入れました。
潜在意識/無意識の活用法がありました。
お心を煩わしました。
一般法則論者
一般法則論を知ってて良かった 安心立命の境地 入院して胃カメラと大腸の内視鏡検査
○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい。
「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。
○一般法則論の世界観の図解
以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。
世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
妄想
Ω神= 〔A→ ∥Z→ (B→ (C→ (D→ (H→E→F→G→(M)))))∥〕 Ω=神の国
∥ ↑ 理法 自然 物的 俗・人・子・文歴 記憶
(心的なD) M(記憶) Ω人 人・生・孫・化史 ↓
唯一絶対
一般法則論を知ってて良かった 安心立命の境地 入院して胃カメラと大腸の内視鏡検査
○入院して胃カメラと大腸の内視鏡検査
間食に食べた沢山のお菓子で急に食道に食べ物が詰まる感じがあり胃痛がして、普段飲んだことのない胃薬を飲んだけれども効き目が無く食事も取れなくなり、一週間あまり我慢したけれどますます胃が痛んで改善の様子が無く、止むをえず、病院にいきました。
四十年くらい前に胃カメラの検査で胃潰瘍と告げられた病院からの帰り道、丁度昼時で、「なあーにすぐに良くなるさ」と思って祈ったら即座に良くなり、入ったレストランで生れて初めてステーキを注文して食べて何でもなかったこと以来、胃には自信があって、胃で困ったことはありませんでした。もちろん胃薬も不要でした。
それなのに、この始末。今回はいくら祈ってもなぜか効果なしでした。
病院での医師の診断結果は、即入院して胃カメラの検査をすることなりました。
胃カメラ検査の結果、食道には病変はありませんでした。
胃の方は食べた物が少し残っていて、多分病変は無さそだけれどもと告げられました。しかし、念のため後日再検査をすることに同意しました。
これで即退院のはずでした。しかし、血液検査で貧血が見つかり、入院以来便秘が続いていることもあって、大腸からの出血が疑われると言われて、その内視鏡検査を勧められました。ただちに快諾して更に入院期間が延びました。
貧血の方は造血の機能が正常に働くようにただち祈りました。
「潜在意識よ、直ちに血を造って正常化せよ!!!!! 任せたぞ。」と言いました。
この結果はその後の血液検査では何も言われず退院後の薬も無かったので改善した模様です。
大腸の内視鏡検査の結果は小さなポリープが二つあったそうですが他に病変はありませんでした。
この二つの検査を自ら進んで快諾し、検査を待つ間も、検査中も、結果を知るのを待つ間も、一般法則論を知っていたお陰で何の不安も心配もありませんでした。
それに、大腸検査前の二度の検便で問題はなさそうだと事前に医師に告げられていたこともあって、安心して検査に臨みました。
なお、胃カメラ検査も内視鏡検査も三十~四十年前と異なり検査時の苦痛は少しもありませんでした。
○この世界は神(宇宙の魂)の心の働きである思考が造った神の国
この世界は神(宇宙の魂、大霊)の心の働きである神の完全な思考が造った物です。
もちろん私の身心も胃も大腸も神の完全な思考(設計図)で造られています。
この意味はヒトは誰でも完全に造られていて完全な健康体であることです。
ところで病院に行くことやまして入院することになれば普通とても不安になるる話はよく聞きます。
入院した夜はベットの上で孤独感に襲われ1晩中不安で眠れなかった話もよく聞きます。
しかし、今度の経験で私は何の不安も無く心配もしていない自分を知りました。
なぜなら、この世界は俗に言う(天然自然の存在の)創造主である神(別名で宇宙の魂、大霊)が造った完全な世界で病気など無いと知っている一般法則論者だからです。
私がこれを本気で信じていることがはからずも分かりました。
俗に言う「安心立命の境地」というべきでしょうか。
今回は一般法則論を知っていて本当に良かったと思いました。
ただ胃カメラ検査、大腸の内視鏡検査のために使った沢山の下剤の影響か下痢便が続いて止まりませんでした。
これが収まるまで入院を継続している内にクリスマスを迎えました。
そして、下痢はまだ続いていましたが新年を迎える前に退院になりました。
○再入院
退院してこの辺まで文を書いたところで俄かな便意。
しかし、トイレに座ったけれど便が少しも出ません。
