日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

ビジョンは良くても、現実が伴わなくては意味がない

2024-05-05 20:54:43 | アラカルト

今日は、「子どもの日」だった。
その「子どもの日」に合わせるように、FM番組で「はじめの100カ月育ちビジョン」という話を、FM番組でしていた。
子育てとは無縁の生活をしているので、このようなビジョンをこども家庭庁が出していたとは、全く知らなかった。
こども家庭庁:幼児期までのこどもの育ちに係る基本的なビジョン(はじめの100か月の育ちビジョン) 

FM番組で紹介されていた「はじめの100か月育ちビジョン」では、妊娠→出産→小学校入学までの期間を指すという。
この間、母親が中心となり家庭の中だけの子育てではなく、地域社会全体で「子育てに関わろう」というのが、ビジョンの趣旨のようだ。

確かに、ビジョンとしては重要なコトを謳っている、と感じたのだが、現実として何等かの施策はあるのだろうか?と、思いながら聞いていたのだが、その部分の話を聞くコトができなかった。

年々出生率(一人の女性が生涯で出産する子どもの数)は、年々下がり続けている。
それが、先日政府が発表した「消滅危機自治体」へと結びつくのだが、だからと言って政府が「子育て支援」として打ち出している施策に、具体性を感じない。
何より、今問題になっている「子どもの貧困化」の背景にあるのは、離婚により養育費が支払われない、ということで起きている(と言っても過言ではない)。

「離婚」は、親同士の間の問題であり、子どもには関係の無いことだ。
例えそれが夫婦間の間で話合わせ、合意を得た離婚であっても、子どもに対する養育義務として「養育費の支払い」を義務付ける必要があるはずなのだ。
しかしに本においては、養育費の不払い等による罰則規定に様なモノは無いため、離婚後、養育費を受け取っていない一人親家庭(その多くは母子家庭)は、子どもに対して満足のいく教育環境を整えられない、という状況に陥っている。
もちろん、養育費の問題だけではなく一人親家庭の多くが母子家庭であるため生活全般の経済基盤となる、収入という面でも厳しい状況に陥っている、というのが現状だろう。

「はじめの100カ月、子育てビジョン」が掲げる様に、家庭だけではなく地域社会も参加する子育ては、とても良いモノだと思う。
しかし、そのような「子育て」をする為には、養育がしっかりできる経済基盤が必要なはずだ。
そのうえで、地域社会が子育てに関われるような環境づくり、ということが順番なのではないだろうか?

子育てとは関係の無い国会議員さん達が、GWということで海外へ外遊をされている。
その金額を子育て支援に回せば、少しは子育て環境が良くなるのでは?
そのようなコトも考えない人達に、子育てビジョンを言われても、生活者の心には響かないような気がするのだが…。


「憲法記念日」に考える、改憲の意味

2024-05-03 23:31:57 | 徒然

今日は憲法記念日だった。
「憲法記念日」に合わせ、毎年のように実施されるのが「改憲に対する世論調査」だ。
讀賣新聞:憲法改正「賛成」63%、9条2項「改正」は最多53%…讀賣世論調査 

毎年「改憲」の是非を問う世論調査の中心となるのは、讀賣新聞が実施したように憲法9条であることが多い。
日本が「戦争に対してどのように考えているのか?」ということを、問う内容だからだ。
しかし、この憲法が制定された頃と今とでは、世界情勢が大きく変わってしまっている。
その為に「改憲」を支持する人達が、過去最多という結果になった、ということだろう。

しかし改憲は、9条だけの問題ではない。
今世間で求められている「改憲」の一つは、「皇位継承」という問題もまた、含まれているはずだ。
「男系男子」にこだわる理由が「萬世一系」ということだが、時々の権力者によって都合よく書き換えられている、というのは洋の東西を問わず行われてきたことだ。
まして、日本の歴史は諸外国よりも古いことを考えれば、神武天皇から「萬世一系」と言い切れる根拠は、まずないだろう。
そのような歴史の中にあって、「女性天皇」は、過去認められ存在していたという事実はある。
であれば、「皇位継承」の安定の為にも、「直系長子」の方が時代的にはあっている、と考える人達が増えてもおかしくはない。

