日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

個人データ‐マイナンバーカードは大丈夫?‐

2024-05-10 22:05:50 | ビジネス

朝日新聞に、「マイナンバーカードの偽造が相次いでいる」という、記事があった。
朝日新聞:偽造相次ぐマイナンバーカード 河野氏が注意喚起 IC読み取りアプリ検討 

ご存じのように、今年12月に健康保険証をマイナンバーカードと一体化する、ということが決まっている。
元々マイナンバーカードについては、様々なトラブルが起きており、マイナンバーカードと健康保険証の一体化に対しては、様々な問題が解決してからでも良いのでは?という、意見が出ていた(と思う)。
にもかかわらず、河野デジタル大臣は強引に推し進めようとしている。
そこに、このような「偽造問題」が起きている、という状況になってしまっている。

私自身は、現在起きているマイナンバーカードについての問題が解決してから、取得を考えていたので健康保険証との一体化に関しては、とても困っている。
そこに「偽造」という問題が浮上してきているのだ。
ますます、マイナンバーカードに対する信頼度は、ダダ下がり要因と考えてもよいのでは?と、思っている。
マイナンバーカードそのものに興味が無かったので、知らなかったのだが「個人情報へのアクセスが可能」なマイナンバーカードのICチップの読み取りアプリを検討する、という手際の悪さに、驚いている。

と同時に、政府が検討するような読み取りアプリは、大丈夫なのか?という、不安の方が先に立つのだ。
何故なら、これまでのマイナンバーカードをめぐる政府のグダグダな対応を見ていると、不安しかないからだ。
何より、健康保険証と一体化したマイナンバーカードを偽造される、ということは偽造された方の病歴を含む個人情報が流出する、と考える必要があると思う。

個人情報の中でも「病歴」は、究極の個人情報なのではないだろうか?
政府は、単に、風邪やケガの治療で病院を受診。処方薬を購入した程度に考えているのかもしれないが、遺伝と関係のある病気や難病、がん等の治療歴等の個人情報は、その重要性が全く違う。
だからこそ、慎重な議論が必要になるだろうし、今更ICの読み取りアプリの開発という後手後手には、政府自体が「マイナンバーカード」に対する考えが、とても軽いモノだった、という印象しか持てないのだ。

そのような不安な状況の中で、日経新聞が「個人データの越境移転」という話題を記事にしている。
日経新聞:個人データの越境移転、円滑に日英米等10ヵ国・地域 

増え続けるECサイト等で購入した個人データを企業間で流通させ、電子取引を簡便化する、ということを目的しているのだが、商品やサービスを購入した本人があずかり知らないところで、個人データが企業間で流通する、ということに不安を持つ生活者もいるのではないだろうか?
実は、このような仕組みは既に存在しており、情報サイト等にアクセスすると表示される「cookie」が、それにあたる。
「cookie」が表示され、同意をするとアクセス者の情報が広告代理店等のプロモーション等に、使われることに同意する、ということになっている。
「cookie」が表示される度に、そのような文章が表示されるのだが、この表示文をどれだけの人が注意深く読み、同意をしているのだろう?
広告等のプロモーションに使われる程度(と言っても、個人データが勝手に使われるという意味では、嫌悪感を覚える人もいると思うのだが)とは違い、ECサイトでの購入歴から「年齢・居住地域・購入額・クレジットカード情報」等が勝手に違う企業に流出してしまう、という意味も含んでいるのでは?

これらは、生活者にとって便利なコトなのだろうか?
今一度、デジタル化(というよりも「DX推進」)と個人データ保護という問題を、考える必要があるのではないだろうか?


