保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

京都島原のきんせ旅館で「ERiKA⁵⁺」がXmasLIVE。

2023-12-12 14:43:52 | ゴスペル&ミュージック
【保津川エンターテインメント倶楽部】LIVE情報

◑京都島原のきんせ旅館で「ERiKA⁵⁺」がXmasLIVE。

 日本三大遊郭のひとつに数えられる京都随一の花街・島原。
 その一角に今も残る元「揚屋」のきんせ旅館。

江戸時代後期の建築で、推定築年数250年の魅惑漂う美しい空間で
「ERiKA⁵⁺」のクリスマスコンサートが開催されます。

この旅館に入るだけでも旅情ムード漂う素敵な場所ですが、
本来、貸し出しなどはされない建物でのLIVEはレアすぎる!

もう一つの京都の歴史を感じながら「ERiKA⁵⁺」のメンバーの
素敵な音楽で、年末の夜をお楽しみ下さい。

🔴12月17日(日) X’mas Private Live
17:00 オープン 17:30スタート
チャージ 2,000円
きんせ旅館 (島原、京都)
http://kinseinn.com/access
ERiKA⁵⁺ Heartful🎄Christmas 🌟 on 17th Dec. 2023inn)
Open : 17:00- Start : 17:30
Music Charge ¥2,000-
ERiKA (Vo)
早川 彰(Pf/Key/Gt)
上田 誠【MAC】(Support Perc.)
☆Guest
たなか かおる (二胡)
堤 実紀子 (Wb. Uk)
土肥 誠典 (Tp)
PA: 村上

保津川エンターテイメント倶楽部 ばんばひろふみLIVE

2023-12-09 11:35:13 | 映画・芸能界
【保津川エンターテイメント倶楽部情報】
2024年1月14日(日)亀岡水辺公園・川の駅ツキヨミルームで開催いたします

「BANBAN528(ばんばひろふみ・エイコンヒビノ・岡本博文)」の新春ライブ!

LIVEのお申込みフォームを作成しました。

限定40名のレアなコミュニケーションライブです。

ノスタルジーに浸りながら新春を迎えたい方、下記の予約フォームからお申込み下さい。
https://forms.gle/z1dcLUEW95pP1cYs7

会場はJR嵯峨野線千代川駅から徒歩2分という最高のアクセス!
https://bbq.hozugawakudari.jp/ (川の駅・亀岡水辺公園HP)

インスタグラム
https://www.instagram.com/p/C0dLYzkLbCu/

嵯峨清滝のはなしをします。

2023-10-19 08:07:36 | 京都情報
10月21日(土)京都府立京都学・歴彩館1F小ホールで
嵯峨清滝の魅力について語ります。

ご興味のある方はぜひ、お越しください。

千年の都・京都に潜む「京都異界散策」桓武天皇の都

2022-11-24 09:02:08 | スピリチュアル

学生の頃からミステリーチェイサーを自認する私が、
京都の不思議・ミステリ―の視点から調査し、案内をする
シリーズ「京都の異界散策」

794年、京都に新たな都・平安京を造営した桓武天皇は、
遷都計画の途上で数々の天然災害や疫病,飢饉に見舞われ、
母や側近など愛する人々を次々に失います。

これら幾多の不幸や災難の原因は自らで罰した弟「早良親王」の怨霊のなせる祟りだと
思い込むようになり、その祟りをとても恐れていた云われています。

天皇は都を設計する際、風水思想の四方の神「四神」に頼り、東は青龍・西は白虎・南は朱雀・北は玄武と
それぞれに「守り神」を配置し中心に「大将軍」に守護させ、鬼や怨霊の通り道である鬼門に社を建立し
霊的結界を張り巡らせたのです。
いま風にいうと「霊的防御システム」といったところでしょうか?