また、国会議員に関する内容についても、今後ますます議論していく必要があるのでは?と、感じている人達も多いのでは、ないだろうか?
明治の頃のように、ごく一部の人達によって国の未来を託すことの危うさは、明治・大正・昭和という時代が、「戦争の時代であった」ということでもわかる。
第二次世界大戦の終結の為、ポツダム宣言を受け入れたことで、日本の敗戦は決り、今の日本国憲法がつくられることになったのだが、それでも70年以上前と今とでは、社会の制度や仕組みをはじめ様々なコトが大きく変わってきている。
「憲法を変える」ことは、これまでの「良き日本を変える」ということではないはずだ。

むしろ今問題になっているのは、国会議員がその権限を歪曲化し、都合よく政治とは言えない行為を行っている、ようにも見える。
もちろん、国会議員は「国民から選ばれ、国をより良くしていく」という使命を託されている人達なので、そのような人物を選んでしまう側にも問題がある、ということになる。
だからこそ、「憲法」がある意味と意義を、きちんと知る必要がある。
そのことを考えるのが「憲法記念日」ということになるのだろう。


時代を超え、繰り返される「反戦と学生」‐米国コロンビア大学での学生デモ‐

2024-05-02 21:29:18 | 徒然

Huffpostを見ていたら、「時代が変わっても、繰り返されるのだな~」と、感じる記事があった。
Huffpost:コロンビア大学に警察突入。56年前の同じ日にもベトナム反戦デモの学生らが逮捕されていた 

56年前のベトナム反戦デモは、映画化されている。
おそらく私と同世代以上の人達であれば、一度は聴いたことはあるのでは?と思う、ユーミンの「いちご白書をもう一度」のタイトルに使われた「いちご白書」という映画だ。
このタイトルとなった「いちご白書」というのは、当時のコロンビア大学の学長が、コロンビア大学内の「ハミルトンホール」に集まったデモ学生に向かって「何を甘ったるいことをやっているのだ」という趣旨の話をしたことから、このデモのことを「The Strawberry Statement」と呼ばれるようになったと、言われている。
それが、当時コロンビア大学の学生だったジェームス・クネンが「The Strawberry Statement」という本を書き、その後映画化されたのだった。
初公開時には、映画としてどれだけヒットしたのかはわからないのだが、ユーミンの「いちご白書をもう一度」のヒットにより、リバイバル上映をされた(リバイバル上映を映画館で観たのが、私と同世代だろう)。

個人的には、映画のストーリーよりも使われた数々の時代を象徴するような、ヒット曲とそれらの楽曲が使われた場面の方が印象的で、今でも断片的ではあるが、覚えている。

思い出してみれば、56年前米国の大学で起きたベトナム戦争に対する反戦運動は、日本の大学にも影響を及ぼしていた。
反戦運動というよりも「安保反対」に対する学生運動といった方が良いだろう。
コロンビア大学でのハミルトンホールでの学生排除と逮捕が行われた頃、日本でも学生運動が過激化しつつあったような気がする。
その一例が「東大安田講堂事件」かもしれない。
「東大安田講堂事件」の発端は、反戦運動ではないのだが、映像に残る大学構内での学生運動の攻防戦として「東大安田講堂事件」は、忘れられない出来事だった。
他にも同じ年には、新宿騒擾事件(通称:新宿騒乱)等が起きている。
新宿騒擾事件は、反戦運動を繰り広げていた大学生たちが起こした事件である、ということを考えると、コロンビア大における「ハミルトンホール占拠」に近い動機なのかもしれない。
このような熱量は、「いちご白書をもう一度」の歌詞のように、就職活動が近づくと離脱する学生が続出し、残った学生たちはより過激な行動へと発展し、1970年代初めに様々な事件を引き起こすことになる。

