目白大学 鈴木章生研究室 

地域人になろう!
目白大学社会部地域社会学科の教員が、地域や社会の出来事や疑問に対するメッセージをお届けします。

ストリート系 中井を盛り上げる

2022年08月27日 | 時事
福田淳『ストリート系都市2022』を読んだ。中井の伊野尾書店でさりげなく手にした本だが面白かった。キーセンテンス抜粋してみる。

タワマンに未来はない。
住宅地やオフィス街など単一用途に限定しないで混在させる。
横丁文化のネットワークを活かす。
文化歴史を大切に古い建物を残す。
子ども、高齢者、学生、企業人、芸術家、職人など多様な人が暮らすコンパクトな街、人の多様性が活気を生む。
○○銀座にヒントあり。
自分達でパトロールして最悪な街から全国一治安の良い街に。
歩ける街、歩いて用事が済む、歩くと楽しくなる。
医療や教育などの公共施設がある。
公園や飲食店などの人が集う場所が充実している。
街は、競争と共創。タワマン的なタテ軸とコミュニティ、人づくりで繋いでいくヨコ軸で、これまでの近代的資本主義経済のシンボル的な発展を遂げた大量生産大量消費的な大手チェーン店とこれまでやってきたみんなの街の商店街との共存を考える(意訳)。

全て当てはめてみると中井はまだまだやれるのではないか。いや中井ならきっとできる。

第14回地域フォーラム

2022年01月23日 | 大学
1月22日(土)地域社会学科のメインイベント14回目の地域フォーラムを開催した。
コロナの感染が拡大し、21日には東京都にも蔓延防止等重点措置が発令されたことで、実際やれるのかどうかハラハラしていたが、
やってよいという許可を得て実施。
学生らおよそ100人くらいの入場だった。

今回のテーマは本当は昨年やろうと思った震災復興。
「震災復興と地域社会‐東日本大震災から未来につなぐもの―」
11年が過ぎようとしている今、
震災復興はどうなっているのか、まちは元に戻ったのか、人々は普通の生活を取り戻すことができたのか。
私たちは大事なことを見落としているのではないかと問いかけてみた。
震災から何を学んだのか、それを未来にどうつないでいけばよいかを考えてみた。

「自衛隊とともに 賑済寺対応とその後の支援」
いわき市機器管理部災害対策課地域防災係長 柳沢 潤氏

「縦割りをなくす 行政と連携するまちづくり」
ぼんぼり光環境計画代表 角舘政英氏

「震災から10年、人は何を学んだのだろう」
地域社会学科特任選任講師 澤井 史郎氏

共通していたことは、
避難所や被災を受けた人が、行政に依存し、補助金を期待すると不平や不満がいっぱい出てくる。
あれがない、これができていない、どうしてくれるんだという怒りの声しかない。

市の野球場を宿営所として活動した自衛隊。
約3か月、支援を必要とする人たちのために隊員は懸命に活動をした。
それを見ていた中学生たち。
自衛隊が撤収をする最後の日、中学生と野球をしたことがニュースなどで話題になった。
その時の中学生の中から、その後自衛隊に入隊した子もいた。
誰からも強制されたわけでなく、自分の意志で自衛隊に入ったその子の気持ちは尊い。
支援の思いは、子どもたちに受け継がれたということだ。

支援のために何かをしようとするとその権利関係や管轄で思うようにいかない。
日本らしいといえば日本らしいが、融通の利かない典型的な縦割り組織・社会の弊害はここにもある。
道路を作るにしても、国道か県道かで管轄は違う。
たまたま行政の境界にあっても、照明は等しく足元を照らすことができる。
また、そのデザインによっては、避難時の目安になり、また景観の美化につながる。
そして自分のまちへの愛着が生まれ、離れないという

