ぜんとりょ~えん♪

JR宝塚線脱線転覆事故にあった人の日記

生きてます

2008年10月02日 | JR宝塚線脱線事故について
(自業自得ながら、)あることがきっかけで、ここのところ調子が悪く、相当切羽詰まっていました。
ある方にお約束したにもかかわらず、アルコールとお薬を飲み、ドアノブを用いて首をくくろうと数日にかけて何度も試してみました。
遺書も2枚ほど書いていました。
勘違いされている方もいらっしゃるかもしれませんが、首つりは最も苦しいと云われる酸欠によって起こる死ではなく、首にかけた紐によって頸部大動脈が締まり、脳に酸素が行き届かなくなって、意識が薄れ、無意識のうちに死に至るらしいのですが、これがなかなか難しく、わたしがやってみると、すぐにまず呼吸を詰まらせてしまい、意識が遠のくどころではありません。
いろいろ、紐の素材から巻き方まで、タオルを緩衝剤に使ってみるなどもやってみましたが、巧く行きません。
何かコツでもあるのでしょうか。
そんなこんなの試行錯誤をしていた訳ですが、何だかこのように失敗ばかり繰り返してきたからか急に、あっけらかんとさっぱりしてしまいました。
人間とは不思議なものです。
死ねたら、死ねたで良いかなぁという不純な動機だったこともあるのかもしれません。
しかし、意識からさえ落ちてくれれば・・・という思いも無きにしはあらずでした。
誠に自分勝手ですが、なにせ、分からないうちに死んでしまうのですから。
また逆説を用いて、レトリックじみてくるのですが、死は手段であり、目的では無いとは云っても怖い。
生理的なものなのか、怖いものを感じずにはいられない。
だからこそ、このように、知らないうちに死んでいたいということを望むのです。
しかし、これを書いている時点で、まごうこと無く、わたしは生きています。
生きてしまっています。
今のわたしには生きていることと、死んでいることの違いがよくわかりません。
あくまでそれは、他者が決めることのようにさえ思ってしまいます。
結局、わたしは、どこへ行きたいのでしょうか。

生きるとは、死ぬとは何なのでしょう。
死んでみるのも一興かもしれないと思う自分がいるのも確かです。
生きるのに疲れました。
だからこそ、手段としての死が上記のように複雑に生理と理性が絡み合い見え隠れするのです。

数日後には、少し落ち着き、結論が出ました。
だけれども、わたしは死なない。
死ねない。
これで、いいんだよね・・・
自分のためとは思えないけれど、母のために、そして犬のために。
これからのことに付いては、流れに身を任せます。


少しずつ、持ち直してきました。
何が何やら、訳が分からない文章ですが、とりあえず、生きています。




しかし、中二病っぽいなぁorz
これ・・・

暑い&身の危険

2008年07月06日 | 淕之介日記
暑い、兎に角、暑い。
冷房の温度をいくら下げても、室温は26度から一向に下がらず。
確かに、エアフローの悪い家具の置き方をしていますが、それでも、これは何とかならんのか・・・
外に出ると、額の汗が瞬時ににじみ出て、雫となって地面に落ちる。
そんなこんなで、昼間はほぼ、ノックダウン状態。

そんなこんなで、先日、犬の散歩をしていると、某薮野さんとかいう親父に絡まれました。
うちの犬を蹴って、その上、わたしにも数限りない暴言を吐き、またやってやる旨を言いやがりましたが、それでも、わたしはいくら品位が欠けている相手でも、それ相応の態度をとるように心がけているので、とりあえず、わたしからは何もせず、一旦、帰って、犬の様子を確認してから、素直に110番通報しました。
110番したのは、再度お話ができる状態ではなかったことと、今後、わたしの身に対しても、何かされるのではないかという恐怖を覚えたからです。
そして、一緒に署へ。
なんでも、その某薮野さん。
別室で状況を聞いていた警察官の方から聞くとろによると、あげくの果てには「殺してやる!」とまで、おっしゃられたそうで・・・
厳重注意さえできない状態だったらしいです。
ただ、警察は、国民の生命と財産を守るのがお仕事だと思っていたのですが、どうも、実際は、このような具体的でない事件未満(?)のことに対しては、グレーで済まそうとしている気がしました。
某薮野さんは、この調子じゃあ、後日、我が家まで押し込みにきそうで、明らかに、わたしは自分自身の生命の危機も感じているのですが、それでも何かあってから110番してくださいとのことでした。
正直、ちょっと、不安です。
あ、ちなみに、付け加えておくと、わたしのお話を直接聞いてまとめて頂いた警察官お二人は非常に感じの良い方でした。