当時のことを今更あれこれ言ったところで、今の日本の大学生が反戦デモをするとは思えない。
それは日本と米国における学生の社会的意識の違い、というだけではなく、社会に対する熱量が、全く違うと感じているからだ。
経済的にも30年以上落ち込み続け、豊かさを感じることが無いまま育ってきた今の日本の学生たち。
それだけではなく「全入時代」と呼ばれるほど、大学進学が当たり前になったことで「大学生」が、特別なものではなくなった、ということも関係しているような気がしている。
良い悪いではなく、今という時代の大学生の姿を見て、そのように感じているということなのだ。





「ブライダルマーケット」という市場をつくった、桂由美

2024-05-01 11:42:13 | マーケティング

昨日、ブライダルファッションデザイナーの桂由美さんの訃報が、伝えられた。
桂由美さんと言えば、思い浮かぶのは「ウエディングドレス」だと思う。
実は、ウエディングドレスを専門に行うデザイナーは、欧米のファッション業界では珍しい存在である、ということを知っている方はどのくらいいらっしゃるのだろうか?
ファッション関連のお仕事に就いている方なら、ご存じだとは思うのだが、一般的には余り知られていないのでは?と、考えている。
というのも、毎シーズンパリやミラノで発表されるファッションコレクションで、発表するデザイナーにとって、発表する最後に登場するのが「マリエ」と呼ばれる、ウエディングドレスであり、そのウエディングにデザイナーが一番表現をしたいエッセンスを盛り込んでいるからだ。

発表された「マリエ」によって、ウエディングドレスの傾向が分かるのは当然だが、これらのデザインを基に多くの花嫁となる女性はウエディングドレスを注文するからだ。
その意味で、ウエディングドレスを仕立てる(あるいはレンタルをする)洋装店はあっても、ウエディングドレスだけを専門にデザインをし、販売をするというで企業は、見られないからだ。

そして、桂由美さんの知名度が上がるにつれ、日本の結婚式も変わり始めたような気がする。
例えば、結婚式場や結婚式場の情報誌等の表紙は、ウエディングドレスを着ているモデルが、一般的だ。
しかし、50年ほど前であれば、文金高島田の和装の花嫁の方が、多かったという印象を持っている。
まして地方であれば、花嫁支度を自宅で行い、仲人さんに手を取られ家から出て、ご近所の方々からお祝いの言葉を掛けられ、式場に向かうという花嫁さんも、少なくなかった。

そのような光景が見られなくなったのは、結婚式場という専門の場所やホテルウエディングが一般化した為だろう。
と同時に、和装で結婚式を挙げた後、披露宴でウエディングドレスを着る、ということも定着した。
バブル経済真っただ中の頃等は、結婚式では白打掛→披露宴で色打掛→ウエディングドレスへ着替え→カラードレスで来賓のお見送り、というパターンが一般的だった。
もっとも、派手な結婚式と揶揄された名古屋なので、他の地域では違うかもしれない。

バブル経済前から、芸能人やスポーツ選手の結婚式では、都内の有名な教会での「チャペル結婚式」が、度々報道されていたこともあり、その時代時代の憧れの一つが、ウエディングドレスであった、ということもある。
そのような「日本人の結婚式」の姿を変えた人物人が、桂由美さんであった、ということには間違いないと思う。
と同時にそれは日本に「ブライダル市場」という、市場を創ったと言っても過言ではないのでは?と、考えている。

何故なら、「ウエディングドレス」のみのファッションショーを開き、それが結婚式場やホテルの「ウエディングフェア」というカタチで、模擬披露宴体験を提供することで、「結婚式から披露宴、引き出物」に至る、「結婚式に関連する様々なサービスと物販をセット販売」するという、今では当たり前になった「ブライダルビジネス」をつくり上げることに多大な影響を与えることとなったからだ。
そこには、結婚式情報誌に様なモノも含まれている。

「ブライダルビジネス」全てに桂由美さんが、関係していたわけではないが、この日本特有の「ブライダルビジネス」を具現化する切っ掛けを創り、普及させること(=「ブライダルマーケット」)をつくった一人なのだと考えている。


「家業を継ぐ」ことと「世襲」は違う?

