴の音するも 渡り鳥か 縮れし枯葉めきて散りゆく

岩山の不変の形浮かび来る 仮の死 枯葉が散りゆくにつれ



*2018年12月 「川沿いの道」

川沿ひのバスの窓辺にけふ気づく 枯れ木を透きて青きせせらぎ

山峡を見舞ひ帰りのタクシーは ただにお黒き闇夜かき分け

わが視力失はれしかと思ふまで漆黒の窓 森と山のみ

灯がひとつ見えて人の世戻りたり キリスト生誕祝ふ市立つ

地球掛け短歌のお題「醤油味」そろそろ恋しドイツに三月



「年の瀬」

サイボーグへ夫を変えたる故国かや 命と力好きに振へと

望外のことかくもまた出来(しゅったい)す カワセミ笑ふ冬至の瀬音

八時間先ゆく東京へメールにて 思はざりしに決意を記せり

さもあらむ わが悪行の末路とて吸ひ込まれゆくゴミだめの中

楽ならむ 死ねばこの苦を放り出し智慧の泉に光りて浮かぶ

めぐる季節に詠う 弥生 花の記憶 と卯月、旅情

2018年07月10日 19時01分32秒 | 短歌


花びら文様


春一番の花ならんとや思ふらし丈を揃へて三階草群る

太陽に追ひついてくる繊月の独り舞台なり 桜待ちつつ

物悲し明日への不安 春ゆえか 鴉の声のみ聞こえて悲し

春雨をたつぷり吸ひて咲きみつるスノードロップ今ぞ切り時

春の花とりどり咲ける屋敷内いかにや前世善行なせしか

実生より育て咲かせて伐り倒す蝋梅の枝の薫香著るし

弟の誕生日ゆゑ彼岸すぎ電車に参る初桜あり

薄墨にゆるむ蕾に染められて円かなるかな彼岸すぎの世

むくつけき貧しき男一人にて花の下行く心の誘ふか

われも一人 友らの顔に花の香の有る無し言へど そよとぞ風は

平成の最後の花見ならんかも摂理のままに花弁の落つ

外国の地に山椿根付くやら 友に送ると種子を拾へり

耕人のゐる花の下 とき満ちて水田となれば花びら浮くらむ

一人舞ふ太極拳を悲しまず桜笑ひて神と手を取り

神遊び名なき広場の唯我にて醍醐の桜ならねど嬉し

ぐうるりスマホかざしてビデオ撮る今年限りの天と花とを

川上の桜散り初めちりぢりに橋の下ゆく遊び遊びて

流れくる花びらふえて川面ゆく遊びがてらに文様なしつつ




若芽立つドイツを



初夏の緑に日毎染めらるるニュルンベルグは中世の街

義父母(ちちはは)も汝を迎へいづ 実父母(ちちはは)も亡き子も我と共に居る

身の滅す寂しさあれど実相の神霊光る楽しき刻来む

雲湧きて日差さへぎる暗さにて瞳の光薄れゆくかに


ドレスデンにリンゴの花の咲き盛る人も 営為も天然も美

エルベ河に古楢の林 これぞかの森林浴とて命満たさる

子供らのブロンドの髪陽を受けて 幸せに暮らすこと許されて

煌めけるオレンジジュースをグラスより呑みて物質交換の快

創造の元なるは電子 人といふ幻も創る幻像の世を

夕やみに窓の灯りが高々と梢ゆ見えて そは上弦の月


平原は空にぶつかるまで黄色 人影もなしICE進むのみ

御心のままなる天然のその一点 壊れたる夫がこぼしゐる雑音

リラの花開かむ風情にどの色も風の合図をたがはず待つらむ


真四角に圧縮されたるゴミたちがフルダに密か待たされ居りぬ

目が合へばふとほほゑめる肌白き女多き街 祝福すべし

我がうちに香り立つもの 神霊より照らさるるかに樹林に立つかに

一枚の葉を光らする日の光 物理によれど永劫とふ力

何せむか人の次元の陰日向 存在尊し知るも知らずも

夫一人全地球的に落ちこぼれ滅びゆくこと妨げんとす

網の目に光る航雲マトリックスのごと フルダ全空をおおひ尽くせり

我が作る微笑(ほほえみ)がゑしやや遅く 移ろひゆきたる視線戻らず

ひらひらと自由に我のそばに居る母よ言祝ぎ讃ふ嬉しさ


めぐる季節を詠う 如月 弥生

2018年03月06日 14時55分00秒 | 短歌
ー如月ー

「お 咲いてる」空の瞳かコンビニにコーヒー飲まんと如月往けば

似たるあを比べむと凝る「犬のふぐり」二月の空より紫つよし

孫とよく來たりし公園清らかに刈られてどこかの犬と我のみ

仏の座いまだ咲かぬに木に色を灯し初めたる梅の仲間ら

鳥声は如月半ばの早春賦ベンチにしばしスマートフォン使ふ


ー羽生ー

金メダルの夢の破れてゐはせぬかファンならねど平静ならず

大き夢吾も持てども途絶せむこと確かにて許してばかり

何回転すれば足れるかオリンピアに我はもどせりただの目眩に

羽生えてふはり着氷するまでの心はいかに澄みて無ならむ


ー弥生ー

弥生なり南風に押されて旅支度おさらば友よ行き先未定

木の陰にいつもの葉先顔を出す今年は咲くやら赤きチューリップ

下ろしたる雛とお道具ちかぢかと畳の上にて息づき始む 

丸木より掘り出されたる小ぶりの盆母の撫でたる跡か光りて



2017年の短歌より デジタル偏在?

