山口日記

その日を記し、その日を残し、来るべき日を見据え、来るべき日を迎えるために。

場所

2024年01月09日 | 日記
眠れないときに、何か見ていると余計に眠れなくなる。そんな時はなにか書いていたら眠くなるかもしれないから、何かを書いてみる。

いつまで働けるのか分からないけど、多分そろそろ折り返し地点。20年働くなんてあっという間だし、まだまだ若造扱いなのに折り返し。変な気分だ。残り半分もっと濃くなるのだろうか。自ら濃くしないといけないのだろうか。もういいような気もするけど、それもつまらないようにも思う。最前線から退く時は、観光タクシーの運転手をやりたいと思ってる。ウンチクを語りながら車であちこち連れ回すのは嫌いじゃない。面白く紹介しようと工夫することも楽しい。客は選ぶ。なのでフェチな内容で攻めたい。自然科学のガイドに憧れる。そのためにはたくさんインプットして、アウトプットの経験を積んでおかないといけない。ここで書くことはアウトプットにつながるだろうから、こうして書いていることも先行投資になると信じてアウトプットする。

土地を転々とする人が多い気がする。自分が高校まで過ごした環境は、ほとんど移り住んでいく人は居なかった。それなのに、ほとんどの同級生は奈良に居ない。大学の連中なんて日本に居ない。グローバル化とか言われる影響なのか、私がそうゆう集団に属してしまったのか、世間一般との比較はできないが、こうして沖縄に定住できていることはありがたいことだと思っている。働き始めに転職と引っ越しを繰り返し、落ち着きのない生き方が普通に続くのかと思ったら嫌気が差して、続けることに価値を見つけられないかと思っていたら、同じところにいても環境は目まぐるしく変わって行くので動いていても止まっていても、大した違いは無いような結果になった。一方で同じ土地に長く暮らしたことで、良くも悪くもいろんなことが見えたり、繋がったりして、根っこが生えてきたような気がする。出張で色んなところに行って、素晴らしいなと思えるのもホームがあるからのような気がする。都会との付き合い方に一線を引くのもホームがあるからできるのだと思う。(全然眠くならない)知らない遠くの街で異文化に触れることは、使ったことのない道具を手に入れたような喜びがあるけれど、使い慣れた道具を手放してしまった喪失感もある。故郷に帰るたび、懐かしさと一緒にこの街を出たいと思った思春期を思い出す。いつか帰るのも良いのかなーなんて思っていても、実際に帰ると出ていきたかった自分を必ず思い出す。

おはようございます。ここで寝てました。いたいと思える場所ができてよかった。ってことです。

2024年01月03日 | 日記
1年前に書きかけた日記をさっき投稿した。毎年、こんなに日記を書いていなかった、という日記を書いて終わっている。なのでもうそのことは書かない。

今年ほ天災と人災で気の抜けた正月を過ごしている場合ではなかった。何事もないことに感謝したり、物欲から遠ざかった生活をしようと仏教の本なんかにも手を出していた時期で、やっぱり生命あっての自分だし、何事もないことが大切な人に対して一番望むものだし、欲を叶えられないことに嘆くのはやめようと改めて思った。



Wonder Wall

2023年01月16日 | 日記
40を越えて来ると、なんだか先が視えてくるようで、このままの延長線上にゴールがあるのであれば面白くないなと思う。要は、成り行きで進んでいるような気がしている。

映画「ワンダーウォール」を見て、大学の寮生を思い出す。一見価値がないようなことを大切にすることが、世界平和に繋がっているような気がする感覚は、ダイバーシティとかインクルージョンとか、カタカナで騒ぎ立てる前からこの国にはあったんだと思わせてくれる。どこで区切るのかと言う議論は置いておいて、単体では収益が出ないような、今の社会では真っ先に切り捨てられそうなことにこそ、本筋の稼ぎ頭を支える役割があるのではないかと感じさせる。音楽やアートでは、商業的に成功した人が成功していないとされる人を高く評価することがある。むしろ他の成功者を否定する。

1年前の記事をとりあえず投稿しておく。

シュノーケリング

2022年07月23日 | 日記
 むせ返るような暑さの夏がまた来て、毎年毎年沖縄に来てよかったなと思う。今年は初めて息子とシュノーケリングをしている。そんな年に限ってシュノーケリングの事故が多くて妻が心配になるのも仕方のないことだ。私も今はまだ一緒に泳ぐことはせず、自分の足が届く範囲で息子を泳がせて見守ることに徹している。コポコポと音を立ててシュノーケルに水が入っていく様子を見ていると、苦しくなって立ち上がっていたのに、いつの間にかプシュっと水抜きができるようなっている姿を見ると、うれしくなってくる。