便意はますます強くなりましたが、それでも出ない。その内強い腹痛が起こってきて耐えられなくなりました。
あまりに私が苦しがるので家族の者が心配して、救急車を呼びました。
前日退院したばかりの病院の救急救命室に入ったのが夜の九時過ぎ。
この頃には更に腹痛が酷くなっていてベットの上で全身を捩って痛みに耐えていました。
直ぐに浣腸をしてくれるものと期待していたのに手当て当ってくれた医者は腸ねん転や腸閉塞の恐れがあり、これを検査で確認するまでは浣腸が出来ないと言います。
で、私は「そんなものはない。それより早く浣腸してください。」と懇願しました。
このとき私は一般法則論者として腸に変な病変は起っていないという確信がありました。
しかし、医者は二枚のレントゲン検査とCT検査を優先しました。
この検査結果が揃ったのが日付が変った翌日の午前四時過ぎ。この間烈しい腹痛を全身を捩って耐え続けました。
鎮痛剤を点滴して頂きましたが、全く効果はありませんでした。
結局単なる便秘と分かり浣腸をして頂きました。
丼で三杯分くらいの量の便が出たと看護婦さんの話。
この後の再レントゲン検査でまだ出切れない便が残っていると告げられましたが更なる浣腸ではとれないと言われました。
相変わらず続いている腹痛にもかかわらず入院はならずに五時半過ぎに帰宅しました。
しかし、相変わらす続く腹痛と止まらない下痢、白湯を飲んでも直ぐに吐いてしまう始末。心配したのはこのままでは脱水になること。
で、その日の内に同じ病院の同じ病室の同じベットに逆戻り。
そして、入院したまま新年を迎え、寒の入りも迎えることになりました。
入院の顛末はこんなところです。
○クリスマス・キャロル
入院中にクリスマスを迎えた時、病院付属の看護学校の生徒さんの聖歌隊によるキャンドル・サービスがありました。
このときにベットの傍まできてお手製のクリスマスカードを渡されて「クリスマスおめでとうございます」と言われた瞬間胸が詰まってしまって涙が溢れ出きて何も言えませんでした。
遠ざかっていく聖歌隊の声を聞きながら、クリスマスカードを頂いたときに私も「クリスマスおめでとう。皆さんに神のご加護がありますように。ごくろうさま。」と一言返事が出来なかったことをおおいに反省しました。で、病棟の担当の看護婦さんには早速「クリスマスおめでとう!!! 神のご加護がありますように。」と挨拶しました。
別の入院患者さんを訪れている人の声で「クリスマスカードは入院の良い記念になって良かったね。」と言う声が聞こえてきましたが、クリスマスの季節は一般法則論者の私にとって特別なものです。
人類の生き方の偉大な教師、イエス・キリストを、口幅ったいようですが、いつか乗り越えることを一般法則論者として考えているからです。
○まとめ
「思えば叶う」因果必然の法則の下に生きている有り難さに常日頃から感謝している私としては、入院することになって一般法則論者である安心感を知ったという話をしました。
やるなら本気本腰、熱い心で一途にやるぞ!!!!!
例により、誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。
寒中お見舞い申し上げます。
○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい。
「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
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○一般法則論の世界観の図解
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世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
妄想
Ω神= 〔A→ ∥Z→ (B→ (C→ (D→ (H→E→F→G→(M)))))∥〕 Ω=神の国
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唯一絶対
○寒中お見舞い申し上げます。
クリスマスおめでとうございます
新年明けましておめでどうございます
寒中お見舞い申し上げます
三つのご挨拶が重なりました。
もう昨年になりましたがクリスマスと、今年の新年と寒の入りを入院にしていて迎えました。
一般法則論者としては恥ずかしい限りです。
詳しい経緯は別文。
まずは年明け初めてのブログの開始のご挨拶。
今年こそ一般法則論の本をだし、その他をやり遂げたい。
やるなら本気、本腰、熱い心で一途にやり遂げるぞ!!!!!!
