真夜中の映画&写真帖 

渡部幻(ライター、編集者)
『アメリカ映画100』シリーズ(芸術新聞社)発売中!

リリアーナ・カヴァーニ監督『愛の嵐』と天才俳優ダーク・ボガードの身体に充満する危ない妖気

2016-05-31 | テレビで見た映画


 イマジカBSが『愛の嵐』を流していた。リリアーナ・カヴァーニは、これがあればもういいというくらいに濃密で危険な男と女の官能の劇を撮り上げた。女優とシャーロット・ランプリング、男優はダーク・ボガード。そういえば、いま、この名優を普通に語るような映画ファンをすっかり見かけなくなった。あの柔らかな毒を含む色気にあてられないのは、皆、それだけ健康・健全になったということか。いや、別にそんなこともないだろう。多分、語りたくても求められないし、語っても反応がないから、止めてしまうのだ。そういう風潮ならたしかにある。
 僕が子供の頃こういう大人の世界を垣間見せてくれる役者たちがいた。彼らの作品の広告もそのことを強調し、それをそのように伝えてくれる批評もあった。それらは人間の闇に微かな光を当てていた。なにしろダーク・ボガードである。ジョセフ・ロージーの『召使』『できごと』、ジョン・シュレシンジャーの『ダーリング』、ジョン・フランケンハイマーの『フィクサー』、ルキノ・ヴィスコンティの『地獄に堕ちた勇者ども』『ベニスに死す』、そしてカヴァーニの『愛の嵐』に出演したイギリス出身の国際的な名優なのである。

 

 『愛の嵐』を観ていてその迫力におされるのは、ボガードとランプリングの身体から滲み立ち上がる精神のただならぬ妖気ゆえである。しかし翻って現在の映画やその鑑賞のされかたを思うと、役者の持つ身体性に対する反応が鈍くなってる、と感じられることがある。鍛えられた筋肉とかスタイル美だとかそんなものではなく、精神を包み込む皮膚の、肌合いに隠された秘密の、そんなもののことである。観る側もそうだが、役者自身、監督自身の側にもその感覚の劣化があると思えることがあるのだ。

 

 映画を見慣れた人なら気づいているが、映像にも皮膚があり、その感触がある。映画の映像に直接触れることは出来ないが、それは目で触れた感触であり、そこにも人間の官能があるのだ。しかし、そうしたことに反応することは、もはやジョークかパロディの一種に成り下がっている。だがそれは人間の敗北だろう。70年代初頭のSF映画やマンガがしきりと描いたのは身体性を剥奪された無機質な未来像だった。そうした予感、恐怖心への反発や反動が、同時代を描いた映画のなかに描かれる人間の身体性を剥き出しにしていた。生身の痛みや喜び、快楽やその拒絶感までを描き出すことに腐心していた。『愛の嵐』や『ラストタンゴ・イン・パリ』(ベルナルド・ベルトルッチ)のセックス、『ベニスに死す』に描かれた若さと老醜の対比がそれだし、また異なるタイプの作品だが、『ジョニーは戦場へ行った』(ダルトン・トランボ)『こわれゆく女』(ジョン・カサヴェテス)『エクソシスト』(ウィリアム・フリードキン)『燃えよドラゴン』(ロバート・クローズ)『仁義なき戦い』(深作欣二)『タクシードライバー』(マーティン・スコセッシ)などが強烈に主張し、白日の下にさらしていたのも、人間の肉体と精神の関係、その脆さと強さだった。

 

 84年の『ターミネーター』(ジェームズ・キャメロン)に登場する,人間と瓜二つのロボットに扮suruシュワルツェネッガーのボディビルで鍛えられた人工的な肉体と、人間のマイケル・ビーンの植えて痩せ身の引き締まった肉体を捉えるキャメロンの目には、明確な差別化と対立化が意識されていたと思うが、2015年の『ターミネーター新起動ジェニシス』のシュワルツェネッガーとジェイ・コートニーの肉体からはそれほど明確な違いが伝わってこないから不思議だ。いま、それら古いSF映画に描かれていたような状況が加速して区別のない世界が現出しているということを踏まえて、意識的か無意識的かは分からないが、映画の映像に反映されているということだろうか。その結果、映画の映像の「目で触れる感触」も変化し、俳優の持つ身体性への反応の仕方も、否応なく新しいものになっているのだろう。自分自身その流れに絡めとられており、そのことが残念だが、記憶の底にには、人の生きた身体が持つ感触や官能を捉えた映像への惹かれる想いが、かつてのまま消えずに残っているのだ。
(渡部幻)


フィリップ・カウフマンらしい文芸大河ロマン『私が愛したヘミングウェイ』

2016-05-24 | テレビで見た映画
   

 フィリップ・カウフマンの『私が愛したヘミングウェイ』(12)は、HBO制作のテレビ映画である。
 70~80年代にカウフマンは傑作を連打したが、90年代はあまり成功作に恵まれず、いまでは映画を撮れる機がはめぐってこないようだが、本作は久方カウフマンらしい文学趣味に溢れた佳品となった。
 『SF/ボディ・スナッチャー』でジャック・フィニィ、『ワンダラーズ』でリチャード・プライスを扱い、『ライトスタッフ』では巨匠トム・ウルフの映画化を見事に成し遂げて以降、『存在の耐えられない軽さ』でミラン・クンデラを、『ヘンリー&ジューン』でヘンリー・ミラーとアナイス・ニンを、『クイルズ』でマルキ・ド・サドの物語を描いてきたが、彼は元々は作家志望だったのである。だから、ヘミングウェイと彼の三番目の妻マーサ・ゲルホーン、それにドス・パトス、ロバート・キャパら実在人物が交錯するこの作品は、いかにもカウフマンの趣味にあっているのだ。
 背景はスペイン内戦から第二次大戦に連なる時代で、ウォーレン・ベイティがロシア革命を目撃したジャーナリスト、ジョン・リードを描いた大作『レッズ』(81)を思わせるスタイルの大河ロマンである。
 『私が愛したヘミングウェイ』という邦題からうかがるように、「私」たる主人公はマーサ・ゲルホーンであり、彼女を文芸映画を好むニコール・キッドマンが演じている。

   

 物語は老女となったゲルホーンがインタビューに答えるかたちで進行していく。カウフマンは、戦争とそこに生きる人間を書くことへの奇妙な情熱につかれた戦争記者ゲルホーンと作家ヘミングウェイの愛の行方を描くが、それは戦火の時代にその身を投じてはじめて成立し得た愛の情熱であり、困難や危険こそが2人を性的な関係にしたのだった。そのあたりの描写は、『存在の耐えられない軽さ』や『ヘンリー&ジューン』など往年のカウフマン作品の官能性に及ぶべくもなく、爆撃の中で初めてゲルホーンとヘミングウェイが互いの身体を求め合うシーンにしても、意図は理解は出来るもののひとつ官能の深さに欠けるのであった(テレビ作品だからかもしれない)。
 作家としても性的にも「共闘の季節」が過ぎたことを悟ったゲルホーンは、やがてヘミングウェイとの別れを決意する。ヘミングウェイは彼女との出会いと共闘関係から最高作とも言われる『誰が為に鐘は鳴る』を書いたが、彼を刺激し得る相手を失った彼は、書けなくなり、老いて心を病み、自殺してしまう。一方、彼女はその後もベトナム戦争や81歳のときのパナマ侵攻の取材まで、その情熱を記者人生に捧げきる。
 終盤、記者から「ヘミングウェイに借りがあるでしょう」と問われたゲルホーンは、毅然と「あの男は三十年前に死んだ。彼は誰よりも自分自身を苦しめた。冥福を祈る。彼ついて言えるのはそれだけ。私は誰かの人生の注釈になるのはごめんなの」と応じるが、彼女の机の引き出しには、いまも彼からの手紙がしまってあった。

 カウフマンは動乱の時代を生きた人物の愛と情熱に関心があり、実在の人物を題材にとり、その再現に長けているが、本作でもドキュメンタリー映像を綴り混ぜ、モノクロとカラーを複雑に絡めている。キッドマンは『めぐりあう時間たち』でのヴァージニア・ウルフ役と同様、老けメイクの演技への活用が巧みかつ見事で、説得力があった。映画の構成もあって、ふとダスティン・ホフマンの『小さな巨人』(アーサー・ペン監督)を思い出したりもしたが、彼女にはホフマンまたはメリル・ストリープ的な役者心理の傾向がある。へミングウェイ役はクライヴ・オーウェンで、なかなかはまってたが、イギリス人であることの限界も感じさせ、アメリカの俳優で誰か居なかったのだろうかとも思った。脚本はジェリー・スタールとバーバラ・ターナーだが、ターナーはラルフ・ネルソン監督の問題作『ソルジャーブルー』や、ジャクソン・ポロックの伝記映画『ポロック』、ロバート・アルトマンの『バレエ・カンパニー』なども書いた人らしい。また、製作総指揮に名優ですでに故人のジェームズ・ガンドルフィーニが名を連ねていた。

 

ネタバレなんて、どうってことない。オチを事前に知っても、一向に気にならない。

2016-03-15 | 雑感
 

 町山智浩さんがよく「映画のオチ」を言う言わないについて苦々しく語っている。いわゆる「ネタバレ」のことだが、町山さんは基本「話したからなんだ」のスタンスだと思う。僕自身、先にラストを聞いたからって、どうってことない。聞くのと観るのとでは異なるし、昔の映画雑誌なんて公開前に「シナリオ採録」が掲載されていたのだ。映画の元にはシナリオがあり、そこから実際の「映像作品」がつくられているわけで、シナリオや批評などの「文字」をいくら読んだところで、一向に「映画を観た」ことにならない、というより、なれないのだ。映画はあくまで「観る」ものであり、「読む」でも「聞く」でもないのだから――少なくとも個人的には――仮にミステリーであっても、なんらビクともしないし、気にもならない。
 僕が最初期に読んだ映画本に『エンドマークの向こうにロマンが見える』という高澤瑛一の本があり、名作とされる作品の「ラスト」が物語る感動をスチルつきで解説する本なのだが、これに強く「観る気」を煽られたものである。
 『カサブランカ』『第三の男』『シェーン』『七人の侍』『風と共に去りぬ』『ローマの休日』『望郷』『勝手にしやがれ』『太陽がいっぱい』などの古典のラストなんて基礎知識みたいなもので、すべて事前に知った上で「それは感動しそうだ」と感心したからこそ観たのだし、ラストへと至る過程をドキドキしながら楽しめばよかった。『俺たちに明日はない』『卒業』などのニューシネマなんて、「衝撃」もしくは「感動」の「ラストシーン」が謳い文句になっていたほどで、代表的な作品のほぼすべての「ラスト」を事前に知っていたし、スチルでも見ていたが、「実際の映画」を観ればやはりあらためて衝撃を受けるわけで、それが映画における「描写の力」というものだろう。
 たしかポーリン・ケイルが「ネタバレなんて気にしてるくらいなら映画なんて観るのやめたら」と語っていたと思うが、僕には理解できるし、真っ当な意見と思う。そもそも最近はラストを知ってしまうと困るほどの作品もないと感じているが、新鮮な目で観たいという人の言い分もまた――『マジカルガール』のような例もあるわけだし――よく判るわけで、ケイルほどに強弁しようとは思わないのだが。

 

 

『ホフマニアーナ』――アンドレイ・タルコフスキーが残した「幻視の鏡」

2016-03-09 | 映画の本
   

「あなたも経験あるでしょう――少なくとも夢の中では――どんなことも起こり得るし、何を望んでも、すべてはきっと実現するはずだという確信を感じる経験が。その感覚が本当かどうか確かめようと決心すれば、それは本当に実現するのよ」
「夢の中でならね」
「夢だって現実と同じぐらい現実ではないかしら」
(本書からの抜粋)

 タルコフスキー監督が19世紀初頭ドイツの幻想作家E.T,A,ホフマンをモデルにした映画の構想を立てたのは、1974年。75年に脚本の執筆を開始し、難航の末に書き上げたが、ソ連の国家映画委員会によって阻まれてしまう。しかし、83年にドイツから映画化の依頼を受けると、亡命を決意していたタルコフスキーは、86年からの撮影開始を予定していたが、病に倒れ、遂に「幻の企画」となった。

 『ホフマニーナ』(エクリ)はその脚本の翻訳である。主人公はホフマンその人で、彼の小説をベースにした設定や人生に関わる実在人物が多く登場してくる。が、同時にここでホフマンはタルコフスキーの分身である。ホフマンが生み出す奇怪なイメージにタルコフスキーが自らのそれを重ね見ているというより、まさしく分身であって、眼前にいま一人の自分を見つめながら、さらにその姿を見つめている、また別の自分がいる、という感じなのだ。タルコフスキーはその作中で、水や鏡にこだわり、その「反映」に人間の意識――夢、白昼夢、記憶、幻想――流し込み、ある種の無重力状態を生み出してきたが、「分身」は「反映」のバリエーションであり、『ホフマニアーナ』での場合、鏡の頻出が「生と死」、「現実と幻想」、そして「ホフマンとタルコフスキー」を照らし合い、境界を溶かし、融合させて、それ自体でひとつの「意識体」を形成している。