そろそろ「箱もの」発想から、脱却すべきでは?‐築地市場跡地大規模開発‐

2024-05-09 21:03:39 | ビジネス

GW前だっただろうか?、閉場した「築地市場」の跡地に、スタジアム建設予定というニュースがあった。
Impress Watch:築地市場跡地で大規模開発 スタジアムを軸に食・交通・MICEの拠点に 

このニュースを知った時、何故東京に、5万人収容規模のスタジアム建設をするのだろう?という、疑問だった。
この「5万人規模」というのは、実は国際的なスポーツイベントを開催するときの使用するスタジアムの収容人員数とされることが多い。
例えば2002年のサッカーW杯日韓大会で、日本全国に5万人以上収容のスタジアムが建設されたが、FIFAの規定が「W杯実施スタジアムの収容人員条件」が「5万人以上。屋根付き」だったからだ。
この2002年サッカーW杯日韓大会以降、日本で作られるスタジアムの収容人員は、5万人クラスになっていった。

そのような背景を考えれば、「5万人収容のスタジアム」ということは、国際的スポーツイベント開催可能スタジアム、という位置づけである、ということが分かる。
しかし、東京周辺には、この5万人以上収容できるスタジアムが、いくつも既にあるのだ。
2022・東京オリンピック開催の為に建て直された「国立競技場」をはじめ「さいたまスタジアム」、「日産スタジアム(旧横浜国際総合競技場)」と、既に3か所あるのだ。
そこに4番目の同規模スタジアムを建築する必要があるのか?という、疑問なのだ。
と同時に、5万人収容規模のスポーツイベントが、どれほどあるのか?という点でも、疑問なのだ。

多くの観客を呼び込むことができる、国際的スポーツイベントとして、真っ先に思い浮かぶのは、サッカーW杯だろう。
多くの出場国のサッカーファンが、スタジアムにやってくるからだ。
とはいえ、W杯の開催期間は約1ヵ月。
サッカーW杯クラスの国際的スポーツイベントを、数年に1度招聘できるのか?というと、それも甚だ疑問だ。

それだけではなく、「さいたまスタジアム」も「日産スタジアム」の、Jリーグの「浦和レッズ」や「横浜Fマリノス」のホームスタジアムとして、活用されている為毎試合5万人規模の収容はできなくても、それなりの頻度で活用されている(=スタジアム収益がある)。
そう考えると、新たに建設する築地市場跡に建設予定のスタジアムも東京にある、スポーツクラブののホームスタジアムにしなくては、稼働率は期待できない、ということになる。
スタジアム使用期間もほぼ通年でなくては、スタジアムの運用は難しいだろう。

現在稼働している、2002年サッカーW杯開催用に建設された数多くのスタジアムは、サッカー以外の音楽イベント等にも使われているので、そのような設備も必要になってくる。
周囲に商業施設を設けるということになれば、防音という面も検討する必要が出てくる。
このように考えると、今「築地市場跡地に5万人収容規模のスタジアム建設」は、現実的ではないのでは?という気がするのだ。

それよりも、かつて築地市場にあったと言われる、「浴恩園」という公園の再建の方が、現実的で今という時代にあっているのでは?という気がしている。
Huffpost:築地市場跡地にかつて「天下の名庭園」があった。浴恩園とは?再生を求める声も

築地市場跡地というロケーションを考えれば、この場所に庭園ができることで、周辺の温暖化対策になるはずだ。
と同時に、市民のオアシスとして、人気が出るのでは?
確かに、入場料を設定するということは、できないかもしれないが、この庭園の周囲に商業施設を配置すれば、「手ぶらでお出かけできる自然公園」として、人は集まりやすくなり収益を上げることはできるのでは?

小池都知事は、環境問題に対して敏感な感覚をお持ちだと思っていたのだが、神宮周辺の整備に伴う神宮の森伐採問題の頃から「環境問題」への興味がなくなってきているような印象がある。
今、目先の利益を優先するよりも、100年後の自然豊かで快適な都市づくりを目指した方が、後世に名を遺すことができると思うのだが…。





CMと企業‐Apple iPad ProのPR動画を考える‐

2024-05-08 23:09:30 | CMウォッチ

日本時間の早朝、Appleが最新のiPadProを発表した。
その発表に合わせ、CMも公開された。
これまで、AppleのCMと言えば、どこかお洒落な雰囲気のある内容が多かったのだが、今回は違ったようだ。
毎日新聞: 「言葉を失う」楽器破壊する「iPadPro」のPR動画に批判の声 

私もこのPR動画を見をたのだが、決して楽しいモノではなかった。
「楽しい」というよりも、ワクワク・ドキドキするようなモノではなかった。

ここで疑問なのだが、実はiPadユーザーには、音楽関係者が多いと言われている。
iPadに限らず、Mac愛用者も多い。
マイクロソフトのOSであるWindowsはもちろん、Office向けソフト「Word・Excel・PowerPoint」等は、今やビジネスツールとして、必須となっている。
ビジネスユースとしてMacを使っていらっしゃる方もいらっしゃるはずだが、一般企業においてはWindowsがベースとなっているのでは、内だろうか?

