ほぼ週刊イケヤ新聞ブログ版

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仕事の記録 AktioNote 創造する人のためのプレイリストFEB 14, 2023追悼 ジェフ・ベック「さよなら、永遠のギター少年」

2023年02月14日 10時38分14秒 | コンサートレビュー

仕事の記録 AktioNote 創造する人のためのプレイリストFEB 14, 2023追悼 ジェフ・ベック「さよなら、永遠のギター少年」

 
池谷恵司
 

 

入魂しました。

ジェフ・ベック、大好きだったし、東京国際フォーラムでのライブも行ったけど、ギタリストとして直接的な影響はあまり受けていないと思っていた。ベックのワイヤードとか、ヤン・ハマーとの共演のライブ・ワイヤーとか、あのあたりがハイブローですごすぎて、影響を受けるどころではない、なんだかすごすぎてわからない、というのが高校時代の俺だった。もろに直接的な影響はジミ・ヘンだ。(というか浜松のジミヘンのカバーバンドのイザベラ)

が、今回記事作成する上で再度ジェフ・ベックのキャリアの頭から終わりまでガーっと聴いてみたところ、意外にももの凄う影響を受けていたことを自覚しました。

特に、ジェフ・ベック・グループ。ロン・ウッドの唸るベース、ロッド・スチュアートのカッコイイボーカル。それらを引き裂くぐらい鋭いジェフのギター。あの感じは、たぶん高校時代にものすごく影響を受けていた、と思う。たぶんベック・オラを散々聴いたんだと思う。アルバム一枚流すFMの番組が当時あって、それをエアチェックした気がする。

脱線するが、今のように世界中の音源をなんでもかんでも検索してただで聴き放題、という時代ではなく、アルバムは高いし(1970年代から2500円)、しかも田舎の街では、そうそういいアルバムは売っていない。東京に来たときにタワーレコードに行って、幸せで倒れそうになった、という状況で聞くアルバム1枚への集中度と吸収度は、今のそれとは比べものにならないのだった。YouTubeがないので弾き方がわからず想像してやってみるのも楽しいところで、美しい誤解から新しい奏法が生まれる可能性もあった。

記事にも書いたけど、とにかく1931年にエレキギターが生まれて90年だが、その歴史の中で、エレキギター弾きとしては頂点にいるのがジェフ・ベックであることは、疑いがないし、あらゆるギター弾きはジェフに敬意と弔意を示すべきだと思う。

ジェフ、少年時代に俺の脳みそを吹っ飛ばすエレキギターをお見舞いしてくれて、ありがとうございました。いまでも毎日楽しく弾いています。お陰で幸せな人生です。


Kindle 読書日記 超ミニマル主義-四角-大輔 面白かった

2023年02月03日 14時18分00秒 | Photo&エッセイ

 

Kindle 読書日記 超ミニマル主義-四角-大輔 面白かった

 
池谷恵司
 

https://www.amazon.co.jp/超ミニマル主義-四角-大輔-ebook/dp/B09WMLNQCC

超ミニマル主義-四角-大輔 面白かったです。

結構厚い本で、基本的に削ぎ落とすことを重視していますが、
最も重要なことは以下の8箇条に集約されています。

1.最も⼤切なことに集中するために、他のすべてを⼿放す

2.⾝軽さ、⾃由度の⾼さ、遊び⼼が、潜在能⼒を最⼤化する

3.最短時間で最⼤効果、最⼩労⼒で最⼤パフォーマンスを

4.仕事を愛し、楽しんで働くことで最⾼のアウトプットを

5.心を軽くするために、体の負担と環境負荷を最⼩化する

6.上質な成果を出し続け、持続的に働くために暮らしを整える

7.時間に極端なメリハリをつけて初めて、⼈⽣は豊かになる

8.仕事は究極の遊びであり、働き⽅は⽣き⽅である

仕事を“軽く”して楽に生きる。執筆家・四角大輔さんが考える「超ミニマル主義」
https://ideasforgood.jp/2022/09/16/minimalism/

