小林恵のNY通信

NY在住47年、2011年より東京谷中に居住。創造力をのばすためのエッセンス、スパイスをいれた私の暮らしの手帖です。

ああ美しい!日本の旗は

2016-09-14 17:41:00 | 暮らしのジャーナル

日の丸の旗

「白地に赤く日の丸染めてああ美しい!日本の旗は!」 
シンプルなデザイン、白と赤の対比の美しさは格別。オリンピックでほかの国と比較しても日本の旗は美しい。

しかしこれは公平な意見ではなく、それぞれの人が自分の国に込める愛国心が加わる。
デザインの美意識だけで はない。アメリカの国旗大好きの長くアメリカに住んでいた日本の友人がベッドにアメリカの国旗
を掛けたら アメリカの友人はむっとし、「なぜアメリカの国旗がベッド掛けなんだ!日本の国旗を使えばいいのに」と言った。

好き嫌いでなくその国に対する敬意が大事な事。

              
縦が横の2/3の長方形、日の丸の直径は縦の3/5,中心が旗の中心。この対比も美しさ!このデザインへの感嘆は
永久不変だ。それぞれの国民が自国の国旗が美しいと思うのかと思うとそうでもなかった。デザインを超えて大議論になった。
 心地よい議論でなかったのは国の強さが根底にあるらしい。我々がデザインしたのでないからやめようと誰かが言った。
外国ではかなりセンシティブな話題となる。 

日本国旗の制定日は明治3年(1870年) 2月2日。紅花で染めた赤使用。アメリカの赤もコチニール赤係と決まっている。

日本の大漁旗も美しい。大漁!大漁!恋女房の待つ港へ風を切って帰る。理想的夫?女性たちは重労働で家を守った。
アメリカの漁師は船の中で妻へのお土産にフックド・ラグを作った。
夫は元気で留守がいいと言ったのは誰だろうか。

パラリンピックは本当に勇気をもらった。可能性と一生懸命は無条件に心を打つ!

      
 


 

 


カレル橋の思い出

2016-09-05 22:56:31 | 七夕東京

 1976年の夏、私はこの橋の上でニューヨークの友人に渡す秘密の手紙を託されました。

         
 チェスラフスカの死を悼んでジャーナリストの中森康友が撮影したプラハの春の写真です。当時中森さんが撮影した写真です。1964年東京オリンピック開催前に私はニューヨークから世界一周の旅に出ました。東京オリンピックでチェスラフスカは「オリンピックの名花」と称えられ金メタル3個もとり、その後チェコ民主化運動で活躍した人です。1976年この夏。アームストロングが月を歩いている写真に世界中がアッと驚き、ウイーンは号外新聞で沸いていました。

 私はウイーンでニュースを聞き、ウイーンからプラハ~オランダ~パリへと行く途中でした。まだ民主化されていないチェコは限定付きでチェコ内で250ドルを使用すること、所有外貨を点検する、指定のホテルに泊まることなど制限がありましたが検閲付きでツーリストは入国できました。ウイーン以後に回るヨーロッパで使うお金は靴下の中に入れ運動靴の紐をがっちりと結びました。当時国連に働いていた外交官夫妻と一緒に張りめぐされた鉄条網の中で牙をむいた軍用犬がわんわん吠えている国境を通り,マリア テレシアがウイーンとプラハを往復したという美しい並木道を通って中世そのまま、夢のようなプラハに到着しました。そしてこのカレイ橋の上で友人と一緒にチェコの友人と会い、ニューヨークの友人に渡してほしいという住所の書いていない封筒を渡されました。手紙は皆検閲されている時代でした。美しいカレイ橋の上でスパイ映画のようなスリリングな経験をし、当時まだ貧しかった文化の街、プラハで分厚い熱々の揚げたグリエーチーズとビールが美味しかったことを覚えています。

 チェスラフスカはチェコの民主化運動を支持し、「プラハの春」はもう遠い昔の話になりましたが、中森康友さんの写真は歴史を物語り、昔を思いだし少し感傷的になった午後でした。