学校は早く学校を復活させて通常授業をやりたいところだが、
同じ学校敷地内には手足が不自由な高齢者や幼児もたくさん避難している。
若い独身世代の独身者が真っ先に避難所を出るという。
そうすると比較的動ける年齢の世代に依存していたものが途絶えることに。
家を追われ、生きるために必死の避難者のいる体育館の様子を見れば、
何とか支えてあげたいという気持ちになるのは当たり前のこと。
子どもが毎日、お年寄りのところに行き、話を聞く、そして何か欲しいものはないかと聞き、物資置き場からもらってくる。
子どもたちは、こうした対話・コミュニケーションを通して社会や福祉の勉強をしたということは間違いない。
そして中学生は主体的に活動を始めていくようになる。

目の前の問題をどう解決するかは、そこにいる人や支援をする人たちのコミュニケーション。
そして自分たちでできることは、話し合ってする。
人とひとがつながりこそが、解決の道につながる。
共助していく社会こそが大事だということを知る。

見落としていたとすれば、復興のためのお金や物資や、インフラ整備は必要である。
でもそこに心のこもった支援がどれだけあったのだろう。
現場の中で見えてきた本当に復興に必要なものとは、人の支えであり、コミュニケーションに尽きるであろう。
そして、普通に誰もが等しく生きることの理解と実践なのかもしれない。

震災から学んだことは、人と人をつなぐことの大切さ、震災の苦しみを記憶のかなたに追いやるのでなく、

フィールドワーク再開

2021年10月18日 | 時事
コロナの関係で自粛していたフィールドワークを土曜日再開した。3年ゼミの川崎のイメージ調査だ。
駅周辺の再開発による変化と、それ以外の競馬場から港町駅、川崎大師と参道、そして扇島の工場エリアにある川崎マリエンを回る。エリアによってそれぞれ異なる景観と雰囲気、人の流れや客層を観察しながら検証する。
私はその日朝から仕事で全部で歩数約15,000歩。実際のフィールドワークでは12,000歩は歩いた。距離にして10km程。
疲れた。

そして日曜日、朝9時から今度は学芸課程の3年生と見学実習を再開する。昨年は何もできなかったが、何とかここに来て実施にこぎつけた。
冷たい雨の中、大森駅から徒歩で国の史跡大森貝塚庭園を見学。品川区立品川歴史館、午後は物流博物館を訪れ、学芸員から丁寧な説明を聞いて、展示を博物館学的に検証した。
9,000歩をカウントして距離は約8km弱だった。寒い1日であったが、程よい疲れが身体全体とかかとに来ている。



高輪築堤跡見学記

2021年02月27日 | 時事
ニュースでも報道された東京港区の高輪築堤跡をいくつかの学会・団体と共に昨日2月26日に見学してきた。
正直に言うと、保存状態が素晴らしく良い遺跡で鳥肌が立った。しかも大規模。

明治5年、日本、いやアジアではじめて新橋-横浜間に蒸気機関車が走る。明治2年から始まった約29キロの工事のうち、最後の難所が芝から高輪を経て品川までの約2.7キロであった。問題はその間、海の上に機関車を走らせることになったこと。

現在の第一京浜国道は、箱根大学駅伝でも八ッ山橋から品川駅前、高輪を走って日本橋から大手町を目指すが。この道はまさに江戸時代の東海道だ。幹線道路に鉄道を走らせるのは当時としてはなかなか理解が得られなかった。

東北新幹線が日暮里あたりから地下に入り上野の地下駅を過ぎてから秋葉原あたりで地上出て東京駅に入るのと同じで、密集した地域の生活と道路事情は、新幹線の高架を拒んだ。

高輪も、街道筋で暮らす住民の生活、漁師たちの漁業、また東京の国防など、諸般の事情から新橋から品川までは海上に線路を敷設することになった。
明治5年5月に品川-横浜間が先に開通したものの、少し遅れて9月に新橋-横浜間が正式開業する。
その後、明治から昭和にかけて海側は埋め立てられ鉄道輸送の巨大な車輌基地となって日本の近代化や経済成長期の物質輸送を支えてきた。

