顕正会への愛のムチ!

お山から真心を込めて顕正会の誤りを発信いたします。

「冨士大石寺顕正会にrついて」更新しました。

2015年07月31日 09時51分28秒 | 更新情報
「冨士大石寺顕正会について」(報恩坊公式サイト)を更新しました。

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先日の御隠尊日顕上人猊下平成16年8月26日の御講義の続きをアップしました。

この後の私のシーサーブログ記事においても何度となく引用しますし、顕正会問題を理解する上では重要な内容が随所に確認できるものです。かなり長いですが拝読してみてください。

第五十三回 全国教師講習会の砌(後編) 平成16年8月26日

「冨士大石寺顕正会について」更新しました。

2015年07月30日 08時22分39秒 | 更新情報
「冨士大石寺顕正会について」(報恩坊公式サイト)を更新しました。

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御隠尊日顕上人猊下の平成16年8月26日の御講義をアップしました。

この御講義は正本堂問題や顕正会問題に関する、現時点における直近の御指南であり、この考え方ならびに解釈の仕方が現時点での日蓮正宗の公式見解になります。

この後の私のシーサーブログの記事においても何度となく引用しますので、かなり長いですが拝読してみてください。なお、この講義の後編は追ってアップします。

面倒くさいことが嫌いな方は赤字のところだけ読んでいただければ顕正会が問題とするところはおよそ把握できるかとも思います。


第五十三回 全国教師講習会の砌(前篇) 平成16年8月26日



「冨士大石寺顕正会について」更新いたしました。

2015年07月26日 07時32分12秒 | 更新情報
冨士大石寺顕正会について」(報恩坊公式サイト)を更新しました。

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除名処分に至る行程とその後について

除名処分に至る行程

これまで浅井さんをはじめとする幹部33名が除名処分を受けたという事実について書いてまいりました。
これだけを見ると、除名処分というのはいかにも簡単に乱発される性格のものだと勘違いされる顕正会員の方もいらっしゃるかと思います。
しかし、そうでは無いのです。
顕正会が忌み嫌う、かの創価学会でさえ、除名処分を受けたのは池田大作さんただ一人なのです。(続きはサイトで…

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「冨士大石寺顕正会について…顕正会の誤りについて」

ホームページ開設のご案内

2015年07月24日 05時52分25秒 | 更新情報
日蓮正宗総本山大石寺 塔中 報恩坊の公式ホームページを開設いたしました。


冨士大石寺顕正会について


これから内容を充実させていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。



顕正会の本尊について 19

2010年05月21日 19時42分31秒 | 日記
“遥拝勤行には経机を置くことが望ましい 心も形も整え、誇りを以て御在世の信行を”

遥拝勤行について


 それから遥拝勤行について、前々から私は思っていたが、ぜひ「経机」を置くといい。形がきちんときまり、心も整う。

 入信したばかりの人は、もちろん無くてもいい。そのまま遥拝勤行すればよい。しかし信心が堅まり、白分の部屋に経机が置ける環境となったならば、ぜひとも経机を求め、その経机を富上大石寺のほうに向けて、きちんと遥拝勤行をしたい。心と共に、形も整えることが大事です。

 富士大石寺においては、日興上人以来、丑寅の勤行が行われているが、その勤行のあと、歴代上人は必ず遥拝所において、御宝蔵にまします戒壇の大御本尊に向い奉り、遥拝勤行をされている。

 遥拝所には経机しかないのです。その経机の上には三具足(お燈り・香・樒)が載っているだけです。そこから、遠く離れた御宝蔵の大御本尊を拝みまいらせるのであります。

(顕正新聞 平成8年7月15日号)

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紙上座談会

 司会 六月度の本部会議で、先生より遥拝勤行のこと、ことに「経机」のことをお聞きして、いま全顕正会には大歓喜が巻き起こっております。そこで本日は、さらに詳しく遥拝勤行についてお伺いしたいと存じます。

 男子部長 男子部でも経机は、大反響です。「早くお経机を揃えたい」とみんな口々に云っております。まさに期を画することですね。有り難さでいっぱいです。

 加藤 女子部でも区の座談会で、先生の遙拝勤行についての御指導を伝えたのですが、みんな涙を流して感激しておりました。
 これで、心と共に形も整い、何ともいえない清々しい気持です。

 湯浅 婦人部でも「早く準備したい」「場所をどこにしようか」と考えてます、(大笑)

(顕正新聞 平成8年7月25日号)