おそらくApple社側も、自社の商品のユーザーがどのような人達なのか?ということは、把握していると思う。
そのうえで、今回の動画を制作したのだとすると、趣味が悪いというよりも「顧客を敵に回してどうする」という、気がしたのだ。

確かに、コンパクトさやコンパクトな形状に似合わないほどのハイスペックな仕様となっている、ということを強調したかったのかもしれない。
であれば、今回のような「物を破壊する」というPR動画をつくる意味はなかったのでは?
というのも、リンク先の記事側もわかるように、多くの人たちが「不快だと感じている」からだ。

CMをはじめとする広告の表現の中には、あえて「ネガティブな表現」をすることで、生活者に自社や商品を知ってもらう、という手法もある。
古いところでいうなら、旧国鉄が一面をつかった「私は話したい」というキャッチコピーを使い、「国鉄の運賃値上げ」に対する理解を求めた新聞広告、同じ新聞広告で、ソニーが「β―マックスは無くなってしまうの?」という、ビデオデッキ・β―マックスについての生活者の不安を取り除く為のもの、ボルボの「私たちの製品は公害を出しています」という、環境汚染を自動車が引き起こしていることに対する、企業の考えを述べる広告等があった。
この中で唯一成功した広告は、ボルボだけだったように思う。
国鉄もソニーのβマックスも今や存在しない商品となってしまっているからだ。

以前、Apple社はソニーのCMを参考にしている、と言われていた。
Appleが憧れていたソニーのCMというのは、1970年代後半~1980年代の、お洒落で受け手となる生活者が、憧れるような世界観を持っていたり、一斉を風靡した「トリニトロン」の技術を、卵からかえるタコの赤ちゃんを鮮明な画像(「ここがトリニトロン技術の素晴らしいところ」である問うことを、有無も言わせず、尚且つ嫌味にならないように表現していた頃のCMだった、と言われている。

そう考えると、何故Apple社は自社の中心ユーザーの気持ちを逆なでするようなPR等がを制作したのか?
制作意図として、単純に製品機能をPRすることだけを考えてしまった結果なのか?わからない。
ただ感じられる事は、Apple社が迷走し始めたのでは?という印象を受ける、ということだ。
たかがCM、されどCM…これまでと表現が大きく変わったと感じれば、生活者はその企業のファンで亡くなってしまう可能性も含んでいる、という一例になってしまうかもしれない


データを疑う大切さ

2024-05-07 18:29:20 | マーケティング

やっと明けたGW。
どこかへ出かけられた方も、多かったのではないだろうか?
そしてこのGW中に、ある調査が発表されていた。
それは、「岸田内閣支持率」だ。
TBS NEWS DIG:【速報】岸田内閣の支持率29.8% 前回調査より7.0ポイント上昇 5月JNN世論調査 

このニュースを見た時、「一体今の岸田内閣で、支持率が上がる要素がどこの有るのか?」と、疑問符ばかりが頭に浮かんだ。
おそらくそのように感じた方は、私だけではなかったようで、ヤフコメ等でも同様のコメントが数多く見られた。

それだけではなく、この世論調査を実施したのがTBSであり、関連メディアである毎日新聞での同様の調査では、フジサンケイグループ(産経新聞とフジテレビ系)や讀賣新聞系列(讀賣新聞と日本テレビ)といった「保守系メディア」と呼ばれるメディアの調査よりも、厳しい支持率を発表していたからだ。
同じ系列のメディアでありながら、随分と違う世論調査結果に、違和感を覚えた。

