近年の大学入試の傾向として、特別選抜と呼ばれる「指定校推薦、公募推薦、自己推薦、AO入試、AC入試」などという入試制度で進学を決める高校生が急増している。人物や目標そしてやる気を見る試験ということで、素晴らしい制度だと感じる反面、大学側の裏の事情も垣間見られ、どうもすんなりと納得できない面もある。
近年の少子化に伴って、学校経営がとても苦しくなり、何とか生徒を集めなければならない大学側は、数値化されて難易度が発表されてしまう一般受験においては、大学の難易度が下がらないように、そこそこの競争率を保とうとする。
これに対し、特別選抜と呼ばれる試験は、学生を確保するために多用するケースが多い。青田刈りの側面もあり、一般試験よりも優秀な人材も確かにいるが、中には一般試験では到底入学できないような学生も入学することができる。
そして、これらの試験が、今一つ信用できないのは、高等学校が出す調査書があまりにいい加減であることだ。
現在、高等学校の成績は、絶対評価と呼ばれる形式になり、極端な例では「先生が気に入った子は「5」、高等学校によっては「3」以下はつけない」という。
そうかと思えば、今まで通り相対評価で通知表をつける学校もあり、高等学校が出す調査書ほどいい加減で当てにならないものはない。ところが、多くの特別選抜試験でもっとも重要視されるのが、この調査書である。
せっかく、多様な人材を選抜できる制度を導入しながら、全く機能不全に陥っているこの制度を何とかしてほしいものであるが、特に首都圏4県の公立高等学校教員の態度を見ていると、多くの教員が既にやる気を無くしていて、入試の改善どころではないような気がする。(東北や北海道の公立高校の先生は、家庭環境も把握していて、とても素晴らしい方が多いと思う。)
首都圏4県の学生が、大学受験をするためには、まず、塾に通わなければ受験することすら厳しいが、地方の学生は、塾に行かなくても、受験できるサービスが受けられている場合が多い。どれだけ、首都圏4県の教員が堕落していることか、あまりの落差に愕然とする今日この頃である。
近年の少子化に伴って、学校経営がとても苦しくなり、何とか生徒を集めなければならない大学側は、数値化されて難易度が発表されてしまう一般受験においては、大学の難易度が下がらないように、そこそこの競争率を保とうとする。
これに対し、特別選抜と呼ばれる試験は、学生を確保するために多用するケースが多い。青田刈りの側面もあり、一般試験よりも優秀な人材も確かにいるが、中には一般試験では到底入学できないような学生も入学することができる。
そして、これらの試験が、今一つ信用できないのは、高等学校が出す調査書があまりにいい加減であることだ。
現在、高等学校の成績は、絶対評価と呼ばれる形式になり、極端な例では「先生が気に入った子は「5」、高等学校によっては「3」以下はつけない」という。
そうかと思えば、今まで通り相対評価で通知表をつける学校もあり、高等学校が出す調査書ほどいい加減で当てにならないものはない。ところが、多くの特別選抜試験でもっとも重要視されるのが、この調査書である。
せっかく、多様な人材を選抜できる制度を導入しながら、全く機能不全に陥っているこの制度を何とかしてほしいものであるが、特に首都圏4県の公立高等学校教員の態度を見ていると、多くの教員が既にやる気を無くしていて、入試の改善どころではないような気がする。(東北や北海道の公立高校の先生は、家庭環境も把握していて、とても素晴らしい方が多いと思う。)
首都圏4県の学生が、大学受験をするためには、まず、塾に通わなければ受験することすら厳しいが、地方の学生は、塾に行かなくても、受験できるサービスが受けられている場合が多い。どれだけ、首都圏4県の教員が堕落していることか、あまりの落差に愕然とする今日この頃である。