 男子部長 「経机」が出来ましたが、これを機に、どのように形を整えていったらいいでしょうか。

 先生 人信早々の人は経机がなくてもよい。そのまま遥拝勤行を実践すればよろしい。
 しかし信心が堅まり、自分の部屋の環境も整ってきたら、まず経机、そしてリンを揃えたい。おリンは勤行を荘厳にし、家族一緒に勤行するとき、呼吸を合わせるのに必要です。
 さらに、できるなら、過去帳も整えたい。その上さらに整えることができるなら、三具足(お燈り・香・お樒)も揃えたらよい。これらは一っぺんにでなくとも、段々に揃えたらいいと思う。
 まず何よりも経机です。この経机を富士大石寺のほうにきちんと向ける。ただし部屋の状況によっては、少々ずらしてもよい。
 この遙拝勤行の形は、大石寺歴代上人が丑寅勤行のあと隣接の遥拝所において、御宝蔵にまします戒壇の大御本尊に向い奉り遥拝勤行をなさるのと同じです。
 大石寺の遥拝所は、御宝蔵にきちんと向かって窓がついている。そこには経机と三具足しかない。
 実は御宝蔵の中にはお樒がないのです。それは、大御本尊は広布の日まで蔵の中に秘蔵し奉るという意味からです。したがってお給仕もしない。
 そのかわり、遠く離れた遥拝所において、お樒などを備え奉っているのです。
 富士大石寺の歴代上人は、この遥拝所において、毎朝、遥拝勤行をしておられる。この遥拝勤行を、いま私たちは各家において、やらせて頂くということです。

 湯浅 勤行が終ったら経机は片づけてもいいのでしょうか。

 先生 部屋が狭い場合には、部屋の隅に片づけてもいい。それでも狭かったら、ヒモで天井に巻き上げるかね(爆笑)。

(顕正新聞 平成8年7月25日号)

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「経机」「仏壇」は八月より領布(本部会館 横浜会館)
  地方事務所は九月中旬から
 このたび遥拝勤行用の「経机」、ならびに二種類の「仏壇」が顕正会のオリジナルとして作製され、本部会館ならぴに横浜会館においては八月一日から、その他の地方会館・事務所においても九月中旬から、それぞれ頒布されることになった。地方会館・事務所においてもし品切れの場合は、事務所受付けに購入申し込みをしておくことが望ましい。
 頒価はつぎの通り。
 経机………九千七百円
 仏壇
 Aタイプ……九万八千円
 Bタイプ……三万八千円

(顕正新聞 平成8年7月25日号)


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上記は平成8年に突如出現した“経机購入のススメ”である…。

当時現役顕正会員であった私は何の違和感をも感じなかった…。

しかしながら御本尊様を自宅にお迎えして久しくなる現時点においては異常に違和感を感じるのである…。

これはご自宅に御本尊様を御安置されてる法華講員であれば誰しも感じることであろう…。







つまり…、








あとは御本尊様と御厨子を揃えれば形は整ってしまうのである…。


















この会長発言を「近い将来に御本尊を大量配布するぞ。」との意を内包していると想定するのは難しいことでは無いのである…。











しかし、悲しいかな現役顕正会員だった私には全く気づきもしなかったのである。(T_T)


















顕正会の本尊について 18

2010年05月06日 03時29分57秒 | 日記
先日は厳虎さんのブログの件で、松本さんから頂いたといわれる常住御本尊様について書きました。話が引き戻されたついでに現在の目下の話題である神奈川会館に御安置された日胤上人の御本尊様について少しばかり触れてみたいと思います。

まずは次の浅井会長講演を読んでみて下さい。


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 最初に、先ほど全員で勤行の時に拝み参らせた御本尊様について、ちょっとその謂れを説明しておきます。

 この御本尊様は、明治九年に五十四代・日胤上人が書写あそばされた御本尊であります。

 授与書を拝見するとこうある。

 「右は今般御大事守護の功績に依り授与する処なり 大信者 吉野萬吉」と。

 「御大事」とは何か。すなわち戒壇の大御本尊の御事であります。

 どういうことかと申しますと、明治維新のころの日本は、神道一色になって、“仏教なんかみんな潰してしまえ”という風潮があったのです。

 ことに富土大石寺を狙う国粋主義者の暴力的なグループがあった。そのような中で、あの日霑上人が、なんとしても戒壇の御本尊をお守り申し上げなければいけないとの御意から、密かに大御本尊を安全な場所にお遷し申し上げんとされた。このとき、険難の道中を、身を挺して御守護申し上げたのが、この吉野萬吉という方をはじめとする数人の強信の方々だったのであります。