 そんな本書は、いわゆる「脚本」というより「小説体の脚本」であり、映像化を前提にした文学の趣を持つ。それゆえ固有名詞などに捉えづらい部分もあるが、丁寧な註と解説が付記されているから困らない。ならば、ホフマンの著作や史実に足を取られることなく、タルコフスキーが撮ったろう「現実と同じくらい現実」的な「夢の映画」を幻視することこそファンの「たしなみ方」というものだろう。
 二度と叶わぬ新作を読む者の脳裏に浮かび上がらせる「幻視の鏡」たる『ホフマニアーナ』は、翻訳の前田和泉、挿画の山下陽子、デザインの須山悠里の手になる仕事であり、その佇まいの幻想美もまた、特筆に価する。

(「キネマ旬報」2016年1月下旬号より/渡部幻)

ロバート・アルトマンの問題作『ポパイ』は決して「興行的」な「大失敗作」ではない。

2016-02-24 | ロバート・アルトマン


「でもスタジオはあの映画で金を失くしてはいないんでね。ただ期待したほどのヒットにはならなかったというだけのことで。いまや『ポパイ』は驚異の子守映画になっているよ」(川口敦子訳『ロバート・アルトマン/わが映画、わが人生』キネマ旬報より)

 ロバート・アルトマン自身語るように1980年の問題作『ポパイ』は巷で言われるほど客が入らなかった作品ではない。興行成績ではなくむしろ批評が悪かったのだ。「Mojo」によれば1980年のボックスオフィスで年間の12位($49,823,037)をマークしている。
 ちなみに同年の1位は『スターウォーズ帝国の逆襲』。『ポパイ』とシェリー・デュヴァルが主演したスタンリー・キューブリックの『シャイニング』14位だがから『ポパイ』のほうが上なのである。
 前年の1979年に『スーパーマン』がヒットして「アメコミの映画化」の走りの時代であり、それを受けての『ポパイ』映画化だった。ただこの作品は、撮影地に襲来したハリケーンによりセットが吹っ飛ばされ製作費がかさんだり、パラマウントの大物製作者ロバート・エヴァンズが麻薬スキャンダルを起こしたりでトラブル続きだった。会社としては『帝国の逆襲』並みに当たって欲しかったのだろうが、この数字でみるとおり善戦しているのである。



 ついでに「1980年間ボックスオフィス」から気になるタイトルを抜き出してみよう。4位にザッカー兄弟の『フライングハイ』、5位にクリント・イーストウッドの『ダーティファイター燃えよ鉄拳』、10位にジョン・ランディスの『ブルース・ブラザース』、11位にロバート・レッドフォードのアカデミー作品賞受賞作『普通の人々』、18位に『13日の金曜日』、21位にブライアン・デ・パルマの『殺しのドレス』、25位にデヴィッド・リンチの『エレファント・マン』、27位にマーティン・スコセッシの『レイジング・ブル』、31位にジョン・カーペンターの『ザ・フォッグ』、32位にアラン・パーカーの『フェーム』、33位にロマン・ポランスキーの『テス』、34位にケン・ラッセルの『アルタード・ステーツ』……と錚々たる作品群。このなかで低予算映画ゆえに「化けた」と言えそうなのは『フライングハイ』『13日の金曜日』『殺しのドレス』あたりだろうか。



 ちなみに25位の『エレフェント・マン』は日本では翌年に公開。なんと年間Ⅰ位の大ヒットだった。宣伝の巧妙により大化けに化けたわけだが、『ポパイ』のほうはと言えば、やはり81年の公開で年間興行チャートの40位以内にも入っていない(ゆえに何位なのかもわからない)。『シャイニング』が11位なのと比較して大コケであり、「失敗作」の烙印もこのあたりに理由がありそうだ。
 70年代後半から80年代初頭は超大作作家映画時代で、『ポパイ』のほか、コッポラの『地獄の黙示録』、そのコッポラとルーカスが出資した黒澤明の『影武者』、スピルバーグの『1941』、そして老舗ユナイテッド・アーティスツ社の屋台骨を揺るがした真の興行的大失敗作マイケル・チミノの『天国の門』などがあった。
 そんななか1982年に本国でヒットした超大作がウォーレン・ベイティの『レッズ』。この宣伝で日本に来日したベイティが、「日本は『エレファント・マン』がヒットするような国。僕の映画なんて当たらないだろう」と語っている新聞記事を読んだ記憶があるが、実際予言どおり日本ではまるで客が入らなかった。『レッズ』は1917年のロシア革命を記録したアメリカ人ジョン・リードを描いた作品で、いまもって日本ではマイナーな「ベイティ入魂の1作」である。日本では「社会派とコメディは当たらない」というジンクスがあるが、それは21世紀のいまも変わらない。近年だとスティーヴン・スピルバーグの力作『リンカーン』などはいい例だろう。
(渡部幻)

   


『60年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)を、「はじめに」から。

2016-02-21 | アメリカ映画100シリーズ(芸術新聞社)
  

もし映画界を支配する人々が良質な作品への敬意を持っているとしても、並み以下の作品でも興行的に成功できるという事実が、その敬意を弱めている。しかしテレビが状況を一変させた。映画産業は経済的に大きな打撃を受けたが、一方で、真面目かつ大胆な映画づくりが、いままで以上に求められる状況が生まれた。ロールスロイスとヒョウ皮に代表される華やかさが、ハリウッドから失われても、それに代わって若い世代には願ってもない刺激的な環境が生まれつつある。――スタンリー・キューブリック(1957年、CBSラジオ)

 第二次大戦のアメリカでは映画の非日常世界に浸ることが習慣化して、1946年には週間動員数が9000万人以上に達したとされる。しかし、38年から続いた反トラスト法違反の訴訟で敗れ、54年までに5大メジャーは直営劇場を手放して収益が激減。さらにジョゼフ・マッカーシーの赤狩りが業界を萎縮させて、テレビの普及がこれに追い討ちをかけた。
 14インチから17インチの小さなブラウン管が映像を日常化して、人の知覚や習慣にまで影響を及ぼしていく。トロント大学の教授マーシャル・マクルーハンは、映画を「熱いメディア」、テレビを「冷たいメディア」と位置づけ、64年の著書『メディア論/人間拡張の諸相』に記した。

「地球は電気のために縮小して、もはや村以外のなにものでもなくなってしまった。電気のスピードがあらゆる社会的および政治的作用を一瞬にして統合してしまうために、人間の責任の自覚を極度に高めてしまった」「現代は不安の時代である。電気の内爆発のために、いかなる「視点」と無関係に関与と参与を強いられるからだ」「冷たいメディアは、話しことばにしろ、写本にしろ、テレビにしろ、それを聞く人や使う人が自分でやる余地を、熱いメディアよりはるかに多くを残している。メディアが高い精細度のものであれば、参加の度合いは低い。メディアが低い精細度のものであれば、参加の度合いは高い」

    

 53年、デルバート・マンのテレビドラマ『マーティ』がありふれた人々の生活を描いて反響を呼ぶ。若きシドニー・ルメットやジョン・フランケンハイマーらが手がけた生放送ドラマの「低い精細度」の映像は、電波に乗って家庭に届くことで「日常」と「ドラマ」を結びつけたのである。ハリウッドは、ビスタヴィジョン、シネマスコープ、シネラマ、70ミリ、3Dなどの新機軸で対抗。贅を尽くした非日常の映像で、映画の「高い精細度」化に拍車をかけた。しかし大衆の劇場離れは止まらず、結果、“娯楽の王”の座から転がり落ちる。

人間は二つのタイプにわけられるんだ。部屋に入るなりテレビをつける者と、部屋に入るなり消す者だ。――ジョン・フランケンハイマー監督『影なき狙撃者』(62)より

 しかしこうした状況は“映画”を最大公約数的な“娯楽”から解放させた。ハリウッドとは一線を画するインディペンデント映画、アンダーグラウンド映画、ドキュメンタリー映画が勃興してくる。アートシアターではヨーロッパの新しい波が紹介され、大学の映画学科にベビーブーム世代の若者が集まり、私的かつ自由で、現実的かつ超現実的な映画表現の可能性が模索された。アンダーグラウンドの重鎮ジョナス・メカスは「ニュー・アメリカン・シネマ・グループ」を発足。そのマニフェストのなかで宣言した。

「芸術と人生の嘘っぱちにはもう飽き飽きした。他の諸国の若い仲間たちと同じように、新しい映画を創造するばかりでなく、われわれは新しい人間を目指すのだ。芸術作品と同じくらい、われわれは新しい人生の創造に賭ける。ピカピカできれいに磨き上げられているが中身の方は嘘っぱちだらけといったニセモノの映画はもうまっぴらだ。たとえ荒削りでもいい。素顔の生きた映画の方がはるかにマシだ。観客にバラ色の夢を与える映画でなくてもいい。われわれの欲しいのは血の色をした映画なのだ」

     

 「血の色をした映画」――60年代の映像を映画に限らなければ、テレビ、特にニュース映像が伝えた「バラ色の夢」でない「血の色をした」現実がある。それは、人々の意識を変え、現実観、死生観にまで影響を及ぼし、文化や政治を動かす一因ともなった。
 60年。マサチューセッツ州選出のジョン・F・ケネディ上院議員が大統領候補指名を目指したとき、タイム社のロバート・ドリューはリチャード・リーコック、アルバート・メイスルズらとともに、彼を追う画期的なドキュメンタリー『プライマリー(予備選挙)』(60)を撮影。これがテレビで反響を得ると、続いてケネディは、リチャード・ニクソンと史上初のテレビ討論に挑んだ。そして接戦の末に43歳の“スター大統領”となり、61年の就任演説で呼びかけた。

「同胞であるアメリカ市民の皆さん、国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えようではありませんか。また同胞である世界市民の皆さん、アメリカがあなたのために何をしてくれるかではなく、人類の自由のために共に何ができるかを考えようではありませんか。最後に、アメリカ市民の皆さんも世界市民の皆さんも、どうぞ我々が皆さんに求めるのと同じ水準の熱意と犠牲を我々に求めてください」

     

62年、覚えてる? 62年、君はどこにいた?――ジョージ・ルーカス監督『アメリカン・グラフィティ』(73)予告編より

 62年、キューバ危機が勃発。世界は核戦争の手前まで行くが、回避される。しかし一般的な感覚では、まだ温和であり安全な時代だったかもしれない。そして63年。白昼のダラスでケネディの頭が吹き飛ばされ、民衆はテレビを通じて葬儀に参加した。婦人服製造業者エイブラハム・ザプルーダーが8ミリカメラでとらえた暗殺の瞬間は、「ザプルーダー・フィルム」と呼ばれ、のちに最もよく知られる「60年代の映像」となり、暗殺犯とされるリー・ハーヴェイ・オズワルド殺害の中継映像が、これに続くことになる。
 ケネディを引き継ぎリンドン・B・ジョンソンが大統領に就任。64年の再選の際に衝撃的なモノクロCMを打つ。花びらを数える金髪の少女にカウントダウンの声が重なる。スリー、ツー、ワン、ゼロ……少女が顔を上げるとキノコ雲が空を覆い、ジョンソンの声が語りかけてくる。

「私たちは愛し合わなければ死ぬしかありません。11月3日はジョンソンに投票を。棄権の代償は高くつきます」

     

 遠くベトナムのジャングルでは、平凡なアメリカ人青年が国家的殺戮に加担し、殺し、殺され、狂気にまみれていた。ベトナム戦争はテレビ初の戦争報道となり、63年のベトナム人僧侶ティック・クアン・ドックによる在南ベトナム・アメリカ大使館での抗議の焼身自殺や、65年、CBSのモーリー。セーファーによる南ベトナムの村に派遣された海兵隊員がライターで120棟の家を焼き払う姿、68年、南ベトナム解放戦線ゲリラのアメリカ大使館襲撃とその戦闘を中継。同年、NBCはベトナム共和国警察庁長官グエン・ゴク・ロアンの解放戦線兵士グエン・ヴァン・レムに対する路上処刑などを放送し、世論を騒然とさせた。国民の、世界の、真の敵は誰か? 67年、ボクシング世界ヘビー級チャンピオンの風雲児モハメッド・アリはベトナム徴兵を拒否し、言い放った。

「ベトコンは俺を「ニガー」と呼ばない。彼らには何の恨みも憎しみもない。殺す理由もない」

     

 アメリカの矛盾が吹きだして国民は分裂。人々は“参加”と“不参加”の間で選択を迫られる。カウンターカルチャーが沸き起こり、フォークソング、ロック、雑誌、デモ、シット・イン、ティーチ・インに参加し、徴兵カードを焼き払うことで“暴力社会”への不参加を表明することは、国家の敵となることを意味した。68年、非暴力主義を唱えた公民権運動家のマーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺され、続いてロバート・ケネディも凶弾に倒れた。
 69年、愛と平和のウッドストック・フェスティバルとアポロ11号の月面着陸で、「60年代」は頂点を迎える。ロックの轟音鳴り響く広野に集う40万人のヒッピーと、音のない世界に着陸した宇宙飛行士のニール・アームストロングとエドウィン・オルドリン。この啓示的とも言えるスペクタクルは、人々にひととき現実を忘れさせたが、ベトナムに従軍した無名兵士はこう記していた。

「アメリカという国は、ベトナムの泥沼を這いずり回って暮らす数十万のわれわれ全員よりも、月面にいる、たった2人の男のことを、ずっと心配していたのだ」

     