2024-04-30 14:18:17 | アラカルト

数日前、次の選挙の不出馬を発表している、自民党の二階俊博氏の後継者として、県町村会が三男に出馬要請をした、という報道があった。
朝日新聞:次期衆院線の和歌山2区、二階俊博氏の三男に出馬を要請へ 県町村会 

和歌山県も自民党の強い選挙区である、ということは知っているが、様々なお金の問題を抱えていた二階氏の後継者に三男の出馬要請を、県町村会がしている、ということを考えると、「和歌山県の有権者さん、それでいいの?」と、問いたくなる。
同じ自民党内であっても、二階氏の後継者ではない人を推薦したいという有権者の気持ちを無視するように、県町村会が勝手に決めているからだ。
おそらく、県町村会と二階氏の間には、切ってき切れない利害関係があり、その恩恵に少しでも多くあずかりたい、という気持ちが県町村会にはあるのだろう、と勝手に想像してしまった。

そしてこの記事を読んで、思い出した記事があった。
集英社オンライン: 「両親や祖父母が議員だった世襲議員は豊かな環境で育ったため、私たちの生活に思いを馳せることはできません」・・・ 

タイトルが長かったので、途中で省略をさせていただいたのだが、確かに岸田首相をはじめ世襲議員はとても多い。
様々な政党の中でも、自民党は世襲議員が占める割合がダントツに多い。
それは、「支持母体」と言われる具体的な支援母体を持たない代わりに、世襲という方法で選挙基盤をつくってきた、という背景があるからだろう。
だからと言って、「世襲議員」の存在が日本の政治にとってプラスなのか?と言えば、そうではない。
集英社オンラインの記事のように、世襲議員の多くの選挙区は、自分が生まれ育った場所ではなく、両親や祖父母の実家が選挙区であり、選挙区の実態等を知らない環境の中で育ってきているからだ。
しかも、子供の頃から両親や祖父母(曾祖父)が築き上げてきた権力と財力で、「坊ちゃん・お嬢ちゃん」として、囃され育ってきている。
二階氏の三男に立候補を要請した県町村会にとって、地元のことを知っていることが重要なのではなく、二階という苗字が重要、ということなのだ。

考えてみると、日本には「世襲」と呼ばれる職業の人達が、議員以外にもいらっしゃる。
例えば、伝統芸能や伝統工芸等の世界は、家業を継ぐことが世襲ということになる。
ただ議員と大きな違いは、世襲だからと言って、日々の努力を怠ってしまえば、あっという間に家業がダメになり、場合によっては「家を継いだのが、あれではね~」と、陰口をたたかれるようなコトになってしまう。
「世襲として家業を継ぐ」ということは、家業をより発展させていかなくてはいけない、という重圧を覚悟する、ということでもあるのだ。
その日々の努力も無く、権力(とお金)を引き継ぐことができるのが、世襲議員と呼ばれる人たちだけなのだ。

その為、大物議員と呼ばれるようになっても、どこかズレた発言をすることが多々ある。
先日の岸田首相が、Xに投稿した内容を見ても、そのズレ感が分かるのではないだろうか?
日刊スポーツ:岸田首相X投稿が炎上&トレンド入り 日本経済をめぐる言葉に「経済音痴」「どこ見てんだよ」 

