北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【G3X撮影速報】令和6年第1空挺団降下訓練始め【5】機甲部隊と空中機動部隊(2024-01-07)

2024-05-09 20:06:03 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■10式戦車登場!
 戦車というものがもう本州では非常に珍しいものとなってしまいまして少し不安を感じるところです。

 空挺部隊を支援するべく機甲部隊が戦果拡張の為に前進を開始しました、10式戦車と16式機動戦闘車で、これまでこの空挺降下訓練始めで勇猛をとどろかせた74式戦車は既にその姿なく、いやまだ全国にこの時点で6個中隊残っていたのだけれども流石に。

 10式戦車、富士教導団機甲教導連隊の所属です。そう、第1戦車大隊は師団改編胃より既に廃止されており、この空挺降下訓練始めの翌々月には本州に残る最後の戦車大隊、第9戦車大隊と第10戦車大隊、旅団の大13戦車中隊は廃止されてしまうのですね。

 第12偵察戦闘大隊の16式機動戦闘車、考えてみると初登場という。わたしが初めて第12旅団を撮影した当時は未だ軽装甲機動車さえ配備される前で偵察警戒車さえなく装甲車は化学防護車のみという時代でしたので、偵察戦闘大隊の新編は朗報、なのかな。

 軽装甲機動車と高機動車は空挺団の装備です。ただ、アメリカの第82空挺師団ではM-10ブッカー装甲機動砲、軽戦車のような38tの機動砲を配備開始したのが4月に話題ですので、軽装備というけれども自衛隊の軽装備は度を越して軽すぎないか、とも。

 機械化部隊は第一線へ向かう、けれどもちょっと数が少なすぎやしないか、第1空挺団にも空挺戦車小隊が配備されていた時代があるのだし、対戦車小隊ではなく戦車小隊です、もっともM-24軽戦車というゴジラ相手に歯が立たなかった軽戦車なのですが。

 富士教導団機甲教導連隊と第12偵察戦闘大隊の増援、10式戦車はそれほど高い戦車ではないのだけれども製造し続けないと戦車の製造基盤が崩壊しますと欧州のように戦車一両30億円というようなことになりかねないのです、毎年30両程度生産できないか。

 AH-1S対戦車ヘリコプターの航空支援、政府が陳腐化している為に廃棄するという装備ですが、まあTOW対戦車ミサイルを搭載しているもののその射程は3750mと短い事は確かです、けれどもその気になって改修するならば8kmくらいのものは積める。

 対戦車ヘリコプターの空中打撃力というものは迅速さと即座の致死性というものがあります、前線が危機的な状況で200km/hの俊足を持て匍匐飛行で駆け付け、見た瞬間に機関砲とロケット弾とミサイルで刈り取り、というもの。この写真が全てを物語る。

 C-130輸送機が飛来しました、航空自衛隊のC-130Hではなく横田基地のアメリカ空軍のC-130J輸送機ですね、そう空挺部隊の増援展開だ、まさにマーケットガーデン作戦のようなもので、先程にまして青さ増した大空に真白く開く薔薇のよう、という感じか。

 みよ落下傘空に、舞い、舞う、はずなのですが普通に通過してゆくもので更に海上でゃなんのアナウンスも無く、AC-130じゃあないのか対地攻撃機の、という声が上がるといやAC-130なら旋回するはずだろ、そもそも横田には無いし尾翼には374とあるよ。

 CH-47輸送ヘリコプターの編隊がやってきまして、C-130はそのまま通過してしまいました、そして、此処で放送が入ったのですが、ここで、多国籍空挺部隊が降下する予定だったのですね、けれどもこの日は強風だったという、いやそんな風は強くない。

 ヘリボーン強襲が行われる、要するにこういうことです、空挺降下をこの狭い習志野訓練場で行うには、各国の異なる訓練環境などを考えるとこの風でも結構あんぜんせいをこうりょしなければならない、ということなのですね。さあヘリボーンの展開だ。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】東寺観桜,真言宗根本道場に立体曼荼羅と一体感を持つ情景としての桜並木と観桜の情景

2024-05-09 07:00:14 | 写真
■寺院とさくら
 さくらの季節は四月中旬にはほぼほぼ閉幕しているのですがその情景は今思い返してもいとおしい。

 観桜の東寺、わたしは浅学にして当時にいつごろからここまでの桜並木が整備されたのかを知りません、いや実際拝観の際にゆっくりと春の木々を見ていますと椛もそう若葉の頃には先ず朱色を示す木々ですので桜並木だけではないと分かるのですけれども。

 禅寺を拝観してみますとあまり桜並木というものは植えられていません、金戒光明寺などは数本だけしかし三門の目の前の脇侍のように聳える桜の木々が印象的な三門ととられる情景や、そういえば三重塔もこの季節には墓地を隠すように桜は花咲くのですが。