ただ、この世論調査を実施した期間を見て、何となくわかった気がしたことも確かだ。
調査機関が、GW真っただ中の5月4日(土)と5月5日(日)だったからだ。
今年のGW期間中の中でも、この両日は、天候も良く絶好の行楽日和だったはずだ。
いくら携帯電話を含めた電話調査であったとしても、行楽に出かけている人達が、このような世論調査に答えるだろうか?
とすれば、固定電話はもちろん携帯電話で回答をした人達も、相当限られたライフスタイルの人たちだったのでは?と、想像て着る。
言い換えれば、これまでの厳しい内閣支持率を出してきた時と、調査条件は同じでも、回答する人達のライフスタイルが違う人たちであった、と考える必要があるのでは?ということなのだ。

GW中、「行楽に出かけない人達=自民党支持者」というのではなく、諸般の事情により世論調査に答えやすい環境にあった人たちの中に、自民党支持者が多かった、と考える必要があるのでは?
ではそのような層とは、どんな人達なのか?
まず真っ先に考えられるのは、以前から自民党の支持基盤となっている人たちが、偶然多かった。
そもそも、回答率が50%未満で、人数も1013人という、決して高くない数字である。
もし回答率が60~70%で、人数も5000人位あれば、ある程度「国民からの支持」ともとらえることができると思う。
決して低いとは言い切れないが、だからと言って信頼で回答数なのか?と言われると、微妙なところだろう。

そのように考えると、この世論調査がこれまでの世論調査と同じように考えてよいのか?ということになる。
マーケティングという視点で考えると、データとして疑うべき数字という気がする。



 


ビジョンは良くても、現実が伴わなくては意味がない

2024-05-05 20:54:43 | アラカルト

今日は、「子どもの日」だった。
その「子どもの日」に合わせるように、FM番組で「はじめの100カ月育ちビジョン」という話を、FM番組でしていた。
子育てとは無縁の生活をしているので、このようなビジョンをこども家庭庁が出していたとは、全く知らなかった。
こども家庭庁:幼児期までのこどもの育ちに係る基本的なビジョン(はじめの100か月の育ちビジョン) 

FM番組で紹介されていた「はじめの100か月育ちビジョン」では、妊娠→出産→小学校入学までの期間を指すという。
この間、母親が中心となり家庭の中だけの子育てではなく、地域社会全体で「子育てに関わろう」というのが、ビジョンの趣旨のようだ。

確かに、ビジョンとしては重要なコトを謳っている、と感じたのだが、現実として何等かの施策はあるのだろうか?と、思いながら聞いていたのだが、その部分の話を聞くコトができなかった。

年々出生率(一人の女性が生涯で出産する子どもの数)は、年々下がり続けている。
それが、先日政府が発表した「消滅危機自治体」へと結びつくのだが、だからと言って政府が「子育て支援」として打ち出している施策に、具体性を感じない。
何より、今問題になっている「子どもの貧困化」の背景にあるのは、離婚により養育費が支払われない、ということで起きている(と言っても過言ではない)。

「離婚」は、親同士の間の問題であり、子どもには関係の無いことだ。
例えそれが夫婦間の間で話合わせ、合意を得た離婚であっても、子どもに対する養育義務として「養育費の支払い」を義務付ける必要があるはずなのだ。
しかしに本においては、養育費の不払い等による罰則規定に様なモノは無いため、離婚後、養育費を受け取っていない一人親家庭(その多くは母子家庭)は、子どもに対して満足のいく教育環境を整えられない、という状況に陥っている。
もちろん、養育費の問題だけではなく一人親家庭の多くが母子家庭であるため生活全般の経済基盤となる、収入という面でも厳しい状況に陥っている、というのが現状だろう。

「はじめの100カ月、子育てビジョン」が掲げる様に、家庭だけではなく地域社会も参加する子育ては、とても良いモノだと思う。
しかし、そのような「子育て」をする為には、養育がしっかりできる経済基盤が必要なはずだ。
そのうえで、地域社会が子育てに関われるような環境づくり、ということが順番なのではないだろうか?

