まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

生きている証を見ている白いバラ

2022年10月17日 | 時にはぼぉっ~とする時

10[月17日は朝から雨。夕方からは曇りとなる見込み。明日申し訳ないがそのような、そんな重苦しい天気。気温は20度から22度付近。明日もに多様な天気らしい。

 

 頭は普通に動くが手や足がうっ血のために動かない。それにパソコンも見習って動かない。ただ、これだけ入力するに4時間かかった。生きてはいるがそれだけ。その連絡だけ。多くは指が動かない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


生きているあかしを誰かに白いバラ

2022年10月17日 | 時にはぼぉっ~とする時

 10[月17日は朝から雨。夕方からは曇りとなる見込み。明日申し訳ないがそのような、そんな重苦しい天気。気温は20度から22度付近。明日もに多様な天気らしい。

 

 頭は普通に動くが手や足がうっ血のために動かない。それにパソコンも見習って動かない。ただ、これだけ入力するに4時間かかった。生きてはいるがそれだけ。その連絡だけ。多くは指が動かない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


別館に移転します。

2022年07月06日 | 時には日々是日

 新しく、「まほろば自然博物館(別館)」に移転します。

 URLは、「https://blog.goo.ne.jp/kimm27」となります。

 ごめんどうですが、書き換え、お願いいたします。

 

           別館へ >> ☆


夏の雨一期一会の花に降る

2022年07月05日 | 時にはぼぉっ~とする時

 香川県は、低気圧や湿った空気の影響で曇り、雨の降っている所があった。5日のさぬき市は、低気圧や湿った空気の影響で曇り、断続的に雨や雷雨となっていた。明日の6日は、湿った空気の影響で曇り、明け方まで雨や雷雨となる見込みらしい。心配された台風も熱帯低気圧に変わって、さぬき市では晴れ間も太陽も見えてきた。なんら異常はない。

 

 私の体にも異常はない。まだまだ両足のむくみはひどいが杖をつきながら歩くこともできるが、数十歩歩くだけで息切れがして酸素マスクが欲しくなる。でも、朝食も昼食も人並みに食べられたから大丈夫・・・のはず。

 

 奥方の作ったキュウリやトマト入りのそうめんである。奥方と言えば、先日の入院の時、私が「奥方が・・・」「奥方が・・」というもので、若い男性看護師が「あのぅ・・奥方さんというのはどこの誰ですか?」と聞いてきたのには大笑いしてしまった。姓が「奥方」だと思い込んだらしい。奥方なんぞというのは時代劇くらいで使われているくらいなものか。若い方にはわからんらしい。

 

 さて、かねてからほかのプロバイダーのブログ開設を考えてきたが、古いブログはパスワードがわからない。まるきり新しいのは操作がわからん・・・で、午前中を過ごしてしまった。やはり、無理か・・。かと言って、このままここでの継続は肩が凝って仕方がない。少しばかり無料化を急ぎすぎたらしい。

 

 はてさて、どうしたらいいものじゃろうかと思案投げ首。と言うても、若い方にはわからんだろうが、「考えあぐみ、首をたれること。よい案がなくて困っていること。」ということらしい。

 

 どなたか、無料で簡単なブログはありませんやろうか。ま、どれもこれも、私のメールアドレスではあかんらしい。前に使っていたらしいものが多くて・・・。

 

 台風一過ではないのだろうが、涼しくてさっぱりとした夏になってきた。期待された雨もジョウロで水撒きをした程度。風もなくて、「なんだ?こりゃぁ」という感じ。

 

 でも・・だ。あれこれとやりつくして、「ああ、これでこころおきなく死んでゆける・・・」と思ったのだけれど、細かな話になると、水道料金とか電気料金とかの口座変更届とか、amazonの請求先をどうするのかなどと片付けておかねばならないことがいっぱいあって・・。ま、事故とか遭難とかになると話は違うのだけれど、雑用がいっぱい。それには「本人確認」が必要になってきた現代。なんだかんだで、まだ死ねないなぁと思ったりもして。

 

 今日も細いロープの上を、ふらふらとして歩いているような一日。ふっと、くしゃみをした瞬間に呼吸が止まりそうになったりする。「長く息をする」ことも大切なんだなぁと思ったりする昨今。

 