 日霑上人はこのとき御隠尊であられた。よって日胤上人が御本尊を書写されて

 「御大事守護の功績に依り授与する処なり」

と、その大功を賞嘆されたのであります。

 この御本尊はその後、妙縁寺に納められ、住職の松本日仁尊能化がこれを護持されていた。松本日仁尊能化は顕正会(当時妙信講)の指導教師であられ、顕正会が国立戒壇のゆえに理不尽なる解散処分を受けたとき、宗門僧侶の中でただ一人、「顕正会が正しい」と云って、顕正会と命運を共にして、宗門を擯斥された老僧であります。

 この松本日仁尊能師が、解散処分のとき、“将来の広宣流布の御奉公のため”にと、多くの御本尊を私に託して下さった。その中の一幅が、この御本尊なのであります。

 いま私は、この御本尊様を拝んで、明治の初めにおける日霑上人・日胤上人の御心労、そして命かけて戒壇の大御本尊を御守護申し上げた吉野萬吉という方の護法心が、胸に迫る思いであります。

 日胤上人は「大信者」と特賞されております。まさに命がけの護法に、深く感動せられたのでありましょう。


(平成7年8月15・25日合併号)



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これは平成7年の男子部の合宿における浅井会長の講演です。その後もそうでしたが、合宿のおりにはこの日胤上人の御本尊様を合宿会場にお掛けして朝晩の勤行をなしておりました。ゆえに、この後の四者の合宿においても多少の説明はありましたが、この時の合宿が一番詳しく説明されていたと思います。


今回の神奈川会館におけるこの御本尊様に関する説明との一番の違いは、脇書きにおける「吉野萬吉」さんの存在を全面的に押し出しているということでしょうか。



日蓮正宗信徒としての立場から両者を比較しますと、むしろ今回の神奈川会館の説明の方が違和感を感じます。



この御本尊様は紛れもなく吉野萬吉さんが御宗門にとって功績を残したとのことから、吉野萬吉さん個人に与えられた御本尊様でございます。



吉野萬吉さんがお亡くなりになった後は、そのご家族がこの御本尊様を御護りしていく意思を持っていれば、御宗門より許されてその後もその家の御本尊様として御安置していくことは可能です。もちろんのことそのご家族はこの御本尊様に御題目を唱えていけば功徳は積めることでしょう。また、正しく信仰をされている親しい方が、その家で一緒に勤行を申し上げたとしても同様に功徳は積めるのは当たり前でございます。



しかしながら、全く吉野萬吉さんとは縁もゆかりもない顕正会員が不特定多数の参詣する謗法の会館に据え奉って御題目をあげたところで功徳が積めるとは考えられません。何かが狂っております。



そういった違和感を強く感じるのです。



平成7年の合宿時においてはそこまでの配慮は必要なかったのかもしれません。その時だけ掛け奉ってその後はおしまいしてしまうのですから…。


しかしながら、今回は会館に永続的に御安置して不特定多数の者に拝ませるのですからそうはいかない…。


そういった観点からも、この御本尊様が本来は吉野萬吉さん個人に与えられた御本尊であることをなるべく会員には覚られないようにしたかったのでしょう。





そして何とも皮肉なのは、吉野萬吉さんは御相承の法体である戒壇の大御本尊様を宗外の敵から御守護して褒賞を授かったのでありますが、その功績の証である御本尊を今度は戒壇の大御本尊様の御内証と而二不二の尊体でまします御法主上人猊下を誹謗し貶めようとする逆賊に奪われ、その砦に掲げられ辱められているということでございます。




神奈川会館の御本尊様の御悲憤はいかばかりでありましょう…。




神奈川方面の顕正会員はなるべく参詣しない方が良いかと思います。とてつもなく恐ろしい事が参詣後にはその身に起きるような気がしますよ。



最後になりましたが、今回の浅井会長の講演では吉野萬吉さんのお名前を一言も言ってはおりませんでしたが、まさかとは思うのですが、脇書きを名前の部分だけ削除している…なんてことは無いと思いますが…、もし機会があれば「右は今般御大事守護の功績に依り授与する処なり」の後に 「大信者 吉野萬吉」との名前がしっかり記されているかを現役顕正会員には確認して頂きたいと思います。