2018年02月18日 17時45分50秒 | 短歌

「デジタル画面に遍在を試す」

1  断崖

パソコンに十秒ごとに絵の流る 天国さながら花と笑顔と

十年とふわがくらやみの時の意味 今や光の道標と化す

満月を見ぬまますぎる大潮の満ち引き みたりの男子産みたり

けふきのふあの頃かの頃 古稀までの愛し哀しき顔と言葉の

死の刻はわれにも迫る 老い母もありて引導二つ要ること

わが生を暗転させたる者一つ 廃人として世にぞはばかる

妻に依存する身なれども 支配欲溢れて非道なる夫は

夫の死を夢にうつつに弄ぶ また断崖の縁に立ちたり

別るれば済むかと離婚宣べ立ててそれも殺すに等しとわかる

無情とも男の子ふたりを捨てたかに一人に自死をさせしめしごと

許すべき我にあらずと贖罪と思ひなしたる永遠の昏さは


2  遭遇

己が死か人を殺むか捨て去るか 痛みと不眠の隧道いづくへ

かりそめに出遭ひたるにはあるまじき 二つの言葉物理と合気道

何と呼ばむこの世あの世を統べる法 霊魂在るを仮定してみむ

意外とも「想定外」ともハプニングに日々襲はれて気付かされをり

わがうちにハイヤーセルフあるとして好転あるやも ともかく念ず

宿敵を許す心の得られねど 正機説に似て一手なほある

どこまでの有難さかな 非力なるゆゑの宣言「全て委ねます」

たれの声「あなたに罪はありません」明らけき意味 われに降りたり

真実の道を問ふ声とどきたり われを見詰むるその眼見つけぬ

本一つ読めば次なる本くれて 神霊世界の扉開きぬ

知る知らず大き存在 世を創り時空を制す 法を操る

足らざるを請ひ願ふこそ矛盾にて 十全の身はただ感謝のみ

誤謬なり古き定義は 完璧の存在なる主は全てを給ふ

小さき神ホモ・サピエンス気づくべし 自由と慈愛フォースを揮へ

人間の達する限りの定義なる唯一存在 ただ「神」の存す

足らざるも欲するも無き「存在」と被造物とはこれ一にして

全てなるエナジー一閃 個別にぞ神の資質は体現されて

あざなえる不可知の縄のこの禍福 解脱に遠き迷妄の闇

苦と見ゆる須臾の間の影 荘厳の相対なれば無しとも言はん

易しとも 一歩はみ出すこつとしてわが欲しき物人に与ふべし

濁世にも悲哀見透かし 無心われ神と一つに溶け合ふはずと

不可避なる者とぞ呼ばむ 人に汝を避くる法なし一つなるゆゑ



3  委ね

つぎつぎと天の配剤降ることのわが備忘録 美しく書く

ただ我のかの世に迫る激しさが応答引きよす 神霊吹雪く

かそけくも大いなる変異 心にも考え方にも啓示新たなり

科学的真理としての「理神」在るはあまりに明らか 問はあれども

まず問ふは神の性質 何よりも人との関係 この世のシステム

古代より人に原罪あると聞き 宇宙の心と離ると誤解す

哀しきは人の心よ 抱かれてあれどもわろき夢をぞ見つつ

利己心のよりて来たるは幻想にて 足らざるなき身を忘れて怖る

親友と思ふ神とはツーカーに 映画に人語チラシが落ち来

出遭ふこと無意味なるなし 無限の智慧働かすなり唯我独尊と

できぬなら「委ねます」と言ひ わからぬも予期感謝して「即わかるらむ」

母と夫の生死手玉にとるごとき不可能決断 叩きつけらる

死に瀕せし二人をいかにわれ一人母星の表と裏にて看取る

懊悩に囚はれ過ごす夜々にふと「智慧にぞ委ねむ」 今更のごと

一瞬の計らひ母は脳梗塞 夫は肝炎 思ひのままに

驚嘆の法の効果か 自づからほどけてゆかしむ脳の驚異か

日蓮にけふ出会ひしもシンクロニシティ笑ひて死ぬを求むべしとぞ

