29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

伝統的に国=官僚制が弱い地域に民主制が発展する

2024-04-22 22:37:00 | 読書ノート
デイヴィッド・スタサヴェージ 『民主主義の人類史:何が独裁と民主を分けるのか?』立木勝訳, みすず書房、2023.

  民主制の比較文化史。一種のグローバル・ヒストリーであるが「類人猿の時代までさかのぼって以降順に説明」というわけではなく、古代国家が萌芽する時期からしばらくと、英国で議会制度が形成されて以降の二つ時点をもっぱら扱っている。著者はニューヨーク大学の教授。原著はThe Decline and Rise of Democracy: A Global History from Antiquity to Today (Princeton University Press, 2020)である。

  民主制は古代ギリシアの発明ではなく、世界各地で存在してきたと著者は言う。古代インド、北米や中米のネイティヴ社会、アフリカなどがそうである。大きな集団を作って協力行動することが求められるにもかかわらず、個々の構成員が供出できるものの量(主に食料生産高)を、指導者側が把握できないときに、民主制は生まれるという。指導者側に情報がなくて構成員が情報を持っているという場合、会議を開いて構成員からの合意を取り付けて税を供出してもらうほかない。広い土地に構成員が散在し、かつ土地が余っていて構成員が移動しやすいという環境下ならば、「初期デモクラシー」が生まれやすかったという。

  集約的な農業が発展すると支配者側の情報収集が容易になる。土壌や灌漑などの知識や技術によって食糧生産高を予測できるようになる、また生産的な土地が限定されることで構成員がその社会から離れられなくなる。このような条件で発展するのが官僚機構であり、官僚制によって広い面積を効率的に支配することができるようになった。文書も統治のために機能した。中国、エジプト、メソポタミア、イランといった地域は、古くから官僚機構が整備され、王朝が交代しても継続してきた。こうした伝統のあるところでは民主制が根付くことは難しい。一方、西ヨーロッパは中世に至るまでに粗放な農業形態を続け、絶対王政の時代でも王権が弱く徴税能力が低かった。このように官僚制の伝統が弱かったために民主制の導入が容易だったとする。

  近代デモクラシーは初期デモクラシーと何が違うのか。初期デモクラシーにも代議制的な形態があったが、代表者は彼を選んだ構成員の意見に拘束されていた。委任された立場から外れてはいけない、というのが初期デモクラシーである。これを国制に採り入れると、代議員を送り込んだ各地域が拒否権を持つことになり、国レベルでの意思決定が非常に困難なものとなる。大航海時代にオランダが覇権をとることができなかったのは初期デモクラシー型の政体だったためであり、一方でイギリスが上手く行ったのは議員が全権委任されていた(すなわち彼を選んだ構成員の合意をとる必要がなかった)からだと推測されている。すなわち、近代デモクラシーは、個々の地域を尊重するものというよりも国家の統一的な政策の実行を可能にするものである。

  近代デモクラシーは、広大な地域と人民を統治するため官僚機構を導入しつつそれを民主主義によってコントロールする。だが、構成員と遠くにある政府との一体感は失われやすい。この困難を克服するために、独立後の米国では、政府による新聞への支援などを行ってきた。しかし、メディア環境が変わってしまい現代では再び大きな問題として浮上しつつあるという。とはいえ、民主制の伝統のあるところは民主政治が続くはずで、一方の官僚制が先行した国では今後も民主主義が花開くことはないと著者は予想している。

  以上。民主制とはすなわち会議での合意による支配であり、話し言葉の世界である。一方で、書き言葉は、官僚による統治とのセットであったり、米国における新聞のように政府との距離を埋める媒体であったりと、統治寄りの技術であることがわかる。著者もはっきりと書き言葉は民主主義と結びつくものではないと記していて、情報と民主主義の関係を自明視する図書館関係者は冷水を浴びせられることになる。
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【宣伝】『日本の公立図書館の所蔵』が出版されました【宣伝】

