北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】立本寺-観桜,一年に一回出会えるか出会えないかの絶景

2024-04-27 07:00:29 | 写真
■偶然の一瞬との出会い
 こういう構図を撮影したいからこそ重いカメラを何台も収めたカメラバクを担ぎ持ち歩くのです。

 立本寺、伽藍とともに撮影する情景は意図せず企図せずものすごい感性に投げかける情景を撮影する事があるのですが、この一枚はおそらく一年に一枚というような情景かもしれません、建仁寺で偶然撮影しました情景や仁和寺で偶然見つけた構図に並ぶと思う。

 伽藍の人工的な、しかし確実に寺院の情感を秘めた構図が満開の花々に覆われている、中世の宗教画のような情景の中に夫婦二人がぽつんと、しかし温かみとともに観桜を、という様子は、偶然撮影した何枚かの一枚に有りました一枚なのですが、よく映っていたもの。

 日常というものの代えがたさという一枚のような構図でしたが、例えば市バスが西大路通を行くとき、例えば三条大橋を京阪から阪急に乗り換えるとき、例えば大宮へ買い物に出るとき、見過ごしているようで素晴らしい風景は日常のすぐ隣にあるのかもしれない。

 寺院を拝観しているのか、情景を愛でているのか。こうとわれますとわたしは本格的に困ると思う、これは観桜なのか拝観なのか、と問われても同様に困るのだけれども、こうした情景を偶然でも撮影できるというのは、ご縁といいますか、やはり拝観なのだろうなあ。

 宝永大火という、京都も江戸のように度々大火に見舞われてきた歴史があるのですが、この西暦1708年の大火に際して、とうじ立本寺は京極今出川にありましたが、堂宇の多くを焼かれてしまいまして、祖師堂、開祖廟、鐘楼堂、本堂前井戸屋形、経蔵等は焼け残る。

 本堂は寛保3年こと西暦1743年に当地で再建されたもので、京極今出川にあった焼け残りの建物を移築するとともに、18世紀後半の天明年間にかけて順次当地で再建されていったという。建物は比較的新しいものとはいえ、それを超える風情の様なものがあります。

 観桜の名所は数あれど、なんていうきざな表現ではなく、おそらく古刹名刹にさくらの季節が訪れた、なんていう感覚の方が近いのかもしれませんね。それは四季とともに紡がれる歴史の一幕を拝観という形を通じてみている、という説明がいちばん納得できるもの。

 天文法華の乱に洛中法華二十一寺と妙顕寺、なにかこう戦国乱世的な話題のほうでこれまでに説明してまいりましたが、天台宗と日蓮宗の全面衝突は圧倒的な兵力を誇る僧兵による天台宗の動員力にはやはり民衆の支持集める日蓮宗といえども及ばなかったという。

 洛中法華二十一寺は灰燼に帰しましたが、天文年間といえば既に町衆の勢力も強く、日蓮宗寺院の多くは堺に避難しています。そして天文11年こと西暦1542年、時の後奈良天皇は法華宗帰洛の綸旨を示すところとなりまして、漸く日蓮宗寺院帰京が許されたのです。

 後奈良天皇の論旨、この際に堺から戻る寺院には時間差がありまして、ここで妙顕寺と立本寺が分立することになった、といわれています。ただ、四条櫛笥と三条坊門堀川に五条大宮と御溝傍今小路、妙顕寺は天文法華の乱以前にも何度も天台宗により焼かれています。

 四条櫛笥と三条坊門堀川など焼かれる都度、場所を移して再建されているのですけれども、この際に既に妙顕寺と立本寺が分立している、つまり妙顕寺が焼かれた際に塔頭寺院のような関係ではなく本坊を二つに再建したという解釈もできるようでして、おくぶかい。

 今年は桜の季節が速かった、梅花を愛でていたと思いましたらばすぐに桜花が、しかもいきなり遠く東京が満開になったと思いましたら追うように京都も満開に、しかし桜の季節は満開の報道から楽しめる満開の頃合いまで意外と長く、散策を楽しめました次第です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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令和六年度四月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2024.04.27-2024.04.28)

2024-04-26 20:12:54 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
ゴールデンウィークがいよいよ始まりますが皆様連休の予定はお決まりでしょうか、連休は混雑するところも多いのですけれども自衛隊行事等もいくつか予定されていますのでお近くのかたは是非どうぞ。

 第14旅団創設18周年善通寺駐屯地祭が4月28日の日曜日に行われます、全国で最初に即応機動連隊を編成した旅団でして、第8師団の改編と第14旅団の改編で即応機動連隊が一日違いでふたつ新編されたという、自衛隊の歴史の戦車からの転換点を示すような旅団改編となっていましたが、大量の16式機動戦闘車配備に国家の本気を垣間見たおもいです。

