ゆで麺的生活

固くもやわらかくもない、ちょうど良い茹で加減でお願いします。

微分と積分

2008年03月23日 | 素麺
中学生の頃に、所謂「渋谷系」という文化に魅せられてしまったせいなのかどうなのか、結局どこまでいってもヘタレ文系なので、アイテムとしてあれやこれやと自分を構成要素に分解して並べることは異常に得意だが、じゃあそいつらひっくるめて全体として何なの?と問い詰められると、途端に言葉を失ってしまう、どーも僕です。

というような溢れ出す自意識に未だ苛まれている小粒者ですが。

この金曜日と土曜日、大学時代の後輩・同級生に会ってみると、まぁそれはそれで、こんな在り方も全然アリかもな、と思えてしまう環境に居れたこと、あるいはそれがまだ続いていることは、とても幸せなことだと感じるに至り、結構気分が良くなったので、今日は、海の見える公園まで散歩してきました。

子ども連れの家族に囲まれながら、寄せては返す波を眺めて、たそがれてきた一日の締めくくりは、ヘタレ文系らしくアマゾンに予約しておいた「めがね」のDVDを見ながらだんだんと眠くなることにします。

生ビールも忘れずに(もちろん、形而上的な意味での)。





日本海の2丁目

2008年03月17日 | 素麺
金沢駅から小松空港へ行く途中で、美川町というところを通ったのですが、町の入り口によくあるウェルカムボードが、例に漏れずこの町にもあり、その文言は以下の通り。


「美川 県一の町」


素なのか狙っているのかは、現在のところ明らかではありませんが、いずれにせよ、石川県も侮れないな、と、新たな気づきがあった週末でした。



二人乗りの仕方

2008年03月15日 | ちゃんぽん
自転車の二人乗りは、通常、後部に乗る人の乗り方によって、以下のような分類が可能である。


その1.友情型

後部の人は、立ち乗り。
両足は、後部車輪の中央にある(あるいは取り付けた)ネジにのせ、両手は、運転している人の肩に置き、背筋を伸ばす姿勢が一般的。
荷台がない自転車でも二人乗りが可能という点、運転手と同乗者の身体的接触を最小限に抑えられる点、そして、見た目にも幾何学的に美しいということが長所であるが、たびたび警察に注意される危険があるのが難点か。
そのため、血気盛んで警察の注意などものともしない、恐れ知らずのチョイ悪中学生および高校生が同性同士で乗車するというのが、このタイプの乗り方が適用される典型的シチュエーションであると言える。


その2.純情型

後部の人は、運転手に対して垂直の向きに座って乗車。
両足は揃えて、つま先を自転車の後方斜め下に向けるのが理想的とされる。両手は、運転手の腰に控えめに回し、触れるか触れないかのギリギリのラインが保てれば完璧だ。
大正時代、着物を着たおしとやかな淑女でも、その品格を失うこと無く、恋人との自転車逢瀬ができるように当時の政府によって編み出された、たいそう文学的な乗り方であると言える。
文学が凋落した現代においては、それでも文学的世界に生きている純情青年と純情娘が、恋人とのデート@荒川土手を夢想するシーンとして根強い人気を誇っているものの、実行に移す行動力がないため、目にする機会は多くない。


その3.欲情型

後部の人は、進行方向正面に向かって座す。
股を大きく広げ、両足は左右に放り出し、両腕は運転手の腰に回し、自分の胸部を運転手の背中に強く押し付ける。
この乗車姿勢からも容易に推察されるように、この乗り方は、貞操観念の薄れてきた現代の肉欲系女子が、同じく肉欲系の男性を虜にする手段としてかなりの効果が認められている。
ただし、この効果の程度は、女子の胸部の発達具合に比例するため、胸部が未成熟な女子はあまり旨味を享受できないのが哀しいところである。
アニマル化の進行が激しい現代では、異性同士の二人乗りは、ほとんどがこのタイプに分類される。