十円の足らず

2018年02月08日 01時47分47秒 | 短歌
「十円の足らず」


新年の残りハガキに十円の足らず戻さる 決意揺るがず

据ゑられしすずらん模様の母のつぼ 光差し込み父と並べり

いづこへか見知らぬ道へ行きますとメール送りぬ痩身の師なり

晴嵐は無人の畑行く見捨てられ鳥も雲さへなき空鳴らし

一筋の天上天下偽らぬ己れの詩情そこに立つるべし

糸のごとふる雨なればと草引けば身近に白き菫匂ひぬ

子亡きあと凭りてどうにか歩き来し歌の世界もざらつく砂地

昼空の映れる水面にどうとふり染めあぐるかに桜の無尽

調べ佳き三十一文字の表出の限界攻めて先行く師あり

けさ見れば十薬群るるわが庭に白十字光あらはれいでぬ

生活の歌に合はざる修羅のこと伏せて高層ビル縷々歌ふ

湖をわたるかに往く聖五月市役所までの道の乱反射

この世なる些細なること淡きこと歎ずる吾の声のか細さ

草生ふる陸橋に咲く名も知らぬ薄紫よいづこより来たる

大広間にマイク響けど音声を識別できずぼんやりとゐる

孫来るといそぎ開けたるドアの下に毛虫蠢く鳥の落とせしか

山手線久しぶりにて世の人を見回す吾はやはり透明

懐かしき露草ひらく 耳青き下に透けたる萼ひそとあり

後半をはぐれもんとふ人生に態度醜きわたくしではあり

重陽の節句過ぎても金柑の白花濡れて黒アゲハ速し
 
人類の命運百年に尽くるらし有りうるかこの幼稚さゆゑに

境内を囲む林にあかあかと天蓋華燃ゆ たれの魂

歌の神の吾を拾ひて十五年をここに生きよと流されてけふ

藍色の実のぶざまなるその花か彼岸花の頃白くくすぶる

一葉の私信送らむ「生活の波乱万丈にて」引きこもれりと

三センチに松葉牡丹の思ひ切り咲けど花芯のどこかそぐはず

白黒がくつきりせるも混じれるもある髪総じてわが心理に似る

ニラの花 筆先白く点々と庭いつぱいの朧ろなるかな

いやましに矩を越え行く言の葉の吾に貴き理を歌ふまで

長月の大夕焼けの光芒をかくも賜はる 理は厳然として

__

こともなき世と 2017年より「禁忌物語」

2018年02月04日 17時58分05秒 | 短歌

2017年秋

「禁忌物語」


知られえぬ君が尊き意図なれど あの日来りて撃ち毀たれぬ

黄泉にゐて忌み嫌はれてゐはせぬか 自死選びたる選ばされたる

からうじて読み過ごされなむ 短歌なら口をひらけば蜘蛛の子散らす


懸案のエントロピー量見積もりをわがジェニーらのつひに成し遂ぐ

「生命は負のエントロピー食べて生く」余りにをかし自然の為すは 

情念に逆らふは無理 とりあへず化学結合に支配されゐて


無視されて失笑さるる神経も消耗したり バ~イ歌人未満

なづきより取り出す言葉 怪しさのバイアスかかりはや絡みつく

長生きもタイシタコトナイまま終はらん 世をはみ出すも世に倣らふとも


生活と権利のかかるカネの事 不信と恨みの山の下敷き 

不安胸を圧して鼓動とどろける 夜半転々と闇に目開く

呑み込まれ不安の袋かぶされぬ 一なる神の遍在忘れ


絶対者にすがり安楽図ること卑怯でせふか 親鸞さまへ 

第二指を立て目を瞑りゆきあひのこの人々の尊さ讃ふ

庭にまた草ども生えぬ 思はずも流行りの英語出づ「オーマイガッ」

__

Julian Schulung Hundegeschichte

2015年05月21日 14時42分31秒 | 
お前のいない生活。