 善通寺駐屯地祭は観閲式と観閲行進に訓練展示という予定であり、訓練展示は模擬戦闘を行うとのこと。過去には第15即応機動連隊を中心に観閲行進を市街パレードの形で実施した事が有りまして、善通寺市の地名の通り善通寺の五重塔を借景に迫力ある行進を撮影出来ましたが、音階は市街パレードではなく駐屯地での観閲行進を行うかたちというもよう。

 中部方面混成団創設17周年大津駐屯地祭、明日4月27日に予定されています。昔撮影しました際の第2教育団は中部方面混成団となりまして早くも17年、教育大隊に加えて即応予備自衛官主体の第47普通科連隊と第49普通科連隊も隷下にありまして、昨年は同じ滋賀県は今津駐屯地より展開した16式機動戦闘車とともに訓練展示を行っていました。

 大津駐屯地祭ではポスターに“戦車の太淵市場はございませんので予めご了承ください”と、そりゃあ戦車部隊はもう本州の師団旅団には無いのですからと思いつつ、この書き方は将来的には富士学校の機甲教導連隊から式典に一両や二両は参加する事もあるのかなあという期待です、只この代りに高機動車体験試乗が行われるとのこと、自衛隊体操も凄い。

 関東補給処創設26周年霞ヶ浦駐屯地祭、日曜日4月28日に予定されているのですが、なにをやすのかポスターは文字だけで何をやるのかは明確にされていませんが、航空学校霞ヶ浦分校も置かれていますので航空祭の良なものとなるのか、フォークリフトだけなのかは不明です。飛行場地区は1200時から、本部地区は0900時かた開放されるとのこと。

 鹿追駐屯地創設67周年記念行事、4月27日に予定されています。第5戦車隊が駐屯している駐屯地、90式戦車を装備している戦車部隊です。かなり移動が難しい駐屯地ですが、前に第5旅団祭に言いました際に帯広駅バスターミナルを観ましたらば鹿追行バスという路線が運行されていまして、周りには温泉などもあるという心躍る地名といえますね。

 第5戦車大隊は戦車隊に拡大改編された後で戦車大隊に縮小改編され更に戦車隊に縮小改編という、自衛隊にとって隊という名称が便利に使われている事を示すような難しい歴史の戦車部隊です。地名の鹿追とはウサギ追いし、と童謡のような牧歌的な響きではありますが、ヒグマが鹿を追っているという。任務は道東へのロシア軍侵攻を叩き潰すこと。

 多賀城駐屯地創設70周年記念行事、4月27日土曜日に予定されています。第22即応機動連隊の駐屯地となっていまして観閲行進や訓練展示では即応機動連隊らしい大量の装甲車両による展示が期待できるところです。駐屯地へはJR仙石線多賀城駅からシャトルバスが運行されるもよう。16式機動戦闘車の空包射撃は74式戦車並の迫力、ご期待を。

 金沢駐屯地創設74周年記念行事は4月28日に行われます、第14普通科連隊の駐屯地祭となっていますが、ポスターを見る限り師団の新装備である16式機動戦闘車は参加しないようでして普通科部隊の直接火力支援を担う昔の60式自走無反動砲のような装備を新しく開発するか、対装甲戦闘能力を多少持つ30mm機関砲装備の装甲車を配備してはとおもう。

 久留米駐屯地創設72周年記念行事、明日4月27日開催予定です。西部方面混成団の駐屯地なのですが此処は戦闘部隊も数多く、元々は第4特科連隊等も駐屯していました、ただ第4特科連隊は西部方面特科連隊第二大隊と第四大隊となっていますので連隊旗などはもうありません、そして第二大隊は玖珠駐屯地に移駐しているといい、規模は減っている。

 西部方面混成団は隷下に即応予備自衛官主体の第19普通科連隊と第24普通科連隊が配属されていまして、第19普通科連隊は福岡駐屯地と第24普通科連隊はえびの駐屯地に駐屯しているのですが式典に参加、この他に第4師団隷下部隊として第4高射特科大隊等が駐屯しています。また、4月27日には函館駐屯地観桜会も予定されているとのことでした。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・4月27日:鹿追駐屯地創設67周年記念行事
・4月27日:函館駐屯地観桜会
・4月27日:多賀城駐屯地創設70周年記念行事
・4月28日:関東補給処創設26周年霞ヶ浦駐屯地祭
・4月28日:金沢駐屯地創設74周年記念行事
・4月27日:中部方面混成団創設17周年大津駐屯地祭
・4月28日:第14旅団創設18周年善通寺駐屯地祭
・4月27日:久留米駐屯地創設72周年記念行事

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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ウクライナ情勢-夏季攻勢でハリコフ侵攻の懸念,チャシブヤールへの威力偵察を開始

2024-04-26 07:00:22 | 防衛・安全保障
■防衛情報-ウクライナ戦争
 デンマークとアルゼンチンのF-16報道を見た際にはちょっと待ってくれウクライナいいじゃあないのかと訝ったものですが。