以上、見てきたように、自転車の二人乗りは、大きく3つのタイプに分類されるものと考えてきたが、最近、これらのどのタイプにも属さないニュータイプが登場した。

否、正確を期せば、乗り方そのものはその2.純情型なのであるが、乗車している人物の属性およびシチュエーションがまるで違うのである。
詳細は、以下の通り。


その4.母娘型

乗り方の形態は、純情型と同一。
後部の人は、齢35歳前後の女性であり、運転手はその母と思しき推定体重70キロの小太り女性。
毎朝、自宅から最寄り駅に娘を送り出す際に適用される乗り方である。
娘の乗り方は、純情型としてはこれ以上ないくらいに美しい。
二人は常に無言であるが、年老いた母と若さを失った娘、という奇異な二人の間には完成された世界が出来上がっていて、以前のエントリー「女子高生観察日記」に登場した女子高生と同様に、現実的すぎる朝の風景にあって、そこだけまるで映画のワンシーンのようである。


というようなことを思いながら、毎日を過ごしている私も、そろそろ人生の二人乗りを始める時期が来たようでありまして、明日からの週末は、素敵な自転車を買いに石川県まで旅立ちます。


時計をとめて夜待てば

2008年03月13日 | ラーメン
気がついたら、我が家の時計は、いつの間にか10分ほど遅れていて、直すのも面倒なのでそのままにしているのですが。

時計を少し早めている人をよく見かけますが、逆にわざと時間を遅らせている人は見たことがなく、それというのも、前者には、例えば「自然と5分前行動ができる」などという旨味があるのに対して、後者の方には、そうすることで得られる現実的なメリットが、これといって特にないからでしょう。

また、時計を買ってしばらくすると、時間が遅れていく、ということは良くある一方で、時間が進んでいく、という話はあまり聞きません。

この話からすると、人間は、

(1)未来に生きることからは利益を得るが、その反対に、過去の時間を生きることで不利益を被る
(2)ほっておくと、未来よりも過去の時間を生きがちになる

という感じにできている、ということになります。
そして、いかんせん私のような小者は、ついつい昔のことを振り返っては、小さなことでクヨクヨしてしまい、無益な時間を過ごしてしまいがちです。

この間、美容院にいった時、お姉さんが、「あまり大きな声では言えないんですが・・・最近、「小さなことでくよくよするな」という本を読んでます!」と明るく言っていたことが思い出されます。

このお姉さんや私のように、小者にとっては、未来に生きることはなかなか難しくはありますが、中にはしっかりと未来に生きている逞しい人もいて、例えば、会社の同期の福岡くんという人は、腕時計を40分ぐらい進めています。

しかし、そんな福岡くんが、現在時刻を知るために、時計を見るたびマイナス40分している姿を見るにつけ、過去を振り返ってばかりも良くないが、未来を生き過ぎるのも決して褒められたものじゃない、と思うわけです。

要は、未来を生きるにしてもほどほどに、ということで、明日から時計を10分進めた生活を送ろうと思いましたが、数ヶ月前に腕時計が止まったまま、腕時計をしない生活をしているのを思い出し、なるほど結局やはりそういうことか、と妙に納得したので眠りにつくことにします。

おやすみなさい。

女子高生観察記録

2008年02月07日 | 素麺
朝、駅までの道々でよく見かける、とある女子高生。

耳まですっぽり覆われるニット帽をかぶり、白いダウンジャケットを羽織り、つつも、履いているプリーツスカートの丈は十分すぎるほどに短い。
そして、そのスカートから、細くて綺麗な生足が出ること、実に二本。

