らくしゅみ

写真や音楽、その他気の向くままに綴ってみたいと思います。 楽に趣味をらくしゅみ。

OM Workspace それとTG-7 OMデジタルソリューションズ株式会社 ブランド名はOM SYSTEM

2024年04月13日 | 写真

このブログで最近多く閲覧されているのが「OLYMPUS Viewer 2 Ver.1.41」です。その理由は分かりませんが、私もそれを書いたのがもう12年も前の話で、それっきりだったので少し更新したいと思います。

現在はOM Workspaceと名前を変えて配布されています。

今まではOLYMPUS A-GPS UtilityというソフトからGPSのアシストデータ(エフェメリスデータ)をカメラに送り込んでいましたが、昨年(2023年)でサービスを終了し、このOM Workspaceに一本化されました。ちなみにGPSのアシストデータはOLYMPUS Image Track改め、OI.Shareというアプリを使ってスマホからも送り込めます。

Exif情報に緯度経度が書き込まれています。

Exif部分のアップです。

OLYMPUS Viewer同様、RAWデーターさえあればソフト上でアートフィルター(この場合はドラマチックトーン)を適用できます。もちろん「効果」のボタンを押してフレーム効果やフィルター効果も今まで通りです。フレーム効果の黒枠は以前書いた通り、画面のアスペクト比ごとに異なるフレームが適用されます。

2月に石垣島に行きましたが、実はそれに際して今まで使っていたTG-4をTG-7に買い換えました。とても質素な箱です。このカメラの価格から行くとコレでいいと思います。TG-4を買ったのは2015年のことで、宇奈月温泉の旅行に持って行き、川に沈めてみました。(笑) 使い勝手のいいカメラなのですが、充電やコンピューターとの接続のためのケーブルが特殊な口で汎用性が無く、そこが唯一の欠点でした。TG-5からマイクロUSBになりましたが、その頃には子供と出かける事が少なくなりカメラの出番も少なくなっていたので、そのままにしていました。

ですが、昨年(2023年)USB-Cになって登場しました。PD(給電)に対応していません(ある意味当たり前)が充電ができるのでケーブルをあれこれ持たずに済むのと、今回海に行くのでひょっとしたら海に沈めるかもしれないと思い買い換えました。(笑)

TG-7の正面。画面下に2本のネジが見えますが、TG-6まではグリップの脇にありました。またOLYMPUSだったロゴがOM SYSTEMになり、TG-6で黒っぽくなっていましたが、白抜きの文字が復活しています。またレンズリングを外すためのロックボタンがレンズ脇にありますが、TG-5からのものです。

後ろから見たところ。左にLOGを記録するためのレバー(スイッチ)がTG-5からついています。出荷時の液晶保護のフィルムをまだ剥がしていませんが(笑)、以前液晶部分にあったSTYLUSとかOLYMPUSの文字はありません。(TG-5から) ちなみに液晶モニターも104万ドットありますが、TG-6からです。それまでは46万ドットでした。

シャッターボタンの右脇にはダイヤルが設けられていますが、これもTG-5からです。

シリコンジャケット

フィッシュアイコンバーターを装着したもの。レンズに部屋干しの洗濯物が写り込んでいる。(笑) 拡大しないでください。(爆)

もう一枚。フィッシュアイっていうと大仰なものが多いですが、オリンパスのものはコンパクトでとても使いやすいです。これはフィッシュアイコンバーターFCON-T01(対角線魚眼)といってTG-1の時からのアクセサリーですが、いまだに使えるって素敵です。ね、子供の頃に見て、ああ良いなと思ったものが、子供の頃には買えなくても大人になれば新品で買えるっていう事ですよ。これこそサステイナブルなのではないでしょうか。一番最初のコンセプトが良かったことの証左です。(実際にコンバージョンレンズを使うにはCLA-T01というアダプターリングが必要です。)

ついに見えるところのネジは底のこの2本とボディ正面の2本だけになってしまいました。(ワオ) 会社名は奥之心数字科技株式会社とあります。原産地は越南(ベトナム)です。

 