2024-04-17 08:47:17 | チラシの裏
  大場博幸著『日本の公立図書館の所蔵:価値・中立性・書籍市場との関係』(樹村房)が出版されました。図書館の平均的な所蔵傾向を把握できるだけでなく、所蔵一冊あたり新刊書籍の売上がどのくらい減るか(もちろん条件付きの推計値ですが…)がわかります。純然たる研究書なので中小規模の書店には出回らないと思いますが、大規模書店ならば目にすることがあるかもしれません。発行は4月11日で出版社と直取引した一部書店ではすでに店頭販売されていました。通常の場合、すなわち取次経由の場合、4月17日からの販売となるようです。オンライン書店も同様ですが、アマゾンはなぜか4月19日になっています。

  樹村房『日本の公立図書館の所蔵』site https://www.jusonbo.co.jp/books/303_index_detail.php
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公務員に向けて自治体が持つ公共施設をどう削減していくか説く

2024-04-15 21:12:44 | 読書ノート
志村高史『自治体の公共施設マネジメント担当になったら読む本』学陽書房, 2021.

  ハコモノ施設をたたむうえでの公務員向けのハウトゥー。多くの自治体で近い将来に予想される、人口減に伴う税収減と公共施設の老朽化。地方自治体は所有する公共施設を減らすことを避けられず、削減プロジェクトをどう進めたらよいかについて解説している。著者は神奈川県秦野市の職員。

  全8章のうち、最初の3章は公共施設の更新問題の深刻さを説いている。建替え時期に重複があることや将来確実な税収減のため、事前に対応をよく計画しておかないとたちまちのうちに財政難に陥る可能性があるとのこと。問題を先送りするだけの長寿命化よりは、利用量に対して維持費が見込めない施設は閉鎖したほうがよいというのが著者のスタンスである。4章以降、反対派を説得するにはどのようなエビデンスを集めたらよいか、更新計画という名の削減計画のポイント、残すべき施設をどのような形で維持してゆくか、民間との連携などについて記している。

  著者によれば、利用者一人あたりのコストを計算すると、“図書館は、1,000~2,000円となる高コスト体質のハコモノです”(p.135)だって。おそらく秦野市における試算だが、他の施設と比べて図書館には金がかかっているらしい。図書館は安いというイメージを持っていたが、自治体から見ればそうでもないというのを知った。
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英米前世紀末の学術書および大学教科書の出版事情

2024-04-11 16:42:40 | 読書ノート
John B. Thompson Books in the Digital Age: The Transformation of Academic and Higher Education Publishing in Britain and the United States. Polity, 2005.

  1980年代から2000年代初頭までの学術出版の動向を伝える大著。ケンブリッジ大の社会学者Thompsonの出版三部作の最初の著作で、その後Merchants of CultureBook Warsと続く。他の二つと同様、内容はインタビュー調査を元にしている。

  米英では1980年代から1990年代にかけて学術書が売れなくなった。1970年代ならば初版で3000部刷っていたのが、1990年代になると1000部を切るような水準になっている。特に歴史や人文学書で落ち込みが大きい。その理由は大学図書館が学術書の購入を厳選するようになったからである。同時期、資料費の多くが学術雑誌とそのデータベースに割かれるようになった。それゆえ学術書に充てられる予算が縮小してしまったのだ。

  この傾向に対して学術出版社はどう対応したか。一部の社は学術の成果を伝える一般向け書籍を出版し、また一部の大学出版局は大学からの援助を求めたりした。もっとも重要だったのが大学教科書領域への参入で、一年生向けの教科書の場合は大手出版社がシェアを握っているけれども、上級レベルになると中小出版社にもニッチが残されてきたという。ただし、国や分野によって微妙な違いがあることも指摘される。

  このほか編集と印刷の電子化によるコストの削減や、学術書や教科書を電子化・電子的頒布する実験的試みが紹介されている。紹介されている実験的試みは17年後のBook Warsでは言及されていないので、上手くいかなかったということなんだろう。

  以上。もはや最新情報ではないものの、20世紀末の英米の学術出版の動向が整理されていてためになる。頁数は480頁ありとても長い。
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日本のエンタメ産業の動向を広く簡潔に紹介

2024-04-10 08:00:41 | 読書ノート
中山淳雄『エンタメビジネス全史:「IP先進国ニッポン」の誕生と構造』日経BP, 2023.