皆さんのお幸せを祈ります。
例により、誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。
世界平和は神の国が地上天国化した状態しかない
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唯一絶対
世界平和は神の国が地上天国化した状態しかない
○今日は・・・・
今日、12月8日は七十年前の日米開戦の日。
そこで、世界平和を考えるには相応しい日。
○結論から先に言うと・・・・・・
世界平和は神の国が地上天国化した状態しか有り得ません。
平和状態とは、そのシステムとしてのパーフォーマンス、性能、効率が最高、最良、最善に発揮されている状態を意味します。
この為には、私達か生まれ住んでいるこの世界を造った原理であるΩ神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで造られた通りに完全存在することです。
Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きに替って、例えばアメリカ文化・文明や中国文化・文明を造った原理で置き換えたのでは、私達の住むこの世界の平和の秩序は実現でません。
美味しいスープは美味しいスープを作る原理でのみ達成できるのであって、例えば別の原理である高性能の携帯電話機を作る原理では達成出来ないのです。
この理を無視した平和論が横行しています。
そもそもこの世界化、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで造られていることを知りません。
世界平和についての考え方について、ご理解頂けましたでしょうか・・・・・・。
例により、誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。
因果必然の法則の実感
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世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
妄想
Ω神= 〔A→ ∥Z→ (B→ (C→ (D→ (H→E→F→G→(M)))))∥〕 Ω=神の国
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唯一絶対
因果必然の法則の実感
○ヒトの生き方の原理の再確認
ヒトの生き方の原理は、「潜在意識/無意識の活用法」、「求めよ、さらば与えられん」の原理、「引き寄せの法則」などの名前でも知らせているものです。これしかありません。
ヒトの生き方の原理を一言で言うと、原因=結果の因果関係が常に必ず自動的かつ必然的に成立する因果必然の自然法則に則って生きることです。
因果必然の法則がこの世界を唯一・絶対・普遍的に不変・不動的に支配しているのです。
ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の生死も生き方も支配しているのです。誰も何者も、因果必然の法則から逃れることは出来ません。
○因果必然の自然法則の構造の再確認
因果必然の法則とは、「1、Ω神またはヒト(宇宙大では宇宙人一般。広い意味では生物一般)による原因設定→2、原因設定されたことを自動的かつ必然的に即座に引き受けて原因設定されたとおりのものを造り出す/作り出す、即ち、原因=結果の関係に必ずなるようにする、因果必然の法則(潜在意識/無意識の法則など別名あり)の自動的かつ必然的な発動→3、原因設定したとおりに因果必然的に現象・結果の発生」の1、2、3三点一体不可分の自然法則がある、という意味です。
この三点必然的一体不可分の関係を決してバラバラに関係の無いものにしてはなりません。
○因果必然的自然法則の働きを実感する
因果必然の法則が宇宙大で常に働いていることを前提に考えると、現状は過去に自分が原因設定したことが因果必然の大理法(注記1)に自動的かつ必然的に取り上げられて大理法の善因=善果/悪因=悪果の働きが行なわれたことの総決算の結果であることが明確になります。
現状を造り出したのは過去の因果必然の創造主である神(または、Ω神の化身・分身のヒト。以下同じ)+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きに則った自分の原因設定をした因果必然の結果です。これ以外の何ものでもありません。
これ以外の原因、例えば運とか偶然とか誰か他人の所為や社会・政治体制やアメリカ帝国主義などの所為ではありません。
