熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立劇場:歌舞伎・・・鬼一法眼三略巻

2012年12月11日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の国立劇場は、吉右衛門の当たり役である一條大蔵卿長成の素晴らしい舞台を鑑賞できるばかりではなく、「菊畑」では、初役だと言う重厚な吉岡鬼一に挑戦すると言う歌舞伎ファンにとっては、堪らないほど魅力的な舞台である。
   一條大蔵卿については、これまで、吉右衛門の舞台も鑑賞しており、菊五郎や勘三郎の舞台も観ていて、非常に楽しみな演目であったのだが、今回は、特に吉右衛門の鬼一法眼の方に注目して観ていた。

   この「菊畑」は、鬼一屋敷の奥庭の素晴らしい菊花壇が舞台なのだが、鬼一の所持する兵法の奥義を記した六韜三略の虎の巻を手に入れようと、牛若丸(梅玉)が寅蔵に、吉岡鬼三太(又五郎)が奴知恵内に名を変えて奉公人として侵入していると言う設定で、話が展開する。
   ところが、この歌舞伎の舞台では省略されているのだが、浄瑠璃では、この菊畑の後半で、牛若丸に鞍馬山で拳法を教えた「大天狗僧正坊」が、実は、鬼一であったことが明かされるので、芝居の冒頭から、鬼一は、二人の素性は知っていたのである。
   歌舞伎では、一応、このことと、鬼一と鬼三太が兄弟であることをお互いに知らずに、腹の探り合いで会話が展開されているように思われているのだが、知らぬのは、牛若丸と鬼三太の方である。
   ただ、鬼一は、娘皆鶴姫(芝雀)のお供を途中で投げ出して帰ってきたと言うつまらないことで、寅蔵を、知恵内に打擲するよう命じるのだが、これは、例の勧進帳の弁慶のケースと同じで、確認するためであった。

   この口絵写真のように、白髪で素晴らしい衣装を身に纏った鬼一が、奥庭の素晴らしい大菊の咲き乱れる菊花壇を、多くの奥女中にかしづかれて、正に泰然自若、悠然と歩を進めて、菊を愛でる情景は、一幅の絵画を見ているようであり、風格のある吉右衛門の芸が光る。
   塵一つなく完璧に掃除された菊花壇に比べて、雑木林には一履きの箒も入っていないのを咎めた鬼一に、楓白樛木などは、落葉を鑑賞するのも一興と知恵内が答えたのに対して、”小分別もある奴を、なぜ智恵内(知恵無い)とは名付けたよな”と言うところが面白いが、その後、
   鬼一は、熊野の同郷であることに触れて、血を絶やすことは先祖へ申し訳ないので、父が、長男・鬼一法眼は、戦勝者「平家」へ、次男鬼次郎・三男鬼三太は、恩ある「源氏」の為に生きよと、運命を分けたことを語るのだが、口まで出かけた兄弟の名乗りに知恵内は口を噤む。

   この菊畑の場では、奴の知恵内が主役とも言うべきで、身分が低いにも拘らず、大きな顔をしていて、鬼一と渡り合い、ぞっこんの皆鶴姫と、寅蔵の中を取り持とうとする知恵内のコミカルな演技が秀逸で、又五郎の持ち味十分の大車輪の活躍が見ものである。
   芝雀の癖のないたおやかな娘姿も中々のもので、死を覚悟で寅蔵に体当たりする決死の思い入れの強さも示して好演している。
   梅玉の寅蔵は、本人が、”虎蔵は若衆の代表的な役で、若さや色気が必要です。もちろん平家打倒の気持ちは持っていますが、古典らしく、舞台に出たときにいかにも牛若丸らしい雰囲気を出せればと思います。”と言っているように、非常に若々しくて艶やかな演技と毅然たる演技とを、鬼一の面前と、鬼三太の面前とでの主客転倒で、メリハリをつけていて面白く、魅せてくれる。
   悪役の笠原湛海を演じた歌昇は、父親譲りの中々パンチの利いた迫力のある演技で面白い。

