草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

讀賣に続いて日経も飯山候補を取り上げず

2024年04月24日 | 日本保守党
 日経新聞の本日付の記事では、讀賣新聞と同じように、日本保守党の飯山陽候補のことについては触れていない。そればかりか「独自候補を見送った自民の支持層は秋元氏に2割弱、金沢、酒井、須藤元気各氏にそれぞれ1割程度と分散している」と書いている。
 ネットでは異常な盛り上がりを見せているのに、実際どうなるかは全く分からない。主に取り上げているのは立憲の酒井菜摘、維新の金沢結衣、無所属の乙武洋匡の三候補である。
 マスコミが飯山候補を無視しているのか、それとも浮上しないで下位に付けているのだろうか。飯山候補が自民支持層の1割も集められないとすれば、保守層からもそっぽを向かれているのだろうか。
 ここまでくれば、安全保障や経済政策で、他の候補との違いを鮮明にすべきだ。核政策の転換や大規模な財政出動などを訴えて欲しい。
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長尾たかし氏の勇み足は批判されても仕方がない

2024年04月24日 | 日本保守党
 選挙運動において、真っ先にすべきは、各種の名簿を集めることである。そこから出発するのだ。しかし、個人情報を大切にするようになってからは、かつてのようにはいかなくなった。
 自民党員の長尾たかし前衆議院議員が、自らの後援会名簿を日本保守党に渡したというのは、断じて許されることではない。有本香事務局長に頼まれたのか、そうではなくて自発的であったかについては、長尾氏自身が明らかにすべきだろう。
 今回の衆議院東京15区の補選において日本保守党は、徹底的に自民党をこき下ろしていた。告示になる前には、自民党本部にまで押しかけていた。その政党と裏ではつながっていたと思われるのは、長尾氏にとってダメージが大きい。
 最大の問題は日本保守党の選挙戦術にある。自民党保守派しか味方がいないわけだから、それとの提携を公然と行えばよかったのだ。候補者を出さない自民党とも交渉できたはずだ。多数派を形成するのが政治の原則である。しかし、そんなことを忘れてしまい、言いたいことを口にして、自ら墓穴を掘ってしまったのではないか。
 真実のほどは定かではないが、有本事務局長は、これまでの人間関係もあって、裏では自民党の保守派に働きかけをしていたのではないか。だったらば、あのような過激な物言いは慎むべきだった。
 これによって自民党の保守派の立場は悪くなった。これから高市早苗ブームが起きつつあるときに、それに冷水を浴びせるようなことをしたのである。期待していただけに、ただただ残念でならない。ことの経過を長尾氏は正直に語るべきだろう。
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酒井候補のやや先行より金澤候補と飯山候補の差が気になる

2024年04月23日 | 選挙
 衆議院補選東京15区の朝日新聞と共同通信の世論調査の結果が出た。どちらも立民の酒井菜摘候補がやや先行し、それを維新の金澤結衣、日本保守党の飯山陽の両候補が追う展開になっているという。当初予想された通りで、酒井候補は立民と共産党だけで当選は揺るがないとみられていたが、ここにきて金澤と飯山の両候補が激しく追い上げているのだろう。
 金澤候補と飯山候補の現時点での差がどれだけあるかだ。すでにその数字を各陣営は掴んでいると思う。それが分からないので何とも言えないが、立憲の議席を与えたくない保守層は、金澤か飯山のうちの二位に付けている候補に票を入れるのではないだろうか。
 しかし、ここにきて岩田温氏などが飯山候補支持を明確に打ち出したのは、金澤候補と飯山候補との差がそれほどないからなのだろうか。維新の目玉政策である万博政策への批判はかなり強く、それが選戦に影響しているからだろう。
 選挙戦は実質的には終盤戦に入ってきている。日本保守党が特定野党と同じように、自民党批判を激しく繰り広げているが、それが結果的にどうなるのか。組織的な選挙戦というよりも、ユーチューバーの有名人に依存して、どぶ板とは無縁なやり方でどこまで通用するのか。勝敗だけでなくその点もまた注目される選挙区である。
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国は選挙妨害を断固取り締まるべきだ

2024年04月22日 | 選挙
 衆議院15区の東京補選の結果がどうなるかよりも、それよりも何よりも、他陣営を罵倒誹謗する言論がまかり通り、つばさの党のような選挙運動を妨害する者たちが暴れ回るのを目の当たりにして、唖然とする国民が多かったのではないだろうか。
 国家は法を立て法を執行する機関であって、それを無視する者に対しては、強制力をもって対処すべきである。国家権力というものは、合法的な暴力にほかならず、葦津珍彦は「国家の裁判所も警察も、その本質は合法的暴力機関としての性格を有する。暴力なしには、国家は存立しえないし政治もまたありえない」(『土民のことば』)と書いているではないか。
 にもかかわらず、国はその混乱した状況を放置している。モッブ化した者たちの感情の爆発を、自分たちに有利に利用しているのではないか。あまりにも無能に思えてならない。
 近代民主主義国家においては、反対者の自由が認められる限度は拡大されなくてはならないが、そこにも限度というものがあるのだ。
 葦津の「自由の先駆をもって任じた者が、かれらの信条にもとどく国家を守るために、かれらの認め得る限界外の『反対者』を圧迫したとしても、やむを得ないといわなければならない」(『同』)という言葉は、政治の本質を語っている。警察は投票前であろうとも、法を犯した者については逮捕するのが筋なのである。
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選挙妨害を容認すれば議会制民主主義は崩壊する

2024年04月21日 | 全体主義
 安倍さんを殺害したテロリストの動機なるものを大々的に取り上げ、安倍さんに対する選挙妨害を擁護したマスコミが、今回のつばさの党の暴挙を惹起せしめたのではないか。
 どこのマスコミも、民主主義を破壊しようとする者たちが行ったことを伝えないのは、自分たちのやったことが批判されるのを、内心では恐れているからだろう。
 ワイマール体制下でのドイツにおいては、選挙への暴力的干渉は、ナチスや共産党の常套手段であった。警察権力が手を出せなくなって、双方の運動員が殴り合いを演じたのである。
 ヒットラーはそのプロパガンダと暴力をレーニンから学んだ。だからこそ、ヒットラーは「マルクシズムに、大衆に対する驚嘆に値する力を与えたものは、決してあのユダヤ人の思想界の形式的な文字で書かれた著作物ではなく、むしろ幾年もの間に大衆をわがものにした演説による巨大な宣伝の波である」(『わが闘争下』平野一郎、将積茂訳)と喝破した。
 さらに、暴力によって反対党派を排除するというのも、レーニンから取得したのだ。自分たちの集会を防衛するために、ナチスの国家社会主義の場内整理隊を組織し、マルクス主義者を叩きのめした。テロはただテロによってのみ破るということを、公然と口にしたのである。
 つばさの党のような悪質な火種は、早い段階で除去されなくてはならない。現行法で裁くとともに、法律上の不備も補わなくてはならない。民主主義の危機を回避するためにも、国家権力は優柔不断であってはならないのである。
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