このことを確認し現状を改めてしっかり受け止めて味わうのです。
待っていれば、自分にも大金持ちになったり分単位で仕事をこなす売れっ子芸能人の幸運が転がり込んできたりすねことなど先ず有り得ないのです。幸運は自分自身の為に自ら原因をつくったもの以外には既製品の幸運など何処も無いのです。
他人が持ち込んでくる上手い儲け話は、予め自分が自覚的に意図的に原因設定した覚えがないのならば要注意です。
創造主であるΩ神は自分の心で思い描いた通りの世界を確実に造ってその通りに体験したように、ヒトは自分の人生体験の創造主として、自分もなりたいものがあれば創造主である神がしたようになりたいものを思い描けば良いわけです。
現状が不満足な結果、不満足な現状ならば、これと格闘するのは無意味です。
直ちに満足のいく結果をもたらす原因設定を新しくすれば済みます。
○現状確認-ーーーしみじみとした感慨
現状結果、身体の健康状態、例えば身の回りの体験、持ち物や成し遂げたことなどを確認すると、現状は私が過去に意識的に或いは無意識的に原因設定したことが大理法/自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きに因果必然的に取り上げられて実現した/顕現した結果であると思うと、何とも言えない気持ちになります。
そして、とにかく現状は受け入れてより満足の出来る結果をもたらす原因設定をしなけれれば・・・と思います。
○原因設定は複数の選択肢の中から自由に主体的に選んだときこそ慶びも満足度も高い
俗にいう(サンデル教授の)「白熱教室」の討論の中で、原因設定は複数の選択肢の中から自由に主体的に選んだときこそ慶びも満足度も高い、という心理実験があると紹介されていした。
○野生生物は自ら進んでリスキーな選択をしてしかも動物園に飼われているものよりもはるかに長生きする
野生生物は自分が生きる道を選ぶ原因設定をするとき、よりリスクの高い道を選択する傾向があることが分かっているそうです。
それでもなお、動物園に飼われて天敵から守られ生活が保障されているものよりも倍も寿命が長い。→同上の『白熱教室』から
○私達の場合は・・・・・・
私達の日常経験でも失敗するかもしれないリスクが大きい選択は、成功するとリターも大きい、ということがあります。
しかし、日常生活の私達は、出来るだけリスクを避け、安全パイを選択します。
成功した過去の先例に従って、それが過去には知られていなかったけれども確実な手段・方法に基づく計画でも「過去に成功した実例がない。この意味でリスクは無限大だ。国民の税金を使って仕事をする我々には冒険は許されていない。失敗したら自分の経歴にも傷がつく。」という決まり文句でリスクを避けます。
本当の所は、この人たちは物事を成功的にやり遂げる方法があることを知らないのです。
原因設定→因果必然の法則の働き→結果の発生の間にある一体不可分の関係を未だ知らず、原因設定した通りの結果が得られる因果必然の法則の存在を知らないのです。
「この世で百パーセント確実に物事をやり遂げる手段・方法など有り得ない」と知ったかぶりをするヒトがいます。
しかし、この世の創造主である神は、因果必然の自然法則+エネルギーと体不可分でこれがかのうであることを今この瞬間にも証明しつつあります。例えば、多剤耐性菌アシネトバクター。
○因果必然の法則は過去を先例にしたり過去の延長線上に今解決すべき問題を考えるのではない
先例に従い、過去の成功にのみ囚われていたら、この世界の進歩も無かった。
天然自然の創造主である神の存在さへ否定するヒト(宇宙大では宇宙人一般)存在を許す世界は誕生しなかった。
創造主である神は、常に冒険し続けているのです。
そもそも、自然法則+エネルギー一体不可分の働き/潜在意識/無意識の法則の属性は、俗に言う、生物の本能のように常に特定の行動の方を繰り返すだけのものではなかつたのです。
原因=結果の因果必然の法則を素直に生きていると推測できる野生生物は過去に囚われた安全パイは選択しないのでしょう。
この結果、カッコウに托卵される鶯はいわゆる本能行動の決まりきった型をいつまでも機械的に繰り返すことをせず、自らと托卵を防ぐ工夫をする選択の自由を持てるのです。
○Ω神はいつも積極的で前向きで自他肯定的でリスキー・・・・・
Ω神はいつも積極的で前向きで自他肯定的でリスキーで、絶対に絶望しない存在です。
○注記1 理法、大法という名前
理法、大理法という名前は、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働き、潜在意識/無意識(の心)と同じ意味です。