 歯に衣着せぬ毒舌で体制と対立したスタンダップ・コメディアン、レニー・ブルースは言った。

「真実ってえのはさ、あるがままのもんであってな、あるべき姿なんかじゃないんだよ。あるべき姿なんてえのは、ただの薄汚れた嘘っぱちだね」

 60年代アメリカ映画もまた「あるべき姿」ではない「あるがまま」の姿をとらえはじめる。ハリウッドと非ハリウッド、往年の巨匠と業界のアウトサイダー、モノクロとカラー、スタンダードとシネマスコープ、商業映画と非商業映画が対立し、入り乱れ、交錯するなか、長年業界に君臨してきたタイクーンたちも老いて引退するか、この世を去るときを迎える。メジャー各社は次々にコングロマリット傘下へ。業界に風穴が開くと、テレビ、カウンターカルチャーの洗礼を受けた世代が台頭。彼らの突破する精神が、伝統と革新、映画と現実の境を溶解させて“ルネッサンス”に突入し、67年の『俺たちに明日はない』(アーサー・ペン)や『卒業』(マイク・ニコルズ)、68年の『2001年宇宙の旅』(スタンリー・キューブリック)、69年の『イージー・ライダー』(デニス・ホッパー)『真夜中のカーボーイ』(ジョン・シュレシンジャー)『ワイルドバンチ』(サム・ペキンパー)などの異色作が世に問われた――

     

 ――しかし、現在の目で見れば、俳優だったジョン・カサヴェテスが「映画作家」として導入したゲリラ撮影と感情的混沌の世界こそが「新しい映画」の幕開けを告げていたと思える。若きマーティン・スコセッシは、初めて彼の映画を観たときの思いを、次のように語っていた。

「1959年、ジョン・カサヴェテスが『アメリカの影』で16ミリキャメラをすでに用いていた。だからもう言い逃れはできなかった。カサヴェテスにできたのなら、自分たちにだってできるはずだ!」

(渡部幻)
     

『70年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)を、「はじめに」から。

2016-02-02 | アメリカ映画100シリーズ(芸術新聞社)


 『70年代アメリカ映画100』の「はじめに」(執筆・渡部幻)より。


 60年代のアメリカ社会は「抗議」と「造反」と「革命」に燃えあがった。
 ベトナム戦争、軍の隊列、機動隊、選挙、公民権運動、学園紛争……。1969年にウッドストックに集まる40万のヒッピー、70年5月のニューヨークにおけるブルーカラーと反戦学生たちの衝突――これらの記録映像に通低している視覚的なイメージは、祭りとも見紛わせる人の群れ、つまり「群集」のド迫力である。平和的、暴力的、もしくは中立的なそれであっても、群集は共通して社会への帰属意識に目覚め、ときに巨大な群れになることで、前例のない「祭り(政)の季節」を生きた。

 
俺たちは負けたんだ――デニス・ホッパー監督『イージー・ライダー』(69)より

 1967年、アーサー・ペンが『俺たちに明日はない』で大恐慌期に実在したギャングカップルと彼らを蜂の巣にした体制による87発の銃弾を描いて「ニューシネマ時代」が到来。そして69年、デニス・ホッパーの『イージー・ライダー』で無害なバイカー2人が射殺された瞬間、その頂点を極めたとするなら――「ニューシネマ時代」を「ハリウッド帝国」を揺るがした映画版「祭りの季節」と呼ぶとして――続く70年代が幕を開けた時点で、その熱波は、すでに「終わっていた」、もしくは「終わりつつあった」ということになるだろうか。
 確かに、同時期に現れた傑作群――マイク・ニコルズの『卒業』(67)、スチュアート・ローゼンバーグの『暴力脱獄』(67)、ジョン・ブアマンの『殺しの分け前/ポイントブランク』(67)、フランク・ペリーの『泳ぐひと』(68)、ジョン・シュレシンジャーの『真夜中のカーボーイ』(69)など――は、改革に燃える熱狂というよりも、むしろどこか醒めた自己批評精神にこそ、その優れた特性を示し得ていた。
『イージー・ライダー』と同年にハスケル・ウェクスラーは『アメリカを斬る』を発表。68年のシカゴ民主党大会で起こった群集のデモに対する体制側の弾圧を、テレビ報道メディアの問題と絡めて炙りだした。その予告編では女性のナレーションが次のように語りかけてくる。
 「“純粋さ”とは感情。“自由”とは感覚。感情を失うってどんな感覚? 誰もが感情をなくしたら、国中が暴力で満ち溢れるはずよ。我々の良識を問う現代ドラマ。純粋な時代は過ぎ去り、認識の時代が到来――」

 

 70年代初頭――祭りのあとの索漠とした雰囲気のなかで、人々は離散し、個々の世界へと舞い戻りはじめていた。そんな「70年代」の世相は「60年代」に比べるとあまり革新的な時代ではなかったかも知れない。
 だが、アメリカ映画はここから「ルネッサンス期」を迎えるのだ。新しい映画作家たちが次々に産声をあげた。彼らは、人と時代と環境の関係を観察し、掘り下げ、洞察した。観る者の心をかき乱す猥雑な表現を生みだし、旧来の型を打ち破って、かつてないエネルギッシュな一時代を築き上げていった。

 しかし、いつの時代の映画や監督にも、それが生まれてきた背景があり、決してそこから逃れることはできない。映画がイメージを扱う芸術表現である以上、それは必然であり、一種の宿命として作品に反映される。
 では、ニューシネマを代表した反骨の監督たちの人格や個性の形成に影響を及ぼした「背景」には一体どんな「時代」があったのだろうか。
 アーサー・ペン、ジョージ・ロイ・ヒルは1923年生まれ。ロバート・アルトマン、サム・ペキンパーは25年。ノーマン・ジュイシン、ロジャー・コーマンは26年。スタンリー・キューブリックは28年。ハル・アシュビーは29年。クリント・イーストウッド、ジョン・フランケンハイマーは30年。マイク・ニコルズが31年、シドニー・歩ラックが34年の生まれ……彼らは20年代から30年代の生まれだったと分かる。



 1920年代は「ローリング・トゥエンティーズ(狂乱の20年代)」と呼ばれ、都市化と大衆消費が加速して繁栄に沸いた時代である。しかし一転、29年の株価大暴落によって30年代は未曾有の大恐慌に突入。40~50年代は、第二次世界大戦を通過(従軍経験を持つ監督は多い)して、戦後景気に沸き、パクス・アメリカーナの完成、米ソ冷戦、核戦争の恐怖、赤狩り、そして朝鮮戦争へと辿る過程にあった。文化的に見るならそこには、20年代のロスト・ジェネレーション、ギャングエイジ、ハーレムルネッサンス、フラッパー、ラジオ文化、そして黄金期ハリウッドの西部劇やギャング映画があり、さらにのちにはビートジェネレーションや続くロックジェネレーションの台頭があり、こうしたサブカルチャーが恐慌と戦争の時代を生きる者たちの鬱積や怒りを受け止めてきた。彼ら監督たちもまたこうした時代に青春を過ごし、その感慨と屈折が、「70年代アメリカ映画」の背景を彩る大きな要素となり、作品に反映して、次なる世代=ベビーブーマーの感性とも結びついていくのだ。

 
「人生は祭りだ」――フェデリコ・フェリーニ監督『81/2』(63)より

 イタリアの巨匠フェリーニは映画と人生を結びつけて「祭りの場」へと昇華させたが、「アメリカのフェリーニ」と形成されたロバート・アルトマンは、75年の『ナッシュビル』で「アメリカ建築200年」の「祝祭」に宛てた革新的な「映画の祭典」を生みだした。
 当時50歳の彼は、政治に汚されたカントリー&ウエスタン音楽祭における、とある女性歌手の暗殺をとらえ、その直後に、風に重く揺らぐスターズ・アンド・ストライプスの上に広がる曇り空を見上げていた。
 共和党のリチャード・ニクソンの大統領再選に対する、アルトマンの憤怒から生まれたというこの異型の作品について、そのニクソンに敗れた民主党のジョージ・マクガバンがうまく要約している。
 「意気があがったとは、とても言えないね。あの映画は悲劇と喜劇の両方だ。79年代のわれわれの生活の良いドラマと辛辣な状況をうまく描いているよ。この国の魂をえぐりだして、しかも何も答えもないままで終わっている」(「ローリング・ストーン」誌1976月5月号)

   

 二年後の77年。やはり「空を見上げる者」として登場したのがベビーブーム世代の若き天才スティーヴン・スピルバーグである。
 彼は『未知との遭遇』で、夜空を覆う雲のなかから現れてくる数機のUFOと巨大なマザーシップの降臨を見上げてみせた。ステンドグラスを思わせる色彩と光の洪水、それを見上げ、息を呑む群集の恍惚とした表情――。最初は「驚異」、次に「信心」、そして天上的な「至福」へと至るそれは、人智を超えた存在に対する、一種、宗教的とも言えるような「祭典」としての映画だった。
 これは70ミリの巨大スクリーンで、しかも満員の劇場で他者と共有することによって、初めて体感することのできる映像体験であり、また、そのようにつくられてもいる。
 満天の星空に『ピノキオ』(40)のテーマ曲「星に願いを」を聴かせる、この作品の持つ「オプティミズム」を理解するためには、例えば、あの『ナッシュビル』の「曇り空」に象徴されたいたような「ペシミズム」と、擦れっ枯らしになる以前の無防備な感受性を前提とし、理解することが、多少なりとも必要かもしれない。対照的な2本の映画は、ともに時代の落とし子であり、もはや当時と同様の驚嘆を、現在にもたらすことはありえないだろう。

 
「we are not alone 我々は一人ではない」――スティーヴン・スピルバーグ監督『未知との遭遇』の広告コピーより

 映画と宗教は似て、それを売るものとっては宣伝であり商品の一つに過ぎないかもしれない。しかし、ビデオが普及するはるか以前の観衆にとっては、映画はいまだ手に取れる「物」としての商品ではありえなかった。あくまでも映画鑑賞は闇のなかで光を仰ぎ観る「祭り」であり、人はそこで得た感慨を、みずからの記憶に焼きつけて残すほかのすべを持たなかったのである。
 その意味では、スピルバーグと同世代に当たる『タクシードライバー』(76)のマーティン・スコセッシが、「教会と映画館」を結びつけて語る言葉も、それほど突飛な物言いではない。つまり大げさに言えば、劇場で映画を観るということは、大衆が一つ屋根の下に集まり、もうひとつの人生と向かい合う「祭りの場」として、単に商品として消費されるだけに終わらない「何か」としての役割をも果たし得ていたのだ。

 そんなスピルバーグ世代が志向し、かつ成功させていくのは映画ならではの祝祭性、つもり「エンターテインメント」の復権である。
 ベトナム戦争が終結、ニクソンは失脚し、さして盛り上がらない建国200年祭も過ぎたあとで、人々は見上げることのできる「祭りの場」としての「エンターテインメント」を欲した。
 先輩格にあたるフランシス・フォード・コッポラが『ゴッドファーザー』(72)で描いたイタリア系マフィアの結婚式や、『地獄の黙示録』(79)でジャングルを焼き払うナパームの華麗なスペクタクル(祝祭)には、「ポリティクス」と「エンターテインメント」の融合があったが、そのコッポラと同じイタリア系アメリカ人俳優から、『ロッキー』(76、ジョン・G・アヴィルドセン監督)のシルヴェスター・スタローンと『サタデー・ナイト・フィーバー』(77、ジョン・バダム監督)のジョン・トラヴォルタが登場。彼らをスターへと祭り上げた。ヘビー級タイトルマッチとディスコ・コンテストもまた、ささやかながら「祭りの場」としての映画興行を盛りあげていた。

 

 もう一つ、70年代後半で思い出されるのは、喫茶店やゲームセンターの窓もない暗く狭い室内に整然と設置されたテーブルゲームと、レモン入りコカ・コーラのグラスとストローである。「スペースインベーダー」のモニター画面に展開する小さな宇宙と電子音の世界に、黙々と興じている風景は、なぜかそのまま80年代に隆盛した初期ビデオレンタル店の狭くて淫靡な雰囲気と重なっており、そこには、自分独りだけのための「侘しき祭り」の贅沢と官能があった。
 80~90年代は、この「極私性」から以前とは別種の活況が生みだされていくこととなるが、さらに時を経た現在、より記号化が進み、細分化され、ときに格安商品として店頭に並べられた中古ビデオやDVDという名の「時の記憶」のなかから、新たな「祭りの熱狂」を引きだせるかどうかは、個々の官能力に関わってくるのかも知れない。
 
   

(渡部幻)
 

『80年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)を、「はじめに」から。

2016-02-01 | アメリカ映画100シリーズ(芸術新聞社)
   