ご存じの方も多いと思うのだが、岸田首相は父親の岸田武夫衆議院議員の秘書になる前、大学卒業後長銀(現SBI新生銀行)に入行し、外国為替等の業務を担当している。
そのような経歴を持っていても、円安が日本経済にどのような影響を及ぼしているのか、わかっていないのだ。
考えられる理由を上げるならば、「世襲議員だから」ということになるでは?と、下衆な考えを持ってしまうのだ。
それほど、市井の生活者とかけ離れ、親や祖父の築き上げた権力と財力に胡坐をかいているのが、世襲議員の実態であり、支援団体も本人ではなく親や祖父の価値を評価している、というのが日本の政治の実態なのでは?と、考えるのだ。


自民党、島根1区補選の敗戦理由を考える

2024-04-28 21:26:49 | アラカルト

今日、3つの選挙区で補欠選挙が実施された。
結果については、ご存じの通りだ。

この補選の中で注目されたのは、与野党一騎打ちとなった島根1区だった。
以前、拙ブログでもエントリさせていただいたが、島根は自民王国と言われてきた。
島根1区は、細田家。島根2区は竹下家と、いずれも自民党の重鎮と呼ばれる政治家を輩出してきたからだ。

ところが、今回の補選を実施することになった細田博之氏は、亡くなる前に「後継者指名」をしていなかった。
これは島根2区の竹下亘氏についても、同じだ。
いうなれば、後継者指名がされないまま補欠選挙を迎えることになった、ということだ。

後継者指名が無いことから、島根県の自民党関係者も候補者選びに時間がかかったようだ。
そして立候補した方は、細田氏との関係が無いと思われる官僚出身の方だった。
この時点で、自民党の敗北は決まっていたのでは?という、気がしている。
というのも、自民党に投票をしていた有権者の内、相当数の人達は「自民党」に投票していたのではなく、「細田博之」という地元出身の政治家に投票をしていたのでは?と、感じていたからだ。
違う言い方をするなら「細田家には義理はあるが、細田家とは関係の無い立候補者には、義理が無い」という、ことなのだと思う。

先日、和歌山2区の二階俊博氏が次回の選挙に出馬しない、と表明しその後継者として自民党和歌山の県町村会が、二階氏の三男を指名した、というニュースがあった。
この件については、後日拙ブログでも書きたいと思うのだが、同じ自民党内であっても後継者を選ぶのは選挙区の県町村会なのだ。
なぜ、県町村会が二階氏の三男を後継者指名としたのか?と言えば、県町村会にとって重要なのは「二階氏の血族である」ということなのだ。
自民党という政党が打ち出す政策に共感して、投票している訳ではない、ということでもある。

島根1区の話に戻すと、選挙期間中、自民党は党の主要幹部を次々に送り込み、選挙遊説をさせた。
選退委員はもちろん、岸田総理も松江市内の街頭に立ち、演説をしている。
自民党幹部が演説に立つと、有権者から「裏金問題」について、厳しく問う声が毎回のように上がった、と言われているが自民党が負けたのは、決して「裏金問題」だけではないはずだ。
上述した通り、立候補者が亡くなられた細田博之氏の後継者指名をされた候補者ではなかった、ということの方が、敗戦理由としては大きいのでは?ということなのだ。
「裏金問題✕故細田氏が指名していない候補者」という二つの要因によって、自民党が負けたのでは?ということなのだ。



GWの過ごし方から考える、今の日本経済

2024-04-26 22:32:42 | マーケティング

今年のGWは、最長10連休だという。
これほど長い休みとなると、海外旅行へ行く人も多いのか?と、言うと決してそうではないらしい。
朝日新聞:GWの過ごし方、海外旅行は1% 予算は横ばい平均2万7857円 

海外旅行に行く人が少ないのは、円安ということも影響しているのだろう。
昨日は1ドル155円だったと思うのだが、今日はそれよりも安い156円台まで下がった、というニュースがあった。
日々日本の円の価値が下がっていくようなニュースを見ていれば、海外旅行に行くことも躊躇するだろう。
今の日本経済の状況を「新興国並み」と、揶揄する人が出てくるほど、世界経済の中で日本の円は弱くなっている(という印象がある)

