笑わぬでもなし

世相や世情について思いつくまま書き連ねてみました

ちりとてちん

2017-04-17 | 時事
 かれこれ数十年前に、パリとベルリンを訪れた時に、かの街の文化保存,歴史保存に驚嘆した。ベルリンでは、あの大空襲で焼かれたものがあった。壁面が煤けて真っ黒な建物が何棟もあった。尤も,保存のつもりか建替えするゆとりがなかったのか知らぬが。パリでは、有名な史跡をライトアップしていた。これも今と成っては我が国でもみかけるが。ニューヨークのラジオ博物館では、過去のテレビ番組が殆ど視聴できた。受付で名前と、リクエストを記入し、ヘッドホーンが渡されて、テレビ画面のあるブースを指定される。そのブースに入って暫時待つと、リクエストした番組が始まる。歴史のない国、正確には南北戦争以後、内戦のない国だからこそできる過去への、記録への固執かと軽蔑しつつも、その地道な努力に舌を巻いた。帰朝して思ったのは我が国の文化に対する認識,理解度の低さであった。どうしてこんなに文化遺産なり,芸術なりに冷淡なのだろうかと。そして且つ閉鎖的なのであろうかと。
 震災は仕方ないとして,戦災、その後の五輪とバブルで徹底的江戸、明治,大正,昭和を破壊尽くした。文化なんてものは,贅沢で,金持ちの道楽。古いものはダメで,新しいものがよい、過去よりも未来への発展、進歩をもてはやした挙げ句が「美しい国」「瑞穂の国」である。
 橋本治先生は,近著で「バブルは金持ちがいなくなった時代」と述べている。金持ちがいないから,金持ちが何を食べて,どこへ行き、何を来て、どんな作法をしているのかわからない。わからないから「料理の鉄人」、「お宅訪問」、「社長の暮らし」なんて番組が、出来たとも書いている。小生の周りでは、サザビーズの競売に出かけて、美術品を購入しているのがいたし、外車の他に「シーマ」なんて国産車に乗っているものがいた。小生にはそれらはまるで異国の出来事のようであった。
 そして時代は、あのバブルの時、「金を持っていて、体力もある」世代が「爺い」になった。その爺いが大臣という要職に就いている。当然、美術品なんてものの価値は金でしか理解できない。文化は有形、無形にあるなんてことも知らない。文化を決めるのは権威と金銭価値だと思い込んでいるに違い有るまい。
 学芸員がガンであるという無神経さは,無知を通り越して、お里が知れようと言うものである。小生が覗くつぶやきでは,一様にあの大臣の無知さに憤りや,慨嘆しているものばかりであるが、巷間はそうでないのかもしれない。聞けば、彼の発言は外電にて諸国に伝えられたという。時代が時代なら,彼の発言自体が国辱行為である。明らかに、数十年前よりも文化に対する認識は後退しているように小生には感じられる。確かに街のそちこちに「某の道」なり散策道路が出来て街谷村の由来がわかるようになってきている。古い建物にライトアップがされるようになった。一報で、文化は金儲けの手段、町おこし,村おこしの手段であるとなってきている。おらが村、おらが街の祭りが一番という気持ちよりも,その祭りでどれだけ人を呼べるかだけが焦眉の急になっている。怪しや、「世界遺産登録」やら「文化遺産」という言葉を目にする。今や大きな祭りは「世界遺産登録」が合い言葉になっている。
 かくいう小生とて,本当にもの価値がわかるかと言えば怪しい。博物館、美術館、郷土資料館の学芸員に勝る知識を持っていない。そのような小生に出来ることはと言えば、権威や金銭価値でしか「文化」なり「ものの真価」がわからない人に馳走することである。当然、出す品は世に二つとない珍味、関西で言うところの「ちりとてちん」である。
 