中森通信:mo.nakamori@wine.plala.or.jp をご覧ください。


幻想的な美しい花

2016-08-29 19:35:28 | 東京の日々

上野の蓮池
上野の蓮池には1914年完成した池に入り込むようにできたハス鑑賞用の歩道ができていて、背の高い美しい蓮の花に囲まれて
蓮の世界に浸ることができる。 
蓮は泥水から美しい花を咲かせるので花言葉は「清らかな心} という通り仏教では極楽浄土に咲く花とされ、古くから親しまれてきた。
仏教国ベトナムの国家でもある。
きれいな水 で育ったスイレンは花が小さく、泥水でなければ大輪の美しい花が咲かないという。すごいことを教わる思いがする。
仏教の修行にも当てはまり、人生訓にも当てはまる。心が洗われる気持ちで数時間かけて歩いた。東京のド真ん中の公園で咲く花。

6月から8月一杯が見ごろとのこと。 
 


 


良くなりたいと願う願望

2016-07-29 16:15:30 | 暮らしのジャーナル

 誰でも良くなりたいと望み、誰かの役に立ちたいと願う

 熱中症で自分がわからなくなり、5カ年もホームに入っていた大好きな姉が亡くなりました。
 その数日前、もう食欲も、自分で噛むこともできなくなった姉の流動食を1時間半もかかって口に流し込んでいると
「僕が変わります」とヘルパーさんが代わってくださいました。まだお若い男性がどうしてこんな仕事を選んだのか不思議に
思って訪ねると 「僕はプログラマーで朝から夜中までコンピューターの前に座ったままでした。人と話したい!生きている人の役に
立ちたいと思ったのです」
と答えました。 
 死を目の前にした姉の前で多感な時代を戦争で破れた世代の姉を見ながら美しい花も必ず散るのだ、皆必ず死ぬのだとごく
当たり前のことでしたが思いを新たにしました。


                  かなえたい夢もあった
                  変わりたい自分もいた
                  悲しみの向こう側に誰かの笑顔が見える
                  私は何を残したろう
                  花は咲く
                  悲しみの向こう側に・・・・・・・・・ 


 とてもいい歌だと思う。2011年3月11日の2か月前に47年も住んだニューヨークから帰国してショッキングな地震が起きました。
震災は
日本人たちの思考を変えたと思います。もう島国ではない。世界観を持つようになった日本人。
 今私はアメリカ・フックドラグを教えています。お若い方もいらっしゃるけれどほとんどは子育てが終わって自由を得た人たちが集まり
です。 
自分発見の能力を発揮し作品を作っています。下のラグは処女作です。ミキモトでのラグ展に展示したものです。
 100%ウール。100年以上持ちます。私たちが死んでもこのラグの花たちは生き続け、部屋を美しく飾り、人々を倖せ
にしてくれます。

         
               制作:大津律子              制作:奥井周子
         
            
              制作:大久保史子             制作:小林惠               

          
        人を倖せにし、役に立つものを残す・・・ものつくりのすばらしさを改めて感じるこの頃です。

 

                  

                   

 


意識の差

2016-07-19 15:27:39 | 暮らしのジャーナル


暮しのエッセンス 日本とアメリカ 暮しの経験から生まれる世界観…捉え方の相異

      

   七夕祭りは日本のフォークアートとしても視覚的にも伝説的に素敵なアイデアだ。
  東京駅の銀の鈴前にはそれぞれの願いを込めた願いごとが”よろしくねっ” とぶら下がっていた。   曰く
  「痩せますように」 「5体満足の子が生まれますように」 「髪がふえますように」 「早く結婚できますように」 
  「経営が巧くいきますように」 「 楽な仕事がしたい」 「裕ちゃん大好き!」 「世界が平和でありますように」 
  「来月までにやせて水着が着れます様に」 「良い人が見つかりますように」 「素敵な彼と会えますように」 
  「夫が甘やかしてくれますように」 「彼と結婚できますように」 「彼が指輪がをくれますように」

  願いを込めて祈るのは世界中同じ。外国では❤の立体手作りや、歩けるようになると小さな足の摸形を奉納するとか。
  1999年できた紐育のダウンタウン、チャイナタウン近くの美術館のコンセプト、有名でなければ美術館展示は
  しないという伝統を破り権威主義を無視し、民衆に開放した一般参加型民主的美術館、”NYC NEW MUSEUM”
  で展示された”心を込めて”のリボン展。各自の希望を紙に書き、眼の前で即時リボンに印刷。
  リボンに希望を乗せた画期的展覧会では

