日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

メガソーラー発電は、時代遅れ?

2024-04-19 20:05:50 | ライフスタイル

日経新聞のWebサイトを見ていたら、「やはり、太陽光発電に対する考えが変わりつつあるのだな~」と、感じる記事があった。
日経新聞:オーストラリア、屋上太陽光発電が拡大、全電源の11%に 

日本では、未だに山を切り開いて太陽光発電パネルを設置する、メガソーラーが話題になっている。
ただ、話題になる内容も、「メガソーラー発電が設置された」という事業的な話題だけではなく、風光明媚な場所や国立公園にほど近い場所に建設され、反対運動が起きている、という相反する話題になっているような印象を持っている。
特に都市部から離れた、北海道や九州といった場所は、都市部の大手メディアで取り上げられるというよりも、SNS等で話題になる傾向があるように感じている。
西日本新聞:阿蘇にメガソーラー次々、狙われる草原、放牧廃れ・・・「景観では1円にもならない」 

このような記事を見る度に感じることなのだが、地域資産の考え方がとても安直なのでは?という気がしている。
今や地方における「自然や景観は、(観光客を含む)人を呼び込む地域資産」という、視点がないような気がするからだ。
確かに、「人を呼び込む為」には、様々なアイディアと仕掛けが必要なのだが、一度失われた自然や景観を回復・復活させるためには、それよりも膨大な時間と費用が掛かる。
メガソーラーを設置し、売電によって収益を上げることは、わかりやすく簡単な方法だが、いつか行き詰ってしまう。
というのも売電価格が、年々下がっているからだ。
「1円にもならない」と言っても、売電価格が下がり続ければ設置にかかった費用回収という点で、さほどメリットがあるとは思えない。
これが、景観の良い場所ではなく1970年代に開発され塩漬け状態になっている工業団地用地等であれば、売電価格が下がってもそれなりのメリットがある。
しかし、地域資産として価値がある場所を目先の儲け話で、失うことは地域経済にとっても大きな損失のような気がする。

そしてオーストラリアで進む「屋上太陽光発電」の方が、遥かにメリットが高いのでは、ないだろうか?
ご存じの方も多いと思うのだが、電力は、送電等によって失われる電力量が失われる。
発電した電力をロスを減らして使う、ということを考えれば「地産地消」が一番効率が良いのだ。
その視点で考えれば「屋上太陽光発電」は、理にかなっているということになる。

それだけではない。
電力料金の価格高騰やSDGsという観点からも、「電力の地産地消」はメリットがある。
現在の各地域にある電力会社側とすれば、経営にも影響する話なので、手放しで推進するということにはならないと思うのだが、電力の管理・メンテナンス専業の関連会社を、行政と協力しあうことで経営をする、ということも可能だろう。
何より、現在注目されている「ペロブスカイト太陽光発電」等の実証実験には、協力する必要があるだう。
この「ペロブスカイト太陽光発電」が実用化されれば、都市部での高層ビルやマンションそのものが「メガソーラー発電」の設置場所となることになる。
何も景観の良い場所を切り開いて、メガソーラー発電をする必要は無くなるのだ。

日経のオーストラリアの記事の話に戻ると、注目すべき点は「全電源の11%」という占有率の高さだ。
自然エネルギーとしては、風力発電のほうが優位だが、それでも全電源11%という数字は、無視できないほどの普及率を示している。
そう考えれば、景観の良い場所(=送電ロスの多い場所)にメガソーラーを設置することの意味を、考え直す切っ掛けとなるのではないだろうか?


SNSを使ったなりすまし詐欺広告について考える

2024-04-18 13:12:36 | アラカルト

一昨日、実業家の前澤友作さんが、Meta社に激怒する、というニュースが報じられた。
ITMedia News: “なりすまし詐欺広告”に対するMetaの声明に前澤友作さんら怒り心頭「行政処分を出すべき」 

いつのころからか覚えが無いのだが、前澤さんの名前で「お金を配る」とか、「投資指導」のような広告が、フェイスブックだけではなく現在のX等にも頻繁に表示されるようになった。
そもそもいくら実業家で巨額の資産をつくり上げた人物とはいえ、お金を配るとか投資指導をする、こと自体変な話なので、そのような広告を見た時はブロックするようにしていた(それよりも、知らない外国人からの友達リクエストを何とかして欲しい)。
その為、これほどまでの被害が出ていたとは、思いもよらなかった。