 『80年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)の「はじめに」より。


 『80年代アメリカ映画100』は、タイトルのとおり「80年代のアメリカ映画には、どんな映画があったろう」という本である。
 この前の時代、つまり「70年代」のアメリカ映画は革新の季節として記憶されている。前半を象徴したアメリカン・ニューシネマは、勝利よりも敗北、夢よりも悪夢、体制よりも大衆に、積極的な肩入れをすることによって、いわゆる「ハリウッド」を迎え撃ち、カウンターカルチャーとしての「映画」を燃え上がらせたが、それは自らをも焼き尽くすほどの業火だった。
 一九七九年、当時を代表する若き映画作家フランシス・フォード・コッポラが総決算的な超大作『地獄の黙示録』を発表。この作品に登場するキルゴア大佐は、ベトナムのジャングルにナパーム弾を撃ち込み、敵の殲滅に成功すると、次のような言葉を吐く。
 「ナパームのガソリンの焼ける匂いは、勝利を実感させる」
 この言葉には恍惚があった。それは、本作の制作にすべてを投げ打つコッポラの恍惚であり、狂気でもあったろう。
 やがてカウンターカルチャーは、その濃艶のなかに昇天して、終焉を告げる。
 では、80年代はどうだったろう。フラワー・ムーブメントはもちろん、パンク・ムーブメントすらもすでに終わって、残されたのは、ささやかな「レベル(反抗)カルチャー」だけ、とも囁かれた。



 人は「80年代のアメリカ映画」と言われたときに、どんな作品を思いだすだろうか。
 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『E.T.』『トップガン』『ターミネーター』『ビバリーヒルズ・コップ』あたりだろうか? これらは80年代の大ヒット作。テレビでも繰り返し放送された。
 しかしそれだけではない。

 メインカルチャーとサブカルチャーが分裂と融合を繰り返しながら多彩なシーンをつくりだしていたのが80年代である。いまあらためて振り返ると、小粒ながら個性的な作品が、数多くあったことに気づく。ひとつひとつは小さく、短命であったが、結果、バラエティに富んだシーンを形成していた。
 そのため、何をいつどこで、何歳のときに観たかのかによって、80年代の印象はガラリと変わる。万華鏡のごとくカラフルで、赤や青はより原色に近く、白はより白く、黒はより黒かった。

 ロナルド・レーガン大統領とレーガノミクスの時代。
 その背景としての冷戦。そして核戦争、さらにエイズの恐怖。もしくは、パーソナル型パソコンの登場、CD、ビデオデッキとビデオレンタルの普及によるライフスタイルの変化。人の意識は、社会的であるより、より個人的に、より快楽的な方向に傾いてったかもしれない。

 “Good bye 70s...Hello 80s”

 70年代から80年代初頭にかけてのポルノ映画産業を題材とする93年のアメリカ映画『ブギーナイツ』(ポール・トーマス・アンダーソン監督)に登場する言葉。
 この作品では70年代の終わりに仲間うちの一人が自殺。80年代が不穏さとともに始まる。隆盛を誇った産業はビデオカメラの登場によって内部から崩壊。志が失われ、そのことに傷つきながら、軽薄に染まってゆく。

 

 80年代初頭、映画界は曲がり角にあった。
 アルフレッド・ヒッチコック、スティーヴ・マックィーン、ウィリアム・ホールデン、イングリット・バーグマン、ヘンリー・フォンダ、グレース・ケリーら往年の大スターが次々にこの世を去り、テレビは追悼番組であふれた。スターとは手の届かぬもの、同じ地平に生きていると思えぬ、遥か遠い彼方の存在を差していう。彼らこそ真のスターであり、フィルムだけが捉えることのできる影だった。
 光り輝く「黄金のハリウッド」が、いままさに去ろうとしていたのである。

 ほぼ同じ頃かつてなら想像もできなかった世界観を持つ映画作家たちが現れてくる。
 リドリー・スコット、ジェームズ・キャメロン、デヴィッド・リンチ、デヴィッド・クローネンバーグ――彼らのヴィジョンが「80年代アメリカ映画」の最も革新的な側面を担い、ジム・ジャームッシュ、スパイク・リー、ジョン・セイルズらニューヨーク・インディーズが、ハリウッドとは一線を画する極私的な主題と映像を武器に登場して注目を集めていく。

 70年代までに隆盛を極めたロックの世界も曲がり角に立ち、音楽がただ音楽であれば良った時代が、終焉の時を向かえようとしていた。社会の不良分子であり、ゆえにカウンターカルチャーの先頭に立ち、若者の意識を先導したミュージシャンたちも、産業化し、肥大化した業界のなかで溺れていく。
 80年、元ザ・ビートルズのジョン・レノンがニューヨークの街角でマーク・チャップマンに殺されたまさに同じ年にMTVが開局、「映像付きの音楽」がお茶の間に流れ込む。
 「映像に音楽が付いている」のではなく「音楽に映像が付いている」。この転倒のなかから新たな感受性と価値観をもつ新世代の映像アーティストたちが現れてくる。彼らを起用することでマイケル・ジャクソンやマドンナが一時代を築き、テレビとロックの融合は「バンド・エイド」として結実。ロンドンのウェンブリー・スタジアムとフィラデルフィアのJFKスタジアムで開催された「アフリカ難民救済」の一大チャリティ・コンサートは、計12時間に及び、世界84カ国で同時衛星中継された。

 
 
 しかし、80年代で最も画期的だったのは、ビデオデッキとソフトレンタルの急速な普及かもしれない。ビデオは、一家に一台、一人に一台の友となって、人と機械の境界を溶かし、より身近にしたのだ。

 昔々、映画は劇場で観るほかに選択肢を持たなかった。たったいま、闇の銀幕を飾る映画も、来週になれば、また違う作品に入れ替わり、終幕の明かりが点れば消えてしまう。
 映画は、打ち上げ花火であり、つねに滅びゆく運命にあると思えた。基本そういう認識があるからこそ、人々は劇場に出かけた。
 映画は、後戻りすることのできない一回性の体験だった。変化し続ける川の流れ、車窓から眺める風景のようなもの。その儚さが切実だった。ドラマティックであり、ロマンティックで、ときにエロティックですらあった。

 ビデオの出現はそれを変える。
 二度と再会できないと信じてきた、あの作品をもう一度観ることができる。自宅で、しかも自ら選んで、早送りや巻き戻しまでも可能だ。
 夢のマシン――大袈裟に言えばビデオは歴史や時間、記憶に対する人の意識をも変えたのだ。
 レンタルビデオ店の宇宙空間にはあらゆる時代が並存している。
 ビデオテープはさながら手の平サイズのタイムマシーンになり、80年代から50年代へ遡り、次は20年代に飛ぶことも可能だ。時の流れなど無視して、興味の趣くがままにランダムに飛んでゆけばいい。たったいま感動した作品が「あなたの最新作=現在」になるのだ。
 それはビデオによる意識変革だった。人々の意識に潜む官能を刺激し、拡大しながら、同時に、人をより個人的な存在に変えた。
 やがて「映画」はかつての栄光を失っていく。ましてカウンターカルチャーでなく、せめてサブカルチャーですらなくなってゆく。
 フィルムは反映する。映画は、人の世の似姿なのだ。

 
 
 人と同じように映画にも色気が、官能が必要なはずだろう。華やかな官能、疲労感の官能、淫靡な官能……映画鑑賞はひとつの色事だ。色事には生があり死がある。肉感的かつ触覚的で生々しく、人を幻に惑わせる官能の火照りに、その身上がある。
 あの80年代にもそれはあったか? そして現在にもまだあるだろうか?

 PB あなたにとって80年代の夢は何ですか?
 ジョン・レノン 「自分の夢は自分でつくるのさ。ビートルズがそれだし、ヨーコもそれだよ。ぼくがいま言っていることがそれさ。自分自身の夢を作り出せ、さ。ペルーを救いたければ、ペルーを救うのさ。何をやるのも可能さ。でも、リーダーたち――つまりパーキング・メーターにやらせようとしても不可能だよ。ジミー・カーターやロナルド・レーガンやジョン・レノンやオノ・ヨーコやボブ・ディランがやって来て、君の代わりにやってくれるとは思わないことさ。自分でやらなきゃ駄目なんだ。遠い遠い昔から、偉大な男女が言ってきたことだよ。いま神聖なものと呼ばれ、内容ではなく、その表紙があがめたてまつられているいろいろな本の中で、偉人たちは道を指し示したり、道標やちょっとした指示を残したりできる。でも、そうした指示は誰もが見るようにそこにあるんだし、過去にも常にそこにあったし、未来でもそこにあるはずだよ。太陽の下では、新しいものなんか何もないんだよ。すべての道はローマに通ずさ。でも、君には他人にその道を提供することはできないんだ。ぼくには君の目を醒ますことはできない。君になら、君の目を醒ますことができるんだ。ぼくには君の傷を治せない。君になら君の傷を治せるんだ。」(『ジョン・レノン/PLAYBOYインタビュー』(集英社))


※原文を加筆修正。(渡部幻)

渡部明美の60~70年代『週刊セブンティーン』のカラーイラストも発掘

2016-01-31 | アート







©akemi watabe(上記すべてに対し)

『週刊セブンティーン』(集英社)の表紙イラストも昭和元禄 アングラポップさんが発掘。
創刊号からしばらく担当していたからかなりの量があるはずだけど手元にはないのだ。


トッド・ヘインズの『キャロル』を観る前に読んでおきたい淀川長治の『太陽がいっぱい』話

2016-01-29 | ロードショー
   

トッド・ヘインズの『キャロル』が評判のようだが、これは僕が去年に観たなかでも特に気に入った映画だった。
いまは遠い時代のラブストーリーであり、同時に一人の女性の成長物語である。女性とデパート、レコードとラジオ、カメラとフィルム、非米活動委員会と盗聴――保守と抑圧の50年代を柔らかに胸を締めつけるような緊張美で飾りつけて洗練を極め、たまらなく魅惑的だ。全編が名演技、名演出の連なりからなり、撮影、衣装、美術、音楽に至る入念な時代考証とその繊細な表現力が観る者に「現在」を忘れさせる。ヘインズは当時のフォト・ジャーナリズムを参考にし、同時にデヴィッド・リーンの『逢いびき』を引き合いに出していると語るが、これは、社会的、政治的な抑圧と困難に直面したアウトサイダーのソウルを描き続けるヘインズの新たな到達になった。心許なく華奢な身体で人の現実を凝視する才能を秘めるルーニー・マーラと孤独で誇り高くゴージャスなケイトブランシェットは映画ファンに記憶されるカップルになるだろう。

アカデミー賞の作品・監督賞から外されたが、ほかの賞ではノミネートされていることを考えると、ちょっと解せない。またケイト・ブランシェットが主演女優賞、ルーニー・マーラが助演女優賞という分け方にもピンとこない。同時に主演ノミネートか、ルーニー・マーラが主演賞でなければおかしいと思うのだが、こういうことはよくあることで、別に目くじらを立てるほどのことではないかもしれない(『ゴッドファーザー』では当時に知名度の違いからだろうか、ブランドが主演、パチーノが助演だった。内容からすればむしろ逆だと思うが)。

ところで、『キャロル』は女性カップルの恋愛を描いた作品である。映画の監督へインズ自身がゲイであり、そのことはよく知られているが、原作者のパトリシア・ハイスミスもレズビアンだった。このことは比較的最近知られるようになったことで、原作の発表時には「クレア・モーガン」名義で出版している。

ハイスミス作品の映画化といえば、ルネ・クレマン監督による『太陽がいっぱい』が有名である。クレマンもまたゲイだったと読んだことがあるが、主演のアラン・ドロンは、クレマンとやはりゲイの巨匠ルキノ・ヴィスコンティに愛された俳優であった。ハイスミス原作の映画化では他にヒッチコックの『見知らぬ乗客』があり、これも有名だが、主演のファーリー・グレンジャーはバイセクシャルだったと聞く。それを知ってかヒッチコックは、ゲイ・カップルによる殺人事件をモデルとする『ロープ』にも彼を起用。その事件は、リチャード・フライシャーの『脅迫/ローブ殺人事件』や、トッド・ヘインズと同じ頃に登場したトム・ケイリンの『恍惚』にも描かれていた。

『恍惚』はこれまでの映画化とは比較にならないほど率直にゲイと殺人を描いていた。ケイリンとヘインズは共に、90年代に台頭した「ニュー・クィア・シネマ」の旗手として注目されたが、ことにヘインズの才能はそうしたカテゴライズをはるかに超えるものだったと言える。ヘインズの興味と姿勢は、『ポイズン』『SAFE』『ベルベット・ゴールドマイン』『エデンより彼方に』『アイム・ノット・ゼア』『ミルドレット・ピアース』『キャロル』と続いてきた多彩なフィルモグラフィーを貫く個性で、そのことは彼が『ポイズン』を語る次の言葉に集約されていると思える。

「映画の中のリアリティを、ハリウッドの伝統的ジャンル、そのスタイルを検証しつつ、示してみようと思った。映画と観客の間の距離が、物語によって次第に奪い取られてゆく。映画のそんな仕組み、内面に働きかける力、ストーリー・テリング。ただ物語に別の角度を与えること、その角度のつけ方も同じ位、重要だと考えている。面白いのは、当時の恐怖映画が冷戦とか非行とか50年代にあった問題を使ってある種、危機感を煽るように作られている点だ。(中略)ハリウッドのホモ恐怖症のせいばかりではない。実験的な映画を撮ろうとしているから伝統的なハリウッドのフォーマットには収まらなかったんだ」(1991年『FLIX』より)