昔からオリンパスの水中カメラを使ってきました。μ1030SW、Tough TG-810に始まって、TG-1、TG-4と来て今回のTG-7となりました。ちらっと写っているストラップはTough TG-810を買った時に同時に買ったものですが、それは2011年のことなので13年も前のものになります。そして相変わらずカチャカチャとうるさいです。(当たり前)

 

ドラマチックトーンはその昔写真展をしたりして、結構気に入って使っていました。今はお休みしてしまっていますが、新しいカメラが出たら、特に高画素になったら買い替えて再開したいと思います。このブログ内でドラマチックトーンで検索してみてください。それなりに写真が出てきます。

 

で、このエントリーのオチは何かというと、その石垣島の旅行でカメラを海に浸けなかった事です。(笑) でも、フィッシュアイでは撮影しています。

 

 


「生誕120年 安井仲治 僕の大切な写真」 東京ステーションギャラリー

2024年04月12日 | 展覧会

「生誕120年 安井仲治 僕の大切な写真」を東京ステーションギャラリーに見に行ってきました。もうすぐ会期終了、間に合って良かったです。

会場内は撮影禁止なので、入り口の写真。

もう一枚。写真展を見終わった後、会場出口上から。

妻が丸善丸の内本店の4階にて開催中の「Hashibiro lovers(ハシビロラバーズ)」を見たいというのでそれを見て、その後カフェ1869で電車を見ながらランチ。

で、東御苑を目指して・・・和田倉門、和田倉橋、和田倉噴水公園を抜けて・・・桔梗門は予約が必要で(笑)・・・いつもの大手門から。

クルメツツジ咲いていました。来週から再来週が見頃でしょうか。昨年は見に行かなかったと書いてあります。一昨年はこちら

ハナショウブも先月見た時は何もありませんでしたが、順調に育っているようです。

ひと通り見終わったら北桔橋門を通って北の丸公園へ。北の丸公園から千鳥ヶ淵を挟んだ対岸のボート乗り場は行列ができていました。

同じく北の丸公園の千鳥ヶ淵に面した所から桜を見ました。まだまだイけてます。ちなみに昨年はこんな感じでした。

 

おまけ

翌日(つまり今日)の武道館は東大の入学式です。東大って広いけど入れないのでしょうか。

 

 


遠足 海津市、とんかつ小池(岐阜県海津市) サクラがいっぱい でも本当のメインは岐阜かがみがはら航空宇宙博物館

2024年04月09日 | 旅行記

昨日一昨日(4月7、8日)と岐阜は海津市、岐阜かがみがはら航空宇宙博物館にいつもの仲間と出かけて来ました。前回海津市に遠足に来たのはざっくり3年前。その前は5年前で、春に来るのは今回が初めてです。

初日、岐阜羽島から単独行動をしました。海津に行くのは3度目なのですが、何故か最寄駅の岐阜羽島からスタートせずに名古屋が起点でした。なので?岐阜羽島に行ってみたくて、単独行動にしてもらいました。ちなみに私以外の人は阿下喜駅という三岐鉄道北勢線の終点にある軽便鉄道博物館を見学しに行きました。

大榑川堤の桜並木(おおぐれがわていのさくらなみき) 8キロほどあるそうですが、『平田靱負(ひらたゆきえ)ロード』と命名されています。

お見事です。

菜の花も咲いて桜との色のコントラストが素敵です。

平田公園というのがあって、何故か乙姫様。反対側には浦島太郎もいました。

これは二日目の写真。この後今回の旅のメインである岐阜かがみがはら航空宇宙博物館に向かうのですが、ここの桜があまりにも凄くて寄り道です。墨俣一夜城(すのまたいちやじょう)(大垣市)というのがあって、その手前に延々と続く桜並木なのですが、探しても名前が出てきません。(笑)

岐阜かがみがはら航空宇宙博物館

最新鋭のものやとんがったもの、あるいは歴史的なものはありませんが、結構楽しめました。

 