考えてみれば、詐欺を働くような人はあの手この手で新手のツールを使い、人をだますことをしてきた。
時代とともに、電話からeメール、現在はSNSとその手口を替えてきた、ということだ。
これら詐欺に使われるツールを見て、気づくコトはないだろうか?
それは「詐欺に使うツールのコストが、安いモノへと移っている」という点だ。
確かに今でも「オレオレ詐欺」と言われる「特殊詐欺」に使われるのは、電話が主流だ。
しかし、固定電話ではなくいわゆる「かけ放題プラン」が使える、携帯電話になっている。
もしくは、光電話と呼ばれる通常回線とは違う電話番号を利用しているはずだ。
eメールは、ランダムなアドレスに一斉送信をしている。
しかもその多くは、日本国内ではなく海外経由で送信されている。
そしてSNSの場合は、無料で不特定多数の人に「広告」することができる。
アクセスするための通信料と言っても、ネット通信の利用料はご存じの通り、高額ではない。
多くのSNSサービスを提供している企業は、広告収入によって収益を上げているので、「広告」として、申請しアカウントを取得すれば、繰り返し表示させること等簡単なコトなのだ。
しかもSNSの場合は、広告主の実態が分からないまま「なりすまし」が簡単にできる。

今回の前澤友作さんをはじめとする著名人の名をかたった「なりすまし詐欺」の場合、広告としてアカウントだが、日本国内でつくられたモノなのだろうか?
確かにSNSの魅力の一つは、タップをするだけで世界とつながる、という手軽さがある。
だからこそ、アカウントの取得国はハッキリさせる必要があるのでは?という、気がしているのだ。
日本国内で取得されたアカウントでありながら、海外から発信されている広告となれば、それはどこか怪しげなアカウント、ということになる(と思う)だろうし、そもそも、いくら著名人だからと言って前澤さんをはじめとする著名人の写真を勝手に使うこと自体、肖像権の問題なのでは?
このような「なりすまし詐欺」のアカウントそのものは、法的手段を取られる前に削除し、また新たなアカウントを取得する、という鼬ごっこに陥るとは思うのだが、根気よく法的手段に訴え続けるしかないのかもしれない。

もう一つ考える必要があるのはこの「なりすまし詐欺」の手法だ。
FacebookやInstagram等のSNSで誘い込み、LINEで実際のやり取りをしている、という点だ。
それは、FacebookやInstagram等のSNSに対する規制だけでは、犯罪防止に繋がらないということでもある。

ただ、Facebookの成り立ちは「同級生の連絡網のデジタル化」から始まったシステムだ。
ということは、「広告表示は、自分とは関係の無いモノ」と、利用者側が認識する必要がある。
Instagramにしても、「広告」が表示されても、同様な認識をする必要があるだろう。
そして、SNSからLINEのような個人連絡ができるツールに誘導すること自体、嘘くさいと受け止める必要があるだろう。

Meta社だけではなく、SNSサービスを提供している側は、ユーザーがブロックした広告アカウントに関して、削除をする等の運用がもちろん必要だろう。
このような「なりすまし詐欺」を無くしていく為には、ユーザーの協力もまた必要であり、それを呼びかけることも必要なのではないだろうか?


衆議院補選一点突破?の自民党

2024-04-16 20:55:33 | 徒然

いよいよ、衆議院の補選が始まった。
その中でも注目されるのが、島根1区ではないだろうか?
というのも、今回行われる補選の中で、与野党候補相まみれる選挙となるからだ。

島根1区に限らず、島根は自民党が圧倒的に強い「自民王国」の一つだ。
島根1区は細田、島根2区は竹下と、いずれも自民党の重鎮を輩出している選挙区でもある。
この島根選挙区において、細田博之氏も竹下登氏の弟である竹下亘氏も、後継者指名をすることなく逝去している。
その為、これまでのように「自民王国・盤石な自民党支持」という状況ではなくなっている、というのが現状と言える。
だからこそ、自民党は選対委長の小渕優子氏を初日から投入し、自民党支持を訴えたのだ。
朝日新聞:島根に入ると「裏金~」と自民批判 おわびから始まる補選での逆風 