 今日の掲示板はこれ。「何ものも「自分のもの」ではないと知るのが智恵である」というダンマパダからのことばである。「降れば濡れ 濡るれば乾く袖の上を 雨とて厭う人ぞはかなき」と一遍上人は言った。煩悩にまみれた自分でいいのだと腹をくくると光が見えてくる。「煩悩 を断ぜずして 涅槃を得るなり」と親鸞聖人も言った。人生さえも借りものである。清々しく生きられるコツがそこかしこにある。「何ものも“自分のもの”で はない、と知るのが知恵であり、苦しみからはなれ、清らかになる道である」と、『ダンマパダ』に書いてある。考えても仕方のないことを、あれこれ思い悩む のは愚かなことだ。「眠れぬ者に夜は長く、疲れた者に一里は長い。真実を知らぬ愚者に生死の道は長い」とも『ダンマパダ』に書いてあった。ちなみに、ダンマパダ(Dhammapada)は、仏陀(ブッダ)の語ったといわれる詩の名詩選で、パーリ語で書かれた原始仏典の一つで、真理の言葉といわれているもの。 ダンマは、真理とか法と言うような意味で、パダは言葉と言うような意味。 26の章に分類され、全部で423の短い詩でできている。 「法句経」(ほっくきょう)として日本に伝わっており、 上座仏教では、このダンマパダが最高の仏教聖典である。それだから、ビルマやスリランカでは、仏教の教えといえば、このダンマパダである。 世界的にも、仏教の基本聖典は、ダンマパダであることは、その翻訳点数の多さからみても、そういえるのだろうと思うのである。 ダンマパダは、もともとが詩の形をとっていたので、時代を経ても、あまり改定されずに現在に伝わっている。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


居ながらに雨の青葉を独り占め

2022年07月04日 | 時にはぼぉっ~とする時

 4日は、湿った空気の影響で断続的に雨や雷雨となっている。明日の5日は、台風や湿った空気の影響で断続的に雨や雷雨となる見込み。

 

 体調に変化はない。朝から台風の影響で雨が降っているばかり。奥方は野菜に水やりをしなくて楽だわ・・・と、喜んでいる。

 

 それはそうと、このブログを無料化してもらったのはいいが、新しい画像を張り付けられないので、過去の画像を選んで張っているが、これも面倒でつまらない。新しい、「まほろば自然博物館新館」を作ろうとしたが、同じIDだと、こちらに戻ってしまう。別なプロバイダーで作るのも面倒だし。

 

 今日は県立病院でのドクター診察日。午前11時半の予約であったので10時半に我が家を出て、車いすに酸素ボンベ装着してものものしく出かけたものである。まさに瀕死の重病人という姿である。それにマスク姿である。

 

 で、ドクターの外来診察が終わるのを待っていた。雨の日の月曜日は特に外来が多くなる。

 

 ドクターの休憩時間に、私の腹水を抜く作業を挟んでくれたのである。で、臨時に、この採血場の奥手に点滴室がある。そこで応急的に腹水を抜いてくれた。ちょうど12時に抜水を開始し、約1時間半で、3.7リットルの腹水を抜いた。

 

 家に戻ると、訪問看護師の金井さんと娘が待っていて、家のベッドまで運んでくれた。家に戻ると、尿管バルーンからの排水が850ccあって、4.25リットルの体液を抜いたことになる。次は来週の火曜日に予定されている。

 

 しかしのかかし、こういう暮らしをいつまで続けるのだろうか。死の宣告から約20日が過ぎた。しかしの和菓子で死のお迎えは来る気配がない。かと言って治る見込みは全くない。死刑執行を待つ死刑囚のよう。私はどのような余生を生きていけばいいのだろうか。それに、このブログをどうすればいいのか。

 

 今日の掲示板はこれ。「健康と長生きだけが幸せならば、最後は死の不幸で閉じねばならない」というもの。どこのどなたのものかはわからない。

 「空過」もし健康と長生きだけが幸せだとするならば
     最後は死という不幸で終わっていく
     そこに本当の幸せがあるだろうか

 私達が日頃から大切にしているものの一つに「健康」がある。しかしこれも度を過ぎると「健康のためなら、死んでもいい」となるのだそうな。冗談のようだが、健康を獲得し維持する為に死にものぐるいで様々な健康法を試し、健康食品を買いあさっていく。よくよく考えると、健康が崩れ去る恐怖に怯えながら生きなければならない、そのような姿は傍から見ると「不健康」なのかもしれない。しかしのかかし、思い通りにはならなくても、どのような苦難の人生でも、我が身を救わんとする本願のはたらきに頭が下がることがあれば、老・病・死するわがいのちを不幸と決めつけずに、生き抜いて行けるのだと思うのである。それこそが人生における幸せであり、空しく過ぎない生き方ではないだろうか。とは言うものの一日が永くてさみしいばかりだ。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