初めの予報では雨が降るといわれていて、桜の開花予想では遅いといわれて、良いとこ無しな感じでした。でも相手は自然のことだし宿をキャンセルなんて事はしないで、ま、酒でも飲んで美味しいものを食べて温泉でも入ってのんびりするか・・・と思っていたら豈図らんや、天気は良いし桜は満開。雨男がいなかったのか・・・などと冗談を言いながら旅は続いたのでした。

 

今回千代保稲荷神社には行きませんでした。初めて行った時は夜。前回は昼間だったけど雨。で、今回は晴れの昼間・・・だったのですが、とにかく桜がすごくて千代保稲荷神社どころではありません。(笑) 前を通ったのですが、日曜日だったので大変混んでいました。それも寄らなかった理由の一つです。

 

岐阜かがみがはら航空宇宙博物館も楽しめました。東京からわざわざ行く理由はあまりないかも知れませんが、良かったです。この手の博物館は国立航空宇宙博物館(スミソニアン)の別館The Steven F. Udvar-Hazy Centerとザ・ヒロサワ・シティの中にある科博廣澤航空博物館に行ってみたいです。

 

とにかくサクラが凄すぎてそれ以外は他になにも目に入ってこない。(笑) サクラが満開で嬉しいといえば大変嬉しく、酒飲みや観光には最高ですが、逆に何を撮ってもサクラに染まってしまうので単調といえば単調です。なんにしても贅沢な悩みでした。

 

初日、岐阜羽島から単独行動をしたわけですが、日曜日の公共交通機関はほぼ機能していませんでした。時刻表も微妙にネットと整合性が無いし、一本で行けないので乗り継ぐわけですが、連携していないし、およそ観光地ではありません。みなさん出かける時はクルマで。

 

おまけ

先だって清水に行ったときにJAMSTEC(Japan Agency for Marine-Earth Science and Technology)の地球深部探査船「ちきゅう」を見ましたが、今回、新幹線の中からも見えました。それだけ大きいという事です。

 

 

 

 

 


オッペンハイマー

2024年04月04日 | 映画

今日は地元の映画館にオッペンハイマーを見に行ってきました。

らしいものは無く、ポスターのみ。

いつもの館内

 

クリストファー・ノーラン監督はフィルム派で、70mmフィルムを横にパーフォレーション15個分(アスペクト比1.43:1 静止画のフィルムサイズでいくと6x8くらい)を走らせるカメラで撮影しているそうです。海外ではフィルムを上映するところもあるそうですが、1ロールが400ポンド(約181キロ!)もあるので、一作品に何ロール使うのか知りませんがおよそ現実的ではないです。(それとも夢のある話でしょうか?) ま、検索してみて下さい。たくさん画像が出てきます。

 

この映画のためにレンズも作ったとの記事がありました。

 

「グランドシネマサンシャイン 池袋」の映画館はフィルムではないですが、そのアスペクト比1.43:1で見せてくれるそうなので今度行ってみようと思います。スクリーンは高さ18.9×幅25.8メートルで、ビル6階分の高さに相当するそうです。

 

そういう技術的な方(ほう)には興味があるんだけど、中身はね、3時間は長いよ。(笑) スタートが11時10分だったので軽食を持ち込みました。しかも3時間の映画なので終わってみれば14時過ぎ。最近はこんなのばっかりです。

 

おまけ

オッペンハイマーの「らしいもの」はありませんでしたが、次週から始まる名探偵コナンのものはありました。

 

名探偵コナンは実は今まで吉祥寺プラザという映画館でやっていました。私がそこで見た映画はフェイブルマンズが最後でした。で、この映画館がバッティングセンターと共に2024年の1月31日で閉館となりました。なので、これから名探偵コナンはどこで見たらいいのかな?と子供が言うので新宿か渋谷に出るしかないんだろうと返事をしましたが、ここ吉祥寺オデヲンで見ることができるようです。逆に言うとドラえもん、クレヨンしんちゃん、ポケモンの映画はオデヲンでやっているのになぜ名探偵コナンの映画はプラザなのか謎でした。謎は解けませんでしたが、これで気持ちはスッキリ?しました。

 