jkらsdyふぃうあへをfぎじゃ

2008年06月28日 | JR宝塚線脱線事故について
何もかも、きれいさっぱり消えてなくなればいいのになぁ。
いやになる。
しんどい。
つまらない。
わたしに一体何をしろというのだ。
はぁ。
本当に、何が何なのだか・・・
柔らかな苦痛が襲う。
発狂しそうだ。

tyrufyguhiljo;kpl;:]

2008年06月28日 | 淕之介日記

禍々しい感情

2008年06月07日 | JR宝塚線脱線事故について
マフィアやヤクザものの映画で、敵対している組織の幹部同士が、料理屋で話し合いを付けるべく場を持つシーンがあるが、あらかじめ料理店を買収しておき、テーブルの下に拳銃などを一方のテーブルに隠させておいて、その席に座ったマフィアが、拳銃を取り出し敵の幹部を次々と撃ち殺して行くというシーンがある。
少し古くなるが、それでも新しめなものでは、北野武監督の「Brother」などにそのようなシーンが含まれていただろうか。

JR西日本の社員が、わたしの家にも来るのだが、もし、わたしが、テーブルの下から出刃包丁を取り出して、相手を刺したとしたら、その方は、これは因果応報の結末だと思うだろうか?
それとも、わたしがJR西日本に対して抱いているような、憎悪や憎しみ、悲しみと云った、えも言われぬような感情を、逆にわたしに抱くだろうか?
その刺された家族にしてもどう感じるだろうか?
別に、刺す相手は、補償交渉をしてくれている末端の社員ではなく、元社長や現社長、引責辞任したはずが天下っていた旧経営陣(坂田正行氏と徳岡研三氏と橋本光人氏)の方がなお良い。
端末の社員にはあまり恨みは無い。
正直な感想を、上層部や彼らから聞きたいものだ。

もちろん、このような凶行を実行する気は甚だ無い。
念のため。
ただ、禍々しくぐらつく感情を綴っているだけだ。

4月末から調子が悪い。
もう6月にもなるのにだ。
本当に、助けてほしいくらいである。
もう嫌になってしまう。
自然と涙が出るときさえある。
本を読む気にさえもならない。
わたしは、ただの形骸だ。

倫理的にも様々な面から見ても、よろしくない内容ですな・・・
憎しみから生まれるものは、憎しみの連鎖だけです。
分かっているつもりです。
でも、これが、本心なので、仕方ありません。
はぁ・・・
自らをも絶望の縁へとたっています。

3年

2008年04月25日 | JR宝塚線脱線事故について
さかしらに。
わずかな不運を見せびらかすな
(Bパート 631カット)
わたしは、この言葉が頭にこびりついて離れない。
この台詞は宮崎監督作品「もののけ姫」にて、タタラ場で、エボシ御前がサンとの一騎打ちを止めに入ったアシタカに発した言葉である。
彼女は、タタリも憎しみも嫌悪もたっぷり味わってきた。
少なくともわたしは、いち被害者の立場として、書きたくないのに、書かねばならないという背反した感情に苛まれながらこれまでいろいろと書いてきた。
今回も、それである。
世界中を見渡せば、もっと、大変な方々はたくさんいらっしゃる。
もちろん、同じ被害者の中にも。
その中で、わたしのような人間は、結局は、エボシ御前の言うものなものでしかあらず、こうして生きているのが、なんだか、辛く、申し訳なく感じるときが未だにある。

つらいか
そこから飛び降りれば簡単にケリがつくぞ
(Cパート 952~953カット)
モロの台詞である。
揶揄されている。
わたしは、PTSDと軽鬱を発症し、何度も形骸を断じようと考えた。
そのときに、この台詞が頭をよぎる。
ひとつ書き添えるなら、わたしの死は目的ではなく手段であるとうことだ。
ただ、愛犬がいるうちは、わたしは、生きなければならないというジレンマに陥っている。
端からしたら大変ご迷惑だろうが、時々、犬を愛しているが故に、世界がその存在ごと、自然と消えてなくなってしまえば良いのにとさえ思うこともある。