 

登山、旅の極意は「荷物の必要最小限の追求」だと思いますが、実は人生も旅であって、持ち物(物理的なもの・精神的なもの)含めて、どこまで最小化できるかが、豊かな行程(日々)を送れる鍵なのではないか、と思いました。

具体的なグッツの紹介などもあり、とても良い本でした。再読したいと思います。


今年の抱負は、仕事を減らす、音楽を増やす、家族と友人を大切に。

2023年01月02日 11時48分25秒 | DIARY
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今年の抱負は、仕事を減らす、音楽を増やす、家族と友人を大切に。

 
池谷恵司
 

今年の抱負は、仕事を減らす、音楽を増やす、家族と友人を大切に。

とする。

あと4日で還暦だしな。

あとはいただいた命なので、他人と自分のために素敵なことをしていきたいと思います。

 

ことしはあまり短すぎるNOTEはやめようとも思っていますので、あとで追記するつもり。


「いまはもう、人生を語ろう」#01 音楽以前からポセイドンの目覚め

2022年11月25日 23時18分21秒 | DIARY

「いまはもう、人生を語ろう」#01 音楽以前からポセイドンの目覚め

 

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僕の音楽体験は、浜松だけあって幼稚園の年長、一年生、二年生とヤマハ音楽教室にいったことだった。が、この時は音楽にはほとんど興味が持てず、オルガンも買ってもらったのか、家にあったが練習は全くしなかった。当時は野球が大好きで、ヤマハが終わってからは野球ばかりしていた。

音楽に目覚めたのは、父の死に関係がある。父が僕が小学校の4年の時に亡くなり、母が実家にしばらく身を寄せることになった関係で小学校の時転校することになった。浜松城北小学校から浜松鷺ノ宮町学校に引っ越したのだ。僕の人生で転校はこの1回(後にまた城北小学校に戻るので言って戻って都合2回だ)だけだった。

転校って、やっぱりキャラクターに影響を与えるのだと思う。転校先の鷺ノ宮小学校にはトランペット鼓隊があった。それまで一切音楽には興味がなかった野球少年だったのに、僕はなぜかトランペット鼓隊に入りたいと思った。これはいまだに理由は謎だ。謎だとおもったことは明瞭に覚えている。夜、母の実家の離れのような部屋で家族三人で寝ていたが、トランペット鼓隊に入りたいと思った夜か、あるいは入って良いと言われた夜か覚えていないが、寝ながら天井を見て「ああ、不思議だな、なんでトランペットが吹きたいのだろう」と小学校5年生ながら、なんか不思議なものを感じたのだった。

そして無事トランペット鼓隊に入ってトランペットを吹いた。特段上手く吹けたわけではなく、下手だったと思う。今思えばアンブシュアもなにもあったもんではなく、ただ鳴るように小学生が適当に吹くのだから、上達できるようなアンブシュアが身につくはずはない。あまりよくないことだった。事実僕はその後中学・高校でアンブシュアの悪さに悩まされることになるのだった。

とはいえトランペットが吹けたことは嬉しかった。

が、また転校だ。一年半あまり母の実家に家族もろともお世話になった後、また昔の家に戻り、昔の小学校(追分小学校)に出戻ったのだった。

その当時戻った追分小学校にはトランペット鼓隊はなかった。でも僕はどうしてもトランペットが吹きたかった。それでどうしたか。ヤマハかじまち店でトランペットのカタログを穴が空くほどながめつづけ、結局お年玉を集めたお小遣いで、ヤマハのコルネットのカレッジモデルを買ったのだった。

 

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たぶん買ったのはこれ。YCR232

なぜかコルネットを買ったところが、我ながら渋い。当時コルネットの形に魅入られたのだ。当時の自分に今いってやりたいのは「お前、コルネット選ぶなんていいセンスしいてるぜ」ってこと。