近年の車社会の発達から鉄道輸送は減少。ここも再開発が進められ高輪ゲートウェイ駅を中心に品川の新たなまちづくりのど真ん中の近代遺跡である。

きれいに残る築堤は鉄道の歴史のみならず、当時の土木技術を知る貴重な資料でもある。山手線も京浜東北線もここを通る時、アップダウンがあったのを覚えているだろうか?
その2つの路線も実は150年ほど前に作られた堤の上を走っていたことがわかった。しかもその堤をほとんど壊すことなく埋め殺しにするようにして、山手線と京浜東北線を走らせてきたのだという。
説明によると「明治の築堤は壊さず後世に残す」ことが国鉄時代から長く受け継がれていたとか。

プロジェクトxと思うばかりの鉄道マンたちのロマンがそこにある。しっかりした基礎工事をした土台の上に線路を走らせようという現実的な選択だったのだろう。その証拠に、発掘された堤の石組はほとんど崩壊していない。関東大震災や台風や高潮などにも耐えてきた築堤は、日本の建築土木の高度な技と粋が見事に示されたことになる。

問題は、こうした歴史的な遺構をどう残すかである。今のところまだ計画変更はJR側からは示されていない。むしろ変更は莫大な費用もかかり、厳しいのかも知れないが、これらをうまく残して活用するような方向で調整して欲しいものだ。そのためにも多くのか方に知ってもらい、保存のための知恵を出していきたい。手始めに下のテレビ企画はどうか。

新・プロジェクトx
(海の上に機関車を走らせろ!)

ぶらタモリ
お題「日本の外灘(上海の湾曲した場所に古い建築がならぶあれ) 高輪の魅力」
(新橋スタート・ 高輪 大木戸・泉岳寺・高輪の月見・海の上の線路、高輪ゲートウェイ・品川駅終点)

ファミリーヒストリー
初代鉄道頭の井上勝のご子孫は・・・

何とか保存を。
写真は自分でもたくさん撮りましたが、今回は出せませんので、ネットニュースで各自ご覧ください。

暮らしの知恵を活かしてみたら

2021年02月22日 | 時事
明るくて開放的な図書館は気持ちがいい。外の景色を見ながら、本や雑誌をめくるなんて最高のひとときに違いない。
しかし、この今日の朝日の夕刊の記事のように、本の背表紙が太陽の光や照明で色飛びするという話はよく聞くことだ。記事の最後に建築のことが書かれていたが、デザインも大事かも知れないが、日本の自然や生活習慣のなかで培った経験をもっと活かしてもよいのではないか。

そこで、新聞の趣旨とはずれるかも知れないが、私が提案するのは、昔の茅葺き屋根のように軒を伸ばしてみてはどうかということだ。
最近の家には、軒はもちろんだが、窓の上の庇すら無くなってきた。これも洋風建築の影響だろう。専門外なのでわからないが、もしかすると建築法上、軒を伸ばしたり、庇を長く張り出すのはダメなのかも知れない。可能なら私たちの先人の知恵をもう一度検討して欲しい。
真夏の40度を乗り切るためにも建築デザインに昔の古民家の知恵をぜひ。

「差別のない日本」

2021年02月19日 | 時事
森氏の事を受けて「差別のない日本」行動宣言が国連事務次長の中満泉氏の呼び掛けで出され、42人が賛同しているという。
東京大会のレガシー(遺産)はこれではないか。日本にとってのいい学び、日本は憲法14条をもう一度見直す時だろう。同時にどうしたら差別のない社会ができるか具体的に考えないといけない。
そんななか、竹下亘氏の発言はまた物議を起こすだろう。言論の自由は何を言っても良いと言うわけではない。

「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。(後略)」

将棋に専念

2021年02月18日 | 時事
藤井聡太二冠の高校中退を家族で話す。
3月卒業前にこの話題というのは、出席日数の不足で留年するかしないかだろう。

高校進学が96%、大学進学も60%に届く今、回りは高校ぐらいは卒業するべきだと説得していたのだろう。でも藤井さんは高校卒業より、将棋を取ったということだ。

日本の若者の多くが将来像や夢を抱いて進学するとは思うが、そうでないものもいる。藤井さんの場合、10代半ばで一生かけてやる自分の道、それを二冠を手にして腹を決めたということだろう。