 デンマークの駐ウクライナ大使館オーレエグベリミケルセン大使はF-16戦闘機のウクライナ供与確約をウクライナテレビ局の番組において語りました。これによれば大使はデンマーク空軍が現在導入するF-35戦闘機の配備により退役するF-16戦闘機全てを約束通りウクライナに配備されるのでウクライナ国民は心配する事はないと発言しています。

 デンマークのF-16戦闘機については、一部報道でデンマーク空軍の中古F-16戦闘機24機がアルゼンチン空軍に売却されるというものがあり、アルゼンチン空軍もフォークランド戦争後のイギリス制裁措置により全く戦闘機を導入できない状況が続いておりF-16を必要としている事から、ウクライナ供与へのアルゼンチンへの売却影響が懸念されていました。
■ハリコフを狙う
 74式戦車やFH-70榴弾砲を日本は廃棄するくらいならばウクライナは無理にしてもウクライナへ武器供与を行い兵器不足に陥っている国へ供与してはと思うのですよね。

 ロシア軍は夏季攻勢においてウクライナ東部のハリコフを狙う可能性が高まってきました、これはISWアメリカ戦争研究所が4月19日に発表したもので、ロシアのラブロフ外相が19日にロシアのラジオインタビューに答えた際、プーチン大統領がハリコフを含む非武装地帯をロシアとウクライナの間に構築する構想を示したと発言したものです。

 ハリコフへのロシア軍侵攻の懸念はウクライナのゼレンスキー大統領も危惧しており、一方でハリコフはウクライナ第二の大都市であると共に高度に防衛されており、ロシア軍にとりその攻略は非常に困難である事も確かです。現在ロシア軍はチャシブヤールへの攻撃を強化していますが、これがかりに成功したとしてもハリコフは遠すぎるのが現実です。
■チャシブヤール威力偵察
 74式戦車の供与が必要だと考える一方でもう一つ付け加えますと74式戦車は完全退役しており仮に技術情報が漏えいしたとしても問題はないように思うのです。

 ロシア軍はチャシブヤールへの威力偵察を開始しました。ISWアメリカ戦争研究所4月22日付戦況報告によれば、ロシア軍はチャシブヤールの南東17km地域にあるオザリャニフカに進出しており、またアウディイフカ北西に進出した部隊は近郊のオチェレティネを占領中との事、これはチャシブヤール周辺での威力偵察が開始されたことをしめします。

 ウクライナ軍前線報道官ヴォロシン中佐の発言として、ロシア軍はチャシブヤール周辺へ20000名から25000名の部隊を集結しているとしています。チャシブヤール攻撃は、最終的にハリコフ攻撃へ戦果を拡大させたいものと思われ、ロシア政府はハリコフ市民へ退避勧告を出すと共にテレビ塔などの象徴的な建物へのミサイルと航空攻撃を強化しています。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【G3X撮影速報】岐阜基地航空祭2023【7】岐阜基地北側会場!ブルーインパルス展示飛行(2023-11-12)

2024-04-25 20:15:43 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■航空祭大団円
 岐阜基地航空祭も大団円へ向かう。

 ブルーインパルスの飛行展示もいよいよ最終盤にはいってきます、いろいろありましたが航空祭名物お化粧室渋滞に巻き込まれて一時はブルーインパルス撮影も難しいかと危惧したのですが、まあ、何とかなったということで由としなければならない。

 垂直系の展示飛行は曇天では視界不良により中止されてしまいますから、それでもまわりから、わあっ、というような歓声が上がる様子とともにT-4練習機の限界を示す最大限の飛行展示をみていますと、航空祭が日常に戻ってきたことを実感できるのだ。

 航空祭というのは天候に左右されるのだなあ、ということは毎回知識として走っているのですけれども、曇天の航空祭でも苦い経験はいつしか上書きされて快晴の航空祭という記憶がのこるものでして、しかし改めて曇天の航空祭を探訪しますと、ああ。

 曇天、南側会場は順光というのが売りなのだから、滑走路回って曇天のままだと残念な気分となるのですが、それでも人口密度はメイン会場ほど凄いことにはなっていませんので、ほぼほぼ最前列を確保できましたが、メイン会場の混雑は凄いですよね。

 岐阜基地航空祭、実のところ航空祭全般にいえることなのですけれども、ブルーインパルスが飛行展示を行う場合は、ざっと四万から五万ほど来場者が増える、という印象です。一万の誤差は周辺人口により左右されるというところなのですけれども。

 混雑の度合いは、南側会場からも有る程度みえていました、滑走路に着陸した航空機と管制塔やメイン会場の地上展示航空機を構図に含めて航空祭らしさを演出しようとしますと、おお混雑が凄いんだなあ、というのはと梅にもわかりますから。