その上で万が一書いていなければ、学会の二番煎じをしてしまったとのことですから、是非とも私達にその旨を教えて頂きたいものでございます。












顕正会の本尊について 17

2010年05月04日 16時29分54秒 | 日記
厳虎さんのブログで破邪新聞の記事について言及があったので、それについての私の所感を述べてみたいと思います。



今回取り上げられたのは以下の部分です。

「席上、松本前住職から重宝本尊十一幅と檀信徒名簿の一部の引き渡しがあった。(中略)
しかし、昭和四十八年十二月二十二日に松本前住職が無断で元妙信講に貸した重宝本尊は、いまのところ同講中が返還を拒んでいるため、この日には引き渡されなかった。」

この文章を元に、厳虎さんは本部会館の御本尊以外は返したのではなかろうかと主張される訳です。

たしかに素直に読めばそう読めると思います。


しかしながら浅井会長は7幅の常住御本尊と4幅の導師御本尊を松本さんから受け取ったと現在でも主張しているのですから、この点が辻褄が合わなくなってまいります。




けれども昭和52年の和解調書もよくよく読むと、11幅の御本尊については昭和49年の段階で決着がついているように読めるのです。




これは私の推測ですが、昭和49年の段階で既にコピーをとった上で一部の御本尊を返納したのではないかと感じます。



あくまでも私の妄想ですが…。






悲しいかな35年という月日は短いようで長いものです…。当時を知っている人はどんどんこの世からいなくなってきております。



この本尊問題もいずれは全てが闇の中へと葬り去られてしまうのでしょうか…。



世間的にはそうなるのでしょう…。しかしあくまでも大聖人様の仏法上起きた出来事でございます。悪い因は必ず悪い結果となって我々の目に示して下さるのだと信じております。




それが和解条項冒頭の



「本件および別紙事件目録記載の各訴訟事件の紛争の核心が宗教上の教義解釈の相違にもとづくものであって、裁判所の判断により最終的に解決さるべき問題ではなく、むしろ今後それぞれの宗教活動の成果によって当否を決せらるべき事柄であることを相互に確認する。



に全て言い尽くされていると思います。



私達はただ黙って御本尊様の御裁断を待つのが一番よろしいかと思うのです。









顕正会の本尊について 16

2010年04月24日 03時41分53秒 | 日記
平成6年11月の横浜会館においては日布上人の常住御本尊様が御安置されました。横浜会館の参詣室が何畳だったかは私も数えていなかったのですが、そこそこ広かった部屋にはこの常住御本尊様の大きさは非常にマッチしていたと思います。

やがて何の説明もないまま、この御本尊様は現在の疑惑大幅御形木御本尊へと差し替えられてしまうのですが、当初は純粋な気持ちで大きな会館には大きな御本尊様をと御安置されたのでしょう。

ただ、今考えればこの横浜会館での経験が、無理をしてでも部屋にマッチする大きな本尊を全国にばらまいていく切っ掛けになったような気が致します。

その後は平成7年に京都、高崎と、日布上人の通常の大きさの御形木御本尊が安置されていく訳ですが、その後に一旦小休止がございます。





しかしながら、水面下ではこの2年の間に大きな動きをしていたと思われるのです。そして平成9年になってから、その謗法は一気に表に吹き出していくのでございます。







顕正会の本尊について 15

2010年04月23日 02時49分39秒 | 日記
世間においても犯罪に手を染める輩はいきなり大きな犯行に及ぶことはありません。

最初は子供だましのような可愛い犯罪で様子を見、それによって味をしめて徐々に大きく大胆な犯罪に手を染めるようになっていくものです。

顕正会の本尊問題もこれと同様に思えます。


理由は前回のようなものでございましょう。しかしながら、当時においては正信会はもちろんのこと学会においてさえ御本尊を自作はしておりませんでした。学会が現在の御本尊を作成し配布を始めたのは平成5年になってからです。顕正会の本尊疑惑が黒ならば、学会が始めるその1年以上も前に顕正会ではそれをやっていたことになります。

平成4年4月の上尾事務所から始まり、平成5年11月の尾道事務所にいたる5カ所の事務所に置いて会員の反応を見ると共に世間からの反応も見ていたのでしょう。そのためには万が一批判が外部から発生したとしても言い逃れが出来るように、過去に置いて御下附されていた実績のある日布上人の御形木御本尊を使用したものと見受けられます。