ひたひたと夏が来にけり雨が供

2022年07月03日 | 時にはぼぉっ~とする時

 3日は、湿った空気の影響で曇り、昼過ぎから夕方は雨が降るらしい。雷を伴う所がある見込み。明日の4日は、台風や湿った空気の影響で断続的に雨が降る予想。雷を伴う所がある見込み。

 

 今日も平穏無事。上半身は元気そのもの。下半身、特に両足の太ももからくるぶしにかけてのむくみが大きく、歩くのにも支障があるが、歩けないほどではない。肝心の心臓の数値は平常そのもの。

 

 今日、奥方が写真館から「遺影」をもって帰った。さすが、プロのカメラとプロの腕だ。すばらしい遺影になったが、画像が貼り付けられないのでお見せできないのが悔しい。こうして椅子に座ってキーボードを打っていると、おなか周りに腹水が溜まってくるようで苦しくなるので休み休みで打っている。

 

 これで、お坊さんの用意に法名の用意もできた。会館の予定も付いた。遺影もそろった。我が家で亡くなり、我が家で葬儀をしてとお願いしてあったが、却下されて、会館での葬儀になった。坊さんもいらないというてあったが、「人並みの葬儀で送り出したい」という娘の一存で決まってしまった。

 

 「でも、立派なお位牌を準備した方は一年も生きたよ」と、訪問看護師がいうし、見舞客が「早くから葬儀の準備をすると長生きするよ」とも言われた。ともに根拠のない話だが、こんな生活をまだまだ一年も続けるとなると精神的にも苦しいと思うばかりだ。

 

 不要なメールアドレスも削除するようお願いしたし、ポータルサイトという、ホームページの閉鎖と削除もお願いした。あれこれとできることからやっている。

 

 プロバイダーはCATVや電話も含んでいるので、奥方への名義変更や口座切変えもお願いしておいた。すでにスマホは奥方のものになってしまっている。所詮、無一物になってしまうこの身である。仕方がないことだ。

 

 我が家にいてもすることはないし、できることもない。寝るか、食べるか、トイレに行くくらいなもの。でも、病院では、こんな自由はない。ベッドにはノートPCがあり、すぐ隣にはデスクトップPCを用意してもらっている。体が安定していれば遊びもできる。

 

 今日の掲示板はこれ。「人は どう死ぬか いつ死ぬかは選択できない どう生きるか これだけは決められる」というもの。一説には、「ジョーン・バエズ」の言葉だとされている。でも、この前からエンディングノートを書いていて思ったのだが、「どう死ぬか」は、ある程度決められるように思った。事故とか災害とかだと、そうもいかないのだが、病院で死ぬか、自宅で死ぬか、延命治療か、それを拒否するのか、遺体を献体するのかしないのかなどと余生を考えることはできるように思った。そしてまた、持病を持ったまま、「どう生きるか」というのも難しい決断だと思った。「あなたらしい人生を・・・」と、医大付属病院の大学教授は言い捨てたけれど、「私らしい人生・・・」というのは、どういう人生なんだろうか・・・とも思ったものだった。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


不可思議に今朝の永さや合歓の花

2022年07月02日 | 時にはぼぉっ~とする時

 7月2日は、高気圧に覆われて晴れていたが、湿った空気の影響で夕方から曇るらしい。3日は、湿った空気の影響で曇り、断続的に雨が降る見込み。明け方から雷を伴う所があるらしい。

 

 今日は土曜日、別に変化はない。訪問看護師以外に来客もなし。数字的には安定しているし、食欲もある。奥方が朝早くから、この旧道あたりの草刈りをやって汗まみれで戻ってきた。

 

 画像を小さくすると画像の追加ができないかとアドバイスを受けたが、これまでの画像が途方もなく多くて、その隙間すらないらしい。今のところ、晴れて多少の風がある程度。世の中は猛暑、激暑らしいが、我が家は静かでそよ風が涼しい。午後からはエアコンをつけて奥方は昼寝。余裕しゃくしゃく。今日は平穏無事に過ごせそう。

 

 私は上半身は元気だが、下半身に体液が溜まってきてお相撲さんの足みたいで歩きにくい。今日は腹水がおなかまで上がっていないので呼吸も平常。永く椅子に座っていると、体液が足にたまるので、今日は短めに報告まで。