  「アメリカに新時代がきますように」 「アブガニスタンに平和が来ますように」
  「人々が学びながら暮らせますように」 「USAはほかの国と戦争をしませんように」 「HIVが世の中から消えます
  ようように」 「地球の何処でも暮らせるように移民という言葉がなくなりますように」 「「どこかにより素敵な縁がある
  ことを望むのはやめたわ」 「どこでも暮らせる独立心を持ちたい」 「NYで暮らしていけますように」 「NYで成功
  できますように」 などなど。このリボンが美術館壁面いっぱいに飾られた。最後の日には皆に渡された。

  

   2015年アメリカのタビーキャット108匹展を谷中の延命院で開催したとき、そのリボンは生徒たちの猫ちゃん
  の首を飾った。
  
  猫制作・和田知佳                          猫制作・斉藤智恵子
   
  猫制作・三宅愛子                         猫制作・植田美和子

 

  

  

  
   

   

   

 

   


クレマチスの丘 心が洗われる憩いの場所

2016-07-18 07:18:10 | 暮らしの詩

   美しい自然を見ると神様がいると信じてしまう。
しかし、人間がデザインして作られたものには感動させられ、
        人間賛歌を聞く思いになる。

 クレマチスの丘を訪ねた。美しい庭園と彫刻と空間、開かれた空。
全てが美しい。本当に来てよかったと思った。広大な敷地にベルナール・
ビュフェ美術館、ロベール・クートラスのコレクション、
井上靖文学館などが
点在し、庭園には現代イタリアを代表するジュリアーノ・ヴァンジの彫刻が自然
と融和し彫刻の周りを歩けるのも楽しい。

 1970年のはじめ私の友人の姪が創設者、岡野喜一郎の息子さんと私の親友の姪
が東京で結婚し、新婚旅行の途中NYの私のアパートによってくださった。
「父がビュフェ美術館を建てましたからぜひ訪ねてください。ご案内しますよ」
と。あれから40年以上もたった。

    オリジナル自画像・渡辺良重
   

    
ラグ制作:岡本志子      

 訪ねた理由は2014年11月、銀座ミキモトでのフックド・ラグ展覧会で”デザ
イナーの作品をフックする”というテーマでフックド・ラグを作り、キギのアート
ディレクター
でありクリエイターでもあった渡辺良重さんが自画像をわざわざ描
いて提供してくださり、今回のクレマチス展覧の案内状をいただいた。パートナ
ーの植原亮輔さんとご一緒に作ったビニールの花入れが初めてニューヨークのモ
ダンアートで売り出された時、素敵なアイデアで優れた商品だと感心した。
 その時誰が作ったかは気にしなかったがヨーロッパの何処の美術館にもスペイ
ンの小さいピカソの生家美術館にまで 並べてあり、私もイタリア旅行には野原の
花をビニール花瓶にいれ楽しんだりした。
その創作者が商品化したときの記事を読んだときは一人の発想より違う発想で植
原さんと具現化したことを知った。美術館の窓をふさぎ自然光線に映えるこの花
瓶は今も世界中に君臨している現代の
傑作アートプロダクトだと思っている。
    
           
 クレマチスの丘散策は、優れたアート空間を振り向きつつ歩ける幸福をとどけてくれる。

  


ねむの木学園、宮城まり子さんのこと

2016-06-05 07:29:02 | 暮らしのジャーナル

最近感動したこと

 ねむの木学園の創設者、宮城まり子さんのことは私が帽子のデザイナーで独立
したときからの応援団の一人、
故・山岡久乃さんからたびたび聞かされていた。

 先日銀座画廊でねむの木学園の展覧会を見た。まり子さん指揮する子供たちのコーラス発表もあった。
”百聞は一見にしかす”一生懸命体を張って歌う姿は上手なばかりでなく、心から感動した。
ねむの木学園ができたあとニューヨークにも子供たちの作品をもって展覧会をしたことがある。
アメリカ人たちも大感激であった。

 私は1964年、オリンピックが東京で開かれる前、今は無き慶応病院の裏の二宮荘にアトリエを持ち、
神宮競技場の屋根を葺く槌音を聞きながら最初の海外旅行が自由になったその年
の4月、何かを求めてすぐ決心、渡米した。