五輪終って

2016-08-22 | 時事
 すみませんと繰り返されても、返す言葉がない。どうしてそんなに謝るのと聞き返したくなるのは意地悪だろうか。柔道、槍投げ、レスリング、挙げれば切りがないのかもしれぬ。レスリングの吉田選手が、繰り返した謝罪は一体誰に謝っていたのだろうか。吉田選手の謝る相手を誰何すれば、彼女の活躍で、表舞台に立つことが出来なかった選手であろうか。吉田,伊調とレスリング時代は、続く選手の道を悉く潰した。階級を変えねば、選手権に大会に参加できなかった。為に、レスリングを諦めた選手はどれだけいたかは知らない。それとも、彼女の練習を支えた人々に対してであろうか。ならば、あのすみませんは、それだけ多くの人に対して向けられたものであろうか。にしても、彼女の「すみません」は過分である。一方で、吉田選手は、女子レスリングを世間に広め、更には、階級を細分化させ、出場の門戸を広げた。それは功罪相償うというよりも、功多くして、その姿は顕彰されるべきであろう。加えて、あの災害の後で被災地を慰問し、スポーツを通じて被災者を励ました。聞けば、後輩の育成にも力を入れていた。彼女がいるから階級を変えた,変えたからには一番にと奮起した選手がいた。姉のようにしたい技術を身につけた選手がいた。これだけ貢献した吉田選手はなんで謝るのか、小生にはわからない。それがメダルの色の違いなのか、彼女の謝罪の理由は奈辺にあるのか。
 かたや、卓球の水谷選手のブログが報道され、いかに自分達が惨めであるか,綿々と綴ってあった。先の五輪の帰国時の映像が,メダルの有無でマスコミの,世間の対応が冷酷であるか見事に語っていた。それを自分のブログに綴り、バネにして強くなろうと決意した。強くなれば、スポンサーがつく。道具に不自由しない。そう誓って精進した。彼の志には頭が下がる。が、小生は、女子ソフトボールを見ている。女子サッカーを見ている。あんなにもてはやしておいて、ソフトボールは廃部寸前のところがあると仄聞した。女子サッカーは,懸命に集客を呼びかけている。 
 山本七平氏は、「空気」と名付けて,戦時の日本、日本の軍部を看破した。曰く、空気に左右され物事が決められて行く過程、決められない過程を描いた。今回の選手達の言葉の裏に「空気」があるとすれば、個人主義、民族の祭典、参加することに、感動をありがとうと謳っても絵空事でしかない。
 山本翁は「ジャーナリズムは、常に何ものかに迎合せずにいられなくなっている。読者がそれを望むと予断して、よしんばそれが架空であっても、それに対して迎合せずには一日もいられないのである」と述べた。
 五輪終って、感動物語が雨後の筍である。安売りである。師弟愛、親子愛、兄弟愛、ならべて二束三文で感動の押し売りである。見事に予断は的中して、人は迎合する。それが空気を作って行く。空気はいつの間にか選手達に伝播していく。宴の後の侘しさを、我々は五輪の後に何度も見た。あんなにちやほやしておいて、半月足らずで、球一つ買うのに窮して、練習場確保に窮してと選手達は訴える。
 そんなに謝る必要はないのに。願わくば,五輪に参加した選手全員に、メダルよりも輝きをもった本物の金メダルが彼、彼女らにとって一番大切な人から送られんことを。
 とここまで書いて,今朝知ったが,,東京五輪は国威発揚であるらしい。空気を気にして,空気を読めぬのは相変わらずである。
 
 
 