しかしながら、これ自体が実は非常に不自然なことでもあるのです。

現在の法華講員においては日達上人、日顕上人の御本尊様をご自宅に御安置されている方が大多数でございます。御下附されなくなって半世紀近く経つ日寛上人の御本尊様を御安置されている方に出会うことは非常に珍しくなってきております。

私自身この6年間で日寛上人の御本尊様を御安置されている講員さんに出会ったのは僅かに2人だけです。分母は3ケタであるにもかかわらずです…。それだけ珍しい時代になっているのです。ましてや日布上人の御形木御本尊様を御安置されている方においては、たまたま偶然に講中とは関係ない法華講員さんのご自宅で拝見させて頂いた1件だけにしかすぎません。

私の身の回りにおける日寛上人の御本尊様の存在は1%、日布上人の御本尊様についてはコンマ数%といったのが実態なのです。これは全国を見渡しても大同小異だと思われます。もちろんのこと、平成4年といえば既に20年弱の月日が経ちますので、もう少し残っている御本尊様の数は多かったかもしれませんが、それでも御下附されなくなってから40年弱経っているのですから、これだけ頻繁に目にすること自体が不自然です。

それと一番大事なことは、日寛上人の御本尊様に関しては一時期大々的に御下附された御本尊様ですから多少現在でも目にすることは理解出来ても、日布上人の御本尊様に関しては妙光寺にて御下附されていたにすぎないのですから、ここまで多くを目にすること自体が不自然なのです。

このような批判が平成4年当時に巻き起こっていたのなら、顕正会も警戒して、それ以上の行動には出なかったことでございましょう。しかしながら、幸か不幸かそのような批判は無かったが故にドンドンとエスカレートしていったのでしょう。




それは平成6年11月の横浜会館が追い打ちをかけ、いよいよ本格的に大胆な犯罪に踏み出していくこととなるわけです。






顕正会の本尊について 14

2010年03月25日 06時02分41秒 | 日記
前もってお断りしておきますが、私は顕正会の本尊をニセだとは断定致しません。限りなく黒に近いグレーだとは思いますが、断定するだけの物証を私は持っておりません。よって、あくまでも“偽作の疑いが濃厚である。”という線でお話しを進めてまいります。



さて、前回は平成4年から日布上人の普通サイズの御形木御本尊が出現してきた事を提起いたしました。


それ以前の顕正新聞を見ると、たとえ事務所や会館が出来ても日布上人の御本尊様だとは一言も出てきません。大体がそれ以前は今ほど事務所や会館が乱立はしておらず、ビデオ放映の会場一覧をみても数える程度しかその名前は挙がっておりません。また自宅拠点といえども学会から入ってきた方の自宅の御本尊様はそのまま御安置しており、その御本尊様の前でも入信勤行が行われておりましたので、御本尊様に不自由はしていなかったと見るのが正しいかと思います。

すなわち、妙縁寺に現存していた数百幅の日寛上人の御形木御本尊様だけであっても、十分にことは足りたとみるべきかと思います。



しかしながら、平成4年頃からはそうはいかなくなったのでしょう。

つまり、学会が日蓮正宗から破門され、大量の学会員を顕正会に引き込むためには、どうしても日寛上人の御形木御本尊様では都合が悪くなったのだと思います。

これは本物の日寛上人の御形木御本尊様を拝見したことがある方なら納得されるかと思いますが、どこからどう見ても、数十畳の部屋に御安置して何十人もの人間が参詣するための御本尊様では無いからです。日寛上人の御形木御本尊はあくまでも個人の自宅で信行に励むためのものであり、それに見合った大きさでしかないのです。これはもちろん日達上人や日顕上人の御形木御本尊様もしかりであり、また日布上人の御形木御本尊様も同様です。

ただ、日寛上人の御形木御本尊様はそれよりも一回りも二回りも小さいのですから、せいぜい8畳間が限度でございましょう。それ以上の20畳近い部屋ではお姿自体をしっかりと拝することなど出来なくなってしまいます。そこに大きな大きな問題が潜んでいたのだと思われます。


私は学会の経験がございませんので、学会の会館等ではどのような御本尊様が御安置されているかは分かりません。ただ、破門されるまでは正しく日蓮正宗信徒であったのでしょうから、会館を新設される際などは正式にそれに見合った常住御本尊様を御下附されていたと思われます。


さればそのような会館に参詣し、それが通常だと認識している学会員が仮に顕正会に入ってきた場合、たとえ事情は理解しようとも、あまりにもプアーな環境しか提供出来ない顕正会に対して疑問を抱くことも想像出来ます。