 滑走路脇の最前列、というものをこのメイン会場で狙いますと、それはもう大変なことになるのですが、岐阜基地と小牧基地、日常的に撮影する基地の場合は無理に最前列へ行かずとも後ろのほうから撮影すると、混雑している航空祭、という情景が。

 満員御礼、そんな言葉がありますが実際のところここまで混雑していると、いろいろな視点を通り越してもはや潔い、いや心地よいなんていう情感がわき起こります、けれども地上展示航空機を撮影するにはここを横断しなければならないのだなあ。

 T-4練習機の続々と着陸する様子を望見する。岐阜基地航空祭はなにが公開されているのか、地上展示のなかにXASM-3やJDAMなんかが初公開された場所が岐阜ですから、地上展示をしっかり撮影しなければ後々に、出ていたのか、と驚き残念に思うことも。

 格納庫のなかを順番にみてから、そして航空機の方をみるか。あまりのんびりしていると格納庫の一般公開が終わってしまうけれども、問題はこの観衆をかき分けて移動するのは難しいので混雑していない側を、凪をみて撮影に移動することかなあ。

 岐阜基地航空祭、基地の規模としては巨大すぎるものではないのですが、なにしろ見所が覆い基地ですし、それ以上に滑走路の北側と南側を移動できる航空祭というのはそれほど多くありません、それでいて南北とも見所がおおいだから忙しい。

 航空祭は体力を使うのですけれども、配備されている航空機の種類も多いものですし、異機種大編隊というここでしかみられない展示もありますから、帰路にいっぱいやりに寄ってみてグラスを片手に写真をカメラでみるだけでも、達成感を感じられるのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】立本寺-観桜,洛中法華二十一寺は松本問答を経た天台宗と日蓮宗の全面対決

2024-04-25 07:00:11 | 写真
■いまはさくらが誇る
 こころと信仰の解釈を巡る対立というものは今なお世界を巡りますが中世には日本でも例外ではなかった実情があります。

 立本寺、このお寺の歴史を深く知るには日蓮宗の理解も開山となりました鎌倉時代の日像さんの歴史も一通り興味深い歴史を讃えているのですが、なにより洛中法華二十一寺と天文法華の乱という歴史を踏まえておきますと奥深さと難しい日本史の一端がみえる。

 松本問答という、今でいえば問答という話し合い的な要素ではなくこれは暴行に入るのではないかなあ、論破しただけでさやに収めればよかったもの、ともいえる一つの事件を契機に天台宗と日蓮宗が全面対決となります、天台宗は日蓮宗の法華宗自称も反発していた。

 天文5年こと1536年、天台宗からの報復を恐れた日蓮宗宗徒は相国寺を占領し陣地構築を開始、この陣地構築は塹壕を掘り櫓や障害物を増強、野戦築城というに相応しいもので、同時に天台宗もこの暴挙を含め室町幕府へ仲裁と武装解除を求めるも幕府は動きません。

 山科本願寺の戦い、というこの遡ること五年前に勢力を伸ばしていました浄土宗の勢力が一向一揆に打って出た際、日蓮宗は幕府に呼号し、細川晴元や茨木長隆の軍勢とともに本願寺攻撃に参加しており、幕府としては天台宗の要請を受け入れられない事情があった。

 幕府の係争に対する慎重姿勢は、熟考を重ねているうちに状況が悪化する危機管理上の禁忌でもあり、60年前に勃発した応仁の乱と似た構図とともに広がったものなのですが、この結果、日蓮宗の寺院は京都を追放、これが立本寺の形成させる背景となっています。

 本願寺と興福寺及び三井寺と東寺はこの動きに対して中立を宣言、他者の介入がないことを確信するとともに比叡山は僧兵の動員を開始、この時の兵力は6万とも15万ともいわれます、これに対して日蓮宗は洛中法華二十一寺から兵力を動員し2万を集めていた、と。

 陣地構築で先行した日蓮宗側は、遊里を活かすべく先制攻撃をかけたとされています。鹿苑日録記など当時の日記にしるされている一方、近江より六角定頼の軍勢3万が延暦寺に増援を出し、当時係争中であった三井寺も3千の増援を派遣し戦闘加入で兵力増強へ。

 洛中法華二十一寺、陣地構築で先行していた分は有利であったのだけれども兵力差は如何ともし難く、開戦から五日を経て比叡山僧兵は六角氏とともに洛中まで到達、洛中法華二十一寺への攻撃に移りました。日蓮宗も激しく応じ、応仁の乱以来の市街戦となった。

 四条口から洛中に進出した比叡山僧兵は洛中法華二十一寺を構成する本圀寺以外の20の寺院を焼き討ちし、戦闘七日目には本圀寺を包囲し焼き討ち、これにより日蓮宗側の戦死者は一万ともいわれます、しかしこの焼き討ちによる火は留まるところなく延焼してゆく。