そして「自民王国・盤石な自民党支持選挙区」であるはずの、島根1区で自民党候補は相当な批判を浴びるスタートになってしまった。
もちろん、応援演説に駆け付けた小渕優子氏に対しても、それなりの批判的発言が相次いだのでは?と、想像することができる。
理由は見出しにある通り「裏金問題」だ。

もう一つ忘れてはいけないのは、これまでの自民党支持者であった多くの人達は、実は自民党支持者ではなく細田氏や竹下氏の支持者であった、ということではないだろうか?
自民党という政党ではなく、議員個人の支持者であった、という場合その個人が政界から去った後、後継者指名がされていなければ、浮遊票となってしまう可能性が高い。
自民党の政策に共感し、自民党を支持していたのであれば、政治家の逝去によって大きく得票数が落ち込むことはない。
しかし、議員個人の支持者であった場合、後継者指名がされていなければ、政党支持に結びつかないからだ。
だからこそ、自民党は補選でありながら自民党内の「大物」と言われる政治家を島根1区に投入し、自民党支持を訴える、ということをしなくてはならないのだ。

上述したように、「自民王国」と呼ばれる選挙区は地方には多くある。
その実「自民党支持者」ではなく「議員個人支持者」によって、選挙戦を勝ち抜いてきたような選挙区の方が、多いのではないだろうか?
地方で起きる「議員個人支援者」が何故多いのか?と言えば、多くの支持者は議員個人に対して様々な陳情を行い、その支持者に対して利益誘導的政策をしてきたからだ。
支持者が「(高速)道路が欲しい」と言えば、国土交通省に働きかけ、高速道路整備予算を取り付ける、ということを長い間行ってきたのが、今の自民党だからだ。

そして今回「裏金問題」で名前の挙がった議員たちは、「個人的支持者」がどれほどいるのか?
名前の挙がった議員が多すぎて、はっきりとわからないが「議員個人支援者」によって、選挙を勝ち抜いてきた人は、二階さん位だったのでは?
そう考えると、今回の島根1区の選挙は「政党支持vs議員個人支持」の戦いからの脱却とみてもよいかもしれない。


マイクロソフトに続く日本へのAI投資を考える

2024-04-15 21:50:00 | ビジネス

先日発表された、マイクロソフトの日本への4400億円の投資。
そして、今日OpenAIが新たに日本の半導体での日本企業との連携を模索する、という趣旨のニュースが出ている。
日経新聞:Open AI AI半導体で日本勢との連携模索 COO表明

Open AIについては、このAI半導体だけではなく、日本語に最適化されたGTPの為の日本法人を設立、というニュースも出ている。
BE (IN) CRYPOT:OpenAIJapanが設立 日本語に最適化されたGPTを提供 

Open AIだけではなく、マイクロソフトがAIデータセンターを日本に投資する、ということを「投資先に選ばれて、良かった」で終わるのではなく、「なぜ、今日本なのか?」ということも考える必要があると思う。

先日、マイクロソフトの投資についてのエントリでも書かせていただいたが、一つの理由として考えられるのは円安による「対費用」という点があると思う。
円安という状況であるため、マイクロソフト側は当初の投資額よりも少なく済む、という考えもあるだろう。
それだけではなく、AIに対する認識が欧州等に比べると緩いというか積極的である、という点だ。

そして今日、Open AIが日本支社を設立し、日本語に最適化されたGPTの提供を考えているということに、マイクロソフト側も同様のことを考えているのでは?と、感じたのだ。
YouTubeにアップされている動画だけではなく、途中に挟み込まれる広告動画等も、AIによる音声ではないか?と、感じるモノが増えてきた。
なぜそう感じるのか?と言うと、話す言葉に違和感があるからだ。
抑揚であったり、漢字の読み方の間違い等、明らかに「人が読み上げていない」と、感じる内容のモノが増えているからだ。