事故から、わたしが明確にPTSDと軽鬱を発症するまで、しばらく時間があった。
医師によると、それは自然なことなのだと言う。
JR西日本の社員は、この間、開口一番に、示談を持ちかけてきた。
わたしは、そのとき唖然としたのを、いまでも覚えている。
結局は、事故そのものの本質には、何も答えを出してくれず、早期の幕引きをしたいのではないかと疑ってしまうほどだった。

更に、どうでもいいが、社長がかわったあたりから、JR西日本はかなり高圧的になってきた。
これは、他の被害者の方もおっしゃっていることだ。
わたしのところでは、「医者を変えろ」だのまで口出ししてくる。
また、その担当医に対しても、自らの社会的責任さえ棚において、「薬価が高い」、「本当に、(わたしは)PTSDなのか」というようなことまで問いただしたそうだ。
さすがに、これには、医師は激しく怒ってくれた。
3年経ったが、JR西日本はいったい何を考えているのだろうか。
一番苦しみ、また憤っているのは、誰なのだろうか・・・

4月25日は、わたしの誕生日でもある。
しかし、わたしの年齢は3年前から変わらず止まっている・・・
今のわたしには、この日、黙祷しかできない。
それ自体も、何になるのかと自問自答する。
無力だ。
そして空虚だ。

結局、JR宝塚線脱線転覆事故(JR福知山線脱線転覆事故)とは何だったのか。
それは、確か、当事者であるJR西日本自身でさえ、いまだに原因不明だったはずだ。
なにせ、航空・鉄道事故調査委員会のレポートを無下に突き返したくらいである。
そんな訳の分からないブラックボックスに、みなさんは普段乗っている。
そう思うと、わたしは、絶望の縁にたたざるを得ない。
三菱ふそうのリコール隠し問題で起こった事故に対する裁判では、地裁レベルでも判決が出るまでに6年もかかった。
少なくとも、わたしは、最終的な刑事判決が出るまで、JR西日本に対して、まともに対応できないだろう。
いや、刑事判決が出ても、わたしの中では決して終わらない。
JR西日本の対応を見ていると、そんなことさえ、考えていてくれていないんだろうなと頭をよぎる・・・

もともと、土地を買収し、線路を引くときから、このカーブは物理学的に無理があることは容易に分かっていたはずだと指摘する専門家も存在し、昨年だったか、立命館大学でその講演会も開かれた。
今回、JR西日本がアセスメントを取り入れたりしたのは悪くはないだろう。
ただ、第三者がきちんと監査する類いものではないようだ。
わたしが、一番望むことは、安心して利用できる公共交通機関になってほしいだけだ。
安心と安全は、違うものであり、公共性もJR西日本はどのように考えているのか常々、疑問である。
(わたしは、環境アセスメントを少し齧ったから、このように思うのかもしれない)

わたしが、このようにJR西日本に安易な批判を浴びせるのは、立場上も含め極めて簡単だ。
しかし、それだけではなく、更に一歩進み、公共交通機関という性格を考え、日頃から普通のサービスを受けている方も含めて、JR西日本に対して何らかのコミットを行い、互いに安心して利用できるものを作り上げ、また、互いがお互いを尊重し、高め合って行くことこそ、理想の姿なように思う。
そして、それを実現するためにはどうすれば良いかということであるが、それは、なかなか頭が痛いところである。
ただ、切符を買って、電車に乗るだけで、後は知らないという態度は、公共性の概念から、それで良いのだろうかという疑問は生まれてくる。

書かなければいけないはずなのに、筆が進まない。
自分のことばかり書いてしまい、大変散文的になってしまっている。
考え方や基本的な思想も一年前とほぼ変わっていないばかりか、更新自体が、一年単位になってしまっている。
申し訳ない。
わたしの普段の日記等は、mixiの方に移行しています。
もしよろしければ、下記アドレスにお訪ね下さい。
http://mixi.jp/show_profile.pl?id=7657077

ケータイを壊しました。

2007年05月10日 | ...and all that jazz
5月の頭に、ぽっちゃんっと、携帯電話を水没させました。
結果、液晶画面はバックライト共に死んだどころか、主電源も入いりません。
しかし、カメラの電源は入るのが不思議(使えないけど)
わたしは、必要最低限しかケータイを使用しない人間なので、いっそのこと、解約しようかとも考え中です。
ひとまず、ケータイの方にご連絡をいただいても、ご返信致しかねますので、御用のある方は、hotmailか、mixiあたりに、メッセージをお願いします。
すみません。