 応仁の乱では京都の寺社仏閣の大半が焼け落ち、と説明されますが当時動員された足軽は現地雇用の傭兵に近く多くが下町に住居を構えていました、この為に応仁の乱の主戦場に広大な下町は含まれず、現在の市域に置き換えればおおくが焼け残っていましたが。

 天文法華の乱では焼き討ちされた洛中法華二十一寺は町衆の支持を集めたこともあり下町に隣接する寺院も多く、ここが焼き討ちされ大火を招いた。結果論ですが焼失面積は応仁の乱よりも広範な地域が焦土となり、幕府はこれをうけ日蓮宗の京都追放を決定します。

 幕府の禁令は厳しく、日蓮宗からほかの宗派へ移籍することや還俗し一般に戻ることを禁止、京都とその周辺への立ち入り禁止、そして破壊された寺院の再建を禁じました。これは勅許により許されるまで六年間続き、日蓮宗ではこれを天文法難と呼ぶほどでした。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【京都幕間旅情】立本寺-観桜,洛中法華二十一寺は天文法華の乱と妙顕寺そして三宝尊を奉じる寺院を巡る

2024-04-24 20:22:49 | 写真
■満開の桜
 ここは静けさの寺院なのですが拝観の際に観桜とともにその歴史まで辿りますと成程感慨深いものが有ります。

 立本寺、ここは上京区七本松通仁和寺街道上ル一番町という市電横丁とこどもたちには縁が遠い日活映画館あたりからぐっと住宅地のほうに入りました、ほんとうの街中の寺院です。梅花の季節には梅は香と思いましたが、数が多かれば桜並木も桜は香るのです。

 桜花の季節にはどうしてもここに歩みを進めたくなる、というのはこの堂宇を巡り合いましたのは、ふっとした偶然の向こうに出会ったような経緯がありまして、それほど混雑しない、というよりも混雑とは無縁の堂宇は激しく感受性を揺さぶる情感にみちている。

 上京区七本松通、静かな一角ですので観光客というのは、もしかしたらばいるのかもしれませんが静かな拝観者だけが歩み進めているという印象で、桜花の季節には花弁が音を吸収するためなのでしょうか、山寺のようなしんとした静寂と微かな蜂の羽音が響くのみ。

 COVID-19のいちばん猛威を振るったころ、いや日本では静観していても国際報道では世界中が欧州だけで毎日数千が死亡し、北米大陸もひどいが人口比で南米大陸がひどく、アジアでは集計さえできない地域があったなか、ふと桜を見上げていましたようなお堂だ。

 宿坊と高齢者施設とを運営しています立本寺さん、本堂の方へ桜並木が続いているのですが、伽藍の堂宇が哲学的な直線と桜花の曲線とを交響詩のように織り込んだ風景を醸していまして、そう歩けばそれほど長い距離ではないのだけれども、奥深さを感じさせる。

 由緒寺院という日蓮宗の本山にあたる寺院の一つで、門構えは入っていいのかな、とおもいつつ観光でなく拝観ならばと但し書きがありまして、凛とした方に力を入れて拝観することとしました。これは遊興の場としないためなのか、過去に何かあったのか、とも。

 天文法華の乱、何かあったのかといいますとお寺の歴史については何かあった寺院であり、このお寺は日像さんが開いた寺院という、妙顕寺を開きましたあの日像さんです。創建は1321年、元亨元年に当たる寺院でこの創建年間というものもやはり妙顕寺とおなじ。

 妙顕寺さんは上京区寺之内通新町西入妙顕寺前町、堀川通沿いにありますので若干距離はあるのですが、三宝尊を奉じる寺院という点も同じでして、少し調べてみますと、ここはもともと妙顕寺さんでもありまして、洛中法華二十一寺としてもかぞえられています。

 天文法華の乱、洛中法華二十一寺といいますのは室町時代と安土桃山時代の狭間という戦国乱世の時代に京都で影響力を増していた日蓮宗と京都遷都の時代は桓武天皇の時代より京都の奉護を自認する天台宗との対立が、とうとう全面衝突に至った際の寺院のこと。

 洛中法華二十一寺は大半が現存しているのですが、天文法華の乱では松本問答という日蓮宗と天台宗の問答の末に論破を自称した日蓮宗の僧侶が上壇の天台宗僧侶から法衣を剥ぎ取る暴行を加え、これを基に反発した天台宗との全面戦争に発展した、というもので。

 立本寺のいろいろあった歴史、というものはここを示しています。詳細は後述しますが、一時京都から離れていた一つの寺院が、京都に戻った際の時差などから二つの寺院に分かれてしまった、という。日本の宗教史を遡れば意外と多い出来事なのですけれどもね。

 並木一面さくら色という風情とともに、立本寺には庭園も拝観できるという事なのですけれども、ここを見上げますと余韻は花吹雪までだよなあ、と今一度見上げるのです。刹堂は階段がありまして、少し腰かけて、春が来たのだなあ、今年も実感し時を過ごすのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【京都幕間旅情】醍醐寺観桜-五重塔は五分咲き七分咲き枝垂れ桜に透ける京都最古の建築物