よく「日本語は難しい」と、言われる。
その理由はいくつかあるのだが、
①漢字一つに複数の読み方がある
②同じ発音であっても、指すモノ・コトが変わってくる。
 例えば、橋と箸と端など
③方言によるイントネーションの違い
④かな1文字に対して、1音の発音であるにもかかわらず、言葉になると意味を持つ
⑤文章のあいまいさ
等があるのでは?と、考えている。
構文そのものも難しいという指摘もされるゆえんだろう。

ラテン語から派生し、発展した欧米の言葉ではわからない、難しさが日本語に刄あり、おそらくAI化することそのものが大変なのでは?ということなのだ。
視点を変えれば、日本語という独特な言語をAI GPTの実用化することで、より多くの言語対応ができる足掛かりになるのでは?と、考えると、日本への積極的な投資もわかる気がする。

「日本への投資」という経済面だけで、良かった良かったというのではなく、「なぜなのか?」ということを考えると、その事業の目的が分かり、より誘致の為の企画に反映できるのではないだろうか?


きな臭くなってきた、世界情勢

2024-04-14 21:04:39 | アラカルト

日本時間の今朝、イランがイスラエルを攻撃した、と速報のニュースが流れた。
Reuters:イランがイスラエル報復攻撃、200超の無人機とミサイル 安保理開催へ 

Reutersの見出しにあるように、イランがイスラエルに対して攻撃をしたのは「報復目的」ということのようだ。
というのもイスラエルは、今回の攻撃を受ける前に、シリアのダマスカスにあるイランの大使館を攻撃していたからだ。
ご存じの方も多いと思うのだが、このイランとイスラエル、イラクという中東諸国は以前から戦争や紛争を繰り返してきた地域でもある。
常に一触即発、という緊張が続く地域でもあったのだ。

このような緊張関係が続いていることは、当事者の間では十分わかっていたはずなのに、なぜ報復攻撃を受けるようなコトをしたのか?ということが、問題なのだ。
このような中東情勢を考える為には、第2次世界大戦までさかのぼる必要がある。
というのも、渦中の国であるイスラエルは第2次世界大戦後、流浪の民・ユダヤの民の為につくられた国だからだ。
ユダヤ民族にとっては、念願の自分たちの国ができた、と喜ぶべきことではあるが、結果として国を追われた人達、領土の一部を奪われた国がある、ということでもある。
その顕著な事例が、現在でも紛争地域となっているイスラエルのガザ地区、ということになる。

イスラエルの建国は、ユダヤという民族の問題だけではなく、ユダヤ教とイスラム教という宗教の問題もはらんでいる。
どちらも一神教であり、イスラエルにはキリスト教の聖地・エルサレムもある。
エルサレムは、キリスト教の聖地でもあり、ユダヤ教、イスラム教の聖地でもあるのだ。
そのような、宗教という視点から見てもこの地域の複雑さと紛争や戦争が起きやすい背景を持っている地域である、ということは十分理解できると思う。

1980年には、イランとイラクの間で戦争が起き、その後もイラクがクェートに侵攻する等、紛争・戦争が絶えず起きている。
上述したような、宗教的問題のほかにも領土や地下資源(=石油等)等、多角的な理由があるため、北欧を除く欧州諸国が停戦を呼び掛けることが難しいくなっている。
イスラエル建国に関しては、上述した通り第2次世界大戦の戦勝国がかかわっている為、より停戦を呼び掛けるのが難しい状況である、ということが分かるはずだ。

このような状況下において、停戦等の呼びかけができる国の一つが日本なのだ。
まず、宗教的な問題を抱えていない。
イスラエルの建国にも、関わっていない。
地下資源(=石油)等の輸入国として、公平な利害関係を結ぶ必要がある、等の理由があるからだ。
しかし残念ながら、日本はこの地域での優位性を保つ外交をしてきていない。
岸田首相が、海外に出かける度にODA等の拠出を約束してくるが、本来であればお金を出すのではなく、このような停戦に向けての外交手腕を発揮することで、非常任理事国であっても国際社会での発言力が強くなると思うのだが…。