その中心として内裏の西北(乾)の天門に創建されたのが
今も京都市上京区一条通りに残る「大将軍八神社」です。

時代が進み室町時代。
幕府の統治能力は著しく低下し、守護神の社と定めた御霊や玄武の船岡山など神の領域として
都に張り巡らせた結界は破られ、桓武の都は戦乱により火の海と化したのです。これが「応仁の乱」です。

長きに渡り封じ込まれ、くすぶりながら身を潜めていた怨霊たちは、戦乱という人々の狂気を
千載一遇の好機と見定め、弱まった霊的防除システムを解いて、都になだれ込み跋扈し出し、
桓武天皇が築いた都は焼失してしまったとは考えられないでしょうか?

京都には魑魅魍魎が跋扈する異界だからこそ、今でも各所で「祭」が執り行われています。

京都で起こる様々な事象、それは単なる偶然ではなく「怨霊」のなせる仕業ではないか?
その荒ぶる祟りを鎮めることを京都の町衆の深層心理の中に確かに息づいているように感じます。

一見、雅やかで賑やかな京都ですが、今も秘かに身を潜め、混乱に乗じて再び跋扈する機会を
探っているとしたら・・・内憂外患でなんとも不安感がぬぐえない時代です。

京都の異界に立ち込める暗雲を払い清め、桓武天皇が願い望んだ「平安」を築きたいものです。

#怨霊#結界#風水#桓武天皇#京都#大将軍八神社#四神相応#早良親王#崇道天皇#京都の夏

秋の保津川下り 原田龍二のニンゲンTVと京都編コラボ!

2022-11-23 09:41:37 | 原田龍二さん
秋の保津川下りタイアップ企画 

原田龍二のニンゲンTVと1000年の都・京都の裏の姿「魔都・京都」を調査します。



地元亀岡では「出雲大神宮」を紹介しました。

霊験あらたかな「磐座」を訪れ、その謎に迫ります。



また京都と亀岡を結ぶ旧街道にある「老ノ坂峠」にある

廃墟「ホテルサンリバー跡」や廃村永谷集落の調査へと続きます。



保津川下り編では、龍二さんと降魔師阿部さん、私の三者で、

保津川や京都の不思議はなしや嵯峨野の伝説なども紹介しながら、

船下りをしました。



さて、原田龍二のニンゲンTV「魔界・京都編」をお楽しみに!

#魔界#保津川下り#京都#嵯峨野#廃墟#コラボ#原田龍二#ニンゲンTV#出雲大神宮#ミステリーツアー

国民を想う・・・民のかまどの心はあるか?

2021-08-12 12:44:58 | 船頭の目・・・雑感・雑記
まあ、あまりネガティブなことを考えると「運気」が逃げていくと信じる私ですが、
なにやら、またまた緊急事態宣言が発令されそうな雰囲気ですね。

コロナ禍が起こり1年半が経った今も、繰り返される緊急事態宣言。
これまでに何か打つ手はなかったのだろうか・・・なんともやるせない思いで一杯です。

そして、この緊急事態宣言が発令されることで、どれだけの人々の生活が、人生が変わるのか・・・

想像するだけで只々、悲しくなります・・・・

古墳時代という遠い昔のことです。

第16代天皇だった仁徳天皇は、高台に登って集落を見渡すと、
人家の「かまど」から炊煙が立ち上っていないことに気づかれます。

皆、貧しくて御飯が食べられないのか・・・

そこで天皇は租税を免除し、民の生活が豊かになるまでは、お食事も着るものも倹約され、
さらに雨漏りしている宮殿の屋根の葺き替えさえもなされませんでした。

天皇のお姿に心打たれた民は熱意を持って努力して働き、次第に豊かさを回復していきました。

この仁徳天皇の御心は、国家の指導者たる者は「かくあらねばならない」という規範を示され、
日本人の精神性の中に息づき、後世まで語り継がれていくのです。

さて、令和の世です。現在の指導層に「民のかまど」の精神は継承されているのでしょうか?