今頃たぶん、、、  この天気だと二人で、、、、 というのも今やお前はそんなにも遠い犬なのに私の考えに近くいる、詩にあるような遠い恋人に似て。
だから、お前が逃げ出したことがあって、レストランで見つかったのだった、ああ、私の犬、と私たちは言う、
わかってるのならいい、たくさんの子供から手が離れる方法とかを、でもそもそも近づけなきゃよかったんだーー
どこだ、やさしく毛をほどく布は
ビロードか絹のような額をここへ!
狐の花束、なぜお前は私の前でぴょんと跳ねない?
彼はかわいいけど、お前はその耳がまったく異なる、蝶々に似た耳よ!
私のことを時には考えるかい
私のように寂しいかい?
そして彼女の大好きなところはその、、

こんなことが頭をめぐり心を巡るのはめったにないことだ、
しかし愛の眼差しは決して私を放っておかない、他の犬によって突然彼女の不在の警告がだされても、どの犬であれ彼女のなにかを発見しようとする眼差し
美しい犬、醜い犬、年寄りの可哀想な、若くて頑固なやつ、そのすべてが彼女を思い出させる、
彼女を思い出せないようなものでも、
その結果彼らにもこの優しさのいくばくかが流れ込んでいくほどに
そして常に発見は新しい
最も可愛くて客観的にお前より気に入りそうなものでも何者にも代えがたいお前の代わりになり得ないと

繰り返し会いたい思いはとりわけ心臓が縮むようだ、待つのにくたびれて彼女が私から彼女の愛情を取り上げるのではないかと考えるとき、まもなく有用な替わりがみつかったりすると
あるいは彼女に似た犬をみると浮かぶ推測、人間への愛と動物への愛の違いとは慣れが人間への愛からのみ何かをとりさるという違いでもある
人間に向けられた愛のまなざしは外的内的な欠点を覆うに違いないとはしても、一匹の動物において嘘偽りなく喜びを与えうるし現に喜ばせてくれる、なぜならどんな欠点も平凡さも唯一そのものであるものへと作り変えるからだ、これがこうであってほしい、とそれで十分だとの違いだ。


忠誠はお前の徳性ではないので、私とフランチスカの価値が異なるともほとんど同じに好いてくれるのはお前には造作もないことだ
つまりたまたまお前が共にいる人物を少し多めに好きだと(そしてお前がフランチスカと居て実際はしばしば悲しそうにしているとするのは
私と居てウィーンの森レストランへといっかな連れて行ってもらえない場合とほとんど違わない)。
短い散歩のためにお前を迎えに行くと、お前はあまり喜びをあらわさない、これは賢い魂の節約法だ、そしてそのかわりにマリアンネのところのおやつまでの散歩に変えようとする。

一日中預かりに行くと、まずお前は私の家へどうしても行きたがり、意気揚々と先に急いで小高い野原をこえ、住まいを我がものとして、すべて変わりがないかあるいはすぐに元のようにもどるかを確かめたあと少し休んでからもちろんたっぷりの散歩と食べ物屋だ、たいていは私とふたりきりだ、何故なら私がお前をこの一日中誰とも分かち合いたくないから(しかしときには誰かがお前がいることに驚いたりする、マリアンネだけは電話でお前が聞こえる)
夜に帰るのはどちらも嫌いなのだが、さまざまな寄り道をお前は教えてくれる。
しかし望むよりより多く、お泊まりさせてほしい、あるいはしてもいいことがある、あの以前の楽しかった時のようにお前がまた夜空の下、小さな池で水を飲むのを見たり聞いたりする、そして遅くとも床に就くときには、ふたたび我々の時、まるで全然分離がなかったかのような。昼間かなり歩いてから最後にはもどり、ふたりとも、一日という日を我々のたくさんの日々にすることができたことに疲れて。