なぜ、高度成長期のイベントにこだわるのか -大阪万博‐

2024-04-12 17:25:31 | アラカルト

先日、JR東海が進めている「リニア新幹線」の2027年開業が、遅れると発表があった。
この開業の遅れの要因を、静岡県知事であった川勝平太氏が、ごねた為ということになっているのだが、実は工期が遅れているのは静岡工区だけではない。
東京新聞:「リニア」の遅れは静岡のせい?ほかの工区での後ずれする工事、未解決の問題を考えた 

数々の暴言を繰り返していた、という点では川勝静岡県知事の辞任は、当然だと思う。
反面、リニアに関していえば、JR東海側がスケープゴートに仕立て上げることで、他の遅れが出ている工事についての問題をごまかしていた、ということだ。
「リニア」に関しては、今後どうなるのか?行き先が不透明過ぎるところがあるので、JR東海側が難癖をつけていた川勝静岡県知事退場後、どのような説明をするのか、注目していく必要があると思う。

そして「工期の遅れ」という点では、来年開幕を引か癒えている「大阪万博」の方が、大きな問題かもしれない。
朝日新聞: 「現実を直視して!」訴えた万博事務方トップ 建設遅れるパビリオン 

2022年開催予定だった「東京オリンピック2022」は、「コロナ禍」という理由で工期が遅れても、さほど問題になることは無かった。
しかし「コロナ禍」ではなくなった現在、「大阪万博」の工期の遅れには、理由付けとなる社会的な問題がない。
建築資材の高騰や建設に携わる人材不足、という理由はもちろんあるのだが、これらの理由は日本国内の問題だ。
このような問題は、パビリオンの建設が始まった頃から、指摘されていたような気がする。

むしろ問題なのは、いくつかの国が参加を辞退している、という点なのではないだろうか?
参加予定をしていた国々が辞退すれば、建設予定地が更地になってしまう。
それでは、「万博」としてのイメージが大きく損なわれる。
だからと言って、その場所に日本企業のパビリオンを建設しようと思っても、新たに企業を募集するには時間がない、と思われる。
このような状況だから、当然前売り券もあまり好調ではないようだ。
朝日新聞:万博前売り券、伸び悩む売れ行き 開幕まで1年、コンビニ販売を検討 

そもそも、万博の収支で黒字になるのか?ということを、考える必要があると思う。
ここでいう「収支の黒字」というのは、「経済波及効果」ではなく、チケット収入等から建設費や運営費を差し引いた場合だ。
ニッセイ基礎研究所:大阪・関西万博について知っておきたいこと(2ページ目) 

このレポートが書かれたのが、1年前なので全く同じだと考えるのは難しいかもしれないが、ドイツのハノーバーやイタリアのミラノの収支が、現実的なのでは?と、考えている。
というのも、2005年の愛知で開催された「愛知万博(通称:愛・地球博)」の場合、協賛企業が相当従業員等に対して前売り券購入を勧め、購入補助までしていたからだ。
一般販売にしても、段階的な割引を設定し、愛知県はもちろん協賛企業の様々な販売努力があってのことだったからだ。
この時中心になったのは、トヨタ自動車とその関連企業であったことは、言うまでもない。

大阪、関西地域に大企業が無いわけではないし、おそらく協賛企業の販売促進等も行われていると思う。
しかし、「なぜ、今万博なのか?」という、開催理由を考える必要もあるのでは?
確かに1970年の大阪万博では、当時、万博史上最高の動員数と言われた。
その頃は、海外旅行に行く人も少なく(当時は、固定為替で1ドル360円だった)、海外パビリオンそのものがとても魅力的に感じられた時代でもあった。
それだけにとどまらず、アメリカ館では「月の石」が展示され、そのアメリカ館にほど近い場所には、ソ連館があった。
冷戦時代に、米ソが並びそれぞれの国のパビリオンに行ける、という魅力もあったはずだ。

それから50年以上の月日が流れ、海外旅行そのものが珍しい体験ではなくなってきている。
海外に対する「夢」等も、変わってきているのだ。
にもかかわらず、「高度成長期のイベント誘致で、経済の回復」のようなイベントを開催することそのものが、安直な気がする。
と同時に、「大阪・関西万博」後の跡地利用についても、IR(カジノ付き総合リゾート宿泊施設)についても、反対や懸念を示す人が少なくない。