どこか非現実的な彼女の姿。
現実に支配された朝の風景とは対照的である。

今朝も、そんな彼女を見かけた。

いつもとは違い、ずいぶんと周囲に溶け込んでいる。
隣に連れ立っているのは、父親と思しき男性。
何となく互いに少々よそよそしい感じではあるが、会話を続けている。

振り返ってみるに、親と一緒に通学する、というシチュエーションは、何とも言えない、気まずさ、むずがゆさがあった。

お互いに「親」あるいは「子ども」という家族の一構成員から、例えば「部長」とか「生徒」という社会的な役回りへと切り替わる、その中途な場所で、一体どんな顔して何を話せばいいのだろうか。

それで、たいていは、どうでもいいようなことを二、三交わした後で、それぞれ黙って、完全に別の“顔”になるのである。

時は流れ、彼女もまた、彼女の父親と無言のまま別れた。

今になって思えば、そんなに意識するようなことでもないし、「あの時は若かった!」と言うのも簡単なのだが、それゆえ、彼女とその父親の別れ際は、とても「ブンガク的」であったりする。

そして、そんなことを少しずつ積み重ねていくことが、実は“生きてる”という感じなのではないだろうか、と思ったりするのだ。

水玉パンツでランニングマシーン

2008年01月07日 | 素麺
株主優待券があって無料だったので、近所のKONAMIスポーツへ行ってみました。

ひとまずエアロバイクを使って体力測定をしてみたら、なんと74歳!!

昨年末、仕事が少し忙しくなると、すぐにヘバって勉強する時間を確保できなかったのは、このしょぼい体力が一因だったのか。
これでも、中高時代はハンドボールをやっていて、持久力はある方だったんですが、いかんせんブランク長過ぎて、やはりダメですね。

しかし、体を動かして汗を流すのはいいもので、9連休の最後を気持ちよく締めくくることができました。

今年は、細木数子的にも相当調子良いらしいので、明日から本格的に始まる2008年を前向きに、面白くしていこうと思います。

鏡の前

2007年10月11日 | ちゃんぽん
どうでもいい話ですが。

たまにオフィス近辺の割と古めのホテルのランチバイキングに行くんですけど、この間初めてそこのトイレにいったら、何故か、小便器がくっついている壁が鏡張りになっていて、なので、否応無しに放尿している最中の自分の顔を見ながら放尿してする、という人生初の体験をしました。

放尿している自分の顔にどうリアクションをとっていいか分からず、つい照れ笑いをしてしまった僕は、やはり典型的な日本の人だということを再認識しました。

最近は、前面がガラス張りになっているトイレが流行っているようで、僕も一年くらい前にそれを体験して、それはそれで、大地に向かって放っているという開放感があって良かったのですが、今回の鏡張りトイレは良い点が全く感じられませんでした。一体、何の意図があって鏡張りなんだろうか?
従業員が、いかなるときもスマイルを欠かさないために、放尿中でも鏡を見てスマイルの訓練をするためだろうか?
それとも、なんとなく辱めを受けている感じがクセになるかもしれない宿泊客のリピートを狙っているのだろうか?

とにかく謎は深まるばかりですが、一度体験してみるのは良いと思うので、興味を持った奇特な人は、場所教えますので、私にご一報下さい。

チャオ!

安倍川餅よりはチョコボールの方が。

2007年09月19日 | うどん
臆面もなく言ってしまいますが、この歳になっても、僕は政治というものに全く興味関心を持てません。
今も巷では、安倍首相の突然の辞任劇で、やいのやいのやってますが、そんなことより、正直、我らが中日ドラゴンズの試合結果の方が1億倍気になってしまいます。

そんな感じで、これまで過ごしてきたのですが、実は最近、このまま政治に関心のままではいかんのじゃないか、と思わされる、ちょっとした事件がありました。

今、僕が主にいるオフィスのフロアには、もう一つ別の会社が入っていて、その会社は西洋の航空会社なので、トイレにいくとたまに西洋人の方がいて、隣で用を足すことになるわけですが、ミーハーな僕としては、いけないとは思いつつも、ついつい西洋人のイチモツがどんなもんなのか気になってしまうわけで、さりとて「エクスキューズミー、プリーズ、レットミーシーユア・・・オーケー?」などと西洋人相手に強気の交渉に出られるほど大物ではなく、そうはいってもやはり気になるので、恐る恐る横目でチラ見して、なんとかその実態を把握しようと試行錯誤しているわけです。