学会員の大量確保…。


この目的達成の為にはどうしてもクリアーしなければいけなかった問題…。


それが会館の御本尊問題の本質だと私は思います。








顕正会の本尊について 13

2010年03月19日 07時35分57秒 | 日記
日布上人の御形木御本尊についてですが、まずは下記の一覧を見て下さい。

これは楽天でブログを書かれている“サンビャクマンさん”のまとめられたものです。

※参考 日布上人書写のご本尊の安置が顕正新聞で確認できた地方拠点(特記なしは大幅か普通形木か記述なし・赤字は既閉鎖)

上尾事務所礼拝室(平成4年4月12日) 
新横浜事務所(平成4年5月3日)
水戸事務所(平成4年5月10日)
笹口事務所(平成4年11月29日)
尾道事務所(平成5年11月3日)
横浜会館(平成6年11月23日)=大幅(常住ご本尊のことか?)
京都事務所(平成7年1月29日)
高崎事務所(平成7年6月12日)
仙台会館(平成9年9月15日)=大幅
名古屋事務所(平成9年9月25日)
小田原会館(平成10年2月8日)=大幅
秋田会館(平成10年4月25日)=大幅
宇都宮会館(平成10年6月7日)=大幅
旭会館(平成10年10月18日)=大幅
八戸会館(平成10年11月8日)=大幅
渋川事務所(平成10年11月15日)
沖縄会館(平成10年12月13日=大幅
三条会館(平成10年12月27日)=大幅
水戸会館改修遷座(平成11年1月24日)=大幅
千葉会館(平成11年12月5日)=大幅
旧青年会館(平成11年12月26日)=大幅
このあと、新本部会館・札幌事務所・新富士事務所以外は日布大幅
(但し高崎会館・松山会館・高知会館は大幅か普通か記述なし。高知会館はかつて常住ご本尊を安置)


http://plaza.rakuten.co.jp/pumiexiejiao/diary/200912010000/




これを見て私は目から鱗が落ちる思いでありました。

つまり元々顕正会員であった私には知らず知らずのうちに“平成10年の正本堂解体に伴い、顕正会は宗門に帰ることを永久に断念し、開き直って御本尊作成に手を染め、日寛上人の御形木御本尊の大量印刷、および会館への出所不明の大幅御形木御本尊なるオンリーワン本尊の創作をしてしまった。”のだと思いこんでいたのです。

おそらく多くの元顕の法華講員さんも同じ思考回路だったと思います。しかしながら、この表を見てみると、本尊作成の疑惑は平成4年にまで遡ってしまうのです。はたして平成4年当時にわざわざ本尊を作成する必要性はあったのか…?
これが私の中に湧いてきた疑問でした。

けれども冷静に客観的に、当時の顕正会の置かれた立場、浅井会長の言動、そして実際に顕正会の手元にあったであろう御本尊の内容を考えれば、これは必然であり、全てが一本の線で繋がってしまうのです。

(つづく)



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ブログ主、移住院十智郎へのメッセージは

ijyuuinntotirou@mail.goo.ne.jp

までお願い致します。




顕正会の本尊について 12

2010年03月10日 21時19分26秒 | 日記
顕正会の自宅拠点等に安置される日寛上人の本尊ですが、現時点ではその数における不審を突いていくのが王道だと私も思います。



「日寛上人書写の御形木御本尊数百幅を私に託して下さった。」(顕正新聞 昭和60年3月15日号)


「日寛上人の御形木御本尊を大量に、私に託して下さった。」(顕正新聞平成5年6月25日号)


「それから日寛上人の御形木御本尊、並びに日布上人の御形木御本尊を多数用意して下さったのであります。」(顕正新聞 平成11年4月25日号)


以上は、あっつぁブログにおけるたくちゃんのパパさんの投稿から日寛上人の御形木御本尊について抜き書きしたものであります。


「そして妙縁寺を退出する時、尊能師は私を呼ばれて『妙信講のこれからの広宣流布の前進に、ぜひとも必要でしょう』と仰せられて、数百幅の御形木御本尊を御下げ渡してくだされた。」(顕正新聞 平成元年6月25日号)


こういった文章も存在しております。ただし、ここでは日寛上人の御本尊とのことわりは入っておりません。ただ、平成11年になって初めて日布上人の御形木御本尊について口にし出したことを考えれば、この御形木御本尊とはすなわち日寛上人の御形木御本尊を指しているといえるかと思います。