夢を持ってそれに向かうこと、自分の道を早く見つけるのは悪くない。日本の豊かさは若者に選択肢を広げたはずだが、あまりに豊かすぎて働くことや仕事をする意味を真剣に考えなくなったと言うことはあるだろう。迷いは曖昧さでもある。

藤井さんは好きなことを好きで終わらせす、あえて厳しいプロの道を選んだ。卒業という迷いは切ったわけだ。これからが長く、険しい道だろうが、職人が長年かけて傑作を残すように永世名人目指して頑張って欲しい。藤井さんの将棋の卒業はまだまだ先にある。いや、意外と早いかも。


時代が変わる

2020年04月21日 | 時事
新型コロナウィルス感染拡大の影響で、テレワークやオンライン会議などが急展開している。
外から来た未知なる力が国家の在り方、仕事の在り方を変える。
まさに時代が変わるその真っただ中にいる。

コロナの怖さは、ワクチンも薬も完全武装してウイルスと戦うしかないということ。
感染したら、死ぬかもしれないという恐怖は人を大きく変える。
と同時に、時代が大きく変わろうとしているのがわかる。

都心に向かう公共交通はガラガラ。
繁華街は人の数が減っている。
一方で、町の商店街や公園などに人が集まっているようだ。
県外は出ないようにとの自粛のなか、観光地行楽地に人が集まってくるという。
町中を散歩している姿をよく見かける。
自転車で遊んでいる小学生もいたりする。
悪い方に行かないことを祈るだけだ。

非常事態宣言による大きな変化は、在宅で仕事をする人が増えたことだ。
日本はまだまだこうした働き方が進んでいるとは言えないが、
コロナウィルスの影響でどんどん取り入れられていることがわかる。
ネット環境も大きく変わろうとしている。。

会議もオンラインだ。
どういう風に進むのか見ものだが、空気読んで推すとか引くとかがなかなか難しいのではないか、
と余計な心配もある。
問題は、最終的にはハンコがないと承認決済ができないという、日本のハンコ文化をどうするかだ。
そんなの実は四半世紀も前から技術開発されているが、社会が積極的に取り入れてこなかったところがある。
大臣らの閣僚はいまだに花押でサインする位だから変えるにはエネルギーがいる。
今回のエネルギーは死と隣り合わせの恐怖かもしれない。

役所も稟議書などは下から順番にハンコが押されるが、
管理職になるとサイズも一回り大きくなるが、上司より大きいのはダメらしい。
逆さまのハンコなんか滅多に見られないが暗黙のルールのようだ。
「一応、ハンコは押すが、本当は反対だ」という意思表示だとか。

世の中理不尽なことがたくさんあるが、役所の書類は記録が残る。
後で誰がが反対したかが可視化されているという。
古文書学としても将来は面白い研究テーマになるだろう。
問題は、この慣習文化は、オンラインでの決済が始まったらどうなるのか。
スタンプ印が自動的に押されるにしても、一部の少数意見や正論が最後の抵抗として残る文書。

テレワークでオンラインの会議で決済文書はどうするのか興味深いものがある。
ちなみに明日は会議のため出勤します。
もちろんペンとハンコ持参です。

若者よ欲を出せ

2018年11月04日 | 時事
明治150年。1853年のペリー来航から15年、1868年に明治維新を迎えた。そこて、歴史のなかで15年前後の節目をいくつか事例紹介し解説した。1995年の阪神淡路大震災、2011年の東日本大震災などだ。たった15年で天地がひっくり返るような出来事は少なくはない。

授業の最後に、歴史を踏まえてこれからの社会で君たちはどう生きるか、何をしなければいけないか、感想や意見を短く書かせた。そのなかで目立ったのが、「お金」「資格」「インターン」「英語」というキーワードだ。
資格を取ること、お金を貯めること、英語がてきること、インターンすることが大事だと学生らは認めているようだ。