言いたかないけど面倒みよう

2016-06-09 | 世相
 ブログ,ツィッター、ファックス、にメール。自分の意見を公にする手段が増えた。なれど、それらは、かつての床屋政談、酔人の戯言の類いである。喋っている方は一家言のつもりだが、聞く方は戯言と受け取り、莞爾として流した。話す方はやがて、聞き手が一人減り,二人減りして、話す内容を考えるようになる。人の腹芸を見て、我が身に置き換える術を身につける。自分の流儀を通すものがいるが、それは偏屈と片付けられた。偏屈ならいい方で、変わり者とされ陰で嘲笑された。
 先日、「みなさまの」で産む自由、産まない自由という特集をしていた。皆様からのご意見をファックス,メールにて募集と謳って、意見を求めていた。その中で、自らの職業をのべ、自らの子供が如何に優秀であるかを自慢し、最後に、自分の子供達が、将来、子供を産まずに老いを迎えた人々を「税金」で賄うのは嫌だと書いてきた女性がいた。満天下に己の愚かさを誇示しているのに気がつかないのはお目出度いからか、それとも周りに恵まれなかったかしらん。
 中学生の頃、下校途中、障害者を見て、級友の一人が、あんな姿になるんだったら、生まれて来ない方がいいよなあと言った。小生は違和感を覚えたが、それが上手く説明できずに、曖昧に頷いただけであった。それから数年、高校に入学して,別の友人と生き死にの話になった。小生は背伸びをして、ぱくぱくをしたのである。中学時代の友人の言葉を投げたのである。すると一緒に話していた友人は、おまえ、「それは障害者に死ね」と言っているのと同じだぞ。と気色を変えて言った。小生は、あの違和感が何であるかを悟ると同時に、自分の浅墓さを呪った。気まずい沈黙が流れ、その後どうその友人と会話を続けたのか疾うに忘れてしまったが、その顔と声音だけは今でも覚えている。
 件のご意見なり、ご講説なりを述べた女性に同じことを言っても甲斐なしは百も承知である。ご子息,ご息女が、障害を持って生まれたらと言えば、我が子のためならなんでもすると答えるだろう。不治の病に冒されたらと問うても、同じように答えるだろう。面前で、メールで、ファックスで、「障害者は云々、不治の病に冒されている人は云々」と書けば、千万とも我往かんの気持ちで、訴えてくるであろう。ならば,同じ理屈で、ご子息,ご息女が,生涯独身を選んだらと問えば、納得するかと思うのは嘘で、そんな育て方はしていないと同じ口で答えるだろう。病気と健康は違う、自らの意志で選んだことと偶然になった境遇は違うと理屈を立てるであろう。
 小生もはっきり言えば、件の女性の為に税金なんか払いたくない。納税額がどれくらいの石高知らないが、びた一文たりとも件の女性のために使われるのを潔しとしない。なれどそれを言えば、小生も同じ穴の狢になってしまう。だからここは一つ、敬愛する植木等先生に倣って、「面倒見たよ」の一節、「言いたかないけど、みんなまとめて面倒見よう」と。園だけの甲斐性はないのだが。

 
 

因業大家

2016-05-26 | 時事
 沖縄の暴行事件に際して、沖縄に住む婦女子は幼少の頃から、武道の一つでも習得すべきと某が言っていた。武道を身につけていれば、相手を倒せないまでも逃げることが可能であろうと考えたのか知らん。暴漢はもやし男とは限らない、体一つで襲ってくる限らない。刃物やら凶器を持っているかも知れない。はたまた身をつくような巨漢かもしれない。格闘技の経験者かも知れない。それらを考慮し、沖縄の婦女子に武道なるものを教授するなら、それこそ一年、二年では済むまいに。武道,武芸に一生を捧げなくばなるまいにと小生は考えるが。どうも件の男性は、そこまで想像力が足りなかったらしい。ましてや、今回の事件を考えれば、相手は軍人である。日頃から鍛錬を怠らず、重火器をたやすく運ぶ力の持ち主かもしれない。そんな男をやっ、とうの一声で追い払うことが出来るのなら、世に軍人なんて職業はいらない。
 沖縄の米軍による暴行事件は,本土で報道されないだけで、数多あると仄聞した。あくまでも仄聞の限りであるから、実際は少ないのかもしれない。とはいえ、万,万が一に、沖縄の撫子が海兵隊をやっ、とうで傷を負わせてしまったら、我が国の政府、及び関係各所はどのように対処するのであろうか。正当防衛を認めた上で、暴漢を逮捕し、裁判にかけてそれ、相応の処罰なりを下すのであろうか。怪しや、件のことがあれば,過剰防衛なるものを持ち出して、婦女子に罪を被せて、米国に謝罪、米国からは遺憾の意とやらと戴いて、ちょんであると睨んでいる。
 地位協定とやらで、米国籍の罪人の身柄を確保し、日本の裁判を受けるのが可能だいうが、その後の結審と罪人の処遇について、後日報道されたのか知らない。白洲の場に立たせて、まさか江戸十里四方所払い宜しく、本国に強制送還なんてことはあるまいか。2011年の米軍による児童ひき逃げ事件をきっかけに地位協定が改定されたが、それがどこまで有効なのかわからない。昨今の風潮で,数字を、データーをという声があるのだから、どこかに数字なり,データーなりがあるのかもしれない。その数字をみれば、地位協定の有効性が検証できよう。ちなみに、今から20年程前、1995年の記録によれば、沖縄では復帰以後、米兵による刑法犯罪は四千五百件にのぼるとあった。その後どれだけ増えたのか、減ったのかはわからない。小生の不精をご寛恕願いたい。
 我が国は、米国に土地を貸している。大家が我が国で、店子は米国である。しかしながら、店子の思いのままに借家を改装できる。しかも家賃までも肩代わりしている、借家住まいの小生には羨ましいかぎりである。どこかにそんな大家はいないものかと鐘,太鼓を鳴らして歩いてみたくなる。
 噺にでてくる大家は、物知りか、因業のいずれかである。鷹揚に構えて、おやどうした熊さんと話すか、おい与太、と人を小馬鹿にした態度を取る。時は、近隣の頭や同類が集っている。ここで一つ、店子に対して、あたしゃ,今日から因業大家になりますなんて宣言した見たらどうだろう。集う同類が、尻押しするかもしれないし、まあそう短気にならずにと諌めてくれるかも知れないが。

