チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

NHK交響楽団・歴代コンサートマスター

2024-03-03 22:28:00 | メモ

『NHK交響楽団50年史』(昭和52年日本放送協会発行)よりN響(新響・日響)の歴代コンサートマスターです(敬称略。第一コンサートマスター、コンサートマスター、ゲストコンサートマスターの区別なし。ゲストはすべてを網羅していません)。

1. 前田璣(まえだ たまき、1899-1979) 在任期間:1926年~1933年9月




2. 加藤嘉一(かとう かいち、1898-1988) 1926年~1931年2月




3. 日比野愛次(1906-1998) 1933年5月~1952年8月


4.Konrad Liebrecht (1898-1956) 1934年9月~1935年6月


5.黒柳守綱(1908-1983、黒柳徹子さんの父)1937年1月~1942年2月


6. 鰐淵賢舟(1910-1986、鰐淵晴子さんの父) 1942年11月~1944年




7. 本橋晧(もとはしあきら、1910-1985) 1945年~1953年、1956年11月~1959年3月



8. 岩淵龍太郎(1928-2016)1953年9月~1956年3月




9. Paul Kling(1929-2005) 1954年12月~1955年12月




10. 外山滋(1935-2014) 1956年3月~11月




11. 坂本玉明(1932年生まれ) 1956年11月~1970年10月




12. 海野義雄(1936年生まれ) 1959年4月~1970年4月




13. Wilhelm Hübner(1915-2004) 1963年6月~1964年6月




14. 堀伝(ほり ただし、1935年生まれ) 1964年2月~1991年




15.田中千香士(1939-2009、ピアニスト・田中希代子さんの弟) 1966年4月~1979年



16. 川上久雄(1934年生まれ) 1970年10月~1984年




17.徳永二男(とくなが つぎお、1946年生まれ) 1976年7月~1994年

 

18. 堀正文(1949年生まれ) 1979年9月~2015年2月

 

19. 山口裕之(1953年生まれ) 1984年~2013年

 

20. 篠崎史紀(しのざき ふみのり、1963年生まれ )1997年4月~2023年1月、2023年4月より特別コンサートマスター

(緒方英子著『オーケストラ楽器おもしろ雑学事典』より)

 

21. 伊藤亮太郎(1973年生まれ)2015年4月~2024年3月

 

22. Rainer Küchl(ライナー・キュッヒル、1950年生まれ。元ウィーン・フィルのコンマス)2017年4月~

 

23.白井圭(1983年生まれ)2020年4月~2023年3月

(緑風舎コンサートプログラムより)

 

24.郷古 廉(ごうこ すなお、1993年生まれ)2023年4月~ (ゲスト、2024年4月より第1コンサートマスター)

 

25. 川崎洋介(1977年生まれ)2024年4月~ゲスト

 

情報を修正・追加していきます。


【追悼】一種特殊な感情を喚起する音楽(西村朗)

2023-09-18 21:36:00 | 何様クラシック

【西村朗氏は2023年9月7日にお亡くなりになりました】

西村朗・吉松隆『クラシック大作曲家診断』(学習研究社)は8時間の対談をまとめた本らしいですが、楽しくて一気に読んでしまいました。

この本で一番感心・同意したのは西村氏の「一種特殊な感情を喚起するものを持っているボロディンのような音楽と、全然それを持っていない音楽とがあることに気がついた。」という発言です。

自分でも何となくそのようなものが感じられる音楽があるなー、とは無意識に思っていたのかもしれませんが、文字にされて初めてハッキリしました!


西村氏はそのような感情を呼び起こす音楽の例としてボロディンの「ダッタン人の踊り」、「中央アジアの草原にて」(すごく賛成)、シューベルトの未完成交響曲、軍隊行進曲(第1曲)の中間部、シベリウスの「トゥオネラの白鳥」、「悲しきワルツ」、「フィンランディア」、ベートーヴェン第7交響曲のアレグレットを挙げられています。また、モーツァルトにはほとんど感じられないと付け加えられています。

この「感情」というのは、ボクとしては「幼少の頃何かを初めて見聞きした印象、普段は忘れてる懐かしさ、何かを思い出しそうになって気が遠くなる」に近いような気がします。
悲しいとか楽しいとは関係なく、別の世界に連れていってくれてフワーッと落ち着かせてくれるような音楽の瞬間。

こういう特別の感情を呼び覚ます音楽って、そうじゃない音楽とどこが違うんでしょうね?