これらの回答は確かに間違いではない。就職や生活のためには大切なことで、回答としては優等生的なんだけれども、何だか物足りない。夢中になるような興味関心のあることを見つける、体験するといった、一見無駄なようなこと、無茶苦茶なことを求める若者らしさや動きが少ないことが気がかりで仕方ない。

学生を取り巻く状況は、現代社会の縮図、鏡のような世界がそこにあるような気がする。恐らく平成時代に沢山起きた経済の混乱や事故や天災が日本全体を歪めたのではないか、その影響がゼロだとは否定できないだろう。

歴史を教えている立場として、学生たちに何を学んでもらって社会に送り出すか。バイト三昧もいいが、お金は卒業してからたくさん稼いでもらい、今は、もっとやるべきことがいろいろあるのでは? と言いたくなるのは、歳をとったせいか。

朝鮮戦争の1950年からオリンピックの1964年は、どん底からはいあがった経済成長。そして、大阪万博の1970年からTDL開園の1983年といった大量消費の時代。車や家電製品が次々出され、豊かな暮らしを謳歌した時代にでもある。軽薄短小と揶揄されながらも前衛からアングラ、エロ・グロ・ナンセンス、アイドル、スターなど、芸術と文化は大衆娯楽の時代のなかで勢いや創造性があった。

今はどうだろうか………重苦しい空気感が若者にはびこっている。自殺者250名もまた現代社会の姿を映し出しているのかも知れない。

東京2020オリンピック・パラリンピックが今後どのようなインパクトを与え、その後日本の羅針盤の向きを変えるのかどうか見極める必要がある。観光政策や外国人労働やAIロボットなど社会や働き方も含めて注目点は多い。とりあえずオリパラは滅多にない大イベント。若者にはこの機会を逃さず、どん欲なまでに有効利用してほしいと願うばかりだ。

親の背中をみて

2018年06月08日 | 私事
日曜出勤する前に義父の入っている施設にルーペを届けに行った。
義父が施設に入ってもう2ヶ月。施設からは、帰りたいとか、人に罵声を浴びせるとか、手を挙げたり、モノを投げたりするといった連絡はない。

昨日もサロン室みたいなところで皆とくつろいでいた。他の年寄りに比べると義父はしっかりしている。多くの人が、一点を見つめてるような顔をしてるのに、義父は目が悪いせいかしかめっ面で、ひたすら新聞、雑誌を読んでいる。野球と車の雑誌を手元において、新聞を読むのが日課のようだ。家にいたのと変わらない。

以前、義父の兄もこの施設に居たことがあるが、皆に声をかける社交的な兄に比べて、義父は静かで物足りないくらい大人しい。
ルーペを渡すと「何だっけ」という。「これがあると字が大きくなって読みやすいでしょ」というと「あぁ、どうもありがとうございます」と他人行儀な挨拶が帰ってくる。おそらく私のことは理解していない。
一緒に行ったカミさんに向かっておばあさんが「娘さん?、こっちは旦那さん?」と言ってくれた。入るときも「奥にいるよ」と大きな声をかけてくれるおじいさんがいる。回りの方が私たちを覚えている。

将来、自分もこういうところに入るのだろうかと、目の前の光景に自分を当てはめようとして呆然となる。そうなりたくないと言いつつも、入るときは良いとも嫌だとも言えなくなっているに違いない。いや、その頃には施設に入るだけの年金はもらえず、貯金だ底をつけば孤独死を待つのみ。雇用のあり方は老後のあり方をも決める。後何年もすると、高齢者があふれ、入りたくても入れず、子どもの世話になって、子どもも仕事を辞めざるを得なくなって共倒れする時代がくる。子どもがそっぽ向いたらどこかひっそり死を選ぶのか。

施設は穏やかな空気と静かに過ぎる時間だけが流れている。毎月のように行事があって、メリハリのある生活を過ごすようだ。職員もゆっくりしたなかで、手と足はまめまめしく動き、声を掛けあっている。人生の終末をどう過ごすか、親の背中をみて自分のことを考える世代になってしまった。