でコルネットを買い、家で練習し(当時は牧歌的で家でラッパの練習をしても、近所から怒られた陸上をもらうことはなかったのだ)、ときおり浜松まつりで進軍ラッパを吹いたりしつつ、まずは小学校時代はラッパを吹く、ということろから、僕の音楽始まったのだ。

第1回終わります。

 


「いまはもう、人生を語ろう」イントロダクション

2022年11月25日 23時16分50秒 | DIARY
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「いまはもう、人生を語ろう」イントロダクション

 
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池谷恵司
 

オレは吉田拓郎のファンであったことはないが、フォークが音楽人生の始点なので、それなりに影響は受けている。「今はまだ人生を語らず」というタイトルが素晴らしい曲がある。

サビは「こえてゆけそこを、こえてゆけそれを、今はまだ人生を、人生を語らず」だ。まさにボブ・ディランだなぁ、すごい。

これが心の中にあったので、今まで自分の人生を回顧するようなことはなかったし、それを文字の形で書き残すことも無かった。

が、還暦もそろそろ見えてきたし、自分の記憶もかなりあやふやなので、誰のためにもならないが、自分のためと、あとは、もし偶然見つけたら読んでほしいのは俺の唯一の誇りとも言える、わが子、響のために、「いまはもう、人生を語ろう」を数回にわけて書いておこうと思う。

なのでほかの人はスルーしてください。


Shinzo Abe's state funeral day at Ichigaya station

2022年09月29日 11時00分04秒 | DIARY


私にとってはたらくとは? 遊びではなく、仕事だからこそ、最高に楽しくて気持ちいい。

2022年09月17日 08時16分44秒 | DIARY
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私にとってはたらくとは? 遊びではなく、仕事だからこそ、最高に楽しくて気持ちいい。

 
池谷恵司
 

というのをやっていたのを知った。終わってるけど、別にコンテストでかちたいわけではなく、書いておきたいので書いておく。特に子どもに伝えたいが、直接言うのは恥ずかしいので、ほかの人にはおめざわりかもしれないが、いつかこのエントリーをひょっとして見つけるかもしれないから、という動機で書いておく。

ライブの本番と同じように、そして野球で言えば公式戦と同じように、ヒリヒリするような緊張と、失敗したり上手くいかなかったときのリスクがある状況でこそ、上手くできたときの歓び、快感、そしてリワードが大きい。仕事はまさにそれで、遊びのように失敗しても笑って済ますことができるところには、真の楽しさ、歓び、快感はない。

だから、仕事とは、マジの場であり、一番楽しいことであり、またそれでほかの人の助けになったり、喜ばれたり、感謝させることは、一番の快感だ。

だから仕事しろ。


仕事の記録 Koji Note 私のとっておきの大分 第5回【前編】学業も、バイオリンも、欲張りたい!バイオリニスト廣津留 すみれ

2022年07月21日 08時39分03秒 | 広告・コピー論・批評
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仕事の記録 Koji Note 私のとっておきの大分 第5回【前編】学業も、バイオリンも、欲張りたい!バイオリニスト廣津留 すみれ

池谷恵司
 

https://www.sanwa-shurui.co.jp/kojinote/with-people/interview/vol05/

 

ひとりで颯爽とインタビュー会場にいらっしゃった廣津留すみれさんは、若くて美しく、可憐なお嬢様でしたが、その場に並み居るおっさんたちの誰よりも成熟していて、人生のミッションをしっかりと意識した、素敵な大人だったと思います。

