ポム勉強会

すでに公式書き込み板

第15回

2010-06-12 01:03:33 | 日記
【日時】6/25(金)11:00-

【スピーカー】太田(京大院・文・哲学)

【タイトル】理論 vs 形而上学

【アブスト】現代の意識研究は、形而上学的研究と理論的研究が著しく分岐している。一方で形而上学者は、意識を素朴に理解したまま、その形而上学的身分を論じようとする。他方で理論家は、意識の物理-機能-情報的本性を、その形而上学的身分を認識しないままに論じようとする。今回私は、それら二つの文化の間に一つの架橋を提案したい。私は、高階思考理論(Rosenthal, 1986)や多元的草稿理論(Dennett, 1991)といった理論的成果が正しければ、いわゆるゾンビ論証(Chalmers, 1996)という形而上学的問題が阻止されるということを提案したいのだ。それらの理論は、思弁的でもあれば経験的でもあるような仕方で提案・発展・擁護されてきた理論である。それらの理論は間違っているかもしれない。だが少なくとも、そういった仕方で発展する理論が形而上学的問題にアクセスできることが示されることは、自然主義的な哲学者にとってグッドニュースだと思うのだ。

第14回

2010-05-08 01:28:18 | 日記
【日時】6/4(金)10:00-

【スピーカー】佐藤(東大)
【タイトル】Michael V. Antony (2008). "Are Our Concepts CONSCIOUS STATE and CONSCIOUS CREATURE Vague?"のまとめ+α
【アブスト】
あまり知られていない論者だとは思いますが、大変興味深い論文なので紹介させてもらいます。
いきなりですが、タイトルの疑問文に対するAntonyの答えはNoです。
意識の概念はSharpであり、ボーダーラインケースは存在しない、というのがAntonyの主張です。(曖昧な概念、例えばはげの概念には、はげであるともはげでないとも言えないようなボーダーラインケースが存在します)
DennettやPapineau、太田さんを初めとする物理主義的な意識の論者は、意識的な状態には程度差があるということを積極的に認めています。そうすると、意識にはボーダーラインケースがあるということになるわけですが、もし、Antonyの主張が正しいとすると、彼らの理論は間違いであるか、彼らの理論は実は、普段我々が意味しているところの意識、とは全く別のものについて語っていたことになってしまいます。Antonyに対してどのように答えることができるでしょうか??
Vaguenessについての言語哲学的な議論もさらりと復習できたらと思います。


【スピーカー】岩月(ピッツバーグ)
【タイトル】
【アブスト】Meehl, P. E. (1967). "Theory-testing in psychology and physics: A methodological paradox," Philosophy of Science, pp.103-115.
http://www.psych.ucsb.edu/~janusonis/meehl1967.pdf

前回の井上くんの発表に続いて方法論に関する論文を紹介します。この論文では心理学における有意性検定の使用法が批判されます

*記念すべき第15回の報告者も募集中です*

第13回

2010-03-27 20:13:56 | 日記
【日時】4/30(金)11:00-

【スピーカー】井上
【アブスト】
Colin Klein,(2010),"Philosophical Issues in Neuroimaging"を軸に補足を加えつつ。
 Klein論文の趣旨は以下の通り。
 「私はfMRIの証拠としてのステータス(脳画像と普通の画像の違いとか、順方向の推論と逆方向の推論の正当性とか、神経画像データに対する演繹的解釈vs.確率論的解釈とか)についての議論をレヴューします」

第12回

2010-03-10 23:02:22 | 日記
【日時】3/26(金)11:00~

【スピーカー】太田(京大院・文・哲学)
【タイトル】ゾンビと物理主義
【アブストラクト】
意識の哲学者がゾンビにはまるのは、女子中学生がジャニーズにはまるのと同じだという諺があります。クリプキとチャルマーズの議論を紹介したいと思うのですが、できるだけ分かりやすくするために、複数の論文から再構築したものをお示ししたいと思います。

私の知る限りこの論証がもっともクリアに書かれているのは、
Chalmers(2004). ‘Phenomenal Concepts and the Knowledge Argument,’ in Ludlow et al(Eds.), There’s Something about Mary(pp. 269-98), Cambridge: MIT Press.(ウェブにも有)
のなかの第五節だと思います。ただし残念ながらゾンビ語では表現されていません。

ゾンビ語での論証は、
Chalmers(2002). ‘Consciousness and Its Place in Nature,’ in D. Chalmers (Eds.), Philosophy of Mind: Classical and. Contemporary Readings, (pp.247-72), Oxford and New York: Oxford University Press.(ウェブにも有)
のなかの第六節にあるのですが、今度は残念ながら二次元主義を「verify」「satisfy」という謎用語で表現しているので分かりにくいです。(ただし他の部分は意識観をタイプ分けした明晰なものです。)

二次元主義はなかなかむつかしい(私にとってはそうでした)のですが、それについては
鈴木貴之「意識のハードプロブレムと思考可能性論法」
http://www.journalarchive.jst.go.jp/jnlpdf.php?cdjournal=philosophy1952&cdvol=2004&noissue=55&startpage=193&lang=ja&from=jnlabstract
のなかの第二節がとても平易に解説してくれているのでおすすめです。(そこだけでも予習していただけると助かります。)

(次回にもちこし)
【スピーカー】井上(名大・情報科学・社会システム情報学)
【タイトル】Bechtel (in press), "Neuroimaging as a Tool for Functional Decomposing Cognitive Processes"を読む。
【アブストラクト】
論文は、Bechtel教授のHP(http://mechanism.ucsd.edu/~bill/index.html)からダウンロード可。
また、この論文が批判している(と思しき)Loosemore & Harleyの論文は、http://74.125.155.132/scholar?q=cache:BQ65qPAIaBMJ:scholar.google.com/+brains+and+minds+on+the+usefulness+of+localization+data+to+cognitive+psychology&hl=ja&as_sdt=2000
にあります。

第11回

2010-02-16 21:49:20 | 日記
【日時】3/5(金)11:00-

【スピーカー】井上(名大・情報科学・社会システム情報学)
【タイトル】
【アブストラクト】


【スピーカー】君嶋(京大・文・哲学)
【タイトル】二重処理理論の概観
【アブストラクト】
Schneider & Chein (2003) 'Controlled & automatic processing: behavior, theory,
and biological mechanisms', Cognitive Science 27, 525-559
を読みます。1970年代から著者を含む研究者たちによって発展させられてきた二重処理理論dual processing theoryがサーヴェイされています。自動的に処理される認知、何らかの制御下で処理される認知、および両者の関係が、まず行動レベルで性格づけられ、次いでモデル化され、最後にその脳との対応が検討されています。