91年の言葉だが、いま読んでも、新作を語っているように読める。最後の部分について補足すれば、『キャロル』でのヘインズは、失われた(50年代の)ハリウッド・フォーマットにフィットさせた上で、その「角度」を微妙なかたちで異化して自らに引き寄せている。50年代のハリウッド映画は「安全・無害」に殺菌された映画の代名詞だが、それは検閲が厳しかったからであり、悪名高い「赤狩り」による思想弾圧も行われていた。それゆえ野心的な作者たちは自らの思想を、権力に「見えない角度」からこっそり忍び込ませていた。その大家が、たとえばヒッチコックでありビリー・ワイルダーだったわけだ。

   

冷戦と赤狩りが支配した50年代の同性愛を描いた『キャロル』は、「50年代を背景とする50年代スタイルの映画」である。ヘインズはここで、微細かつ微妙な表現と率直な表現を、交互に、抜け目なく施すことで「50年代を現在の眼から批評」しているが、その結果、「50年代には決してつくれない50年代についての映画」になっている。ここで少し長くなるが、ジェフ・アンドリューが1998年に発表した「ヘインズ論」を引用する。

「(トッド・)ヘインズは、社会の価値判断の指標として、そして自己規定の根源になりうる要素として捉えたうえで、病気や”異常”に関心を示している。この考え方は、今の時代を反映していながら、斬新でもある。またヘインズは、個人の生活が心理や性、経済、歴史、政治、文化的要因によってかたち作られていることを、知的な視点からはっきりと意識している。そして彼の現実と”イメージ”の間の隔たりへのこだわり(これはおそらくヘインズが記号学に興味を持っていることに起因している)や、私的な生活と表向きの顔が矛盾しながら共存することに対する興味を、成功、名声、ファッション、メディアに縛られた現代のなかで浮き彫りにしている。またヘインズが、特定の病気や欲望、人間のアイデンティティなどを我々が許容できない、またはしたがらない結果として生じるダメージが何なのかは結局分からない、と認めているところは、理性的で巧妙だといえる。映画的手法という観点から見ても、非常に大胆で、その才能には驚かされるばかりだ。ヘインズは、様式やストーリー運びの形式を自在に操り、新鮮なアプローチで題材に挑み、伝統的なジャンル映画を操作して切り崩しながら、ポップ・カルチャーが映し出す世界像を浮き彫りにし、問いを投げかけている。主題やスタイル、分析的な手法という点でいうと、彼の作品は、間違いなく現代的だ――記号学から得た知識に着目したアメリカ人の監督は、彼をおいてほかにいないだろう。批評家や観客が、ヘインズの作品を特徴づけている両義性を受け入れる心構えを持ち、理解しようと努力しさえすれば、映画作家としてのヘインズの未来は光り輝くに違いない」(『インディーズ監督10人の肖像』/キネマ旬報社より)

これもまた、すでに『キャロル』を知る2015年において、古びていないどころか、いまも的を射ており、彼の一連の作品への理解が深まる論考だったと思う(本では1998年時点における全作品について書かれている)。

ここでやっと話を元に戻すが、ハイスミス×クレマンの映画『太陽がいっぱい』を「ゲイの物語」だと最初期に見抜たのが、かの映画評論家・淀川長治だった。当時に限らずこの作品をそのように見立てた人は少ないと思われ、仮にそう見抜いていたとしても、そのように語る勇気を持てなかったに違いない。一般的には、貧乏な若者が金持ちの若者に近づき、殺して、彼のすべてを手に入れようと目論む「犯罪ドラマ」であり、もしくは『アメリカの悲劇』(モンゴメリー・クリフト主演の『陽のあたる場所』の原作)のような悲劇的な青春ドラマとして観たかもしれない。

僕も、淀川さんの説明を読み、ピンとこないながらも、そういう見方があること、それ自体に刺激を感じた。「おや?」と思ったのは、アンソニー・ミンゲラ監督(彼もゲイと聞いたことがあるが、どうなのだろう)が、同原作を再映画化した『リプリー』を観てからである。ここでマット・デイモン扮するリプリー(『太陽がいっぱい』でドロンが演じた役)は、よりはっきりゲイとして描かれていたからで――この時点でハイスミスがレズビアンとは知らなかったが――淀川さんの「見立て」の確かさに驚いたのだった。

その淀川さんと吉行淳之介の対談を引用する。
映画は開かれたテキストであり、人の想像力は画面に描かれている事柄をいくらでも自らの問題に置き換えたり、引き寄せたりして観ることができるものである。淀川さんの「見立て」を過分に意識する必要もないが、頭の片隅に置いておくことで、より深い理解につながるということもあるだろう。と、どこからともなくサービス精神が沸き起こってきたのである。以下、

淀川 それに、あの映画はホモセクシャル映画の第一号なんですよね。
吉行 (和田、同席の男性も)え、そんな馬鹿な。
淀川 あれ見たら完全にそうですよ。貧乏人の息子のアラン・ドロンが金持ちの家に、坊ちゃんを連れ戻しに行く。彼は金持ちの坊ちゃんのすべてが好きになっちゃうのね。ワイシャツから、ネクタイから、靴から、全部自分のものになったらいいなあと思う。坊ちゃんのほうはそんなもの飽きて困ってる。そして、そんなものほしがる子供みたいな男を喜ぶのね、モーリス・ロネは。手紙を書くのも、サイン教えて彼にやらせるようになる。そのうち、彼がおらな面白くなくなってくる。ラヴシーンだろうが、連れて行く。どっちも無いものねだり。片っ方はネクタイから靴から全部ほしい。片っ方はそんなこという感覚の人間がほしい。
吉行 違うと思うんだがなあ。
淀川 ちょっと待って(笑)。どっちも無いものねだりで、憎らしいけど離れられない。それがだんだんクライマックスになってくるとエキサイトしてくるのね。それは、俺が憎いんだろう、憎いんだろう、憎いんだろうで、とうとう殺すところまでゆく。そして殺しちゃった。なにもそこまでエイキサイトしなくてもいいのに、エキサイトして、片っ方は死んだ。そして、死体になっても、ふたりは離れられないのよ。
吉行 今、それをいおうと思った。スクリューにからみついた死体が離れない、それは淀川流解釈では、そういうとになるんでしょう、と。
淀川 もうちょっと待ちなさい(笑)。アラン・ドロンの方は、洋服からタイプライターから、全部自分のものになった。そこで、サインの練習するでしょう。
吉行 あれが面白かった。いつか深夜劇場で見たらカットされてましたけど。
淀川 あれ、大きなサインでしょう。プロジェクターで伸ばして練習するでしょう。まるでキスマークみたい。あんな大きくする必要ないのに、大きく大きくする。あれ、一生懸命、片っ方の唇をなすってるのね。
吉行 それはどうですか……。
淀川 なぜ、そんなことわかるかというと、映画の文法いうのがあるんです。一番最初、ふたりが遊びに行って、三日くらい遅れて帰ってくるでしょう、マリー・ラフォレの家へ。マリー・ラフォレのこと絵本でも買ってごまかそういって。ふたりが船から降りる時ね。あのふたりは、主従の関係になっている。映画の原則では、そういう時、銃のほう、つまりアラン・ドロンが先に降りてボートをロープで引っ張るのが常識なのね。ところが、ふたりがキチッと並んで降りてくる。こんなことあり得ないのよ。そうすると、そばで見ていたおじいちゃんが、あのふたり可愛いね、いうのね。そして、絵本渡したら、マリー・ラフォレ怒ってしまうでしょう。あの映画、マリー・ラフォレとモーリス・ロネ、マリー・ラフォレとアラン・ドロンのラヴシーンほとんどないのね。
吉行 うーん。映画の文法か。説得力が出てきたな。
淀川 そして、モーリス・ロネを殺してしまって、最後のシーンがくるでしょ。その時に、ヨットが一艘沖にいる。あれは幽霊なの。おまえもすぐ俺のところへ来るよ、という暗示なのね。
吉行 なるほど、あのヨットは何だろう、とおもっていた。
淀川 そこへあなたのいうシーン、太陽がいっぱいのシーンがくる。足をバンとあげて喜んじゃう。その前に、マリー・ラフォレと濡れ場があるはずなのね。ちょっとあるんだけど、それは見せない。で、電話がかかってきて、そうかといった時にワインのグラスを持った。彼の手が若くて美少年らしい。それと一緒にモーリス・ロネの死体の手が写るのね。ダブって。握手してるのね。そこへ、また呼ばれていっち……あれは後追い心中なのよ。
吉行 はあーっ(笑)。映画の文法として、ふたり一緒に降りるのはおかしいというところ、迫力がありましたね。
淀川 ふたつの殺しがあるのね。ひとつはモーリス・ロネの、もうひとつは憎ったらしい太っちょを殺すの。ちゃんと分けてる。太っちょのほうは銅像みたいのんでガーン、モーリス・ロネのほうはナイフで刺す。刃物で殺すのはラヴシーン、前のは単なる殺しですよ。片っぽうのは夢の殺しなの。殺せるか、殺せるか、殺してごらん、とうとう殺してくれたいうね。
吉行 ぼくは、貧乏人と金持ちというパターンであの映画見てましたけどね……。
淀川 また、監督がルネ・クレマンだから、いえるのね。
吉行 そうですか……。いや、勉強になりました。長いこと小説やってて、そこに気がつかないんじゃ駄目だな。
淀川 善良なのよ、あなたさんは。これはさっきの仇討ち(笑)。
吉行 いや、こわかったですねえ。勉強になりましたねえ(笑)。

淀川さんはここで、映画の「文法」から『太陽がいっぱい』に隠された「含み」を読み解いていくが、当時、奇抜とも思えたその「読み」は正しかったことが、いまはわかっている。多分、この時の吉行さんは半信半疑のままだったと思うし、読者の多くも困惑したに違いない。実に面白い対談だが、ほかにスピルバーグの『激突!』やウィリアム・ワイラーの『コレクター』なんかの話をしている。(1977年、新潮社刊の『恐怖対談』所収)。
トッド・ヘインズもまた「含み」の天才であり、彼が新作『キャロル』の繊細な映像に忍び込ませた「隠し絵」の数々を読み解いてみるのも映画鑑賞の醍醐味だと思う。淀川さんならどのように観ただろう。
(渡部幻)

 

ジェレミー・ソルニエの『ブルー・リベンジ』は使い古された「復讐物ジャンル」の可能性を開拓する試み

2016-01-29 | テレビで見た映画
   

『ブルー・リベンジ』(13)をWOWOWの初放送で。劇場で見逃して気になっていたインディペンデント映画である。
異色の大傑作を期待したいたほどではなかったが、しかしこの映画、リーアム・ニーソンものなどで使い古されて大味になった「復讐ものジャンル」にいまだ可能性があることを示している。
『ブラッドシンプル』(84)でコーエン兄弟が、フィルムノワールで定番のボイスオーバーを排して観る者の感情移入を拒み、客観的な立場に置くことによって、ドス黒いユーモアを滲ませ、ジャンルを刷新してみせたのにも似て、本作の新人ジェレミー・ソルニエもまた、主人公のこれまでの人生や復讐に至る経緯を最小の説明にとどめ、加害者との因果関係やその真相もなかなか知らされない。実際(映画としては)実にささやかな理由から起こった殺し合いの顛末は、登場人物たちの自警意識――一家の問題に警察など介入させない――によって雪だるま式に死体の数を増やしていくのだが、ミニマリズムに徹するソルニエ演出は、一連の「青い報復」のなかから得もいわれぬ「憂鬱なユーモア」を滲ませ「主流からこぼれ落ちたアメリカのリアリティ」をも浮かび上がらせる。その「さま」がなかなかの見ものなのだが、新作『Green Room』(15)での飛躍を期待したくなった。(渡部幻)

http://www.imdb.com/title/tt2359024/?ref_=nm_knf_i1
http://www.imdb.com/title/tt4062536/?ref_=nm_flmg_dr_1
(この新作、『25年目の弦楽四重奏』や『マイ・ファニー・レディ』のイモージェン・プーツが出演しているらしい)

   

デヴィッド・ボウイと映画の演技~~ニコラス・ローグ、大島渚、そしてオーソン・ウェルズ。

2016-01-12 | 雑感
 

 再読していたヴィクター・ボクリスの『ビート・パンクス』に、70年代イギリス映画界の鬼才ニコラス・ローグ監督のインタビューが入っていて、彼がデヴィッド・ボウイについて語った言葉があったので引用する。ローグは、ロックスターのデヴィッド・ボウイに演技が出来るのだろうかと人に尋ねられて「思わず」次のように応えたという。

 「しかしあの男はちょっと奇妙な仕草をするだけで、4万人もの人間を魅了してきたんだ。どこの俳優が4万人もの人間を意のままにできると思ってるんだ。たとえデヴィッド自身がジョーン・サザーランドのようにはできないと言ったとしてもだよ。観衆は彼のパフォーマンスや彼の言葉を求めにやってくるんだ。ウォーレン・ベイティじゃあれだけの人は集まらんだろう。そもそもどういう意味で俳優って言葉を使ってるんだ?」

