扈三娘華南日暦

香港・華南の日常とその他

2月19日

2006-02-19 | Weblog
 朝水泳
 「CUP」という月刊誌がある。2002年の創刊であるからまだ新しい雑誌といえるだろう。所謂ちょっとおしゃれな月刊誌に見られる「音楽」「映画」「ファッション」「旅」などのほかに社会時評やイマドキの人物紹介などもあって「ターゲットはおしゃれもするけどバカじゃない読者」感を漂わせている。
 今月号の表紙はまさしく旬の人、オスカーを手にしようかという李安である。他にも「伊藤茂(茂は誤りで実際は「滋」)の選んだ日本の悪い景観」紹介、漫画評論など日本への感心もなかなかのものだ。更には一時流行った(のか今も流行っているのか?)「下流社会」の特集なども…。著者三浦某展開するところの「下流社会」出現の分析や現状が紹介され、香港との対比等もある。この本自体は「私は何者?」を他人に決めてもらうと安心、という日本人の喜びそうな本だ。「俺ももう下流社会入りだよ」とか「下流社会だけはヤダよなあ」とか。恥ずかしげもなく今夜もどこかで誰かが言ってそうである。
 まあそれはともかく、目を引いたのはその記事の写真。キャプションは「下流社会の人々は人生をただ1日、1日といい加減に過ごす」とでも訳したらいいのだろうか。日本人と思われるっていうか、見るからに日本人ですという男性がベンチで寝こけている姿である。よく見れば左手には結婚指輪らしきものがあるし、時計も薄っぺらい安物でもなさそうだ。犬を連れて散歩の途中か?よっぽどの仕事疲れか、家ではおちおち昼寝もできないのか、それは知らないが香港の雑誌じゃ「日々をいい加減に過ごす下流社会の一員」にされちまっている。こんな記事に口開けて爆睡する写真を提供する人がいるとも思えない。 知らぬは本人ばかりなり。

2月14日

2006-02-15 | Weblog
 花束を抱えてうろつく男の子や晴れやかな表情で電話などする女性、どこかへお出かけか、自慢げにプレゼントらしき紙袋を持ちつつ腕を組んで闊歩する男女など、毎年定番のバレンタインデーの光景を尻目にミニバスで帰宅する。
 香港ではこの時期チョコレート屋の他に花屋もかなり賑わう。
 ボーイフレンドからの花束を花屋が職場に届けたり、仕事帰り、学校帰りに直接渡している光景もまあごく普通である。花は職場の机の上に置けるようなちんまりとした、所謂フラワーアレンジメントの花ではなく正真正銘の花束である。
 日本ではどういうことになっているのかわからないが、この数年中国の各地でもハナバナしいバレンタインのイベントが行われている。値の張る高級チョコレートや純金の薔薇がバカスカ売れたり・・。
 かつては、キリスト教の行事なのにとか、チョコレート会社の陰謀だとかウダウダ文句を言っていたものであった。しかし今や全くの他人事で「仲良くやってくださいね」っていう感じなのだが、あの大きな花束を持って歩いているのを見るとややこっぱずかしいし、余計なお世話だが花束の豪華さと男の誠意は何の関係もないからねと再確認していたりする。10時過ぎに閉店間際のスーパーで見切り品の惣菜を買って帰宅する身では、誰が聞いてもただの僻みだろうけど。
 

2月11日

2006-02-11 | Weblog
 朝水泳 
 という訳で霧の西安から「明るい香港」に戻り、爽やかな天候が続いたこともあって体中の血管が拡がったかのよう。

 ウインタースポーツとはおよそ縁のない香港は、「トリノ五輪」なーんにも興味なしといった風で私には小気味良い。
 午後衛星放送で聖火入場の少し前から開幕式を見る。擬似平和の祭典も回を追うごとに金にモノをいわせる舞台装置と演出で、さらにそこで「平和」を連呼する居心地の悪さ。
それにしてもあの「炎のスケーター」とか「聖火台」とかダサすぎ。