既にパビリオン等の建設工事が始まり、遅れが懸念されているが、今一度「酵素成長期の成功イベントの夢」を開催する必要があったのか?考える必要があると思う。


マイクロソフトの日本への投資

2024-04-10 22:01:06 | ビジネス

昨夜遅く、速報のように流れてきた4,400億円という、大規模なマイクロソフトの日本投資のニュース。
その内容を考えると、手放しで喜べるのだろうか?と、やや不安な印象も持ってしまった。
日経XTECH:マイクロソフト、生成AI需要で日本のデータセンター増強などに4400億円投資 

なぜマイクロソフト側は、これほどの投資を日本にするのか?ということを考える必要があると思う。
一つは、円安傾向にあるためドルベースで考えれば、米国内で新たにデータセンターを含め人財を確保がしやすい、と考えたのではないだろうか?
もちろん、データセンターを全世界に分散させることで、リスクの補完ということも考えられる。
先日の中国企業のロゴの入ったスライドを使うことに抵抗のない、日本の政府や官庁には不安があり、データ流出のリスクは高いのでは?と感じるのだが、マイクロソフト側はオリジナルのセキュリティーシステムを組んでいるはずなので、その点は問題が少ないのかもしれない。

逆に、日本政府や官庁の体たらくさから、中国からの攻撃パターンの情報収集がしやすい環境にある、と考えたかもしれない。
あくまでも想像でしかないが、日本で広く一般的に使われているスマホアプリ・LINE等に対する危機感の無さ等から考えると、「実験場」としてのデータセンターということも考えられそうだ。

もう一つは、見出しにある通り「生成AI」についての規制が、欧州等に比べると日本は緩い、問ことが挙げられると思う。
ご存じの通り、欧州では「生成AI」に対して、慎重な姿勢をとっている。
それは著作権等「創造性」に対しての価値評価が高いからだろう。
「作者に対する権利の侵害=作品に対する価値の侵害」ということが、その国の文化を支えていると考えているからかもしれない。
それに対して、現在の日本政府は「生成AI」推進に動いている。
元々、「創造物に対する価値の評価」という意識が、高いとは言えない日本だが、国の方針として「保護する」という意識そのものが、とても低い(と感じている)。
「生成AI」に対して慎重な姿勢を示す欧州よりも、様々な面で緩い日本の方が「実験的なこと」ができるだけではなく、データそのものを集めやすい、という環境にあると判断したのかもしれない。

もちろん、ネガティブなコトばかりではない。
エンジニア、特に女性のエンジニアの育成にも力を入れたい、という点は、日本企業では遅々として進まない点だろう。
もしかしたら「働き方改革」を加速させ、男性にもメリットがある「働き方」となるかもしれない。

このデータセンターが、どのような場所につくられるのか?という点にも、注目が集まるだろう。
災害の少ないような場所、データセンターそのものは、膨大なエネルギーを必要とすると言われているので、自然エネルギーとの組み合わせるにせよ、地域の理解が得られやすい場所、ということになる。
もしかしたら、地方の首長さん達はマイクロソフトのデータセンター誘致に、躍起になるかもしれない。


「無自覚」という罪 -長谷川岳参院議員の釈明会見から考える問題‐

2024-04-09 21:33:53 | アラカルト

3月下旬だったと思うのだが、搭乗していた飛行機内でキャビンアテンダント等に対して、暴言を吐いたとされる長谷川岳参院議員が、釈明の記者会見をしている。
毎日新聞:パワハラ疑惑の長谷川岳参院議員「表現方法に無自覚」 辞職は否定

この釈明記者会見は3日ほど前に行われたものなのだが、長谷川岳参院議員の暴言はキャビンアテンダントだけではなく、選挙区である北海道の道幹部に対しても行っていた、ということが明らかになったためだった。

釈明会見の内容よりも、気になったのが会見ないで話した「(パワハラは)無自覚であった」という言葉だ。
マーケティング等に携わっている方なら、肌感覚的にわかると思うのだが「意識は言葉となり、言葉が行動となる」と言われている。
「無自覚」ということは、表層意識ではなく、深層意識の中で「自分と他者との関係」をどう見ていたのか?ということを、示していると考えてもよいのでは?という、気がしたのだ。