5年目

2016-03-03 | Weblog
 二人は、海沿いの街で暮らした。夫は教員、妻も教員であった。やがて,一男、一女を授かった。海の幸に恵まれたその地域では、おやつがわりにウニを食べた。晩のおかずも、海からの恵みで賄えた。夕餉の支度に取りかかると母親は、息子に貝とっておいでと命じた。海岸へ行くと、見知った顔が見える。「お前のうちもか」、「俺んちもだ」とともに声を上げて笑った。息子は、スーパーの袋を片手に海に出かけ、地元でしか食べない貝を獲ってきた。貝を水につけ、塩を吐き出させ、酒、みりん、醤油に漬け込み、米と一緒に炊いた。その息子は、東京の大学に進む。東京に来て驚いたのは、切り身しか売っていないスーパー、ウニとは名ばかりで、樟脳の味の混ざったわからぬ味。新鮮とは言えぬ魚であった。三つ子の魂なんとやらで、海岸で食べた味は、彼の味覚を形成した。
 故郷にいる両親は、無事仕事を勤め上げ、隠居生活に入った。何度か、東京で暮らさないかと息子は声をかけたが、頑として首を縦に振らなかった。長年親しんだ土地、見知った顔がある場所が自分たちにとっての都だと父親は言った。頑固一徹、偏屈なところがある父親であったが、息子はそんな父親が築いてきた人間関係を断つのも詮無きことと諦めた。娘の方もいいところに嫁いで、故郷を去った。幸い嫁ぎ先は隣県だった。家族はばらばらになってしまったが、年に少なくとも二回は家族が顔を合わせることができた。
 そんな老夫婦に災厄が起った。家をなくし、土地を去らねばならなくなった。東京よりも故郷に近い、娘の家に厄介になることになった。娘の家には姑がいる。夫妻は気が引けたが、その姑が是非にでもと言ってくれた。その好意に甘えた。ために、娘の家は年寄りが一気に四人になった。心労からかそれとも歳によるものなのか、妻の方が病気がちになり、軽いボケが始まった。夫は大正生まれで、無口であったが,このときばかりは妻を励ました。早く元気になれ、少しでも生きよう、生きてもう一度、あの浜に帰ろうと。妻はうん、うんと頷くが,体調は悪くなるばかりであった。東京にいた息子も頻繁に姉の家に帰っては,母親に声をかけた。元通りになるのがいつになるかはわからない。戻れる保証もないと思いつつも、息子は母親に声をかけ続けた。
 息子は東京から姉のいる県へ、そして地元に暇を見つけて帰った。帰って地元の人間と町づくりに協力した。東京でNPO団体を発足させた。自分の出た小、中学校、そして保育園に必要なものを届けようと奔走した。現実を知れば知る程、母親にいつか帰れるからという言葉が空疎に思えた。
 テレビでは思い出したように、あの浜のことを報じた。だが,実状とはいかにかけ離れているか痛い程、彼にはわかっていた。五輪が決まると、益々町づくりが遠のいた。
 母親の身体は悪くなるばかりで、みるみる身体が小さくなっていった。寝たきりになると、もうだめかもしんないと呟くようになった。ろうそくの火が消えるように、母親は西方浄土に旅立っていった。旅立つ前に、しきり、あの浜で、あの海が見える所で死にたい、死にたいと訴えた。
 5年という月日は長いのか、短いのかわからない。巷間思い出したように、あの日のことをテレビは伝える。絆、絆というけれど、潮が引くように人々の関心は薄くなってきている。かくいう小生も、枕を高くして今日も眠るのである。
 今、かの息子は、父親を引き取り、介護の日々である。NPOの活動も縮小せざるを得なくなっている。地元に明るい知らせが舞い込んだという噂は聞かないと小生に、年明けに語ってくれた。
 彼曰く、母親は震災死だと。数えられない震災死は、どれだけあるのだろうか。