 夢中で働いたニューヨーク生活とほぼ同じ年月の間、宮城まり子さんは人を助けるために働いていた。
人の助けを必要な人に手をさしのべ、成長した子供たちが今、人の心を捉えてやまない。
まり子さんはクリスチャンだ。まり子さんは神様が応援してくれているに違いない
人類愛と心から吹き上げる
愛の泉を持っている。

 誰でもが何かの才能があると私も信じている。しかし、自分で肥しをあたえず、花咲かず、不幸を背負って
人生を終える人もいる。
 ・・人類愛・・・今私たちが学ばなければならない事、手を差し伸べることをまり子さんのねむの木学園は教えてくれる。

 感動的で有意義な1日であった。

                                                                            

                                 
 

 


谷中の狭い路地にもささやかな可愛い花が咲き楽しい散歩の日々です。

2016-04-18 14:44:06 | 暮らしの詩

ささやかも豪華も楽しみは同じです。
 谷中は長屋が多かったせいでしょうか。土地がないので猫のような軒下に小さな鉢植えを
並べています。住む人の住み方でいろいろです。それぞれ小さい家にあったように可憐に咲き歩く人を慰めてくれます。

 懐かしいのはニューヨークの窓飾り。私の住んでいた周りのアパートです。
春のニューヨークの窓飾りをお届けしましょう。


 

 

 


日本人と桜・さくらとお寺・桜とお墓そしてさくら餅

2016-04-02 22:27:35 | 東京の日々

アメリカにもたくさん桜の木があり、日本では珍しいと思われる豪華な桜もある。しかし日本の桜に魂を感じる。なぜだろうか。




貴女が主役。自分でやらなければ何も起こらない。伝統を破る勇気。

2016-03-21 17:13:57 | フックド・ラグ

 リンダ フリードマン シュミツ の挑戦

アメリカン フォークアートの代表的なものにキルトとフックド・ラグがある。
幾何学模様は知的な作業で永遠に新しい可能性を発見できる面白さがあり、
ラグのデザイン表現は材料に制限がなくチャレンジしたい人には最適な媒体である。

リンダはフックド・ラグは常識として100%ウールと思っていた人たちの度肝を抜いた。
捨てられた科学繊維をストライプに切ってかつて誰もやったことがないことで、社会的発言、
人種差別、偏見、政治的、宗教的、性的なものなど社会的リアクションを気にして
避けている
社会にラグで抗議した最初の人だと思う。
       

      NYフォークアート美術館のラグレクチャーのあとで。私の後ろがリンダ         
 
リンダはナチ収容所のトラウマを持つ両親の子供でアメリカで生まれた。彼女もまたアメリカ社会の偏見に悩み、
上等のキャンバスに描かれた絵画のみがアート年て認める社会の矛盾に抗議を続けている。 
    

     
  
ベビーカートにのっている父親。泣き叫ぶ子供。慟哭する人間の悩みなどフック。国連は2013年いかなるアーチストも表現は
自由であると表明しても一般の認識度は開かれているわけではない。リンダはまじめに自己批判と反骨精神をもって、人間
の苦悩を雄弁に表現し続けている才媛のラグ作家である。
テーマをストライプで表現する日米展を企画し日米で展示。日本では銀座ミキモトで開催した「暮らしの詩 日米フックド・ラグ展Ⅲ2009年」
にリンダも参加。
精神的にトラウマのある父親がストライプのシャツを着て乳母車にのっている戦争の悲劇を表現している。

「暮らしの色鮮やか」 の朝日新聞の記事参照。ナチ収容所が開放されアメリカ軍がドアを開けた時、今まで生き残った人たちが
解放されたドアの前で何人も死んだという。
父親がナチ収容所を出たときは17歳。アートは楽しいものでなければいけないと思っているけれど
リンダの反骨精神は発言を続け、人々の心を揺さぶり語りかけている。


     


 

 


3月11日から未来に向かって

2016-03-12 19:58:55 | 暮らしのジャーナル

2011年3月11日、この日私は・・・

 47年暮らしたニューヨークから帰国、2011年元旦から谷中に住み始めた。
谷中がどういうところとも知らず、駅から5分、散歩は上野の美術館迄25分。
家は一人で住むには十分な広さがありすぐ決めた。年末帰国、荷物のない
がらんどうの家に越してきたのは1月1日だった。12月30日最低必要品を
買うと元旦にお届けしますと。本当に注文したすべてが元旦に届いたのは驚いた。
しかもチップなし。アッという間に取り付けていき、帽子を脱いで「ありがとうご
ざいます」と言って帰ったのには驚いた。日本のプロはすごい!
 御隣の大家さんからお盆一杯の手料理が届いた。