 

  今日の掲示板はこれ。「自分の願いが叶い、都合が満たされれば満たされるほど、迷いが深くなる」というもので、真城義麿先生のお言葉から。真城義麿(ましろ よしまろ、1953年-)は、浄土真宗僧侶で教育家。 愛媛県今治市生まれ。1978年大谷大学大学大学院修士課程修了。1997-2011年大谷中学校・高等学校。学校法人真宗大谷大学専務理事。今治市真宗大谷派善照寺住職。私たちの欲望や願望にはキリがない。満たされても満たされても満足することない。マイホームが持てたら一戸建てが欲しいと言う。戸建てに住むと庭付きが欲しいと言う。庭付きにすれば山の中に住みたいという。山の中に住めば海にも住みたいという。満たされれば満たされるほどに迷いが深くなるばかりである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


お見舞いのリンゴジュースが届いた日

2022年07月01日 | 時にはぼぉっ~とする時

 ここ数日、てんやわんやのありさまですわ。このブログは有料だったのだけれど、電子遺産は残してほしくないとの家族の思いから、無料化を進めてきた。それが大変だった。昔の電話番号とか住所とか思い出せないことばかり。決済パスワードなんて覚えていないことだってある。

 

 そのたんびに、IDだ、パスワードだとうるさいことばかり。そういうことをやっていると、腹水が溜まってきてからだが重くなって動けなくなった。その日の午前中は民生委員の仮引継ぎの日で、次期委員と1時間ほど説明し続けた。

 

 その火曜日の午後、訪問看護の金井さんが来て、水曜日まで待てるの?という。水曜日の日には県立病院での担当ドクターの診察がある。それまで待てるのか?というのだが、思案していると、「そんな間はないよ」と、すぐさま病院に連絡を取って、救急搬送されてしまった。

 

 で、すぐに腹水を2リットル抜いて緊急入院となってしまった。その翌日は安静日。一日中、することがない。腹水も一度に多くは抜けないし、連続でも抜けないらしい。これはもう、退屈すぎる一日になった。

 

 たまにはいいじゃないの、ゆっくりしてよ・・というナースの声で寝てばかり。

 

 で、昨日の30日のお昼に腹水3.2リットルを抜いて、今回は釈放。土曜・日曜があるためだ。腹水を抜く以外には何の処置もない。点滴も注射もない。で、昨日、戻ってきたのだが・・・。

 

 ブログが有料から無料に変わったけれど、実質はそのまんま。だから、新規の画像は貼り付けられない。容量オーバーだというのである。これでは・・・というので、「新館」を作ろうとしたが、そのIDは使われています。そのパスワードは間違いですと受け付けてくれない。

 

 そんなこんなで、昔の写真を再利用しながらの闘病記報告になる。今日は落ち着いて、病院からの訪問看護を受けていた。

 

 今日の掲示板。まさにこの言葉そのまんま・・・。なんだかんだと不平やら愚痴ばかりのこの私だけれど、今日という日が過ぎていって、「ああ、ありがたいなぁ・・」と思った心が、今日の私の今日のしあわせ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


一応、戻りました。

2022年06月30日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 すみません。三日ほど留守して病院へ救急搬送されておりました。

 心配されたことだと思います。でも、なんとか自宅へ戻りました。しばらくは自宅で静養できると思います。

 明日からは平常更新ができそうです。今日は移動で疲れましたので休みます。

ごめんなさい。

 


雨の日は雨らしく睡蓮を見ている

2022年06月27日 | 時にはぼぉっ~とする時

 27日は、上空の寒気や湿った空気の影響で概ね曇り、午後から夜にかけて雨や雷雨となる所があるらしい。明日の28日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 今日も又朝が来た。かけがえのない朝が来た。私のための朝が来た。それでも下腹部の痛みは消えていない。

 

 朝から、有料ブログを解消する方法を模索しているがわからない。台風があって、転居を繰り返し、電話番号もメルアドも変わってきた。カードも不明。とりつく島がない。

 

 向こうさんは本人確認したいらしいが、その本人がいつの本人かわからない。どこのだれかがわからないでは契約解除はできないのも道理。

 

 その合間に、ガイド仲間の見舞い客が来る。親戚筋のいとこ、はとこが来る。奥方は各種カードの名義変更ではしりまわっている。いらない客は呼ばないようにしてほしい。私はお接待やお茶も出せないからだなのだし。

