ハクビシンの見た世界

love's like one last cigarette
you had me from hello

転勤

2010年06月30日 23時21分28秒 | 日記
楽しかったといえるということは、きっと間違っていなかった。

>挨拶
ハクビシンです。

6月中旬に異動の辞令をいただきまして、
明日から本社勤務です。広報的な仕事をします。
一応希望の部署でした。

先週末に都内に引っ越してきました。


あの街には三年間過ごしました。

あの窓口から見えた風景は絶対に忘れないのだろう。

あの部屋から見えた風景は絶対に忘れないのだろう。

16万の人口で県内第二位の街!と誇らしげに市役所の玄関に張り出していた、駆け出しの街を一生忘れないだろう(笑)


当たり前の日常が、一枚の辞令で突然、一生の最後になったりする。


そう思うと異動という、
サラリーマンにとって当たり前の話なのに妙に感傷的になる。
変なのかな?ww

そう思うと、悔いの無いように生きたいです。


でもね、

逢いたいとお互いが思えば、

いつでも逢えるよ。

また逢おうね!!


★☆★


明日から新天地。
また一から勉強なので、焦らず地に足をつけてやりたい。
仕事を楽しくするのもつまらなくするのも自分次第。
たくさん悩んでいきたい。

期待してくれている人がたくさんいる。
裏切るようなことはしたくないです。

そしてもう一つ、
あの場所で見聞きしてきたことを忘れないようにしたい。

憂国。

2010年04月10日 20時53分34秒 | 政治・社会・スポーツ
チャンスは来るのか?

>挨拶
ハクビシンです。

新党の名前が「たちあがれ日本」だそうで。

mixiにも書きましたが、平均年齢70歳くらいの爺さんから、
「たちあがれ」と言われましても…ね。

与謝野さんの「民主党には政治に対する哲学や思想がない。自民党には、野党として闘う十分な気力がない。」というのには納得です。でも「たちあがれ日本」が、どういう地位を占めたいのかがよく分かりません。『みんなの党』もそうですが、最終的にはどれくらいの議席を保持する、どういう影響を政治に与えたいのか?ということが見えてきません。
もし自民党がイメージ的に刷新されたら、保守合流とか言い出して元に戻るんじゃないかな?「反民主」は共通で、あとは「自民」という看板が気に入らないか、我慢できるかの差じゃないかと思ってます。

鳩山政権は普天間問題で完全に外交能力を欠如していることを証明していて、子供手当も、手当目当てに何百人もの子供と養子縁組した外国人にも手当てを支給するというザルっぷり。なんで子供が外国にいてもOKなんですか?そもそも、なんで外国人にまで手当てを払わなければいけないのですか?まぁ税金払えば外国人参政権もOKとかいう人達ですから、当然なんでしょうけどね。


>第二に、それは統治者と被治者の責任をぼかしてしまう。統治者は民衆によって選ばれた代表であるから、自己の行為を「選挙民の名において」正当化する。選挙民の意志に逆らえないと述べて、国益に合致しないこともおこなう。これに対して、多数の人間の雑多な集まりである選挙民は、責任を持ちうるわけはない。


この言葉の意味を痛感している有権者はたくさんいると思います。
それでも、民主主義の良い所は失敗を修正させることが出来るという点です。

次回の選挙で、良識が発揮されることを望みたい。

それでもなお、この国を売るような政策を民主党が続けるなら、
自分が主体性を持ってこの国の政治に関わる覚悟を持たなければいけないのかな?と
考えている次第です。

温故知新

2010年03月22日 21時43分07秒 | 政治・社会・スポーツ
たまには古典を。

>挨拶
ハクビシンです。

久しぶりに大学時代に読んでいた学者の本を読み直したのですが、学生時代の俺の目は節穴か!って思うくらいに新鮮だったのでこっちで語ることにします。読んだのは高坂正堯の『宰相吉田茂』の中にある『偉大さの条件』(昭和42年執筆)。

僕がハッとしたのは、自由主義と民主主義の間には重要な相違があるということ。

以下抜粋です。

~自由主義は統治者と被治者の区別を認めて、被治者には一定の権利を保証し、統治者には一定の責任を要求することにある。一般国民の政治への直接的な参加は例外的なこととして、政府のある行為の拒否を表明するようなときにしか現れない。これに対して、民主主義は統治者と被治者の同一性を重要視する。それはまさしく「人民の、人民による、人民のための政治」なのである。~