そして、朝日新聞の記事を読むと、今の日本経済の壊滅的な状況を実感するのだ。
というのも「家でのんびり過ごす。外食。近所のショッピングモール等で買い物」という、過ごし方が上位にきているからだ。
確かに、現在の円安傾向を受け、日本の有名観光地はどこも「オーバーツーリズム」のような、状況になっている。
有名観光地だけではなく、広島等では「お好み焼き店」に地元の人が入れないほど、海外からの観光客が押し寄せている、と話題になっていた。
FNNプライムオンライン:オーバーツーリズムでお好み焼き店が苦渋の決断・・・金曜の夜は「県民の日」“常連客”の居場所を守る【広島】 

確かに、広島名物として「お好み焼き(広島焼き)」は、全国的に有名だ。
今は、ネットで情報が拡散されると、それは世界規模に広がっていく。
結果として、今回のような事態に発展してしまったのだろう。
そして、今までのような「観光旅行」ではなく、「日本の生活を体験する旅行」へと、変化している、ということもわかる。
「コロナ禍」で、客足が遠のいた飲食店等は、海外からの観光客は歓迎すべきなのだろうが、このような問題が発生する背景を考えると、決して手放しで喜べる状況ではない。
円安ということは、日本全体が安くなっている、ということでもあるからだ。
それは、国内における日本経済の沈下状況にある、ということでもある。
だからこそ「新興国になってしまった日本」と、揶揄する人も出てくるのだろう。

注意すべき点は「新興国」は、これから先発展していく要素があるが、果たして今の日本に「発展していく要素」があるのか?という点だ。
昨日エントリしたように、将来的に消滅する可能性のある自治体が744もある状況なのだ。
人口が減る、というだけではなく、現役世代が極端に減ることで日本の生産性は、今まで以上に落ちてしまう。
それが今年のGWの過ごし方にも現れ始めているような、気がしてくるのだ。
生活者が自由にレジャー等に使えるお金が少ない、ということは、それだけ生活にゆとりがなくなってきている、ということでもある。
そう考えると「新興国」ではなく「衰退国」なのでは?という気すらしてくる。





「消滅可能性自治体」を考える

2024-04-25 20:59:22 | アラカルト

昨日、大手メディアが一斉に報じた「消滅可能性自治体」。
その自死対数は、744と言われ、全体の4割だという。
NHK: “消滅する可能性がある”744自治体 全体の4割に 人口戦略会議 

このニュースが報じられる前、東京への一極集中はより強まり、大阪のような主要都市でも人口が減少する、という指摘もされていた。
確かに、日本の出生率(一人の女性が何人出産するのか?)は、下がり続けているし、「人生100歳時代」と言われても、高齢者が増え続ければ、当然亡くなる方も増えてくる。
そう考えれば、日本の人口が減少していく、ということは難しい数式で考えなくても、わかることだ。

今の日本は、このような状況になる入口に立っている、ということになるだろう。
何故なら、第一次ベビーブーム(別名「団塊の世代」)と呼ばれた人達のほとんどが、後期高齢者となっているからだ。
それは「2025年問題」と言われるように、「社会保障費の増加」、高齢者の急増による「高齢者向けの福祉サービスの人的不足」等が、随分前から問題視されてきたことでもある。
この第一次ベビーブーム世代の人たちが、より高齢となり亡くなる方が増えると、日本の人口減少は急速に進んでしまう、ということになる。
それは「日本」という国の経済力や生産性の低下、ということに繋がるという意味でもある。

だからと言って、「日本人がいなくなる」訳ではない。
あくまでも「自治体が消滅する可能性がある」ということなのだ。
しかし「自治体」が消滅すると、どのような問題が起きるのか?というと、生活インフラの維持管理や整備ができなくなる、ということになる。
他にも、小中高等の「教育機関」の維持ができないという問題も起きてくる。
「公共サービス」と呼ばれる、様々なサービスの提供もできない、ということだ。
それを回避するために必要なコト、として挙げられているのが「若い女性」ということになる。