携帯を捨て街に出よう

2015-10-17 | 世相
一億云々の標語で、戦時を連想するのは、若い世代も同様のようである。海外の新聞では一億云々担当大臣をどのように表現するか悩んだ挙げ句、訳出不能という言葉まで出てきた。あれだけ英語教育に熱を入れておきながら、英語で表現できない言葉を作る見識を小生は訝しむ。小生も多分に漏れず、安倍某を批判している。全体安倍某の周りにいるブレインと呼ばれる人があまりにも魯鈍になっているのではないかと小生は考える。まるで小学校の学級目標のような言葉を創出する頭脳集団にいささか呆れてしまう。恐らく頭脳集団の想像の中には、対象とする「国民」とは、自分たちより劣っている、年下もしくは近い年齢、さらには、一頃流行ったスーツを着込んだ人々なのではないか。大竹さんもラジオで語っていたように、活躍よりも休みたい、爺いに頑張れと言ってどうするんだと。世の中、全員が人生明るい方向で頑張れる訳でもあるまいに。
 古くは、諸葛亮、知恵伊豆と懐刀がいたはずだが、いまではそのような人物が周りにいないのではないか。神輿に載せるものは軽いものがいいと言われるが、ただでさえ軽くて、ぐらぐら動くのだから、それ相応の扱いが必要な筈であるが、その気配が微塵も感じられない。
 安保法案を通すときは、さんざん某国を仮想敵国にして、軍備を持たねばと説いた。通過した暁に、判明したのは米国から依頼として、アフリカに出かけること、しかも仮想敵国とした国の人々の護衛である。TPPも反対したが、結局は米国の圧力なのか、米国を慮ってなのか、賛成に回った。回ったら、米国が批准しないという可能性が出てきた。いずれも優秀な頭脳集団の読みが外れている。これまた、少し前のKYという言葉である。
 ひところ、NOと言える日本人という言葉が流行ったが、今の日本人が言うNOとは、親から叱られることには使わず、親に叱られない、周りの子供になら言えるNoばかりである。ユネスコに対する恫喝然りである。景気が悪くなる、国債が破綻すると言ってるのなら、先の恫喝如く、どこかに向かって「国債を売りますが何か」と言えばいいものを。言えば、「良識」というものを持った人から、世界経済云々と言われること百も承知である。なれど、戦後70年の体制を刷新したい、もっと言えばリセットしたいと思っているのなら、いっそのことやってみたらよかろうにと思う。
 日本は益々、ひきこもり、ネットに向かう日々を送る「大人」のようである。自分の都合のよい情報しか取り入れず、頑なに自分の信ずる所にしがみつき、自己矛盾していることに気がつかない。耳朶に心地の良い言葉ばかりを吐いて、聞いて自分の世界のありかたに正当性を持たせている。江戸時代は、物理的鎖国であった。精神的な鎖国までは至らなかった。勿論、それは権力者のみであったかもしれない。海外の情報を取り入れ、いかに自国を運営していくかに腐心していた。今日の日本は精神的鎖国になりかかっている。すでになっているのかもしれない。デモを行う若者を中傷し、批判を述べる人を他国人扱いし、自分の知らないものは何もないという姿になってしまった。
 小生もまた、同じようなものなのかもしれない。
 そこで提案であるが、一度携帯を捨ててはいかがであろうか。あの小さな箱で指先を繰って世の中を知ろうとせずに。寺山修司氏にあやかるわけではないが、携帯を捨て街に出よう。
 