 
谷中銀座の本屋でこの辺のことを書いた本がありますか?と聞くと、森まゆみさんの本を
3冊出してくれた。ニューヨークから荷物が来る前、毎日森まゆみさんの本を手に谷中
じゅうを歩き回った。

 私の家は六阿弥陀通り、修正院という日蓮宗のお寺の前にあり、すぐ前の富士見坂を
登って諏訪台通り
へ、長い石垣と古い町屋が数軒残っている散歩道から経王寺の角に出る。
諏訪台通リは上野に続く高台で日暮里の駅まで家から7分。森みゅみさんのおかげで知識が増え
ニューヨークと全く違う江戸の町を楽しみながら歩きに歩いた。3月9日ニューヨークから荷物
がとどいた。日本の引っ越し業者の働き方は世界一だとおもう。短時間ですごい仕事をする、
数時間で指示した通りに家具がおかれ100個ぐらいのボール箱の整理は私の仕事。
夢中で整理をしていると地震発生!外に飛び出すと30本ぐらいの電線が頭上で
大揺れに揺れている。
「家に戻りなさーい!」「木の下は危ない!」どこからともなく人々が叫んでいる。家の戻る。テレビに
釘打ちになる。高台から叫ぶ人、通りから海の見えない人はそれが分からず、吞み流されていく。
大きな津波が窓をぶち割り、引き波にベッドに寝ていた人がベッドのまま波に吞まれていった。
映画ではない。ショッキングな記憶である。

あれから5年の月日がたった。日本は変わった。

特に東日本大震災のあと皆自分が何をすべきかを考え若者たちの精神年齢はシニアを驚かせる。
可愛い子には旅させろというように痛手の経験から真剣に生きることを考えている若者たちがいる。
経験から”人の役に立ちたい”と。そして協力する若者たちがいる。素晴らしい!
この若々しいコミュニティマインドはアメリカの開拓時代を思わせる。お互いの協力なしには生きれな
かった時代、男性は木を切り倒し家を建て、女性たちは寂しい家をキルトやフックドラグで飾った。
 自立とは風雪に堪え自分たちの手で生きることだ。私もこのことをアメリカ生活から学んだ。


今私は最も自由に個性を伸ばせる手ずくりのアメリカのフォークアート、フックド・ラグを教えている。
優秀な生徒に囲まれて展覧会を企画し、出来得る限り発表するチャンスを作り各自が自信を持つように
なってほしいと願っている。
私の企画は一人ではできないことだ。才能のある生徒たちに囲まれて、皆に助けられ,できる限りを生きている。
生きているのは素晴らしい。みなさんこれからもどうぞよろしく。

       

 


谷中延命院七面堂のラグ猫展

2016-02-10 23:24:20 | フックド・ラグ

一年をかけて作成したラグ猫ちゃん、誇らしく延命院で展示。
9,00~15,30pmまで2日間で入場者数1200人!

一番うれしかったことは延命院の住職様の「お寺は皆さまのためのものです。」とおっしゃった言葉。
それと皆さんが可愛い!可愛いと言ってくださったこと。
猫の町の谷中にふさわしく皆さんに無料で解放し、たくさんのかた方に見ていただいたこと、作者とともに皆様にお礼を申し上げます。