あと、ずっとこのブログを閲覧していた方には申し訳ないのですが、どちらかというとmixi主体になってきました。
改めて、もうしわけありません。

何度も線路に飛び込んで死のうと思った。

2007年04月25日 | JR宝塚線脱線事故について
4月25日は、わたしの誕生日です。
しかし、それ以上に、わたしにとっての4月25日は、わたしの数百メートル先で、107人の方々が亡くなった日でもあります。
この2年、色々とありましたが、それでも、記憶の区切りともいうべき頭の中にあるしおりは、2005年の4月25日に挟まれています。
何か思い出す分岐点であり、記憶の節目です。
そういう意味では、まだ2年しか経っていません。
しかし、もう2年になろうともしているのに、依然として、JR西日本の新旧経営陣や体制には、未だに不信感しかありません。
まだ、2年という思いと、もう2年という二律背反した思いがあります。
わたしは、永遠とこのアンビバレンツの中に居るような気がしてなりません。
この事故は、わたしにとっては、永遠に「今回の事故」であり、それが見直されていないように思えるようになる日が来るのか、自分でも分かりません。


「駆け込み乗車は危険ですのでおやめください」
電車の扉が締まると、必ず流れる車内アナウンスです。
しかし、わたしは、何度もしたことがあります。
京都の学校に通っており、JR京都駅と、地下鉄を利用していました。
学校の帰りに、便にもよりますが、組み合わせによっては、この2つの乗り継ぎに、確か3分ほどの時間ができることができます。
このわずかな時間を利用して、全力で、地下2階(地下鉄は地下2階)から、地上1階にあるJRのホームまで走り、ぎりぎりで、JRの電車に飛び込むことをしょっちゅう、なんの罪悪感もなしに、行っていました。
わたしだけでなく、多くの人も、一緒に、JRのホームに向かって走りました。
時間に間に合わず、乗り継ぎに失敗しても、せいぜい、15分もまてば、次の電車がくるののにもかかわらず、です。
この駆け込みのために、運転士には、心的なストレスを与えていたでしょう。
ヒューマンエラーでいうところの、先攻条件にもなりうり、より重大な事故を起こしてしまう可能性だって、今の今まで、あったはずです。
2年前の、JR宝塚線脱線転覆事故は、確かに、JR側に多くの責任があります。
いえ、今でも、JRの対応に、甚だ、疑問を持っています。
はっきり言って、少なくとも新旧の経営陣は、今以上に、責任感とアカウンタビリティを持つべきです。
新聞報道によると、なぜか、旧経営陣のステイトメントを聴くために、遺族や負傷者の方が頭を下げているのが現状です。
それでも、JR西日本は、なんの回答もよこしてきません。
刑事裁判や民事裁判が行われない限り、彼らは公の舞台に出てくるつもりもないのでしょうか。
(ようやく、幹部ではありませんが、当時の戦車に乗っていた車掌が、4月23日にお参りという形で出てきましたが・・・この人をJR西日本が隠している感がずっとあり、なんで、よりにもよって、2日前に、手を合わせにくるのか、非常に疑問です)
それでは、あまりにも、ひどすぎます。
しかし、ここでは、駆け込み乗車の話に戻ります。
また、そこから、少し飛躍しますが、そもそも、公共交通機構とは、一体何なのだろうかと考えてしまいます。
京都では、かつて、路線電車を走らせていましたが、いまでは、その架線を全部取り外し、車のための公道となっています。
わたしは、環境学の端くれを学んでいたこともあり、その環境負荷の観点からも、疑問を持っていました。
今度こそ、話を戻します。
例に、駆け込み乗車を出しましたが、わたしたち自身も、JR西日本に対し、いままで、たいしたコミットを行ってきませんでした。
もっと言えば、公共性を考慮した場合、双方が歩み寄り、より良いものを目指していくのが、本来の姿ではないかと思えてなりません。
その上で、前回、平成19年に1月20日の土曜日に行われた、意見聴取会には、失望せざるを得ませんでした。
会社、利用客の双方があって、はじめて、成り立つものも多々あったはずです。
JR西日本は、それを、ことごとく否定しました。
公共性など、微塵も考えていないようでした。
(また、この聴取会でJR西日本副社長は事故調査委員会の指摘に反論のみを行い、事故の原因そのものに付いては、未だに不明との回答をしています。
それならば、何故、運転を再開できているのか、不思議でなりません)