 ちなみに、ローグは、ボウイが主演した奇妙な映画『地球に落ちて来た男』を撮った才人。代表作『赤い影』や『マリリンとアインシュタイン』など記憶を主題に超絶的な技法を駆使したスタイルは、当時、『肉体の悪魔』『マーラー』『TOMMY/トミー』などのケン・ラッセル監督と並び称された。70年代のローグはミュージシャンの起用で知られ、『パフォーマンス』(ドナルド・キャメル共同監督)ではミック・ジャガー、『ジェラシー』ではアート・ガーファンクルを主演に迎え、ドキュメンタリー『Glastonbury Fayre』(ピーター・ニール共同監督)も手掛けており、ミュージシャンたちからの信用を集めていた。(ジョーン・サザーランドはオーストラリアのソプラノ歌手、ウォーレン・ベイティは『俺たちに明日はない』『ギャンブラー』『シャンプー』などの主演や製作者として当時もっとも人気の高かったハリウッド俳優の一人)

 

 ローグは1977年の時点で、アート・ガーファンクルとシシー・スペイセクの主演で『イリュージョンズ』という映画をつくろうとしていたようだが、この企画はなくなり、そしてガーファンクルとテレサ・ラッセルを共演させた傑作『ジェラシー』を完成させる。
 その『ジェラシー』のパンフレットに大島渚が寄稿している。大島は『戦場のメリークリスマス』の監督としてデヴィッド・ボウイを起用。ボウイの映画キャリアにおける「もう一本」の代表作になった。
 大島の文章は「『ジェラシー』との奇縁」と題してデヴィッド・ボウイとの出会いを回想したものだ。

 「昨年の十月の末、私はシティ・マラソンと大統領選でわきたつニューヨークにいた。デヴィッド・ボウイに会うためである。一九七八年の暮から準備をはじめた『戦場のメリークリスマス』は一向に前に進まないのだった。金がかかりすぎるということもあったが、主人公の英国軍将校があまりにも美しく描かれていることも難点のひとつだった。いったい、こういう役者がいるのかね? ふと、デヴィッド・ボウイに思い立った。聞いてみると、人を介したりせず直接交渉した方がいいだろうということだった。早速手紙を書くとシナリオを読みたいと言ってきた。シナリオを送るとすぐ、興奮している。すぐ会いたいと返事が来た。ニューヨークへ着くと、彼は出演している舞台の『エレファントマン』の切符まで用意して待っていてくれた。」「誰かいいライターを知らないかと聞いてみたが、彼は控え目な性格らしく、とり立てて名前をあげなかった。しかし、自分が主演した『地球に落ちて来た男』の監督ニコラス・ローグと、そのグループは信頼していると言った」

 ニコラス・ローグの『ジェラシー』を製作したのはジェレミー・トーマス。彼はのちに『戦場のメリークリスマス』の製作者として名を連ねるのだった(ほかに、ベルナルド・ベルトルッチの『ラスト・エンペラー』やデヴィッド・クローネンバーグの『裸のランチ』の製作も彼だ)。

 

 ところで、先のローグの言葉に、ある種の「スター=演技者」が「4万人もの人間を意のままに」することに関するがあったが、そこで思い出すのが、かのオーソン・ウェルズが、「映画の演技術なるものがあるのか」についてゲーリー・クーパーとローレンス・オリヴィエを引き合いにして語った言葉である。

 「映画俳優はいる。古典的なケースだが、(ゲーリー・)クーパーは映画俳優だった。セットを彼が歩いてゆくのを見たら、だれもが思う。「やれやれ、こりゃ撮り直しになるぞ」そこに彼がいるとはじっさい思えないんだ。それからラッシュを見る、するとスクリーンをはみ出さんばかりに彼がいる。」「個性だ。その秘密を解明する気はない。テクニック以上のなにかだ。テクニックに関しては、ローレンス・オリヴィエ以上の知識の持ち主はいない。もし、映画の演技術がキャメラのテクニックに帰着するのなら、ラリーは第一人者になったはずだ。ところが、映画での彼はすばらしくはあるが、それでも舞台を統括している時の、あのピリピリした存在感が消え、その影法師としか思えない。なぜ、キャメラは彼を縮小してしまうのか? そして、テクニックとは無縁と思われるゲーリー・クーパーを拡大するのか?」(ピーター・ボグダノヴィッチ『オーソン・ウェルズ その半生を語る』より)

 ウェルズの言葉に倣えば、僕としては、「ステージ」から降りて「映画」に出演してスクリーンに映った「俳優デヴィッド・ボウイ」も、「4万人もの人間を意のままに」するカリスマであるときよりも、ずっと「縮小」してしまっているように思える。つまり、ステージでのデヴィッド・ボウイ――こと全盛時代の――は、「映画」(グラマラスな魅力をかなり伝えたトニー・スコットの『ハンガー』や『ジギー・スターダスト』などのライブ映画ほかの映像全般を含む)などで見るより、もっともっと「凄かったはず」だと想像させるのである。

スピルバーグ『ジョーズ』40周年。人食いサメの恐怖。そのサブプロットはメガネ男性の通過儀礼。

2016-01-10 | 映画作家
   


 「何百万年もの歴史を経て生き残ってきた生命体。原始的で憐れみもなく理性もない。生きるために、ただ殺すのみ。どんなものでも襲いかかる、悪魔がいるとしたら、それは“●ジョーズ(●ルビ=アゴ)”をもっている」(アメリカ初公開時の予告編より)

 ほの暗い海中を進む“何者かの視点”。仰々しくドスの利いたナレーションが重なり、ジョン・ウィリアムズの無気味な名曲が鳴り響く。映画史に残る名トレーラーである。

 『ジョーズ』は、ホラー、パニック、スリラー、アクション、アドベンチャーと様々な形容で語られるジャンルの壁を越えた映画史の伝説である。トレーラーでは『キング・コング』(33)『海底二万哩』(54)などを想起させる怪物映画とホラー映画の折衷のごとく売り出しているが、大衆は未知なる“何か”への興味と、怖いもの見たさの覗き見根性を刺激されて劇場に詰めかけ長蛇の列をつくったのだった。
 本作の2年前にスキャンダラスな話題を呼んだオカルト映画『エクソシスト』(73)の監督ウィリアム・フリードキンは、こうした現象について語る。
 「新聞で恐怖映画ということになっているものだから、人は列に並んでいるときにもう怖がっている。タイトルが現われると「いやだ、観られないよ」と言う人もいる。そしてそこが映画製作者として仕掛けていくところだ」(『ディレクティング・ザ・フィルム』キネマ旬報社)
 『ジョーズ』もまた、同様の仕掛けを施して社会現象となり歴代興行記録を塗り替えるメガヒット作になった。


 製作者のデヴィッド・ブラウンとリチャード・D・ザナックは、ピーター・ベンチリーの原作小説を読み、すぐに映画化を決めた。監督としてジョン・ヒューストンやサム・ペキンパーの名が挙がり、ディック・リチャーズが有力候補だったが、最終的に選ばれたのは、『続・激突!/カージャック』(74)でも彼らと組んだ新人のスティーヴン・スピルバーグだった。
 スピルバーグは巨大なサメが人々を襲う物語の中に自身の出世作『激突!』(71/テレビ映画)と劇映画デビュー作『続・激突!~』に通じる構造を見い出す。彼は語る。
僕の三本の映画は、三つのちがったテーマをもっています。でも、フィーリングにおいては、確かに共通したものがある、と思います。罪もない人々が、得体の知れないような、名伏しがたい力に、追っかけられる。それは、わたしが意識してそうしている何か、だと思います」(『キネマ旬報』1975年10月上旬号)
 ここで彼が語る「罪もない人々」とは、別の場所では「いい奴」「平凡な人々」などの表現に置き換えられるが、つまりは「市井の人々」のことである。こうした彼特有の視点――作家性と言っていい――が『ジョーズ』を凡百の怪物映画やホラー映画と似て非なる傑作にするのだ。

 


 スピルバーグはウディ・アレンやコーエン兄弟と並ぶアメリカを代表するユダヤ系映画監督の一人である。彼らに共通するのは「平凡な人物」が内に抱える不安や人生の欠陥が、とあるきっかけから明らかとなり、制御不能の状態に陥るときのパラノイア的な状況を描き続けている点である。アレンの場合、それが都会の人生悲喜劇となり、コーエン兄弟の場合は田舎のブラックな犯罪ドラマになる違いはあるが、スピルバーグは市井の人々の内にある縛とした不安を、象徴的かつ具体的な“何か”に置き換える才能を持っていた。
 「小さな日常」が反転し「大きな非日常」を現出させるときのスペクタクル性に持ち味が現れるが、その“何か”が『激突!』では巨大トラック、『ジョーズ』では巨大ザメ、『未知との遭遇』(77)ではマザーシップ、『レイダース/失われた聖櫃』(81)の転がる石の塊、『ジュラシック・パーク』(93)の恐竜などに置き換えられる。こうしたバリエーションは、のちに社会派ドラマへと拡がり、展開する。『カラーパープル』(85)での黒人女性の受難、『太陽の帝国』(87)の少年の目から見た戦争を経て、『シンドラーのリスト』(93)のユダヤ人虐殺、『プライベート・ライアン』(98)のノルマンディー上陸作戦、『アミスタッド』(97)『ミュンヘン』(05)、もしくは『ターミナル』(04)にしても、「罪もない人々」が「名伏しがたい力」に翻弄され、抵抗する際に味わう恐怖や不安を描き続けて主題的な一貫性が見られるのだ。

 


 スピルバーグは「古い映画スタイル」と決別すべくマーサズビンヤード島でのオール・ロケを決めた。旧来のセット撮影ではなく、リアリズムにこだわることで、観客を恐怖のどん底に陥れようというのだ。
 巨大なサメの模型を海に浮かべ人間と闘わせる――大胆な発想だが、撮影は悪夢の様相を呈する。彼は回想する。
 「『ジョーズ』は僕にとってのベトナム戦争だった。無知な人間が自然に対して仕掛けた戦争で、来る日も来る日も自然が僕を打ちのめした」「何一つうまくいかなかった。サメはチューブを破裂させたり、ぶくぶく沈んだり好き放題やっていた。あれは淡水用に設計されてたんだ。それがわかったとき、路線を変更した。姿を出さないことで恐怖をかきたてる「ヒッチコック路線」でいくことにしたんだ」(『プレミア日本版』1998年11月号)
 スピルバーグは「ヒッチコック路線」の“見せない演出”を選択。マイナス要素を逆手に取ってその「天才」を発揮していく。脅し、はぐらかし、笑わせ、油断させたあとでアッと驚かせる「ショック演出」の数々を発明。なかでも先のトレーラーに登場する「サメの視点(POV)」がユニークなのは「あの」メインタイトル曲とともに「獲物を狙うサメ=殺人鬼」の視点に「観る者の視点」を同化させてしまうからだ。映像に映るのは被害者となるだろう人の泳ぐ足。観客は映画鑑賞の慣わしとして被写体に感情移入するクセがあり、襲う側と襲われる側の気分を同時に味わわせられることになる。ここに本作の持つ「アトラクション性」――恐怖のお楽しみとでも言えるもの――の基本があり、極めてスピルバーグ的な倒錯の仕掛けがあるのである。
 スピルバーグ映画は子供から大人まで楽しめるエンターテインメントだが、同時に、過剰なまでに暴力的な描写を含んでいることでも知られている。『ジョーズ』では若い女性が“見えない怪物”に足を食われて海面を引きずり回される冒頭や、ゴムボートごと襲われた少年の鮮血――黒澤明の『椿三十郎』(62)の5倍ほどの――が吹き上がる場面、沈没船から海水で膨張した死体の頭が現れる場面、入り江で男性が犠牲になる場面(ここで初めてサメの頭が一瞬見える)が観る者に衝撃を与えたが、なかでも猟師クイント(ロバート・ショウ)がサメに飲まれ、口から血を吐いて絶命していく場面は白眉だ。しかし、新世代エンターテイナーたるスピルバーグは、不快になる手前でギリギリ抑制して巧みであり、ヒッチコック的ないしはハワード・ホークス的な職人気質を感じさせる。

 


 『ジョーズ』は1975年の夏に公開。『タイム』は「この映画は最高の娯楽マシーンだ!」、『ニューズウィーク』は「スピルバーグは、ピーター・ベンチリーの原作から社会性とセックスを排除した。結果的に、その選択は賢明だった。若さに似ずスピルバーグは、大脳を無視して直接はらわたに訴える往時の巨匠を彷彿とさせる」と絶賛。
 一方、批判者の代表は映画評論家の荻昌弘だった。
(ベンチリーの小説は)マス・ブルジョワ社会のおこぼれで生計を立てているリゾート海浜都市の入江へ、まったく無制御なホオジロザメ一匹なげこむことで、それにリアクトしてゆく街の諸階層の思惑や行動から、こんにち日本にもまったく共通であるプチブル市民階級の心理と生理をリポートしてみせる。(中略)しかし、このベンチリーも脚色に参加した映画版『ジョーズ』は、(私はこのほうを先に見たのだが)どの角度から見ようとしてもタイしたできとはかんがえられない。後世に作品価値がのこる収穫でないことはもちろん、単にスペクタキュラーなショッカーとしても、見のがせば悔いをながくのこす、といった水準の昂奮のたのしみは、少い。ここには、原作がミニマムの存在価値としていた“アメリカへの眼”さえ欠けるありさまで、私は現代性という点からも監督S・スピルバーグは先年の『激突!』のほうが格段に深層に触れた開発をやってのけていたのに、といいたい。要するに一言でつくせば、これは、リアリズムごかしの並級怪獣ショッカー、という評価から、あまり出られない貧相な作品といわざるをえないのである
 大変な酷評だが、これを掲載した『キネマ旬報』(1976年2月上旬号)には石上三登志の賞賛評も並んでいいる。いわく、
 「この、デッカイ人食い鮫があばれまわるという“ワン・ポイント”映画は、実はただそれだけの事なのである。そして、それに徹したからこその、『キング・コング』同様のメッタヤタラの面白さなのである。(中略)それ以外の楽しさもある事にはあるが、しかし、どうでもいいのである
 と評し、映画マニアらしい視点で賞賛したのだった。