素直に、なるほどと思ってしまいました。
そしてこの後に続く文面に今日的な問題を指摘しているように感じたのです。
ちょっと長いですが、そのまま抜粋します。

~そして民主主義にはそれなりに秀でたところもあるけど、同時に大きな欠点も存在する。ひとつには、それは統治者に対して人民に密着することを要求するため、ときとして国民をおだてて、操作する扇動家と独裁者を生み出す傾向がある。国民の多くが政治に参加するようになった二十世紀が、多数の独裁者の出現を記録してきたことは、決して偶然ではないのである。第二に、それは統治者と被治者の責任をぼかしてしまう。統治者は民衆によって選ばれた代表であるから、自己の行為を「選挙民の名において」正当化する。選挙民の意志に逆らえないと述べて、国益に合致しないこともおこなう。これに対して、多数の人間の雑多な集まりである選挙民は、責任を持ちうるわけはない。こうして統治者は選挙民に、選挙民は統治者に責任をなすりつけあうことが起きるのである。これは現在の日本ではあまりに日常的になこととなってしまった。~


…ってところから今日的な話題へ展開する予定でしたが、
大学の友人から電話が来て2時間話し放題(笑)

完全に中断。

今から書くと仕事に影響が出そうなので、
続きは次回にします。


この高坂正堯の『偉大さの条件』については、学問的には彼の言説に対して批判性をもって読み、他の違う視点から吉田茂や日本外交を切った色んな論文も読むべきだし、学生のときはそういう作業もやったけど、今の僕はそういうことにあえて目を瞑って一つ社会人として自分の指針の参考にしたいなと思う論文です。

学問のすすめ

2010年03月07日 20時46分30秒 | 日記
内容の話ではありません

>挨拶
ハクビシンです。

福澤諭吉の『学問のすすめ』を買ってきました。
ぱらぱら~っと読んでいるのですが、今現在においてもとても新鮮な内容です。
きっとそれは内容が一つ社会の普遍的な真実だからなんだと思います。
価値が多様化した現代においても。

『学問のすすめ』は人の平等なんて説いてません。あの有名な文句だけ見るとそうですが、そのあとに「本来平等である人間だけど、どうしてこんな貧富の差や貴賎の差があるのだろう?それは学問をしたか、しなかったかの差だ!」と書いています。圧倒的なリアリズム。一度読んでみることをオススメします。

しかし、今日はそんな内容の話じゃなくてその文章の話。

ちょっと読んでいて気になったのは、
圧倒されるほど明快に迷いなく文章が書かれているところ。

もちろん福澤諭吉は推敲に推敲を重ねたのだろうけど、正直、一気に書き上げたんじゃなかろうか?と思ってしまうくらい。表現などの部分に気は遣ったかもしれないけど、言いたかった主張に関してはたぶん全く迷う部分がなかったんだろうと思う。

このブログも、迷いがあると全く文章が進みません。
ミクシイはどうでも良いのです。最近はコメントすら付きません(笑)

あっちは思ったことを書く、

こっちは考えたことを書く。

それが一定の範囲内の人に向かってだけか、
大げさに言うと全世界に向かってか、の差です。

だから、このブログは難しい。

社会人になって多様な価値観があることを知って、そのどれをも否定は出来ないことに気が付いて、その中である価値を掲げても自分の立場が変われば豹変・変節してしまうのではないかという恐れ…

迷いなく「こうだ!」と表明できることが少なくなってきた感じがします。

同じ職場の人たちの考え方もまとめられないのに、
社会全体の利害の調整という政治なんて、とても器じゃないと思ってしまいます。

でもまだ僕は25歳です。
器じゃなくて当たり前。
学問を進めて、そういうことの出来る人間にならないといけないのです。

本を読むだけが学問じゃないし、資格を取るだけが学問じゃない。
東大出てても、MBA資格を持っていても会社を潰すやつは潰すし、
高卒でもなんでも、出来るやつは会社を上場させちゃう。

「学問のすすめ」の訴えるところは明治も平成の今も変わらないと思います。
でも学問の内容は変わっています。いま自分が何をしなければいけないか?をよーく考えて、学問したいと思います。