しかし、やはりチラ見はチラ見、限界があります。
好奇心は募る一方で、真実は一向に明らかにされない日々が続き、このままでは、気になって気になって業務に支障が出てしまうすんでのところまできてしまっていました。

そんな折、少しでも気晴らしになればと、先週末に、調布市にある深大寺温泉に行ってきたんですが、なんとそこでは西洋人が素っ裸で温泉にはいっているではありませんか!
西洋人といっても、所謂チアリーダーと付き合ったことないような感じの文化系だったんですが、とりあえず西洋人には違いないということで、早速リサーチを開始しました。

その文化系西洋人から少し離れたところで温泉に浸かること約10分・・・・
ついにその文化系西洋人は、立ち上がり、そのイチモツを露にしました。


結果



でかい・・・。で、でかすぎる・・・。

そりゃ、西洋人が出演しているエロティックな映像で、西洋人のデカさは認識していましたが、彼らはあくまでその道のプロであり、肉体も日々鍛え上げられている、いわば一等兵なわけで、いくら西洋人とはいえども、一般人はそんなにでかくはあるまい、と淡い期待をしていたのですが、文化系西洋人ですらあのデカさ・・・まさにこれがワールドクラス。

「西洋人は通常状態は、日本人の戦闘状態に等しいかそれ以上である」という現実を目の前に突きつけられた今、もうこれ以上政治に無関心ではいられまい。
このままの戦闘力では、西洋人に攻め込まれたらあっちゅう間にやられてしまう。
西洋人と互して戦うには、日本の軍事力はあまりにも低い・・・
憲法9条なんて後生大事に守ってる場合じゃない、政府は今すぐ改憲して、軍事力の増強をはかるべきだ!
中教審は、円周率を3.14に戻す!とかそんな細かいことをネチネチとやってる場合ではない。
いま、育てるべきは計算力でも自分で考える力でもなく、もちろん愛国心なんかでは当然なく、唯一イチモツだけである!

というわけで、もちろん、総理大臣は、福田でも麻生でもなくて、チョコ氏で決まりだ。
鷹さんには文科大臣になってもらい、是非徹底した軍事教育を展開していただきたい。
経産相は、高橋がなりあたりに任せたいところだ。
そして、外務大臣は、我らが誇るエロテロリスト、インリン・オブ・ジョイトイで内定。
ただ、厚労相だけは舛添のままでいい気がするのは何故だろう・・・

という具合に、これまでは政治には全く関心のなかった僕ですが、西洋の航空会社とあの文化系西洋人のおかげで、我が国日本の戦闘力の危機感を肌で感じ、政治についても少しずつ興味を持つようになりました。
日経新聞の政治面もとばさず読むようにしよう。

ただ、もちろん、政治が良くなったところで、国民一人一人の意識を変えなければ、決して国は良くならないので、僕個人としても来るべき西洋人とのファイトで勝利を収めることができるよう、日々研鑽を積み、戦闘力を高め続けていきたいと思います。皆さんも頑張りましょう。押忍。

髭と口紅とバルコニー

2007年05月19日 | 素麺
僕は、髭があまり生えません。
髭に限らず、頭髪と鼻毛を以外の体毛全般は、あまり生えません。

小さい頃は、大人になったら勝手にボーボーになるもんだと思ってましたが、大人になっても、状況はさして変わらず、申し訳程度にちょろりと生えるくらいで、下手したら僕なんかより髭生える女性もいるんじゃないでしょうか。
そんな僕に限って、The Bandなどおっさんくさい音楽が好きなので、あんな髭を一度でいいからたくわえて、味噌汁飲む時に勢い余って髭をつっこんでしまう、みたいな典型的なボケをかましてもみたいのですが、いかんせん、肝心な髭は一向に生える兆しを見せず、悔しい思いをしてきました。