   ところで、この菊畑の浄瑠璃での結末だが、巻物を奪うべく鬼一との対決を決意した寅蔵の前に、大天狗僧正坊姿で現れた鬼一が、真相を語り、皆鶴姫に、好いた婿殿に託せと虎の巻を手渡して、割腹して、三人を見送る。
   次の段は、「五条橋の段」で、あの有名な牛若丸と弁慶の五条大橋での華麗な戦いの場が展開されるのである。

   さて、次男の鬼次郎(梅玉)が登場するのが、今回の歌舞伎の終幕「檜垣・奥殿」、すなわち、「一條大蔵卿」である。
   この舞台の冒頭は、鬼三太と女狂言師に化けた妻お京(東蔵)が、大蔵卿に嫁いだ常盤御前(魁春)が平家追討の意思を持っているのかどうか、その真意を探るために、勘解由(由次郎)の妻鳴瀬(高麗蔵)の手引きで、大蔵卿邸に入り込もうとするのだが、
   舞台中央の門から、ひょろひょろ躍り出る阿呆すがたの吉右衛門の一條大蔵卿の何とも言えない大らかで天衣無縫な表情が、一気に観客の心を掴む。
   徹頭徹尾、ハムレットを装う作り阿呆の大蔵卿なのだが、吉右衛門の表情は、演技とも思えない程真に迫った阿呆姿で、藤山寛美ばりの熱演である。

   ところで、吉右衛門は、自著「歌舞伎ワールド」で、”大蔵卿が作り阿呆であざむこうとした本当の相手は、世間ではなく、大蔵卿自身だと思います。”と書いている。
   平家打倒に自分も参加したいのだが、下手に動いたら危ない、自分の武芸の才を封印せざるを得ない無念さに耐えねばならない二重構造に苦悶する心は、抑えようもなく、どうしても舞台に出て来ると言うのである。
   裏切り者の勘解由を、御簾の裏から「不忠の家来め!」と槍で突き刺し、衣装を変えて異議を正して颯爽と登場する姿が、本来の大蔵卿なのであろうが、
   阿呆にかえって、勘解由の首をボール遊びのように投げあげて、思いっきり破顔一笑する幕切れの、その表情に、どこか陰のある泣き笑いに似た影が漂うのは、それが現れているのであろうか。

   一條大蔵卿については、この舞台のような阿呆ぶりの記録はなく、妻の常盤が義経の実母であったが故に、そして、奥州平泉の藤原秀衡の庇護を受けられたのも、縁戚にあった大蔵卿の口添えがあったからとも言われているなどで、このように興味深く脚色されたのかも知れないが、非常に面白い話である。
   とにかく、この舞台は、正に、吉右衛門の独壇場の舞台で、愛嬌のある底抜けの阿呆ぶりと言い、颯爽とした風格のある重厚な大蔵卿と言い、素晴らしい舞台であった。
   魁春が、中々気品のある毅然とした素晴らしい常盤を演じていて、日頃とは違って、今回は非常に美しいと思って見とれていた。
   鬼次郎の梅玉は、うってつけの当たり役だと思うのだが、妻お京の東蔵も、こう言う役を演じると実にうまく貴重な存在であり、勘解由を演じた由次郎の性格俳優ぶり、鳴瀬の高麗蔵の手堅くツボを押さえた冴えた演技など、わき役陣の活躍が、舞台の魅力を増している。

   
   ところで、最近は、能楽堂に通うことが多くて、開演時間を、1時と間違って、残念ながら、冒頭の「六波羅清盛館」をミスってしまった。
   日を間違って劇場に行ったり、忘れてしまったり、最近は、電車の遅れも多くて、劇場通いも大変である。

(追記)中村勘三郎追悼!
勘三郎の歌舞伎を初めて観たのは、もう、20年も前のロンドンで、可愛かった勘九郎と七之助と一緒の「春興鏡獅子」と、玉三郎との「鳴神」。それ以降、随分楽しませて頂いており、感謝に耐えない。
もう、20年以上は頑張って貰えたはずで、日本の古典芸能のみならず、日本文化の発展のためには、大変な損失であり、残念で仕方がない。
ご冥福を、心から、お祈り申し上げます。
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