わたしは、これまで、信楽高原鉄道の事故などがあっても、どこか他人事で、今回の事故があってはじめて、わたしが住んでいる市の方が、信楽高原鉄道の遺族会世話人代表だと知りました。
脅す訳ではありませんが、現状を鑑みると、いつ、あなたが乗っている電車(JRに限らず)が同じような事故を起こすとも限らないのではないかと思います。
先ほど述べたように、JR西日本側は、この事故の原因を未だに不明としているのです。
もっといってしまえば、あまりにも、過信しているブラックボックスがこの世には多すぎる気がしてなりません。
すべてのブラックボックスを疑っていると、それこそ、生活できないとも思いますが、あまりに、安全と安心いうことを、わたしは無意識のうちで、軽視しすぎていました。
当たり前のことが、当たり前だとは、決して、限りません。
何の疑いも無く、利用しているものが、安全や安心に立脚している保証は、どこにも無いのです。
乗り逃した15分という時間は、はたして、それに、足るものだったのかと、今でも、苦悩してしまいます。
更に議論を広げていくと、わたしたちの本当の豊かさって、何なのでしょうか。
15分の節約が、豊かさなでしょうか。
わたしには、わかりません。
(わたしの先攻していた学問にかなり影響を受けている文章で、申し訳ありません)

以下、感情論です。
ふと、思うことがあります。
新旧経営陣、特に、引責辞任したはずのJR西日本の役員3人(坂田正行氏と徳岡研三氏と橋本光人氏)は、グループ内の子会社の社長などに天下りしていますが、彼らは、いま、何を思って生きているのでしょうか?
毎日、安眠できているのでしょうか?
それとも、家族の為に生きていないとどうしようも無い状況なのでしょうか。
わたしには、とても不思議でなりません。
わたしが同じ立場なら、とっくに、首を吊って、死んでいると思います。
(決して、死んで詫びろなどどいっているつもりはありません。彼らが死んでも、わたしの2年間や、負傷した方々の心と身体的な傷、亡くなった方々は帰ってきません)
わたしは、この事故が原因で、PTSDと軽鬱を発症し、今に至っています。
今月(2007年4月)の後半2週間くらいは、起きられている時間は6時間にも満たないくらいで、あとは、ずっと、臥せっています。
(この文章は、かなり無理をして書いていますので、取り留めの無いものとなっていると思います。
すみません)
この2年間、何度も、死のうと思い、リストカットなどの未遂も何度かやりました。
今でも、この事故で亡くなった方に、「何で、お前が生きているのか」と、問いつめられています。
他にも、何度もJR西日本の線路に飛び込んで死のうと思ったこともあります。
(さすがに、これは、罪も無い多くの方に迷惑がかかるので、やりませんが・・・)
他にも、新旧役員の自宅前で、できるものなら、自殺してやろうかとも思ったことは少なくありません。
報道を見ていると、「希望」を見つけた方もいるようですが、どうか、わたしたちのような人間が未だに居ることを、忘れないでください。

意見聴取会

2007年02月02日 | JR宝塚線脱線事故について
むなしくてたまらない。
わたしたちの1年と9ヶ月は何だったのだろうか。
JR西日本は、事故の当事者として、そして、公共交通機関としての認識が、あまりにも無さ過ぎるように感じた。

後日、もう少し、感想を付け足すつもり。

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society

2007年01月21日 | ...and all that jazz
ようやく、「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society」を観ました。
原作から、引用されたネタを小気味よく、うまく料理していました。
以下、ネタバレありです・・・たぶん^^;



面白かったのですが、少々、盛り上がりに欠けた感があります。
ただ単に、わたしが期待しすぎていたため、このように思ったのかもしれません。
「2nd GIG」では、難民問題を取り上げ、今作では、少子化問題などを取り上げている点は、非常に面白かったですし、組織としての9課という、根本を見つめ直したことも興味深かったです。