廣津留すみれさんは大分の公立高校から名門ハーバードに入学された人です。
時々思うのですが、音楽家って音楽だけできればいいわけで、音大に行く人が多いとは言え(廣津留すみれさんもハーバードの後はジュリアード、つまり音大なので、音楽家としてはある意味あたりまえかもしれない)、ミュージシャンに高学歴の人って結構多い気がする。世の中で東大出身の人ってあまり出会いませんが、私見だとジャズ業界は東大ジャズ研出身者って結構多い。京都大学とかも多い。げんに僕がやっているジャズクインテットもピアニストは東大ジャズ研出身で、大学教授だ(海外の大学に赴任につき現在は脱退中)。
音楽家が必ずしも(というはほぼ100%)収入が恵まれているとは思えないし、音楽じゃない仕事のほうが、格段に収入も、一般的な意味での社会的地位も高くなるはずだと思うんですが。それをなげうってでもやる価値、意味、面白さ、やりがいがあるのだろうか、あるんだろうな。
これって、どうしてだろうか、後日よく考えてみたいと思います。


仕事の記録 AktioNote 山極壽一さん 総合地球環境学研究所所長〈インタビュー〉コロナ禍は人間らしさの源泉である 「共鳴」を妨げる | 総合地球環境学研究所 山極壽一所長 Part1

2022年05月10日 10時41分09秒 | Works
 
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仕事の記録 AktioNote 山極壽一さん 総合地球環境学研究所所長〈インタビュー〉コロナ禍は人間らしさの源泉である 「共鳴」を妨げる | 総合地球環境学研究所 山極壽一所長 Part1

池谷恵司
 

 

元京都大学学長で、ゴリラ学者の権威、山極壽一さんに、どうしてもコロナ禍のことを聞きたいと思って企画したインタビューでしたが、非常に実り多く、たくさんお話しいただいた内容がどれも素晴らしかったので3回にわたってのインタビューとなりました。今回はパート1で、まずはずばり、コロナ禍の影響についてうかがいました。
なんとなく、テレワーク、インターネット、などの電子デバイスでステイホームのネガティブ面を補償しつつ、逆にプラス面もある、と考えていましたが、ゴリラ学者から見れば、我々が想定しているよりも遥かに悪影響の大きい、禍々しい事態であるようです(しかも今も続いてます。今後も続くかもしれません)。
というのも、とにかく「場を共有する」ということが我々人類にとって最も重要であって、それは感染症のリスクとイコールなわけです。
たとえばともに食事をする、ということは、相手への絶対的な信頼を示す。だからともに食事をすることは、家族や恋人、そして友情を育む基本なわけです。
なぜそうか。それは食事とは「毒殺」というもっとも容易な殺人方法が起こりうる場だから。もっと遡って言えば、食事とは争いの元凶であり、人間以外の動物が食事を共にすることはほとんどない。ゴリラなどの類人猿に「おねだり行動」をすると食べ物を分けてもらえることはあるが、人間のように、わざわざ食べ物をほかの人がいるところに持って来て、一緒に食べる、という行動をする動物はいないようです。
こうした場の共有から、共鳴が生まれ、やがて思いやりながら協業するという人間ならではの所為が生まれてくる、ということをわかりやすくお話しいただきました。
ぜひごらんください。

総合地球環境学研究所所長〈インタビュー〉コロナ禍は人間らしさの源泉である 「共鳴」を妨げる | 総合地球環境学研究所 山極壽一所長 Part1

コロナ禍の非接触・リモートによって、何百万年もかけて培った「共鳴力」が発揮できなくなっている

――このコロナ禍で人間は右往左往しているわけですが、ゴリラから見たら、この状況はどのように見えるのでしょうか。

人間の一番大事なことを忘れちゃっていることをおかしく思うだろうね。あのね、人間は同調や共感がすごくできる存在なんですよ。人間はすぐに真似ができるでしょう? 実は人間以外は真似ってできないんですよ。だから「猿真似」は間違い。猿にも、チンパンジーにも、ゴリラにも真似はできません。
真似というものは体の同調です。あるいは共鳴と言ってもいい。集団でダンスを踊りますよね。これができるのは人間だけです。この体の同調、共鳴する体が「心を一つにする」という作用を持つ。だから人間は一人ではできないことを、みんなで力を合わせてやることができる。この力を発達させることで人間の社会は強くなったんです。