「意識と言葉、言葉と行動」という関係だけではなく、この長谷川議員という人は「自分と他者との関係を上下関係で見て、接している」ということでもある。
人との関係を上下関係で見た時、自分よりも社会的地位の高い相手に対しては「へりくだり」、そうではない相手に対しては自分を尊大に見せ、より良い待遇を求める傾向にある、ということでもある。
このような態度を示す人は、この長谷川議員に限らず案外多い。
例えば、病院の受付や飲食店、カスタマーセンター等で「自分のいうことは正しい。自分の言う通りにしろ!」と、自分の主張を繰り返す人等ダだ。
いわゆる「カスタマーハラスメント(カスハラ)」を行う人達だ。

往々にして、ハラスメントをする人達は「なぜ、自分の行為がハラスメントに当たるのかわからない」ということを言う傾向がある。
それは「無自覚」だからだ。
とはいえ、いきなりこのような行動を起こす「無自覚」が生まれるわけではない。
「氏より育ち」という言葉があるように、いくら出生の位が高くても、育ちが残念であれば、それは自然に行動として現れる。
まして、40代も過ぎれば「育ちよりも生き方」の影響の方が大きい(と、感じている)。
他にも「役が人をつくる」ということも言われている。
ここでいう「役」というのは、社会的責任という意味だ。
企業であれば、役職が上になればなるだけ、その責任は大きくなり、その影響は企業全体に及ぼすようになる。
だからこそ、意識的に謙虚に物事を考え、行動しなくてはいけなくなるのだ。

残念なコトにその「役」に似合うだけの謙虚さを持ち行動できる人、というのは案外少ない(と感じている)。
逆に多いのは「役」の地位だけに固執し、自分を尊大に見せ、周囲に厚遇を要求する人だ。
社会的な役のステップを上がるにつれ、自分の都合の良い事ばかりが潜在意識になり、フッとしたときに言葉や行動として現れる。
だからこそ「無自覚」なのだ。

解決策というものは、簡単にはないと思う。
一つのトレーニングとしてできるとすれば「常に自分を意識する」ということかもしれない。


「賽は投げられた」‐岸田首相の「責任は国民に判断」発言‐

2024-04-07 21:50:55 | アラカルト

先日の「自民党裏金問題」に対する、岸田首相の「背に菌は国民の判断」という言葉に、ネット上で嵐になるほどの批判コメントが相次いでいるようだ。
Yahoo!ニュース:岸田首相「責任は国民判断」波紋 自民反発、野党は解散要求 

この発言の元記事は、時事通信のものだが、Yahoo!コメントが通常では考えられない、8828という数字になっている。
それだけ関心の高い記事であった、ということなのだが、その多くはこの発言に対する批判コメントのようだ。

岸田首相としては、「裏金問題について、首相という立場でやるべきことをやった」というつもりで、「あとの判断は、国民に任せる」というつもりで発言をしたのかもしれないが、「責任は国民判断」と言ってしh待ったがために、処分の線引きや説明について十分と感じていない国民としては「なんとも無責任な発言」と、感じ取ったのではないだろうか?

それだけではなく、今回の「自民党裏金問題」に関して、旧安倍派幹部と二階氏を政権から外すことで、問題を収束させ、自分に関係することについては話題にもさせたくない、という気持ちが透けて見えるような印象だ。
このような印象を持たれる方は、私だけではないと思う。
それを示すのが、ヤフコメの数ということになる、と考えている。

そしてこの「責任は国民判断」という言葉を受け、野党が解散要求をするのは当然だろう。
政治に対して国民が責任を負えるのは「選挙」しかないからだ。
その選挙も岸田首相は「時機を見て=自民党が選挙で勝てる」状況と考えているとすれば、当面総選挙はない、と考える方が自然だろう。
何故なら、今総選挙をすれば自民党が下野することが、想像できるからだ。
自民党のパートナーとなっている公明党にしても、今すぐ総選挙となれば、創価学会票の取りまとめが難しいかもしれない。
というのも、昨年創価学会会長の池田大作氏が亡くなり、その後の選挙態勢がどれほど準備できているのか、わからないからだ。
もっとも、池田大作氏自信は、数年前から姿を見せていなかったことから、創価学会内での権力集約はスムーズに終わっている可能性は高い。
だからと言って、今回の「自民党裏金問題」で、どれだけ創価学会票が集まるのかは、多いに疑問だ。
それらの状況を考えると、総選挙そのものはしばらく行わない、と考えるべきだろう。