扈三娘西安日暦之伍

2006-02-08 | Weblog
2月1日
 農暦1月4日、北方の正月に餃子は付き物だが、ここでは普段の主食もほぼ「麺粉」(小麦粉)である。家人の母や父、親類は西安市内と周辺で何代も暮らしているので、この家の食事はほぼこの地方の典型的な食の形態といえると思う。とにかく「粉」である。
 十数種類の手打ち麺、肉包子、菜包子、蒸したマントウや蒸マントウを香ばしく焼いたマントウ、餅(bing3)、ナンなどを毎日欠かさず食べている。マントウ片手に麺を食べることもよくある。丁度ラーメンライスの要領だが、違うのは共に「粉」であるという点。 
 家人の父など「飯では飯を食った気がしない」とまで言う。ツワモノである。

 午後、連日親戚が集まり賑やかな家をでて古楼へ行く。休みとあってかなりの人手だ。名物の「串羊肉」やナン、伝統菓子の屋台などを冷やかした後、土産物屋のアーケードを抜け「清真大寺」へ。
 寺に入ってほどなく牛の解体現場に出くわす。吊るされた肉はまだ湯気が立っている。子ども達や寺の職員らしき人に混ざり、しばらく作業に見入っていた。おかしいな言い方だがほんとにきれい。この「きれい」は血を洗い、常に周りに水を流しながら解体する清潔さと皮から内臓まで棄てることなく処理する無駄のなさ。
 「キャ―、気持ち悪~い」などというバカ声を聞くことも無く、正しく食に対置する現場と人々に出会えた時間だった。

扈三娘西安日暦之肆

2006-02-07 | Weblog
 1月30日
 農暦1月2日、正月2日は嫁いだ女性が里帰りする日だそうだ。家人の家では家族全員が年始の挨拶へ行く。先方も兄弟姉妹の家族が勢揃いするので半端な人数ではない。皆「うちはそれほど多くない」というが20人近い人々がやれ、食事だ、お茶だ、マージャンだ
と動き回っているのだからかなり騒々しい。何気なく窓に近づき、そっと窓を開け深呼吸などしてみる。気を取り直し、所定の場所に戻ってお茶をすすり、スイカの種だのかぼちゃの種だのつまみながらアーダコーダと話しているうちに夕刻になる。するとまた食事である。究極のスローライフ。明日も明後日もこれが続く予定・・。

扈三娘西安日暦之参

2006-02-06 | Weblog
 1月29日
 農暦1月1日 朝、歩いて3分ほどの「小雁塔」へ向かう間にも爆竹の音が聞こえてくる。道すがらふとこの音が銃声だったらと思う。そう思うとそれらしく聞こえるから不思議なものだ。爆竹が鳴らぬ日はあっても、おそらく銃声が止まぬ日はないのが今の世界だろうなあなどと、正月早々わざわざ訪れる酔狂な人もいない「小雁塔」で考えた。
 「安寧は人を孤立させる-安寧は外の世界のほとんどの人に何がおきているか、それを知るきっかけを見失う」と言ったのはソンタグだ。
 暖かい家の中でヌクヌクもなかなな気持ちいいものだが、外の世界を知ろうとするきっかけを見失うのは相当怖いことだ。
 旅先では、日頃見えないものや考えないことに出会える。


 
 

扈三娘西安日暦之弐

2006-02-05 | Weblog
1月28日
 農暦1月29日除夕。午後近くのスーパーへ行くと海南島産のスイカ、マンゴ、パパイヤなど南方の果物が並んでいる。他にも国内、国外の製品が溢れ、店内はたくさんの客で賑わっている。日本の醤油、味噌の類いもあり、「金さえあれば・・」の状態。(「活力門」の言うことは、だから指弾されても誤りではない。人がそれに支配されることに気づかないことが問題なのだ。)
 夜7時を過ぎた頃から気の早い人々が爆竹を鳴らし始める。北京は今年から解禁になったが、西安市内はすでに3年ほど前から解禁されている。12時も近くなるとそこここで打ち上げ花火も上がり、爆竹の音は激しさを増す。毎年ながらこの爆竹攻勢はここまでするかというほどで、ちょっと日本では見られない(聞けない)代物だ。新年恒例のテレビ番組「新年晩会」の声などほとんど聞こえなくなる。1時過ぎても音は鳴り止まず。
 聞けば農暦1月15日(元宵節)までは毎日爆竹の音がしているという。

