陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

サイト更新しました

2013-08-23 00:00:29 | 翻訳
すっごい久しぶりですが、サイト更新しました。
http://walkinon.digi2.jp/
去年の5月に訳したフレドリック・ブラウンの「静寂よ、叫べ」の翻訳です。
短いですが、まずはここから、ということで。
お暇なおりにでも、よろしく。

レイ・ブラッドベリ 「壜」 その5.

2013-06-12 23:41:53 | 翻訳
その5.

 メドノウじいさんは、トカゲのような舌で唇をなめまわしながら、長いことビンをながめていた。やがて元の位置に戻ると、いつもどおり、年寄りらしい、甲高い声で話を始めた。

「こりゃいったい何じゃろうか。オスかメスか、それともただのありふれたものなんじゃろうか。わしはときどき、夜中に目を覚まして、敷物の上で寝返りを打ちながら、あのビンのことを考えるんじゃ。真っ暗い中で、長いことな。あれのことを考える。アルコールのなかで、安らかに、カキの身みたいに青白くて。ときに、ばあさんを起こして、いっしょに考えることもあるんじゃ……」

 話をしながら、老人はパントマイムでもやっているかのように、ふるえる指を動かしていた。みんながその太い親指が左右にくねり、ほかの四本の大きな爪の指がひらひらと動くのをじっと見ていた。

「…わしらふたり、そこに寝ころがって考えたんだ。そしたらふるえがきた。そりゃ暑い夜だった。木も汗ばむし、蚊だって暑すぎて飛べないぐらい暑い夜だったんじゃぞ。なのに、わしらはおんなじようにふるえたんじゃ。寝返りを打って、なんとか眠ろうとしたんじゃが……」

 じいさんは口をつぐんだ。ここまで言えば十分じゃろう、この驚きも、恐ろしさも、不思議さも、誰かほかの者が語ってくれ、とでもいわんばかりに。

 ウィロウ沼地から来たジューク・マーマーが、膝頭にのせていたてのひらの汗をぬぐって、低い声で話した。

「おれがまだ鼻を垂らした小僧だったころのことだ。ネコを飼ってたんだが、そいつときたら、年がら年中、仔ばかり産むんだ。なんとまあ、こいつはどんなときだろうがはね回るわ、垣根は飛び越えるわで――」ジュークはどこか敬虔な口調で語った。「仔はよそにあげていたんだが、また産気づいた。うちの近所の家という家には、うちのネコが一匹や二匹、いるようなことになってたっていうのに。

「そこでおふくろは裏のポーチに10リットルほど入る、大きなガラスビンを用意して、水をいっぱい入れた。おふくろは言ったんだ。『ジューク、子猫を沈めとくれ!』ってね。おれはいまでもよく覚えてるんだが、そこにじっと突っ立ったままだった。子猫たちはみゃーみゃー鳴きながら走り回ってる。まだ目が見えなくて、ちっぽけで弱々しくて、何かおかしな感じだった。ちょうど、目が開きかけたぐらいのころだ。おれはおふくろに目を遣った。おれは言ったんだ。『いやだよ、かあちゃん、やってよ』って。だけどおふくろは青ざめてしまって、誰かがやらなきゃいけないし、ここにはおまえしかいないんだよ、って言った。そのまま、肉のスープをかきまわしたり、鶏の面倒を見なきゃならない、とか言って、行ってしまった。おれは――おれは、いっぴきつかまえた――子猫をな。手に取った。あったかかったよ。みゃーみゃー言ってる。逃げ出したかった。二度と帰らなくていいところへ」



(この項つづく)

レイ・ブラッドベリ 「壜」 その4.

2013-06-11 23:16:45 | 翻訳
その4.

 暑い七月は過ぎ、八月に入った。

 ここ何年かで初めて、日をいっぱいに浴びてすくすくと育つトウモロコシのように、チャーリーは幸せだった。日が落ちると、足音をしのばせて、丈の高い草をかきわけながらブーツが近づいてくるのを聞くと、胸が躍った。つぎに聞こえてくるのは、ポーチに足をのせる前に、男たちが溝にぺっと唾を吐く音だ。それから羽目板が重い体できしむ。丸太小屋がギシッと鳴るのは、誰かがドア枠に肩をもたせかけたのだ。そうして、もうひとりの声が聞こえる。毛深い手で、口をぬぐいながら。

「入ってもいいか?」

 精一杯さりげないふうをよそおって、チャーリーは訪れた連中を招き入れた。みんなのために、椅子や石けんの空き箱が出してあり、最低でもそこにすわれるようカーペットまで用意してあった。そうしてコオロギが羽を摺り合わせて夏の歌をハミングし、カエルは甲状腺腫のご婦人方のように喉をふくらませて叫び出すころには、部屋は低地のあちこちから集まった人びとで満杯になってしまう。