ちなみにプラザの最後の上映作品は「もののけ姫」と「君たちはどう生きるか」でした。妻は最期なので見に行くと言って「君たちはどう生きるか」を1月24日に見てきていました。


ジョナス・メカス展『われわれは理想主義者でなければならない - Be idealistic -』 粟津潔邸 南生田(最寄駅は小田急線読売ランド前駅)

2024年03月31日 | 展覧会

昨日は小田急線読売ランド前駅から山を登った所にある、グラフィックデザイナー・粟津潔邸で開催されているジョナス・メカス展『われわれは理想主義者でなければならない - Be idealistic -』を見に行ってきました。

読売ランド前駅、久しぶりに降りましたが、基本的な構造は大昔と変わっていません。子供の頃は改札の向きがホームと直角だったような気がしますが、現在のこの形になってからも30年ぐらい経つのではないでしょうか・・・

通り道の花を愛でながら・・・

粟津潔邸

こんな空間や・・・

こんな空間が広がっています。

他の見学者、と言ってもジョナスメカスだけに限らず、この家の住人だったグラフィックデザイナー粟津潔やこの家を設計した建築家原広司に興味のある人たちもいて、テーブルの上にあった本を見ながらああでも無いこうでも無いと議論していました。

こんな部屋もありました。

帰り道でも花を愛でながら・・・

駅に到着。お昼時だったので名代箱根そばをいただきました。はじめ、日高屋にしようと思ったのですが、前日にインスタントラーメンを食べたのと、私の近所に箱根そばが無いのでそばになりました。(笑)

 

粟津潔はグラフィックデザイナー、その彼のアトリエ兼住居を作ったのは原広司という建築家。1972年に落成したこの家は、生田の山奥(正確な住所は南生田)で、時期や場所を考えてもモダンで素敵すぎます。ジョナス・メカス展を見に行ったのですが、少し霞んでしまいました。(笑)

 

ジョナス・メカスが亡くなった5年前にエントリーをアップしていました。

 

おまけ

昨日は暖かいを通り越して暑かったです。桜の開花が遅いと言われていましたが、これで一気に花開くことでしょう。で、夜はピザと決めて出かけました。(笑)と来ればビールは必定です。でも、それだけでは身体に悪そうなので吉祥寺のCRISP SALAD WORKSでサラダを買って帰りました。(昨日のコンセプトは自分でつくらない。:笑)

 

粟津潔邸の近所の杉山神社に寄ってお参りをしましたが、境内に日露戦役記念碑がありました。明治39年とありました。このエリアにもうひとつ恤兵會紀念碑があるのでこれも見ていこうと思いました。でも、調べてみたら駅を挟んで反対側なので日和りました。距離的には大した事はなく、地図で見ると平らですが、小田急線は谷底を走っているので両側は崖です。なのでやめました。(笑) また今度にします。

 

生田とか読売ランド前って下北沢から鈍行で行くと時間かかるのね。下北沢で来た電車にポッと飛び乗ったら成城学園止まりだし・・・成城学園で待っていたらアレに抜かれて次に来たのが唐木田行きの急行・・・これが読売ランド前には停まらない。(笑) 仕方がないので遊園で降りて待っていたらアレに抜かれて、コレに抜かれて・・・(笑) ようやくです。私が子供の頃から小田急はこうだったのをすっかり忘れていました。

 

45年くらい前の話ですが、新宿から下北沢のレコード屋まで各駅停車で行くとあれに抜かれて、これに抜かれてと・・・そのような事をここに書いています。

 
 

 

 


飲み会

2024年03月28日 | 食・レシピ

昨日は某所で某な飲み会でした。(笑)

いや、北品川です。品川駅からインターシティーを抜けた所にある・・・

きらくと言うお店で・・・

乾杯からの・・・

ご馳走でした。

 

声をかけて下さった方とこんな風に飲んだのはおよそ6年ぶり(多分)のことで、自分も外で人と話しながら飲むのは約一月ぶりのことです。墓参りの時も仲間と飲みましたが、純粋に人と会って飲むためだけに出かけたのは1月以来のことです。