子育てとは関係の無い国会議員さん達が、GWということで海外へ外遊をされている。
その金額を子育て支援に回せば、少しは子育て環境が良くなるのでは?
そのようなコトも考えない人達に、子育てビジョンを言われても、生活者の心には響かないような気がするのだが…。


「憲法記念日」に考える、改憲の意味

2024-05-03 23:31:57 | 徒然

今日は憲法記念日だった。
「憲法記念日」に合わせ、毎年のように実施されるのが「改憲に対する世論調査」だ。
讀賣新聞:憲法改正「賛成」63%、9条2項「改正」は最多53%…讀賣世論調査 

毎年「改憲」の是非を問う世論調査の中心となるのは、讀賣新聞が実施したように憲法9条であることが多い。
日本が「戦争に対してどのように考えているのか?」ということを、問う内容だからだ。
しかし、この憲法が制定された頃と今とでは、世界情勢が大きく変わってしまっている。
その為に「改憲」を支持する人達が、過去最多という結果になった、ということだろう。

しかし改憲は、9条だけの問題ではない。
今世間で求められている「改憲」の一つは、「皇位継承」という問題もまた、含まれているはずだ。
「男系男子」にこだわる理由が「萬世一系」ということだが、時々の権力者によって都合よく書き換えられている、というのは洋の東西を問わず行われてきたことだ。
まして、日本の歴史は諸外国よりも古いことを考えれば、神武天皇から「萬世一系」と言い切れる根拠は、まずないだろう。
そのような歴史の中にあって、「女性天皇」は、過去認められ存在していたという事実はある。
であれば、「皇位継承」の安定の為にも、「直系長子」の方が時代的にはあっている、と考える人達が増えてもおかしくはない。

また、国会議員に関する内容についても、今後ますます議論していく必要があるのでは?と、感じている人達も多いのでは、ないだろうか?
明治の頃のように、ごく一部の人達によって国の未来を託すことの危うさは、明治・大正・昭和という時代が、「戦争の時代であった」ということでもわかる。
第二次世界大戦の終結の為、ポツダム宣言を受け入れたことで、日本の敗戦は決り、今の日本国憲法がつくられることになったのだが、それでも70年以上前と今とでは、社会の制度や仕組みをはじめ様々なコトが大きく変わってきている。
「憲法を変える」ことは、これまでの「良き日本を変える」ということではないはずだ。

むしろ今問題になっているのは、国会議員がその権限を歪曲化し、都合よく政治とは言えない行為を行っている、ようにも見える。
もちろん、国会議員は「国民から選ばれ、国をより良くしていく」という使命を託されている人達なので、そのような人物を選んでしまう側にも問題がある、ということになる。
だからこそ、「憲法」がある意味と意義を、きちんと知る必要がある。
そのことを考えるのが「憲法記念日」ということになるのだろう。


時代を超え、繰り返される「反戦と学生」‐米国コロンビア大学での学生デモ‐

2024-05-02 21:29:18 | 徒然

Huffpostを見ていたら、「時代が変わっても、繰り返されるのだな~」と、感じる記事があった。
Huffpost:コロンビア大学に警察突入。56年前の同じ日にもベトナム反戦デモの学生らが逮捕されていた 

56年前のベトナム反戦デモは、映画化されている。
おそらく私と同世代以上の人達であれば、一度は聴いたことはあるのでは?と思う、ユーミンの「いちご白書をもう一度」のタイトルに使われた「いちご白書」という映画だ。
このタイトルとなった「いちご白書」というのは、当時のコロンビア大学の学長が、コロンビア大学内の「ハミルトンホール」に集まったデモ学生に向かって「何を甘ったるいことをやっているのだ」という趣旨の話をしたことから、このデモのことを「The Strawberry Statement」と呼ばれるようになったと、言われている。
それが、当時コロンビア大学の学生だったジェームス・クネンが「The Strawberry Statement」という本を書き、その後映画化されたのだった。
初公開時には、映画としてどれだけヒットしたのかはわからないのだが、ユーミンの「いちご白書をもう一度」のヒットにより、リバイバル上映をされた(リバイバル上映を映画館で観たのが、私と同世代だろう)。