なぜ「若い女性」なのか?と言えば、それは「出産」と関係してくるからだ。
だからと言って「出産・育児」の環境を整えれば、消滅可能性自治体を回避できるのか?と言えば、違うと思う。
その前に「若い女性が働きやすい自治体」ということが、必須だからだ。
例えば、名古屋の場合だが、大学までは名古屋で過ごすが、就職刄東京でするという若い女性が増えてきている。
朝日新聞:名古屋、人口増でも女性流出「長年働くことの想像が・・・」 

この記事が掲載されたのが2021年なのだが、元々名古屋刄他の大規模都市と比べると地元志向が強い地域だと、言われている。
しかし、大学を卒業していざ就職となると、女性が働きたいと思う職場があまりないのだ。
何より、「大学を卒業したら、早くお嫁に行く」ことが、女性の幸せだと考えも根強くある。
その人生観が、大きく変わっているのに、企業も地域社会も変わっていないという「ミスマッチ」が、名古屋の若い女性の流出の要因となっている。
当然、東京で就職した女性が名古屋に戻って、結婚・出産・子育てをするという可能性は、低くなる。
そのような現象が、地方では進んでいる、と考える必要があるだろう。

とすれば、消滅可能性自治体が考える必要があるのは、大都市で就職した若い女性を受け入れる職場づくり・仕事づくり、ということになる。
当然だが、若い女性の職場ができれば、同世代の男性も増えるはずだ。
大都市に比べ、育児や子育て環境を整えることは、消滅する可能性の高い自治体の方が、しやすいかもしれない。
何故なら、職場と住居の距離が近ければ、それだけ時間的余裕ができるからだ。
今風の言葉でいうなら「タイパがよい」ということになるだろう。

地方における自治体は、補助金等で行政をするのではなく、若い女性にとって魅力的な仕事と生活を提供する、というこれまでとは違う視点が必要になってくるのではないだろうか?


現在のAI技術の限界?

2024-04-24 22:03:25 | アラカルト

Huffpostに面白い記事があった。
Huffpost:AIがつくった映画の予告動画に酷評続出「シーンごとに顔が違う」「想像以上に悪い」(動画) 

何かと話題になっているAI技術だが、まだまだ途上の技術ということなのかもしれない。
これまで映画で使われていたCGは、人や物体の動きをコンピュータ―でデータ化し、それをアニメーション等にすることで、「自然な動きや表情」を再現することができた。
それに対して、この記事を読む限りではAIは、まだまだその域には達していないようだ、という印象を持った。

特に、「シーンごとに顔が違う」という点はAIならではの問題なのでは?という気がしたのだ。
この予告動画をどのような工程でつくっていったのか、不明だし、そもそも私自身、CGやAIについて詳しいわけではないので、誤解をしている部分があると思うのだが、AIは与えられた条件を基に表情をつくっていく為に、登場人物の存在よりも与えられた条件で、つくりあげていったのでは?と、想像するのだ。

人物のビジュアル表現は、基となる人がどのような場面で、どのような表情をするのか?ということが重要になる。
基本となるのは、ベースとなる人物の顔だ。
それだけではなく、顔の表情そのものは数多くある。
「オノマトペ」と言われる、物事を音で表す言語が多い日本人の場合、より細かな顔の表情があるのでは?と、考えている。
何故なら、日本の伝統芸能の一つである「能」を見ればわかると思うのだが、演者となる人は面をつけている。
面そのものに、表情があるわけではない。
しかし演者となる人は、その面の見せ方一つで「喜怒哀楽」を表現することができるのだ。
それほど「人の表情」は、微妙である、ということでもある。
単にデータ化した感情の言葉をAIに教えるだけでは、その機微にとんだ表情を表すことは、まだまだ難しい、ということなのだと思う。