  日本のエンターテイメント産業の歴史。といっても詳細なものではなく、非常にざっくりとした整理を試みるビジネス書である。なにしろ、興行、映画、音楽、出版、マンガ、テレビ、アニメ、ゲーム、スポーツと扱う領域が広く、江戸時代や明治時代に端緒を求めたと思ったら中途をすっとばしてすぐに戦後の展開に移るという具合である。正確な歴史を期待するよりも、1990年代以降の状況、どのようなビジネスモデルで収益を得ているか、海外市場との比較、これらを知るのに適しているだろう。副題にあるIPはintellectual propertyすなわち知的財産のこと。

  当然ながら領域毎に展開は異なる。興行はインターネットの登場によって縮小すると考えられたが、逆に成長産業になった。多くの国の映画市場で米国産の映画が8~9割のシェアを占める中、日本(そして韓国・中国・インド)の映画市場はまだ自国産の映画が50%以上を占めている。以上のような領域の現状と、そこに至るまでの画期となる作品や人物、事件が触れられる。最後の章では、著者は日本人の創造性の高さや職人気質を称賛しつつ、その一方で海外マーケティングの戦略や能力が欠けているという指摘を行う。

  最後の指摘は著者のポジショントークが入っていると思われる。著者はエンタメ社会学者名乗っているが、同時に邦エンタメ産業が海外進出をする際のコンサル業をやっているとのこと。とはいえ、前世紀とくに1980年代を経験した者にとっては、「創造性があるが商売下手」という日本人評価は時代の変化を強く感じる。自動車産業や家電企業が栄え、トヨタやソニーが世界的企業となった1980年代、当時の日本人像は「商売優先のエコノミックアニマル、創造性はなくて模倣が上手いだけ」というものだったからだ。
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米国音楽業界について細かくかつユーモラスに解説する書

2024-03-21 09:28:26 | 読書ノート
Donald S. Passman All You Need to Know About the Music Business / Eleventh Edition. Simon & Schuster, 2023.

  音楽家を対象に米国の音楽ビジネスの慣行を教える内容。ユーモラスな調子で書かれており英語話者にとっては親しみやすいらしい。500頁以上にわたって音楽ビジネス上のさまざまなケースについて細かく解説されており、レファレンスに耐える作りになっている。著者はこの業界に長年かかわってきた弁護士で、初版は1991年、以降およそ三年毎に改訂され、現在は第11版となっている。定番書籍である。

  第11版はSpotifyなどのストリーミングについて詳しい。収益が再生回数によって決まるのは周知のことだが、正当なアルゴリズム対策──レコメンドされやすくする──というものがあって、そうした対策にはまだレコード会社の力が必要らしい。31秒の曲を作って(Spotifyは再生時間が30秒を超えると「聴かれた」として収益の対象となる)、ロボットに一日中リピートさせるというハッキングを思いついた人物もいるらしいが、不正だとして告訴されている。

  このほか、音楽家に必要なマネージャーや弁護士、レコード会社との契約、自作曲を登録する出版社との契約、ツアー、映画での曲の使用などについて採りあげている。業界慣行のおよその印税率というものがあるにしても、レコーディング費用を音楽家が払うかレコード会社が払うかなど細かい論点がある。プロデューサーに払うプロデュース料は一括払いではなく印税方式らしい。また、ストリーミングの時代になってシングル単位での消費となっているにもかかわらず、アルバム単位での計算方法がまだ残っているとのこと。