 

割と最近に一件訃報があり、悲しい話題がありましたが、 それ以外は不適切な会話も無く(多分)大変楽しくお話ができました。(笑)

 

本来は違うお店に行く予定だったのですが、そこの大将の体調がよくないとのことでこの「きらく」になりました。比べようがありませんが、お刺身は写真を見てもらえればお分かりいただけると思いますが絶品でした。また他の料理も美味しかったです。今度は一人でも行ってみようと思います。


MINOLTA DYNAX 9を譲りました・・・そのときの気づき

2024年03月27日 | カメラ

先日、MINOLTA DYNAX 9を飲み仲間に譲りました。

なぜか我が家にミノルタのカメラがあったのです。(笑) 多分何かにくっついてきたのだと思うのですが、全く記憶にございません。そんな訳でミノルタン(ミノルタ好きの人の意)に譲りました。

で、カメラの中にこんなものが入っていました。

で、思い出したのはニコンのカメラたち。上からF3、EM、DYNAX9。シャッター幕を保護するために新品のカメラにはついています。

ちょっと並び替えてみました。(笑)

もう一枚。EMの写り込みが少ないかな。

ニコンだけにしてみました。

F3の・・・

EMの・・・

 

このシャッター幕の保護?どのメーカーが一番最初なのかは知りません。ニコン以外で見たのも初めてです。(新品で買ったものがニコンしかないということ) で、ある時教えていただいたのですが、ニコンはなぜ透明のものと白いものの二種類があるのかを。答えは、初めは透明だったそうです。ですが、ある時その透明のカバーをそのままにフィルムを装填して撮影した人がいたとかで、白く(透明じゃなく)したそうです。(驚)

 

ミノルタは透明ではない上に、材質は紙です。これで十分っていう事ですね。

 

ま、まさかな話ですが、事故ってそういう事ですものね。ご苦労様です。

 

ちなみにDYNAX(ダイナックス)はα(アルファ)のヨーロッパでのブランド名です。北米はMAXXUM(マクサム)です。中にドイツのお店の判を押した保証書が入っていました。そのお店は今でもあって、Foto + Digital Gressung GmbHと言いますが今年で創業120周年だそうです。

 

 


中平卓馬 火―氾濫 国立近代美術館

2024年03月26日 | 展覧会

昨日は招待券を頂いたので国立近代美術館に「中平卓馬 火―氾濫」を見に行って来ました。

あいにくの雨でした。

パネル

会場内 その1

会場内 その2

会場内 その3

展覧会場出口の所にあるパネル。

 

昨日は月曜日ですが、美術館はなぜかやっていました。(笑) ちなみに、いつもなら金月と休みの皇居東御苑も入る事が出来るようになっていて、北桔橋門辺りは多くの人がいました。北桔橋門のすぐ隣にある乾通りを一般公開しているから諸々連動しているようです。インバウンドなんでしょうね、外人が多かったように感じます。そして、特に混雑していた訳ではありませんが美術館も外人が多かったです。(多分日本人より)
 
 
北の丸公園は武道館で卒業式のN大学の卒業生やその父兄で溢れかえっていました。あと、春休みの子供達が科学技術館に吸い込まれていました。付き添いは圧倒的にお母さんが多かったですが、ご苦労様です。(笑)
 
 
雨でスッキリしない気分ですが、そんな事お構いなしにいろんな事が動いていて春を感じます。Rainy days and Mondays always get me down.まさしくな日ですが、大丈夫です。(何が?:笑)
 
 
追記
昨日近美のホームページに戸田昌子(写真史家)の展覧会レビュー「中平卓馬の否定形」が公開されました。中平卓馬を理解したいと思う人には一助となるレビューです。

 


国立天文台 三鷹キャンパス 春の太陽塔望遠鏡特別公開 2024

2024年03月24日 | まち歩き

昨日は国立天文台三鷹キャンパスの春の太陽塔望遠鏡(別名アインシュタイン塔)特別公開2024に出掛けてきました。前回この天文台に来たのは2016年の秋のことでした。