結局、傀儡回しの正体は、コシキが最後に解説してくれてはいますが、少佐の同位体(がベースとなっている)という解釈でいいのでしょうか。
「STAND ALONE COMPLEX」シリーズでは、少佐が人形使いと融合していないので、単純に、原作の「攻殻機動隊2」に登場した素子の同位体とは位置づけは違うはずですが、代わりに、並列化(?)を繰り返した挙げ句に、何らかのかたちで発生した「もの(?)」が傀儡回しである考えて良いのかな。
タチコマも、ゴーストが芽生えているのかは定かではありませんが、少なくとも並列化の果てに、「個」を得ていますし、クゼの革命のように、自分たちをネットにあげて(アップロードして)も、個を特定し続け、更に再びボディにまで戻っています。
そして、コシキは、ソリッドステイトシステム強化のため、様々な人物をパージしてきて、9課をも排除する目的で、少佐と有線したと言っていましたが、結局、あれは何を意味したのでしょうか。
ソリッドステイトシステムは、トグサが、子供たちは親元に帰された旨を発言していることから、今回の一件で、崩壊していると考えてよいはずです。
9課もパージどころか、少佐自体が健在です。
有線することで、傀儡回しは、少佐のデコイを得ることはできましたが、はたしてそれに意味があるのか、リモート義体を手に入れること自体は、雑作もないことのはずです。
しかも、傀儡回しは立ち去る際に、「これで、ソリッドステイトが完成する」と言い残しています。
どうも、そのあたりが良く理解できません。
(ここが、この物語の本質であるはずなので、ここが分からないというのは、感想を述べる上で致命的なのですが、あえて、感想を書いています)
複合体が並列化を行い、あたかも個というべき存在(?)が生まれ(個にして全、全にして個?)、新たな社会を形成し関わっていくということを、本当の意味でソリッドステイトとしているのかな。
そうすると、ある意味、スタンド・アローン・コンプレクッスの更なる発展した現象として、ソリッドステイトはあるのかもしれません。
なんだか、訳が分からなくなってきました。
そもそも、原作の「攻殻機動隊2」自体、意味が理解できていません・・・

重箱の隅をつつくようでなんですが、トグサが自殺(しようと)するシーンも、気になりました。
足を止めることができたのは、傀儡回しが、トグサに選択をさせる(自殺するか、自分の娘の電脳化にサインするか)時間を与えるために設けたように思ったのですが、何も自分の頭を打たなくても、足を撃てば、あの場合は、済んでいたのではと思ってしまいます。
傀儡回しが与えた選択自体が、自分の頭を撃つか、サインをするかという動作しか無かったのかもしれませんが・・・

あと、聖庶民センターへの9課の突入の根拠は、ハッカーとして侵入した少佐を、犯罪者として、9課が追うというかたちを取ることで、書類上の問題をクリアしているという判断でいいのでしょうか。
でも、それでも、強制捜査への理由としては弱いような・・・

今作にて、ネットを彷徨っていた少佐が、9課に帰ってきました。
「イノセンス」が公開された際、プロデューサーの鈴木敏夫が「素子は再びボディに戻るべき」という発言をしていましたが、それをなんとなく思い出してしまいました。
わたしは、当時、それを聞いたときには、「鈴木敏夫は何を言っているんだ」と思いましたが、このような経緯で、少佐が帰ってくると、何となく、鈴木敏夫の発言も腑に落ちるものがあります。
(もちろん、原作と映画版とSACシリーズが、それぞれパラレルワールドになっているというのは十分理解しています)

とりあえず、マイクロマシンを利用したテロあたりから、ソリッドステイトシステムへの物語のつながりをいまいち、まだ強く分かっていないので、もう一度、観てきます。
「もういいや」と思わせず、何度も観させる力がある作品でした。
やっぱり、攻殻機動隊は、良いですね。

淕之介が1歳になりました

2006年12月19日 | 淕之介日記
18日に、淕之介が1歳になりました。
本当に、早いもので、あっという間に大きくなってしまいました。
ウチに来たときには、3キロ半しかなかった体重も、いまでは、10キロを超え、抱っこするのも一苦労。
3分くらいが限界です。
親ばかですが、もう、かわいくて仕方がありません。
毎日、何度も頬擦りをしています(笑)
この子がいなかったら、わたしも今頃は、この世に留まってなかっただろうなぁ。