  最終的には、音楽ビジネスは交渉次第、そこで重要なのは「影響力」──ファンの多さやポテンシャルなど──だということである。さまざな契約の局面があって、それぞれで広い選択肢があるが、そのような場で有利な数字を引き出すには影響力に行き着くとのこと。こういったことがわかる。米国で音楽ビジネスに関わるならば必読の内容であるが、そんな日本人は多くないだろうな。米国の書籍は定価販売されないと聞いていたが、本書は35ドルと希望小売価格(?)がカバーに印字されている。
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新刊書店の現状についての本と昔の古本屋経営についての本二冊

2024-03-20 20:41:52 | 読書ノート
志多三郎『街の古本屋入門:売るとき、買うとき、開業するときの必読書』KG情報出版, 1997.

  経営者目線からの古本屋論。初版が1982年(石田書店)で文庫版が1986年(光文社)。僕が読んだのは1997年の復刊本である。ブックオフによって目立たなくなった個人経営の古本屋の実情を詳細に伝える内容である。棚貸ししているだけの新刊書店とは違って、古本屋の棚に並んでいるのは店主が買い取った個人の所有物である。「だから客とはいえ気軽に本にべたべた触るな」ということらしい。この箇所を読みながら、もう30年も前となる学生時代、横浜とある古本屋で「お前みたいな若造が来るところではない」と怒鳴られ、追い出された経験を思い出した。客は持ち込む前に店の傾向を吟味せよ、ともアドバイスしてくる。このような非常に面倒くさい昔ながらの古本屋が嫌われて、持ち込み客のハードルを低めた新古書店が大歓迎されたというのは、時代の流れとしてとても腑に落ちる。まあでも、具体的な数字もあり、昔ながらの古本屋経営者の論理について理解できる貴重な資料だろう。

本屋図鑑編集部編『本屋会議』夏葉社, 2014.

  書店論と書店のルポ。昨年あたりから老舗の小売書店閉店の報道が相次いでいるが、本書は神戸元町にあった海文堂書店の閉店(2013年)に本屋図鑑編集部がショックを受けて、翌年に企画されたものである。明確にそううたわれているわけではないが、有隣堂や留萌ブックセンターのルポや、地域に献身的な書店主がたくさん出てくることから、地元と密着するのが生残りの道であることを伝えている。また、昭和の書店経営についての議論もあって、全国の書店のどこでも金太郎飴のように同じものが揃えられていることに意義があったとしつつ、今と同じように過去も書店経営は厳しかったと論じている。一方でまた、インターネットの普及で雑誌が売れなくなったこと、かつまた大型書店やネット書店が登場したこと、これらが街の書店を色あせたものにみせる時代になったことが指摘されている。小売書店がいろいろ試行錯誤しているのはわかった。が、もう十年も前の話なのか...。
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戦前日本のレコード検閲の実態、特定個人に頼りすぎ

2024-02-28 19:02:51 | 読書ノート
毛利眞人『幻のレコード:検閲と発禁の「昭和」』講談社, 2023.

  日本におけるレコード検閲史。著者は音楽評論家。巻末リストに挙げられている、検閲で発禁になった作品のいくつかは、探せばネット経由で聴くことができる。実際聴いてみると、「この程度で…」と思わされることがたびたびだった。

  レコードは19世紀末に発明され20世紀初めには日本国内で流通するようになる。だが、1930年代までは国レベルでの制度化されたレコード検閲というのは無かった。ただし事後検閲はあって、明治大正の間、すでに発売されて流通してしまったレコードを、各県あるいは様々な省庁が内容いかんで場当たり的に規則を適用して取り締まっていた。それが1934年の出版法の改正によってレコードが適用対象となり、ようやく国レベルで発売時に検閲が実施されるようになったという。