“数百”から“大量”“多数”に表現は変化してはおりますが、当初は“数百”と二度以上口にしているのですから、おそらく数百であり、間違っても一千を超えることは無いと思います。

その上で現在の自宅拠点の数を推測するに、これをゆうに超えているのでは無いかという不審点を皆さん御指摘されるわけですね。

当にその通りだと私も思います。この日寛上人の御形木御本尊は、本来は日達上人の御形木御本尊に切り替わった時点で妙縁寺に準備していた数しか無い訳であり、確かに当時は学会の折伏が盛んであったこと、また妙縁寺という大寺院ということから考えても、相当の数が準備されていたことは理解出来るにしても、まさか数千ということはないでしょう。

更に、これは何とも言えませんが、日達上人の御形木御本尊に切り替わったならば、それ以前に準備していた日寛上人の御形木御本尊はすみやかにお山に返すべき道理だと思います。この点も松本さんはじめ浅井会長は責められるべきだと思います。当然の権利の如くに会員の前で松本さんから譲って貰ったなどとうそぶく浅井会長は破廉恥極まりない無道心の輩でありましょう。



日寛上人の御形木御本尊に関してはこのくらいにしておきます。

実は今回、顕正会の本尊問題の流れを見直している途上、あることに気が付きました。





つまり、




日寛上人の御形木御本尊は自宅拠点等で私達が目にする機会が多いが故に、私達はこの御本尊にばかり目がいってしまいますが、むしろ顕正会としてはこれはおまけみたいなものであったのではないかということ…。

本来は日布上人の御形木御本尊の大量偽造が主たる目的であり、そこから調子に乗った顕正会は大幅の御本尊というこの世に存在しない本尊を作成、更に世間にその嘘がばれていないことに自信をもったがゆえに日寛上人の本尊を作成…。

このような流れだったのではないかと思うのです。




次回は日布上人の御形木御本尊(本来のサイズのもの)について書きます。




顕正会の本尊について 11

2010年03月10日 07時44分10秒 | 日記
さて前回までは顕正会が不法所有する本物の御本尊様について論じたわけですが、顕正会の本尊問題としては疑惑本尊とされる日寛上人の御形木御本尊、および日布上人の御形木御本尊、そして明らかに偽造されたと見られる日布上人の大幅御形木御本尊、最後に近年になって分身の術を使って増殖した?導師御本尊、これらの問題もございます。

それぞれに、既に多くの法華講員の方がその疑問点を顕正会に突きつけておりますので、今更私が書くこともありませんが、少しばかり整理してみたいと思います。

ただし、冥の照覧という言葉もありますように、仏様は全てを見通されているのでしょうが、私はあくまで一凡夫でございますので表に出てきた明らかな証拠でしか判断は出来ません。ですので、顕正新聞等での活字をつなぎ合わせて、その裏に見えてくる一本の線を追っていきたいと思っております。

なお、前回までは過去のコピペでしたが、ここからは新規に文章を作成いたしますので、更新頻度が極端に落ちますのでご了承下さい。




ポリ銀氏は純粋な人だった…。

2010年03月09日 18時14分24秒 | 日記
私の削除した昔のブログにポリ銀氏が投稿して下さっておりました。


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一言述べさせてください

ポリ銀さん


 私は、単なる末端の会員で、トチローさんのおっしゃる言葉をお借りすれば、妄信の徒かもしれません。
 ただ、浅井先生が破廉恥極まる人間だとするなら、そして、顕正会員の蒙昧を開目させたいと願う慈悲心がるのなら、公開法論に応ずべきだったんじゃないですか?
 日蓮大聖人様は、取るに足らない邪宗の僧侶に公場対決を何度も迫られているじゃないですか。池田大作にしてもしかり、阿部信雄にしてもしかり、出てきて堂々と論じ合ったのをみたことがない。
 浅井先生は、法論にやぶれることがあれば、顕正会を解散させると仰っていました。本当に道念心があれば、破折屈服させて顕正会の息の根を止めるべきでしょう。
 本山の権威でもって逃げていると、僕は感じています。(2005年11月29日 12時59分54秒)


Re:今晩は。

プリティピッグさん

ポリ銀さんへ
私は、トチローさんと同じ元顕正会員で今は、法華講員となっているものです。

> ただ、浅井先生が破廉恥極まる人間だとするなら、そして、顕正会員の蒙昧を開目させたいと願う慈悲心がるのなら、公開法論に応ずべきだったんじゃないですか?