 

 おなかに水がたまると呼吸が苦しくなる。見舞客はお断りのはず。

 

 dカード、スマホと名義変更はいくらでもある。銀行口座から給油カードとたくさんある。奥方は走りづくめだ。パンツが合わなくなった、パジャマが着られない。5Lサイズの下着やパジャマも欲しい。

 

 雷鳴とどろく中での留守番は不安だ。その証拠に、おやじギャグもジョークも出てこない。出るのは愚痴ばかりだ。それが生きている証拠でもあるのだが、きかされるほうはいやだと思うし。

 

 今日の掲示板はこれ「露の身は ここかしこにて 消えぬとも こころは同じ 花のうてなぞ」法然上人が今からちょうど八百年前に詠まれた歌である。当時は、法然上人の説かれた念仏の教えが大いに広まったため、比叡山、興福寺など旧仏教側が朝廷に働きかけ、浄土宗の弾圧を画策していた時代だった。

「私たちの命は、露のようにはかなく、いつ尽きるとも限りませんが、念仏を称える者は必ず極楽浄土に往生し、蓮華の座(台=うてな)で再び会うことができるのです。」と、浄土での再会をお約束されたのである。この別れの後、ひと月も経たないうちに五十四歳で兼実公は亡くなった。しかし、浄土三部経の一つ『阿弥陀経』で説かれた「倶会一処」(くえいっしょ)の教えが、法然上人と、離れ離れになった弟子や帰依した人々を結んでいる。誰しも家族や親しい人との別れは、言葉に尽くせないほどの悲しみだが、お念仏の生涯をおくれば、お浄土で再び会えることを法然上人は何度も説かれている。でも、私の口からはグチだけで南無阿弥陀仏は出てこない。
 
 
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。

梅雨空は嬉しくもなし塩むすび

2022年06月26日 | 時にはぼぉっ~とする時

 26日は、上空の寒気や湿った空気の影響で曇ったり晴れたりとしていた。雨や雷雨とはならなかった。明日の27日は、上空の寒気や湿った空気の影響で概ね曇り、午後を中心に雨や雷雨となる所がある見込み。

 

 梅雨というよか「夏っっ」というような夏空になった。緑の葉っぱが美しい。

 

 さて、昨夜から神戸からお客さんがお見舞いに来られて、まるでこれがお通夜なのかという賑やかさ。本当のお通夜もこんなだろうかと思いながら眺めていた。私のお通夜に涙はいらないと思う。

 

 明けて今朝は、エアコンの掃除やら調整やらをやってもらった。これからの時期、エアコンは必需品。

 

 奥方の野菜畑からはこうした夏野菜がとれたと大騒ぎ。とにかく賑やかなことだった。

 

 で、肝心のカードのことで相談してみた。

 

 この三井住友なんたらというところから、毎月、数千円の引き落としが何年も行われているが、何のおかねかわからない。そこで、みんなの知恵を出してもらった。「詐欺ではないのか」」「詐欺臭い」」という話だったが、結局の薬局で「有料ブログの電子遺産」ということになった。

 

 そう、このGooブログの使用料金らしいと判明した。家族からは清算をしておいてほしいといわれているが、これを解約すれば、このブログが止まる。それでは、このブログの意味がない。このアドバンス契約を解除してやめたらここがとまる。むつかしい選択だ。

 

 今日も腹水が溜まってきて苦しいい。早く楽になりたいが、当分は無理みたい。いつまで苦しみ続けるのだろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「乗れば人 歩けば車 邪魔になり」というもの。狭い道で自動車と出くわした時、自分が徒歩だったので、道を譲ると、あいさつもなく走りさった時、「なんてやつだ。本当に車は邪魔なものだ」と腹を立てるだろう。かと思えば、自動車で出かけたが、遅刻しそうになった。ところが、狭い道の真ん中をご老人が悠然と歩いている。どうやらこちらには全く気 がつかない様子だ。クラクションを鳴らしてびっくりさせてもと思い、結局イライラしながら後ろを付いていった。内心は「まったく邪魔だ、もう少し気をつけて歩いたらいいのに」と腹を立てるだろう。「済めば人 治れば病院 邪魔になり」病院では、会計が終わった患者は、もう他人。治った患者にすれば、もう、病院はいらない。とにかく、我々は「自分以外は全て邪魔」・・・なのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