この他の言い方たでは、大生命力、宇宙の主観の大精神などと言います。
注記1の終わり
例により、誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。
一般法則論の話の究極の目的ーーーΩ神がヒト(宇宙大では宇宙人一般)の為に定めたヒトの生き方の原理の分かり易い説明の仕方
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唯一絶対
○一般法則論の話の究極の目的ーーーΩ神がヒト(宇宙大では宇宙人一般)の為に定めたヒトの生き方の原理の分かり易い説明の仕方
一般法則論の話の究極の目的は、Ω神がヒト(宇宙大では宇宙人一般)のために定めたヒトの生き方の原理の分かり易い説明をすることにあります。
こういうことなので、理屈の説明は後回しにして、一般法則論の話の究極の目的から説明します。
○ヒトの生き方の原理とは
ヒトの生き方の原理は、「潜在意識/無意識の活用法」、「求めよ、さらば与えられん」の原理、「引き寄せの法則」などの名前でも知らせているものです。
ヒトの生き方の原理を一言で言うと、原因=結果の因果関係が常に必ず自動的かつ必然的に成立する因果必然の自然法則に則って生きることです。
因果必然の法則がこの世界を唯一・絶対・普遍的に不変・不動的に支配しているのです。
ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の生死も生き方も支配しているのです。誰も何者も、因果必然の法則無視したり、これから逃れることは出来ません。
○因果必然の自然法則の存在とは
因果必然の法則とは、「1、Ω神またはヒト(宇宙大では宇宙人一般。広い意味では生物一般)による原因設定→2、原因設定されたことを自動的かつ必然的に即座に引き受けて原因設定されたとおりのものを造り出す/作り出す、即ち、原因=結果の関係に必ずなるようにする、因果必然の法則(潜在意識/無意識の法則など別名あり)の自動的かつ必然的な発動→3、原因設定したとおりに因果必然的に現象・結果の発生」の1、2、3三点一体不可分の自然法則がある、という意味です。
○因果必然的自然法則の誕生の経緯
この法則の必然的な誕生は、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きの誕生のときに遡ります。
この世界の創造主である神としてのΩ神は、確率的偶然や運任せでこの世界を造ったのではありません。
創造主であるΩ神は自分の心で思い描いた通りの世界を確実に造ってその通りに体験したかったのです。この世界の創造主である神と名乗るにはこうゆう形でこの世界を造る/創造することだったのです。
そして、この通りにこの世界を造るには因果必然の法則に則るしか手段・方法はなかったのです。
天地創造に当って、「神はサイコロを振らなかった」とアインシュタインが喝破したとおりだったのです。
○唯一・絶対・普遍かつ不変・不動のΩ神と自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きの誕生の経緯
これは、未だ空間も時間も存在しない無次元の世界の中で行なわれました。この結果は、時空を超えて働く唯一・絶対・普遍かつ不変、不動の存在の創造主である神、同じく自然法則とエネルギーの誕生、唯一・絶対・普遍の不変・不動の因果必然の自然法則の誕生となりました。
このときから、原因設定者としてのΩ神(霊的存在と名付けられたりします)、Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒト(宇宙大では宇宙人一般)による原因設定→因果必然の自然法則の働き→原因設定した通りの結果の発生の一体不可分の関係が生まれたのです。
○しっかり理解し記憶することは原因設定→因果必然の自然法則(無意識/潜在意識)の働き→原因設定した通りの結果の発生の関係を一まとめのものとして理解すること
意識のある心による原因設定→原因設定したことを自動的かつ必然的に受け取って因果必然の自然法則(無意識/潜在意識の自然法則)の自動的かつ必然的発動→原因設定した通りの結果の発生の関係を常に意識して行動することです。
ここが、潜在意識/無意識の活用法の肝になります。
○再確認しておくことーーー慣性の法則に従う物を造りだす自然法則+エネルギー一体不可分の働きも慣性の法則
慣性の法則に従う物を造りだす自然法則+エネルギー一体不可分の働き(無意識/潜在意識)も慣性の法則です。