個人的には、映画のストーリーよりも使われた数々の時代を象徴するような、ヒット曲とそれらの楽曲が使われた場面の方が印象的で、今でも断片的ではあるが、覚えている。

思い出してみれば、56年前米国の大学で起きたベトナム戦争に対する反戦運動は、日本の大学にも影響を及ぼしていた。
反戦運動というよりも「安保反対」に対する学生運動といった方が良いだろう。
コロンビア大学でのハミルトンホールでの学生排除と逮捕が行われた頃、日本でも学生運動が過激化しつつあったような気がする。
その一例が「東大安田講堂事件」かもしれない。
「東大安田講堂事件」の発端は、反戦運動ではないのだが、映像に残る大学構内での学生運動の攻防戦として「東大安田講堂事件」は、忘れられない出来事だった。
他にも同じ年には、新宿騒擾事件(通称:新宿騒乱)等が起きている。
新宿騒擾事件は、反戦運動を繰り広げていた大学生たちが起こした事件である、ということを考えると、コロンビア大における「ハミルトンホール占拠」に近い動機なのかもしれない。
このような熱量は、「いちご白書をもう一度」の歌詞のように、就職活動が近づくと離脱する学生が続出し、残った学生たちはより過激な行動へと発展し、1970年代初めに様々な事件を引き起こすことになる。

当時のことを今更あれこれ言ったところで、今の日本の大学生が反戦デモをするとは思えない。
それは日本と米国における学生の社会的意識の違い、というだけではなく、社会に対する熱量が、全く違うと感じているからだ。
経済的にも30年以上落ち込み続け、豊かさを感じることが無いまま育ってきた今の日本の学生たち。
それだけではなく「全入時代」と呼ばれるほど、大学進学が当たり前になったことで「大学生」が、特別なものではなくなった、ということも関係しているような気がしている。
良い悪いではなく、今という時代の大学生の姿を見て、そのように感じているということなのだ。





「ブライダルマーケット」という市場をつくった、桂由美

2024-05-01 11:42:13 | マーケティング

昨日、ブライダルファッションデザイナーの桂由美さんの訃報が、伝えられた。
桂由美さんと言えば、思い浮かぶのは「ウエディングドレス」だと思う。
実は、ウエディングドレスを専門に行うデザイナーは、欧米のファッション業界では珍しい存在である、ということを知っている方はどのくらいいらっしゃるのだろうか?
ファッション関連のお仕事に就いている方なら、ご存じだとは思うのだが、一般的には余り知られていないのでは?と、考えている。
というのも、毎シーズンパリやミラノで発表されるファッションコレクションで、発表するデザイナーにとって、発表する最後に登場するのが「マリエ」と呼ばれる、ウエディングドレスであり、そのウエディングにデザイナーが一番表現をしたいエッセンスを盛り込んでいるからだ。

発表された「マリエ」によって、ウエディングドレスの傾向が分かるのは当然だが、これらのデザインを基に多くの花嫁となる女性はウエディングドレスを注文するからだ。
その意味で、ウエディングドレスを仕立てる(あるいはレンタルをする)洋装店はあっても、ウエディングドレスだけを専門にデザインをし、販売をするというで企業は、見られないからだ。

そして、桂由美さんの知名度が上がるにつれ、日本の結婚式も変わり始めたような気がする。
例えば、結婚式場や結婚式場の情報誌等の表紙は、ウエディングドレスを着ているモデルが、一般的だ。
しかし、50年ほど前であれば、文金高島田の和装の花嫁の方が、多かったという印象を持っている。
まして地方であれば、花嫁支度を自宅で行い、仲人さんに手を取られ家から出て、ご近所の方々からお祝いの言葉を掛けられ、式場に向かうという花嫁さんも、少なくなかった。