 南禅寺も桜という印象が確かに植えられているのですけれども、数は多くなく東福寺などは幕府に要請して先ら並木を伐採して椛と変えてしまっていますし、大徳寺も、好きだったんだけどなあと思う最後の一本の桜が伐採されてしまったのはもう二十年まえ。

 東寺は密教なので桜をと説明するには密教が言うほど桜咲くところなのだろうかと思ってしまうのですが、昨今漸く色々読み物で学ぶようになりまして、考えれば当時に桜並木があるのは空海さんの影響なのだなあと、気づくようにはなりました。

 弘法大師空海、桓武天皇からここ東寺を託された。桓武天皇が空海と最澄を信頼していたというのは、これ歴史を見れば南都六宗の影響が強くなりすぎた故に平城京を廃都としたうえで長岡京に遷都した歴史があるのですが、官寺以外を平安京は認めない。

 東寺と西寺は、南都六宗の影響を隔てているものの国家宗教に当たる寄る辺を省くほど科学が振興していない時代故に必要な施策であったのでしょうけれども、此処に密教を入れたことは南都六宗への牽制と共に天台宗の影響をある程度分けたい背景があったか。

 空海さんはここに真言宗根本道場を開いたわけですが、ここで重視したのは高層建築物でも堂宇の広さでもなく、立体曼荼羅、密教の世界観の具現化です。空海さんは唐の蒼龍寺で灌頂を受けているのですが相当な努力と才能が有った故といえるもの。

 立体曼荼羅、空海さんは全国行脚とともに厳しい修行を経て、なにしろ富士山噴火の溶岩流さえ出会っているほど、修行の先に瞑想といいますか幻想といいますが経典に示された立体曼荼羅をある程度認識として共有できるほどに見えていたのだとおもう。

 大日如来を中心とする世界観、しかしこれを自分のような修行を経ていては日常生活と両立できないし、両立できないものだけでは国家運営は成り立たないという認識があったからこそ、立体曼荼羅、映画もCGもiPhoneもない時代に見られるようにした。

 桜並木というのは、講堂の堂宇に立体曼荼羅が二十一の仏像群とともに具現化されていて極楽浄土を醸すわかりやすい仏教観を示しているゆえに、仏教の極楽浄土の様な景観を、桜並木により、こちらも具現化したのだろうなあ、と考えるところでして。

 立体曼荼羅と一体感を持つ情景としての桜並木と観桜の情景、まさに仏教徒は、というものをわかりやすく見せられるものが日本のこの春の景色なのだろう、こう理解してみたわけです。つまりこの東寺というのは修行とともに、見てもらうための寺院、と。

 禅寺は修行のための寺院という事もあり、いや独立採算制を求められる政教分離で、とびぬけた資産家の少ない平等主義の日本においては拝観料収入というものが必要なのですけれども、なかなか観桜の名所足り得ないのでしょうが、東寺は、こうなのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】東寺観桜,無理な左右対称省いた平安京造営は多様性と日本の自我その基点と包むさくら

2024-05-08 20:21:44 | 写真
■その個性長所悪癖すべて
 歴史と共に散策するというのはたのしいものです。

 京都には今の日本の成り立ちの背景となるものが幾つも存在している、それは価値観であったり文化観であったり制度の下となった習慣であったり。そして自分の依拠した文化や価値観というものは第三者の視点で客観的に見ることはじつのところ難しい。

 会議会議で日本の場合はトヨタなど幾つかの先進的な試みの企業を除けば会議が業務時間を圧迫するけれども会議を経なければ業務の具体性が確定できないために上限知らずの会議を続けている、しかしこれは責任を分散させる室町幕府の制度の延長といえて。

 前例踏襲主義というものは日本の国是のようなものですけれども、御霊信仰のような例外的なことを行った場合を実は直接の原因ではないもののほかに責任転嫁できない故に特定の対象に原因を当てつける結果と原因を曖昧化させた歴史の名残ともいえます。

 減点主義であり成果を伸ばすことを第一とする加点主義を採用できない事は過去の天平天然痘を経て島国でもあるにもかかわらず農耕民族で極端な地域主義となった為に一度の失敗を取り戻せないという価値観が数十世代積み重ねて醸成したものといえる。

 しかしこれも積み重ねがあっての物であり、東寺が造営された時代というのはまだ日本自身が、自分たちが何者なのか、ニッポンジンという概念を定着させることができなかった時代でもありまして、ここに大陸を模倣した平安京建設というものも含まれた。

 東寺と西寺の造営、しかし地形がそもそも広い平野部が限られ今の大阪平野さえ適地には見えるものの当時は湿地帯で建物を建てられる場所が限られ、火山性地形故に峻険な山間部からは活断層に割れ目に沿って不規則に大河が構成され水害も数多い。

 密教が間に合った背景には洪水多発地帯に近い西寺の方に資材を集中していたという背景がありますが、しかし結果、水害というのは毎年同じように降ることで起きるものではないし、秦氏による治水事業の成功という背景も含めるべきだろう、西寺が進む。