では何故「責任は国民判断」と岸田首相は言ったのか?
それは、責任回避ということだろう。
岸田首相のいう「国民の責任」という点では、今回の裏金問題に名前の挙がった国会議員を選んだのは、確かに国民だ。
選挙という方法で、選んだのだから「国民に(も)責任がある」ということになる。
党や内閣の重要ポストに就かせる、ということは岸田首相の判断だが、その前に「選んだ者の責任」を問われれば、国民ということになるので「自分の責任ではない」という、言い訳は成り立つ、という判断なのだろう。

「自民党裏金問題」に限らず、岸田首相の様々な発言は「自民党をぶっ壊す」に十分値する内容が多い。
ということは、総選挙までの時間「投げられた賽」に対して、これまでの「恩や義理」を切り離し、熟考し有権者として回答を示すしか方法はないだろう。


テレビ番組が示す、生活の変化

2024-04-06 22:00:25 | ライフスタイル

現在のX(旧ツイッター)のおすすめポストに、変わった投稿が表示されるようになった。
その「変わった投稿」というのは、NHKがかつて夕方6時頃に放映をしていた「人形劇」の動画だ。
先日は、「ひょっこりひょうたん島」のオープニングだった。
その前は「プリンプリン物語」。
これらの番組を知っている方は、50代~60代だろう。
特に「ひょっこりひょうたん島」の放映が始まったのは、1956年。
それから約8年ほど続いた、今でいうなら長寿番組かもしれない。
放映時間も確か15分程度だったような記憶がある。

この「ひょっこりひょうたん島」の放映を切っ掛けに、夕方6時台は子供向け番組が組まれるようになったような記憶がある。
その中でも「ひょっこりひょうたん島」の大ヒットにより、後継番組は「人形劇」だったように思う。
しかも今にして思えば、豪華な制作スタッフだった。
「ひょっこりひょうたん島」の脚本を書いていたのは、井上ひろしさん。
オープニングアニメーションは、イラストレーターの九里洋三さんという、新進気鋭というか次の世代の表現を創りだした人達が、携わっていたのだ。
その後も「新八犬伝」では、人形作家・辻村ジュサブローさんが手がけていた。
この「新八犬伝」のヒットにより、辻村ジュサブローさんは人形作家としての地位を確立したと言っても過言ではないかもしれない。

このような毎日夕方になると、NHK総合では子供向け番組として「人形劇」が放映されていたのだ。
NHKアーカイブによると、「ひょっこりひょうたん島」以前に放映されたモノを含め1985年まで、夕方に放映されていたようだ。
NHKアーカイブ:人形劇リスト

そう考えると、1980年代半ごろまでは夕方6時くらいになると、多くの家庭の夕飯の時間帯であり、家族そろって食卓を囲む時間であった、ということになるだろう。
それが今現在、この夕方の時間帯は民放も含めニュースの時間帯となっている。
「人形劇」を見ていた子供たちは、塾等に通う為に人形劇等を見ることが無くなり、同時にそれは「(都市部を中心に)中学受験」が一般化し始めた、とも考えられるのではないだろうか?

それどころか、今の新聞のテレビ欄を見ると「子ども達が見る番組」そのものが、とても少ない、ということに気づく。
働くお母さんが増えたことで、朝放映されていた幼児向け教育番組は無くなり、代わりに登場したのが「情報番組」だろう。
今や子ども達の多くは「テレビを見ない」というだけではなく「子ども向け番組」そのものが、なくなってきているのだ。
昨今のテレビ(の視聴)離れの背景の一つに、「みたい番組・(親が)見せたい番組」そのものが、激減したことで「テレビを見ない生活」が当たり前になった、ということのようにも思えてくるのだ。

今後「ひょっりひょうたん島」のような、人形劇はもちろん情緒性のある物語を基にした番組がつくられることは、ほとんどないだろう。
何故なら、テレビ番組もまた「生活者の時々のライフスタイル」を反映しているからだ。