泣きたいのは僕のほうだ

2010年02月20日 20時14分55秒 | 日記
女性の涙は最強

>挨拶
ハクビシンです。


後輩の女の子を泣かしてしまった。


一から十まで責めて泣かしたというわけでなく、
色んな人に聞いたら最後の引き金を引いたという感じだそうです。
だって僕がマジで一から十まで責めてたら、
たぶん次の日から会社にこなくなる(笑)

でも涙を流させてしまったということで、
100%、僕が悪い。問答無用。

別に責めた内容は重大なミスというわけでなく、「こういうやり方はどうなん?」というレベル。「ただ、機械的に流すだけなら誰でも出来る、判断が出来てこその社員でしょう?」という問いかけを含めた指導的な内容でした。

後輩は本当によく頑張ってると思う。
他の子だったらこんなにスムーズには行ってない。
それは誰よりも褒めてあげたい。

ただすぐに「無理です」と言ったり、あるいは電話するのを嫌がったりとか仕事をする上で気になる点があって、それを先輩が「良いよ、いいよ」としてあげることで結果として甘やかすことになってたと思う場面をいくつか見てきました。

もちろん最初はカバーしてあげるべきだと思うけど、
徐々に本人にもさせていく…そういうプロセスを本来はすべきです。

だからこそ、上記にも書いたように敢えてどっちの仕事でもない業務マニュアルのグレーな内容を付き返したわけです。判断を伴うものをただ形式的に処理すれば良いような内容と一緒に回付してきたことに対して「考えたのか?」って。「私の仕事じゃない」からと回付するような考え方はなによりもして欲しくない。

ところが!

後輩の置かれた状況が大変なのはよく知ってるのですが、積もってきたものが僕のことをきっかけに一気にあふれてきたのでしょうね…あるいはよほど僕が怖かったのか(苦笑)
冒頭に書いたような状況に。。。

おかげで周囲の人から色々言われるわ、
後輩の上司とか先輩にフォローしなきゃでえらい目に。

ただ、後輩は翌日休暇だったのですが出社してきてからも僕とろくに目を合わせて話さない。一日何回も内線かけてきてたのに、僕に聞かなきゃ分からない業務も敢えて他にメンバーに聞いてる。。。まぁ気が済むまでそうすれば良いですが、周囲はそんなに甘やかして良いのかな?と思います。そして、もし僕に落ち度があるのならちゃんと言って欲しい。言葉がきつかったとか、そういうレベルでも。そうやって避けてることを回りも許すだけでは、結局、このまま何も変わらない…

グループが違うので口を差し込む話じゃないのでなんとも言えないのですが、本当に気を遣います。会社に来なくなったりすると困りますしね。




時々、何も考えずに言われたことだけやれば良いのかな?と思います。
楽ですよね、きっと。

上記に書いたような後輩の指導的なことなんか考えずに、ただやれば良かった?
先輩のフォローを一生懸命してますが、「確認してください」って突き返せばいい??

自分なりに一生懸命、気を遣って考えてやることが裏目になって、
すべて僕が悪いように言われる…

もちろん、手段方法だけでなく、考えそのものも間違っているときがある。
その時は素直に「ごめんなさい」「申し訳ございません」です。

結論から言うと、
その自分の考えてたことが理解されない辛さに耐えられないのであれば、
やるべきではないということでしょう。本当に泣きたいのは、自分だとしても。

ただ、そういう辛さに耐えなければいけない立場に今後なりうるのだから逃げたらダメだし、泣いてもダメだと思う。何も変わることなく、いつも通りに立ち振る舞うだけです。


最後に涙について。

男は…涙は見せちゃいかんのです。堪えてるから、あるいは堪える中からチラッと見えるから価値が出るのです。女の子は涙を見せることで、その涙に価値を持たせえるのです。女の子は誰にも見られてないときに泣いたらダメです。


それにしても、本当に参りました。。。

フォロワーシップの前提

2010年02月06日 19時57分13秒 | 日記
気付かせるって大変

>挨拶
ハクビシンです。

実家のほうの方言で「まんぐりのわるか」という表現があります。

パッと聞いただけだと意味不明ですねw

「わるか」は悪いの意味ですから、
「まんぐり」が「悪い」というのがわかりました。
では、「まんぐり」って?