 空海に任された。当時の造営には武士の英雄と言われる坂上田村麻呂も造営官を命じられていますが、遅れているところに細心の部教師層が入りまして、その指示の高さから一気に進められました。そして密教寺院として長らく役割を担う事となります。

 結局のところ、先ず無理な左右対称というものを省いたことが当時の歴史的な意義の一つなのかなあ、と当時はまさか千年もこの寺院が親しまれるとは考えていなかったであろうことともに思い浮かべる次第です。そしてもちろん多種多様な信仰の寄る辺にも。

 寺院が歴史を超えるには役割というものが重要でして、東寺がこう永らえた背景には真言宗が普及していった背景があります。もっとも、真言宗は先行する最澄の天台宗と、集中を防いだ政治的意図を考えてしまうのですが、併せて南都六宗への牽制も担う。

 多様性が叫ばれる現代世界ですが、一方で一つに集中させないという密教と南都六宗との概念は、結局排他的ではある日本に在って、外の文化はしかし積極的に取り入れる努力と、吟味する慎重さにより排他的すぎない文化観を醸成した事にも、なるのかなあ。

 永らえたことにより、こうして今日も当時の観桜を春の愉しみとできる訳です。散ってしまうまでは早い桜なのですけれども、京都満開宣言からはほぼほぼ一週間を隔てたのちの東寺拝観のこの順路というものは、かくも美しく彩られていましたね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】東寺観桜,さくらでこの春を振り返り真言宗から京都と日本の成り立ちを振り返る

2024-05-08 20:00:14 | 写真
■ 熱い冬寒い春急な夏日
 寒い春だと思えば急な夏日が有ったり北海道の方が京都より暑くなったりという春でしたが。
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 さくらでこの春を振り返りますと、そう、開花時期は昨年よりもだいぶずれてしまいこれは例年と比較しても数日は遅かったということですけれども、しかし散ってしまう時期というのは例年くらいでして、やはり春も暖かいを通り越しつつあるのかなあ。

 東寺のさくら、ちょっと考えまして久居駐屯地のあとで実は今年もゆったり伊賀上野城か名古屋城あたり、は遠いにしても津城と伊賀上野城は寄れるしいっそ彦根城経由でとも考えたのですけれども貴重な日曜日、こう東寺の観桜によることとしまして。

 枝垂桜は前の週に撮影した際のほうがくっきりと満開であることを告げていたようなのですが、枝垂桜と染井吉野の微妙な開花時期の違いからどう観桜を愉しむべきかと少々考えたものの、散りゆく枝垂れと満開の染井吉野という構図を撮影できたもので。

 教王護国寺、真言宗の根本道場というのがここ東寺の真名です。本尊に薬師如来を奉じる寺院は立地が南区九条町という、京都駅新幹線ホームからはっきりと見える寺院となっていますので、おそらく皆さんが最も目にすることの多い五重塔なのかな、と。

 八幡山金光明四天王教王護國寺祕密傳法院、正確には正式名称がこのように長いものなのですがほぼほぼ東寺の一言で通じます寺院は京都駅から近鉄線沿いに徒歩でも十数分、近鉄京都駅から東寺駅というのが最寄りなのですが、正門へはこちらがちかい。

 桓武天皇が開基となりました寺院で、その名の通り東寺とは左右対称に造営されました平安京にあって東寺と、そしていまは廃れたのちに消えてしまい石碑だけが残ります西寺と、官寺はこの二つのみを許すという指針と共に平安遷都が執り行われたという。

 西寺と東寺とともに左右対称に大陸風の首都を造営することとなった平安遷都ですが、左右対称をあまり平野部が広くない京都で執り行った為に西寺のほうは定期的に大堰川の水害に悩まされたといいまして、先に廃寺となってしまった歴史があるようです。

 真言宗の根本道場といいますが、しかしご承知の通り平安遷都の頃には未だ大陸から密教というものは伝来していません。実際その通りでして、桓武天皇は西寺の造営に尽力を命じましたので東寺の完成が遅れていたという事情で、密教が間に合った。

 長岡京からの遷都、桓武天皇は遷都を繰り返した天皇でありまして、いや実際、京都と東京、平安遷都から明治維新までと、明治大正昭和平成令和と続く東京が例外的と言えるかもしれない、けれども長岡京は二年に一度中心部が壊滅する水害多発地帯で。

 飛鳥京に藤原京と平城京に長岡京と平安京、短期間で続々と首都を遷都していました東寺の日本、大津京への臨時遷都もありましたし聊か方針が定まらない、国家の方向性に思い悩んでいた時代でもある。それが遷都まで行かずともと思われるでしょうが。

 中央集権体制を強化しますと天平の疫病として天然痘が大流行し国家崩壊しかける、しろ右大臣左大臣など行政実力者が短期間で次々と倒れいなくなる状況、体制固めの最中に所謂御霊信仰ではないですが大陸の易姓革命という概念も中途半端に入りまして。