慣性の法則に従うと言う意味は、自らの主体的自由意思を持たず、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働き(無意識/潜在意識)単独では勝手に何かを造りだす事は一切全く出来ないと言うことにあります。これは経験則でも分かります。
自然法則+エネルギー一体不可分の存在(無意識/潜在意識)が働くには、これが自動的かつ必然的で働く原因設定する存在、即ち、Ω神やヒト(宇宙大では宇宙人一般。広い意味では生物一般)の思い、意思が必要です。
このとき、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働き(無意識/潜在意識)は、価値中立的な存在の属性を持ちます。詳しいことは別の文にします。
○自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは元々Ω神の天地創造の意図を実現する為に存在するものですが・・・・・
なお、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働き(無意識/潜在意識)は、元々創造主である神の天地創造の意図を実現するために存在するものです。しかし、無意識/潜在意識的存在のΩ神より、Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒト(宇宙大では宇宙人一般)の意図の方が優先するこの世界の成り立ちと仕組みになっていますから、あたかも自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働き(無意識/潜在意識)はヒト(宇宙大では宇宙人一般)の意図を実現するために存在しているような構図になっています。
しかし、究極的には、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の意図、考えは、Ω神の意図を変更したり超えたりすることは出来ません。
これはΩ神の天地創造の目的やΩ神が造ったこの世界の基本構造を守り維持するためです。
○私の失敗
俗に言う潜在意識/無意識の活用法を初めて自覚的知識として知ったとき、この一体不可分の関係について、私は理解し損ないました。
それまでは、「思えば叶う」で、奇跡的体験もしていたのですが・・・・・・。
この結果、この関係をバラバラの関係と理解してしまいました。
加えて、潜在意識/無意識はこれ自体で勝手に存在し、意識のある心には容易には従わない存在、と言う本の説明を、潜在意識/無意識の活用法の実践者の説明を信じ込んでしまいました。
で、こんな簡単な方法で原因設定が出来るのか?
原因設定したことが潜在意識/無意識に届いたことがどやったら分かるのか?
そもそも、潜在意識/無意識は何処にあるのだ?
などの疑問が生まれました。
それでも、ふと思ったことが殆ど即座に実現することがあって、頭の中が混乱していました。
これでは潜在意識/無意識の活用法どころではありません。自覚的意図的に制御して使えない訳です。
それから潜在意識/無意識の活用法をマスターしようと格闘した結果、八ヶ月余りお休みを頂いている間にやっと分かりました。
分かってみれば、自分でも驚く発見でした。
ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の心は、自分は何を実現したいのか決める=原因設定をすることをもっぱら受け持つ意識のある心と潜在意識/無意識とで出来ていて、意識のある心と無意識/潜在意識の心とは最初から一体不可分の関係にあり切り離して考えることは間違いであると分かったのです。
で、意識のある心で思うことは全て即座に無意識/潜在意識の心に届いてしまうのです。
潜在意識/無意識の心は何処にあるのか、探す必要は全くなかっのです。
意識のある心で考えたことが無意識/潜在意識の心には常に必ず即座に届いていたのです。
恥ずかしいと思うとその場で直ちに赤面するようにです。
沸騰した水の入った薬缶を触ると即座に熱いとか痛いと感じて身を離すようにです。
このようなことが分かったので、潜在意識/無意識の活用法は、意識的に自覚的に意図的に原因設定をすれば、後は潜在意識/無意識が自動的かつ必然的に自然に働いてくれて事を自動的かつ必然的に自然に実現してくれるから、潜在意識/無意識に全ておけば良いことになりました。
話は、単純に出来ていたのです。
○意識のある心で何をどうすれば良いか分かっていることは直ちにそのようにすれば良いが・・・・・
もちろん、お茶を飲む為にお湯を薬缶で沸かすようなことは、意識のある心でも知っている通りのやり方をすれば済むので、改まって潜在意識/無意識の働きに頼らなくても済むでしょう。