――共鳴、あるいは共感が人間らしさを育んだということでしょうか。

「共感」には段階があるんです。まず「エンパシー」。これは共感で相手の気持ちを知ることを意味します。これは猿でもできる。1990年代に猿の脳に電極を刺し、仲間の猿の行動を見ていると、それと脳の同じ部分が発火をすることが分かった。これを「ミラー・ニューロン」と言います。
次は「シンパシー」、同情です。共感と同情というのは違うんです。共感は単に相手の気持ちを知ることです。そこからさらに「相手を助けたい」と思わないと同情にはならない。それには相手が置かれている状況を理解しなければいけない。その認知能力が必要なんです。猿にはこれがありませんが、類人猿にはこれができる。階段を落ちそうになっている子どもがいれば、それを察知して手を差し伸べて抱き上げてやる。類人猿にはこれができます。
そして、人間はもう一段階上です。「Compassion(コンパッション)」という英語があります。これをうまく言い当てている日本語がないんだけど、これは「一人ではなくてみんなで同じ方向を向いて誰かを助けたい、何か状況を改善したいと思って協力する気持ち」のことです。これは同情の上に、さらに「みんなが同じ目的のために一緒に行動する」という気持ちがなければできない。だから認知能力をもう一段上げないとできない。この能力は人間だけしかありません。人間がこの「共鳴力」を獲得したからこそ、社会をつくり上げることができました。この「共鳴力」の基礎になるものが体の共鳴なんです。そしてほかの人間と一緒にいないと、対面していないと体の共鳴なんてできないです。

https://note.aktio.co.jp/education/20220510-1133.html

 


ウクライナで。ロシアで。言葉は嘘をつける。真実はどこにあるのか。

2022年04月20日 03時11分13秒 | コンサートレビュー

eyecatch

 

ウクライナ、ロシアで。言葉は嘘をつける。真実はどこにあるのか。

京都大学元総長、ゴリラ学者の山極壽一先生に伺った話が忘れられない。
「言葉は不完全なもの」「言葉は嘘をつける」
そのとおりだ。

ウクライナ戦争での報道は、どこまで真実なのか。
ロシア国内での報道はどこまで真実なのか。
両国ともに先方の報道をプロパガンダという。
我々日本では欧米諸国側の報道がそのまま
鵜呑みされた状態で報道されている。

結局僕たちは体験も場の共有もしていないので
すべて言葉と、電子的な映像でしか知らない。

たとえば第二次世界大戦中の日本人は、
徹底的な報道規制と、植え込まれた道徳規範の中で
どこまで真実を知っていたのか。

ひょっとして真実などないのだろうか。


“When music is over, it's gone in the air. You can never capture it again.” 

2022年04月19日 10時17分17秒 | コンサートレビュー

“When music is over, it's gone in the air. You can never capture it again.” 音楽は終わったら消えてなくなってしまう。二度と取り戻すことはできない。

池谷恵司
 
画像1“When music is over, it's gone in the air. You can never capture it again.” エリック・ドルフィーの言葉。音楽は終わったら消えてなくなってしまう。二度と取り戻すことはできない。だがそれを「花いけ」として結晶させるという美しい試み。

Post Tokyo 4th lockdown day 194 Ukraine crisis day 54

2022年04月18日 07時19分17秒 | コンサートレビュー

Post Tokyo 4th lockdown day 194 Ukraine crisis day 54 人道的にNoとは言えない避難民の受け入れの政策がどこまで順調に進められ、日本人が多民族性、多様性を受容できるかが試される時が来ている。

 


戦争プロパガンダ10の法則」

2022年03月23日 18時23分24秒 | DIARY

 

Facebookで、「戦争プロパガンダ10の法則」というものを知った。
怖ろしいほど、今の状況にピッタリだ。

 

ニュースを見ていても、まさにこのままなんだが、プーチンだけを悪魔のような人物とすることは、本当なのだろうか。
真実は後年の分析が明らかにするのだろうが、わかりやすい「悪魔」のような指導者って、本当にいるのだろうか。

「戦争プロパガンダ10の法則」

1.われわれは戦争をしたくない
2.敵側が一方的に戦争を望んだ
3.敵の指導者は悪魔のような人間だ
4.われわれは偉大な使命のために戦う
5.敵はわざと残忍な行為に及んでいる
6.敵は卑劣な兵器や戦略を用いている
7.受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大
8.芸術家や知識人も正義の戦いを支持
9.我々の大義は神聖なものである
10.この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である

戦争プロパガンダ10の法則(草思社文庫) [文庫]
  1. We do not want war.