 日本とは何者なのかが定まらない時期、しかし日本自身が九州や朝鮮との間で独自の冊封体制を試みるなど大陸の衛星国には留まらない考えなどを持っていた故、するとどうすればいいのかという戦略概観が持てないでいた、今と似る状況がありました。

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RCH-155は装輪自走榴弾砲世代交代を呼ぶか?ピラーニャHMC発表と20年超えたカエサル装輪自走砲(榛名防衛備忘録)

2024-05-08 07:00:41 | 先端軍事テクノロジー
■榛名防衛備忘録
 富士総合火力演習に初公開された際の19式装輪自走榴弾砲の実物を見た際に砲員の座席があんまりだったことはいまでも鮮明に思い出せます。

 欧州において装輪自走榴弾砲の世代交代の流れが巻き起こるのかもしれません、イギリス陸軍はRCH-155装輪自走榴弾砲の開発についてドイツ政府と首脳会談で合意に至りました。これは長年の懸案であったAS-90自走榴弾砲の後継砲を選定するもので、特に稼働数の少ないAS-90のうち一部をウクライナへ供与したため喫緊の課題でした。

 RCH-155は、ドイツのKNDS社製ボクサー装輪装甲車の車体に52口径155mm榴弾砲の砲塔システムを搭載したもので、当初は暫定緊急調達されたスウェーデン製アーチャー自走榴弾砲や韓国製K-9自走榴弾砲がAS-90の後継と見做されていたため、降って湧いたRCH-155採用には驚かされましたが、ボクサーはイギリス次期装甲車でもある。

 ピラーニャHMC,そして続いて驚かされたのはGDLS社が突如ピラーニャシリーズの最新型にHMCという十輪型を発表したのです、もっともピラーニャシリーズを開発したスイスのモワク社は1990年代に105mm砲搭載の軽戦車型として十輪型を発表こそしていましたが、今回発表されたのは後部をモジュールスペースとした多目的型でした。

 GDLS社は後部モジュールには17tまでの様々な装備を搭載可能としていて、地対空ミサイルシステムや戦車橋と指揮通信車両としての用途に加えて間接照準砲兵システムの搭載を提案しており、即ちKNDS社に続く形でGDLS社も装輪自走榴弾砲を提案した事となります、そしてこれらは装甲車体を有しており、高い防御力を持つということ。

 カエサル装輪自走榴弾砲、さて2020年代までは、チェコや南アフリカなど一部の例外はあるものの装輪自走榴弾砲とはトラック車体に火砲を積載した簡易的な自走榴弾砲でした。もちろんボルボ装甲トラックに自動装填装置付き火砲を搭載したスウェーデンのアーチャー自走榴弾砲などもあるにはありますが、トラック自走砲がその代名詞でした。

 19式装輪自走榴弾砲もその系譜にありますが、トラック自走砲は問題点として装填など砲手が陣地進入と共に降車し射撃準備を行う必要があったのです、これは同時に砲手や装填手が暴露した状態であり、射撃準備に時間を要するとともに仮に敵砲兵の曳火射撃を受けた場合には陣地変換が一瞬でも遅れるならば大損害を被る事に他なりません。

 G6自走砲、世界の砲兵装備を見るならば南アフリカが開発したG6自走砲は、52口径ではなく若干砲身の短い45口径155㎜榴弾砲ではありますが、砲塔式を採用した事例は存在していますが、G6は車幅が3.5mもあり高速道路網や鉄道貨物輸送などを度外視する設計でした、この点RCH-155は車体がボクサー、戦略機動性をある程度考慮している設計なのです。

 FH-70榴弾砲のような39口径の牽引砲に対してトラック自走砲はもともと牽引砲の延長線でしかなかったのではないか、即ち52口径の長砲身を牽引することは前駆用が長すぎるために現実的ではなく、引っ張れないから牽引車に載せただけではないのか、これはカエサルが1990年代に開発されつつ正式採用まで10年を要した背景の一つ。

 RCH-155の開発、一見して重心が高すぎるよう危惧するのですが、この点で問題が無いならば、この誕生は、1950年代にM-108,M-109といった密閉砲塔を有する自走砲が開発されたことで装軌式車体に火砲を直載せした自走榴弾砲が一気に陳腐化したような、世代交代を呼ぶかもしれません、それは19式装輪自走砲も例外ではないのかもしれない。

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憲法記念日二〇二四(5),平和憲法と日米同盟が調和した冷戦時代と21世紀の平和憲法活用の道

2024-05-07 20:00:09 | 北大路機関特別企画
■本来の平和主義へ
 ゴールデンウィークが昨日終了しましたので今年の憲法記念日特集もいよいよ本日で区切りといたしましょう。

 武力行使という概念、国際法上では経済制裁など影響力を行使するものを含むが、日本では武力行使という概念は軍事攻撃だけと理解している。いやたとえば、警察官の拳銃使用も警察官職務執行法ではホルスターから取り出した時点で拳銃使用ですが一般には発砲で初めて拳銃使用と考えられている、こういう部分と同じでは、と。