 


 だが、ここでは荻氏よりも『ニューズウィーク』を取りたい。また、石上氏の慧眼に頷きつつ、スピルバーグ映画の個性であり魅力は、血の通った人物造形にあると思うのである。
 初公開時はたしかに――ポスターと予告篇の影響で――巨大ザメの新鮮な驚きに気を取られ、その恐ろしさばかりが話題にされたかも知れない。だが、時を経て驚きが薄くなると、やがて3人の男たち――ブロディ、フーパー、クイント――をまるで旧知の友人のごとく感じ、親しみ覚えている自分に気づくはずである。
 70年代は空前のパニック映画ブームで、『ジョーズ』もまたその流れのなかで話題を呼んだ。だが、大きく異なるのは、『ポセイドン・アドベンチャー』(72)のジーン・ハックマン、『タワーリング・インフェルノ』(74)のスティーヴ・マックィーン、『大地震』(75)のチャールトン・ヘストンのような「頼りになるヒーロー」が登場しない点である。『ジョーズ』に登場するのはスピルバーグが言うところの「平凡な人々」であり、ロイ・シャイダー扮するブロディには署長だという役どころ以上の特技がなく、いままさにサメが人を襲っている最中に「早く海から出ろ!」と叫ぶだけで精一杯の人物なのだ。
 ブロディは犯罪と暴力が蔓延するニューヨークを離れ、家族とともに穏やかなアミティ島に越してきたばかりである。しかし、穏やかで済むはずはない、やがて人食いザメの脅威に対処しなければならなくなるが、彼にはこの任務を遂行するにあたり、致命的な欠陥があった――海が怖くて泳げないのだ。
 ここに一人の助っ人がやってくる。リチャード・ドレイファス扮する海洋学者フーパーは金持ちのインテリでよそ者だが見た目よりも男っぽいところがある。ロバート・ショウ扮する猟師クイントは不遜かつワイルドな変人。個性の異なる彼らが手を組むことになるが、途中、互いの名誉の負傷を見せ合い、友情を深めるときにも、ブロディだけは盲腸の痕しかないのだった。
 アミティ島のアウトサイダーたちが、いがみ合い、皮肉を飛ばしながらも手を結び、島の平和を取り戻すべく脅威に立ち向かうべく海に出て行く。

 


 ここで「70年代」における男性性の位置づけを解説する必要がある。フェミニズムが台頭、女性が強くなると、男性原理の見直しが始まる。映画はヒーローらしからぬ俳優たちを多く輩出。その最初の声が『卒業』(67)のダスティン・ホフマン、続いて『イージー・ライダー』(69)のピーター・フォンダ、『真夜中のカーボーイ』(69)のジョン・ボイト、『ファイブ・イージー・ピーセス』(71)のジャック・ニコルソンら、いわゆるニューシネマ俳優が台頭してくる。彼らは「弱い男」「平凡な男」を演じて共感を呼ぶが、この潮流への反動を示した監督としてサム・ペキンパーを挙げなければならない。
 ペキンパーの代表作『わらの犬』(71)は、「暴力はびこるアメリカ」を捨てて「安全なイギリスの田舎町」に越してきた軟弱な数学者(ダスティン・ホフマン)が主人公である。彼には性的魅力をもて余している妻(スーザン・ジョージ)がおり、無邪気にじゃれる毎日だが、しかし暴力は普遍であり、彼らに襲い掛かる。夫は妻をレイプされるが、しかし屈強なイギリス男たちを前に無抵抗であり、気づかない振りをしている。そんな「男らしさ」とは程遠い「平凡な人物」が、終盤、暴力本能もあらわに決死の闘いに挑み、敵を皆殺しにして生き残る――。『わらの犬』は現代的な男性性を挑発し、内なる野生を取り戻させる「ペキンパー流の通過儀礼」であった。

   


 なぜ『わらの犬』を引き合いに出したかと言えば、スピルバーグの『激突!』もこれに似た構造を持つからだ。妻に頭の上がらぬ郊外暮らしの平凡なサラリーマン(『激突!』『ジョーズ』『わらの犬』の主人公は全員がメガネをかけている)が、巨大なトラックに追われるうちに「決闘(~原題)」を迫られ、遂に打ち倒すまでを描いた物語である。ラスト、主人公はトラックを打ち倒す。それは恐竜を倒して嬉々と跳ね回る原始人のようだ。やがて彼は落ち着き、虚脱する。あのトラックはもしかすると彼自身の内なる本能が呼び覚ました「怪物」の象徴ではなかったか? ここには『わらの犬』と同様、文明に本能を去勢されていた男の悲哀が滲んでいた。
 『ジョーズ』のブロディも最後に孤立して巨大サメとの「決闘」を迫られる。そして勝利すると、狂喜の雄たけびを上げ、知らぬ間に海への恐怖を克服している自分に気づく。そして「前は海が嫌いだった」と笑いながら、フーパーと共に満ち潮の海を泳いでいく。『ジョーズ』のメインプロットは「サメ退治の物語」だが、サブプロットはブロディが「トラウマを克服する」までの成長物語なのである。ブロディは人食いザメを倒すことによって海への恐怖を乗り越え、ついに「署長」の名に相応しい「真のヒーロー」に生まれ変われるのだ。

 


 『ジョーズ』の70年代性は『わらの犬』や『激突!』との構造上の類似からも明らかである。しかし荻昌弘が書くように批評精神に欠け、表面的で、掘り下げが不足しているだろう。ただ、それはスピルバーグが「あえて選択した」ことのはずである。彼は原作に描かれる社会的な背景の一切を脚色の段階で排除している。そしてこここそ荻氏の不満な点なのだが、そもそもスピルバーグは「現代」に関心が薄く「過去」志向が強いのである。
 『ジョース』にものちの歴史大作に顕著なスピルバーグの志向性が現れる有名な場面がある。クイントが語る「軍艦インディナポリス号」のエピソードがそれだが、派手な見せ場に事欠かないエンターテインメント作のなかにおもむろに「過去の歴史」が流れ込んでくる部分であり、ひと際リアルでシリアスな印象を与える。
 「インディアナポリス号」とは1945年に広島に落とすための原爆を運んだ実在の軍艦である。任務完了後、日本の潜水艦に攻撃され、乗組員1196名のうち300名が死んだ。海に放りだされた生存者たちは人食いサメに襲われて次々に餌食になっていった。最終的に生き残れたのは、わずか317名。クイントはその生き残りの一人という設定なのだ。彼はその経験があるゆえにサメ退治への執念を燃やしている男であり、ここにはスピルバーグが好む『白鯨』のエイハブ船長の影がある。ロバート・ショウが自らの過去を語りだす場面は、スピルバーグの確かな演出力を示している。語りだけで観る者の想像を刺激しながら、男たちの頭上で揺れるランプの光と影を利用して緊張感を高める。この部分は、いわば本作の「さらなるサブプロット」である。そして本作中で最も真に迫ったこの場面が、映画全体の印象に及ぼした影響は計り知れない。

 

10
 自らの弱さと対決する男たちの物語を盛り上げたジョン・ウィリアムズの功績も大きい。あまりにも映画的な高まりの妙味は、二人のコンビネーションなくして生まれ得ないものだ。『ジョーズ』は「あの名曲」と共に熱狂を生み、キャラクターグッズが販売され、シリーズ化され、ついにはユニバーサル・スタジオの名物アトラクションとなった。
 シリーズは他の監督の手になるものだが、それ以上に当時の観客が「騙された」のが数々の亜流作品。『グリズリー』(76)、『テンタクルズ』(77)、『ザ・カー』(77)などの愛嬌ある小品や、『オルカ』(77)『ピラニア』(78)『トレマーズ』(90)などの秀作を生むきっかけとなった。だが、いまだ『ジョーズ』の完成度に匹敵する作品は存在せず、戦後アメリカのポップカルチャーを語るときに欠かすことのできない金字塔であり続けている。
(渡部幻/「映画秘宝」2015.11『ジョーズ』40周年より加筆修正)




スティーヴン・スピルバーグ流の〈教育的〉冷戦サスペンス『ブリッジ・オブ・スパイ』

2016-01-09 | ロードショー
 

 スティーヴン・スピルバーグの『ブリッジ・オブ・スパイ』を渋谷のTOHOシネマズで観た。この場所でのスピルバーグ映画鑑賞は『ミュンヘン』以来。当時はTOHOシネマズとは言わなかったかもしれない。ちなみに場内は初日にも関わらずガラガラだった(最近は金曜日が初日になることが多いせいもあるかも知れない)。『ブリッジ・オブ・スパイ』は公開劇場がどこも小さなスクリーンばかりなのが解せなかったが、それがいまの日本におけるスピルバーグ映画の立ち居地なのだと考え、その状況に対する「別の想像」を膨らませる方向へ思考を切り替えたのだった。

 スピルバーグ映画は、『ジョーズ』『インディ・ジョーンズ』などの娯楽作、『シンドラーのリスト』『プライベート・ライアン』『リンカーン』などの社会派作を含め、共通するのは、巨大な難問が個人の前に立ちはだかり、今にも押し潰さんとする時、それでお理想を貫く「不屈の意志」を描いた物語だと言うことを改めて感じた。スピルバーグは「男の映画作家」なのである。
 かつて盟友ジョージ・ルーカスの『スターウォーズ』と同年に『未知との遭遇』を発表して並び称されたスピルバーグ。あれから40年近くの年月が過ぎてルーカスが『スターウォーズ』から手を引いたいま、彼は旺盛な挑戦を続けているが、彼の基本的な「物の見方」は変わっていないと言えるかもしれない。

 冷戦下の50年代に起きた両国のスパイ交換の物語は、彼の幼少時の出来事だが、だからこそその史実を「映画の形」に残そうとしている。本作に描かれた50年代アメリカには欺瞞と事なかれ主義が蔓延している。主人公の弁護士は、ほとんど昔のアメリカ映画に出てくる絵に描いたような保守的な家庭持ちだが、それゆえに、アメリカの理想主義を貫き、難問に挑戦しなければならなくなる。
 「ならなくなる」というのは、初め彼は――多くのスピルバーグ作品の主人公と同様――その挑戦に前向きではないからだ。しかし、一度やると決めたら、熱に浮かされたように没頭し、諦めず、命をかけても責務を全うする。つまり、この「教育的」かつ「真面目」な映画で、スピルバーグはそんな男たちこそ「目指すべき真のアメリカ人」の姿だと言いたいのだ。彼は「アメリカ人として生きることとは?」「アメリカの初心とは?」「アメリカの理想を実現するために必要な態度とは」と問いかける。多様な人種と文化が混在するアメリカをアメリカたらしめる理想の実現――それ自体が巨大な難問であり、壮大な実験であるが、映画もまたその実験の一つだから、興味が尽きないし、アメリカ映画を肴に議論することは面白い。その問いの難しさゆえに、アメリカはしばし道を踏み外し、幾多の間違いを起こし批判にさらされてきた。しかし一方で、その歪みを指摘して是正すべき「ほとんど奇跡」とも思える「理想の実現」を成し遂げてきた「現実の男たちの偉業」があり、そのスピリットこそ忘れてはならなぬものなのだと、スピルバーグは物語り続けることを責務にしているようだ。そうした彼の熱心な学校教師的な側面と愛国心は――たとえそれを日本のそれに置き換えても――僕の共感の外にあるものだが、映画監督としてのカメラ扱いのうまさは相変わらずで、構図と動かし方ひとつで状況を伝えてしまう。

 トム・ハンクスは理想の男性像(父性像)を自然体の芝居で演じていよいよスペンサー・トレイシー的。国家の壁をこえて「架け橋」となるべく奮闘するハンクス手だれの名演を見てると、彼なら『ニュールンベルグ裁判』のトレイシーの役柄も相応しく演じられるだろうと思えた。だが、本作が観る者を引き込む原動力はマーク・ライランスの存在。「時代」に準じた男の諦念と誇りを静謐な意志を秘めた芝居で名演している。結果、まるで「ベスト・オブ・スピルバーグ」のような作品になっていた。
 しかし僕は、初期スピルバーグ映画の猪突猛進的な面白さに夢中になって育った口なので、彼の歴史映画の「教育的」な部分が苦手であり、見ながら極力それ以外のところを面白がろうと努力していて、その無理に疲れてしまうこともある。「教育的」な要素を「描写」そのものが凌駕しているスピルバーグ映画と言えば『ミュンヘン』。僕はこれがベストだと思う。
(渡部幻)

