多文化共生社会について
共生とは、異質な集団に属する人々が、互いの違いを認め、対等な関係を築こうとしながら、共に生きていくことと定義します。
多文化共生社会とは、文化的に異質な集団に属する人々が、互いの文化的ちがいを認め、対等な関係を築こうとしながら、ともに生きていく社会のことです。
21世紀はグローバリゼーションが進み、ヒト、モノ、カネ、情報が国境を越えて大規模に移動する時代です。
また、2000年3月に発表された国連のレポートは、少子高齢化の進展が著しい日本や欧米諸国は、今後、大規模な移民受け入れの可能性が高いことを示唆しています。
実際に日本でも、この数年の間に、グローバリゼーションや少子高齢化への対応を理由とした、本格的な外国人労働者、留学生、移民の受け入れの提言がなされています。21世紀の日本は、そして地球社会は、多民族が共生する社会となるのでしょうか。(明治大学商学部 山脇啓造教授 「
多文化共生社会の構想」より)
多文化共生社会の必要性
国際社会における多文化共生社会の必要性
この大学教授の山脇啓造先生が話されているように、多文化共生社会とは、異なる文化を持つ人々との集団と、互いの文化の違いを認めて、なおかつ上下関係の無い、対等な関係を、保ちつつ、共に生きていく社会を言います。
まず、これまでの歴史の中では、異なる文化を持つ人々と、出会った時には、他方の集団が、力でもってもう他方の集団を、排除ないし支配(例えば、アフリカ黒人を、白人が支配、南アメリカの原住民を、スペイン人が支配)してきた歴史がありました。
しかし、現代の国際社会では、このような支配の考え方を改め、
世界人権宣言や、
国際人権規約という条約により、人は自由で、平等で、独立した存在であり、人である以上、肌の色や、文化の違いで差別されない権利を規定し、権力による支配というものを認めないとしています。
このことは、
日本国憲法の
前文や、
13条では「
個人の尊重」として、
14条には
平等権としても規定されています。
このように、異なる文化を持つ人々も、人としてその価値ある個人として尊重し、平等に対等な関係を保ち、共に生きていくとする多文化共生社会は、国際社会の要請であり、日本国でも、日本国憲法の要請であって、今日のグローバル化社会(政治・経済・文化などが国境を越えて地球規模で拡大する社会)においては、幸福で平和な人間社会の発展のために必要であるものといえます。
日本における多文化共生社会の必要性
国際社会における場合必要性に加えて現代の日本社会においては、さらに多文化共生社会の必要性は以下の理由により、高まっているといえます。
まず
第一に、戦後の日本の状況とは大きく異なり、日本に多くの異なる文化を持つ外国人が仕事をするため移住するようになったことが上げられます。
戦後の日本は、まだ焼け野原で、現代に例えると日本もイラクのような、何もない国だったので、日本人が、日本から外国へ移住したり、仕事を探しをするような状態でした。
ところが、高度経済成長、バブル経済などのおかげで、日本は世界でもトップレベルのお金持ちになったため、今度は外国から日本へ今度は、移民や難民も含め、外国人が移住や仕事を求めて入ってくるようになりました。
そのため、多くの異なる文化を持つ外国人が、日本に滞在するこたが避けられなくなり、日本人と共に、日本国内で住むようになってきました。
このように、日本人が仮に拒んでも、仕事をするため移住するようになった異なる文化をもつ外国人と、日本国内で共に生きていく必要が生じたのが一つの理由といえます。
第二に、山脇啓造教授も述べられているように、これからの日本は少子高齢化の進展が著しい状況になるため、若い労働力の確保のためには外国人に働いてもらう必要があり、そのためには、日本に滞在してもらう必要があるのでむしろ積極的に、異なる文化を持つ外国人の人との共生社会を築いていく必要があることが理由として挙げられます。
日本の少子高齢化の進展が著しい状況になると、若い労働力を日本国内に頼ることは、出来なくなるのですから、どうしても外国人の労働力に頼らざる得なくなります。
そうなると、むしろ今度は、外国人に積極的に日本に住んでもらわなければならなくなるわけですから、異なる文化を持つことを前提に、それを互いに理解して、対等な関係を、保ちつつ、共に生きていく社会を積極的につくる必要があります。
なぜならば、仮に、異なる文化を持つ外国人を認めず排除してしまったら、高齢化した日本人だらけのこの国は、結局滅びていくしかなくなるからです。
このことは、今後の日本の福祉・介護社会の問題ともつながる話です。
このように、多文化共生社会は、日本人が今後も、生きていくためにむしろ必要となるものであるといえます。
参考
世界人権宣言
第1条
すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。
第2条
1 すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。
2 さらに、個人の属する国又は地域が独立国であると、信託統治地域であると、非自治地域であると、又は他のなんらかの主権制限の下にあるとを問わず、その国又は地域の政治上、管轄上又は国際上の地位に基づくいかなる差別もしてはならない
第3条
すべて人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する。
第4条
何人も、奴隷にされ、又は苦役に服することはない。奴隷制度及び奴隷売買は、いかなる形においても禁止する。
第5条
何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取扱若しくは刑罰を受けることはない。
第6条
すべて人は、いかなる場所においても、法の下において、人として認められる権利を有する。
第7条
すべての人は、法の下において平等であり、また、いかなる差別もなしに法の平等な保護を受ける権利を有する。すべての人は、この宣言に違反するいかなる差別に対しても、また、そのような差別をそそのかすいかなる行為に対しても、平等な保護を受ける権利を有する。
国際人権規約
第二条
1 この規約の各締約国は、その領域内にあり、かつ、その管轄の下にあるすべての個人に対し、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位等によるいかなる差別もなしにこの規約において認められる権利を尊重し及び確保することを約束する。
第六条
1 すべての人間は、生命に対する固有の権利を有する。この権利は、法律によって保護される。何人も、恣意的にその生命を奪われない。
日本国憲法
前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
第13条 〔個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重〕
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第14条〔法の下の平等、貴族制度の否認、栄典の限界〕
1 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。