そしてより当然のこととしてフランチスカが一週間あるいはもっと長く旅行する場合、お前は完全にまた私のものだーー部屋全部がお前のベッド、すべてのそこらのものがお前を受け入れるために広げられている、サバの女王だ、友人たちに会い食べ物屋へいく愉快な生活がふたたびゆったりと進む、お前がここにいる時間を使わなきゃと思う必要もなく、仕事の時間を過ごす手伝いもしてくれ、これが永遠には続かないことをふたりとも忘れている。

いつもこう簡単にいくわけではないーー
時にお前は興奮して私の周りを跳びまわる、まるで用を足してお前を楽にするのにちょうどいい時に来たかのように
時に帰路の半分以上がすぎるまでお前は息を切らして歩く、そして長い間私と一緒に居なかったかのように魂の迷子になっている、やっとそうだ、我々の時なのだとはっと気づくまで。(確実にお前がわかるのは我々がフランチスカを駅までつれていったときだ。彼女がスーツケースを詰めるのを見ると興奮し、私の空いたままのスーツケースは悲しげにお前を眠らせる)
しかし本当の憂鬱が訪れるのは、フランチスカが居るときにわれを忘れるほどふたりの時間に没頭していて、彼女がお前を自分の犬だと文句を言うときーー
もちろんこれは君の犬さ、と私は言う、私の犬だったんだけど。ときどき忘れちゃうんだ、いつもそのことを思い出すのはとても辛いんだ、どうぞ私を君の出張のときの犬シッターとみなしていいよ!
そう言ってから私はお前をもう見たりしない、すぐに私の心から本当にお前は消えたかのように、ただもっとひどいのは、お前の愛着のようなものに出会うときだ(もっとも私が去るとき、我々はやっぱり真実を語る一瞥をかわすのだが)

Julian Schulung Gezählte Tagen

2015年05月12日 16時51分19秒 | 
1999年9月20日
友人のG によるとイエスの十字架の死は聖人の歴史的に必要な自己開示ではなかった、自由意志による愛の行為 ー 全人類の名において神様に許しを請うこと、それで十分だったろうと。そこで私は、不真面目な憶測を楽しみたくて答える、十字架的自死の証明するものは、イエスが父を誤解していたことだ、罰や復讐好きの少なくとも生贄として彼を必要としていると。人類を許すことができるには、罪を犯すように創造しておいて? しかしそれゆえに最初のキリストは到底最初の反ユダヤとはならない!

1999年9月21日
「もしご不満がございましたら」と病院で一般的に何枚も貼り出してある患者覚書の最初の行はこうだ、「患者係にお尋ねください!」

1999年9月27日
幅のある黒い線で描かれた髑髏があって、その下には、腕組みした二本の骨でキリスト教のモチーフを黒人差別。
そしてその上には黒人と大きく書かれてある。「ほとんど100%と言っていいほど黒人のいない」ウィーンで。

1999年9月30日 ケルンテンで
幹の大きなカラマツを透かし見る、自由な呼吸のために
B夫人の葬儀によって我々二人のおしつぶされた胸から。
悲しみの底にいる遺族のそばではしけなくも感じた、B夫人が自分の家でどんなにか窒息するような気持ちだったに違いないと

1999年10月9日 ウィーンへ
「我が子でもおむつを洗うのはぞっとしたものよ。なのに姑ったらおしめパンツをはくのを拒否するんだから!」 ーー 
この話で全く気が滅入るのは、この夫人にはオムツが彼女の女としての人生の主題だということだ。
またもや園芸店のドアに厚紙がうちつけてあって、手書きで園芸見習い女性はお申し出を、緊急必要、1、49mまでの背丈で。
私はまたもや不安になりそうだった ー アルミのオケ? 道具箱? 塀に囲まれた穴? それとも極端に低い温室で働かねばならない?
数本花を買って、おかげでもう数年ここで働いている小柄な太った女性にその理由を尋ねる。笑う。「わたしたちねここのボスより小さくなきゃならないんですよ」