デヴィッド・ロバート・ミッチェル『イット・フォローズ』のインスパイリングな「新しさ」と「物足りなさ」

2016-01-06 | 試写
   

 デヴィッド・ロバート・ミッチェル『イット・フォローズ』はユニークなホラー映画である。個人的にはまるで怖くないのだが、それは筆者の感受性の問題である。ホラーにも色々あり、『エクソシスト』などは大好きだが、『リング』にはなにも感じないというところがある。ホラーは好きだが「怖い」から好きなわけではないし、多分その方面の感性すれっからしになってる。本作は「青春ホラー」だが、個人的にはこのジャンルに思い入れがないし、若者がいくら脅えていても(大げさに言えば)なんとも思わないようなところがあるのだ。ただ、非常にインスパイアリングな作品であり、奇妙に尾を引くところがある。その感触からホラー好きなら『ハロウィン』などの初期ジョン・カーペンター作品を連想するだろう。いっけん二番煎じみたいだが、それで終わらないひらめきを感じさせる。高評価もうなずける異色作なのだ。

 映画は視覚・聴覚の感覚表現である。本作はひと目でその映像感覚に目をみはらされる。映画は総合表現なので一口に感覚と言っても、撮影、被写体、編集、それとも全部の総合を指しているのかわからない。どれを指しているのかで受け取り方も変わってくる。『イット・フォローズ』で僕が感心したのは撮影である。シネマスコープを活かした構図の陰影が深く、しかも「ほぼ動かない」。それゆえ観る者は動かないロングショットのワイドな構図のなかを観察し、目玉を動かす。ホラーだからその「目の動き」は脅えにもとずき、「恐怖の対象」を探しているのである。アングルの「固定」は、ここで劇場の椅子に固定された観客の視線と結びついている。冒頭で椅子に縛られた少女を見せるが、それはスクリーンの鏡に映った観客の似姿なのである。

 映画の画面は「世の映し鏡」である。スクリーンは鏡であり、その反映としての世界を眺める行為が映画鑑賞なのである。映画の鏡の世界は多彩である。「写実的なもの」から「奇妙に歪んだもの」まで色々だが、観客はスクリーンを覗き込んで、そのなかに自らの似姿を見出す。観客はその似姿=登場人物に共感したり嫌悪したりするが、作者はその心理を利用してドラマを様々な方向へ転がしていく。娯楽映画の多くは、極力、大衆の要望に合わせ理想化された人物を描くことが多いが、しかしホラーの場合は、必ずしも理想的な人物像である必要はない。こと青春ホラーではむしろ欠陥を持つ普通の人物がひどい目に合わされることが多いかもしれない。

 

 「鏡」を始終覗き込んでいるような人がいるが、あれはどうしてだろうか。自分の顔をそんなに眺めるとは、極端に神経質な人か、もしくはナルシスト、それともマゾヒストだろうか? 「ホラーの鏡」の場合どうだろう。映画は鏡だと書いたが、自らの似姿=分身たる登場人物を通じて恐怖に脅えてみたいなどとというのはどちらかといえばマゾヒスト的ではないか? ホラー映画ファンにかぎらず映画ファンなどという存在は多少なり歪なところを持っているものだと、自らを省みて思うのだが、しかしホラー映画に描かれる恐怖のつるべ打ちを観て喜んでいるとはどういう風の吹き回しからくるのだろうか。この世にはびこる者どもが痛めつけられるのをみて喜んでいるのか。それとも自らを鞭打っているのだろうか?? よくよく考えると奇妙に思えるものだが、ファンはそれを糧として生きているし、ホラー中毒者はあとを絶たない。
 ホラーファンにもいくつかあり、被害者の立場に身を置くマゾヒスト型の人物と、加害者の立場に身を置くサディスト型の人物とがいる。言い換えれば被害者の立場に身を置くのは普通のファン。加害者側に身を置くのはマニアックなファンである。マニアックなファンは作者たる監督の側に身を置こうとする癖がある。つまり脅かす側に身を置くため、脅される一方となるお化け屋敷には腹を立てる傾向がある。しかし『イット・フォローズ』の場合、ほとんどサディスト型の立場に身を置くことはむずかしいのではないか。本作には具体的な加害者が存在しない。もっぱら被害者側の心理状況を追体験させられ、恐怖の正体と理由を、観る者に自ら「考えさせる」ようつくられている。僕が怖くなかったのはここが理由だった。おもしろいのだがホラーとしてみれば適者生存の本能を直撃する恐怖感を煽ってほしいのだが、本作のつくりは「知的」に過ぎるように思えたのである。

   

 『イット・フォローズ』の主人公は青春盛りのティーンたちだが、彼らに襲いかかる「それ」は「レザーフェイス」や「ブギーマン」のように「具体的」かつ「特定的」な怪物ではない。たしかに「人の形」をしたゾンビのごとき存在が登場する。「それ」はただ歩きながら近づいてくる。単にそれだけなのだが、それらは「死」の象徴であり、その要因は「セックス」にあるのだ。ポイントは「死という観念」である。「死」を思わせるなにかが、ただ「こちらに近づいてくる」のが怖いという映画なのだが、言葉で説明するのは難しい。それは悪夢の感触に似て、目覚めたあと他人に話しても、まったく伝えられないのと似ている。相手の表情に「恐怖」が浮かんでいないのである。「ああなって、こうなって」というようなストーリーラインはここであまり関係はない。悪夢のなかの「あの雰囲気」。それが真に迫って「恐ろしかった」のだが。『イット・フォローズ』はあえて言えば「そういう」雰囲気を持つホラー映画なのである。「恐怖感」というより「不安感」といったほうニュアンスが近いかもしれないが、この映像は若者に特有の漠とした孤立感をよく捉えている。自らがいまだ不確かな存在でしかないことからくる孤立感。これに押しつぶされて人生を終えてしまうことも稀なことではない。

   

 ジョン・アーヴィングに『ガープの世界』という小説がある。ホラーではないが「死」が蔓延する世界が描かれる。登場人物たちに襲い掛かる「死」は、質、量ともに『イット・フォローズ』をはるかに超え、子供だましに見せる。この本で人々を死に追いやる要因は「暴力」「事故」そして「病い」である。ホラーでなくむしろユーモラスなの小説だが、そのことがかえって強力なリアリティを生む。次々に不条理な死が描かれていき、死が山積みの状態になるが、この状況を生き延び、ついに心の平和を得たころには「老い」という名の病いに襲われ、あっけなく死んでしまう。アーヴィング的な人生観。主人公のひとりに型破りな看護婦が登場し、彼女が言うように、人間はみな漏れなく「死という病」を患っている。世に生まれ落ちた瞬間に作動を始めた時限爆弾を抱えながら右往左往し、そして死んでいく。かように「生きる」とはイコールで「死に向かう」ことと同義なのだ。
 主人公ガープは、第二次大戦中に死にかけた兵士を犯して孕んだ看護婦が生んだ子供である。この本には死と同じくらい多様な性とセックスが描かれるのだが、性と死は分かちがたく結びついている。
 人はその成長過程で擬似的な「死」をいくつか経験するが、そのひとつは「眠り」である。誰もが一度くらい「眠ったまま二度と起きなかったとしたら」と考えてみる。日々の眠りは死の予行演習であり、明日よりよく生きるべく「眠る=死ぬる」のである。次に「病い」がある。風邪で高熱を出して意識が遠のくと肉体から魂が遊離していくような感覚にとらわれることがある。病いもまた死の予行演習であり、病いが完治すると毒素が抜けて以前にも増してサッパリするのもそのためである(ときに失敗するとそのまま死ぬ)。さらに「セックス」がある。セックスの目的のひとつは生殖だが、そこにはセックスでしか得られない快楽が伴うため、それだけを目的として人はその行為を求める。性的快楽の絶頂が死を思わせる感覚を呼び起こすことは大人なら身を持って経験している。絶頂で死に近づき解き放たれる快感を知った者たちは、繰り返しそれを求めるようになるが、快楽重視のセックスに付きまとう不安と危険がある。妊娠し、もしも産むつもりがなければ堕胎しかない。それは命の死を意味するから避妊を考えるが、しかし避妊も突き詰めれば命の種の死を伴うものである。男性はマスターベーションで精子を殺すことに慣れているよるようなところがあるが、それもまた「死の予行演習」のひとつだろう。人の肉体は日々さまざまな生と死の繰り返しのなかにあり、子供のときの「肝試し」や「探検」、「いじめ」や「殴り合い」、「大怪我」それに「近親者の死」など、さまざまなかたちで「死の擬似的体験」もしくは「死に至るための通過儀礼」が、人生のそここには用意されているのだ。そして「恐怖小説」を読んだり「ホラー映画」を観ることもまたそんな「死のレッスン」のひとつなのである。言い換えてみれば「死に至る通過儀礼」なのである。

   

 ホラー映画『イット・フォローズ』で若者たちのもとへ「死」を運んでくるのは「セックス」だ。思春期の若者が感じる孤独と不安がセックスを求め、そのまま「死」へと直結してしまう恐怖の底には罪の意識がある。いまだ大人の保護下にあり、監視されている彼らにとって、セックスは「大人からの解放」と結びついている。彼らはいまだ真の「恍惚」は知らないかもしれないが、そこに「死」の匂いを嗅ぎ取るからこそ、いわれのない罪の意識を感じる。ここから恐怖が生まれるのだが、気になるのは本作の背景にある宗教観である。しかしそこには踏み込まない。映画は宗教を超えているし、宗教もまた突き詰めれば普遍的な性格を帯びるものだからだ。
 子供と大人を対立軸に置いたセックスはある種の背徳性を帯びる。セックスが大人の保護からの開放を錯覚させ、その開放感がセックスをより求めさせる。人間は、普段、他者の裸体に触れる機会を持たないものである。「触れない」ということは「触れられない」ということでもあり、それ自体が存在の孤立なのである。多くの人は、どこかの誰かに恋愛感情を抱き、それを伝え、了解を得ることで相手の裸体に触れる禁を破ることが許される。他者との肉体的な結びつきがひととき孤独を忘れさせるが、普段、誰にも触れることなく触れられることもない「皮膚」は敏感であり、触れ合うことで強い喜びを覚える。その喜びは「生きている」実感であり陶酔感につながるが、やがて快感が絶頂に至ると「死に近づくことの」の恍惚へと変わる。しかし、絶頂の瞬間はやはり孤独である。死ぬときは誰も一人ぼっちでなのだ。脳がしびれ、純粋に肉体的な存在になると、すべてが溶け出し、消えていくような感覚に陥る。「死の予行演習」である。

 

 セックスの喜びを知ったばかりの若者は――通常どのくらいか知らないが――15から19年近く孤立してきた肉体を他者と結びつけ、生きる実感を得ることに夢中になる。『イット・フォローズ』は「セックス」がイコールで「死」と結びつく恐怖を描いている。セックスは「生死の分別」から解き放つ麻薬だが、ここでは無防備な若者の他者を求める心が「死」を撒き散らすことになるのだが、別に性病のメタファーというわけでもないだろう。『ハロウィン』などと異なるのは主人公が処女でない点である。主人公の少女は性的に開放されているが、ことさら潔癖でも奔放でもなく、セックスが先行し、恋や愛の感情があとから付いてくる状態であるかもしれない。彼女らが性的に潔癖でないぶん「それ」が「うつる」可能性が高くなるが、不潔さはなく、むしろ清潔なのは、その根に他者との触れあいを求める気持ちが感じられるからだ。セックスの描写に扇情性がなく、会話や食事もしくは睡眠の延長のようにスケッチされるのが新鮮だが、映画の仕掛けどころもここにある。カジュアルなセックスが「死」を「うつし合う」状況を誘発し、恐怖に怯え肩を寄せ合い助け合えば合うほどセックスの機会が増えてしまう。また、舞台となるデトロイトの町並みがシネマスコープの画面に印象的に描かれ、若者の心身を包囲して蝕んでいる。ここでは、町そのものが「死」の象徴なのであり、若者たちを孤立させる装置ともなっている。また大人の気配がなく、それが映画全体に「夢の性格」を付与している。若者らは無気力であり、熱情を伴わぬセックスの氾濫が、彼らをより弱い存在にしているともいえる。彼らはセックスによって生死の境をさまようことになるが、生か死のいずれかを選ぶことはできない。両側をまたぎ死とともに生きていくほかはないのだ。

 

 劇中に何度か登場するプールは、彼らがいまだ羊水に浸かる子供であることを示唆するが、いずれ出なければならないが、彼らを取り囲む死に体のボストンから抜け出すこともできない。受け入れなければ死ぬ。浜辺で死んだ少女のように。もっとも『イット・フォローズ』はホラーだから『スターウォーズ』のごとく「愛と連帯」が「悪と弱気」に打ち勝つ可能性は低い。純粋が死に追われ、敗北の危機に瀕してこそホラーだ。これは「セックス」を通じて「死」と出会ってしまった現代アメリカの若者たちの通過儀礼でありサバイバルのドラマなのである。
 『イット・フォローズ』は「死」を「克服されるべきもの」でも「克服できないもの」でもなく「受け入れるべきもの」として描いているように思える。それは正論であり、非常に教育的だと思うが、映画は正論や理知でおもしろくなるわけでもない。『イット・フォローズ』でユニークなのはホラーにしては身体性に欠けている点である。観念的かつ知的に構成されている本作はまるで肝心要の「本能」をどこかへ置き忘れているかのようだ。黒沢清の『回路』に描かれた「死の蔓延」と「愛と友情」を思わせなくもないが、あちらのほうがスケールが大きかったし、死の観念にもより膨らみがあったように思える。が、視覚的には『イット・フォローズ』のほうがはるかに好みなのである。