音階?転調?聴く人のDNAや経験によっても違ってくるんでしょうか(自分は軍隊行進曲の中間部を聴いても「一種特殊な感情」にはなりません)

自分にとってそんな感情にしてくれる部分を持つ曲は例えばこんな曲です↓


特にスラブ系の作曲家の作品に多いと思いました。

・シューマンの「ミルテの花」等の歌曲や「クライスレリアーナ」などの初期のピアノ独奏曲

・ブラームスのドイツ・レクイエム、ピアノ協奏曲第2番第1楽章、交響曲第4番第2楽章、晩年のピアノ曲

・ブルックナーの交響曲第6番第2楽章

・ボロディンの弦楽四重奏曲第2番第1楽章、日本人のために遺してくれたかのような未完の第3交響曲。緩除楽章が聴きたかった。(これはもうグラズノフ作品と言ってもいいのではないでしょうか)

・グラズノフの交響曲全般、特に第1番

・プロコフィエフ交響曲第4番(改訂版)1,2楽章(相当ヤバい)

・プッチーニのラ・ボエーム、トスカの一部(どうしてなんだか全くわからない~)

・ドヴォルザークの交響曲第8番第4楽章、チェロ協奏曲

・ヤナーチェク「草陰の小径にて」

・フィンジのチェロ協奏曲

その他、クラシック音楽に限らず、ビーチ・ボーイズのPet Soundsとか「あります」(小保方さんの声で)。


...西村さんの音楽を聴いてみます!一種特殊な感情になってストレス解消したい~

(2014年3月30日の記事を修正しました)


チャイコフスキーの日記からモーツァルトとベートーヴェンについて

2023-09-06 13:18:07 | 日記

〈2014年10月29日の記事にチャイコフスキーがブラームスについて書いた日記を追加しました〉

「音楽新潮」昭和9年(1934年)3月号にチャイコフスキー(1840-1893)の日記の一部が掲載されており、その中でモーツァルト、ベートーヴェンに対する気持ちが書かれていました。予想どおりの内容ですがちょっと面白いです。緒方慎太郎訳。



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1886年9月20日。

私の死後、私自身の音楽的興味と好みとが解ることは、恐らく多少の興味を惹くことと思う。――私はそうしたことを、会話の中で論ずることをしないのであるから。私は系統的な表に従って述べていこう。各世紀の偉大な音楽家と、同時に私と同時代の作曲者に言及してみる。

ベートーヴェンから始める。彼は一般に、絶対に彼を超えるものなき存在と見られ、後人はその流れに従い、神として崇めねばならぬものとされている。私はベートーヴェンの作品の或る物に頭を垂れる。しかし私はベートーヴェンを愛してはいない。私の彼に対する態度は、子供の頃、軍神に対して抱いた感情を、思わず想起させる。私は彼にこう感じた。――そして今日なお、この感じを変えてはいない。尊敬の感情、しかし同時に恐怖のそれである。

彼は天と地とを創造した。また彼は私をもまた創り上げたのである。それゆえ、私は彼の前に自ら平身低頭する。だが私は彼を愛しはしない。これと反対にキリストは、完全な愛をもって私を満たしてくれる。彼は正しく神である。と同時に人間そのものである。彼は我々が苦しむが如くに苦しむ。彼に対して我々は人間的な憐憫の情を持っている。我々はその理想的なる人間的反面を愛する。