 半身でも海に体を浸けていると、風は涼しく、それほど熱い天気であることを忘れてしまう。海の色と、潮の香りと、空の高さを感じながら息子がはしゃぐ時間が、どれほど幸せなことなのかと考えてみる。いつの間にかコロナが無い生活も忘れてしまいそうだし、どこかで戦争をしていることもあきらめているし、誰かが殺されてしまうような出来事もドラマのワンシーンのようになってしまう一方で、なにか取り返しのつかない歯車が動いてしまっているのではないかという恐怖心に襲われることもある。誰かが開戦前夜と表現しているけれど、冗談ではない。

 納得のいかないことに対して、どう折り合いをつけるのか。自分ではずっと突っぱねて押し切ることが正義だと思っていた。今も思っている部分はある。いかに押し切るかが力出るとも考えている部分はある。しかし、大局を見て局所にこだわっていることについては馬鹿だとも思うようになってきている。大局が大きくなればなるほど、私のこだわりは局所的な物になり、結局は馬鹿だという結末になってしまうことを理解し始めた。遅すぎる。しかし、分かったつもりで正義を振りかざす部下を説得していると、自分は嫌な大人になってしまったなと思うことはある。リトル山口が嫌な大人だなと言ってくるわけである。きんにくんの上腕二頭筋なみにである。しかし、プライベートな自分が、仕事の自分に「むきになるな」と言ってくるので、くだらない大人になり下がるわけだ。今はそれでいい。もう少し後でむきになってやろうと思う。

2021年02月19日 | 日記
 息子の誕生日プレゼントにルアーを買い釣りに出かける。釣れるはずもないけれど、2人とも気分は上々だ。私の父親、つまり息子のおじいちゃんが私に買ってくれたリールを息子にあげた。小学生の私に買い与えるには上等すぎる物だった。30年近く経って孫が使っていることなんて想像もしていなかっただろう。得意げにルアーを投げる息子はスジが良く、楽しそうに投げているのを満足気に見ている私は世に言う親バカなんだろう。

 25年前、ペンションをやると言い出してから、いろんな人の役に立つようなことを考えてきた。大人も子どもも、自分の居場所で頑張るための英気を養えるような場所、いっときでも良いから逃げ場になるような場所を作る。そんな風に考えてきたけれど、そう考えなければならない、そうあるべきだ、と考えただけで、本当にそうしたかったのかと問われるとそうではなかったのかもしれない。

 11月に植えたチューリップが芽を出した。ダメだったんだろうとあきらめてからさらに時間がたってからのことで驚いた。勝手なもので芽が出たら急に愛おしくなって水をあげるようになる。目に見えて、手の届くものを大切にすることも、大切な事なんだろう。

2020/04/19

2020年04月19日 | 日記


ホンダがコロナ感染者搬送用車両の提供と、フェイスシールド製造を行うことが記事になっていた。さすがだなと思わせる記事は、ホンダユーザーであることをちょっとだけうれしい気持ちにさせてくれる。企業的な負担としては小さいけれど、効果は大きかったんではないだろうか。こんな取り組みの積み重ねが企業を強くすると感じた。運転は、タクシー会社という。企業と企業を結びつけた仕事をしたのは誰なんだろうと考える。役所であれば大したものだ。ホンダであればそこまで仕掛けるようなことを考えていたのかと知りたくなる。

コロナ前に書きはじめたが

2020年04月18日 | 日記


職場の会話が騒音に思えてくると、果てしなくストレスに感じる。耳につく横柄な大声や、エンドレスにリピートされる解決しない愚痴、他者を重んじることができないくだらない同調。ホテル業においてバックオフィスほどホテル業とかけ離れた場所は無いのではないだろうか。お客様のことを考え、他社を敬い、謙遜の心をもって仕事をしている人の対極の場所だ。もう気に食わないことに腹をたてて怒鳴っていたようなことができる立場でもないし、時代でもないけれど、言わずに見過ごすことも腹が立つし、静かに的確に指摘できるほどの技術もない。そう、静かなる炎を心の内に灯しているような人間になりたい。火炎噴射器のようにぶち撒けて、自ら火傷を負ってきた私には、緻密に念密に炎をエネルギーに変えるような内燃機関が必要で、いつまでもぶち撒ける相手を探しているようではいけないのだ。