しかし、会社経営とか結婚生活のようなことは意識のある心が既に知っている範囲を超えた知識が必要になりますから、全てを知る全知全能の無意識/潜在意識の知恵と力を借りることは必須です。これが潜在意識/無意識の活用法そのものになります。
○潜在意識/無意識の法則は価値中立に働くので原因設定されたことが何であっても実現してしまうーーー注意点
潜在意識/無意識の法則は価値中立に働くので原因設定されたことが何であっても、それが原因設定者にとって幸せをもたらそうが、不幸をもたらそうが一切かまわず実現してしまいます。
そこで、潜在意識/無意識の活用に当っては、自らを害さず、不幸を自ら引き寄せないことが必要です。
つまり、例えば常日頃自分の口癖にしているような事には、注意が必要です。
今、アメリカの若者中心に、自分たちはウォール街の少数の金持ちたちに搾取され続けている持たざる者だと言っています。そして、そのとおりになっています。
あることが自分には出来ると思っても、そんなことは自分には不可能だと思っても、因果必然の自然法則の自動的かつ必然的の働きで自分が考えている通りの結果を体験することになります。
自動車王フォードが「それが出来ると思っても出来ないと思っても結果としては思っている通りになるので、どちらも真理だ」と言った通りです。
原因設定は、無意識的に習慣的にするのではなく、自覚的に意図的にすることです。
○完全な原理設定の仕方とΩ神の思考の利用ーーー任せるーーー潜在意識/無意識の活用法のコツ
例えば完全な健康状態を取り戻したい、と考えたとき、完全な健康状態とは何か? について知っているヒトはいません。
これを完全に知っているのはヒトを造ったΩ神(+自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働き/無意識/潜在意識)を差し置いて、他には存在しません。
事実、Ω神はヒトに代わって、それが何をするのでも、それが上手く行く手段・方法について完全な思考をし続けています。
例えば左前になった会社を立て直すにはどうしたら良いかΩ神は完全に知っています。ヒトに代わっていつもΩ神はそれが自然に成功する完全な思考をしてくれてくれているのです。
そこで、これを利用するのです。
即ち、原因設定後、意識的に、この実現はΩ神の全知全能の知恵と力に任せて実現してもらう。この間、Ω神の導きで何をすべきか必ず在るので、そのときにはそれに素直に従って行動に出る、と言うのです。
○まとめ
潜在意識/無意識の活用法は因果必然の法則に則って行動することだ、という話をしました。
具体的には、「原因設定→因果必然の法則の自動的かつ必然的の発動→原因設定した通りの結果の自然発生の結果」の三位一体の関係に則って最初の原因設定することです。
例により、誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。
八ヶ月余りご無沙汰している間に何をしていたか?
○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい。
「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。
○一般法則論の世界観の図解
以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。
世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
妄想
Ω神= 〔A→ ∥Z→ (B→ (C→ (D→ (H→E→F→G→(M)))))∥〕 Ω=神の国
∥ ↑ 理法 自然 物的 俗・人・子・文歴 記憶
(心的なD) M(記憶) Ω人 人・生・孫・化史 ↓
唯一絶対
○八ヶ月余りご無沙汰している間に何をしていたか
一般法則論で大口を叩いていますが(ここでの話は議論の叩き台になる仮説を提示している積もりです)、しかし、今ひとつ何故そうなるのか因果必然的な根拠の説明がたりません。
言い換えると、一般法則論を突き放して客観的に観る視点に欠けています。
これをするには、一般法則論から一度離れてみることが必要です。
○考えてみてください
一口に、我々の住むこの世界は、天然自然の(ヒトが想像力を逞しくして人工的にでっち上げたものではないという意味)いわゆる創造主ある神が造った、と言っていますが・・・・・・。
この創造主である神がこの世に誕生した因果必然的な目的と理由は何か?
何者がこの世に創造主である神を誕生させ、存在目的と存在理由を付与したのか?