祖国を護ってきた先人たちも令和の世を、天界から憂いながら見守り続けておられると感じるのです。

イギリスの貿易商のアーサー・H・クロウがみた保津川下り。

2021-03-11 07:33:17 | インバウンド
1881年(明治14年)イギリスの貿易商のアーサー・H・クロウは、
二千二百トンのイギリス汽船・メタビディア号で神戸港を目指しました。

今回、二度目となる来日の目的は京都を再訪問することと、そして保津川の急流を下ること!
その時の体験を自身の著書「Highways and byeways in Japan:The experiences of two pedestrian tourists
.( 日本の公道と間道ー二人の徒歩旅行者の体験(日本内陸紀行」の中で、克明に書き残しています。

也阿弥ホテルを出発し、人力車で老ノ坂峠を越え、亀岡入りして保津川の舟下りに乗船されています。

「狭い岩だらけの峡谷に入り、崖はほとんど垂直に切り立っている。川幅は20ヤード以上はあるまい。

深さはまったくわからない」と保津川の第一印象を述べています。
「急流は全神経を渦巻く水と免れようのない破壊から冷静、沈着な舟方が竹竿をさばいて逃れる様に集中している。
~沸き立つ激流の中に稲妻のような速さで突っ込んでゆく。行く手にはいきなり黒い岩が現れ、あわや木っ端みじんか!と観念するも、
へさきの舟方の竹竿で危ういところで助かるのだ!」と乗船体験をやや興奮気味に描写しています。
また、「非常に薄いが、しかし丈夫でしなやかな板でできた 船底は、水面をまるで紙のように、
足の下で持ち上がり下ったりする」と川船独特の乗り心地も味わっているようです。

彼はイギリス王立地理学会の特別会員という肩書もあり、日本国内津々浦々を訪ね、自身の紀行記に記しています。
もしかしたら、商人とは別に、日本国内の地形や風土風習などを調査する使命を帯びた「MI6]のような存在だったのかも知れませんね。

そんな彼を魅了した保津川の急流!と京都の風情。

‘ぜひ‘あなた‘’にも体験していただきたいです!

江戸時代の数学が開いた日本の近代化と角倉一族

2020-09-06 08:39:28 | 角倉プロジェクト・世界遺産事業
日本では小学校2年になると算数の時間にかけ算を学びますね。
そして、かけ算の勉強といえば「九九」の暗唱です。
「ニニンガシ、二サンロク~ククハチジュウイチ」で終わる暗唱方法。皆さん、子供の頃、覚えさせられましたね~

でも、この暗唱を覚えたおかげで、実社会のあらゆる場面で役立っていることは間違いないところです。
九九を学んだ事だけでも、教育の大事さがよくわかります。
どうやら日本ではこの「九九」という計算方式を平安時代の教育に取り入れています『口遊』(970年源為憲)
貴族の子弟はみなこの「九九」を暗唱して覚えていました。

とはいえ、庶民にはまだまだ馴染みのなかった数式で、それが「和算」と呼ばれ庶民の間に普及したのは江戸時代からでした。
そして、その和算の普及に大きく貢献したのが、角倉一族の一人吉田光由(みつよし)でした。

光由は慶長三年(1598)に京都嵯峨で生まれました。
子供の頃から数学に興味を持ち、当時京都で「天下一割算」という看板を掲げ私塾を開いていた数学者・毛利重能に
弟子入りし数学を学ぶとともに、当時、活躍していた一族の雄・角倉了以とその子素庵の影響を強く受けていました。
特に京都でも知られた文化教養人の素庵とは親しく、保津川や高瀬川の開削など土木技術の基礎となる数学の知識は不可欠であったため、
素庵は光由の数学研究の支援をするとともに、一緒に研究を続けていたと伝わっています。
こうして光由は、研究していた明の数学書「算法統宗(さんぽうとうそう)」をもとに、実経済や商売、
また建設土木に役立つ実用書として寛永四年(1627)「塵劫記(じんこうき()」を執筆したのです。
書籍の中には九九の暗唱方法やねずみ算の例題、そろばんの使い方をはじめ、円周率や√(ルート)といった
高等な数学計算式も示されていたというから、驚きます!