コロナの危機は12年前のホテル倒産の記憶を呼び覚ます。若気の至りだったのか、話のネタ程度になっていたあの記憶は、当時よりも現実味を帯びて私の近くに居座り始めている。もしかすると、もう彼等を守れないかもしれない。悔しい思いの横では騒音のような会話が繰り返される。なにを守っているのだろうと疑問になる。保身のために私は考えているのだろうか。今考えていることは、きっと誰かの役に立っているはずだ。そうでなければならない。エゴなのだろうか。同士と信じる人達と議論はするけれど、なぜか孤独だ。決定権を持つ機関はいつも遠くで、目の前で痛め付けられていく現場とは気持ちを共にすることはできない。この事は共存できない事象なのか。できるけれど切り捨てられるのか。抵抗することはマネジメント能力が低いと判断され、無能に切り捨てることができる人間がクレバーだと扱われるのは、それが社会の基準なのか。第三案と期待できる策にたいしても、労力と引き換えに却下される。大きなリターンが期待できようとも。もう、この業界から離れようかとか、他も一緒かそれ以下かとか、いろいろ考えてみたけれど、資本主義の雇われる側にいる限り変わらないかと逃げることを諦める。

結局、覆しに覆され、当初の私たちの要望の通りホテルを休業することになった。これが通らなければ希望退職を提出してホテル業界を去ろうと考えていた。四十手前にしてそんな決断はなかなかできないけれど、こんな時でもないとそんな決断もできないだろうと考えていた。3月の時点でほとんど宿泊客はいなくなってそれは少なくとも5月末まで続くだろうと予測を立てると赤字を抑えるには休業しかなった。ただ、もしかして沖縄はこのまま感染拡大を免れるのではないか?という期待感がかすかに漂っていた。しかし私たちのビジネスが成り立つということは、常に感染リスクを高めることになっていることも理解していたので、営業拡大路線に走り感染者が出た場合の緊急時対応のの方が被害が大きくなると考えられたので、どちらにしろ今は営業を続けることは賢明ではないという結論に至った。もう進もコロナ、退くもコロナ。ホテル閉めてお家でテレビ見て世界平和を守るしかなかった。なのに営業拡大路線に進もうとすることがどうしても理解できなかったし、納得のいく説明もできなかった。結局閉めたし。副産物として、アホみたいに安い値段で売られた商品を買った人が、こんなチャンスは逃すまいとキャンセルを拒み、代替え商品の提供を要望し、その対応に苦戦することになった。結局は安売りが自分たちの首を絞める。でも薬物依存のように安売り依存に走るのがレベニューマネージャーの習性。ちゃっかりクローズ対象期間(GW)も安売り商品を入れてくれていたので(無許可で)、そりゃ作業が難航した。

アフターコロナはいかに単価を上げて販売することができるか。サービスを削り落とし、高稼働を叩き出す宿泊特価と戦っていかなければならない。今はその作戦を練ろう。

さくらの妖精

2020年03月21日 | 日記

いつもたくさんの愛情を息子からもらっている。奪っていくもの、与えられたものなんてない。一方的に溢れ出すほどの愛情を息子からもらっている。子どもという存在が、こんなにもなにかを与えてくれるとは思いもしていなかった。むしろ奪い取るものだと思っていた。自分がそうだろうと思っていたからだろう。

空気感

2020年03月20日 | 日記
 ご無沙汰しております。悶々とした人生は、昇進しようが、コロナが流行ろうが何も変わらないようです。この一年で劇的に環境が変わった。昇進して、上司も変わって、部下も変わって、コロナのおかげでマーケットもガラッと変わって。でも私は何も変わらない。

 動悸が激しくなる程の怒りを感じて仕事をしていて良いのだろうか。それを収めるために麻痺させていって良いのだろうか。じゃあ、怒ればよいのだろうか。アンガーマネージメントだとか、マインドフルネスだとかいうけれど、それは無関心になるような気持になってしまう。アドラーなんか読んで見たら面白いけれど、共同体理論になるともうそれは麻痺させているような感覚に他ならないような気がする。のは、私が稚拙だからだろうか。臭いものにふたをするのではなく、笑顔で蓋を開けてきれいに洗浄してしまうような生き方を選ぶ。特にリスクを取っているわけでもなく、大した成功を手に入れるわけでもないのに、こんな小さな会社内に蓋をしても仕方がない。かき回してかき回して、それでも腐っていたらぶちまけて掃除をして、新しい美味しいものを作ろう。挑戦し続けている人間と比べたら大した事でもない。そう開き直るような気持になってきた。