フックド・ラグはアメリカの開拓時代に作られたフォークアート、キルトとともにアメリカ人の血の滲んだ生活用品でした。
「メイド イン ジャパン アメリカのキルトが日本に及ぼした影響展」 (AMERICAN INFLUENCE ON JAPANESE QUILTS) と題して
1990年に私が選択して50点の日本人が作ったキルトをNew Englandキルト美術館、Japanソサエティ、パリッシュ美術館で展示したとき、
初めてキルトのことがニューヨークタイムス1ページ大に掲載され、アメリカ人を驚かせました。曰く「アメリカ人の血の滲んだキルトがひとたび
太平洋を渡るとどうなるか。アメリカ人にこれから何をなすべきかを教えられる展覧会である」と書かれました。何と誇らしい言葉でしょうか。
「アメリカン キルト事典」(文化出版局、1987年第1版、現在11版)出版以来はじめての展覧会でした。資生堂、凸版、
Kラインのスポンサー シップで 可能になり美しいブロッシュアもできたことはラッキーな事でした。
ラグ猫展はスポンサーなし、延命院の住職さんの言葉がどれほどうれしかったことか。
生徒は思い思いに好きなように猫を作りました。誰でも才能、何か秀でたものを持っています 。
長い間公募展の審査員をしていましたが、私の審査の決め手は上手下手ではなく、心を打つものが他の人にも影響を与えるものだ
と信じています。
その上、手つくりは脳を活性化します。

120匹の猫たちはどれ一つ同じ顔がありません。一年間毎日眺めていましたが飽きませんでした。どれも可愛い!
これこそアメリカンフォークアートの真髄です。
アメリカで暮らしの文化を学び、多くの人に個性のある素朴なものつくりを一緒に制作できる倖せを感謝しています。
見に来てくださった多くの方々、
そしてあなたらしさを好きなように制作した生徒のみなさん、ありがとう!
会場で見ることができなかった方のためにスナップ写真ですが七面堂の猫ちゃんの一部を見てください。
私が写真を撮る時間がありませんでした。どなたからかいただいた写真です。他に撮影した方がありましたら
keikobayashiny@gmail.com
おすそわけご送付いただけましたらうれしいです。ご協力ありがとうございました。
延命院&KK宅にて 撮影;織作さおり

 
 
 
 
 

13年間続けた砂浜美術館キルト公募展、潮風のキルト展の審査を終えて

2015-12-23 21:34:47 | アメリカンキルト

   キルトがアメリカではベッド掛けの総称であることをいまだに知らない人もいます。どこかで展示されるのを待って
 押入れ一パイのキルトを積んである人も少なくありません。作ったものを展示するのは分かち合いの精神で楽しいことです。
 理由がなんであれ自分らしさを作り出すことは素晴らしい。 誰かを刺激することもあるでしょうし、誰も創造したことのないデザインを
 作り出す自分らしさ。これこそアメリカの伝統なのです。 ベッドにかける機能を満たさなくても創作し、参加する
  だけでも意味があり社会性があります。

                                 
                                      ”砂浜美術館には建物がありません。美しい自然が美術館です”

  いつものことながらテーマは「自然」です。審査前に応募者のキルトの写真が送られてきます。名前はわかりませんし、写真と実物
 と違うことがあります。ニューヨークから帰国したとき、当時NHKのエンタープライズの社長をなさっていた水野憲一さんから「娘は卒論
 にクジラの研究に四国に出かけもう7年も帰ってこないのですよ。すごい田舎ですが、キルト展などいろいろ地域のためにもやっている
 らしいのですが・・・ ”いまいちらしいのですが、まさか恵さんが審査員をやってはくれませんよね」 と恥ずかしそうに言いました。
 「素敵なお嬢さんですね。やります」 と答えてから今年2015年まで13年間毎年審査を続けました。最初の歓迎会にボランティアで
 「富士山の観測所が閉鎖したので、新聞でこのボランティアに応募して横浜からきました」 という青年は現在砂浜美術館の理事長を
 をやっています。「ここが好きになり住みたいと思い、まず郵便配達をして村の家や人がわかりました」と。家に帰るとドアの前に野菜や魚
 がおいてあるのです」 と。健太郎さんは砂浜で巡り合った人と結婚し今は4人の父親です。村上健太郎さんと仲間たちは堅実に一歩
 一歩砂浜美術館を築いています。今年13年間ニューヨークから、。東京から参加していましたが、これからも地域にあった、身の丈に
 もあった発展を遂げていくに違いありません。応募者たちの作品に寄せられた心を打つ感想文は正直でいつも感動しながら読みました。
 キルトが潮風にたなびき、自由に作ったキルトが美しい自然とマッチして、これからもメッセージを送っていただきたいと思います。
 みなさんのご協力に感謝し、これからも励ましあって続けることを心から祈ってやみません。長い間感動をいただき、ありがとうございました。

