佐々木俊尚の「ITジャーナル」

佐々木俊尚の「ITジャーナル」

インターネットの理想と実態

2006-03-30 | Weblog
 2月6日に開かれたWinny開発者、金子勇被告の公判で村井純慶応大教授の証人尋問が行われ、村井教授は次のように語っていた。

 「インターネットの共有メカニズムでは、規模が大きくなって情報量が増えるとネットが負荷に耐えられなくなり、新しい技術が必要になってきます。そうした中でP2Pはきわめて注目されており、その中でもWinnyは性能を高める洗練された機能を持ったソフトでした」

 P2PソフトウェアとしてWinnyは非常に高性能で、インターネットの技術としては最先端を走っている。そしてその技術は、ネットのテクノロジそのものをドライブさせる役割を担っている――村井教授の証言は、おおむねそのようなトーンに貫かれていた。私は技術者ではないので、Winnyの技術がどの程度なのかを明確に語る言葉は持っていないけれども、しかし金子被告が卓越した技術者であり、Winnyの持っている技術が素晴らしいものであることは、多くの業界人から取材した結論としておおむね理解できていると思う。

 しかし問題は、その素晴らしい技術の結晶であるWinnyが、結果的には音楽や映画など違法な著作権侵害コンテンツの流通に使われてしまっているという実態だ。後半では検察官が、「あなたはWinnyがどのような目的で実際に利用されているのかを知っているのか?」と村井教授に問うた。この質問に対して、彼は次のように突っぱねている。

 「利用は様々です。利用の仕方はいろいろあるが、それは電話をどのように使うのかということと同じです。要するに、さまざまな目的で使われるようにすることがインフラの目的なのです。私はWinnyの利用者から、その利用目的について聞いたことはないのでわかりません」

 古き良きインターネット文化の文脈で言えば、村井教授の言っていることはまったくの正論である。インターネットはエンド・トゥー・エンドであって、どのように利用するかは、エンドである利用者の判断に任されている。インターネットの役割はあくまでもインフラとしてパケットをスムーズに通すことであって、エンドの利用内容については関知しない。それはアプリケーションレイヤーでも同じことが言える、ということなのだろう。

 だが実態は、インターネットの理想からはかけ離れてきている。

 もうひとつ、インターネットの理想を象徴する言葉として「自立・分散・協調」がある。村井教授は同じ慶応大学の徳田英幸教授とともにWIDE大学で『自律分散協調論』という科目を教えている。そのウェブには、自律・分散・協調の説明としてこうある。

・システム内にシステム全体を制御/統治するスパーバイザは存在しない。
・各サブシステムは、自律、分散した構成要素からなる。
・全体のシステムの機能は、サブシステム間の協調作業によって遂行される。

 最近は情報システムの範囲に限らず、社会をポジティブに成長させるキーワードとしてこの「自立・分散・協調」が使われるようになってきている。たとえば小宮山宏・東大総長の挨拶にもこうある。

「自律分散協調系という、生命体を表現する概念があります。例えば人の場合、心臓や肝臓といった臓器は体内に分散してそれぞれ自律的に動いているが、それらが総体としては協調的に機能し、生命の営みがなされているということです。この概念は、まさに大学のあるべき姿を象徴するものではないでしょうか。自律分散協調の実現に成功した大学こそが、21世紀の新しい大学のモデルを提供することになり、世界のリーディングユニバーシティとしての評価を獲得することになるでしょう」

 これは美しいインターネットの理想そのものの姿であり、ネット文化の最良の部分を担ってきた村井教授のような人たちは、こうした自律分散協調モデルが、情報システムとしてだけでなく、社会・経済・政治にも適用されることを願ってきた。

 だが実態としてはどうなのだろう? たとえば最近起きた経済産業省の現役部長のブログが炎上した事件や、泉あいさんのGripBlogで起きた事件などを見ていると、ネットの理想というものに対して何か暗然とした気持ちを抱いてしまう。もちろん批判する側にもなにがしかの正当性はあるというのは否定できないのだけれども、それにしてもわれわれの求めていたインターネットというのは、こういうものだったのだろうか――そんな思いに囚われてしまう。

 それは単なる通過点に過ぎないのか、それとも最終的な帰結であるのかということについては議論が分かれるのかもしれない。だがいずれにせよ、この混沌に対しては何らかの決着を付けなければならない。

 さて。
 一年半にわたって続けてきたこの「ITジャーナル」だが、諸般の事情があっていったん終了しなければならなくなった。このような場を提供していただいたHotWiredの江坂編集長には感謝の言葉もなく、本当に嬉しく思っている。今後もHotWiredではさまざまな形で情報発信していけるよう、江坂さんにもお願いしていきたい。

 みなさん、ありがとうございました。