正門

太陽塔望遠鏡(アインシュタイン塔)外観

シーロスタット

別角度から

銘板にはCARL ZEISS JENAとあります。

反射鏡にはNIPPON KOGAKU TOKYO(ニコンのことです)とあります。

塔の下まで降りて行き上を見上げたもの。小さな鏡(副鏡)が見えます。

シーロスタットから塔の下にある鏡(主鏡)に光が来るようになっています。

こちらの銘板にもNIPPON KOGAKU TOKYOの文字があります。

もう一枚

 

元々はツァイス製のシーロスタットで、口径47センチ、焦点距離14.42メートルのレンズが着いた屈折式光学系だったのですが、今はニコン製の鏡に置き換えたカセグレン式(反射式)光学系に変更されています。

 

ちょっと悲しかったのは、実はこの装置で相対性理論の重力赤方偏移が証明できなかったそうです。理由は言うなればノイズ成分が多いということらしいのですが、ノイズなのか否かを見極めるのは大変なことなのでしょうね。

 

その他の写真

サイデロスタット(シーロスタットの亜種?)

日食観測に使われたカメラに着いていたレンズ。WOLLENSAK(ウォーレンサック) 15INCH f5.6のレンズです。説明板にはカメラの詳細も分からず、フィルムも残っていないであろうとありました。詳細は記録が残っていないけれど、(原物を)残すことも大事(意訳)とやや言い訳的な説明版でした。(笑)

ツァイス製19cm自動光電子午環

19cm自動光電子午環を制御するコンピューターの上部(笑) データーカートリッジです。モデル名はRL02K-DC。この下にDEC(ディジタル・イクイップメント・コーポレーション )のPDP 11/94 RA82 などがあります。

トロートン経緯儀(望遠鏡) 明治最古の望遠鏡、TROUCHTON & SIMMS LONDON 1875の刻印がありますが、明治8年です。国立科学博物館の理工電子資料館にもあり、そちらは明治13年(1880年)に輸入されたとホームページに書いてあります。私はおよそ6年前に東博に行ったついでに寄ったときに見ました。(笑) お土産も買いました。

およそ30年くらい前にアメリカはアリゾナ州にあるキットピーク天文台に行きました。こちらはシーロスタットではなくヘリオスタットですが、太陽を観測するという目的は一緒です。画面の中央に滑り台?のような斜めの建物がMcMath-Pierce solar telescope(マクマス-ピアス太陽望遠鏡)といいますが、これが地下まで通じています。(リンク先の図を見てください)

 

あいにくの天気でしたが、他にもたくさんあって、とても楽しかったです。

 

写真、それなりに見えていますが、建物内部は実はほぼほぼ真っ暗です。なのでブレた写真が多いです。

 

おまけ

前回この天文台に来た時に帰りにラーメンを食べて帰りました。(笑) 昨日は同じところが違う店になってのオープン初日でした。ランの花や、開店祝いの花輪などそれはそれはとても凄い量でした。また行列もすごかったです。名前を皇綱家(と書いてきづなやと読むらしい)と言います。なんでも元は池袋の有名店らしいです。写真は撮りませんでしたが、検索してみてください。

 


塩竈フォトフェスティバル 2024 第8回

2024年03月16日 | 展覧会

14、15日(木金)と塩竈のフォトフェスティバル 2024に出かけてきました。

入場券、このパスを買えば全ての会場で何回でも出入りできます。(1,000円です)

こちらは裏面ですが広げると会場、塩竈の町の地図です。(偏っていますが:笑)

私のメインは塩竈市杉村惇美術館(昭和25年建造の公民館を改装し、平成26年に開館した美術館)

入り口

「風景を見つける 小島一郎の写真」です。会場内はこのパネルのみが撮影可で、他は不可です。2部屋あって、写真が5枚展示されている面が4面ある部屋と6枚の面が4面の部屋、その中に例外が1面あって7枚展示されている面があるので合計で45枚の写真が展示してありました。