 国連憲章二条四項のように憲法九条はかりに大きな防衛政策の変更があった場合でも併存することは可能ですし、どんな防衛政策を進めるのかはまさに民主主義により選挙民が定めている、陰謀論や不正選挙の主張があるがそれならば選挙制度のたとえば投票用紙保管方法の強化などを行えば、国の道を決めるのは主権者なのだから。

 看板としての平和主義ですが、こう考えますと無理に捨てる必要はないように思えまして、逆に内容多寡に係わらず世界には平和憲法を改正した、という部分だけが広がり改正の内容までは精査することはないでしょう、日本だって憲法九条は日本国憲法だけ注目されるのであってドイツ基本法九条とか合衆国憲法九条は注目しません。

 アイディンティティという視点ではもう一つ、日本国民であれば自衛隊が存在する事を知らない方は恐らく居ないでしょうし憲法九条についても知っていることでしょう、その上で、平和主義という国是を動かしてしまいますと、奈良時代の日本のように、日本とは何者か、なにが正義かという問いに答えられなくなるようにも思うのです。

 国家の構造を示すという意味での憲法なのですから、このあたりの視座を、日本は自衛隊こそ保有するけれども平和主義の国家であり、必要な防衛は行うが対外領土獲得などはおこなわず文字通り平和主義を堅持し人類文明が宣そうと軍事力を必要としない高い次元まで進むのを見守っている、と国民の価値観を示すことができるでしょう。

 平和趣味ではあってはならない、ということと同時に日本の平和憲法はその制定とともに、戦後復興の必要という、この資材捻出は容易ならざるものがあったのですが、一種の特需のようなものが醸成された時期のものであり、そして期せずしてここが一段落する前に朝鮮戦争が勃発、これは朝鮮特需という好景気を醸成しました。

 資本主義国の工場として、日本には朝鮮特需を端緒として高度経済成長期という1973年まで、景気変動の波こそ確かに存在しましたが好景気と経済成長が続いていました、逆に日本は朝鮮特需と高度経済成長が一種の歴史的要素として認識されているのですが、世界を観れば戦後すなわち好景気、という認識はそれほど一般ではない。

 冷戦構造とともに欧州ではハンガリー動乱やキューバ危機にベルリンの壁、プラハの春といった激動に対応するべく、北大西洋条約機構の立ち上げとともに膨大な国防費を捻出する必要に見舞われ、高度経済成長のような戦後の平和の配当という恩恵は考えられなかったのですね。しかし日本の場合はここを平和憲法により逆手に。

 石油危機とともに日本の高度成長は1973年に終焉を迎えるのですが、これもいまみますと鈍化したとはいえ年間経済成長は5%や8%という数字を維持していましたのでいまの中国経済よりは成長が大きかったわけです、しかし、平和憲法、日本の認識ではアメリカが押しつけた、この非武装平和主義のような主張で軍事費を抑制できていた。

 事業評価、という平和憲法がどの程度世界平和のために機能しているかを、日本の平和主義意外の世界からの視点で冷静に分析する必要があるとは前述しました通りですが、同時に、憲法をアメリカから押しつけられた、GHQというべきでしょうか、少なくとも大正デモクラシーの時代まで戻す憲法の松本案はGHQに棄却されている。

 日本が決めたわけではないものに従っているのだからここで急な軍事力の出費を強要するのは、という認識がいまでも一部知識人と世論の一部に存在することは理解していますが、しかし、結局日本国憲法は帝国議会での改正手続きを経て制定されたという、なにしろ国家の基本制度を戦勝国が勝手に変えるのはジュネーブ条約違反だ。

 帝国議会において改正が決議された憲法である、というのが世界の認識です。これが外圧によるものと反論するのであれば、同じように外圧が当事者の立場では少なくとも感じられた日韓併合も、非合法、ということになりかねません。日韓併合の手続きと日本国憲法への帝国議会決議は、そういう意味で同質なのですから。

 憲法を理由として防衛力に制約を加えることは、とにもかくにも国連憲章二条四項のように、すでに周辺国へ領土併合を目的とした軍事攻撃を行わないというものが一種の国際公序となっているのですから、整合性はとれるわけです。するともう一つここで認識しなければならないのは、平和憲法を理由に非合理的な防衛政策は、と。

 非合理というのはたとえば武器輸出、これを行わないことで国産装備が費用面でたかどまりしている現状や国際装備共同開発への制約などの現状、防衛費が結果的に非効率となり高くなることを国民は、憲法を平和の結果ではなく手段とすることを黙認することで間接的に容認していることになるのです、そのコスト、容認すべきなのか。