  2. The enemy alone is to be blamed for the war.

  3. The enemy is inherently evil, resembling the devil.

  4. We defend a noble cause, not our own interest.

  5. The enemy commits atrocities on purpose; our mishaps are involuntary.

  6. The enemy uses illegal weapons.

  7. We suffer small losses, those of the enemy are enormous.

  8. Artists and intellectuals back our cause.

  9. Our cause is holy, it has a sacred character.

  10. Whoever doubts our propaganda, is a traitor.[7]


子どものいのち、民間人のいのち、兵士のいのち

2022年03月21日 23時56分10秒 | DIARY
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子どものいのち、民間人のいのち、兵士のいのち

池谷恵司
 

ウクライナ紛争によるロシア軍の無差別攻撃、その惨状は正視に耐えない。正直って精神的に耐えられないぐらいだ。
よく新聞などで報道されるのが民間人の死者??名(うち子ども??名を含む)というもの。罪もない無垢なこどもたちの命が失われるのは耐えがたいことだ。激しい怒りにかられる。はやく戦争を終わらさなくてはならない。
ただ、ふと思うのは、子どものいのちがけが特別なのではなく、同じように大人のいのちだって大切だし、ウクライナの兵士のいのちだって、かけがえのないものだ。そして同じくロシア兵のいのちだって、かけがえのないもの。ウクライナ軍が前線してロシア軍を撃破しているとも聞くが、これはウクライナ兵がロシア兵を殺害しているということだ。
子どものいのち、民間人のいのち、兵士のいのち。そこにちがいがあるのだろうか。兵士のいのちなら失われていいのだろうか。


ローランドカークに土下座して謝りたい

2022年03月19日 11時48分33秒 | Jazz Talk

ローランドカークに土下座して謝りたい

池谷恵司
 

https://m.media-amazon.com/images/I/51tLCyGaq2L._AC_.jpg

ローランド・カークは、盲目のサキソフォニスト。サックスとか笛をまとめて3本吹く人。そのくらいのイメージしかなかった。
まともに聴くことなく、ゲテモノ扱いしていた、と告白しておく。
(ライブハウスなどでサックスを2本吹く芸、というのを数回目撃していたことの悪影響もあった。)

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ところが、大友良英さんのジャズ・トゥナイトのローランド・カークの特集を聴いて、もう、まったくもって恐れ入ったのだった
初期のチャーリー・パーカー的なフレーズの素晴らしさ、バラードの歌いかたの素晴らしさ、その後のコルトレーン的な世界も素晴らしい。溢れ出る涙は、驚くほど。

管楽器奏者にとって、一人で和声(複音)を出すというのは、決して叶わぬ夢なんだが、それを真摯に追求して、その結果3本のホーンを一人で吹くという域に達したローランド・カークには本当に恐れ入る。複音のフレーズは一人の人間が吹いているわけだからタイミングはバッチリ。しかもどういうことか、別のメロが吹けたりもしていて、技術的な難易度の難しさは想像できないほどだ。
でもそれは本質ではなく、そこで描かれている音楽が、信じられないほど美しく、優しく、セクシーなのだった。溢れ出る涙、という曲のソロなんて、信じられないほど美しい。

これから、じっくりと聴いていける幸せを感じつつ、とりあえず今までの自分自身の至らなさ、聴きもしないで勝手にイメージだけで決めつける浅薄さを詰りたい。そしてローランド・カーク先生に土下座したい。