 最初のうち、誰一人、口を開こうとしない。そんな夜、最初の三十分ほどは、みんなが入ってきて腰をおろすと、慎重にタバコを巻き始める。タバコの葉を細長い茶色い紙の上にきちんと集めて、形を整え、軽く叩いて固める。それとともに、その晩の自分の思いも、怖れや驚愕も、集めて、形を整え、叩いて固めていく。その動作が彼らに考える時間を与えるのだ。彼らが指を動かしてタバコを吸えるようにまとめているあいだに、その目を見ていれば、脳も一緒に忙しく動かしていることがわかるだろう。

 ちょうど、行儀の悪い教会の会衆といったところだ。すわっていたり、床に腰を下ろしたり、しっくい塗りの壁によりかかったりしていても、ひとりひとりが畏敬の念を込めて、棚の上のビンを見つめている。

 誰もいきなり見るようなことはしない。そうではなくて、ゆっくりと、なにげないふうをよそおって、あたかも部屋を見回していたら、たまたまその年代物が目に入って、初めて気がついた、といった態度をとろうとするのである。

 そうして、彼らのさまよう視線は、当然のことながら、偶然に、かならず同じ場所に落ちていくのだ。しばらくして部屋中の目は、そこに集まっていく。あたかも不思議な針刺しに針が自然に刺さっていくように。聞こえる音といえば、トウモロコシの軸のパイプを吹かす音だけだった。そうでなければ、外のポーチ子供たちが裸足で駆け回る音だ。するとたいてい女の声がそれを追いかける。

「子供たち、さっさとよそへ行っちまっとくれ!」

すると柔らかな、流れの速いせせらぎの音のようなくすくす笑いが聞こえてきて、裸の足は食用ガエルをおどかしに、走っていってしまう。

 チャーリーは最初から、ごく自然に、ロッキングチェアに腰を掛けている。痩せた尻の下に格子縞のクッションを敷き、ゆっくりと揺らしながら、ビンの持ち主であることから来る名声と、尊敬の念を楽しんでいる。

 テディといえば、部屋の隅に、ほかの女たちと一緒に引っ込んでいた。みんな陰鬱な顔で、押し黙り、男たちの後ろで。

 テディはいまにも嫉妬の念にかられて叫び出しそうな顔をしていた。けれども、口を開くことはなく、ただ男たちに目をこらしていた。自分の居間で、チャーリーの足下に座り込んで、聖杯のように尊いものを見つめている男たちを。テディの唇は、冷たく、固く結ばれて、誰にも愛想の言葉ひとつかけるでもなかった。

 ひとしきり沈黙が続いたあと、誰かが、たぶんクリック・ロードから来たメドノウ老人だろうか、体の奥のどこかにある深い洞穴から、痰を切ろうとする音が聞こえた。前屈みになって、目をぱちぱちしながら、唇を湿して。おそらくタコのできた指を、奇妙な具合に震わせながら。

 これが話し始めるきっかけになる。耳をすます。みんな、ブタが雨の後の暖かな泥に身を沈めるように、すっかり落ち着いたのだ。



(この項つづく)



レイ・ブラッドベリ 「壜」その3.

2013-06-10 22:15:46 | 翻訳
その3.


 チャーリーは丸太小屋の階段をのぼっていき、居間の玉座にビンを載せた。これからはここが王宮になるんだ、とチャーリーは考えた。現国王は身じろぎもせず、専用プールにたゆたいながら、けちなテーブルの上の棚に上って鎮座まします。

 このビンは、沼沢地の縁にたれこめるもやのような、陰鬱な単調さを吹き払うものなのだ。

「あんた、そこに置いたのはなに?」

夢見心地でいた彼は、テディのキンキンと高い声に、はっと我に返った。妻がこちらをにらみつけながら寝室の戸口に立っている。やせた体を色あせた青のギンガムチェックに包み、くすんだ色の髪は後ろで結わえて、赤い耳が目につく。その目はちょうどギンガムそっくりの、あせた青だった。

「ねえ」とくり返した。「あれは何?」

「おまえには何に見える? テディ」

 テディはいかにも気乗り薄の様子で、不精らしく尻を揺すりながらこちらへやってきた。目がビンに釘付けになり、めくれあがった唇から、ネコのような白い歯がのぞいている。

 命のない、アルコール漬けの青白い物体。

 テディは、鈍い青い目をちらりとチャーリーに向けると、またビンに視線を戻した。もう一度、チャーリーに目を遣り、またビンに戻る。それからさっと向きを変えて、壁をつかんだ。

「これって――これ、なんだか――あんたみたいよ、チャーリー」と耳障りな大声で言った。

 寝室のドアが後ろ手にたたきつけられた。

 ビンの中のそれは、鳴り響く音に、いささかなりともわずらわされた気配もない。だがそこに立っていたチャーリーは、テディのあとを追いたいという激しい思いにかられ、首の筋肉はこわばり、心臓は飛び出しそうだった。やがて動悸もいくぶん収まってくると、ビンの中のそれに話しかけた。