梅雨さなか花は咲けども実は遠い

2022年06月25日 | 時にはぼぉっ~とする時

 25日は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇っていた。その後も、雨や雷雨となる所がある見込み。明日の26日は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、雨や雷雨となる所があるらしい。

 

 相変わらず生かされている。胸から上は元気いっぱいだが、下半身は水ぶくれ状態で歩きにくい状況。

 

 ミミズにおしっこをかけるとあそこが腫れてくるという学校伝説があった。先日、遍路墓調査の時に2匹のかんたろうみみずが現れた。それにおしっこをかけた記憶はないが、あそこが大きく腫れてきて歩けなくなった。これが原因で不整脈が出たという証拠はない。

 

 とうとう、二階の事務所からPCを一台、ベッド近くへおろしてもらった。身辺整理のためでもある。

 

 実は、カード類の大幅整理のためである。私がいなくなればカード類は不要になる。いらぬ課金や年会費は支払いたくないらしい。そういう確認用である。

 

 午後からは「遺影」の撮影である。私にだって写真はたくさんあるのだけれど、満足できるものは少ない。

 

 それを本格的なスタジオで、お坊さんの衣装を着ての撮影になった。撮影料3,300円、額が11、000で14,300円だった。

 

 これでお葬式の準備はできた。遺影、会館は大川セレモニー会館、坊さんと法名の手配もできた。だから、明日に死ねるかというと、そう、かんたんにはいかない様子。よほどのことがない限り数日、十日は大丈夫な気がする。

 

 今日の掲示板はこれ。「どんなに辛くても生きること 幸せだけの世界はどこにもない」というもの。これはまた、なんとも突き放されたような厳しいお言葉であるが、時には「どうして自分はこんなに不幸なんだろう」と考える時がある。人からは幸せそうに見えても、本人にとっては辛い思いをしている時もある。でも、誰しも、楽しいことばかりが続くわけではないし、自分一人だけが辛いわけではない。それぞれに、皆、辛いことも楽しいことも抱えて生きているものである。辛いことがあるからこそ、それを乗り越えて、初めて幸せがわかるということもあるもの。やまない雨がないように、やまない風がないように、どんなに雨が降ったとしても、いつかは降りやんで晴れて来るもの。それと同じように、今は辛くても、あきらめずに生きていれば、きっと幸せにめぐり合うことだろう。楽しいことに出会うことができるだろう。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


目を覚ますノウゼンカズラと空の青

2022年06月24日 | 時にはぼぉっ~とする時

 24日は、高気圧に覆われて晴れるが、湿った空気の影響で昼過ぎから曇り、雨や雷雨となる所がある見込み。香川県では、24日は熱中症の危険性が極めて高い気象状況になることが予測されるので、外出はなるべく避け、室内をエアコン等で涼しい環境にして過ごすよう呼び掛けていた。明日の25日は、梅雨前線や湿った空気の影響で曇り、昼前は雨が降るらしい。夕方まで雷を伴う所がある見込み。

 

 今日は千客万来の日。午前十時には観光ガイド仲間がやってきてのお見舞いと形見分け。ガイドの制服やマニュアル、ガイド資料なんぞを引き渡しておいた。もう、私には必要でなくなったもの。

 

 こういう制服も引き渡しておいた。わがガイド生活に悔いはない。

 

 で、そのお土産の手作りのシフォンケーキらしい。二人のガイド仲間は泣きながら、ガイドブックやマニュアル類を提げて帰った。三男夫婦もお見舞いに来てくれた。こちらは水ようかんだった。

 

 午前中、奥方が友人の寺院に連絡してくれて、前住職がお葬式の導師をやってくれることになり、法名も準備してくれることになった。御経は短めに「讃仏偈」と「正信偈」、院号不要のお布施は安めにお願いした。

 

 私には友人・知人が少なく、どこへお葬式を頼めばいいものかと悩みの種だったが、一挙に解決。安堵である。とどのつまりはお坊さんなしでもと。

 

 葬儀は会館葬の家族葬。時流に乗っての「新しい生活様式」での葬儀になるが、奥方に一存。母の時のような、お供え物や生花はご遠慮いただく予定。いたって簡素になる予定。

 

 遺影は明日の土曜日の午後にする予定。額も100円ショップの額にしようかと考えたけれど、娘に却下されて母の時のような白い額(11,000円)に決めた。

 

 今日も暑いからオカベの麺での昼食。

 

 午後からは、その前住職(会社風に言えば取締役会長)夫妻がお見舞いに来てくれて、葬儀の段どりやら、法名の件なども一任しておいた。

 