 
 「山間の玉ねぎ小屋」    「グリーンカーテン」      「ある日の散歩道」      「わさび田」           「ラッキョウ畑」
 淡路島 大景キミ子     奈良県 大景キミ子     高知県 宮川修子     高知県 宮川修子      大方町民館デイサービス

  
 「日が沈むころ夢を見る」  「祈り」             「休魚」             「海の仲間」         「ラッキョウ畑」
 高知県  埜下すず子     高知県 植田寿子     高知県 植田寿子      愛媛県 中島三枝     高知県 田岡朝子

 
 「渦 挑戦」          「海」              「未来を築く」
 高知県 垣内由美子     高知県 浜崎あけみ     愛媛県 佐伯良子

 これらのキルトは入賞したキルトの一部です。神様が与えてくれた「手にハート」を込めて作られたキルトです。これらは作者が感動しながら
 作ったこと伝わってきますか?砂浜のキルト審査で学んだ大切な教えでした。みなさんありがとうございました。感謝を込めて、KK
   

 追記したいことは黒潮町のアーチスト森澄子さんは身体障害者のグループや高齢者施設にヴォランティアで何も知らない人たち、
 キルトも知らず、針を持ったことのない人たちに教えました。
 そしてちゃんと完成まで指導しました。アップリケは初めての人には簡単では
 ありません。樹の葉っぱを皆で切り、鋏を持てない人は布を裂き、川の流れを表し、いろいろなものを土台に止めて完成させました。
 展示されたキルトは風が吹くと木々の葉っぱが揺れました。河も流れました。私たちはものつくりの違う価値観を学びました。
 評価もいろいろです。

 しかし入賞であれ、落選であれ、私たちはものつくりから多くの素晴らしいメッセージを学びます。「試みる」そして出来上がった自信、
 評価の価値観をそれぞれが持つようにいたしましょう。創造することは本当に素晴らしい! みなさんありがとうございました。

  

 


入魂の谷中ラグ猫 108匹實相の世界展 チラシ

2015-12-07 20:52:07 | フックド・ラグ猫

    

     

    


入魂の谷中ラグ猫108実相の世界展より 誕生日8月1日の仲間猫

2015-11-23 16:08:39 | フックド・ラグ猫

  谷中 延命院の前に全猫誇らしく集合                                    織作さおり                 小林和子                                          

        平石悦子                   福田節子                   島田祥子

         斎藤千恵子                柴田真里                      小林恵

            藤原一枝                     上原洋子                   和田千佳

               野口久美子                    平尾直子                  長島喜美子

        円山久美                    平野陽子                   原崎信子           

         植田美和子                  三宅愛子                   井上直美

         渡辺知子                      細山萌子                加藤千恵子

        大月三千代                   高橋典子                   森澄子

                    細山萌子                   榎戸ゆかり                 中村孝子
      
        和田知佳                   日笠茂子                    村田春代

                     大泉友絵                     岡本登志子                   貴山征美                                            

 

2015年8月1日、30度を超える暑い朝でした。この日の締め切りまでもって来れなかつ方は残念ながら撮影のチャンスを失いました。 延命院の住職 下宮 高純氏にお願い
したとき「お寺はコミュニティの皆様に開放されています。どうぞお使いください。」とおっしゃり快く協力してくださり、感動しました。 興味ないばかりか、場所貸し営業のお寺もありました。

どうぞ猫の街、谷中の入魂の猫展を見にいらしてください。延命院は1648年開創され、いつも清掃の行き届いた 美しいお寺です。

入魂の120匹の猫は2016年1月16日(土)、17日(日) JR日暮里西口より3分
9.00am~3.30pm 延命院の由緒ある七面堂で展示されます。入場無料 ご迷惑をおかけしたくありませんので延命院への電話インフォはどうぞご遠慮ください。

一般社団法人日本フックド・ラグ協会:荒川区西日暮里3-18-9  電話:03-6317-4553 http://ny-apple.com

キルトジャパン 1月号6ページ掲載 12月4日発売・ 延命院をバックに見開き2ページの素晴らしくかわいいラグ猫写真とラグ猫の作り方が掲載されます。  撮影:白井由香里

ミセス マガジン 2016年2月号2ページ掲載 1月7日発売・ 撮影:ミセス編集部

掲載されていないラグ猫は随時追加ご紹介していきます。