折角の1歳の誕生日なので、本当は、もっと、イベントのようにしたかったのですが、たまたま、この日は何かと色々あり、思うように祝ってあげられませんでした。
まず、午前中にわたしのドクター。
そして、お昼過ぎから、淕之介のグルーミング。
グルーミングから帰ってくると、淕之介は、少し拗ねてしまい、ケーキを囲んで記念写真を撮るなんて余裕はありませんでした。
また、先週から、わたしの体調が良くなく、それをまだ引きずっていたことも多少あります。
仕方がないので、晩ご飯代わりに、ケーキをあげて、「お誕生日おめでとう」と云うだけで終わってしまいました。
このケーキは、犬も食べられる特別なもので、ペットショップを通して、2週間ほど前に注文していて、淕之介がグルーミングに行っている間に、クール宅急便で送って来てもらったものです。
やはり、ケーキは犬にも良い匂いがするらしく、いつもご飯を食べるときは、ワンテンポ、こちらの顔を伺ってから食べ始める淕之介ですが、いきなり、かぶりついて、あっという間に平らげてしまいました。
おいしそうに食べてくれたので、良かった、良かった。
すぐに、そのあと、淕之介は、やはり、つかれていたのか、すやすや眠りについてしまいました。

写真は、きちんとしたものが撮れなかったので、12月12日に撮影したものを。
こんなに大きくなりました。

mixi

2006年12月18日 | 淕之介日記
いちおう、mixiにも棲息しています・・・

http://mixi.jp/show_friend.pl?id=7657077

誤ってMacBookと外付けHDDのデータを消す(その3)

2006年11月11日 | ...and all that jazz
教訓。
非常に基本的な事ですが、バックアップはこまめに取りましょう。
やはり、消失データ復旧ソフトウェアを使って、ある程度データを取り戻せたとしても、破損してるファイルが数多くありました。
再生できなかったり、途中で演奏が切れてしまうオーディオデータや、開いても何も表示しないRAWファイルなどなど・・・
また、スキャンや復旧自体もかなりの時間を要しました。
更にこれから、外付けHDDとMacBookの両方のHDDを初期化して、MacBookの方にはその後、OSをインストール。
ここまできて、ようやく、復旧できたファイルの整理・・・
いつまでかかる事やら。
復旧したデータをためておくために、ストレージが必要だったので、もう一台、外付けHDDを購入したのですが、これからは、外付けHDD二台それぞれに定期的に同じ内容を記録していく習慣を付けようと思います。

誤ってMacBookと外付けHDDのデータを消す(その2)

2006年11月07日 | ...and all that jazz
DataRescue2の体験版で、外付けHDDをスキャンしたところ、100GBほど復旧できるようなので、さっそく、amazonで製品版を購入しました。
体験版では、CDからブートできないようなので、起動ディスクごとデータが飛んでいるMacBookの方は、どれくらい復元できるか結局のところ、分からずじまい。
しかし、復旧しても、ファイルが破損していたりしないかどうか、不安です。

誤ってMacBookと外付けHDDのデータを消す

2006年11月07日 | ...and all that jazz
MacBook内蔵の起動ディスクともなっているHDD(60GB)と、外付けHDD(160GB)のデータを誤って、両方とも全て消去してしまいました。
とりあえず、飛んでいった重要なものは、まず、iTunesのデータで、15000曲以上にのぼります。
CDレンタルショップなどを活用して、ここまで溜め込んでいました。
2006年6月16日以降に撮られたデジカメの写真データの消失も、とてもつらいものです。
中でも、海に突き出た公園で、父親が夕日を浴びながら釣りをしている様子を、遠目に写したものは大変に印象深いです。
決して、作品として優れていた訳ではありませんが、その写真は、父の姿を写した最後の写真となってしまっていたからでした。
ほぼシルエットなのですが、それでも、父と良くわかる写真で、引き伸ばして現像したいと思っていましたが、それも適わなくなりました。
そんな、淕之介も含めて家族の日々の記録が、一瞬にして無くなってしまいました。
何とも言えない、むなしさというか、さびしさというか・・・
(自業自得でありながらも)この結果に対して、なにかに、罵倒の言葉を投げかけるような元気も、これっぽちも出てきません。

いま、友達が紹介してくれた復旧ソフトの体験版を使って、外付けHDDのスキャンを行っています。
外付けHDDは、本来は、MacBookに付けていましたが、取り外し、PowerBookG4に繋ぎ直しました。
かなり、スキャンに時間がかかるようなので、とりあえずは、ここで筆お置き、朝まで、この復旧プログラムを走らせていようと思います。
どの程度、復旧できそうかなどということは、追って、書いていきます。