 それが終われば、県立病院からの訪問看護師がやってきたが、腎臓病は治らない。透析なんぞは現状維持が精いっぱいらしい。だから、私の場合は「終末医療」に入ることになるらしい。つまり、痛み止めだけで死を迎えることになりそう。仕方がないな。

 

 今日の掲示板はこれ。「眼を開けば どこにでも教えはある」というもの。同じく道を求めても、先にさとる者もあれば、後にさとる者もある。だから他人が道を得たのを見て、自分がまだ道を得ていないことを悲しむには及ばない。眼を開けば、どこにでも教えはある。同様に、さとりへの機縁も、どこにでも現われている。香をたいて香気の流れたときに、その香気の、あるのでもなく、ないのでもなく、行くのでもなく、来るのでもないさまを知って、さとりに入った人もある。道を歩いて足に棘を立て、疼きの中から、疼きを覚えるのは、もともと定まった心があるのではなく、縁に触れていろいろの心となるのであって、一つの心も、乱せば醜い煩悩となり、おさ めれば美しいさとりとなることを知って、さとりに入った人もある。「心を平らにせよ。心が平らになれば、世界の大地もみなことごとく平らになる。」という教えを聞いて、この世の差別は心の見方によるものであると考えて、さとりに入った人もある。まことにさとりの縁には限りがない。(仏教聖典・夜の部より)

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


梅雨空に控え目気味の箸を置く

2022年06月23日 | 時にはぼぉっ~とする時

 23日のさぬき市は、高気圧に覆われて概ね晴れてはいたが、大気の状態が不安定となるため、夕方まで雨や雷雨となる所がある見込み。明日の24日は、湿った空気の影響で概ね曇るらしい。

 

 先日、香川医大付属病院のCCU(集中管理室)にいた時のことである。急患で90才くらいのおばあさんが運び込まれてきて、私の隣のベッドに寝かされた。仕切りはカーテンだけである。「おばあさん、痛いところはああるんかいの」という若いドクターに「おつべが痛い・・・」を繰り返すが、若い医者はわからない。「おばあさん、おつべというのは頭ですか、おなかですか」と言っている。

 

 「おつべいうたらおつべじゃが!」を繰り返している。私はおかしくて大笑いしたかったが、こちらも重病人である。黙っていると「おいどじゃが、おいど!」というので医局は大混乱になった。これはただならぬ気配だと悟ったおばあさんが「尻じゃ、尻じゃ」で混乱は静まって大笑いになった。古いさぬき弁では、「尻」を「おつべ」」とか「おいど」」とか言ったものだった。多分、京の都人のことばだとか聞いたことがある。

 

 わたしも長いこと寝ていると、「おいどが痛くてたまらんようになってくる」。さて、私のベッドサイドには、このような酸素吸引機が用意されていて、暇さえあれば酸素を吸っている。

 

 近くには、こうした酸素ボンベや移動用タンクがおかれている。つまりは「臨戦態勢」にあるということらしいう。

 

 さて、これが私の母の「繰り出し位牌」である。なかなかに、こうした文字は書けぬものだ。

 

 ということで、私の法名軸の原稿を考えてみたが、カッコつけすぎである。「釈暁光法師」だけでいいなと思った。

 

 今日は孫の「なぎ」ちゃんがお見舞いに来てくれた。で、学校で練習中の童謡の演奏を弾いてきかせてくれた。保育士志望とのことだった。「カーラスなぜなくの カラスカラスからす・・・」と前には進まないのがかわゆいではないか。

 

 10時からはケアマネさんが登場。7月分の介護計画の策定だった。

 

 だんだんと文章も現実味を帯びてくる。ま、いつ、その時が来ても慌てないようにだけはしておかねば・・・。

 

だんだんと、お見舞いの品物がとどくようになってきた。私が子供のころには、桃やパイナップルの缶詰が当たり前だったような気がしたが、高知の温室ミカンとか熊本のスイカ、千葉からは桃が届くらしい。いや、別に催促をしとるわけではないぞ。

 

 辞世の歌の清書もしておいた。

 

 今日は蒸し暑いので、徳島の「オカベの麺」」という半田そうめんを食べてみた。冷やっこくておいしかった。

 