尚光堂 (写真店、スタジオ、暗室) ここの暗室が素敵でした。そしてドライマウントやマットカッターなどもあり、ここで写真の全てが完結します。

写場(スタジオ)がギャラリーになっています。

ビルドスペース(現代アートギャラリー)

元々がギャラリーなので流石のスペースです。

他の会場とは若干離れた場所にある、ふれあいエスプ塩竈 ふれあいエスプ塩竈の「エスプとは、enjoy(楽しむ)、study(学ぶ)、play(遊ぶ)という頭文字から名前が付けられました。」とあります。略してESPだそうです。ESP(イー・エス・ピー)って光速エスパーですね。(意味不明) 

特別協賛のNIKON PHOTO CONTEST、株式会社ニコンイメージングジャパン

海商の館 旧亀井邸(大正13年に建てられた和洋併置式住宅)

何とも言えない趣のある味わい深い会場です。

 

もう一軒ピッツェリア ラ・ジータというところがあるのですが、ごめんなさいパスしてしまいました。

 

行ってみたいと思っていました。ですが、色々と情報が足らなくて勇気が出ませんでしたが、今回「ま、何とかなるさ。」で、ようやくの事出かけてきました。前回の高砂淳二の写真展に出かけたことが大いに役立っています。

 

15年くらい前に青森県立美術館で小島一郎の写真展が開かれました。およそ200点の展示だったそうですが、今回は45枚の展示。今回どのようなセレクションがなされたのかは知る由もありませんが、またどこかで全貌を見渡せるような写真展が開催される事を希望します。

 

市内観光(笑) 写真を並べていきます。

このフェスティバルの実行委員長の平間至の実家?ひらま写真館です。

ふれあいエスプ塩竈内にある長井勝一漫画美術館。長井勝一は塩竈出身で『月刊漫画ガロ』の初代編集長です。

現存していて実際に使われているのはここだけと言われている6号ポストです。

このマークは・・・

浦霞で有名な株式会社佐浦です。地図で見るとよく分かりますが、敷地の大きい醸造所です。ま、ある意味工場ですからね当たり前なんでしょうが。夜は晩御飯がわりにホテルの近くの居酒屋に行きましたが、もちろん敬意を払ってお酒は浦霞をいただきました。

鹽竈神社。先程の醸造所はここの御神酒を作っています。「鹽」の字に「鹵」が含まれていますが、やはり鹸化した油脂に塩を加えるところからきているのでしょうか?

泊まった所がここ。本塩竈から少し仙台方向に戻った多賀城にあるホテルキャッスルプラザ多賀城です。宿を予約する時にJRも一緒にと思い、旅行代理店を通じて申し込んだところ、ホテルも部屋もあるのですが、なぜか一人の予約が出来ない。私のリテラシーが低いのでしょうか? 面倒なので多賀城に泊まりました。(こっちの方がトータルで安い)ちなみにJRを外して代理店を通さなければ部屋はありました。

 

この晩、あの大きな地震が福島でありました。当然ホテルも揺れたのですが、大きなホテルだからでしょうか?頑丈だったようで恐怖を感じるような揺れではなかった・・・と思います。(笑) というのもちょうど寝始めた頃に地震があったので眠くて起き上がれなかったのです。(爆)

 

どうでもいい話?(笑)

杉村惇美術館の監視の方に幾つか質問しているうちに、その人が小島一郎の遠戚でお手伝いを頼まれたということがわかりました。で、どちらから?と聞かれたので東京は吉祥寺からと答えたら、今、私は立川にいますとの返事で、妙な親近感を覚えました。 今年(今年度)から地元(宮城)で小学校の先生になるそうです。

で、ふれあいエスプ塩竈に行くときに場所が他の会場と少し離れているように感じたのでタクシーを利用しました。そのタクシーの中での会話で昨晩の地震の話になりました。運転手さん曰く、今までは地震のたびに壊れたところを直してきたけど、歳も歳なのでよほどでない限りもう直さないそうです。私が、じゃあこれからは子供が・・・なんて言ったら、今は子供は東京に出ていて、なんと立川に家を建てたそうです。(驚) 誰にも説明出来ませんが、立川繋がりということで。(笑)