2024-04-24 20:00:16 | 写真
■桜すく醍醐寺五重塔
 こういう写真は年に何枚も撮影できるものではないというものがあるのですが絶景という情景を逃さないよう。

 枝垂桜、染井吉野、山桜、八重桜、此処にもう一つ御室桜でも加われば完璧なのでしょうけれども、醍醐寺には開花時期の異なる幾種類ものさくらの木々が植えられ大切にされていまして、さくらの観桜という季節を長く楽しめるようになっています。

 五重塔と枝垂桜、いやもっと早咲きのものに河津桜がありましたか、早々と大輪の花を春に添えてくれます枝垂桜を、こう曇天というのが残念だなあ、と思いつつ五重塔とともに見上げて構図に含めますと、これ、年に一枚で会うか、という情景に仕上がる。

 枝垂桜と五重塔、ここ醍醐寺の五重塔は京都でも数少ない平安時代の建築物となっています、もうひとつは千本釈迦堂の堂宇ですが、なにより京都市内の建物は悉く応仁の乱を乗り切ることができませんでしたから、平安時代の建物は例外的といえるのだ。

 醍醐寺の枝垂桜、染井吉野、山桜、八重桜、そんな情景に在って透けて見える桜の花々という無効に確たる五重塔の情景が映りこんでいる様子は、もう少し開花してしまうと花々に隠れてしまいますし、咲いていないと単なる遅れた冬景色となってしまう。

 春らしいといいますか、五分咲き七分咲きの枝垂れ桜を透かしてこの情景を撮影できたというのは。もちろん多くの方々が写真に記録する瞬間なのですが露出と圧縮効果とが、こういうのを絶妙というのか撮影できた、これこそ写真の醍醐味、というのかなあ。

 五重塔は、醍醐天皇の冥福を祈り代明親王が建立を発願したという歴史がありまして、その造営は二十年の時間を要しましたが天暦5年こと西暦951年に落成を迎えました、このころ天皇は既に村上天皇の時代、平安朝末期の混乱も始まったころとなっている。

 醍醐寺五重塔は応仁の乱の戦災も免れている一方、災害による被害は幾度も乗り越えているものの大破することも多く、例えば天正地震、天正13年こと西暦1586年の天正地震では大破し全壊直前にまで追い込まれるものの、倒壊だけは免れています。

 能登半島地震、今年は元日に、ちょうど親類のあいさつ参りという最中に地震が発生しまして、過疎地域故に傷跡は多い楽し難い大きな被害を及ぼしました、が、醍醐寺の五重塔を見上げますと、復興というものは意志があればできるのだ、という印象も。

 染井吉野の桜花は淡い白にややさくら色が薄曇りの印象を湛えていまして、しかし花弁は最もひろくひらき、これは不思議と空気中の振動、つまり雑音、音を吸収してしまうのか街中に在って静寂という、思想の探求に適した情感を醸してくれて好きです。

 山桜、日本に多く植樹された染井吉野の樹齢には人と同じくらいの限界があるとのことですが、江戸彼岸桜と並んでこの山桜は樹木としての寿命が長く、つまり大樹の桜を形成します、けれども開花と同時に若葉が茂るために独特の白さがなにか不思議だ。

 八重桜、強い鮮やかな色彩が何か紅梅の季節を思い出すような印象で、しかし遅咲き故に観桜の季節を多忙やほかの行事撮影などで逃してしまった残念な新年度の始まりという頃合いには、そうまさにこれ干天の慈雨のような情感を味わうことができます。

 醍醐寺、伏見区なのだけれども若干交通が不便ではあるところ、しかし豊臣秀吉以来の観桜という伝統を有する寺院であるために、これが今風の賑やかな花見の原型なのだ、という原点回帰的なひと時を、満喫できる寺院でもあるお勧めしたい祈りの場です。

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ウクライナ情勢-アメリカ議会下院ウクライナ追加支援予算案可決,ロシア軍チャシブヤールを狙う

2024-04-24 07:00:57 | 防衛・安全保障
■防衛情報-ウクライナ戦争
 弾薬とミサイルの供給再開の目処というものは大きいでしょう。

 ロシア軍は僅かながら前進を続けているがアメリカ下院はウクライナ支援法案を可決した、ISWアメリカ戦争研究所が4月20日に発表したところによれば、ロシアはクレミンナ南方のビロホリフカ地域、チャシフヤール南東地域、そしてアウディイフカ北西地域のオチェレティネ地域において前進し、アウディイフカ周辺の兵力再配置を実施した。

 アメリカ議会下院はこうした状況下で20日、ウクライナ追加支援予算案を可決しました。これは2023年11月より懸案となっているものの、アメリカ共和党一部の頑強な反対により成立しなかったものが漸く可決したとの構図で、これによりアメリカが欧州へ配備した物資の提供が可能に。数週間以内にウクライナ軍の前線に影響を与える事となる見通し。