 今日の掲示板はこれ。「朝の来ない夜はなく 乾かない涙もありません」という、やなせたかしさんのことばから。似たようなことばはいくらもある。「上がらぬ雨はなく、止まらぬ風もない」、山よりでっかい獅子は出ん・・。春の来ない冬もない・・・。でも、不幸の絶えない世界は続くし、悲しみの絶えない社会は止まらない。だからと言って打ちひしがれてもいられない。今が不幸のどん底だと思っても、やがてには、そんな悲しみや苦しさなんて忘れてしまえる日がやってくる。こんなに悲しくて仕方がないのにと泣き崩れていても、そんな日々があったことさえ忘れてしまえる日がやってくる。生きてさえいれば、やがてにはどうにかなってしまうもの。「この世で起きたことは、この世で片付いてしまう」。そう考えて、前を向いて歩いて行こう。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


梅雨の河淡い光を運ぶ鳥

2022年06月22日 | 時にはぼぉっ~とする時

 22日は、梅雨前線や湿った空気の影響で概ね曇り、昼前は雨の降る所があった。明日の23日は、高気圧に覆われて概ね晴れりうが、気圧の谷の影響で昼前から夕方にかけて雨の降る所がある見込み。

 

 さすがに「梅雨だなぁ」と思える昨今。まだお迎えがやってこない。命が尽きると言うことは、こんなにも苦しいものなのか。楽なままで逝けたらよかったにと思うのだが、こればかりはしかたが無いらしい。かかりつけ医のドクターが何回も死の宣告をしてもニコニコとして病院に現れるのだからあきれ顔である。

 

 よく、「あの人はいい人だったのに早死にしてしもうたね」なんぞという話を聞くたびに、「そうか、オレはいい人じゃないからなかなかに死ねないのか」と陰口の一つも叩きたくもなるでは無いか。

 

 それにだ、例の「遍路墓学事始」が完成したとたんに良友が亡くなり、この私が病魔に取り憑かれたのだから、赤の他人のお遍路のお墓をいじくり倒したせいかも知れないと考え込んでしまうことがある。まさか、この科学の進歩した現代において、そんなことが起きるはずがないじゃないかと思ってみても、お墓にワイヤーブラシをかけられたお墓の主は喜んでいるはずはないな。

 

 さて、マクラはそのあたりにしておいて、今日の本題である。普通、浄土真宗の信者は「位牌」なるものを作らないとされている。私たち非力なものが「追善供養:回向」なんぞできる訳がないからである。でも、このあたりでも、立派なお墓を作ったり建てたり、こうした立派な位牌を作るようになったのは、葬儀社の意向が働いているのかもしれない。

 

 我が家の仏壇にも、このような「位牌」がある。中には薄い木の板が10枚ほど入っていて、そこに故人の法名やら俗名やらをお寺さんに書いてもらって納めてある。ご法事の時には、その繰り出し位牌を前面に出してお経を読む。でもだ、故人は「佛」となって極楽浄土に居てるのだから、こんな木箱の中にはいないのだ。

 

 で、過去帳という手もあるのだが、10数年前の台風で流されてしまったので昔の情報が残っていない。それを復刻するとなると大変だ。そこで、こういう「法名軸」というものを考えている。

 

 こういう風に、文字を書いてつるすらしい。でもだ、お葬式もしないのだから檀那寺に書いてもらうわけにもいくまい。かといって、カラープリンターではつまらんじゃろうに。はてさて、どうしたもんじゃろうかい。

 

 次にだ。観光ガイド用の制服も返納したいのだ。置いても仕方が無いし、ゴミ出すにも手間だし。で、あさってに、仲間に「形見分け」ということで、「一式」を分与したいと考えている。

 

 こういう「式章」とか、私の「南無阿弥陀仏」の文字入りの白衣とか。

 

 それに膨大な「大窪寺ガイドマニュアル」なんぞも。

 

 ざっと50冊以上はあるように思う。「あなたの持ち物は、私があなたを偲びながら泣きながら片付けするの・・・」とけなげに言うていた奥方だが、あきらめがついたのか、どんどんと準備をしてくれている。特に本は重いから仲間にあげたほうがすっきりとするではないか。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生に回り道はあっても 近道はない」というもの。いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。京都の永観堂さんのことばかも。人生の目的地がどこか・・という疑問もあるけれど、遠回りして気づくならば、それも悪くないし、遠回りするからこそ、気づくことだってあるように思う。「歳をとりすぎた!」「チャンスを逃した!」「今からでは遅い!」「もう手遅れだ!」と言うのは簡単だが、まずは一歩踏み出せば、見える世界が変わるもの。遠回りは、幸せへの近道なのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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