扈三娘西安日暦之壱

2006-02-05 | Weblog
1月27日
 今日から一週間、旧正月を家人の故郷西安で過ごす。 
 中港城から福永まで約一時間フェリーで、福永からは空港行きのシャトルバスが出ている。バスの中はラジオの大音量。僅か10分足らずの道のりなので、「うるさい日本の私」の著者中島某の如く抗議もせず我慢する。がこれが長距離バスだと乗っている間中DVDだのバス会社の広告だの流されどうにも堪えられず、音量を下げて欲しいとお願いする。困るのはバス会社も客もどうやら「サービス」と思っているふしがあり、DVDなど結構楽しんでいる客がいることだ。従って「消せ」などと言うのも傲慢に思えて毎回お願いしている。
 7、8年も前になるが西寧へ旅した時の列車では、早朝やはり大音量の音楽でたたき起こされたのだが、その音楽が日本のパチンコ屋でよくかかっていた「君が代行進曲」とかいう曲だったので度肝を抜かれたことがある。一体誰がどこでこのようなテープ(だと思う)を手に入れ、社会主義中国の列車で流すことになったのであろうか。しかも「君が代」・・。などと記憶をたどっている間に、我々の乗った飛行機は二時間余りで無事西安に到着した。
 「西安咸陽空港」は咸陽市にあり、西安市の中心まで約40分程の道のりだ。西安市内までは「北の郊外」と呼ばれ、今でもこの一帯には大きな建築物がない。このあたりには墳墓やその埋蔵品が多くあるため国が建築を許可していないためだ。デジタル・IT開発区や高層ビルができ郊外の風景が一変した西安もこのあたりの風景だけは何年経っても変わらずにある。
 ここ数日霧がひどいそうだ。

1月25日

2006-01-25 | Weblog
 すっかり正月モードで、毎年の事ながら紅包を用意し、新札を入れる作業。そんなにたくさんの人に配る訳ではないので気が楽だし、額が多いか少ないかは知ったこっちゃない。で、結構お祝い気分に浸れるのも香港旧正月のいいところ。

1月24日

2006-01-24 | Weblog
 朝水泳。
 旧聞になるが「活力門」とはなんと上手いネーミングだろう。ライブドアの意味から字を充て中国語では「活力門」。発音は普通語〔huo2li4men2〕、広東語で〔wuht4lihk5muhn4かな?〕で、先日の毎日新聞は『発音は「ホリエモン」に近い音になる』と書いていた。確かにどちらも何度も言うとそれらしい音になる。同じ記事の中で「ライブドア」に充てる音が無いので字義から取ったとも書いていたが、近い音はあると思う。例えば「来捕兜」[lai2bu3dou1]とか「雷不闘」[lei2bu4dou4]とかね。でもこれじゃそこらの暴走族の名前みたいだし・・、字を見て想像させる中国語における外来語の命名力(なんて言葉があるか知らないが)にはいつも感服する。かつてはエイズを「愛死」[ai4si3]と命名したような少々勇み足的なものなくは無いが、字義と視覚でかなりのインパクトを与えたんじゃないだろうか。

 逮捕やなにやらで「活力門劇場」は暫く続きそうである。足元に火の付いた一部の人を除くと、どうも皆楽しそうに見えて仕方がない。
 選挙だ、宇宙旅行だと顔を出すとワーワー言ってなんだか有難がってたような「善男善女」からマスコミ、経済界、政治家まで「やっぱりね」の大合唱になるんだろう。
 これもあまりモノを考えなくてすむこの社会の、すごく未成熟なそして怖い形。