  対象となったのは、漫才を録音したレコードのエロいセリフ、大衆音楽ではエロい歌詞や歌い方を備えた歌謡曲(「ねぇ小唄」なるジャンルがあったとのこと)、治安に悪影響すると考えられた演説レコードなどである。戦時中になると音楽スタイルまでチェックされるようになり、軍歌ばかりが幅をきかせるようになる。また、検閲主体も内務省(ただし数名)から軍に替わったとのこと。だが、そのような状況下でもジャズを用いた邦楽がたびたび検閲で見逃されることがあり、さらに英米のオーケストラによるクラシック音楽も発売されることがあった。

  内務省で実際にレコード検閲を行っていたのが小川近五郎という人物で、経歴の詳細は不明なところがあるらしいが、たびたびメディアに出てきては検閲官としての視点を語っていたとのこと。ただし、検閲は少人数で行われており、漏れも多かった。レコードが流通した後で市民からクレームが付き、後から発禁にすることも多々あった。第二次大戦の敗戦後しばらくの間行われたGHQによる検閲のほうが、検閲官の人数が多く(1万4千人いたとのこと。ただし活字担当のほうが多かっただろう)、また検閲の痕跡も残さない点で洗練されていた、と評価されている。

  以上。国家による検閲というと官僚的で厳格だというイメージも付随する。だが、レコード検閲に限れば基準があいまいで検閲官個人に依存するところが大きく、組織的なものに十分なりえてなかった(ただし処分に関しては厳しい)というのが読後感である。GHQにように資源をふんだんに投下して集中的に実施できなかった、というのが日本の弱さかもしれない。検閲そのものより、目的を達成するための組織運営というかマネジメントの問題の方に頭を抱えてしまう。
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西洋人の心理が特異なのは教会が親族関係を破壊したから

2024-02-13 20:38:08 | 読書ノート
ジョセフ・ヘンリック『WEIRD「現代人」の奇妙な心理:経済的繁栄、民主制、個人主義の起源』今西康子訳, 白揚社, 2023.

  文化心理学と世界史。さまざまな民族の間にある性格の異同を検証しながら、西洋人特有の精神的特徴を浮彫りにする。それだけでなく、そのような特徴を持つに至った原因にまでさかのぼり、それが歴史的にどのような結果をもたらしたのかについて論じている。著者は『文化がヒトを進化させた』の邦訳のある進化人類学者で、原著はThe WEIRDest People in the World : How the West Became Psychologically Peculiar and Particularly Prosperous (Farrar, Straus and Giroux, 2020)である。

  文化間比較によると、個人主義的傾向、分析的思考、傾向性主義(行動の原因を個人の置かれた状況にではなくその個人の性格に求めること)、非人格的向社会性(非血縁者や見知らぬ人を信頼する度合いが高いこと)の四つは、他の文化では見られない西洋人の心理傾向であるという。(ただし現代では非西洋人でも都市に住む大卒者ならば同じ心理傾向を持つ)。

  非西欧圏では、個人は親族ベースの人間関係の中に埋め込まれており、それが生きる上でのセーフティネットになっている。個人のアイデンティティは親族関係によって外から与えられる。結婚相手は親族ネットワークを通じて決まる。そして、年長者か否かなど相手によってコミュニケーションスタイルが変わる。すなわち関係に合わせた自己の表出となるため、外から見ると人格において一貫性が無いようにみえる。財産があったとしても、それは個人のものではなくその家系のものであって自由に処分できず、偶然得られた収入に対しては親族間で共有しようとういう圧力がかかる。したがって、蓄財に努力する動機がない。こうした親族重視の社会システムは世界各地で見られる現象であり、進化学を踏まえれば理解できるものだと著者は記す。