かくて若しベートーヴェンが私の心のうちで、軍神と同じ位置を占めるものとすると、私はモーツァルトを愛し、音楽的キリストとして愛したい。このような比較は、すこしも不遜を意味しないと私は考える。モーツァルトは天使のような嬰児(みどりご)にも似た純真明朗な存在である。それゆえ彼の音楽は、この世のものならぬ美しさに満ちあふれている。もしもだれか、キリストと共にその名を呼ばれる者がいるとしたら、確実にモーツァルトこそその人である。

私はベートーヴェンを論じ始めたのに、今、モーツァルトを語っている。モーツァルトが、音楽界での至上最高の位に在ることを、私は信じて疑わない。何人といえどもモーツァルトのように私の瞳に涙の雨をそそぐものはない。また彼のように、我々が理想と呼ぶものに間近い何物かへ私を結びつけていく歓喜と感情によって、私の全身を打ち揺るがすものもまたないのである。

ベートーヴェンも、人に戦慄と顫動(せんどう)を余儀なくさせるが、それは恐怖の感情をもって迫るのだ。その中にはほとんど苦痛に満ちた何かがある。

私には音楽批評の方法が解らないので、詳細までは触れないが、しかし次の二つのことを私は主張する。

1.ベートーヴェンでは、私は中期の作品と、初期の或る物を好む。私は率直に、その後期の作品、殊に最後の四重奏曲は嫌いである。この後期の作品には、或る光彩こそあれ、ただそれだけのことである。残るは混沌たる世界である。その上で、無限の虚空の中に、この音楽的軍神の精神が翻っている。

2.モーツァルトでは、私は全てを愛している。ちょうど我々が真に愛している者のすべてを慈しむように。とりわけその「ドン・ジョヴァンニ」を好む。その作品によって、初めて私は音楽の何たるかを知ったのであるから。17歳頃まで、私は音楽といえば、イタリア音楽以外に、何も知らなかった。それは確かに共鳴し得るものを持ってはいるが、半音楽にしか過ぎない。

私がモーツァルトのすべてを愛すると言ったって、もちろん、彼の書いた些細な作品までもが、傑作であると主張するものではない。いや例えば、彼のソナタには一つとして、優れた作品と呼ばれ得るものはない。しかしなお、私はそのどれもが、彼の物であるが故に、好ましく思う。なぜかというと、この音楽的キリストは、それらを奏すると、何か神聖なるものを感じさせるからである。

ベートーヴェンとモーツァルトの先人に関して、私は少し述べよう。

私はバッハを奏するのが好きだ。すぐれたフーガを奏でることは興味あることである。しかし私は多くの者が言うような偉大な天才とは思わない。私はヘンデルを第四番目に偉大な人と思ってはいるが、その作品には少しも興味を持たない。グルックは比較的創造性に欠けてはいるが、私はその作品に共鳴するものである。また私はハイドンのある作品を愛している。

これら四人のすべては、だがしかしことごとくモーツァルトに結びついている。モーツァルトのみを理解する人は、この四人の真価を鑑賞することができる。なぜならばモーツァルトは、あらゆる音楽創造者の中で、最も偉大にして力ある彼は、これらの作曲者をもまたその庇護の下に喜んで入れている。そしてこうすることによって、彼等を忘却から救っているのである。彼等はモーツァルトなる太陽から発する光である。
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。。。結局、この日の日記はモーツァルトに対するラブレターだったんですね。

チャイコフスキーはベートーヴェンの作品に恐怖を感じるといっても、それはいわゆる中期の作品群のことだと、そして後期のものは好きだと言って欲しかったです。後期の四重奏曲にも「軍神」がいるとは。。やはり天才の感じることは違いますね。

ちなみにここには「同時代の作曲家」のことを書いた日記は掲載されていませんでしたが、是非読んでみたいです。ブラームスなんかはめちゃくちゃ悪口が書かれているんでしょうか。

【追記 2023年9月6日】

ここのサイトによるとチャイコフスキーの日記にはブラームスについてこのように書かれているようです。

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このうぬぼれた凡人が天才とみなされていることに私は腹が立つ。 ブラームスは有名人だ。 私は何者でもない。 それでも、偽りの謙虚さなしに、私のほうがブラームスよりも優れていると考えていることをお伝えする。 それで、私は彼に何と言うだろう。もし私が正直で誠実な人間なら、彼にこう言わなければならない。