夏の終わりにおもうこと

2015-09-01 | 時事
 金の切れ目が縁の切れ目か、縁の切れ目に金を切るのか。被災者救援金の縮小という方向に、本国会で決めた。四年経って、被災地が完全に復興したと言う話は聞かない。福島が収束したという話も聞かない。今日も、この陽気のもと、原発で放射能と闘っている人もあろうに。仮設住宅で、行く宛てもなく漫然と過ごしている人もあろうに。家族で暮らすことを目標に身を粉にして働いている人もあろうに。百円あれば、1000円あれば、1万円あればなんとか今日を凌げる、見通しが少しは立つ人もあろうに。
 私たちの払った税金とやらは一体どこに行くのだろうか。こつこつ、せっせと国債を買い漁るために使われているのだろうか、支援という聞こえのいい言葉で、ひも付き援助に使われているのだろうか。
朝のワイドショーは三面記事だから、三面ものを扱うのが相場である。相場と判っていても、ここ最近の番組内容は、まるで誰かに遠慮しているか、画面の向こう側にいる人をバカにしたようなものばかりである。以前から申している通り、女子供に政治はわからない。わからないから、泰平楽で彼らが過ごせるようにするのが男の勤めである。余計なことは言うな、お前は明日の米びつ心配だけしてればいいんだ、と言えばしまいであった。ところが、その女子供が騒いでる。
 セブンティーンなんて雑誌は、同級の女の子が読んでいるのを遠くで眺め、果てが女性誌に辿り着くのかと得心したものだ。芸能人の噂話に、年頃の子の興味ある話、流行に、身体の悩み、ついでに色恋と。尤も、男だって大して変わらない。少年誌から青年誌、ちょっと進んで文春、新潮のゴシップ記事。閑話休題して、その少女誌、女性誌で政治が取り上げられている。安保法制とは、政治に参加するとは、という題目である。戦時中の女学生だった人の話を読むと「箸が転がってもおかしい年頃に、旋盤を使っていた、工場で油を差していた」とある。今の世に、増産体制、八紘一宇はない。ないのにもかかわらず、おしゃれや恋に興味がある年頃に政治を語らせるのはいかがと思う。世が平和で、これから「市民」になるためとしての政治の勉強なら一向に構わない。しかしながら、どうも件の雑誌が特集を組んでいるのは、「世の中がきな臭いから」ではないかと小生は勝手に思っている。
一昨日、国会前でデモがあった。老若男女、いろいろな顔が画面に映っていた。安保法制に対してnoをつきつけたデモである。きな臭さを感じた若者が集い、それがきっかけになって大人も集ってきた。そこから先がどうなるのか、生意気な言い方をすれば、若者に政治意識が芽生えたならば、派遣法、復興法案の改悪、復興税と言う名の浪費にも眼を向けて欲しい。
 金を渡しておくから、上手くやっておくれ、金を払ったんだからこれくらいは当然だという発想からそろそろ抜け出したいものである。そのきっかけが件のデモであることを切に願う次第である。