「まんぐり」は手際とか下準備といった意味です。


「仕事のまんぐりがわるかけん、そげん時間がかかるったい!」


…こんな例文になるのでしょうか?w

最近、この実家のほうでも70代以上くらいじゃないと使わないこの方言がよく頭に浮かんできます。本当に出来ない人は、この「まんぐりが悪い」のです。それで困ってしまってます。もちろん人には向き不向き、器用不器用の差はあります。自分には向いていない仕事、不器用なのに器用さを求められたり…サラリーマンですからそんな状況には人生で何度となく経験すると思います。ばってん(=「しかし」と同義)、そんな向き不向きのギャップを埋めるために工夫したりしなければなりません。同じ時間内で最低でも他と同じパフォーマンスを出さなければいけないのですから、「出来るためにはどうしたら良いか?」を考えるわけです。それが「まんぐり」なわけで。

今の仕事はメンバーが基本的には同じ仕事をしています。その中で特殊性のある業務が各個人に振られています。まぁ状況によってはその担当者がそれに専念するような場面も出てきますが。それで、このような場面においてはチームワークや分担の割り振りと同じくらいに各個人のレベルアップがチームの能力向上のカギとなります。例えば5人の各メンバーの力が50しかなければその合計の力しか出ませんが、一人でも100がいれば、2人が75だったら…個人のスキルアップも重要な要素なわけです。

なにが言いたいのか?

もう少し考えて仕事をして欲しいということ。

僕よりも5倍以上の時間を会社人として過ごしてきているのに、
その分他の業務経験もあるのに、

「どうしよう?」「どうしたらいい?」って3年目に聞くか?
「こうしたほうが効率良いんじゃないか?」「昔はこうだったけど、今はこれで良いの?」とかこういうレベルで聞いて欲しい。

向き不向きや、器用不器用、慣れとか、知識不足、そういうことは責められない。
性質的なものもあるし、時間が経たないと解決しないこともある。
むしろ、僕のほうが知らないことだらけだ。

だけど、何も考えずにやるのだけはちょっと耐えられない。

僕が「隣で見てて、彼は一杯一杯な感じ?」と聞くと
「かなり一杯そうです。」と後輩は答えました。続けて後輩が言った言葉。

「なんで、この業務は外してあげた方が良いと思うんですけど。」

でも、職級も2ランク上で僕の倍以上給料を貰っているのに、その人の向き不向きや状況だけで業務分担を配慮したりといった行為をするのは違っていると思う。

なぜかというと、そのようなことをすれば僕が「職級ランクを上げてもらわないと不公平じゃん!」と感じるのは当然だから。「いやいや、彼は君の5倍以上の時間を会社で過ごしてきて、君にはない経験を持っているから、その結果としてのランクなんだよ」と反論があるかもしれない。確かにその通りだ。しかし、だったらなおさら、それ相応のパフォーマンスをして頂かないと困るわけで…年功序列は悪くない制度だと思うけど、パフォーマンスに関する評価を誤ると下位メンバーに強烈な不満を持たせることになってしまう。

若い自分は我慢するのも仕事だけど…
その人にもたくさん良いところはあるのだけど…

だから、もっと大きな視点から、その人に気付かせる、あるいはチーム全体がより良い方向に行くようなコミュニケーションを自分が発揮してできるようになりたいなぁと思うわけです。。。

李下に冠を正さず、瓜畑に靴を入れず

2010年01月17日 23時18分48秒 | 政治・社会・スポーツ
ただそれだけのこと。

>挨拶
ハクビシンです。


「疑われるような行動は、その気がなくても、慎まないといけません」

小さいころに親から一度は諭される、中国の故事成語の教訓。
問われているのはそういうことです。

新進党や自由党を解党したときに消えた政党資金、ゼネコンからの裏献金疑惑…そのような疑惑や疑問に答えるのではなく先日の党大会での演説は「検察VS民主主義」という構図をアピールして、脱官僚の抵抗勢力であるかのように批判し、民主主義が危うくなると言っておりました。いまでも検察の捜査を「官僚の抵抗」として見る識者、あるいは党大会で彼の演説を聞いて「民主主義のために頑張ろう」とか気色ばんでた議員、こういう人たちを見ると民主主義と衆愚政治は紙一重だと思ってしまいます。

異論を許さない雰囲気の与党、選挙で勝ったから国民の支持理解が無限にあるかのような言動、天皇陛下に対する物言い、選挙に勝つためだけに外国人に参政権を付与しようとする…この国の民主主義のためには即刻彼が政治の舞台から退場してもらう必要があります。