「おれはな、毎年、川沿いの低地で、必死で働いてるんだ。なのに、あいつときたらその金を持って、一目散に自分の身内のところへ行ったきり、ふた月以上も帰ってきやしねえ。あいつをつなぎとめておくことが、おれにはできねえんだ。あいつも、それからあの店にいた連中も、おれのことを笑い者にしてらあ。おれがうまく立ち回らないかぎり、どうすることもできねえ」

 ビンの中のそれは、超然としたまま、アドバイスひとつよこすでもない。

「チャーリー」

 ドアの外に誰かが立っていた。

 ハーリーはぎくりとしてふりかえったが、つぎの瞬間、にやりとした。

 雑貨屋にいた連中の何人かがやってきたのだ。

「あのな……チャーリー、おれたち……つまり、あれを……思うんだが……なあ……おれたち、あれが見たくて来たんだ……おまえが持ってたあれ、ビンの中のあれだ……」



(この項つづく)



レイ・ブラッドベリ 「壜」 その2.

2013-05-31 22:54:00 | 翻訳

その2.


 ホローでは、おびただしい数の若草色と血のような赤のランタンが、けぶったような光を男たちに投げかけていた。集まった男たちは雑貨屋の店先に腰を下ろして、ひそひそ話をしたり、唾を吐いたりしている。

 彼らには、ギーギーガタガタとチャーリーの荷馬車がちかづいてくるのはわかっていたが、荷馬車の停まる音がしても、さえない色合いの髪におおわれた頭がそちらを振り向くことはなかった。ちらちらと光る葉巻の火はホタルさながら、さざめく声は夏の夜のカエルのようだ。

 チャーリーはいそいそと身を寄せていった。「よお、クレム! よお、ミルト!」

「ほい、チャーリーがおいでなすったぞ」ざわめきの中から声があがったが、政治談義は一向に止む様子もない。チャーリーは、言葉がとぎれるのを待って、そこに割りこんだ。

「ちょいとしたものを手に入れたんだ。おまえらが見たくなるような!」

 雑貨屋の張り出し玄関にいたトム・カーモディの目が、緑のランタンの光を受けて、ぎらりと光った。トム・カーモディときたら、いつだってポーチの暗いところだとか、木陰だとか、かりに部屋にいたとしても、一番隅っこの暗いところから、目を光らしているんじゃないか、とチャーリーは思った。あいつがどんな顔をしているか、ちっともわからなくても、やつの目はいつも人をからかうような色を浮かべている。それでいて、こっちを見る目つきも、おもしろがるようすも、絶対に同じじゃない。

「おれたちが見たいものなんて、おまえに手に入れられるわけがねえじゃねえか、このスカタンが」

 チャーリーはぐっと拳を握りしめたが、例のものに目を遣った。「ビンの中にある」彼は続けた。「脳みそみたいにも見えるし、クラゲの酢漬けみたいにも見えるし、それから……ええと、まあとにかく自分の目で見てくれ!」

 中のひとりが葉巻のピンクになった灰を落としてから、ぶらぶらと見にやってきた。チャーリーはもったいぶったようすで、取ったビンの蓋を高々と掲げる。すると、揺れるランタンの光の下、男の表情がさっと変わったのがわかった。
「おい、こいつは……こいつはいったい何なんだ?」

 これを機に、その夜が動き出した。ほかの面々もだらけていた上体を起こして、身を乗り出す。重力に引き寄せられたかのように、そちらに近づいていった。意識もしないまま、脚が勝手に前に出る。前のめりに倒れまいとすれば、そうするしかないのだ。面々はビンとその中味のまわりを取り囲んだ。するとチャーリーは、生まれて初めて秘密の戦略というものを理解した。そうしてガラスの蓋をパチンと閉めてしまった。

「もっと見たけりゃ、おれんちへ来い! 家に置いとくから」と太っ腹なところを見せた。

 トム・カーモディはポーチからペッと唾を吐いた。「けっ」

「もいっかい見せろよ!」メドノウのじいさんが怒鳴った。「ありゃ、タコか何かか?」

 チャーリーは手綱を引いた。馬がよろよろと走り出す。

「ウチへ来な! 歓迎するぜ!」

「かみさんが黙っちゃないぞ!」

「俺たちみんな、かみさんに蹴り出されるさ!」

 だがチャーリーを乗せた荷馬車は丘を越えて行ってしまった。男たちはみんな、突っ立ったまま、押し黙り、暗い道を目を細めて眺めていた。トム・カーモディひとりが、ポーチから低い声でののしりの言葉を口にした……。



(この項つづく)