そのように考えると、映画等の人物表現については、AIの利用はまだまだのような気がする。
何より、「映画を見たい」と思い、映画館やNetflixのような映画配信サイトと契約をして、自宅で見る「動機」を考える必要がある。
いくら「予告動画」と言えども、鑑賞する人に興味を持ってもらわなくては、実際の行動へと移ってはいかない。
むしろ「予告動画=プロモーションムービー」だと考えれば、その見せ方一つひとつが重要になってくる。
「AIでつくった予告動画」という話題性だけでは、人の気持ちは動かない。
動かないどころか、落胆し興味を失ってしまえば、本編を見たい!という動機に結び付けることは難しくなる。

今現在のAIの技術は、ここまでである、という確認ができたことは良いことだし、これから改善・進歩の余地はあるはずだ。
ただ、言語化できない(=データ化できない)人の心の機微を表すのは、AIが得意とするところではないような気がする。


IT界隈が、騒がしい?

2024-04-22 20:13:15 | ビジネス

今日の朝日新聞他、大手新聞社のWebサイトに、「Googleが公正取引委員会から、行政処分を受けた」という趣旨に記事が、取り上げられている。
朝日新聞:公取委がグーグルに初の行政処分、ヤフーの広告配信を約7年間制限 

現在PCを使われる方が、検索をするときに利用しているのがGoogleなのではないだろうか?
実は、私もPCで検索するとき使うポータルサイトはGoogleだ。
別にYahoo!が不便という訳ではない。
ただ、Googleの検索画面の方が、スッキリしていてわかりやすいと感じているからだ。
Yahoo!の場合は、ニュースやトピックスから検索するときに便利なのだが、直接的に検索するのには、Googleの方が便利という感覚で使っている。
Googleで検索する理由は、このような点なのでは?と、想像している。
それを表すように「検索をする=ググる」という言葉もあり、今や一般化している印象がある。
このように名詞から派生して動詞化することで、より身近で普及している、とも考えられる。

当然、様々な人がGoogleを使って検索をすれば「どのような言葉が神作されているのか?」という情報は、集まってきやすい。
Googleで検索をする度に、Google側に刄検索ワードが蓄積され、トレンドワードや一般の人達が興味・関心のあることを知る機会が増える、ということになる。
それらの情報を基に、広告を打つことで、企業側はより効果的な顧客アプローチが可能になるはずだ。
だからこそ、同じポータルサイトであるYahoo!を排除してきたのだろう。

とはいえ、このような「検索→アクセス」というステップで、顧客情報を集めるという方法は、Googleだけではない。
「cookie」という表示を見たことがある方は、多いと思う。
サイトにアクセスし、cookieに登録すると次回アクセスするときにログイン等が不要、というシステムだ。
確かに、アクセスの度にログイン等をするのは手間と時間がかかる。
その点では、便利なツールのように思えるのだが、実はこの「cookie」にはもう一つの側面がある。
それは提供している側に、ID等が知られてしまう、という点だ。
「cookie」を利用することで、一部個人情報を自ら提供している、と考えてもよいかもしれない。
もちろん、情報を提供している企業側は「cookie」についての、取り扱いと注意事項を表示し、理解の上利用してください、と謳っている。
ただ、それをどれだけ理解し、了解の上「cookie」に情報を提供しているのか?という認識を持たないまま、利用しているという人も一定数いるのでは?という、ことなのだ。

現在のような、ネット社会であれば「個人情報」そのものが、ネットを通じて漏れてしまっている、という覚悟は必要かもしれない。
問題は、どの情報が洩れても実害が少ないのか?という、利用者側の意識の問題があるだろう。
今回のように、Googleのように「検索」という情報から、不特定多数の嗜好や行動傾向を分析することで、より効果的な広告提案を広告代理店だけではなく、これまでネット広告とは無縁であった企業にまでアプローチすることを可能としている。
それは、これまで大手広告代理店の仕事をGoogleやYahoo!、cookieが行っている、ということでもある、ということだ。