かつての民主党の良い所はオープンで、クリーンで、活発な議論でした。

いまや幹事長独裁の、金の管理が出来ない、そして何も言えない、
もっとも非民主的な政党に代表以下が成下がっています。

かつて小泉元首相が「抵抗勢力」とレッテルを貼ったように、民主党は官僚を悪玉にしてきました。彼はまさに小泉元首相と同じように検察を民主主義の抵抗勢力のように言っています。しかし、私はもしどちらかが信頼に足るかと聞かれれば検察を選びます。

そしてなによりも、このような疑獄は彼で最後になることを願ってやみません。
政治資金規正法があたかも形式犯のようにいう民主党議員や擁護派のひとがいますが、300億もの国民の税金が政党助成金として各政党に渡されているのです。政治にお金がかかるのは事実ですが、税金でそれを補助する代わりに、献金とかで悪いことをするなよ!と政治資金規正法はあるのです。この法律を破ることは単なる形式犯でなく、重い国民に対する罪であることを忘れないで欲しい。

Miles Away

2010年01月14日 00時29分58秒 | 日記
So far away

>挨拶
ハクビシンです。

いつも、あと一歩の力を惜しむ自分に腹が立つ。

流せば良いような言葉にいちいち反応してしまう自分に情けない。

どれも85点くらいの出来を並べて満足する自分が嫌だ。

100点を目指してもどこか抜けてる自分に笑ってしまう。

効率良く仕事を進められない手際の悪い自分に苛立ってしまう。

余裕が無いときに何かに誰かに責任転嫁を無意識にしようとしてる自分が大嫌いだ。


目指す姿はMiles Away So far away


支え…なんて思うこともあるけど、
自分の足で踏みとどまることに意義がある。

出来ることならば明日は少しでも前に、目標に近づけるように。

そう、人生に暇な時間なんて無い。


ただいま

2010年01月05日 21時44分27秒 | 日記
帰ってきました。

>挨拶
ハクビシンです。

ブログの更新もですが、
前回日記の挨拶のとおりボーナスでパソコンを購入し、
ドコモのデータ通信に加入してネットにも復帰しました。

今年からはこまめに更新したいと思います。


さっそくですが、今年の目標を書いておきます。
今年の目標は…


・ディズニーランド(ディズニーシーも)に行く!


…え?
何か変ですか?

だって、行ったことないんだもんw

「人生において、一度も行ったことないのですが…」というと、
会社ですっごく奇異な目で見られます。
そんなに変?

特に興味はなかったし、
日帰りで行ける関東とは違って九州に住んでたし、
社会人になってからもそういう機会も相手もいなかったし。。。

このままではずっと行かないままかもしれない!?ということで、
無理やり目標に掲げますww


そういうことで昨年だいぶサボったここも、
今年はがんばりたいと思います。

しかし、最近のパソコンはわからんねwww

日々のこと

2009年11月21日 18時24分32秒 | 日記
ボーナスでパソコン買う!

>挨拶
ハクビシンです。

日々のことでその瞬間瞬間に世に訴えたいことがあります。
でも、なかなか週末まで覚えてられなくて(笑)

今年の冬のボーナスでパソコンを買って、無線のデータ通信を契約してネットに繋ごうかなって思います。携帯だと長文がきついので、やっぱりパソコンが良いです。どのくらいで買えるのかな?出来るだけ安く買えるといいですが。
できれば本当は一緒に一眼レフのデジカメを買って、写真を撮りたい。夏休みに中尊寺まで走ったときとか、早春にターンパイクを駆け上がって富士山を見たときとか、ずっと残しておきたい瞬間を撮りたかった。写真、意外と好きなんです。

デジカメがあると…

きっと彼女が出来たら、彼女を撮りまくるんだと思うw
きっと子供が出来たら、子供を撮りまくるんだと思うww

将来は多くの方の予想通り、すごい親バカになると思います。
ちなみに子供は娘だと思っております。絶対可愛いです。


そんな妄想をしてると、ちょっと寂しさが身に沁みる時期になりました。
でも最近はそんなことを考える余裕もなく、日々は過ぎていきます。
仕事してるとそんなこと忘れられますよね。
忙しいうちが幸せなんだなって。大変だけど。

続々と周りで入籍者が相次いでますけど、
もう少し独身のときにやらなきゃいけないことがあるような気がしてます。