  特異なのは西洋人のほうで、なぜ上記のような特徴を持つに至ったのか。それはカトリック教会の影響だという。中世の教会は婚姻形態を監視し、一夫多妻から、寡婦を死亡した夫の兄弟が娶ること、さらにかなり遠い血縁関係の間での結婚までを禁止した。これによって古代ヨーロッパに存在した各部族の有力氏族が解体されてしまい、家庭は夫婦と子どもだけで構成される核家族となってしまった。親族ベース社会が失われた結果、経済的自活は個人の才覚と勤勉さに依存することになった。また、個人は非血縁者と協力して共同体──教会、ギルド、都市──を作り、新しいセーフティネットとした。それら共同体は(キリスト教が基盤にあることもあって)構成員間で公正・平等な意思決定システムを作り上げた。

  西洋人の心理傾向は、中世に広まった上のような環境に適応したものだという。そして、こうした心理傾向が、結果として民主制や産業革命をもたらしたとする。以上のような仮説について、著者自身によるものも含めて「心理傾向⇒社会制度」という因果関係を予測させる研究結果を示しながら補強してゆく。もちろん、完璧な証明ではないけれども。だが、全婚姻に占めるいとこ婚の割合によって国の間に心理傾向に違いが現れることや、同じ民族の中でも市場への近接度で私有に対する感覚が違うなど、関係があるなどとはまったく想像したことすらないような概念間の相関関係を示唆する研究結果や実験結果が紹介されていて、驚かされることばかりである。なお、日本は個人主義的な西洋と親族ベース社会(例えば中国)のちょうど中間あたりに位置づけられている。

  本書はグローバルヒストリーという領域を数段上に引き上げる内容である。これまで読んできた多くの近代化や経済発展をめぐる議論──ウェーバーほかの近代化論、開発経済学、経済学の制度学派、社会関係資本、フランシス・フクヤマ、日本の山岸俊夫の研究などなど──が、本書によってきれいに整理されてしまった。特に、制度が先かメンタリティが先かという議論に対して、文化と心理の共進化という回答を説得力を持って提示していることは大きい。しかも、親族ベース社会⇒農耕⇒親族社会のメンタリティ強化⇒教会⇒西洋人の心理傾向の形成⇒民主制・経済発展と、きちんと要素間の順序を与えている。もちろん細かいところに疑問がないわけではない。けれども、筋書としての完成度は非常に高いと言える。この本を読んでない人間に、普遍性とか文化相対主義を語ってほしくない、と思えるレベルである。
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図書館員によるSTEM教育の事例集、将来の発展に期待

2024-02-04 11:42:41 | 読書ノート
Victor R. Lee, Abigail L. Phillips, eds. Reconceptualizing Libraries : Perspectives from the Information and Learning Sciences. Routledge, 2018.

  図書館員による10代を対象としたSTEM教育の実践事例集。STEMと言えないケースも少々ある。ただし当初からそう意図されて作られたというわけではなくて、序文を読むと情報科学と学習科学それぞれの成果を共有・活用することを目指していたことがわかる。だが、編者らが図書館関係者に執筆を呼び掛けた(?)結果そうなったのだろう、集まった論文からは「科学」の印象はない。ただし、これは新しい試みであり、2017年に創刊されたというInformation and Learning Scienceなる学術誌を通してその発展が期待されている。

  どのような事例が挙げられているのか。メイカースペース、照明を備えた壁画のデザイン、プログラミング教育、代替現実ゲーム(ARG)、VRを取り入れた学習、図書館員のメンターシップ、地方の小図書館での青少年利用の促進、ケーススタディを挙げての学校司書の役割論などである。14の論文のうち、12章だけが因果関係を科学的に検討している。といってもレビューであり、ハッティ著『教育の効果』の効果などを参照しながら、図書館員が10代の子どもたちを相手にどうSTEM教育に取り組んでいけばよいかについて検討している。

  個々の事例自体は興味深く、それなりに参考になる。インターネット検索を用いる事例では、米国だと子どもの親や教育団体を意識せざるをえないことがわかる。また、子どもの側も大人が入ってくることに警戒感があるそうで。そういうわけなのか、SNSを用いる事例はない。なお執筆者は米国人(米国在住者?)しかいないのに、出版社は英国である。
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