 平和趣味ならば、趣味というものはお金がかかるものなのだ、という認識なのかもしれませんが、結果的な平和を求める本来の平和主義に立ち返るならば、平和へ残すと認識というものを、なにしろ民主主義の国なのですから、もう少し防衛産業や世界情勢と軍事技術に関心を持って、観てゆく必要があるようにおもうのですね。

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ウクライナ情勢-ロシア軍核演習でフランス牽制,欧州イギリス軍施設攻撃を示唆

2024-05-07 07:00:45 | 国際・政治
■防衛情報:ウクライナ戦争
 日本も状況さえ違えば核兵器で恫喝されるという地政学上の要衝に国土が位置しています。

 ロシアのプーチン大統領は核戦力部隊による臨時演習の実施を発表しました、これは欧州全体への危機感として、ウクライナへの地上部隊派遣の可能性を繰り返し示唆しているフランスのマクロン大統領への牽制とみられますが、2022年のロシアウクライナ戦争勃発以来幾度も繰り返されてきた核兵器による恫喝を再度繰返しているものといえます。

 核兵器による恫喝は過去繰返されていますが、ロシアは日本にとっても隣国であり、また第二次大戦後の日ソ基本条約以来、平和条約締結に至っておりません。日ロ間においては現段階では直接戦争となるような緊張状態は回避されていますが、数年間においてここまで露骨に核兵器使用を示唆する恫喝は過去半世紀においても中々見当たらず脅威でしょう。
■防衛情報:ウクライナ戦争
 欧州大戦になりかねない。

 ロシア外務省はウクライナ国外に所在するイギリス軍施設攻撃を警告しました、これは5月2日にウクライナを訪問したキャメロン外相が年間30億ポンドの軍事援助を行うと発表したことに反発したもので、イギリスがウクライナへ供与した装備がロシア領土に対して使用された場合にウクライナ国外のイギリス軍施設を攻撃するとしました。

 ロシア外務省が主張するロシア領土とは、ウクライナ占領地の一部を一方的にロシア本土に編入しているため、どこまでがロシア領土であると明確に示したものではありませんが、仮にウクライナ国内のイギリス軍施設を攻撃した場合、NATOは北大西洋条約五条の集団的自衛権行使という選択肢が生まれ、戦闘が拡大する懸念が生じています。
■防衛情報:ウクライナ戦争
 化学防護装備ならば自衛隊の余剰装備を提供できないものでしょうか。

 ロシア軍は不特定の化学兵器を使用している、ISWアメリカ戦争研究所4月23日付ウクライナ戦況報告によれば、オチェレティネへ攻撃を加えるロシア軍があらゆる火力を使用しており、その中に化学兵器、恐らく催涙ガスと思われるものを使用しているとのこと。オチェレティネはウクライナ軍が保持しているもののロシア軍は南部に浸透している。

 催涙ガスは化学兵器禁止条約には抵触せず、ロシア軍は過去のチェチェン戦争などにおいても化学兵器禁止条約に抵触しない化学兵器を使用しています。ロシア軍はこの他クラスノホリフカ南部において前進、またノボバフムチフカへ浸透を開始しロシア国旗を集落に掲げたという。ウクライナ軍はイワニフスケで反撃に成功しているとのことでした。

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憲法記念日二〇二四(4),平和趣味であってはならない平和憲法その事業評価という視点

2024-05-06 20:12:50 | 北大路機関特別企画
■平和主義の事業評価
 平和憲法は世界的にも評価されているという一部主張がありますが果たしてどの程度世界に理解され又周辺国の軍事力拡大への抑止的機能を有しているのかという視座です。

 日本における憲法九条は、世界における国連憲章二条四項のようなもので、空文化していると指摘を受けたり危惧されたとしても、その条文があるために抑制的となる、これが日本の平和政策としてありえるのではないのか、実際、令和の岸田内閣では慎重ですが昭和の岸内閣では政府答弁として平和憲法の元での踏み込んだ発言はあった。

 二条四項の存在は、たとえば明らかな逸脱行為であったとしても、その二条四項と対をなす存在である五十一条、自衛権などに言及してその正当性を主張する場合が基本であり、つまりその存在を意識していることにほかならない、といえる。日本の憲法九条においてもこうした機能を期待し、必要な防衛政策を進めるべきではないか。

 九条について、重要な点は、大日本帝国憲法とは対照的な価値観の主柱に平和主義をおいているものであり、日本の平和主義を代名詞的な存在として世界に示しているためにこれにかわる新しい理念をいま、日本の憲法制定権力というものを一から脱構築してゆくことは可能なのか、という疑問にもつながるのです、そして。

 平和主義の事業評価というものをしっかり行っているのか、という疑問符が。日本の平和主義は、一応世界の教養人、少なくとも世界政治に関心がある、もしくは国際政治などを大学などで履修した限りでは、ある程度周知されているとはいえるのですが、しかし九条の存在はともかく、九条二項まで周知されているのか、ということ。