「ブラームスさん!あなたは非常に才能のない人で、見栄に満ちているが、創造的なインスピレーションがまったく欠けている人だと思います。 私はあなたのことをとても低く評価しており、実際、あなたをただ見下しているだけです。」

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誕生日が一緒(5月7日)なのに痛烈ですね。自分はどちらの作曲家の作品も大好きですがそれぞれ脳の違う部分を使って聴いているかも。。


【追悼】レナータ・スコットのファスナー(1985年)

2023-08-18 12:29:59 | 来日した演奏家

【レナータ・スコットさんは2023年8月16日にお亡くなりになりました】

 

晩年のオットー・クレンペラーがフィルハーモニア管弦楽団とベートーヴェンの交響曲のリハーサルをしていたときの有名な話。

クレンペラーのズボンのファスナーが開きっぱなしだったのでオーケストラがそわそわと落ち着かなかった。

クレンペラーが「どうしたんだ」ときいたのでコンマスが「開いてます」と耳打ちするとクレンペラーは「それとベートーヴェンと何の関係があるんだ」と怒り出したそうです。コワっ。きっと恥ずかしかったんでしょうね。



さて以下はイタリアの名ソプラノ歌手、レナータ・スコット(Renata Scotto, 1934-2023)の1985年11月9日東京文化会館大ホールにおけるリサイタルでの出来事です。

休憩後、衣装を替えて出てきたスコットのドレスのわきのファスナーが開きっぱなしなのです。

このまま一曲歌い終わってからあわててスコットはファスナーを上げようとしたけど、うまく上がらないのでピアノ伴奏者のロベルト・デ・キュニンク(Robert De Ceunynck)が手伝いました。

その後スコットは何ごともなかったように堂々と歌い終わったそうですが、恥じらいがあって、なんかカワイイですね!

(Focus誌1985年11月22日号より)

 

【2015年12月6日の記事を修正しました】


【追悼】飯守泰次郎、5年ぶりに帰国(1970年)

2023-08-17 09:26:00 | 日本の音楽家

【飯守泰次郎氏は2023年8月15日にお亡くなりになりました】

音楽の友1970年8月号から「飯守泰次郎5年ぶりに初帰国」という記事です。



↑ 1969年のカラヤン国際指揮者コンクールに4位入賞した飯守氏が5年ぶりに帰国して読売日響の7月定期と8月特別公演を指揮。



「彼の海外での5年間のうち、2年間は下積みに努力し、後半はオペラの仕事を中心に研鑽を重ねてきたが、その成功ぶりは、現地の新聞批評などでも裏付けされている。」とあります。努力家!

上の写真も若くていいけど、今の飯守さんのほうがカリスマ性があって数倍カッコええ!



ちなみに自分はこの前、"ブルックナー交響曲ツィクルス最終回"をオペラシティに聴きにいきました(もちろんプレ・トークにも間に合うように)。



前半のテ・デウムにも、後半の9番にも、その誠実性あふれる音楽にいたく感動。日本人にはやっぱし日本人のブルックナーや!



テ・デウムでは特に合唱団がすばらしかったことは合唱団退場時の聴衆の大きな拍手が物語っていました。相当練習を重ねたんでしょうね。

後半の9番も周囲のお客さんたちがグスグス泣いていて、第3楽章では集団心理で(?)自分もとうとう我慢できず涙腺崩壊。客席最前列の、有名なサスペンダーおじさんが首を振り振り一生懸命聴いているのを見たからなおさら。おじさんはもはや音楽の一部なのか⁉︎



オーケストラ退場後も拍手が鳴りやまず、ひとり指揮者だけがアンコールに応えるあたり往年の朝比奈隆さんみたいでした。

いま、こんなに聴衆が熱狂する日本人指揮者がほかにどのくらいいるんでしょうか?引退とか言わずにカリスマッシュな音楽をこれからも聴かせていただきたいです。