いわゆる自然法則は、ご存知のように、原因=結果の因果必然的関係をもたらす因果関係法則として自然科学的も知られています。
では、自然法則の起源は?
何故、自然法則は因果必然の法則という属性を持っているのでしょうか?
一般法則論では、この世界は精神世界+物質世界でできていると断言しています。
そして、精神世界は心の世界であり、同時に心の働きである思考の世界です。精神世界は時間も空間も存在しないゼロ次元の世界でもあります。
物質世界は自然科学の対象であり、3次元の空間と1次元の時間からなる時空一体不可分の四次元の世界です。
心(精神)と物質的身体を併せ持っている私達が生きている世界は、この物質的世界です。
では、精神世界から物質世界が誕生しなければならなかった因果必然的な理由はどこにあったのでしょうか?
これは、物質をして物質たらしめるのは ヒッグス粒子の働きによる、という以前の問題です。
何故、物質世界は、「定数」の名で知られている最小単位からはじまっているのでしょうか?
・・・・・・・
何故、ヒトは、(輪廻)転生を因果必然的に繰り返すのでしようか? この仕組みは?
・・・・・・・
創造主である神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中で私有財産制の因果必然的な根拠は何処にあるのでしようか?
・・・・・・・
これらのことを考えるヒント/手掛かりは、何処にあるのでしょうか?
一般法則論では二つしか考えられません。
一つは、この世界は、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分きで出来ている、という哲学的つまり根源的かつ根本的原理的認識事実です。
Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働き以外のものでは出来ていないのですから、この枠内だけで考えれば良いことに論理必然的になります。
考える私の心はこの世界の成り立ちと仕組みを造ったΩ神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きと一つ同じものだと既に分かっています。
Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きは、この世界の成り立ちと仕組みを全て造った存在ですから、この世界をどのようにして造ったかΩ神の所には完全な知識があります。
そこで、Ω神に聞けばこの世界の成り立ちと仕組みのことは、全て完全に分かるはずです。
そして、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きは、絶対的無意識の存在です。
私達の心は無意識+意識のある心で出来ています。
無意識/潜在意識は万人と万物が共有するΩ神の絶対的かつ普遍的な潜在意識/無意識とヒト各人毎に異なるこの世で生きた経験の記憶が無意識化/潜在意識化したものから出来ていますが、ここではΩ神の絶対的かつ普遍的な無意識/潜在意識の意味です。
起源的にはΩ神の心が私達の心になっています。
そして、絶対的無意識/潜在意識の心であるΩ神の心が、進化の過程をへて、潜在意識/無意識の一部が私達の意識のある心になっている訳です。
そこで、Ω神がこの世界の成り立ちと仕組みをどう造ったかは、Ω神の無意識の心を意識化をすれば良いことになります。
無意識/潜在意識の意識化の究極の形は、いわゆる悟りの体験です。これが私達の本当の知識即ち真理になります。(20111118挿入)
この世界の成り立ちと仕組みを認識し理解することは、ヒトの意識のある心のみが良くするところです。理性的に合理的にまた科学的にこの世界の成り立ちと仕組みを認識し理解しその真偽を検証することができる働きをするのも、ヒトの持つ意識のある心の働きです。
ところで、Ω神の無意識/潜在意識にある情報を意識化するに当っては、エラー/間違い/錯誤/妄想がしばしば付き纏います。
これを乗り越えなくてはなりません。
また、真偽の検証も欠かせません。
こういうわけで、無意識の意識化は一筋縄にはいかないのです。
それでも、とにかくこの世界の成り立ちと仕組みをΩ神に聞いたつもりのことを、ここに明らかにしようと思います。
・・・・・・・・・・
私は一般法則論者を名乗って、この世界の成り立ちと仕組みを造っている根源的な原理を考え明らかにすることが使命の一端の哲学者の積もりです。
しかし、我が敬愛する師匠の前に出ると至らなさを強く感じます。
この考察で、本物の哲学者として師匠の前で少しは胸を張ることが出来るようになったかな、と思います。
例により、誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。
(20111118 訂正と挿入あり)