また、数の単位も兆の上の、京や穣、溝~不可思議~大数といった今では想像もつかない単位まで表式にまとめています。
こんな難しそうな数学書が、江戸時代初期には貴族・武家階層だけではなく、
あらゆる階層の人たちの一家に一冊あったというから、超ベストセラーの実用書だったのです!

光由はその後、兄・光長と、高地の地形から慢性的な水不足に苦しむ北嵯峨の農地へ水を送るため、
山間部にある菖蒲谷池(京都市右京区梅ケ畑)から隧道を掘ることで農業用水道を流し込むという大工事に着手し、成功し
光由は数学者の緻密な計算により菖蒲谷池の傾斜を完璧に測量し、池の水が最後の一滴まで流れ落ちるように隧道を設計していたのです!
険しい山々の間にトンネルを掘り、水が緩やかに農地に流れ込み続けるように設計し、完璧な土木工事を施し、
多くの農地を潤わせ、地域を潤し、北嵯峨の農民の生活を支えたのでした。
そしてこの隧道は「角倉隧道」と呼ばれ、現在も北嵯峨の農地を潤わせ続けているのです。
恐るべき角倉一族!日本人はまだまだ、本当の近世の奥深さを知らない!

※菖蒲谷池は嵐山高雄(西山)パークウェイで行くことができ、畔はBBQ会場としてにぎわっています。

観光・保津川下りの発祥の地・京都亀岡・山本浜

2020-08-30 11:59:32 | 保津峡・桂川のりもの物語
透き通る際な空と澄んだ清らかな川の流れ。
ここは京都亀岡の保津峡の入口・山本浜。

1881年(明治14年)にこの山本浜から、英国ビクトリア女王の孫であるアルバート・ビクターと弟ジョージ(のちのジョージ五世国王)が
保津川下りをされています。(英国皇孫接待一件から)
その後も1893年(明治26年)にオーストラリア皇太子フランツ・フェルディナントが
保津川下りを楽しんでいるなど、数々の海外VIPが好んで、この山本浜から保津川下りをされています。

彼らは、帰国すると未知の極東の国・日本について語り、また紀行記にまとめて紹介していますが、
必ずその中で、保津川下りについても言及され、美しい保津峡の景色とともに船頭の操船術を絶賛されており、
その様子を克明に記載されています!

あるVIPなどは「こんな高度な下船術と屈強な肉体と精神力を備えた保津川下りの船頭たちに遭遇し、
この小さな島国の海軍は必ず強力な軍になると確信する」と乗船体験から、
近代化を進める日本に対する印象として話されてさえいます!

西欧の人々の心に、強烈な印象を与えた保津川下り。
そして、ここが山本浜が、観光・保津川下りが始まった場所です!

そんな壮大な歴史の1ページを綴った山本浜は、
私たち水運を継承する者の聖なる浜なのです。

歴史の都・京都の非日常空間・保津峡を楽しむ。

2020-08-29 10:09:46 | 保津川下り案内
京都観光も少しずつ本来の佇まいを取り戻しつつありますが、
由緒深き神社仏閣で学びの旅を終えたら、
」ちょっと解放的な気分で自然に触れたくなりませんか?

そんな気分の時、京都には大峡谷・保津峡があります!

「嵯峨野トロッコ列車&保津川下り」というアクティブな体験が楽しめるのが京都・保津峡です。

嵯峨嵐山からトロッコ列車に乗って亀岡まで、自然が溢れる保津峡の絶景を上から眺めたら、
次は亀岡からは嵐山までの12キロを保津川の船で下り、高くそそり立つ保津峡を川から見上げれば、そこは非日常空間。

雄大な峡谷美と緩やかな流れや激流織りなす保津川。
岩と岩の間をすり抜けるとスリルも満点です。

江戸時代の船と明治時代の鉄道が行き交うのも歴史の都・京都ならでは。

残り少ない夏。

「トロッコ列車」と「保津川下り」で違った京都を感じて下さい!