 休みに息子と遊んでいると、本気で子ども心に戻って一緒に遊んでいる自分がいる。それが特別なことではなく、当たり前のことのように。そして休み明けに息子と離れるときに、息子に何かが起きやしないかと不安になる。この不安は本物で、途中で引き返そうかと思うほどの時もある。これから先、自分と同じようなことをすると想像するだけで怖くなってくる。もう完全な親バカなのだろうけれど、親がこんな思いをしていたなんて想像もできない。末っ子の私は実際そこまで心配はされていなかったとは思うけれど。

 会社での時間と、家での時間の対比が笑えて来るが、仕事での自分を息子に見せるにはまだまだ足りない。もっと暴れないといけない。くだらないことでムスッとしている時間は無い。ナンバーガールの無観客ライブを見たが、面白くはあるが、ビリっと来るものはなかった。90年代のベンジーが歌うガソリンの揺れ方の動画はビリっと来た。IDLESのライブ映像は力漲る思いがした。GEZANにも心を揺さぶられた。ヘルタースケルターに期待したがやっぱりBeatlesは好きになれなかった。今更ながらKORNのドラマーRay Luzierに鳥肌が立った。

 iPadを支給され、とりあえず使いまくってみようと手帳を手放してiPad pencilでメモを取る。見返すときの違和感はあるものの、書くことに対する違和感はなくなっていき、考えを整理するメモとしては紙に書くよりも優れているように思えてきた。無制限に書くことができるページと、固まりで移動することができる感覚は紙にはなく、付箋でメモを取っているような便利さがあった。そもそもメモは見返すことを前提としておらず、見返すと言っても必要な人にリキャップするときはメールに打ち直してしまうので結局はその日以降見返すことはヘマをしてしまったとき以外にはない。PDFへのメモの書き込みもこれでやっているが、これについては携帯性を除いて利点は感じられない。どうしても印刷して書き込んでいきたくなってしまう。そもそも書き込むこと自体をやらないようにしていこうと思っているのでそれも良い機会なのかもしれない。40を間近にして、50代以上のPCを使えない人たちを見ると不安になってきたこともあり、結構頑張って使うようにしている。WEBサイトなどの管理についてはこれまで通りの内容で良ければ格段に簡単に管理ができるようになってきているし、このままITと言われる分野は簡単なものになってくれないかと思っているが、簡単になるとその上を行く機能が追加されるのが常である。難しくなるというよりは、今求められる情報がどこにあるのかを見つけることができなくなってしまう。特にデザインされたものなんてすぐに手に入るし、もうあふれかえってしまっていて、ちょっとやそこらのインパクトでは誰も何も感じてくれなくなってしまう。そのなかで生き残っていくことを考えるともう分からなくなってしまうし、一周回って何がダサいかもわからなくなってきてしまう。もうダサいもかっこいいもなくなってしまえばいい。

 ダウンロードしないといけない動画がが思いの他時間がかかって日記が進んでしまいましたが作業が完了したので。また日記を書きたくなってきた。結局ブログって。。。

世代

2019年09月01日 | 日記


38歳。これから仕事盛りと言うときに、少し前までヒーローのように見えた同世代のプロサッカー選手たちがピークを過ぎ、これからに苦悩する姿を見るのは苦しい。本当にヒーローだったし、カズみたいにいつまでもサッカー選手でいるものだと思っていたけれど、それはキングと呼ばれるようなごく一部。もっと長く、細くなっても続けていけるようなプロ体制を作ってほしい。リーグを下げたりして、長くサッカー選手としていれる環境は、そこに飛び込もうとする若い才能を後押しすることができると思う。沖縄でサッカーチームを作った高原選手はまさに同世代。サッカー選手が生きる道を探しているように見える。自分の食いぶちでなく、たくさんのサッカー選手の未来を背負っているように見える。

課長をやって長くなると、図に乗ったもので、部長が能力の割りに優遇されて、課長が苦しい思いをしているように感じてくる。部長にあって、私に無いものは?なんて考える。部長になれば分かるのか。後に続く人に何が残せるのだろうか。