わからない夏

2015-08-15 | 時事
毎日猛暑が続いて、観測史上初の言葉が画面に踊っている。広告せぬもの存在せずと山本翁は書いた。震災直後の夏は節電に、計画停電なんて騒いだ。翌年は、毎日テレビの画面に現在の消費電力量の表示があった。街の広告塔の横にもあった記憶がある。震災から四年経ち、原発は停止したままであるが、電力不足が生じて、企業が倒産した、停電のために交通機関が麻痺した、猛暑と停電のために死者が出たという文字を見たことがない。これも広告せぬもので、実は倒産が、交通機関の麻痺が起っているのを糊塗しているのか、それとも電力が足りているのを糊塗しているのか、どちらかしらん。知らぬが、連日、夜間でも冷房は止めるな、水分を摂取せよと言っている。テレビも、24時間なり、27時間なり電力を使い放題である。それでも原発は必要なのか、魯鈍な小生にはわからない。
 たった四年前の惨事も反省できない人間が、どうして、70年も前の惨事を反省できようかと思うが、言葉は委曲を尽くしてもわからぬ人には通じない。通じないから、蛙の面になんとやらか。
後の世代に責任を残さないというのは、耳朶に心地よい響きで、隣国との間には責任を残さないと言って、自国民には、借金に、ハコモノの競技場、更には廃炉にできない原発のツケを残すのは何故かも知らん。外面が良くて、内ではというのは、典型的な内弁慶で、日本の亭主関白の伝統なのかもしれない。もっとも、家では、女房の尻に敷かれていると仄聞した。だから、気の合う仲間とつるむのかしらん。
 談話を出す前に、某国へ見せたという話も聞いたが、昔からやっていたのか、昨今始めた習慣かもしらない。内容もさることながら、発表前に、某国へもっていくのは奴隷根性丸出しなのではないかしらん。
 今年の夏は、夏もか、わからないが、わからないことばかり。なんでこんなに暑いのか、なんで電気が足りないという騒ぎがなくなったのか、なんで東北、福島の復興が遅れているのか、なんでデザインが似ているのか、後世にツケを回さないといって、ツケがなくならないか、
恋に勉学に運動が主な仕事の学生が、デモをしなくちゃいけないのか。
 ブログの前に広告がでるのか、あ、これだけはわかります。更新しないと、広告になってしまうんですね。
まだまだ暑さが続きます、読者諸兄にはなにとぞお体をご自愛くださいませ。
 
 

ぱくぱく

2015-06-16 | 世相
 当今、新聞の社説が右往左往していると聞く。現政権に媚びた社説の類いしか書かないとネット上で話題になっている。新聞が社会の木鐸というのは真っ赤な嘘で、時局に左右されるのは、先の大戦でみた、戦後という文字が踊った時点でも見た。だから今、幾つかの全国紙が安保法案に警鐘を鳴らしているのは、後世、本当にあるかわからないが、新聞は先の過ちの轍を踏まずに、反対したという既成事実を作るためかと小生は睨んでいる。ついこの前までは、何にも書かず、政権に有利な事ばかり並べていた。読、朝、毎とあり、右だ、左だと巷間喧しいが、山本翁が述べたように、棒組である。字面と紙面の配置を換えて述べていることは、みんなぱくぱくである。ぱくぱくだから、十代の若者が、副官房長官を論破した事が書かれていない。十代の若者は、安保法案の胡乱さを指摘した。指摘して、説明してくれと頼んだら、大の大人が、説明できずに、ぐうの音もでない程に言い負かされた。小生はこれをもって他山の石としたい。昔は子供が余計な事を言えば、子供は黙っていろと一喝した。一喝して、事が成るように手配りした。したから、子供は黙っていられた。今は、事が成るように手配りできない、スマートフォンやらゲームが上手な子供に、叱咤された「大人」の醜さしか持っていない。
 お話変わって、国立大学の再編めいたことを文科省は進めている。あれも一つの愚民政策と思えば、納得できる。実学に即した学問を教えよとは、大学の専門学校化である。少し前なら、パソコンが使える云々と言われた。言っているうちに、パソコン自体の性能が上がり、持っていた技術は不要になった。今は英語、英語というが、翻訳機械が出来ている。こんにちは、いらっしゃいませ、ご注文はの類いなら、機械に喋らせる事も出来よう。ならば、英語で何を喋らせるかは教えてくれない。討論ができるように、意見が言えるようにと文科省は書いているが、意見、討論は、素地がなければ出来ぬはずである。これも新聞同様パクパクで済ます気であろうかしらん。それこそ環境問題に関しては云々、民族問題にしてはかんぬんと定型句を用意して翻訳機に入れれば事足りるであろう。
 以前にも書いたが、大学再編は、国民を細分化し、頭の上の蠅を追わせる事に夢中にさせて、政治経済については、一部の人間に任せておけということであろう。だが、その一部の人間が考える立場とは、ホテルのロビーにまでしか入れない人とホテルに入れない人の差、程度のことである。かの国のエスタブリッシュメントに媚びる事で、国内での地位は高まるかもしれないが、所詮は猿山の猿にすぎない。ホテルのロビーまでは入れてもらえるが、部屋には、食堂には招かれることはない。ホテルのロビーを見て、ホテルを知ったと言う子供の知恵程度である。その知恵を喉から手が出る程欲しがっているのは、所詮は猿であるからかしらん。
 そういえば、かの名作、猿の惑星は、日本軍の捕虜になった原作者の体験が下になっていた。永田町界隈には猿しか居ないのかもしれないが、世の中にはしっかり物事を考えている人間、件の十代の若者、も居る事を知って欲しい。なれど人の言葉が通じぬ猿になんとしようか。