Julian Schutting Leserbelästigungen

2015年05月09日 23時09分58秒 | 
「どうやって私のまあまあの詩ができたか」

と聞かれたら、裏付けとなるたったひとつの例もあげられない
本当にこれでいろいろなヴァージョンのうち当該の詩の最高の組み合わせが成功するかどうかという
悩みがついに終わりとなるや、
もうこれ以上変更はないというところまで辿ってきたすべてを
破り捨てるからだ。

では、私がどう進めていくかについて、
あまりにも願ったり叶ったりというアイデアから役立つものが生まれるなんて信じてはいないのだが、
これについてはお見せできる
つまり好機がくればと保存しておいた、そしたら数年後たった今になって、この目的のためにたったひとつ半分ほど完成したひとつの詩で

この例では結局残ったものは最初からあったものが多いとわかるだろう
最初の書き出しからもう廃棄されるべきだった他のものを、私があまりに長く引きずっていることも
ただそれは、その後残って良しとなるものをそれらの助けを得てしっかり包囲するためだったのだが
(私が今から何を見せてくれるかという読者諸氏の推測は縮小というより拡大されるだろう、もしそこでラベルのボレロの見事に醸し出される待ちきれなさが思い浮かぶとすればの場合だが)ー

その1 カフェ アソーロ本店のナプキンに書いたメモ
大真面目な自然の風景のなかにいて
長椅子に横たわり、
これに触れてはいけないのだが、
ぼんやりしようとまた集めようと
考えを
外を眺める
妖精の像の方
(書き加え「時と永遠のなかの」)もたれ合っている
水の妖精の男女、
同じ緩慢さで過ぎていく
時のなかでそのいつのまにか
一人の彼に向かって 何一つ
書かない手ではあれ(「行ごとに」と追加)
成長していく言葉に
よりかかるために、
どうな気持ちかは知っているさ、
言葉少なく書かれた
一枚の紙を手元に寝かせておくのが
外を見ながらそして外部といえば
泉の底に耳を傾ける
その前に、もしその
水、2すじの細い砂のような
砂時計のなかの無時間へと
流れ落ちる 
汲みつくせぬ長い時から
長い流れから、雨のしずくが
寄り集まったのだ
この流れと雫は
お前の耳にも目にも、
うとうとして
この紙がまるで
握る力が少し足らなかった
鳥のようにすべりおち
とりもどしたのはまるで
雨水の流れへと
雨によって
目覚まされた(かっこ:清められた)言葉から
私はそれが簡単だろうとしっているが、
ここ(「ここ」は線で消される)(ひとます空けて)
光と空気のなかでさらされて(「さらされて」棒線で消す)四方の庭へと
(ここはかっこのなか:「空へ向かい」疑問符「四季」疑問符)
開放的な家で
陽気さのなかで期待すること、それが
その強いることのできないものが、その
ひんやりと流れてくるそよ風とともに
お前に寄せてくるまで その庭の眺めから
さらに越えてひとつの
頭の向きを変える方向へ(頭上高くカフェ紋章に書き込まれている:「女性像が柱から歩みでて」そして「色ぬりの石からペルゴラが」)

Julian Schutting Am Morgen vor der Reise

2015年05月05日 13時18分26秒 | 
「なんと弁解しようか、苦心するこねあげる」
宿題を残念にも書くことができなかったのは、ちょうど書き始めた途端虻がわたしの手にとまり夜までそのままだったから(だって鉛筆を尖がすとき指を何本も切り落としてしまったんだもの)。

授業に出なかったのは、わたしがまずは車から溶接外しされなきゃいけなくて、そしてあ、そうか、前の座席には両親がいたんだってやっと確認できたせいです、長いことこりこりしたあとで初めて。

詩の暗誦ができなかったのは、隣の部屋から母の痛いという叫びが聞こえて集中できなかったからです。

答えは本当にわかっています、でも家でアンギーナとベッドにいるので提出できません。などなど


「ユーディット、旅立ちの朝に」
「どちらが怖い」
新しいコートで湿った石塀によりかからないでね、大きな公園の塀が背中のところで突然倒れて急に無くなってお前はうしろ向きに落ちたりしたら、どんなに怖いと思う!
そしたらこんなことになるかもよ、公園の池の鏡の面をのぞいたら下から覗き返すのが誰の顔だと思う!
別に驚かないよ、わたし慣れてるから、ママが髪をとかしているとき、鏡の中でも髪をとかしているでしょ、ママと同じに左の手で。