でも、浅井さんは、妙観講の大草講頭との法論は逃げたのですよ。大草講頭は、はっきりいいました。「負けたら勝った方の弟子になってもいいと。」
でも、浅井さんは応じなかった。
ポリ銀さんは、どう思われますか。
また、顕正新聞にも全文を掲載しなかった。なぜでしょうか。宗門では、きちんと機関紙の大百法に顕正会と破折班の全文を掲載しています。本当に正しいのなら、できるはずではないですか。
また、たとえば、会社にたとえれば、末端の人間が社長に直談判を要求しているのと一緒です。
一般の法華講員が浅井さんと法論したいというのと一緒です。浅井さんは、出てこれますか。?
ポリ銀さんが、いつ入会されているかわかりませんが、もし昔妙信講の時代でしたら、フリーになっている元妙信講問題を参照するといいと思います。
あと、ポリ銀さんは、日顕上人猊下の幼少の頃からのことをご存知ですか。同様に浅井さんの昔を知っていますか。(2005年11月30日 01時30分37秒)


ポリ銀さんへ

トチロ~さん

ご無沙汰致しております。お元気でしたか?
私は季節柄、仕事が忙しくお返事が遅れてしまい申し訳ありませんでした。

さて、御法主上人猊下が相手をしなかった事に関してですが、私も顕正会員であればポリ銀さんと同じ感想を抱いていたことと思います。そして、対決申入書が送付されてからお会いする顕正会員の方々が皆異口同音に申していたことが、まさにこの事でありました。

しかし、これは御法主上人猊下の仏法上のお立場を教えられていないがゆえに抱く、誤った認識なのです。私が顕正会の皆さんに日蓮正宗の化儀を学ぶべきだと申すのはこれゆえなのです。この点の正しい知識を持たずには先には何も話は進まないのです。

唯授一人の血脈を御所持あそばされる御法主上人猊下は、単なる一宗を統率する管長というだけではありません。その御内証は大聖人様であると拝するのが日蓮正宗の伝統教義なのです。ですから、日蓮正宗の教義について御法主上人猊下に異議を挟む、または対決するなどということは大聖人様に対して法義論争を仕掛ける、ということと同じことなのです。これが如何に馬鹿げたことかはご理解頂けると思います。ただ、これが全くの邪宗の輩であるならば話は分かりますが、少なくとも以前は日蓮正宗信徒であり、また論争のテーマが日蓮正宗の教義についてであれば、上記の公式に当てはまるのですから、相手にされないのは必然であると思います。

(つづく)(2005年11月30日 20時39分07秒)


ポリ銀さんへ2

トチロ~さん


また、猊座をかけて法論せよ!と言い出した以上、すでに悩乱しているといわれてもしようがないことです。

猊座に関して…、御相承に関してはただ仏と仏のことであり、我々一在家の知るところではありませんし、また知る必要も無いことなのです。そして、猊座に関して口を挟むなんてことは絶対にあってはならないことなのです。それを全くの素人では無い浅井会長が対決の条件として書いてきたからこそ、この対決申し入れなるものは単なるパフォーマンスとみなされたのではないでしょうか?

本当に大聖人様の御聖意たるところの戒壇論を論じ、求道心の上からハッキリさせたいとの思いであるのならば、礼儀を尽くして申し入れれば良いのではないでしょうか。山崎正友氏がそうであったように、純粋に信仰を求められる方には何時でも御宗門は門戸を開いております。

一切衆生の成仏を目指しているのが日蓮正宗であり、日蓮正宗の御僧侶なのですから、相手に純粋なる求道心を見て取れば、必ず真面目に相手にしてくれるものなのですよ。


(2005年11月30日 20時40分02秒)



顕正会の本尊について 10

2010年03月09日 15時43分31秒 | 日記
どうにもこうにも顕正会員には“血脈の切れた本尊”というのがピン!とこないらしい…。
…というわけで、戸田さんの言葉をお借りしたいと思う。

「これはちょうど電灯にたとえて考えてみると、(御本尊様を電球にたとえることはもったいないことではあるが)ヒューズがとんで電流が流れてこない電灯は、電球が切れていないからといって、いくらつけても明るい光りを発しないようなもので、電球は本物であっても、電流が流れてこなければ光りが出ないのである。」(折伏教典313ページ【昭和39年改訂4版】)

どうだ?判りやすかろう。(^o^)