 コスタリカの軍隊を持たないという政策や、スイスの永世中立国政策、この言葉の上面程度の認識程度しか世界には周知されていないようにも。コスタリカの政策は、2000年代に一部日本でも支持を集めていましたが常備軍を持たないというものであり、また安全保障の多くをアメリカに依存しており、反米的主張は違法行為となる。

 スイスの永世中立国政策は、これは日米安保反対を掲げる方に長らく支持されてきましたが永世中立というものは有事の際にどこからも防衛協力を受けられないということであり、スイスは過去核武装さえ検討しており国民皆兵の膨大な予備役を抱える重武装の国家であることが周知されますと手のひらを返すように支持は薄まりました。

 スウェーデンの重武装中立は、もうNATOに加盟したよ、という一言で参考としようという機運は生まれてこないのでしょうけれども、ゴトランド級潜水艦にJAS-39グリペン戦闘機と、少し古いですがSタンクやバンドカノン自走砲という防衛産業と輸出という実例がありますので、やはりこれも平和主義として参考とはできません。

 事業評価という視点で、しかし日本の平和憲法をみてゆきますと、結局のところ平和を戦争準備、日本のではなく周辺国の、これに悪用されただけではないのかという疑念が生まれてくるものでして、やや、といいますか多くの部分で自己満足的な平和主義、平和趣味というべき状況があったのではないかと振り返るのですね。

 日本には軍隊がない、事業評価で困るのはアメリカ世論の同盟にかんする負担論です、実際、トランプ大統領が護衛艦かが表敬訪問というアメリカ大統領として初の自衛隊護衛艦表敬訪問が実現して、その様子がCNNやFOXニュースなどを通じて報道されてはじめて、あの大きな空母のように見えるフネはなんだい、と自衛隊が周知され。

 軍隊がないと誤解されることは、アメリカ軍が日本を防衛しているという誤解が、なにしろアメリカ国民の大半は生まれた州から出ず一生を過ごし国外にでるのはさらに一部、海外情勢には興味がないという実態がありますから、日本の自衛隊が9個師団6個旅団、戦車の数はイギリスとフランスの合計より多いことをしりません。

 平和趣味であってはならない、ただ、平和主義という看板を維持するならば、看板は自由なものですから現行憲法のまま、しかし平和を周辺国の戦争準備に悪用させないよう、実定法の整備をしっかりと進めてゆく、こうした施策への切り替えの方が、重要ではないかと思うのです。ただしそれでも最高裁判所が違憲判決を出すならば。

 最高裁の違憲判決が出されたときが、要するに改憲しなければ違憲という判決にほかならないのですから、統治行為論という政治の問題ではなく司法府として憲法を変えるべきという勧告の際に改めて政治的課題としての憲法改正を進めるべきではないかと思うのです。実際問題、憲法上の概念と一般的な概念の違いはあるのですから、ね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都発幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌:岐阜柳ケ瀬,ゴールデンウィークは八つ墓村と昭和元年のトンカツ

2024-05-06 18:10:51 | グルメ
榛名さんの総監部グルメ日誌
 ゴールデンウィークだから映画でも見に行こうロイヤル劇場では今週いっぱいこの作品を上映しています。

 映画を見に行こう、八つ墓村、実は映画館で観たことがなかったのですが名画座で上映するところとなりましてゴールデンウィークの。とはいっても京都の映画館ではないのです。それはいま、アニメーション"変人たちのサラダボウル"にて話題の岐阜だ。

 映画を観たならば併せてトンカツを頂く、というのが流儀だといいますので今回お店を探訪しましたのは岐阜市中心部柳瀬、昔は凄い繁華街だったということはわかるのですが今では東舞鶴なみとなっている、もう少しがんばっているか、シャッター街の。

 清楽、昭和元年から続くトンカツの名店です。いきなり映画館の話題に戻しますと、今回探訪します名画座は終戦記念日特集を毎年やってくれていまして、連合艦隊、沖縄決戦、キスカ、戦争と人間、もう涙ながしながらコロナ前は毎年通ったものでした。

 青春時代を思い出すほど戦争とは無関係でしたが、青春18きっぷ思い出しながら真夏には通ったものです。そしてその際に探訪したのが、高島屋のレストラン街か、ここの清楽さんだったのですね、COVID-19を挟んで実質四年、ここも頑張っている。

 トンカツは厚切りトンカツという、前にあったかなあとおもいつつ、独特のソースが、秘伝ということだけれども、ウスターソースとケチャップの混合のような風味とともに、これも低温の油で長時間じっくり加熱調理した、そとはカリッとしていて。

 転生したら島耕作だった、とか、島耕作の事件簿とか、なんかカウンターの前にある漫画の取り合わせが微妙に気になるのだけれども、つかスピンオフ多すぎだろうなにがあったんだ、とおもいつつ、そして味噌汁はお椀を開くとこれ当然、赤だしだ。

