主婦の書斎から<izzuco dialogue>

2005年6月にはじめたブログです。その間エキサイトブログ(ブックマークに記載)に居を移していた期間が2年ほどあります。

ふらんす堂短歌日記

2024-04-24 | 短歌のレッスン
ふらんす堂の短歌日記、今年は歌人の大口玲子さんが担当されている。昨日の歌がなぜかこころに残ってなんども読み返している。

われといふ人間の浅瀬あゆみつつハマシギは深くうつむいている   大口玲子

わたしの脳裏に浮かんでくるのは、引き潮の波打ちぎわの濡れた砂地が平らかに果てしなく続いておりえさをついばみにハマシギ(かどうかは正確にはわからないが)が数知れず浜辺を歩き回っているという光景。かつてそうした光景をまのあたりにしてその美しさに感動したことをひさびさに思い出した。

「われという人間の浅瀬」とはどういう意味なのだろうかとずっと考えている。わからないながらもその浅瀬と「深くうつむいている」ハマシギはひとつの世界に抱かれているように感じる。ただ美しいだけではないなにかを深く感受されているのだろう。
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子守歌 その3

2024-04-21 | 一里歳時記
泣く子、寝ない子、どうしよか。途方に暮れる、日も暮れる。

子守歌を歌う日がこんなかたちで来ようとは思ってもみなかった。歌うというよりハミング。音の高低差の少ない曲でないと息が続かない。そもそも子守歌のレパートリーが少ないうえ歌詞もあやふや。

入院中、同室の赤ちゃんの祖父とおぼしきかたがおそらくは即興で口ずさむ「歌」が聞こえてきた。面会は両親か祖父母のいずれかふたりまでとあって、その日はパパさんとそのかたが来られていた。歌詞もメロディーもわからないけれど赤ちゃんになにか歌ってあげているのはわかる。

おじいちゃんの子守歌。なかなかよかったですよ。歌ってこういうものだったんですね。



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赤子泣かすな

2024-04-16 | 一里歳時記
いまやわが家の合言葉は(とわたしは思っている)「赤子泣かすな」である。赤子は日に日に知恵をつけそれに応じて扱いも変えていかなくてはならない。こちらも試行錯誤の毎日。「爺や」は抱っこと添い寝に労を惜しまずその研究成果も伝授してくれるから大助かり。

もうひとつの合言葉は「ママを寝かせろ」である。授乳に苦戦したあげくミルクを作って飲ませる手間暇に3時間ごとの搾乳のノルマ。まあよく頑張っていると思うがさすがにこのところその疲労感も半端ではない。ここでママに倒れられたらこちらもお手上げなのでなんとか乗り切ってもらわなくては。だからこそ「ママを寝かせろ」。

主婦の書斎のベッドは今や赤子の朝寝の寝床となった。添い寝はもちろん爺やだ。ここは母子の寝室から一番離れていて赤子の声も届かない。その間に娘は爆睡しわたしは洗濯をしたり朝食の準備をしたり。洗濯もベビー関連のものはこまごまとしていてひと手間かかる。

経験者であるはずのわたしはどうも赤子の扱いに自信がない。赤子の泣き声が遠い昔のトラウマを呼びさます。小さなからだ全身で力っいぱい泣かれるともうたまらない。

天国と地獄を行ったり来たりの毎日だが、いずれそんな日々を懐かしむ日が訪れることだろう。それもちょっぴりさみしいという困ったバアサンである。
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惜しみなく愛は奪う

2024-04-14 | 一里歳時記
ベビーの退院から二週間たった。ほぼ一カ月半の入院生活を経ているのでまずはわが家に慣れてもらわなくてはならない。誕生から二カ月たってようやく出生時の体重に戻った。

訪問看護師さんのアドバイスを受けて少しずつ母乳を乳房から直接飲めるようになってきたが、それほどの量は飲めていないようだ。搾乳して冷凍保存した母乳と粉ミルクを哺乳瓶からのむことに慣れてしまっているのは相変わらず。娘もヨレヨレならわたしもヨレヨレ。

ベビーの扱いにかけては「爺や」の右に出るものはないがわれら「ヨレヨレ組」はベビーの世話に明け来れするだけでは暮らしがまわっていかない。洗濯物は大量に出るし買い出しをふくめて三食を準備する負担感も重い。

われらは日がな一日お仕えする下僕、ひたすらご機嫌うかがいに奉仕するばかりだけれど、如月の天使の大きな瞳に見つめられると、そんなわが身が恥ずかしくなる。

「惜しみなく愛は奪う」というフレーズが頭の中でこだましている。

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赤ちゃんとの暮らし

2024-04-03 | 一里歳時記
胸突き八丁をなんとか乗り越え大わらわで片付けと掃除を終えたところに赤ちゃんが退院してわが家にやってきた。いまのわが家に赤ちゃんの泣き声が響くのは初めて。赤ちゃんを迎える準備は一通り整えてあったが、赤ちゃんのいる暮らしは想像以上に忙しくて消耗するものだということが早々にわかってきた。

オキシトシン効果でなんとか耐えているものの正直言って赤ちゃんの泣き声がなんともつらい。黒目がちの小さな顔は天使なのだが泣き声は日に日に大きくなって泣きだしたらもう止まらない。わたしなどはもうお手上げだ。

わたしは娘のサポート役に徹することにしたが、意外なところに子守役の適任者がいた。泣きわめく赤ん坊を辛抱強く声掛けしながらあやすという特技を発揮してくれているのはなんとわが夫。どこからそんな声が出るのかといぶかしく思うくらい優しい声でひっきりなしに話しかけている。とてもわたしにはできない芸当。

赤ちゃんは母乳を直接胸から吸う体力がまだ足りないようで、搾乳した母乳を哺乳瓶からのんでいる。入院中に哺乳瓶の乳首に慣れてしまったというのもあるのだろう。その手間暇を見るにつけ母乳を直接のませるだけですんだ自分の子育てはあれでも楽だったのだといまさらながら思う。
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