 ロシア軍は六月にも大規模な構成を準備しているものと分析されていますが、ウクライナ軍の防衛体制は6月までに相当強化される見通しであり、ISWの分析ではロシア軍は6月に行うであろう大規模攻勢の内容を変更する可能性についても触れています。ただ、ウクライナ軍の体制が整う前にロシア軍が戦果を挙げるべく攻撃を強化する可能性も高い。
■チャシブヤール
 弾薬不足解消までに攻勢に出られる可能性が。

 ロシア軍が5月9日までにチャシブヤールを占領する計画とされる、ウクライナ軍のシルスキー総司令官が4月14日に述べた内容を4月21日付イギリス国防省ウクライナ戦況報告が紹介しています。5月9日はロシアにとり対独戦勝記念日という重要な国威発揚の記念日であり、毎年大規模なパレードを実施してきましたが昨年は大幅縮小されていた。

 チャシブヤール攻略はその延長線上に位置するクラマトルスク攻略の前段であるとシルスキー総司令官は分析しており、これはウクライナ東部における要塞化された都市群への攻撃の第一歩となる可能性があります。また早期に攻撃を開始するという点ではISWアメリカ戦争研究所のウクライナ軍支援強化前の攻撃可能性の分析とも矛盾しません。

 シルスキー総司令官の分析ですが、しかしチャシブヤールは高所に位置しており防御を強化した要塞都市の一つです。一方、ウクライナ軍作戦部のホルティツイア司令官はロシア軍の最近の状況として、航空攻撃として毎日20発から30発の爆弾を投下、Su-34戦闘爆撃機の滑空爆弾とSu-25攻撃機の近接航空支援が継続されていると説明しました。

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【防衛情報】アメリカ空軍2025会計予算年度調達の戦闘機攻撃機約150機減勢

2024-04-23 20:12:59 | 先端軍事テクノロジー
■防衛フォーラム
 アメリカ軍の2025会計年度予算の話題ですが自衛隊と比較しますとその能力の在り方への思い切った視座と共に金額ではなく切り込んでいる様子が印象的です。

 KC-46空中給油機RVS2.0給油システム開発が大幅に遅延する模様です。KC-46はアメリカ空軍が導入し航空自衛隊も運用する新鋭機ですが、アメリカ国防省のアンドリューハンター次官補がシーパワープロジェクション下院小委員会に説明したところによれば、当初2025年に遅延するとされたRVS2.0が更に2026年に遅れるとしています。

 RVS2.0は空中給油遠隔視覚システムの改良型、KC-135空中給油機などでは外部視察窓を通じて給油ブームを操作していましたが、KC-46はコックピット付近から給油ブームをコリンズエアロスペース社製システムにより遠隔操作する方式を採用しています。現在のシステムは太陽光などのコントラスト変化で映像がゆがむ問題をかかえています。

 KC-46空中給油機は給油システムの問題としてA-10攻撃機など一部の機体へ空中給油できない問題を抱えていましたが、場合によってはRVS2.0が実用化された時点で既にA-10が運用終了している可能性が出てきました。一方、対地攻撃能力の高いA-10はアメリカ本土から有事の際などに欧州へ展開する際、空中給油による支援を必要としています。■

 アメリカ空軍は2025会計予算年度調達でF-15EXとF-35調達を削減します。空軍の戦闘機調達の背景には研究開発予算確保を念頭として新規調達予算を振り分けるとのこと。具体的にはF-35戦闘機を48機の調達予定から42機59億ドルで、F-15EX戦闘爆撃機を24機から18機へ18億ドルで取得すると下方修正するもよう。

 F-15EX戦闘爆撃機は当初104機の調達を計画していましたが2025会計年度を最後に一括取得契約を終了し、全体の調達計画を98機に削減することとなり当初計画の104機よりも調達総数は削減されます。一方、F-35戦闘機は調達数を削減するものの全体の調達計画では1763機を取得する計画に変更はなく、取得期間を長期化で対応するとのこと。

 F-35の調達は継続され、また2025会計年度のアメリカ空軍予算は2175億ドルとなる見通しで、これは2024会計年度予算よりも1.1%、額面にして24億ドル増額されていますが、空軍によれば予算増額が行われてもインフレによる調達コスト増大に見合っていないのが実情であるとしていて、航空機調達を削減する必要に見舞われたとしています。■

 アメリカ空軍は予算削減のためにF-15E戦闘爆撃機など150機以上の戦闘機等を削減します。削減されるのはF-15Eストライクイーグル戦闘爆撃機26機、F-15C/Dイーグル戦闘機65機、F-16ファイティングファルコン戦闘機11機、A-10サンダーボルト攻撃機56機が含まれており、この退役により運用費など20億ドルが節約できるみとおし。