そのような光景が見られなくなったのは、結婚式場という専門の場所やホテルウエディングが一般化した為だろう。
と同時に、和装で結婚式を挙げた後、披露宴でウエディングドレスを着る、ということも定着した。
バブル経済真っただ中の頃等は、結婚式では白打掛→披露宴で色打掛→ウエディングドレスへ着替え→カラードレスで来賓のお見送り、というパターンが一般的だった。
もっとも、派手な結婚式と揶揄された名古屋なので、他の地域では違うかもしれない。

バブル経済前から、芸能人やスポーツ選手の結婚式では、都内の有名な教会での「チャペル結婚式」が、度々報道されていたこともあり、その時代時代の憧れの一つが、ウエディングドレスであった、ということもある。
そのような「日本人の結婚式」の姿を変えた人物人が、桂由美さんであった、ということには間違いないと思う。
と同時にそれは日本に「ブライダル市場」という、市場を創ったと言っても過言ではないのでは?と、考えている。

何故なら、「ウエディングドレス」のみのファッションショーを開き、それが結婚式場やホテルの「ウエディングフェア」というカタチで、模擬披露宴体験を提供することで、「結婚式から披露宴、引き出物」に至る、「結婚式に関連する様々なサービスと物販をセット販売」するという、今では当たり前になった「ブライダルビジネス」をつくり上げることに多大な影響を与えることとなったからだ。
そこには、結婚式情報誌に様なモノも含まれている。

「ブライダルビジネス」全てに桂由美さんが、関係していたわけではないが、この日本特有の「ブライダルビジネス」を具現化する切っ掛けを創り、普及させること(=「ブライダルマーケット」)をつくった一人なのだと考えている。


「家業を継ぐ」ことと「世襲」は違う?

2024-04-30 14:18:17 | アラカルト

数日前、次の選挙の不出馬を発表している、自民党の二階俊博氏の後継者として、県町村会が三男に出馬要請をした、という報道があった。
朝日新聞:次期衆院線の和歌山2区、二階俊博氏の三男に出馬を要請へ 県町村会 

和歌山県も自民党の強い選挙区である、ということは知っているが、様々なお金の問題を抱えていた二階氏の後継者に三男の出馬要請を、県町村会がしている、ということを考えると、「和歌山県の有権者さん、それでいいの?」と、問いたくなる。
同じ自民党内であっても、二階氏の後継者ではない人を推薦したいという有権者の気持ちを無視するように、県町村会が勝手に決めているからだ。
おそらく、県町村会と二階氏の間には、切ってき切れない利害関係があり、その恩恵に少しでも多くあずかりたい、という気持ちが県町村会にはあるのだろう、と勝手に想像してしまった。

そしてこの記事を読んで、思い出した記事があった。
集英社オンライン: 「両親や祖父母が議員だった世襲議員は豊かな環境で育ったため、私たちの生活に思いを馳せることはできません」・・・ 

タイトルが長かったので、途中で省略をさせていただいたのだが、確かに岸田首相をはじめ世襲議員はとても多い。
様々な政党の中でも、自民党は世襲議員が占める割合がダントツに多い。
それは、「支持母体」と言われる具体的な支援母体を持たない代わりに、世襲という方法で選挙基盤をつくってきた、という背景があるからだろう。
だからと言って、「世襲議員」の存在が日本の政治にとってプラスなのか?と言えば、そうではない。
集英社オンラインの記事のように、世襲議員の多くの選挙区は、自分が生まれ育った場所ではなく、両親や祖父母の実家が選挙区であり、選挙区の実態等を知らない環境の中で育ってきているからだ。
しかも、子供の頃から両親や祖父母(曾祖父)が築き上げてきた権力と財力で、「坊ちゃん・お嬢ちゃん」として、囃され育ってきている。
二階氏の三男に立候補を要請した県町村会にとって、地元のことを知っていることが重要なのではなく、二階という苗字が重要、ということなのだ。

考えてみると、日本には「世襲」と呼ばれる職業の人達が、議員以外にもいらっしゃる。
例えば、伝統芸能や伝統工芸等の世界は、家業を継ぐことが世襲ということになる。
ただ議員と大きな違いは、世襲だからと言って、日々の努力を怠ってしまえば、あっという間に家業がダメになり、場合によっては「家を継いだのが、あれではね~」と、陰口をたたかれるようなコトになってしまう。
「世襲として家業を継ぐ」ということは、家業をより発展させていかなくてはいけない、という重圧を覚悟する、ということでもあるのだ。
その日々の努力も無く、権力(とお金)を引き継ぐことができるのが、世襲議員と呼ばれる人たちだけなのだ。