なので、これまでは学生だったというのもあり、髭を剃るのは一週間に一回くらいで済んでいたんです。
もちろん、電気ひげ剃りなどは無用の長物で、しょぼい髭剃りを使って手動で。
しかし、一応、これでも働きに出るようになると、多少身だしなみにも気を使うようになったので、まぁ、四月からは二日か三日に一回は剃るようにしてたわけです。

で、そうやって頻繁に剃るようになると、不思議なもんで、なんとなく髭がよく生えるようになった気がするんです。
よく生えるようになっただけじゃなく、生えてくる毛も太くなったような気もします。
そんな感じになってきたので、GWに実家に帰った時に、「これだけ髭が生えるようになったんだから、そろそろ電気髭剃りを使ってみようじゃないか」と思い立ち、父親のを拝借して、人生で初めて使ってみたのです、電気髭剃り。

そしたらね、もうね、すごいのね、電気髭剃りって。

一瞬で綺麗に剃れてしまって、大変感激しました。
手で剃る時間の半分もかからずに、お手軽に目的が達成できちゃうんです。
朝は時間が1分でも惜しいので、これは革命的!と感心して、そんなわけで、電気髭剃りが、僕の「欲しいものリスト」に見事ランクインしてしまったのです。

これまで、僕の「欲しいものリスト」にランクインするものと言えば、ビーチボーイズのボックスセットとか、中日ドラゴンズの優勝記念DVDとか、そんな類いのものばかりだったので、電気髭剃りがランクインした時には、「あぁ、自分もついに大人になってしまったな、これが大人ってやつか・・・大人って、大人って。。。」と妙に感慨深く、しみじみしてしまいました。

で、今日、同期と昼ご飯を食べにいった時に、「6月のボーナスで何買う?」みたいな話になって、僕は、真っ先に「電気髭剃り」が頭に浮かんだのですが、夢のない小さいやつだと思われそうで嫌だったので、とりあえず「やっぱ、南の島に行くっしょ!」と心にもないことを言ってしまいました。

けれども、やはり自分には嘘をつけません。
6月のボーナスまで待てません。

今週出たばかりの給料を握りしめ、明日は電気髭剃りを求め、街へ繰り出そうかと思います。

散歩日和

2007年03月22日 | 素麺
カレンダー的には休日なので、昼過ぎに漸く起き出し、溜まっていた洗濯物を片付けたり、ベランダから公園で遊ぶ子どもを観察したりして過ごす。
夕方からは、なんとなく近所を散歩することにした。

駅の近くに、ちょっと小洒落た美容院が出来ていたので、入ってみた。
開店セールらしくて、安く切ってもらえた上に、コーヒーまで出してくれて大満足。
メガネとコンタクトを作ろうと思って、二軒ほど店を覗いてみたけど、どちらも店員が胡散臭い感じがしたので止めにした。

その後、中華を食べて、BOOK OFFで3時間くらい立ち読み。
で、105円の文庫本を何冊か購入し、帰宅後、読書しました。

うーむ、非常に充実した、贅沢な一日であった(く、暗いな、自分・・・)。


購入した本

『水曜の朝、午前3時』 蓮見圭一
『白河夜船』 吉本ばなな
『午前零時の玄米パン』 群ようこ
『入社3年目までに勝負がつく77の法則』 中谷彰宏
『人はなんで生きるか』 トルストイ
『不道徳教育講座』 三島由紀夫
『斜陽』 太宰治


明日は、学位授与式です。しかし、朝9時開始ということで、出席は相当危ぶまれるのが、ちゃんと区切りをつけるためにも何とか頑張って行きたいと思っています、今のところ。
ちなみに、危惧されていた単位漏れもなかったようで、無事修了できていました。

これも皆様の愛の力によるおかげです、ありがとうございます。