 F-15Eストライクイーグルについては初期の旧型エンジンを搭載したものを退役するとしており、またA-10攻撃機も陸軍が近接航空支援などに必要な航空機であると強調しているものの航空支援はF-35でも可能であるとして退役が一挙に進みます。退役する戦闘機や攻撃機は158機が削減、対して新規にF-35とF-15EXが合計60機調達されます。

 F-22戦闘機についてもアメリカ空軍は初期型に当たるblock20が運用費用が大幅に増大しているために費用対効果が見合わないとして退役を検討していますが、F-22退役は制空作戦能力に響くとして議会が認めていません。F-22は維持されますが、新規調達よりも退役の方が多く、アメリカ空軍は2025会計年度に98機の戦闘機や攻撃機が減勢します。■

 アメリカ空軍はLGM-35Aセンチネル計画の37%もの開発費用超過に悩んでいます。このミサイルは地上配備核抑止力として位置づけられ、核戦力として抑止力の要諦にあるミニットマンⅢ大陸間弾道弾の老朽化を受けてその後継装備として開発しているものですが、開発費は37%も超過しており、2026会計年度に厳しい選択肢を迫られる可能性が。

 LGM-35Aセンチネル計画では2024会計年度に1億4000万ドルが要求され2025会計年度には7億ドルが投じられる計画ですが、計画全体では37億ドルが投じられる見通しであったため、全体で37%の費用が増大しているという。空軍が開発する装備はこのほかB-21レイダー戦略爆撃機やGCAP戦闘機計画などほかにも必要な開発計画がならぶ。

 W-87熱核弾頭を搭載するもので、LGM-35Aセンチネル計画には、主契約企業としてノースロップグラマン社があたり、協力企業として、ロッキードマーティン社、ジェネラルダイナミクス社、ベクテル社、ハネウェル社、エアロジェットロケットダイン社、パーソンズ社、テキストロン社などアメリカの主要防衛産業が参画しています。

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ウクライナ情勢-Tu-22Mバックファイア爆撃機を撃墜,黒海艦隊主要艦艇ノヴォロシースク基地へ撤退

2024-04-23 07:00:48 | 防衛・安全保障
■防衛情報ウクライナ戦争
 ロシア艦艇を舞鶴で見る事は少なくとも現体制の下ではもう無いのかもしれませんね。

 ロシア黒海艦隊はセヴァストポリから艦隊と潜水艦の撤退をほぼ完了させた、イギリス国防省ウクライナ戦況報告4月18日付の発表によれば、黒海艦隊の事実上の拠点はロシア本土クラスノダール地方のノヴォロシースク基地になっているとの事で、従来はセヴァストポリ基地において行っていた水上戦闘艦の弾薬補給施設なども移転している。

 イギリス国防省によれば4月1日にはグリゴロヴィチ級ミサイルフリゲイトのVLSへのミサイル再装填作業がノヴォロシースク基地において実施されたとのこと。本型はカリブル巡航ミサイル8発等をVLSに搭載、満載排水量4035tの水上戦闘艦で、多くの艦艇が損耗を強いられている黒海艦隊においては残る数少ない大型水上戦闘艦のひとつ。

 ノヴォロシースク基地は2014年のクリミア併合までは、当時ウクライナから租借していたセヴァストポリ基地に代わる艦隊拠点として整備が進められていましたが、この艦隊支援施設などをセヴァストポリに移設完了したところで今回のロシアウクライナ戦争、そしてウクライナ軍によるセヴァストポリへの攻撃強化に見舞われていた事情があります。
■バックファイア撃墜
 長射程の地対空ミサイルの重要性を示したかたち。

 ロシア空軍はTu-22Mバックファイア爆撃機一機を撃墜され喪失した、イギリス国防省ウクライナ戦況報告4月20日付発表によれば、ロシア空軍は19日にウクライナ南部へのTu-22M爆撃機による航空攻撃を実施、その際に一機がウクライナ軍により撃墜されたとのこと。ロシア国防省は事故により喪失したとし、撃墜された事は認めていません。

 Tu-22M3という近代化改修型の爆撃機は超音速巡航が可能で、冷戦時代に対艦ミサイルを搭載しアメリカ海軍の航空母艦を標的するとされた大型機で、イギリス国防省は戦略爆撃機との表現を用いています。Tu-22Mバックファイア爆撃機がロシアウクライナ戦争において撃墜されたのは今回が初で、そもそもTu-22Mバックファイア爆撃機戦闘喪失も初、と。

 イギリス国防省の分析では、Tu-22Mバックファイア爆撃機を撃墜したのはソ連時代に運用されていた長射程を誇るS-200地対空ミサイルと思われ、その射程は200km以上に達するとの事、これは2月23日にロシア空軍のA-50メインスティ早期警戒管制機を撃墜したものと同じ。ロシア航空宇宙軍は開戦以来、固定翼機だけでも100機を喪失しています。

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