機会が増えるのはいいことか

2015-05-30 | 時事
2ヶ月以上ブログを更新せなんだら、いつの間にか広告が出ている読者諸兄には誠に申し訳ない。気がつけば、集団的自衛権やら、自衛隊の海外での活動を広げるきな臭い話ばかりである。山本翁を読んで、橋本治氏は何度でも同じ事を言う努力に敬意を抱いている。山本翁曰く、同じ事を言っていると。ニュースに新しいも古いもない、人間の営みは万古と変わらない、変わらないなら戦争のニュースは十年前に、50年前に、百年、千年前にもあったろうと言った。だから、言う事は同じである。春秋に義戦なしであると。
 集団的自衛権で、自衛隊を海外に派兵する。米軍にとって好都合なことはこの上ない、米国民を犠牲にする事なく、戦争が出来る。幸い、この国には、この十年前くらいから「自己責任」なんて都合のいい言葉がある。自衛隊員に向かって、衆人は挙ってその言葉を投げつけるであろう。これは以前本欄にも書いた。
 今、大学改革と教育改革が進んでいる。国立大学の学費を私立大学並みに上げると言っている。大学に通える層は益々少なくなるであろう。現在でも、学費が払えず、奨学金を借りて、学業ほどほど、学費を稼ぐ事で精一杯の学生がいる。彼らは、無事、学校を卒業した時点で、負債者になっている。社会に出たら返済に勤しむ。大学教育に見合った給金が出れば幸いであるが、全員が全員、そうなるとは限らない。すると返済不能に陥る。このような状況を看過して、「独立行政法人」の名の下に、大学を企業にしていくのは何故かわからない。優秀な人材が出てくるのかわからない。わからないが、少なくとも小生は、この流れがこのまま米国での陸軍リクルーターにつながることはわかる。かの国では「軍役に就けば、給与が貰え、学資も蓄えられる」という耳朶に心地よい言葉をかけて貧困層の若者を軍隊に引っ張って行く。我が国も近い将来そうなるであろう。センター試験を廃止して、一年に複数回受験できる「資格試験」に変更し、大学受験層を分断して行く。なるほど、徒に夢を見せるよりも、はっきりと現実をつきつけて、進学先を特定できるのは悩める若人、教師、親にとって便利であろう。これが、本音で、建前は受験機会が増え、大学への門戸が広がると、八月の槍頭の親と子には伝える。良い就職口を求めて、大学へ何度も入り直す人が増えるであろう。現に、今でも大学を出て医学部へ再受験なんて層が増えている。
 かつて士農工商をもじって、普、商、工、農と高校を揶揄した、実業の名がつくのは生徒募集に影響があるからと、看板を付け替えた。高校が終わったが、大学の方は未完である。文科省は、L/Gと分けて、更には受験層を分断する事で、愈々、階層、階級化の完了を遂げようとしている。巷間伝わる偏差値ランキングでの「下層大学」にも入れない子らは、米国のリクルーター如き人物に「自衛隊」へ勧誘される。大学へ無事進学したのも束の間、今度は企業から弾かれる。弾かれて、再び資格試験とやらの「入試」を受け直して、更に「上位校」と呼ばれる大学に進む。そこで待ち受けているのは、借金と役に立つかわからない「実学」である。そして件の勧誘は「貧困層で優秀な学生」にも手を伸ばすであろう。気がつけば米国のブッシュ家のような体たらくである。その際、我が国には国力と呼べるだけの底力があるのだろうか小生にはわからない。小生が言えるのは、女、子供、若人に甘言を弄して夢を見せて、その実、五年、十年、百年後のことは知らないということだけである。
 
 今日も学校へ行けるのは、兵隊さんのおかげです、お国のために、お国のために戦った兵隊さんのおかげです。
 兵隊さんよありがとう、兵隊さんよありがとう

 これは、戦時下の甘言である。