アフリカン・ピアノ

2009年07月12日 00時56分08秒 | 日記
はれ
 ダラー・ブランドのピアノソロ「アフリカン・ピアノ」を聴く。
繰り返し聴きたいとはじめて思ったジャズピアノソロ。特に1曲目の「bra joe from kilimanjaro」がいい。
繰り返されるフレーズと打楽器のようなピアノの音がめまいをさそう。これもサイケと言ってもいいのじゃないか。

注文
Cowboy junkies 「Trinity Revisited」
 これが出ていたとは知らなかった。DVD付


音楽の聴き方

2009年07月10日 23時28分13秒 | 日記
くもり
岡田暁生「音楽の聴き方」を読了。おもしろい。
いまさら音楽の聴き方でもないが、評判がよかったので読んでみたらおもしろかった。
ぼんやり聞いていたこれまでの聴く型の意識化と整理、自分自身の聴き方の偏差について自覚的になること、そんなことが音(サウンド)と音楽の二つに分けで書いてある。
なかに「私にとって音楽とは、人が人に向けて発する何かである。それは他者、つまり私以外の誰かがこの世に存在している(いた)、つまり私は一人ではないということの証ではないか。」とある。そのとおり。そのとおりかもしれない。いや、そのとおりと言いたい。



寛容の原則

2009年07月08日 23時58分14秒 | 日記
くもり
・寛容の原則「相手の発言が複数の意味に理解できる場合、なるべくその発言が真になるように理解すべし」
 言葉というものは必ずいくらかの曖昧さを帯びているから、語り手の言葉の持つ複数の意味のうち、語り手に不利な意味を採用して曲解してゆけば、いくらでも批判することができる。
しかしそんな意味のズレを作り出して批判しても、相手の趣旨から離れてゆく一方で、コミュニケーションは成立しない。
わざと偽なることを述べる人はいない、という前提に従うこと。
これは肝に銘じておかないと。
 もうひとつ、あたりまえのようだけど、
・充足理由律「現に成り立つことは、それなりの理由があってこそ成り立っているのだ」
逆に言うと、理由とか原因とかを持たない出来事というものはない。
ある出来事が起きたとき、それへの致命的妨害がなかったから起きたのだとは常に言えるから。
それから言えるのは、
・無差別原理「あるケースが他のケースより起こりやすいと考える理由がないならば、それらのケースを同等の確率を持つとすべき」
・斉一性原理「ここで、いま、あてはまる物理法則は、他の場所、時刻にもあてはまる」
                          :三浦俊彦「論理学がわかる事典」から


沈黙

2009年07月07日 00時19分51秒 | 日記
くもりときどき雨
 UP-TIGHTの「The beginning of the end」のB面を聞いて、それに続けてグレツキの「悲歌のシンフォニー」。この組み合わせで聞くと気持ちいい。
6月にUP-TIGHTのこのレコードを手に入れて聞いているうちに、グレツキのこのCDが聞きたくなり、それからこの組み合わせでよく聞くようになった。
それは、このふたつに共通するキーワードが、沈黙だからか。静寂ではなくて沈黙。
あっ、A面は沈黙ではないと思います。


かぜ

2009年07月05日 09時02分42秒 | 日記
くもり
かぜをひいたようだ。
鼻がグズグズして咳がでる。
たぶんいちばんかぜをひかない時期のはずなのに。