 キャベツにソースをちょっと多めに注いで、そう、ふりかけるだけでは足りないのだけれども、しんなりしたところをご飯のおかずにしまして、そしてトンカツは、できればビールがほしかったが、先ずしばらくは単体で頂く、厚切り、脂身が旨く上手く。

 ソース、実はトンカツは最近、ソースをかけないところにお塩をぱっとまぶして頂くのが好きなのだけれども、ここの場合は秘伝ソースが売りなのだから最初からかかっている、まあ、その流儀ならば従おう、そしてサクサクの衣との境界をたのしむ。

 ビールがほしかったのだけれども、どうもこの数年間、COVID-19を挟むと、二階席の広々としたテーブルの空間は資材置き場になっているようで、一階のカウンター席だけで営業していて、その際にビールも品書きから紙で隠されてしまった。

 映画館とトンカツ、ただここ清楽さんは営業が品切れか1430時まで、となっていましたので、映画館の後で観ることも、また夜営業がないのでビールをあとでいただくというのも難しいというか、不可能だ。が、まあトンカツ、おいしゅうございました。

 八つ墓村、やはり家庭用プロジェクターでみるとのは段違いの迫力でしたね、そして合間に仕事を挟めるプロジェクターと違って、映画館の没入感はものすごい、そしてやはりこの段取りは野村監督が映画館を念頭に橋本さんと脚本を練ったのがわかる。

 コロナのさなかはなかなか映画館というのは縁遠い環境でして、しかたないのでプロジェクターを購入して150インチのホームシアターを、格安で整備しました、結構な作品を大画面で観ました、これはこれ、京都殺人案内も大画面でみれたのですが。

 京都殺人案内はテレビドラマなので大画面でみる発想はなかった、どうでもいいが劇中の出張先をのぞけば聖地巡礼もできたのですけれどもそれでも、映画についてはプロジェクターよりも映写機、映画館でポップコーンとコーラ片手にみるのが、いいよね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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ウクライナ情勢-ベルゴロド州国境付近の新飛行場とウクライナ軍大規模長距離無人機攻撃

2024-05-06 07:00:52 | 防衛・安全保障
■防衛情報-ウクライナ戦争
 日本の間隔といいかすか感覚で云うと75kmというのは最前線過ぎるような気もするのですがたくさん飛行場を造って予備とするのでしょうか。

 ロシア軍はウクライナ国境から75km離れた地域に新しい飛行場を建設中との事、ISWアメリカ戦争研究所が4月29日に発表した戦況分析によれば、27日までに撮影された衛星画像を精査した結果、ウクライナとの国境に近いベルゴロド州に1800m滑走路を有する飛行場が新しく建設されていることを発見、長さからIl-76輸送機用と分析があります。

 ロシア軍はアイディイフカ北西とクラスノホリスカ東方で暫時前進しており、ロシア軍はアウディイフカ周辺において複数の地域で攻撃を行える選択肢を兵力配置や接近経路から残しているものの、ロシア軍がどの方面へ攻撃を加えるのかは不明とのこと。ウクライナ軍はチャシブヤールの低地側、イヴァニフスケが攻撃に曝されているとしています。
■防衛情報-ウクライナ戦争
 ウクライナがまた大規模な無人機攻撃を行いましたがロシア側の防衛リソースの分散を強要しているのでしょう。

 ウクライナ保安庁によればウクライナ軍はロシア深部へ大規模無人機攻撃を行いました、4月30日付のイギリス国防省ウクライナ戦況報告によれば、ウクライナ軍はロシアのクラスノダールに所在するクシチャフスカヤ飛行場、イルスキー石油施設、スラビャンスコイル石油施設等を攻撃、ロシア軍もウクライナ側無人機66機の撃墜を発表しています。

 クシチャフスカヤ飛行場は、ロシア軍にとりウクライナ本土を攻撃する戦闘機部隊の重要基地であり、Su-34戦闘爆撃機やSu-35戦闘機などが多数駐留しているとのこと。戦闘機へ損害を与えたのかは不明ですが、オープンソース情報では滑空爆弾等が複数破壊されているとのこと。ロシア軍は前線飛行場から毎日100回から150回の出撃を行っています。
■国連ウクライナ人権監視団
 ガザでの死者数報道を考えると複雑な印象ですが。

 国連ウクライナ人権監視団によれば3月にウクライナで死傷した非戦闘員は604名とのこと、4月29日付イギリス国防省ウクライナ戦況報告によれば、この非戦闘員犠牲者数は2月と比較し20%増大しているという。この背景にはウクライナ全土へのロシア軍による無人機攻撃やミサイル攻撃強化と、前線付近での砲撃の増大などが影響しているとのこと。

 攻撃は重要インフラ施設に対するものが増大しており、20カ所が破壊若しくは損傷したという。また子供の死者数が57名と2月よりもほぼ倍増したとされ、この背景には航空機による爆撃の増大が影響していると国連は報告書に記しました。2022年2月24日以来、ウクライナでの死傷者は3万1366名、この内死者数は10810名となっているとのこと。

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