その為、大物議員と呼ばれるようになっても、どこかズレた発言をすることが多々ある。
先日の岸田首相が、Xに投稿した内容を見ても、そのズレ感が分かるのではないだろうか?
日刊スポーツ:岸田首相X投稿が炎上&トレンド入り 日本経済をめぐる言葉に「経済音痴」「どこ見てんだよ」 

ご存じの方も多いと思うのだが、岸田首相は父親の岸田武夫衆議院議員の秘書になる前、大学卒業後長銀(現SBI新生銀行)に入行し、外国為替等の業務を担当している。
そのような経歴を持っていても、円安が日本経済にどのような影響を及ぼしているのか、わかっていないのだ。
考えられる理由を上げるならば、「世襲議員だから」ということになるでは?と、下衆な考えを持ってしまうのだ。
それほど、市井の生活者とかけ離れ、親や祖父の築き上げた権力と財力に胡坐をかいているのが、世襲議員の実態であり、支援団体も本人ではなく親や祖父の価値を評価している、というのが日本の政治の実態なのでは?と、考えるのだ。


自民党、島根1区補選の敗戦理由を考える

2024-04-28 21:26:49 | アラカルト

今日、3つの選挙区で補欠選挙が実施された。
結果については、ご存じの通りだ。

この補選の中で注目されたのは、与野党一騎打ちとなった島根1区だった。
以前、拙ブログでもエントリさせていただいたが、島根は自民王国と言われてきた。
島根1区は、細田家。島根2区は竹下家と、いずれも自民党の重鎮と呼ばれる政治家を輩出してきたからだ。

ところが、今回の補選を実施することになった細田博之氏は、亡くなる前に「後継者指名」をしていなかった。
これは島根2区の竹下亘氏についても、同じだ。
いうなれば、後継者指名がされないまま補欠選挙を迎えることになった、ということだ。

後継者指名が無いことから、島根県の自民党関係者も候補者選びに時間がかかったようだ。
そして立候補した方は、細田氏との関係が無いと思われる官僚出身の方だった。
この時点で、自民党の敗北は決まっていたのでは?という、気がしている。
というのも、自民党に投票をしていた有権者の内、相当数の人達は「自民党」に投票していたのではなく、「細田博之」という地元出身の政治家に投票をしていたのでは?と、感じていたからだ。
違う言い方をするなら「細田家には義理はあるが、細田家とは関係の無い立候補者には、義理が無い」という、ことなのだと思う。

先日、和歌山2区の二階俊博氏が次回の選挙に出馬しない、と表明しその後継者として自民党和歌山の県町村会が、二階氏の三男を指名した、というニュースがあった。
この件については、後日拙ブログでも書きたいと思うのだが、同じ自民党内であっても後継者を選ぶのは選挙区の県町村会なのだ。
なぜ、県町村会が二階氏の三男を後継者指名としたのか?と言えば、県町村会にとって重要なのは「二階氏の血族である」ということなのだ。
自民党という政党が打ち出す政策に共感して、投票している訳ではない、ということでもある。

島根1区の話に戻すと、選挙期間中、自民党は党の主要幹部を次々に送り込み、選挙遊説をさせた。
選退委員はもちろん、岸田総理も松江市内の街頭に立ち、演説をしている。
自民党幹部が演説に立つと、有権者から「裏金問題」について、厳しく問う声が毎回のように上がった、と言われているが自民党が負けたのは、決して「裏金問題」だけではないはずだ。
上述した通り、立候補者が亡くなられた細田博之氏の後継者指名をされた候補者ではなかった、ということの方が、敗戦理由としては大きいのでは?ということなのだ。
「裏金問題✕故細田氏が指名していない候補者」という二つの要因によって、自民党が負けたのでは?ということなのだ。